2023/11/14 - 2023/11/21
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ミズ旅撮る人さん
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2019年7月に訪れたポルトガルを、2023年11月に再訪しました。
ツアー5日目。ファティマのホテルを出て、先ずは大西洋に面したナザレに行きました。ナザレは、濃霧のためまったく大西洋どころか崖下に広がる町も見えませんでした。ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会だけ見学しました。
旅行記6回目のオビドスはナザレの次に訪れています。オビドスの観光が終わるとリスボンに近いシントラの王宮を見学しました。ディニス王が居城としたのが始めで、以後歴代の王たちが増改築を施しています。その後、ユーラシア大陸の最西端であるロカ岬を訪れました。厚い雲が低く垂れ込めていましたが、その雲の向こうから夕陽の輝きが見られました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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連泊したファティマを8時に出発して、大西洋に臨むリゾート地ナザレに向かっています。高速道路を走ってしばらくすると、大きな町の中にぴょこんと突き出た丘の上に城が見えました。レイリア城です。イスラム教徒がポルトガルを支配していた時代、ここがポルトガルとイスラム教徒(ムーア人)の国境でした。1135年にポルトガルの初代の王アフォンソ・エンリケスが奪取し、後にディニス王とイザベル王妃が修復して居城としました。この二人は前回のオビドスを王妃の直轄地にしたご夫婦です。
レイリア城 城・宮殿
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高速を降りて、もうナザレの街中なのですが、すごい濃霧です。沿道の様子も霞がかっています。
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ナザレの町は海岸沿いのリゾート地ペスカドーレス地区と、海に臨む断崖絶壁の上に開けたシティオ地区に分かれています。今バスはシティオ地区に入って来ました。とても狭い道を苦労しながら進んで行くと、濃霧の中にいきなり闘牛場(Praca de Touros da Nazare)が現れました。土地が狭いので小さな闘牛場のようですが、現在でも闘牛が行われています。
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ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会前の広場に来ました。展望台を背にして教会を見ているのですが、薄くシルエットが見えるだけです。これでは大西洋やペスカドーレス地区の街並みなど見えません。
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展望台です。普通は、そこからの眺めを楽しむのですが、あまりに何も見えないので岩の写真となりました。
シティオ地区の展望台 散歩・街歩き
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展望台にあるメモリア礼拝堂(Ermida da Memoria)です。
何の変哲もない小さなお堂です。が、ナザレの伝説の現場なのです。
1182年、この地域の領主が馬に乗って鹿狩りをしていました。今日と同じようにすごい濃霧で前が崖とは気付かずに鹿を追い、この崖から落ちそうになってしまいました。その時、聖母マリアが現れて、助けてくれたのだそうです。この礼拝堂の中には聖母を祀った像と、奇跡を描いたアズレージョがあります。メモリア礼拝堂 寺院・教会
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まだ朝の9時だからか、濃霧だから誰も来ないと思っているのか、礼拝堂は鍵が閉まっていました。それでは話にならないので、2019年に撮った写真を数枚載せておきます。礼拝堂を覗き込むと、先ずは小さな祭壇が天井までびっしりアズレージョで囲まれています。
メモリア礼拝堂 寺院・教会
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祭壇に向かって右側に下に降りる階段があります。それを降りると、ちょうど祭壇の真下に当たる場所にこの像が置かれています。ちょっと普通では見ない授乳中の聖母子像です。これを覚えておいてください。
メモリア礼拝堂 寺院・教会
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地下室の天井のアズレージョは、正に崖から落ちようとしている領主を助ける聖母子が描かれています。鹿は落ちて行きましたが、馬は後足だけで踏みとどまり領主は九死に一生を得ました。
メモリア礼拝堂 寺院・教会
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せっかくなので、2019年にペスカドーレス地区とシティオ地区を繋ぐケーブルカーから撮った写真をどうぞ。これが見られなかった今回のツアーは本当に残念でした。
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2023年は濃霧の中で見えなかったノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会の晴れの日の写真です。展望台が見られないので、教会に入ることになりました。ナザレには重要な教会なのに、当初のツアーの予定には無かったのは驚きでしたが、入れて良かったです。
ノッサ セニョーラ ダ ナザレ教会 寺院・教会
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ナザレという地名の由来は、イスラエルのナザレです。8世紀にナザレからやって来たロマノという僧が聖母子像を持って来ました。彼はその像を洞窟に隠してしまいますが、後に羊飼いたちが見つけます。その後、メモリア礼拝堂の奇跡が起こり、巡礼者たちが集まるようになりました。そうして建てられたのがこの聖母教会です。
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主祭壇はちょっと変わった造りになっています。真ん中のガラス張りの中に小さな聖母子像があり、その両側に穴が開いています。
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翼廊はアズレージョでびっしりです。
普通ならこれで見学は終わりなのですが、前回見つけた場所があります。入場料1ユーロでしたが、その価値はあるからとツアーの人たちに声を掛けて、主祭壇に向かって左の翼廊から通路に入って行きます。 -
四方八方アズレージョに囲まれた通路です。
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壁のアズレージョ
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天井のアズレージョ
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小部屋もアズレージョ
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そしてちょっと大きな礼拝所。周りの腰板には僧ロマノの逸話や、メモリアの奇跡の絵(右端)が描かれています。この部屋は、お参りするのが目的ではなく、出入り口の左右を見てください。
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天井はシントラの王宮に似ています。
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この部屋の出入り口の両側には、このような階段があります。
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階段を上った先は、主祭壇の聖母子像の両側に開いた穴(通路)です。
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主祭壇の天井をこうして見ることはないでしょうね。
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そして僧ロマノがナザレから持って来たという聖母子像・・・の筈だったのですが、なんと絵になっていました。いったい何が起きてご本尊が居なくなったのでしょう?
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2019年には、ちゃんとした像でした。
像(絵)の前に説明書きがありました。修復・保存のためにリスボンの文化遺産総局のホセ・デ・フィゲイレド研究所にあるそうです。 -
複製が展示されていました。この像は、メモリア礼拝堂の地下にあった像と同じです。顔つきが西洋人ではないからナザレ(イスラエル)のものと考えられたのでしょうか。
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教会の隣に小規模な博物館があり、この絵だけは撮影出来ました。
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ナザレを後にしてオビドスに寄った後、シントラにやって来ました。
シントラは急斜面に名所が展開しているので、道路は一方通行になっている部分が殆どです。国鉄のシントラ駅からシントラ・ヴィラ、ペナ宮殿、レガレイラ宮殿などを巡る循環バスは、一方通行で運行するので、バスの順番通りに見学しないと駅まで行ってまた戻って来る羽目になります。 -
シントラは王宮と共に貴族の別荘などか多く点在する場所で、それらを巡るのは丸一日掛かりです。今回のツアーは王宮だけを見学します。もし、1日フリーの日があったら、リスボンから電車で簡単に来られるので、魅力あふれるシントラの名所を巡ってください。2019年の方の旅行記に詳細があります。
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パタリアス( Padarias)通りを歩いて昼食のたこのリゾットをいただきました。
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王宮前の広場は世界各国からの観光客でいっぱいです。それだけに食べることには困らない場所です。シントラ・ヴィラ以外では食事や宿泊するのは難しいので、ここに集まって来てしまうのでしょう。
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レプブリカ広場です。王宮の前にあります。駅からのバスはここまでは入って来られないので、正面奥の白いバスが見える辺りにバス停があります。
レプブリカ広場 散歩・街歩き
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レプブリカ広場の端から見るシントラ・ヴィラ。建物ごとに高さが違います。
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観光客がたむろするレプブリカ広場。この広場の下に公衆トイレがあります。
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では、王宮の中に入って行きます。1階はホールになっていて、奥の階段を上がって建物の中に入ります。
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優美な曲線の螺旋階段とアズレージョ。
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「白鳥の間」天井に27羽の白鳥が描かれていて、全部少しずつ異なっています。
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天正遣欧少年使節団が招かれたのがこの部屋です。
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いや、そこまで白鳥の首は長くないと思うよ。違いを強調したかったのかな?
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間違い探しの気分。水辺の背景まで少しずつ違います。
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シントラ王宮は、イスラム教徒が残した建物をディニス王が使い始め、14世紀にジョアン1世が増改築を施しました。以後、各時代の王たちが手を加えて、ムデハル、ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなどの様式の集まりとなりました。
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小さな中庭が付いています。2本の煙突はジョアン1世の時代に作られました。2階の窓部分はイスラムのアーチを残したまま、別に窓を嵌め込んだのですね。白い壁に残る色の違う部分には何があったのでしょうか。
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「カササギの間」ジョアン1世が女官にキスをしたのを他の女官たちが噂して王妃の耳に入ってしまいました。ジョアン1世は、この天井に「おしゃべり」を象徴する鳥カササギを描き、あれは「POR BEM(善意)」なのだと書き添えました。
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カササギは、足に白いバラを掴んでいますが、これはイングランド出身の王妃の家の象徴で、盛大なごますりです。
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かべは背の高さまでアズレージョですが、イスラムの玉ねぎ頭のようなモチーフでまとめられています。こういうのがムデハル様式なのでしょうか。
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2つの部屋は床の高さが随分違います。増築する時に、外への出入り口があったところに繋げたのでしょうね。
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ポルトガル各地でよく見られるアズレージョは青と白で描かれますが、シントラ王宮では、緑が多用されます。緑を好むイスラムの影響でしょう。
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こういう出入り口はエキゾチックでいいですね。
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「ジョアン1世とフィリパ王妃の宮殿で2番目の部屋。ここは王室の謁見のために最も使用された。現存する家具は王の権威を示すもの、台またはカーペット、椅子、天蓋だけでした。19世紀になると謁見の重要性が失われ、宴会に使われていたようです。」
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シントラ王宮で最も多用されているタイルが、緑の葉のモチーフです。とても味わいがあって、気に入っています。
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このタイルを売っていたら買うのになあ。蔦の葉っぱのようですね。
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ここの葉っぱはちょっと違います。葉っぱにもバリエーションがあるんですね。
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年代物のタペストリー。
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ライティングデスクかと思ったけれど、移動式の祭壇?
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びっしりと刺繍を施した布。
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金色の地球儀のある部屋。
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青い花のモチーフのアズレージョ。イスラミック・タイルはその後のアズレージョとは趣が違いますね。
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天井に帆船の航海の様子が描かれている部屋は、ギャラリーです。ジョアン3世(1502~1557)が建てた部分です。
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古いタイルのコレクション。
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茶色い皿のコレクション?
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窓から見えた中庭。珍しく西洋風。
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なんだか変わった扉です。王宮を外から見た時の窓枠に似ています。
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こんな窓でした。
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その先は、王宮の中で最も豪華な部屋です。「紋章の間」です。
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「紋章の間」は、マヌエル1世(1469~1521)が君主制の理想を表現したものです。頂点に自分を置き、8人の息子と娘の婚家の家紋で囲んでいます。
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長い角に白い布をひっかけて走る牡鹿は正義の象徴で、布にはドゥアルテ国王のモットーが書かれていましたが、現在は消されています。マヌエル1世は祖父ドゥアルテ王の家訓を書き込むことで血統の正しさを標榜していました。
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牡鹿の絵の下には、牡鹿と72の地方領主たちの紋章。
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部屋の角には小さなドームがあって、その中にも紋章が嵌め込まれています。部屋の壁は青いアズレージョ。王宮の中では比較的新しく作られた部屋なのでしょう。
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窓枠にも余すところなく青いアズレージョ。
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その窓から見た外の風景です。修復中らしい魅力的な建物が見えます。いつか内部を公開されないかな。それともホテルになるのかな?
シントラではパラシオ・デ・セテアイスという18世紀末に建てられた宮殿が5つ星ホテルになっています。 -
部屋の壁は狩猟の様子を描いた青いアズレージョで統一されています。ポルトのサン・ベント駅のアズレージョを思い出します。あちらのアズレージョはかなり新しいものなので、これを参考にしたのかもしれませんね。
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この窓の形には見覚えがあります。レプブリカ広場から王宮を見上げた時に見ました。
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王宮には南西部に階段状の庭園があります。
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アフォンソ6世の部屋。13世紀のディニス王とイザベル王妃の宮殿だった部分で、陶器の床は王宮内でもっとも古いものです(1430~1440)。アフォンソ6世(1643~1683)はこの部屋にいたと考えられていますが、晩年は投獄されました。
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王家の礼拝堂。現在修復工事中です。
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天井が素晴らしく手が込んでいます。
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王宮の中でも古い部分なのでしょう。部屋の中に噴水があります。イスラム教徒が残した建物を基に改修したので、こうしたものはそのまま残ったのかもしれません。アルハンブラ宮殿にもこういうのがありますね。
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白い大理石の噴水の角に、とても古いイスラミック・タイルが残っています。噴水よりもこちらの方が貴重だと思います。
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こういう部屋はどうやって使われたのでしょうね。
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木の扉は後付けなのでしょう。異文化の融合と言えば格好いいけれど、やっぱり何か変。
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ドーンと広い場所に来ました。厨房です。白いタイルが明るいです。
ここでどれだけの量の調理をし、どれだけの料理人が立ち働いていたのでしょう。 -
そして頭上には、この王宮のシンボルともなっている2本の煙突。この厨房はジョアン1世によって作られました。シントラには狩場があるので、獲物を使った宴会がよく催されたそうです。煙突の高さは33mです。
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その料理を食べた部屋でしょう。シャンデリアが明るすぎて、撮るのがたいへんです。
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暖炉と銀細工の額縁。
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1910年に王制が崩壊したので、王宮の中の調度品などは随分失われたのでしょう。
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出入り口がお茶目だなあ。
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1857~1858年、ペドロ5世(1837~1861)の時代、国王と将来のステファニー王妃のために改修されました。天井には王冠とイニシャル「PS(ペドロとステファニー)」が描かれた盾があります。
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中庭の一角に変わった場所があります。
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「Water Grotto(水の洞窟)」
15世紀末~16世紀初めに建てられたこの洞窟は、18世紀に改築されました。天井の漆喰はジョヴァンニ・グロッシの工房で作られました。世界の創造(中央)、四季(角)神話のテーマを描いています。 -
色合いがウェッジウッドのようですね。
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これが「洞窟」です。部屋の奥に窪みがあります。
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その壁には小さな穴がたくさん開いています。ここから水が流れ落ちるのです。イスラム建築によくある水を用いて涼をとる仕掛けです。
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長年に亘って増改築を続け、複雑な造りになった王宮です。自分がどこにいるのか全然わからないまま、見学が終わりました。これからバスに乗ってロカ岬に向かいます。
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ロカ岬(Cabo da Roca)はユーラシア大陸の最西端です。
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ロカ岬の灯台が見えて来ました。
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十字架を頂いた石碑があります。他に何がある訳でもないのに観光客がいっぱいです。
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厚い雲の中から太陽の光が海に差し込んでいるので、なかなかインパクトのある光景です。
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神々しい景色に感謝します。今朝のナザレのようだったら惨敗です。前回来た時は霧でした。
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石碑に刻まれているのは、カモンイスの詩の一説です。
「ここに地果て、海始まる」ロカ岬 海岸・海
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石碑の前から見る大西洋は、まるで別の世界が水平線の向こうにあるような光景でした。
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赤い灯台が象徴的です。
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石碑のある所から崖に沿って下る遊歩道を歩いて行きます。
先端には、岩場が見えます。 -
ロカ岬は、リスボンと緯度が同じくらいの場所にあり、イベリア半島の南西の突端ではありません。ロカ岬はちょっとだけ出っ張っているので最西端になりました。「深夜特急」の主人公はそれを知らないで、サグレスに行って最西端と思ってしまったのですね。私はロカ岬に来たのだと思っていて、読み直してびっくりしました。
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突端に行きたい人って、必ずいるんですよね。遊歩道はあそこまでは行っていません。
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この後、リスボンに行って連泊です。明日は一日ツアーから離れて、自由にリスボンの町を歩き回ります。
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