2024/10/27 - 2024/10/27
25位(同エリア543件中)
FUKUJIROさん
- FUKUJIROさんTOP
- 旅行記451冊
- クチコミ159件
- Q&A回答111件
- 625,102アクセス
- フォロワー348人
この旅行記スケジュールを元に
最終日になってしまいましたが、北陸道総鎮守、越前國一之宮の氣比神宮に参拝します。
社伝によれば、二千有余年の昔、天筒の嶺に霊跡を垂れ境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝承され、今に神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を留めています。
第14代仲哀天皇8年の創建とされ、文武天皇の大宝2年(702年)に勅して当宮を修営し、仲哀天皇、神功皇后を合祀されて本宮となし、後に、日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉姫命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称し、氣比大神をはじめとする七柱を祀っています。
戦国時代には越前国主朝倉氏に与したものの織田信長に破れ、古今の社領は没収され、祭祀は廃絶するに至りmした。
慶長19年(1614年)福井藩祖結城秀康公が社殿を造営され、社領百石を寄進しました。
明治28年3月26日、神宮号宣下の御沙汰により氣比神宮と改められました。
大東亜戦争における空襲で社殿を焼失したため、現在の主要社殿は戦後に再建されました。空襲を免れた大鳥居は国の重要文化財に指定されています。
昭和57年、「昭和の大造営」に着手し、本殿改修、幣殿、拝殿、儀式殿、廻廊を新設しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
-
最終日の朝です。
北国グランドホテルの部屋から北西方向に敦賀駅が見えます。 -
朝食です。美味しくいただきました。
-
国道8号線沿いにある氣比神宮に来ました。
駅から歩くつもりだったのですが、ホテルから敦賀駅まで送ってくれたドライバーさんが氣比神宮にお参りするならと、近くまで回ってくれました。氣比神宮は地元の誇りだと話していました。ありがとうございます。 -
社号碑。
-
氣比神宮の大鳥居(国重要文化財)。
「氣比宮社記」によると、大鳥居は康永2年(1343年)の暴風で倒壊していたものを、正保2年(1645年)、小浜藩主・酒井忠勝の寄進により佐渡から調達した榁(むろ)の樹で再建しました。木造朱塗の両部鳥居で、高さ36尺(10.93m)、主柱間7.45m。基礎部には笏谷石。
広島の厳島神社、奈良の春日大社と並ぶ「日本三大木造大鳥居」の一つです。 -
扁額は、有栖川宮威仁親王の御染筆です。
港区の有栖川宮記念公園に銅像の建っている有栖川宮熾仁親王の異母弟で、最後の有栖川宮です。 -
参道には石燈籠が立ち並んでいます。
-
参道の左手に石造りの鳥居があります。
-
寛保3年(1741年)建立の狛犬。
-
狛犬。
-
猿田彦神社(末社)。
御祭神は猿田彦大神。みちひらき・交通安全・方位除けの神社として信仰されています。 -
蓮池のようですが、不詳。
-
社務所。平成23年(2011年)6月、総木造で新築落成しました。
-
氣比の長命水。
大宝2年(702年)に朝廷御関係の神々を合祀する際、神宮を修営途中に突然として地下水が噴出したと伝えられます。
合祀された神々の中に大変長生きをした武内宿禰命がいることから、神々の御神徳が宿る神水として信仰され、1300年以上の長きに亘り長命水の名で親しまれています。 -
手水舎。
-
旗掲松。
南北朝争乱時代の延元元年(1336年)、宮司・氣比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じて氣比大明神の神旗を掲げたと云う「旗掲の松」です。
現在の二代目旗掲松は、初代の根元から生えて来たものと云いいます。 -
旗掲松初代の根が保存されています。
-
南向きの中鳥居。
-
外拝殿。
氣比神宮の創祀は2000年以上昔の神代に遡ります。伊奢沙別命(いざさわけのみこと、氣比大神)を祀る神社でした。
大宝2年(702年)、文武天皇の勅命により大神とのご神縁により仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され、御祭神は七柱とされました。
気比神宮は、越前国一の宮として勢力を誇っていましたが、戦国の動乱期に衰退しました。慶長年間(1596~1614年)に結城秀康の援助を受けて復興しました。
よろしければ、結城の街歩きをしたときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11868619 -
昭和20年(1945年)7月12日、アメリカ軍は大陸との航路を担っていた敦賀を無差別攻撃(敦賀大空襲)し、この空襲で市民109名を殺戮しました。
このとき、慶長19年(1614年)に結城秀康によって再建された本殿(旧国宝指定)ほかの建物を焼失しました。
現在の本殿は、昭和25年(1950年)に再建し、南面して鎮座します。 -
外拝殿の大太鼓。
-
九社之宮(くしゃのみや)、入口の鳥居。
境内の西方に位置し、御本殿を向いて九社の神社が鎮座しています。
古来より氣比大神の御子神等関係の神々をお祀りする社として崇敬されてきました。 -
(左)①伊佐々別神社(いささわけじんじゃ)。
御祭神は御食津大神荒魂神(みつけおおかみあらみたまのかみ)。
社記によれば「古来漁捕の輩之を尊敬し奉る」とあり、漁撈を守るために北方の海を向いていると伝えられています。
②擬領神社(おおみやつこじんじゃ)。
社記によれば御祭神は、武功狹日命(たけいさひのみこと)あるいは大美屋都古神(おおみやつこのかみ)又は玉佐々良彦命(たまささらひこのみこと)とも云うとあります。 -
手前から、③天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)。
御祭神は天伊弉奈彦大神(あめのいざなひこのおおかみ)。
④天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)。
御祭神は天比女若御子大神。社家伝記に、伊佐奈日女神社、伊佐奈日子神社は造化陰陽の二神を祀りしものなりと云い、古来から縁結びの御神徳が顕著であるそうです。
⑤天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)。
御祭神は天利劔大神。仲哀天皇が参拝し、宝劔を奉納せられ霊験いと奇しと云い、後に祠を建て天利劔宮と称え奉りました。
⑥鏡神社(かがみのじんじゃ)。
神功皇后角鹿に行啓の折り、種々の神宝を当宮に捧げ奉った。其の中の宝鏡が霊異を現わされたので別殿に國常立尊(くにのとこたちのみこと)と共に崇め奉り天鏡宮(あめのかがみのみや)と称え奉ったと云う。慈悲の大神として知られます。
⑦林神社(はやしのじんじゃ)。
林山姫神(はやまひめのかみ)を祀ります。福徳円満の大神として崇敬されています。延暦4年、垣武天皇の勅命により最澄が氣比の宮に詣で求法を祈り、同7年再び下向して林神社の霊鏡を請ひ比叡山日吉神社に遷し奉りました。当社は江州比叡山氣比明神の本社です。
⑧金神社(かねのじんじゃ)。
素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀り、家内安全の御神徳とされます。延暦23年8月28日、僧空海は当宮に詣で、大般若経1千巻を転読求法にて渡唐を祈りました。弘仁7年に復び詣でて当神社の霊鏡を高野山に遷して、鎮守の杜としまた。即ち紀州高野山の氣比明神となりました。
⑨劍神社(つるぎじんじゃ)。
御祭神は姫大神尊(ひめのおおかみのみこと)、剛毅果断の大神として往古神明の神託があったので、莇生野村(旧敦賀郡)からここに勧請し奉ったと伝えらるます。 -
最奥に神明社があります。
-
神明社(末社)。
御祭神は、天照皇大神(内宮)と豊受大神(外宮)です。
外宮は慶長17年(1612年)3月28日、内宮は元和元年(1615年)9月28日にそれぞれ勧請奉祀されました。 -
奉納酒樽。
聖乃御代(ひじりのみよ)は、 北陸街道今庄宿の北善商店さんのお酒です。
白鷹は、兵庫県西宮市の白鷹のお酒で、全国唯一伊勢神宮御料酒献上蔵です。 -
東門の扉。
東参道が正門だった名残なのか、東側だけに門がありました。 -
東門。
気比の杜側から社殿内に入れる門です。 -
東門に繋がる回廊には氣比神宮の歴史を記した詳しいパネル展示があります。
これは室町時代の氣比神宮古図を複写しました。神仏習合であったため、鐘楼や仏塔もありました。当時の大鳥居は、東参道の入り口にありました。 -
大鳥居と中秋の名月。パネル展示を複写しました。
松尾芭蕉翁は「おくのほそ道」の旅で、敦賀での中秋の名月を見たいと願っていました。元禄2年(1689年)8月14日、名月の前日に敦賀についた芭蕉翁は、「けいの明神」の夜参りに出かけて月見を楽しんだと伝わっています。 -
ユーカリ。敦賀市指定天然記念物。
昭和11年、陸軍関係者が武運を祈願して献木したユーカリです。 -
即位栄典記念神苑の碑。
-
神水苑。
敦賀は名水湧出の地で、特に境内は水脈の中心に位置しています。
明治42年東宮殿下(大正天皇)御参拝の折、お茶の水に用いられた一井があります。昭和の大造営で滝のある神水苑を整備し、今もお水取りの参詣者で賑わいます。 -
神水苑。江戸時代、亀池は「日本庭園歴覧」に記された名池でした。
-
氣比の杜碑。境内の北側には氣比の杜が広がっています。
-
氣比宮古殿地。
-
この時はわからなかったのですが、鳥居の後方に見えている木々が「土公」です。
この場所は、天筒山の遙拝所でもありました。 -
面白い顔をした狛犬がいました。
-
狛犬。
-
日朝親善紀念植樹の碑。
今じゃ考えられません。 -
境内の東方、東参道の南側に3つの鳥居が見えます。
左から、大神下前神社、兒宮、角鹿神社。 -
角鹿神社(摂社)。
-
社号柱。昭和17年9月。
-
崇神天皇の御代、任那の皇子の都怒我阿羅斯等命は氣比の浦に上陸し貢物を奉りました。天皇より氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられ、その政所跡にこの命を祀っています。かつては東門口が表通りであったため、氣比神宮本社の門神と云われます。
-
御祭神は都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)です。JR敦賀駅西口に立像があります。「つぬが」から転訛した「角鹿」が敦賀の元の名前でした。
-
兒宮(このみや、末社)。
-
御祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)です。
徳川時代から子宝祈願を始め安産の神と称され、更には小児の守神として篤く信仰されました。
拝殿には、母子大小の狛犬が御護りしています。 -
狛犬(母)。
-
狛犬(子)。
-
大神下前神社(末社)。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)です。
氣比大神四守護神の一つとして、天筒山麓に鎮座されていました。 -
明治時代に現在地に移転、稲荷神社と金刀比羅神社を合祀しました。
特に海運業者の信仰が篤いそうです。 -
東参道の出入口には、北陸道総鎮守の大きな標が建っています。
かつては、この東参道が正式な入口とされていました。 -
東参道の出入口から境内を出ると、北側に隣接する小学校跡地(敦賀市役所・北児童クラブ)があり、そこに土公(どこう)が見えます。
かつては越前から、越中、越後、佐渡にも所領を有していた氣比神宮ですが、現在の境内全域は11,253坪です。 -
土公(どこう)。
この地は氣比大神降臨の地とされ、古代の祭祀の形態である神籬磐境(ひもろぎいわさか)を残す聖地となっています。
氣比神宮の創祀は2000年以上昔の神代に遡り、当初は土公の地で祭神を祀ったと伝わります。大宝2年(702年)に朝廷御関係の神々を合祀しています。
平安時代の名僧伝教大師最澄、弘法大師空海は、氣比大神に求法の祈誓をかけ、この土公前で7日7夜の大行を修したと伝えられています。 -
東参道からもう一度境内に戻りましょう。
戦前は、この場所に大鳥居が建てられていました。
その周りには、大砲や魚雷などが並べてあったそうです。 -
神水苑の鯉。
-
芭蕉句碑と芭蕉像。
-
芭蕉像。
中鳥居の正面に建っています。 -
芭蕉翁月五句の碑。
國々の 八景更に 氣比の月
月清し 遊行のもてる 砂の上
ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月
月いつこ 鐘八沈る 海の底
名月や 北國日和 定なき
高さ2.6m、横4.4m、奥行き1.3m、重さ約30トンの巨大な自然石に五句が刻まれています。 -
芭蕉翁杖跡の碑。
なみだしくや 遊行のもてる 砂の露
芭蕉翁よりも388年前、時宗の二代目・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)が正安3年(1301年)に氣比神宮を訪れたとき、境内の西側は湿地でした。参拝者が行き交うのに苦労している姿を目にした遊行上人は、自ら海岸から砂を運び、水の溜まった場所を埋め立て参道を整備しました。
この話に感じ入った芭蕉翁が俳句に詠んだものです。 -
氣比神宮の参拝を終えて、敦賀駅へ向かいます。
-
バス停もありました。
-
国道8号線に沿って延びるシンボルロードには、銀河鉄道999の名場面を再現したモニュメント像がありました。1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、作られたそうです。
「青春の幻影」とメーテルは自分を指してそう言った。だが、彼女は現実に存在していた。鉄郎の隣に。唇に残る温もりがそれを物語っている。 -
道路の反対側にもモニュメントがあります。
向こう側は宇宙戦艦ヤマトがテーマで、これは「アナライザー」の後ろ姿。 -
「別離」地球へと戻った鉄郎。そしてメーテルとも別れる時が来た。メーテルは昔の体に戻るために冥王星に旅立ち、少年とメーテルとの旅は終わった。
-
「限りある命のための戦い」鉄郎を見守り続けていたハーロックはエメラルダスと共に、機械帝国と戦う鉄郎を援護した。さらにクレアの活躍によってプロメシュームと機械帝国を滅ぼすことが出来た。
-
「プロメシューム」終着駅メーテルは、機械帝国であり、あらゆるものが生きた人間から作られていて、鉄郎も女王プロメシュームの前でネジにされそうになる。そこでメーテルがプロメシュームの娘であると知る。
-
「友の眠る星」トチローは息を引取ったが、彼の心は親友の乗るアルカディア号の心となった。その船とは鉄郎の憧れのキャプテンハ-ロックのものだった。トチローの墓をお返しにハーロックは鉄郎の危機を救う。
-
「時間城」機械伯爵がやって来るというトレーダー分岐点。鉄郎は同じ志を持つ男、トチローに出会う。宇宙病で亡くなる彼の遺志を胸に、鉄郎はついに時間城に乗り込み機械伯爵をたおした。
-
「エメラルダス」999号の針路をクイーンエメラルダス号が横切り鉄郎は時間城のある星が知りたい一心で、それに発砲した。乗り込んできたエメラルダスは鉄郎の銃を見て驚く。彼女はその銃の持ち主を捜していたのだ。そして時間城の場所をおしえる。
-
「ガラスのクレア」ある日,食堂車に乗った二人は、クリスタルガラスの体のクレアというウエイトレスと知り合う。彼女は元の体に戻りたくて働いてお金を貯めているのだ。彼女の元の体は冥王星にあり、ときどき立ち寄り会いに行くという。
-
ガラスのクレア。
-
「迷いの星」冥王星には、大氷河が広がり氷の下には無数の死体が並ぶ。氷の墓の管理人で機械の体を持つシャドウは鉄郎をずっとそばにおきたくて、凍らせるが、あわやというところでメーテルに助けられる。
-
「永遠の星の海へ」メーテルはドリームセンサーを使って気を失っている鉄郎の過去を調べる。彼は母を殺した機械伯爵への復讐のために、機械の体になる必要があったのである。
-
駅前通り。
-
その昔、敦賀から琵琶湖を結ぶ大運河計画があったんですね。舟運が物流の中心だったから考えられたのかも知れません。この展示を他でもやってほしいな。
-
「旅立ち」人はみな、星の海を見ながら思い描いた希望を追い求めて、果てしなく長い旅に出る。終わることない永遠の流れの中で、果てしなく続くレールの上を、夢と希望と野心そして若さを乗せて列車は走る。いま、汽笛が新しい若者の旅立ちの訪れを告げる。
-
ちゃんと999が作られています。
-
敦賀駅。
-
「母との記憶」メーテルは、自分を連れて行くことを条件に、鉄郎にパスを提供した。メーテルは誰かに指令を受けているような気配もあったが、999号に乗りたい鉄郎は一も二もなく承知し、二人の旅は始まった。
-
「メーテルとの出会い」999号は無料で機械の体をくれる星へ向かう銀河鉄道である。機械人間から999号のパスを盗み、追い詰められた鉄郎は、死んだ母に生き写しのメーテルに助けられる 。しかし気を失い、パスを落としてしまう。
-
「少年 星野鉄郎」未来の地球では機械人間が生身の人間を支配していた。宇宙に憧れる少年・星野鉄郎は母を機械伯爵に殺された孤児である。彼は機械人間になり、永遠の命を持つことを誓う。
-
「銀河鉄道999」銀河系のかなた、宇宙列車「銀河鉄道999」に乗って、星野鉄郎とメーテルの壮大な宇宙の旅が今、ここから始まろうとしている。
かつて、東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「鉄道と港の町」でした。 -
昨日見た「星野鉄郎とメーテル」が物語の始まりでした。
私は逆打ちしてしまったので、ここから順番に戻ると話がわかりやすいと思います。 -
ここにも気比中学校美術部の生徒がデザインしたマンホール蓋。
-
交流電化発祥之地碑。
鉄道革命を起こした「交流電化」が敦賀市から始まったことの証であり、この碑をJR敦賀駅に設置し、観光資源として活用することで「鉄道と港の町つるが」の象徴にしたいと考えたそうです。
残念ながら、見ていたのは私だけでした。 -
敦賀駅開業100周年記念碑。昭和57年3月。
-
敦賀駅に戻りました。
-
新幹線でお昼を食べるため、かにめしを購入しました。
11:58発はくたか564号に乗車したので、早速開けてみましょう。 -
ご飯の上に蟹の身がいっぱいです。シンプルですが、美味しいです。
これまで福井は遠い場所でしたが、北陸新幹線で訪問が簡単になりました。名残惜しみつつ帰りました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
北陸の旅
-
飛騨街道の関所跡、猪谷関所館
2014/07/19~
富山市
-
金沢をちょっとだけ観光
2016/10/19~
金沢
-
東尋坊にはIWABAカフェがあった
2016/10/20~
東尋坊・越前松島・三国
-
白山比咩神社に参拝してから、獅子吼高原へ辿り着いたら廃墟だった事件。
2022/06/19~
白山・白峰温泉・一里野温泉
-
山中温泉・かがり吉祥亭に泊まり、九谷焼窯跡展示館を観ました
2022/06/19~
加賀
-
1300年の歴史を刻む那谷寺に参拝しました
2022/06/20~
小松
-
加賀百万石の城跡を整備した金沢城公園を散策しました
2022/06/20~
金沢
-
意図しない自由行動時間で富山城址公園と松川遊覧船を楽しみました
2022/09/02~
富山市
-
念願の「おわら風の盆」では、坂の町を歩き回りました
2022/09/02~
八尾・大沢野
-
金沢で朝の尾山神社に参拝し、兼六園とひがし茶屋街を駆け足で観光しました
2022/09/03~
金沢
-
北陸三県に出張したので、福井県を観光しました1/4丸岡城
2024/10/25~
永平寺・丸岡
-
北陸三県に出張したので、福井県を観光しました2/4恐竜博物館
2024/10/25~
勝山
-
北陸三県に出張したので、福井県を観光しました3/4レインボーライン山頂公園
2024/10/26~
美浜・三方五湖周辺
-
北陸三県に出張したので、福井県を観光しました4/4氣比神宮
2024/10/27~
敦賀
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
敦賀(福井) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 北陸の旅
0
91