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日本100名城巡り<br />☆42城目☆今治城(No.79)<br />愛媛県の100名城は、今治城、湯築城、松山城、大洲城、宇和島城の5城です。<br /><br />四国地方の100名城(丸数字は今回行った順)<br />76	徳島城(徳島県徳島市)⑧<br />77	高松城(香川県高松市)①<br />78	丸亀城(香川県丸亀市)⑨<br />79	今治城(愛媛県今治市)⑥<br />80	湯築城(愛媛県松山市)②<br />81	松山城(愛媛県松山市)③<br />82	大洲城(愛媛県大洲市)⑤<br />83	宇和島城(愛媛県宇和島市)④<br />84	高知城(高知県高知市)⑦<br /><br />前回の旅行記<br />四国一周3泊4日の旅(5)大洲城 日本100名城巡りの巻<br />https://4travel.jp/travelogue/11929237

四国一周3泊4日の旅(6)今治城 日本100名城巡りの巻

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2022/04/09 - 2022/04/09

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旅行記グループ 日本100名城(2)2019年〜

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ケー

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日本100名城巡り
☆42城目☆今治城(No.79)
愛媛県の100名城は、今治城、湯築城、松山城、大洲城、宇和島城の5城です。

四国地方の100名城(丸数字は今回行った順)
76 徳島城(徳島県徳島市)⑧
77 高松城(香川県高松市)①
78 丸亀城(香川県丸亀市)⑨
79 今治城(愛媛県今治市)⑥
80 湯築城(愛媛県松山市)②
81 松山城(愛媛県松山市)③
82 大洲城(愛媛県大洲市)⑤
83 宇和島城(愛媛県宇和島市)④
84 高知城(高知県高知市)⑦

前回の旅行記
四国一周3泊4日の旅(5)大洲城 日本100名城巡りの巻
https://4travel.jp/travelogue/11929237

  • 2022年4月9日(土)<br />今日は、今治城と高知城の2城を巡る予定。<br />松山ターミナルホテルをチェックアウトし、JR松山駅1番線から出る予讃線特急しおかぜで今治駅まで移動します。今日も利用するのは全て特急なので青春18切符の出番はありません(T-T)<br /><br />松山(8:10発)→今治(8:46着)2駅<br />JR特急しおかぜ10号 松山駅始発 岡山行<br /><br />2番線に松山~宇和島間を走る予讃線宇和海アンパンマン列車が停車していました。

    2022年4月9日(土)
    今日は、今治城と高知城の2城を巡る予定。
    松山ターミナルホテルをチェックアウトし、JR松山駅1番線から出る予讃線特急しおかぜで今治駅まで移動します。今日も利用するのは全て特急なので青春18切符の出番はありません(T-T)

    松山(8:10発)→今治(8:46着)2駅
    JR特急しおかぜ10号 松山駅始発 岡山行

    2番線に松山~宇和島間を走る予讃線宇和海アンパンマン列車が停車していました。

    予讃線宇和海アンパンマン列車 乗り物

  • 今治駅に到着です。<br />今治駅から今治城までは、瀬戸内バスで約10分。徒歩約30分。<br />楽をしたいのでタクシーで行っちゃいます。(実は昨日の疲れが抜けてない)

    今治駅に到着です。
    今治駅から今治城までは、瀬戸内バスで約10分。徒歩約30分。
    楽をしたいのでタクシーで行っちゃいます。(実は昨日の疲れが抜けてない)

    今治駅

  • 【今治城の歴史】<br />今治城の地は瀬戸内海に面し、「吹場(ふきあげ)の浜」と呼ばれた砂丘地帯でした。<br />築城の名手として名高い藤堂高虎(とうどうたかとら)は、関ヶ原の戦功(せんこう)で伊予(愛媛県)半国(はんごく)20万石を領し、慶長7年(1602)にこの地に築城を開始しました。約6年の歳月をかけて慶長13年頃に完成したと考えられています。<br />高虎はその直後、伊勢・伊賀(三重県)に移り、今治城には養子の高吉(たかよし)が在城します。寛永12年(1635)には伊予松山城主松平(本姓は久松(ひさまつ))定行(さだゆき)の弟の定房(さだふさ)が3万石で今治城主となり、明治維新まで続きました。<br />明治時代になって城の建物は全て解体されましたが、城の中心部の石垣と内堀(うちぼり)がほぼ完全に残っており、昭和28年(1953)に愛媛県史跡に指定されました。現在では天守をはじめとする櫓・城門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。

    【今治城の歴史】
    今治城の地は瀬戸内海に面し、「吹場(ふきあげ)の浜」と呼ばれた砂丘地帯でした。
    築城の名手として名高い藤堂高虎(とうどうたかとら)は、関ヶ原の戦功(せんこう)で伊予(愛媛県)半国(はんごく)20万石を領し、慶長7年(1602)にこの地に築城を開始しました。約6年の歳月をかけて慶長13年頃に完成したと考えられています。
    高虎はその直後、伊勢・伊賀(三重県)に移り、今治城には養子の高吉(たかよし)が在城します。寛永12年(1635)には伊予松山城主松平(本姓は久松(ひさまつ))定行(さだゆき)の弟の定房(さだふさ)が3万石で今治城主となり、明治維新まで続きました。
    明治時代になって城の建物は全て解体されましたが、城の中心部の石垣と内堀(うちぼり)がほぼ完全に残っており、昭和28年(1953)に愛媛県史跡に指定されました。現在では天守をはじめとする櫓・城門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。

  • 【史上初の層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)】<br />創建時の五層天守は、各層を順次小さくして積み上げる史上初の「層塔型」でした。従来の望楼型(ぼうろうがた)と比べて構造が単純で容易に建立できるため、その後の天守のモデルになりました。慶長15年(1610)に丹波亀山城(京都府)に移築されました。<br />現在の天守は、本丸跡の北隅に昭和55年(1980)に再建した模擬(もぎ)天守(五層六階)で、内部は歴史資料館と自然科学館になっています。最上階からは今治平野・瀬戸内海・四国山地を一望することができます。

    【史上初の層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)】
    創建時の五層天守は、各層を順次小さくして積み上げる史上初の「層塔型」でした。従来の望楼型(ぼうろうがた)と比べて構造が単純で容易に建立できるため、その後の天守のモデルになりました。慶長15年(1610)に丹波亀山城(京都府)に移築されました。
    現在の天守は、本丸跡の北隅に昭和55年(1980)に再建した模擬(もぎ)天守(五層六階)で、内部は歴史資料館と自然科学館になっています。最上階からは今治平野・瀬戸内海・四国山地を一望することができます。

    今治城 名所・史跡

  • 天守入口

    天守入口

  • 天守最上階<br /><br />展示物はほとんとが撮影禁止だったので写真がなくて何を見たのかは記憶がありません。

    天守最上階

    展示物はほとんとが撮影禁止だったので写真がなくて何を見たのかは記憶がありません。

  • 360度パノラマで見晴らしがよくて海からの風が気持ちいいです。

    360度パノラマで見晴らしがよくて海からの風が気持ちいいです。

  • 西

    西

  • 今治の市街地を望みます。<br />正面の高い建物は23階建ての今治国際ホテルです。

    今治の市街地を望みます。
    正面の高い建物は23階建ての今治国際ホテルです。

  • 北

  • 今治港と瀬戸内海が見えます。さらに遠くにはしまなみ海道の来島海峡大橋があります。<br />眼下には山里櫓。

    今治港と瀬戸内海が見えます。さらに遠くにはしまなみ海道の来島海峡大橋があります。
    眼下には山里櫓。

  • 東

  • 瀬戸内海が近くに見えます。<br />眼下には、鉄御門の枡形、多聞櫓、藤堂高虎像。

    瀬戸内海が近くに見えます。
    眼下には、鉄御門の枡形、多聞櫓、藤堂高虎像。

  • 南

  • 西日本最高峰の石鎚山があります。<br />眼下には本丸跡の吹揚神社。

    西日本最高峰の石鎚山があります。
    眼下には本丸跡の吹揚神社。

  • 【今治城案内図】<br />【日本屈指の海城(うみじろ)今治城】<br /> 今治城は、江戸時代のはじめ頃、築城の名手藤堂高虎(とうどうたかとら)が瀬戸内海に面した海岸に築いた名城です。軟弱な地盤(砂浜)にも関わらず、伊予半国(現在の愛媛県の約半分) 20万石の大名にふさわしい城郭を技術の粋を結集して築き上げ、高虎の代表作となりました。広大な城郭とその城下町は、その後の今治市の発展の基礎となりました。<br /> 今治城の特徴は、広大な水堀と高い石垣です。全国的にも大変珍しい海水を引き入れた海岸平城(かいがんひらじろ)で、日本三大水城(みずじろ)の一つに数えられています。堀は潮の干満で水位が変わり、海の魚の泳ぐ姿を見ることができます。<br /> 現在の天守(てんしゅ)は、昭和55年(1980)に市制60周年を記念して再建されたもので、内部は歴史資料館と自然科学館になっており、最上階からは市街地や瀬戸内海の島々、西日本一の高さを誇る石鎚山などが眺望できます。<br /> また、御金櫓(おかねやぐら)は郷土美術館、山里櫓(やまざとやぐら)は古美術館になっており、鉄御門(くろがねごもん)・武具櫓(ぶぐやぐら)は木造の復元建物として内部公開しています。<br />(案内板より)

    【今治城案内図】
    【日本屈指の海城(うみじろ)今治城】
     今治城は、江戸時代のはじめ頃、築城の名手藤堂高虎(とうどうたかとら)が瀬戸内海に面した海岸に築いた名城です。軟弱な地盤(砂浜)にも関わらず、伊予半国(現在の愛媛県の約半分) 20万石の大名にふさわしい城郭を技術の粋を結集して築き上げ、高虎の代表作となりました。広大な城郭とその城下町は、その後の今治市の発展の基礎となりました。
     今治城の特徴は、広大な水堀と高い石垣です。全国的にも大変珍しい海水を引き入れた海岸平城(かいがんひらじろ)で、日本三大水城(みずじろ)の一つに数えられています。堀は潮の干満で水位が変わり、海の魚の泳ぐ姿を見ることができます。
     現在の天守(てんしゅ)は、昭和55年(1980)に市制60周年を記念して再建されたもので、内部は歴史資料館と自然科学館になっており、最上階からは市街地や瀬戸内海の島々、西日本一の高さを誇る石鎚山などが眺望できます。
     また、御金櫓(おかねやぐら)は郷土美術館、山里櫓(やまざとやぐら)は古美術館になっており、鉄御門(くろがねごもん)・武具櫓(ぶぐやぐら)は木造の復元建物として内部公開しています。
    (案内板より)

  • 鉄御門(くろがねごもん)

    鉄御門(くろがねごもん)

  • 鉄御門前の枡形虎口<br />

    鉄御門前の枡形虎口

  • 本丸に入る本丸御門

    本丸に入る本丸御門

  • 本丸御門の枡形

    本丸御門の枡形

  • 【藤堂高虎像】<br />武将の像では珍しく、平服姿の騎馬像です。<br />時代を先取りし、平和な時代の城づくりや城下町の発展を考えた高虎に相応(ふさわ)しい姿です。<br />平成16年(2004)に制作され、今治城のシンボルになっています。

    【藤堂高虎像】
    武将の像では珍しく、平服姿の騎馬像です。
    時代を先取りし、平和な時代の城づくりや城下町の発展を考えた高虎に相応(ふさわ)しい姿です。
    平成16年(2004)に制作され、今治城のシンボルになっています。

  • 天守と藤堂高虎像

    天守と藤堂高虎像

  • 鉄御門・武具櫓(くろがねごもん・ぶぐやぐら)<br />平成19年(2007)に周囲の多聞櫓とともに再建され、内部公開するとともに、ビデオ放映・パネル展示を行っています。

    鉄御門・武具櫓(くろがねごもん・ぶぐやぐら)
    平成19年(2007)に周囲の多聞櫓とともに再建され、内部公開するとともに、ビデオ放映・パネル展示を行っています。

  • 武具櫓から鉄御門と多聞櫓の内部へ入りました。

    武具櫓から鉄御門と多聞櫓の内部へ入りました。

  • 櫓内部

    櫓内部

  • 櫓内部

    櫓内部

  • 欅、松、檜で造った梁がすごいです。

    欅、松、檜で造った梁がすごいです。

  • 【石落(いしおとし)】<br /> 石落は、床に開けられた細長い蓋付きの穴のことで、ここから石を落としたり鉄砲を撃ったりして、下にいる敵兵を攻撃します。<br /> この鉄御門(くろがねごもん)のように門の上に櫓を載せた櫓門では、門を突破しようとする敵兵を攻撃するため、扉の真上に石落が設けられていました。

    【石落(いしおとし)】
     石落は、床に開けられた細長い蓋付きの穴のことで、ここから石を落としたり鉄砲を撃ったりして、下にいる敵兵を攻撃します。
     この鉄御門(くろがねごもん)のように門の上に櫓を載せた櫓門では、門を突破しようとする敵兵を攻撃するため、扉の真上に石落が設けられていました。

  • 【犬走り(いぬばしり)】<br />犬走りとは、犬が通れるほどの細長い平地(へいち)のことです。今治城には石垣と水堀の間に幅3~5メートルの犬走りが設けられています。これは、海に近く地盤が軟弱な砂地(すなじ)の上に高い石垣を築くための地盤補強の工夫だと考えられます。<br />犬走りは、藤堂高虎が築いた城郭によく見られます。

    【犬走り(いぬばしり)】
    犬走りとは、犬が通れるほどの細長い平地(へいち)のことです。今治城には石垣と水堀の間に幅3~5メートルの犬走りが設けられています。これは、海に近く地盤が軟弱な砂地(すなじ)の上に高い石垣を築くための地盤補強の工夫だと考えられます。
    犬走りは、藤堂高虎が築いた城郭によく見られます。

  • 窓の真下に見える犬走り

    窓の真下に見える犬走り

  • 【海水の掘(かいすいのほり)】<br /> かつての今治城(いまばりじょう)には三重(さんじゅう)の堀があり、海水が引き込まれていました。現存する内堀も水路で海とつながっていて、潮の干満(かんまん)に応じて海水が出入りしています。<br /> 水路の前方に開かれた今治港は、今治城内に設けられていた船入(港)の跡です。船入は約100メートル四方もあり、城内の船入としては日本最大でした。

    【海水の掘(かいすいのほり)】
     かつての今治城(いまばりじょう)には三重(さんじゅう)の堀があり、海水が引き込まれていました。現存する内堀も水路で海とつながっていて、潮の干満(かんまん)に応じて海水が出入りしています。
     水路の前方に開かれた今治港は、今治城内に設けられていた船入(港)の跡です。船入は約100メートル四方もあり、城内の船入としては日本最大でした。

  • 向こうの方に今治港

    向こうの方に今治港

  • 【格子窓(こうしまど)】<br /> 格子窓は、敵兵の侵入や矢弾(やだま)を防ぐために、太い格子をつけた窓のことです。<br /> 格子の間隔は、敵兵の頭が入らず、かつ内側から鉄砲を撃ったり矢を射ることができる幅で作られています。

    【格子窓(こうしまど)】
     格子窓は、敵兵の侵入や矢弾(やだま)を防ぐために、太い格子をつけた窓のことです。
     格子の間隔は、敵兵の頭が入らず、かつ内側から鉄砲を撃ったり矢を射ることができる幅で作られています。

  • 格子窓

    格子窓

  • 鉄御門・武具櫓 案内図

    鉄御門・武具櫓 案内図

  • 【枡形虎口(ますがたこぐち)】<br /> 枡形虎口とは、石垣や土塁で囲った四角形の広場(枡形)を伴う城の出入口(虎口)のことです。それまでの枡形虎口には一つしか門がありませんでしたが、藤堂高虎は今治城において、外側に高麗門、内側に鉄御門という二重構えの城門を設置しました。さらに高虎は、枡形の三方に長屋状の(多聞櫓)を巡らせました。敵兵が枡形に侵入しても周りの多聞櫓からの集中攻撃で全滅させることができる史上最も強固な虎口を考案したのです。<br /> 日本で初めて試みられた今治城での枡形虎口の形式は、その後、江戸城や大坂城などの徳川幕府の主要城郭にも採用されていきました。

    【枡形虎口(ますがたこぐち)】
     枡形虎口とは、石垣や土塁で囲った四角形の広場(枡形)を伴う城の出入口(虎口)のことです。それまでの枡形虎口には一つしか門がありませんでしたが、藤堂高虎は今治城において、外側に高麗門、内側に鉄御門という二重構えの城門を設置しました。さらに高虎は、枡形の三方に長屋状の(多聞櫓)を巡らせました。敵兵が枡形に侵入しても周りの多聞櫓からの集中攻撃で全滅させることができる史上最も強固な虎口を考案したのです。
     日本で初めて試みられた今治城での枡形虎口の形式は、その後、江戸城や大坂城などの徳川幕府の主要城郭にも採用されていきました。

  • 上から見た枡形虎口。<br /><br />今治城で一番大きな石「勘兵衛石(かんべえいし)」も見えますね。<br />「勘兵衛」とは、今治城を築いた藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛のことです。今治城の築城総奉行であったと伝わっています。

    上から見た枡形虎口。

    今治城で一番大きな石「勘兵衛石(かんべえいし)」も見えますね。
    「勘兵衛」とは、今治城を築いた藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛のことです。今治城の築城総奉行であったと伝わっています。

  • 山里櫓(やまざとやぐら)<br />二の丸北西隅の二重櫓。名前の由来は城内の庭園「山里」の方向に位置するため。平成2年(1990)に再建され、内部は古美術館になっています。

    山里櫓(やまざとやぐら)
    二の丸北西隅の二重櫓。名前の由来は城内の庭園「山里」の方向に位置するため。平成2年(1990)に再建され、内部は古美術館になっています。

  • 御金櫓(おかねやぐら)<br />二の丸東隅の二重櫓。金蔵(かなぐら)の役割を果たした櫓。昭和60年(1985)に再建され、内部は現代美術館になっています。

    御金櫓(おかねやぐら)
    二の丸東隅の二重櫓。金蔵(かなぐら)の役割を果たした櫓。昭和60年(1985)に再建され、内部は現代美術館になっています。

  • 土橋

    土橋

  • 【今治城の堀のふしぎ】<br />今治城の堀は海につながっていて、潮の満ち引きによって水位が変わり、ボラやチヌ(黒鯛)などの海水魚がたくさん泳いでいます。<br />また、堀底から真水が湧いているところがあり、淡水魚のメダカもいます。多様な生物が生息するとても珍しい堀です。

    【今治城の堀のふしぎ】
    今治城の堀は海につながっていて、潮の満ち引きによって水位が変わり、ボラやチヌ(黒鯛)などの海水魚がたくさん泳いでいます。
    また、堀底から真水が湧いているところがあり、淡水魚のメダカもいます。多様な生物が生息するとても珍しい堀です。

  • 武具櫓、多聞櫓

    武具櫓、多聞櫓

  • 天守

    天守

  • 御金櫓、内堀石垣、犬走り

    御金櫓、内堀石垣、犬走り

  • 帰りはバスで今治駅に戻りました。<br />みどりの窓口で、高知までの切符を購入。<br /><br />今治(10:59発)→多度津(12:21着)7駅<br />JR特急しおかぜ14号(岡山行き)

    帰りはバスで今治駅に戻りました。
    みどりの窓口で、高知までの切符を購入。

    今治(10:59発)→多度津(12:21着)7駅
    JR特急しおかぜ14号(岡山行き)

  • 長時間の移動なので列車の中で食べるお弁当【瀬戸の押寿司】を今治駅で買いました。

    長時間の移動なので列車の中で食べるお弁当【瀬戸の押寿司】を今治駅で買いました。

    二葉 JR今治駅店 グルメ・レストラン

  • 今治市の来島海峡で捕れた鯛だそうです。笹の葉の香りと大葉と酢飯と鯛の味が調和されていて美味しかったです。<br />おつまみに南予地方の特産品【じゃこちくわ】とビールも買いました。<br />美しい海を眺めながら愛媛名物を食べられて最高です。

    今治市の来島海峡で捕れた鯛だそうです。笹の葉の香りと大葉と酢飯と鯛の味が調和されていて美味しかったです。
    おつまみに南予地方の特産品【じゃこちくわ】とビールも買いました。
    美しい海を眺めながら愛媛名物を食べられて最高です。

  • 12時21分多度津駅に到着。<br />特急しおかぜから特急南風9号に乗り換えです。南風の到着まで26分もあります。

    12時21分多度津駅に到着。
    特急しおかぜから特急南風9号に乗り換えです。南風の到着まで26分もあります。

    多度津駅

  • アンパンマン列車いろいろあるんですね。<br />1番下の列車だけ今朝見ました。

    アンパンマン列車いろいろあるんですね。
    1番下の列車だけ今朝見ました。

  • 左上の飛鳥乃温泉の蜷川実花さんの作品は昨日見ました。<br />お得な四国切符があったみたいだけど既に遅いので今は知りたくありません(現実逃避)

    左上の飛鳥乃温泉の蜷川実花さんの作品は昨日見ました。
    お得な四国切符があったみたいだけど既に遅いので今は知りたくありません(現実逃避)

  • 多度津(12:49発)→高知(14:42着)7駅 <br />JR特急南風9号(高知行)

    多度津(12:49発)→高知(14:42着)7駅 
    JR特急南風9号(高知行)

    特急 南風 乗り物

  • 100名城スタンプの設置場所は、天守入口です。<br />スタンプには、御金櫓と内堀石垣と犬走りがデザインされています。

    100名城スタンプの設置場所は、天守入口です。
    スタンプには、御金櫓と内堀石垣と犬走りがデザインされています。

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