2019/03/28 - 2019/03/28
521位(同エリア1253件中)
ケーさん
数年前のお話です。
日本100名城巡り
☆29城目☆武田氏館(No.24)
山梨県の100名城は、
武田氏館(甲府市)
甲府城(甲府市)
の2城です。
関東地方は制覇しましたが、
甲信越地方はまだまだです。↓
山梨県 武田氏館(武田神社)、甲府城
長野県 松代城、上田城、小諸城、松本城、高遠城
新潟県 新発田城、春日山城
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2019年3月18日
埼玉県から日帰りで山梨県甲府市の武田氏館を訪問。
特急あずさに乗って甲府駅到着。 -
甲府駅にあった顔出しパネル。ご当地キャラのとりもっちゃんと、富士山キティちゃん。
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武田神社へは山梨交通の路線バスに乗って行きます。
武田神社方面は、甲府駅北口2番のりばです。 -
バス時刻表。
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甲府駅北口のよっちゃばれ広場に設置されている武田信虎公之像。
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甲府駅北口のよっちゃばれ広場に建つ「甲府市藤村(ふじむら)記念館」。この建物は明治8年に巨摩郡睦沢村(現在の甲斐市亀沢)に睦沢学校校舎として建てられたもの。昭和42年に国指定の重要文化財となり、平成2年9月に教育資料館に展示替えを行い、平成22年10月1日、甲府駅北口に移転し、交流ガイダンス施設として新たに開館された。
ちなみに藤村記念館開館中には館内に続日本100名城(No.128要害山)スタンプが置いてあるそうです。 -
バスが来ました。乗車時間は10分ほど。Suicaが使えます。
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バス停「武田神社」に到着。
本数が少ないので帰りの甲府駅行きの時刻表をチェックしておきます。 -
水堀
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水堀
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武田神社碑
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道路側から見た神橋
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神社側から見た神橋
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武田神社参道
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武田氏館跡碑と満開の左近乃櫻
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【武田氏館跡(たけだしやかたあと)(躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかたあと))】説明
武田氏館跡は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和からこの地に館を移したことから始まります。
信虎の後、信玄・勝頼と武田家当主の館として使われました。そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの、約70年にわたり、この館一帯は、領国の政治・経済と文化の中心地として発展しました。
館は、一辺が約二百メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心にその回りのいくつかの副郭とによって後世された平城形式のものです。館の回りには家臣の屋敷が建てられ、南方一帯には格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。
この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠として、第一級の規模と質を誇るものです。 -
鳥居の向こうに拝殿
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参拝します。
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菱和殿
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さざれ石
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手水舎
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武田水琴窟
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水琴窟の向かいにある【姫の井戸のお水】
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姫の井戸のお水
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その裏で飼われている鶏さんたち
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能楽殿(神楽殿)【甲陽武能殿】(こうようぶのうでん)
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【躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡】説明
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周辺案内図
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武田刑部少輔信廉屋敷跡に立っていた説明板
【武田刑部少輔信廉(たけだぎょうぶのしょうのぶかど)】 -
【虎落小路(もがりこうじ)】説明
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空堀
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【武田氏館跡西曲輪北側枡形虎口(たけだしやかたあとにしくるわきたがわますがたこぐち)】
土塁で囲まれ、門で仕切られた空間が一升枡の形をしています。2箇所の門は位置を変えて敵の侵入の勢いを削ぐ形態になっています。
西曲輪は、武田信玄の長男であった武田義信と駿河の今川義元の娘との結婚に合わせて天文20年(1551)年に築造された義信の居館です。義信は謀反の罪に問われ、東光寺で自害したため、西曲輪のその後の利用は明らかになっていません。
現在地は、西曲輪の北側に位置し、枡形虎口と呼ばれる出入口の構造が残されています。虎口とは、城館の出入口のことを指し、門と土塁で仕切られた広場の形が一升枡のように四角いことから、枡形虎口と呼ばれています。枡形虎口には2箇所に門が設けられており石垣のある通路部分の発掘調査で礎石を確認しています。
現状では、武田氏滅亡後に石垣が設けられておりますが、枡形虎口は武田氏の築城技術を代表する構造とされています。
曲輪(くるわ)堀・土塁で囲まれた屋敷他
【武田氏館跡西曲輪北側枡形虎口北門】
西曲輪の外側に位置する北門は、土橋を渡って曲輪へ入るための最初の門となっています。両側には低い石垣が残されていますが、西は低い土塁、東は低い石塁となっており、通路幅は、約2.2m奥行きは約2.6mと非常に狭い間口であることから、大軍で攻め込まれないよう工夫されていたと思われます。
発掘調査では写真のように通路西側から門跡の礎石を4枚検出していますが、石垣との軸線や礎石の間隔が異なることから、2度の建て替えがあったと推測されます。
残念ながら、東側の礎石列を確認することができませんでしたので、どのような門が建てられていたのか分かりませんが、四本柱の小型の門であったと考えられます。 -
土橋の先にある西曲輪北枡形虎口北門跡
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西曲輪北枡形虎口
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【武田氏館跡西曲輪北側枡形虎口南門(たけだしやかたあとにしくるわきたがわますがたこぐちみなみもん)】
西曲輪の内側に位置する南門は、北門に比べて土塁先端部分の石垣や間口の規模が大きく、門の構造自体も違っていたと考えられます。
石垣は、野面積みと呼ばれる自然石をそのまま積上げる技法で積まれており、背面には栗石と呼ばれる礎が使用されています。
このような石垣の技術は、西日本から導入されたものであり、現在見られる石垣は、武田氏滅亡後に設けられたものと考えられます。
その石垣と重複する位置から発掘調査で門跡の礎石が6枚確認されています。
石垣よりも古い時代であり、武田氏の時代に存在した門の可能性が高いと考えられています。礎石から推測される門の規模は、幅約3.3m、奥行き約3.8mであり、土塁の高さと西側の階段の存在を考慮すると、櫓構造の門であったと考えられます。 -
西曲輪南枡形虎口
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西曲輪南枡形虎口
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西曲輪南枡形虎口
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西曲輪の石塔
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西曲輪の石碑
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西曲輪南枡形虎口の両脇の土塁
向こうに見えるみその橋を渡ります。 -
こぶ白鳥
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こぶ白鳥の由来とお願い
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武田神社周辺を結構回ったんですがデータが紛失してしまったため城跡の写真が少なめです。
スタンプは、武田神社宝物殿入口と武田神社神府集札授与所の2箇所に置かれています。
スタンプには上から見た武田氏館全体がデザインされています。
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