2024/08/02 - 2024/08/02
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たびたびさん
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三日目は、金沢。前回(2024.5.4)の金沢が時間切れ終了となってしまったので、今回はそのリベンジ。前回に限らず、金沢はこれまで何度となく来ているのですが、この辺りでさすがに区切りを付けたいところです。
ところで、石川県についてですが、イメージとして、石川県って、石川県=金沢みたいなところがあって、例えば金沢以外を旅することなんかでも、そもそも頭に浮かばないという人も意外に少なくないのではないかと思います。それから、金沢は前田利家が作った街。ですから、金沢=前田家というのが成り立つようなところもありますね。だとすると石川県=金沢=前田家というのも、ちょっと乱暴ですけどなくもないかもしれません。そういうことで、石川県を前田家の視点で考えると。。前田利家が金沢に城を築く前に居城としたのは七尾の小丸山城。小丸山城は、関ケ原の戦いまでは、利家の次男で利長の弟だった利政が能登を領有しここの城主でした。また、前田家3代、前田利常が隠居城としたのは小松城。その際に、利常は、次男の利次に富山10万石、三男の利治に大聖寺7万石を分封しています。もうひとつ付け加えると、前田家2代、前田利長が隠居したのが高岡ですね。つまり、前田家の視点で見る金沢以外の塊りとしては七尾から能登、小松、大聖寺(現在の加賀市)くらいですね。やっぱり金沢以外はあんまりプレゼンスのある地域はないなというのが正直な感想になると思います。ちなみに富山県に当てはめると富山県は富山市と高岡市。呉東と呉西は拮抗するものがあって、高岡市周辺は加賀藩の中でも豊かな穀倉地帯、かつ、北前船の寄港地としての歴史もありましたからね。
それでは、前田家以前の石川県というか加賀国で考えるとどうかということですが、それは百姓の持ちたる国という稀有な時代。吉崎御坊に足掛かりを得た蓮如が守護大名、富樫政親の要請を受け、一族の内紛に関与した辺りが始まり。結局は富樫氏を滅ぼして、一向一揆が加賀を支配。それは、石山本願寺が信長に降伏するまでの1世紀の間、続くことになりました。その時代、一揆の中心となったのは、尾山御坊。尾山御坊は現在の金沢城の地にありましたから金沢城の前身と言ってもいいかもしれません。富樫氏が最後の抵抗をした高尾城も金沢ですが、ただ、加賀国自体、越前国から分離された当初の国力は中国の国。金沢、加賀国を見違えるような豊かな場所としたのはやっぱり前田家の功績以外の何物でもないように思います。
また前置きが長くなりましたが、加えて、金沢はたまたまだと思いますが、空襲の被害も受けていない。そのこともあって、多くの遺産が残るという幸運にも恵まれました。今回、細かく回ってみて、その辺りの凄さもまた改めて感じさせられることになったかなと思います。
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早朝、ひがし茶屋街の宿を出発して、この辺りから散策を開始です。
この時間だと、まだ、観光客の姿はまったく見えません。ひがし茶屋街 名所・史跡
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金沢で妓楼が公許され、卯辰茶屋町とも浅野川茶屋町とも呼ばれたこの地で、花街の営業が始まったのは文政3年(1820)。
東山菅原神社は、その時、菅原道真を祀り、芸妓の鎮守の神としたのが始まり。現在地に移ったのはその後ですが、こうして今でも東茶屋町には近い場所。茶屋町と歴史を共にしてきた神社です。 -
ここからは、寺町。約50の寺社が集まる卯辰山山麓寺院群のエリアです。もうほとんど回っていたはずですが、少し見落としがあって、今回はそれをカバーします。
蓮昌寺は、天正10(1582)年に創建された日蓮宗の寺。加越能三国の触頭をつとめ、加賀藩3代目前田利常の生母、寿福院の帰依所でもあったというのはかなりのものですね。山門は、19世紀前期に建てられたとされる高麗門。最高の形式は本当は四脚門なのですが、蟇股とか細部意匠が装飾的で、それがここの特徴となっています。 -
また、元禄年間(1688-1704)に造られたという金沢四大仏の釈迦如来立像(他は極楽寺の阿弥陀如来坐像、浄安寺の木造阿弥陀如来坐像、玄門寺の木造阿弥陀如来立像)も見どころ。この建物の中ですね。
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なるほど~
すっくと立った釈迦如来。静かな表情に衣紋のラインも美しいです。 -
玄門寺は、元禄年間、加賀藩士、内藤善斎が三代利常より寺地を拝領したことが始まりの浄土宗の寺。
一丈六尺の大仏、寄木立像阿弥陀仏 by たびたびさん玄門寺 寺・神社・教会
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見どころはなんと言っても、蓮昌寺と同じく、金沢四大仏の一つ、一丈六尺の大仏、寄木立像阿弥陀仏。
本当はちょっと諦めかけていましたが、この建物の中。見せてもらうことができました。 -
イチオシ
光を四方に放つ派手な向拝や衣文の黄金が眩いばかり。髪の毛の青、唇の赤もワンポイントで、パワーみなぎるお姿。まさに西方浄土を表した世界感だと思います。
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なお、天井には狩野東洋による眼光鋭い龍の絵も。火事にならないように!の願いでもあります。
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全性寺もなかなかの大寺ですね。
山門は、二階建ての楼門形式。二階には縁側を回して高欄を設けます。18世紀後半に建てられたとされ、正面の柱間を三間とし、中央に扉を一か所設けるという三間一戸楼門は市内で唯一。木部がベンガラ塗りであることから「赤門」と呼ばれて親しまれてきたようですが、現在はかなり黒ずんでいてちょっとイメージは離れているかもしれません。 -
ちなみに、全性寺は、大永2年(1522年)、日仁が創建した日蓮宗のお寺。もともとは、越中放生津にあったのですが、二代藩主、前田利長に従い、越中富山、守山、天明6年(1786年)当地に移ります。泉鏡花の「夫人利生記」の舞台にも。
山門だけでなく、本堂も堂々たる構え。朝からお勤めの読経の声が聞こえていました。 -
心蓮社は、慶長17年(1612年)、旧塩屋町に創建された浄土宗の寺。平安時代末期頃のものとされる国の重要文化財「絹本著色阿弥陀三尊来迎図」(目開きの阿弥陀)があったり、芭蕉十哲の立花北枝、藩政改革の先駆者、寺島蔵人の墓などもあります。
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大きな規模ではないですが、山門を入ってすぐの本堂前のしつらえとか清々しさが印象的。ちょっと高貴な寺のような雰囲気です。
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本光寺の見どころは山門。石段を上って行った先にすっくと建っていて、そのシチュエーションがまずはポイント。薬医門の形式ですが、薬医門は頭でっかちに見えるので、その頭でっかちの意匠と建っている場所の関係性で、より堂々とした印象を与えているのだと思います。文化元年(1804年)に建てられたものです。
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本堂の方はちらりと拝見です。
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真成寺は、卯辰山山麓寺院群の中では一番山側の場所にある日蓮宗の寺。
加賀藩三代藩主、前田利常が信仰した鬼子母神像を祀っていて、像は丹羽長重が小松城天守閣内に安置していたもの。また、泉鏡花の「鶯花径」の舞台とも。 -
ところで、ここまで来るのにも相当歩いた感がありまして、最後、石垣の上の境内にまっすぐ上がっていく石段が嫌になりました。
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ただ、ここからは卯辰山公園も近いはず。もう来ることはないと思っていましたが、行ってみますか。
しかし、近いと思っていたのは地図の上だけのこと。歩き始めると急な石段があったり、さらにしんどい道の連続でした。ふう~ -
卯辰山公園は一度来たことはあったのですが、どんな公園だったか記憶があまりなくて、今回はそのリベンジかな。しかし、やっぱりかなり大変。再々来るところではないですね。そして、公園の方もここが中心というのはやっぱりなくて、運動のために麓からよく登りますという人に聞いてもこの山全体を指すという感じ。公園のような場所もなくはないですが、公園でどうということではなく、健康のための身近な山登りの対象ということなんだと思います。
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帰りは、だらだらとした下り道です。
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もう一度、東茶屋町の方に戻ってきて。
浅野川大橋詰火の見櫓は、浅野川大橋の北詰。橋場町バス亭の向かい側です。
高さ11m。三角形平面の鉄骨造り。骨組みだけの構造物には最上部に上がるための梯子が続いて、最上部には危険を知らせるための鐘も見えますね。金沢市内に現存する最古の火の見櫓だそうです。 -
イチオシ
そこから浅野川を渡ると
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今度は、橋場町緑地の火の見櫓。浅野川大橋の南詰にある木造の火の見櫓です。江戸時代から明治の中頃まで存在していた火の見櫓を改めて再建したもの。前面が板壁で覆われ、最上部は二重の小さな屋根。景観としてみるとそれなりにハマっています。
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そのまま橋場町の百万石通りを進むと、橋場のコウヤマキ。加賀藩の武家屋敷林として植えられたもので、今では樹齢400年以上。高さが16m。大樹ですが、印象としてはひょひょろっと空に向かって頼りなく伸びる姿。つっかえ棒がいくつかあって木を支えます。
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橋場の交差点まで戻って、この辺りにもいくつかポイントがあります。
金沢城惣構跡は、この東内惣構跡のほか、西外惣構跡や西内惣構跡(主計町地点)、西内惣構跡(尾山神社西地点)等いくつかあって紛らわしいですね。 -
ちなみに、惣構は城下町を敵の攻撃から防ぐ目的で作られたもの。金沢の城下町には内・外二重の惣構がありました。東内惣構は内。前田家二代、利長の命により、内惣構は、慶長4年(1599年)、外惣構はその翌年に造られました。小さな公園のような一角。土に半分埋もれた石が整然と並んでいます。
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橋場交差点の西側に立つ石川県里程元標。枯れ木橋のすぐ隣に古びた石柱が建っているのですが、ただ、これは昭和58年にモニュメントとして作られたもの。もともとは明治6年に設置されたもので、木柱だったようです。つまり、文字も雰囲気があるように思いましたが、なんちゃって石柱ですね。
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そして、これが枯木橋。橋場交差点の西側に石造りの欄干があります。現在の橋でも100年の歴史があるようですが、古い橋だけにいくつか由来があるようで。織田信長の命を受けた佐久間盛政と一向一揆勢力が戦った元亀・天正の乱(1570年代)。神社一帯が焼き払われ枯れ木になって、年を経ても枯れ木のままだったという説もあって面白いです。
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橋場の交差点から主計町茶屋街の方に向かいます。
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イチオシ
浅野川に面して、ここも雰囲気は抜群です。
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主計町茶屋街の西端から浅野川に架かる木製の人道橋、中の橋です。緻密に造られた欄干の意匠がなかなか美しくて、泉鏡花の「化鳥」「照葉狂言」の舞台とも。また、かつては、橋を渡るごとに一文支払ったことから一文橋とも言われていたそうです。
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中の橋の西詰めにあるのは、これも金沢城惣構跡のひとつ、西内惣構跡主計町緑水苑内遺構。
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全体としては公園みたいに整備されてはいるのですが、土塁が築かれた手前の方のお堀の部分は草ぼうぼう。ただ、案内板は立派です。
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もう一度戻って、主計町茶屋街の裏手に入ると
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隠れるように上り口があって、それが暗がり坂。上った先は久保市乙剣宮境内につながっていました。花街へひっそり続く坂は、かつて、尾張町の旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために使っていたのだとか。真偽は分かりませんが、ここはそう言われるとなるほどなと思えるようなルートです。
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橋場交差点から南に向かってすぐ。
金沢菓子木型美術館は、おびただしい数の菓子木型を展示 by たびたびさん金沢菓子木型美術館 美術館・博物館
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寛永2年創業、老舗和菓子、森八本店の二階。
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一階のお店で料金を払って入ります。
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江戸時代からこのお店で使われてきたおびただしい数の菓子木型が展示の目玉。日本三名菓、落雁のお菓子、長生殿も菓子木型職人の技術があってのものなのですね。なお、木型は撮影禁止。
一方で、九谷焼の菓子鉢も圧巻。 -
こちらもそれなりの見応えです。
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ここから、またひがし茶屋街に戻ります。
円長寺は、東茶屋町の中心部にある真宗大谷派のお寺。前田家三代、利常が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際の小休憩所として使われ、その縁から利常の位牌を今も安置しているとか。 -
見どころは金箔で極楽を表現した本堂とありまして。
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覗くと確かに金ぴかの本堂内部が見えますが、金沢では珍しいものでもないような。あんまりここだけというものでもないような気はします。
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金沢ひがし茶屋街 お茶屋文化館を訪ねると、お茶屋美術館に名前が変わっていました。
建物は文政3年(1820年)に建てられた茶屋建築で、創立時は「中屋」を称していたとか。 -
料金を払って、奥に進みます。
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内部の撮影は禁止とありましたが、スマホでの撮影は可ということで、ここからはスマホの写真です。
二階に上がると -
それらしい雰囲気のお部屋が
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いくつか。
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つまり、お客が遊ぶ部屋を二階に作るというのは茶屋町建築の特徴。
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一階に堂々と作るのは遠慮して、二階でこっそりと楽しむという考え方ですね。
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一階に下りて、ここからが展示の間。
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おびただしい展示品は、
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実際に使われていた櫛、
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イチオシ
かんざしや加賀蒔絵、
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加賀象嵌、
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九谷焼の諸道具とか。
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ひな祭りのひな道具を見ているような感覚ですが、こちらは本物。
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お客が実際にこれで楽しんでいたのかと思うとちょっと不思議な感覚です。
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ここからひがし茶屋町のメインストリートです。茶屋美人は、金沢市指定文化財の旧かみや主屋 土蔵の建物に入っている金箔の箔座がプロデュースするコスメショップ。金箔を配合したスキンケアグッズや化粧品を揃えています。ただ、旧町家の建物なので、店内に入った瞬間から気持ちがいい。ちょこっと覗くだけでも楽しめます。
なお、旧かみや主屋 土蔵は、明治6年頃に建てられた東茶屋町の茶屋建築。主屋は、瓦葺二階建て。一部三階建てで、外観は一階に出格子、二階は階高が高く雨戸と戸袋を備えるなどが茶屋建築の特徴だということです。 -
そして、ここで一番楽しみにしていたのが懐華樓。オープンは10時。ここまで、ひがし茶屋街を出たり入ったりしていましたが、それはこの時間に合わせるための時間調整の意味もあったんです。
では、いよいよオープンです。伝統ある金沢の洗練されたセンスがいかんなく表現されていて by たびたびさん懐華樓 名所・史跡
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玄関を入るといきなりこの装飾。遊び心満点の意匠です。
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正面には朱塗りの階段。これだって、十分意表を突くものです。
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ここから内部を拝見するところですが、その前にまずはカフェの方へ。
事前に調べたネットの評判がとてもいいので、今日はここのカフェを利用しようと決めていました。
さて、窓際の席に案内されると格子の向こうにはひがし茶屋街を行き来する人がすぐ目の前。しかし、格子の内側であるこちらにはあまり気付かないようで、格子の効果ってすごいものだなと実感します。 -
いただいたのは、抹茶のかき氷。氷室氷という特別な氷だそうで、さくさくくちどけも滑らか。
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イチオシ
そして、抹茶のシロップはあっさり濃厚系のシロップとクリーミーなシロップとの二段構造。餡子の滑らかな甘さも抜群のおいしさでした。ネットの評判は承知していてもここまでのものとは思っていませんでしたよ。これははるかに期待以上。大正解でした。
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では、ここから建物の方へ。当然既に来たことはあるのですが、もう記憶は朧げです。
ちなみに、こちらは創立当初は「志ま屋」。間口6間、奥行12間の大きさに、お茶室用入り口や土蔵も備えていて、金沢では最も大きなお茶屋建築です。
輪島塗の朱階段を上がると琳派の衝立。黒漆と金箔が渋いですね。 -
ここから各部屋へ。
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手前の控えの間のような部屋には、
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着物が掛かった前には、獅子舞の置物にてまり。
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で、その奥。
洒落たふすま絵の先が -
大広間。
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書院のある床の間はベンガラの朱塗りの壁。
お茶屋の部屋のしゃれた意匠ではあるのですが、それでいて静かな落ち着きも感じます。 -
もう一つの広間は、ブルーが基調。
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イチオシ
広間の下手には、さりげなく飾られた太鼓や花嫁のれん。すべてが遊び心に通じています。
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床の間は、ラビスラズリの群青壁に彩られた豪華な空間。併せて、格式の高さみたいなものも感じます。
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もう一つの部屋はこちら。
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渡り廊下みたいな廊下の先。
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大広間と違って、ちょっとカジュアル。
ちょっとした離れみたいな感覚もあると思います。 -
一階に下りたら、これは金をあれこれ使って黄金の茶室的な部屋。
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金の折鶴も雰囲気があるじゃないですか。
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隣りには小さな路地庭園もありました。
なるほど、なるほど~
随所に伝統ある金沢の洗練されたセンスがいかんなく発揮されていて、拍手喝さい。やっぱり金沢に来たら必見の建物だと思います。 -
気分のいいところで、ひがし茶屋街をもう少し。
ひがし茶屋休憩館は、橋場バス停に向かう途中。江戸時代の町家を復元して、休憩所にしたもの。 -
中は広々しているので、夏場は特にありがたい。大勢の観光客がここで一服していました。観光ボランティアガイドさんがいて、あれこれ気を使ってくれるのもいいと思います。
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そのすぐ近くにある経田屋米穀店も名物店。
製粉業を兼ねた米穀商の店舗。建物は、明治37年築の二階建、切妻造。一階正面に出桁で庇を付け、二階の格子窓に袖卯建による表構えもしっかりした意匠です。白地にしっかり墨で書いた暖簾は律儀さの証かもしれません。 -
で、今回初めて気が付いたのがこちら。浅の川園遊会館。金沢芸妓と茶屋街のミュージアムです。
三つの茶屋町がある金沢で育まれた町衆の文化 by たびたびさん浅の川園遊会館 名所・史跡
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中に入ると意外に広いエントランス。
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あれあれ。いい感じのパネル展示があって、
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「芸と技」、
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「おもてなし」の解説も面白いですね。
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土蔵の方の展示室では、浅の川園遊会を通じた街づくりの活動とか。
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うんうん
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いいんじゃないでしょうか。
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そして、別の部屋では宴席のビデオも。
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ひがし、にし、主計町。
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三つの茶屋町がある金沢で育まれた町衆の文化は、やはり本物のセンスがあるような気がします。
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そして、これらを拝見するとだんだんこの施設の真剣さが伝わってくる感じ。予想外になかなか本格的な施設でした。
ひがし茶屋町は以上。 -
そこから今度は、橋場交差点から西の近江町市場の方に延びる百万石通りに出ます。
ギャラリー三田の建物は、輸入商、三田商店の店舗として、昭和5年に建てられたもの。外観は立方体に近いプロポーションの単純な形を示し、交差点に面する角を丸めて正面玄関を設ける。一階のコリント式柱や二階のバロック風のバルコニー云々の説明書きもありました。
今のお店は作家の装飾品とかを置いていました。 -
その向かいは、柳宗理デザイン研究所。金沢美術工芸大学の教授で、日本を代表する工業デザイナーでもあった柳宗理氏の理念を伝えるための施設というのですが、建物はけっこう立派だし、
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どこかの食器メーカーのショールームのような雰囲気。
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まあ、理念は理念として、最終的には一般の消費者が受け入れるかどうか。ちょっとセンスを感じるちょっといいもの。そういう路線のデザインかなと思います。
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藩士の家 野坂邸は、百万石通から北の方に入ったところにある武家屋敷。昭和2年の「彦三の大火」でも焼け残った貴重な遺産だとか。門のところに説明書がありまして、新番組御歩小頭野坂氏は知行200石、屋敷は260坪。長屋門に連なる土塀等よく旧態を残しているとありました。なお、住人がいるので、外観を眺めるだけしかできません。
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そのはす向かいの彦三緑地は、1050石を領し人持組となった遠田自省の屋敷跡。
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イチオシ
ツツジの庭園として知られますが、このツツジには加賀藩六代藩主、前田吉徳に遠田自省の功績が認められ加増の御意があったところそれを辞して代わりにツツジを拝領したという粋なお話が残ります。花の時期ではありませんでしたが、中央に大木が立つ築山の周囲にはこんもりとツツジの株。確かに名園の雰囲気がありました。
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百万石通りに戻って、これは尾張町老舗交流館。
旧商家を復元しての大正浪漫の建物。 -
さほど大きな建物ではないのですが、町家建築としてのぬくもりも感じます。
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管理人さんがいらっしゃいましたが、たぶんその方の趣味もあってでしょう。
寅さんのポスターが多数飾られていたり、そういう意味では何でもありの緩い施設なのかな。金沢市内のあちこちの老舗を描いた版画風の絵も面白いと思います。 -
尾張町町民文化館もその並び。
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明治40年に建てられた旧金沢貯蓄銀行の建物を活用した町おこしの施設です。
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当時の面影がたぶんそのまま。
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一室には、地元の人形作家、蚊谷嘉子の作品がいくつかあって、
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これも加賀人形の範疇なんでしょうか。
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建物の雰囲気ともあっているし、けっこう見応えがありました。
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百万石通をさらに近江市場の方に進んで。
市媛神社は、室町時代の天文年間、京都の市比売宮を勧請し、後に近江町市場の氏神となったという神社。 -
現在の社殿は、明治39年から大正8年にかけて復興したもの。大小二つの鳥居の奥にシャープなデザインの建物が建っています。
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イチオシ
ここはもうほとんど近江町市場の辺り。
かなざわはこまちは、近江町市場と百万石通りを挟んだ向かい側。黒い建物から白い箱のような形の部分が飛び出ている奇抜なデザインの建物。さすが金沢といったセンスかな。 -
おしゃれな小物を中心としたお土産物屋さんが入っていて。
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売り場は悠々としたスペース。気持ちのよいお店です。
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近江町市場に到着です。
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近江町市場の近江町いちば館。外から見ると新しく建った大きなビルですが、中を歩くと近江町いちばそのものですね。
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鮮魚店や青果物のお店とかが普通に軒を並べていて、近江町いちばと近江町いちば館の区別はほとんどありません。お店の人に聞いても近江町いちばと近江町いちば館の違いとか全然意識していない様子でした。
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は、近江町市場の東端にある山さん寿司 本店でお昼にます。
海鮮どんぶり by たびたびさん山さん寿司 本店 グルメ・レストラン
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海鮮どんぶりは食べるのにちょっと面倒くさいなあと思っていたのですが、周りもみんなそれを頼んでいるので、それにしますかという感じ。やっぱり、蟹なんかは飾りの意味が強いかな。ただ、ウニの質なんかもよくて、豊洲辺りではこうはいきませんね。ネタの種類の豊富さもなるほどということでしょう。敢えて言えば、シャリの質がもう少しよくてもいいのかなあと思います。
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黒門小路は、近江町いちばの西向い側。金沢エムザの1階にある一角。名前からして、ここも生鮮食料品を扱っているのかなと思っていましたが、金沢らしいかわいらしい系の小物とか食料品は加工食品ですね。
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けっこう洗練された商品が多くて、ちょっとテンションが上がりました。
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金沢エムザの南西側。少し歩いて、金沢市立玉川図書館を訪ねます。
本館と別館(近世史料館)があって。本館は、昭和53年に建てられ、旧専売公社金沢工場の建物に現代建築を融合させたという意匠が秀逸。スタイリッシュで近代的。ちょっと重みも感じるような面白い建物です。別館は赤煉瓦の建物で、かつての煙草工場。登録有形文化財です。こちらも見応えがありました。 -
金沢エムザの裏手の方まで戻ってきて。これはフルーツむらはた。なんでも100年の歴史がある果物屋さんなんだそう。二階にカフェがあって、上がってみましょう。
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いただいたのはフルーツパフェ。値段も安いですが、高級感があるともいえないし、まあ普通は普通ですよね。しかし、果物のカットの仕方が工夫されていてとても食べやすい。ちょっと感心するくらい上手にできていました。
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ここから、今度は金沢駅方面に向かいます。
専光寺は、元応2年(1320年)の創建。親鸞の曾孫覚如に帰依した鎌倉幕府第7代征夷大将軍の子、志念が一庵を設けたのが始まり。加賀藩初代藩主前田利長から庇護され、かつては加賀、越中、能登136ヶ寺の触頭だったとも。山門の構えとかも威厳たっぷり。 -
本堂も厳めしい佇まいです。
しかし、前田利家は一向一揆に対しては苛烈な仕打ちをしたのが歴史の事実。かつての百姓の持ちたる国を統治するためにはそうするしかないという側面もあったのかもしれんせんが、その辺りから始まって、加賀藩で有名なのは村肝入や肝入をまとめる十村(とむら)制。年貢を村単位で掛け、年貢を納める責任を肝入や十村(とむら)に負わせました。この連帯責任は互いの監視の役割もあるし、三代、前田利常だと百姓と胡麻の油は搾れるだけ搾れといった重税を課す考え方にも繋がって、加賀藩は汚い実態があったようでもありますね。
ちょっと長くなりましたが、その前田家が庇護した真宗大谷派の寺というのは余程何かがあったのだろうなとは思います。 -
真宗大谷派の専光寺に対して、真宗本願寺派は金沢別院です。
金澤表参道は、その金沢別院の門前町。そういう意味で、この商店街は300年の歴史をもつというのですが、白く輝く石畳の道は、悠々とした幅の広さですね。ただ、今は商店だけではなく、しゃれたビルとかも混じる街並で、明るい独特の雰囲気がかなり印象的です。 -
そこから金沢駅の真東側。
安江八幡宮は、天慶2年(939年)の創建という古社。応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀ります。 -
また、こちらは加賀八幡起上り発祥の地。これは応神天皇が誕生した際、真紅の錦で包んだという産着姿になぞらえ、子ども達のために考案したもの。金沢ではたびたび見かけます。
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金沢駅から、今度は金沢城公園の南側に移動して。
しいのき迎賓館にやってきました。 -
玄関のところだけちょっと確認して、
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その隣りの広坂緑地は、旧県庁の跡地。
ここはしいのき迎賓館の周辺や金沢城を臨むエリアに広がる美しい芝生の緑地。ただの芝生の広場なのですが、ここまで悠々としていると何もなくてもそれだけでとても価値があるような感じ。ちょっとした感動もあるかもしれません。 -
で、その広坂緑地の西側を南北に走る通りは、アメリカ楓通り。百万石通りとお堀通りを結んでいます。約200mの直線道路。広坂緑地は、炎天下でも何も遮るものがないのですが、こちらは涼し気な木漏れ日の道。爽やかな風が吹いています。
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イチオシ
しいのき迎賓館から、アメリカ楓通りを越えたところには、石川四高記念文化交流館。赤煉瓦造りの2階建て。明治24年に建てられた旧第四高等中学校本館建物で、その後、金沢大学理学部や金沢地方裁判所としても使われた国の重要文化財。
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今は、西側が四高記念館、東側が有料の石川近代文学館となっています。ただ、四高記念館の方はコロナ禍以降、お休みとなっていました。
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百万石通を挟んで向かい側には、カトリック金沢教会。明治21年の創立。白い塔を伴う建物は、一見地味な感じかな。
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ただ、内部に入ると蝙蝠天井っぽい意匠の、シンプルだけど清潔感が漂う静かな空間。当たり前ですが、やっぱりちゃんとした信仰の場所でした。
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ここから南の方に進みます。
ほどなく現れたのは、西内惣構跡宮内橋詰遺構。 -
惣構は内・外の二重となっていて、内惣構は、慶長4年(1599年)、外惣構はその翌年に造られました。ここは少し水が溜まっていて、水はけはあまりよくないようです。
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道なりに進んだ先の石川国際交流サロン。
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加賀藩前田家の重臣だった加賀八家の横山家が、男爵だった大正時代に造営した近代和風建築と庭園を活用した施設です。
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金沢は、戦災に合わなかったので、こうした民家がそれなりに残っているそうですが、それでもかなり貴重なもの。
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玄関から奥の広間まで瀟洒な邸内はかつての雰囲気をそのまま伝えていて、ディープな金沢に触れた感じがします。
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国際交流サロンというちょっとよく分からない名前ですが、こうして普通に見学できますのでお気軽に。
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本多通りを北に戻って。
石浦神社は、古来より加賀郡石浦郷七ヶ村の総社であり、金沢市内では最古の神社とされる神社。主祭神は、大和国大神神社の神霊、大物主大神であり、かつては三輪神社と号していたよう。白い鳥居にはわっかがあって、神仏習合の印かな。金沢市内では最古の神社 by たびたびさん石浦神社 寺・神社・教会
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社殿はお寺のような建物です。
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そこから、石川県立美術館 広坂別館へ。だらだらと長い上り坂を行った先です。
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大正11年、陸軍第九師団の師団長官舎として建てられ、戦後は米軍将校の官舎、金沢家庭裁判所、石川県児童会館などとして使われてきたよう。
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館内には、陸軍第九師団の師団長官舎の歴史を開設するパネルや映像での紹介も。各部屋はきれいに保たれていて、気持ちよく拝見できました。
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石川県立能楽堂は、さきほどの長い坂を上りきったところ。
昭和47年、全国で初めての独立した公立能楽堂として開館した施設。年数は建っていますが、外観からはあまりそれを感じないしっかりした建物です。 -
毎月定例能があるようで、能舞台の方を拝見させてもらいました。これは昭和7年に建てられた金沢能楽堂の本舞台を移築したもの。たくさんの客席に囲まれた、とても立派な舞台でした。(撮影は不可だったので、写真はありません)
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そして、最後に向かったのは、加賀友禅伝統産業会館の加賀友禅ミュージアムです。
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館内は悠々とした広さ。
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イチオシ
その一角で、加賀友禅の歴史や技法を紹介するビデオを拝見しました。
説明によれば、500年前の加賀独特の染め技法であった梅染を源流として、宮崎友禅斎が写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄の加賀友禅を確立させる。 -
ただ、その技法は、外ぼかしや虫喰いの技法など多彩だし、友禅糊の技術も基本中の基本。確かな技術が随所に必要なことがよく分かりました。
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なお、京友禅との違いですが、京友禅は、仕上げに金箔や絞り、刺繍など染色以外の技法も使いますが、加賀友禅はそれはなしなんですね。
ただ、京都はなんにせよ別格。比較してもほとんど意味はないですね。少し補足すると友禅は、そもそも絞りが贅沢禁止令で御法度となったために生まれたもの。そこからして、本家本元の絞りと比べるものではないですね。加賀友禅の行程を拝見すると手の掛け方がすごいですが、京都の絞りは気が遠くなるような感覚。やっぱりレベルが違います。(https://4travel.jp/dm_shisetsu/11972712)
さて、これで予定の金沢は無事終了。ここから早めに魚津に移動して、タテモン祭りの夜の部を見物しようと思います。
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