2023/06/25 - 2023/06/30
205位(同エリア16548件中)
あの街からさん
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新緑でおおわれた愛しのパリ・初夏のパリ。
4度目のパリで丁度10年ぶりのパリ。
今回は、コロナ禍後で久しぶりのヨーロッパと
帰路初ホーチミン1泊とを併せたロング旅となりました。
『この旅行記に登場するポイント』
①エッフェル塔 ②レオポール・セダール・サンゴール橋
③パリ市役所 ④凱旋門 ⑤グランド・アルシュ
⑥セーヌ左岸 ⑦サマリテーヌ ⑧ギャラリー・ラファイエット
⑨オペラ・ガルニエ ⑩サント・シャペル
⑪ギュスターヴ・モロー美術館 ⑫クリュニー美術館
⑬ルーブル美術館 ⑭オルセー美術館 ⑮オランジュリー美術館
⑯アラブ世界研究所 ⑰ノートルダム大聖堂
⑱サクレクール寺院
さて、ヨーロッパ旅
ポツダムまで進んだところで〈ローマ滞在も飛ばしたままですが(⌒-⌒; )〉
近頃、TVをつけるとパリ・オリンピックの話題が
多いなぁと思ったら、もう直ぐそこにパリオリンピック
が迫ってきていました。
パリの旅行記はオリンピックに合わせてアップしようと
思っていたのを思い出しました。
この旅行記は、パリ編・最初のダイジェスト版としましたが
それでも、画像が110枚を超えてしまいました。(⌒-⌒; )
なにしろ、ご飯を食べる間も惜しんで
街歩きと美術館巡りを朝から晩まで楽しんできたのですから。
Hotelに帰ってシャワーの後寝落ちして翌朝また直ぐ街歩き。
どれ程パリの街が好きなのか(⌒-⌒; )と自分でもそう思います。
予想通りあっという間の5泊6日でした。
次回こそ、歩きたい路、観たい絵、気に入りのカフェ
をピンスポットで訪ねゆったり時間を過ごす
パリにしようと思うのですが。(⌒-⌒; )
そんな訳で、先ずは、パリの定番コースを散歩しましょう♪
※ 長い旅行記になってしまったので、初めてスケジュールを作成
してみました。パリ滞在中何度も通った所もあることから一回
にまとめてあるので、スケジュールはこの旅行記に登場順に作り
ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
パリの街はどこも
新緑でおおわれていて
綺麗でした。 -
イチオシ
何故か
バンクシーの絵を思い浮かべて
しまったけどエッフェル塔 建造物
-
カフェのテラス席に座り
この新緑を眺める幸せ -
パリのアパルトマンも
新緑が綺麗でした。 -
パリの街角で信号待ちしている
間にも新緑の木漏れ日が綺麗でした。 -
イチオシ
パリオリンピックは
セーヌ川も競技会場になるって
最初聞いた時驚いたけれど。
「レオポール・セダール・サンゴール橋」レオポール セダール サンゴール橋 (ソルフェリーノ橋) 建造物
-
しかし、凄い発想だと舌をまき
さすがフランスだなぁと
ただただ感心しました。 -
この乗客のみなさんも
パリオリンピックの中継を
観ながら、また、パリの空の
下に飛んでいることだろうと思います。 -
パリ市庁舎
パリオリンピックの広報を
担当しているよう。
ズラリ並んだ
世界各国のオリンピックのポスター
見事でした。
どこの大会も各国選手の活躍に
目を奪われました。パリ市庁舎 現代・近代建築
-
世界各地で開催された
オリンピックのポスターが
掲出されていました。
ロサンゼルス大会 -
ソウル大会
リオデジャネイロ大会
モスクワ大会 -
ミュンヘン大会
哀しいテロ事件が勃発した大会でした。 -
アテネ大会
ロンドン大会
北京大会 -
つい先頃のような
東京大会2020
コロナ禍で開催が危ぶまれた
大会でしたね。
このようなポスターだったのか。
記憶にあまり残っていませんでした。 -
イチオシ
東京オリンピック
このポスターは、やはり全大会中で
あの街から
的にはNo.1 でしょうか。 -
前回のパリを訪れたのは、クリスマスイブを
パリで迎えようとイブの前日にやってきました。
ところが、到着した日の午前でしたか、
エッフェル塔に登るために30分ほど並んでいた時、
ビル風のような強風に吹かれ続け、珍しく旅先で風邪を
引いてしまいその夜、Hotelで高熱を出してベッド
で伏せってしまいました。大汗をかいて何とか熱は
下がりました。が、クリスマスイブのディナーを
エッフェル塔のレストランでパリの夜景を見ながらと
楽しみにしていたのですが食欲までは回復せず。
飲み物以外は手をつけられなかった苦い思い出があり
そのせいで知らず知らずのうちにパリを避けていたのか。
あれから丁度10年経ってしまいました。
たしか、あの時も、10年ぶりのパリでした。
不思議な縁のパリ。エッフェル塔 建造物
-
『エトワール凱旋門』
シャンゼリゼ大通りの西端、
シャルル・ド・ゴール広場の中央にあります。
凱旋門は横断歩道もない
大通りにぐるりと囲まれていますから
最初は地下道の入り口がわからず
どうやって渡るの?と思いましたっけ。凱旋門 建造物
-
『グランダルシュ』※Wikipedia 表記
1989年落成
側面と内部が全面ガラス張りで巨大な門の形を
しており「新・凱旋門」
とも呼ばれている超高層オフィスビルで35階には
展望台があることは、帰国後知り少し残念(⌒-⌒; )
でした。
パリ中心地から少し離れていますが、地下鉄駅に
直結し苦になりません。
イベント広場ではJazz Liveが開催されていました。グランド アルシュ 現代・近代建築
-
滞在中は、街歩きと美術館巡りで
連日2万歩をゆうに超えましたが
今回は、バスも多用しました。 -
コロナ禍や閉めている店や
オリンピックで撤去かなど
と存続が厳しいと報じられていて
心配していましたがこれまで通り
開いている店もあり -
この風景はパリに残しておいて
欲しいなぁ。と思いました。パリのセーヌ河岸 史跡・遺跡
-
ビートルズは、「オランピア劇場」で
コンサートは行っていますが
何故か、パリには結びつき難いなぁ
と眺めてきました。 -
早朝の街歩きでした。
大通りの向こうに何やら行列が出来てました。
そこは、うれしいことに映画館のようでした。
映画館をずらりと囲んだ行列うわぁ凄いなぁ
と感じ何の映画かな?と行ってみました。
上映中の作品は西ドイツとフランスの合作
『ブリキの太鼓』でした。
1981年日本公開の作品で、
先に公開された第32回カンヌ映画祭では
大賞のパルムドール賞を
アメリカの第52回アカデミー賞では
外国語映画賞を受賞。
2年遅れで公開された日本でも映画評論家
の間では好評でキネマ旬報の1981年の
ランキングでは堂々の第一位に。
その年の外国映画のランキング2位は
イングリッド・バーグマンの晩年の
秀作「秋のソナタ」3位には、ロバート
レッドフォードの初監督作品「普通の人々」
でした。「普通の人々」は本家アカデミー賞
では作品・監督・脚色・助演男優賞を受賞。
それら作品を跳ね除けた『ブリキの太鼓』
ドイツ人作家ギュンター・グラスの長編を
映画化。原作は、第二次世界大戦後、ドイツ文学で
最も重要な作品の1つとされ、後にノーベル文学賞
を受賞。というクラッシックの名作ですが
当時、学生の〈あの街から〉は
「普通の人々」を真っ先に観に行き
次に「秋のソナタ」を観に行き
あの「カサブランカ」のバーグマンの母親役で
母娘の確執から和解へのドラマで山間の晩秋の
風景が○○闘病中のバーグマンと重なり
複雑な気持ちで観ました。
一方の「ブリキの太鼓」は
評判が良いとは知っていましたが
今もって観ていません(⌒-⌒; )。
パリの劇場前には行列が出来ていました。
パリの文化を見たような気がして嬉しくなりました。 -
「ラ・サマリテーヌ」
セーヌ川に架かるポン・ヌフのたもとに建つ老舗デパート
安全性の問題から2005年から閉鎖されていたが
2021年6月ホテルやオフィスが入る複合施設
としてリニューアルオープン。
アール・ヌーヴォー、アールデコ様式の装飾を修復
回りながらじっくりと見学してきました。サマリテーヌ 百貨店・デパート
-
「ラ・サマリテーヌ」
セーヌ川に架かるポン・ヌフのたもとに建つ老舗デパート
安全性の問題から2005年から閉鎖されていたが
2021年6月ホテルやオフィスが入る複合施設
としてリニューアルオープン。
前の広場も大道芸人がいたり、緑の木々の下
ベンチも設置されていて楽しい所です。 -
草間彌生さんのモニュメントを
雑誌やガイドブックでこの風景を
見た時には、なンだかなぁ。
パリの風景にあう??
と正直思っていたのですが
現地で見て
凄い! これぞアートだと心から感じ
旅って だからやめられないなぁ。
とワクワクしました。(⌒▽⌒) -
ビル丸ごとアートになっていましたし
不思議にパリの街に溶け込んでいました。
ルイビトンは、本社ビルで将来的にブランド
初のホテルも開業準備中とのこと。
さらには世界最大クラスの巨大複合施設の
開業も視野に入れ工事期間を10年~15年
としていることが先ごろ発表された。 -
最近、ロンドン公演でも連日満席を
伝えられていた「千と千尋の神隠し」
どうやらパリでも人気らしく
街歩きで本屋さんのショーウィンドウを
飾っていました♪♪ -
「ギャラリーラファイエット」へは
アパルトマン・ホテルから地下鉄で2、3駅
一直線で便利が良かった
こともあり、2、3度はやって来ては夕食の
食材を買って帰りました。 -
屋上からパリの街を眺めるのが好きでした。
-
「オペラ座」の後ろ姿も重厚感がありなかなか良い。
前回「オペラ座」の貴賓席のようなBox席で
バレーを観たので今回は、ここから眺めて
満足としました。オペラガルニエ 劇場・ホール・ショー
-
「ギャラリーラファイエット」
売り場面積7万m2を誇るデパート。
ネオビザンチン様式のクーポール(ドーム型天井)
がとても美しい。
このクーポールを眺めるのも楽しみのひとつでした。ギャラリー ラファイエット百貨店 (パリ オスマン本店) 百貨店・デパート
-
フロアーをぐるり回りながら
この景観を楽しみます。 -
フロアーをぐるり回りながら
この景観を楽しみます。 -
フロアーをぐるり回りながら
この景観を楽しみます。 -
フロアーをぐるり回りながら
この景観を楽しみます。 -
パリのお土産をズラリと並べた
フロアーも見ているだけでも
あぁパリに来ている。と
楽しめました。 -
パリのお土産をズラリと並べた
フロアーも見ているだけでも
あぁパリに来ている。と
楽しめました。 -
パリのお土産をズラリと並べた
フロアーも見ているだけでも
あぁパリに来ている。と
楽しめました。 -
一階のスィーツコーナーへは
相方さんの楽しみ
パリにやって来たからには
マカロンは外せません。
数個買って部屋食しましょ! -
日本で買っても・・
と思うのだけれど相方さんは
そうは行きませんね。 -
かなり大きかったのだけれど
どんな風に買うの 食べるの
かな(⌒-⌒; ) -
時間指定の予約をして行きました。
「サント・シャペル」 -
2階のステンドグラスをと足を運んだのですが
一階も天井やステンドグラス、壁画など
素晴らしい空間が広がっていました。 -
「サント・シャペル」は
ルイ9世がコンスタンチノープルの皇帝から
買い求めたキリストの聖遺物などを納めるために
造らせた教会で1248年に完成したそうです。 -
時間指定とはいえ、並んでいました。
キリスト教聖堂内部の細長い広間で
入口から主祭壇に向かう中央通路のうち
袖廊に至るまでの部分<身廊>には
灯り取りの役目も兼ねた
ステンドグラス小ぶりではあるけれど
美しい。 -
バラのステンドグラス
綺麗でしたね。 -
「聖なる礼拝堂」サントシャペル
シテ島にあるゴシック建築の教会。
ルイ9世が1239年から収集し始めた聖遺物を
納めるために建設された。 -
イチオシ
この空間
この圧巻のステンドグラス
この部屋は細い階段を上がった
上のフロアーに足をかけると
目の前に広がる空間。
思わず、わぁ! と声が出てしまうほどでした。
目の前には長方形の空間が足元から高い天井まで
ブルーや薄紫色に染まっていてとても魅惑的な空間でした。サントシャペル 寺院・教会
-
不幸にして火災になった
ノートルダム大聖堂の陰のような
存在でしたが、ここにきて
一気に人気スポットとなった感があります。 -
「ギュスターヴ モロー美術館」
初めて行ったギュスターヴ モロー美術館は
なだらかな坂道に居並ぶ館の一角にありました。
パリ9区 ラ・ロシュフーコー通り4番地。
モローは、この館に1852年から自宅兼
アトリエとして住み72歳で亡くなるまで住んでいた。
モローは、亡くなる2年ほど前から館ごと
国に寄贈するために準備を始める。
その意志を継いだ弟子のアンリ・リュップは
フランス政府と交渉。
1903年美術館がオープンの運びとなった。
遺言により約1200点もの油彩・水彩
素描など約14000点以上が所蔵されている。
入館料・EUR7ギュスターヴ モロー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ギュスターヴ モローは、1826年生まれで
建築家の長男としてパリの裕福な家庭に生まれた。
(マネの6歳年上で印象派より10年ほど早く生まれている。)
両親はモローに徹底した教育を施し大学までにモローは、
文学・芸術を勉強。特にギリシャ神話やローマ神話に精通
するようになる。ようやく許しを得て国立美術学校に通い
出したのがモロー20歳になっていた。しかし、若きモロー
は理想に燃え授業の形式主義には失望する。
やがて、シャセリオーに私淑しロマン主義の洗礼を受けた。
しかし、僅か5年後にシャセリオーは37歳で亡くなって
しまう。モローは茫然自失となるが、やがてイタリアへ
旅に出る。各地を周遊し2年近く滞在。このことから
ミケランジェロやラファエロ等の影響がその後の作品に
見受けられるようになる。
イタリアから帰国の5年後代表作「オイディプスと
スフィンクス」をサロンに出表した。 -
館を見学できるというのも
モローの作品同様に興味深い。 -
イチオシ
「出現」
モロー 1876年
代表作の一つで「ギュスターヴ モロー美術館」
では作品の前でじっくり鑑賞している人の姿が
1番多かったように思われる。
モロー50歳前後の作品でパワーを感じます。
新約聖書の<ユダヤ王ヘロデの誕生日に舞を
見事に踊ったサロメに、欲しいものを与えると
約束した王へ、サロメが洗礼者ヨハネの首を
望んだ>これが主題となっており、この主題は
カラヴァッジョを始めとして大きの画家が取り上げて
いる。モロー自身も油彩・水彩など
いくつものバージョンで描いている。
1870年、44歳のモローは普仏戦争に参戦。
この頃からモローの画風に変化が見られる。
より幻想的になってゆき装飾性が増してゆく。ギュスターヴ モロー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「プロメーテウス」
モロー 1868年
ギリシャ神話に登場する神で、ゼウスの反対を
押し切り天界の火を盗んで人類に与えた存在と
して知られている。また人類を創造したとも言
われている。
モローは大学の頃には、ギリシャ神話やローマ神話に精通
していたこともありその後の画家としてのキャリアでは聖書
や神話に題材を取った幻想的な作品を得意とする。
この作品は、その中の1作で代表作の一つです。 -
「クリュニー美術館」
その日街歩きが主な日でした。
気持ちよく、若葉の燃ゆるパリの街歩きを続け
その日のルートのいよいよ最後の訪問地として
「クリュニー美術館」にやって来ました。
Googleマップ君から「目的地付近です」と
言われそれでは、と玄関口を探してみるも
見つかりません。らしき所を2周して
英語が通じそうな学生風の方に聞いたところ
ほぼ目の前が入口でした。
しかし、玄関口の扉〈門〉が閉まっていました。
あぁそうか、だから気づかなかったのだと気づくも
なんとか、と目を凝らすと出て来る人がいて
手招きを受け入ってゆきました。
すると、係員らしき人がやって来て
「あと、20分で閉館となるが」と
気持ちの良い街歩きで時間を忘れかけていました。(⌒-⌒; )
どうしてもタペストリーは観たいなぁ。と告げたら
展示室まで連れて行ってくれました。
今回のパリ滞在は
美術館滞在時間とその移動で
美術館70% 街歩き30%
くらいでしようか。
しかし、これは、とリストアップしていった
作品が貸し出し中で観ることができなかった作品が
随分とありました。その代わりに
思わぬ作品が貸し出しを受け展示されていたり
それでも
気に入りの作品は漏らすまいと
もう、数えられない程〈ややオーバーかな〉
写真は撮ってきたつ・も・り
なのですが、帰宅後、美術書を広げてみると
あぁ これも撮っていないと思った
作品が目白押し。(⌒-⌒; )
そんな中でも、ここ「クリュニー美術館」は
撮影はほんの数枚。 この目でも観たいと眺めて
いたら直ぐ、お約束の閉館時間となり
滞在中にもう一度と、その時思ったのですが
その後の予定もあり、思いを残すことに
なりました。クリュニー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「ルーブル美術館」は2日間通いました。
先ずは、この階段を登ってお目当ての作品へと
向いました。
朝1番なので、まだまだ人がまばらでした。
「サモトラケのニケ」
紀元前190年頃 作者不明
ギリシャ・ロードス島民がシリアとの海戦
での勝利を祝った像と言われている。
サモトラケ島でフランス領事によって発見された。
1884年からルーブル美術館内で
展示されるようになったもの。
意外と知られていないこととして
実は、ルーブル美術館において
発見されていた羽の先の部分の110余の断片を、
ルーブル所蔵しているテラコッタの小さなニケ像
をモデルにして修復したそうです。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
とりあえず、初日は
前もって決めていた名画をピンポイントで
観てゆくことにしました。
先ず、いの一番に向かったのは
前回は貸し出し中で対面出来ずじまい
だったこの作品に会いに行きました。
まだ、先客は2人だけでした。
数分待つと数分間
誰もいなくなった瞬間がありました。(^ー^)
『ナポレオン1世の戴冠式』
ジャック=ルイ・ダヴィッド作 1806年~1807年
ルーブル美術館所蔵作品の中でヴェロネーズの「カナの婚礼」に
ついで、大きな作品である。
作者のダヴィッドは、当時ネオ・クラシシズム〈新古典派〉の
巨匠でありフランス第一の画家と称されていた。
ジョゼフィーヌのケープを始め、人物150人の服装を描く
ために、新しい色と光のテクニックを取り入れたとされる。
この大作が完成してからルーブル美術館に展示されたのはたった半年間
ナポレオンがマリ・ルイーズと再婚したためこの作品はその後80年以上も
ルーブル美術館から姿を消していたのでした。
~ そうなのだ。と、なんだかため息が出てしまいました。
しかし、見事な作品だなぁ。との思いは変わりませんでした。 -
『民衆を導く自由の女神』
ウージェーヌ・ドラクロワ作 1831年サロン出典
シャルル10世が失墜し、ルイ・フィリップが政権に就く
1830年7月28日に起きた7月革命を主題とした作品。
ドラクロワは、兄に宛てた手紙に
「現代の主題に取りかかった。バリケードだ。
私は祖国のためにそれを打ち破りはしなかったけれど少なくとも
描いてみせよう。」の書き送り
感情の上で革命に参加した画家は自由の
女神の歩みの中に、現代的寓意を込めてみせた。
作品は、ルイ・フィリップによって王室コレクションに入れられた。
一度は、ドラクロワが引き取るが、再び国家所有となった。
前回訪れた時には、貸し出し中で20年ぶりの再会となりました。 -
イチオシ
「ルイ14世の肖像」
イアサント・リゴー作 1701年
リゴーは優秀な肖像画家で、貴族、大使
財務官などの様々な肖像を残している。
この作品は、ルイ14世の孫にあたる
スペイン王フィリペ5世に贈るために
注文を受けたが、完成すると宮廷で大評判
となり、ルイ14世のコレクションに
加えられた。
戴冠式の衣装に身を包み権威を示す王剣と
王杖を携えた63歳のルイ14世が描かれている。 -
「モナリザ」の展示室は
いつも、ぎっしり。
なので、先ずは、数作品を観てからきました。
それでも「モナリザ」はルーブルに来たからには
一度は観に来てしまいます。
が
この部屋 モナリザ 以外にも
「カナの婚礼」など
見どころが並んでいます。
別途〈ルーブル美術館〉編で枚数が許せば
載せてみたいと思います。 -
合間合間に
比較的空いいてゆっくりと
見学できるコーナーを観て
回りました。 -
器もタペストリーも彫刻も
やはり凄いものばかり
並べられています。 -
〈マルリーの中庭〉
ナポレオン3世によって
1852年から1857年に建造され
1989年まで大蔵省の国庫中央会計窓口
として使われていた場所。
天井から自然光が射し込む野外彫刻のための
展示室として、再設計され1993年完成。
中庭は、2つの空間に区切られそれぞれ
ルイ14世によってセーヌ川沿いマルリー小谷
に建造された宮殿庭園の名〈マルリーの中庭〉
と、フランスバロック芸術を代表する彫刻家
ピエール・ピュジェの名〈ピュジェの中庭〉
がつけられた。 -
「ルイ14世の騎馬像」
フランソワ・ジュラルドン作 -
『瀕死の奴隷』
ミケランジェロ作 1513年~1515年
大理石・228Cm
「抵抗する奴隷」同様にこれも未完成の作品。
ミケランジェロはリヨンに亡命中のフィレンツェ
貴族にこれらを寄贈した。
寄贈を受けた貴族からフランソワ1世に贈られた。 -
〈マルリーの中庭〉
ナポレオン3世によって
1852年から1857年に建造され
1989年まで大蔵省の国庫中央会計窓口
として使われていた場所。
天井から自然光が射し込む野外彫刻のための
展示室として、再設計され1993年完成。
中庭は、2つの空間に区切られそれぞれ
ルイ14世によってセーヌ川沿いマルリー小谷
に建造された宮殿庭園の名〈マルリーの中庭〉
と、フランスバロック芸術を代表する彫刻家
ピエール・ピュジェの名〈ピュジェの中庭〉
がつけられた。 -
ルーブル美術館2日目は、朝一番に
カラヴァッジョの作品を目指して行きました。 -
ところが、大番狂せがありました。
うれしいことと・残念なことが入り混じっていました。
なんと! ナポリの「国立カポディモンテ美術館」展が
特別企画として開催中で、
カラヴァッジョの「キリストの笞打ち」や
パルミジャーニノの「若き女性の肖像」など貸し出されて
ルーブルに今、展示されていたのでした。
この旅でこの後、ナポリの「国立カポディモンテ美術館」
へ行くことに予定していたのでうれしいような
それぞれの美術館で観たかったような。 -
そして
恐れていたこともルーブル美術館で所蔵の
カラヴァッジョ作品の2点が貸し出されていた
のでした。(;゜0゜) -
大きな窓から陽射しが燦々と降り注ぐ
展示場に掲げられていました。
希望としては、ダウンライトなど
相方さんに、「もう少し暗転した展示会場で
観たかったなぁ」と言ったら、
「それは贅沢というものよ!」とピシャリ。(^ー^) -
イチオシ
「女占い師」
カラヴァッジョ作 1595年~1596年
ローマで制作 ルーブル美術館所蔵作品 -
「聖母の死」
カラヴァッジョ作 1601年~1603年
ローマで制作 ルーブル美術館所蔵作品
1601年6月法律家ラエルツィオ・ケルビーニが
サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂の祭壇画とし
てカラヴァッジョに注文した作品である。
ケルビーニは、ベネデット枢機卿が
サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂の近所で枢機卿と
カラヴァッジョは懇意であったことから制作を依頼した。
このサンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂はトラステヴェレ地区
の貧民街にあるカルメル会の小さな教会である。
教会は夫の暴力から逃れるための駆け込み寺であると同時に未婚
女性の教育機関としても成り立ってきた。
この作品は、水平に伸びた聖母の遺体の周りで宣教の旅を終えて
戻ってきた使徒たちが嘆き悲しんでいる。遺体を洗うための金盥
〈カナダライ〉が手前に置かれ天井からは赤い布が垂れ下がっている。
この主題では珍しく、手前にマグダラのマリアが座ったままうなだれ
ている。これは、この絵を設置した教会が婦人のための更生施設だった
ことも関係がある。マグダラのマリアの悔悛した売春婦として女性の
再教育や更生の象徴的な存在だったからである。
左上の方から光が注ぎその中で顔を伏せ、目を抑える使徒たちの
身振りや表情は死がもつ厳粛さや悲痛さを表している。
果たしてこの作品も、教会から拒否された。
この作品を買ったのは、マントヴァ公爵だが
なんと、購入を薦めたのがバロックの巨匠
ルーベンスだったという。 -
「アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像」
カラヴァッジョ作・1607年~1608年
マルタ島で制作 ルーブル美術館所蔵作品
1607年7月ナポリを後にしたカラヴァッジョは
マルタ島にやって来た。この島は聖ヨハネ騎士団
〈マリア騎士団〉が治めていた。彼を乗せたガレー船の
艦隊長は侯爵婦人の次男であるファブリツィオであった。
カラヴァッジョは幼少の頃からミラノのコロンナ邸で遊んだ
幼馴染だった。また艦隊はナポリでカラヴァッジョを乗船
させる前に、ジェノバでマルタ騎士団ナポリ師団長のイットーリト
・マラスピーナを乗船させていた。ナポリ師団長はレパントの海戦の
勇士であり騎士団長の信任も厚い人物だった。
マルタ島に移ったカラヴァッジョは、先ず、フランス人の騎士団長
アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像を描いた。
カラヴァッジョが描いた現存する肖像画としては、
ほぼ唯一の真筆作品とされている。
彼は、アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像画を2点描いたとされるが
1点は失われてしまった。
現存するルーブル美術館にある作品はヴィニャクールの側で小姓が兜を持ち
本人は甲冑姿である。艶やかな甲冑にあたる光の効果も見事である。 -
いやぁ 観たいなぁ。と
今回のヨーロッパ旅の日程にナポリを加えた
第一の要因となった
カラヴァッジョの『キリストの鞭打ち』
それだけにルーブルに来ていると知った時の
ワクワク感をこのシチュエーションには感激しました。
薄暗い展示室の向こう正面にスポットライトに
浮かんだような作品が『キリストの鞭打ち』と
わかった時にあまりにもドラマチックな登場でした。 -
ルーブル滞在中に
良い状態で写そうと何度も側まで行って
機会をうかがっていました。(⌒-⌒; )
予定外の時間配分となってしまったが
これはこれでいい時間を過ごすことに
なりました。
ルーブル美術館は奥が深くて
とてもとても、たとえ1週間や1ヶ月通った
としてもまだまだ見切れない作品がいっぱいで
やはり、観たいポイントを抑えてみなさん
やって来るのだろうと思いますが、それでも
ルーブル美術館の現場に立ち、見事な作品を
次々と観てゆくうちに満たされた心境になって
しまうのですから不思議です。 -
イチオシ
「キリストの鞭打ち」
カラヴァッジョ作 1607年
ナポリで制作 「国立カポディモンテ美術館」
1607年 スペイン副王の顧問官
トンマーゾ・デ・フランキスの注文によって
1607年5月頃にナポリのサン・ドメニコ・マッジョーレ
聖堂の礼拝堂のために制作されたのが本作品である。
当初、この作品には注文主のトンマーゾ・デ・フランキス
とおぼしき人物が画面の右側に描かれていたが、後に塗り潰
された。
キリストは、古代彫刻を思わせる堂々とした体つきをしており
強い光を受けて刑吏たちから浮かび上がっている。
この作品でも、カラヴァッジョの明暗画法
〈キアロスキューロ)が顕著に描かれている。
背景は、全て黒一色。登場人物は、光と影で表現されている。
黒の背景はルネサンス時代からあったが、カラヴァッジョほど
明暗の対比だけで描いた画家は他にはいなかった。
光の方向、光の強弱、それを受けて影の完璧さ。
画面の左下で、鞭を持っている刑吏は影に同化して
おり全体に暴力的な雰囲気が漂っている。
この様な強い明暗表現方は、ナポリの画家たちにも
大きな衝撃と影響を与えた。
そして、カラヴァッジョは、この作品が完成するや
いなや追手から逃れるため突然マルタ島へ出発した。 -
とりわけ、女史に人気の作品ということが
この作品を俯瞰してしばらく観つめていた
<あの街から>
次々にやってくる人たちを見ていてそんな風に感じました。 -
『アンテア』
パルミジャニーノ作 1525年
知的な美しい容貌と圧倒的に豪華な衣装。 その目力もあり
圧倒的な存在感を発揮している。この作品の女性は、パルマ
の地位と教養のある家柄の出であるペッレグリーナ・ロッシ、
あるいはオッタ―ヴィア・バイアルディという説もあり、
豪華な衣装から花嫁であるとする説もある。
さらに特定の誰かを描いているのではなく、普遍的な女性
美を表しているという見方、肖像というより「愛」の願望
の謎めいた表現であるという見方もあって想像力をかき立
てて観てしまう。この作品が描かれた1531年頃の西洋
美術の様式時代区分は、ルネサンスの巨人ダヴィンチ、
ミケランジェロ、ラファエロの時代から今日マニエリスト
と呼ばれ、その様式マニエリスムとなり、やがては、
カラヴァッジョの登場でバロックの時代へ移行してしまう、
この間僅か数十年。これからの画家たちの蒔いた種は、
幻視手法〈イリュージョニズム〉等、
時を超え手法を変え影響を与え続けいる。 -
「ラ・ベル・フェロニエール」
レオナルド・ダヴィンチ作 1490年~1496年
諸説があって
かつて日本では『ミラノの貴婦人の肖像』と呼ばれた。
これは「美しき金物商」の意であり、17世紀初めにはこの作品に
描かれている女性が金物商の妻あるいは娘だと考えられていたこと
による。また、フランス王フランソワ1世の有名な愛人である
ル・フェロン (Le Ferron) も婉曲的に
「ベル・フェロニエール (Belle Ferronnière) と呼ばれていた。
しかし、『ミラノの貴婦人の肖像』に描かれている女性が誰なの
かは分かっていない。
また、美術史家たちのあいだでは、彼女はミラノ公ルドヴィーコ・
スフォルツァの愛人で、ベアトリーチェ・デステ妃の女官だった
ルクレツィア・クリヴェッリ説が有力で、彼女は<白貂を抱く貴婦人>
のモデルのチェチリア・ガッレラーニの後に寵愛を受けた女性である
と言われている。
なお、額に巻いている鉄製の細いバンドは現在ファッション業界では
「フェロニエール」と呼ばれているが、この作品名から由来していると
いう。15世紀当時ミラノの女性たちのあいだではこうしたヘアバンドが
流行していた。 -
イチオシ
「灯火前のマグダラのマリア」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 1640年頃
新約聖書中のルカによる福音書7章36節を主題とした作品。
どくろを膝に置き蝋燭の炎を見つめながらもの思いにふける。
マグダラのマリア。ラトゥールの代表作だ。
頰杖をついて物憂げな想いは、人生の儚さと罪を犯した過去
への想いにふけっている。
彼女の見ている蝋燭の炎は僅かな風でも揺れる人の命の象徴
である。膝に置かれたどくろは、避けることのできない死の
象徴だ。
ラトゥールは、カラヴァッジョに影響を受けたとおもわれるが
カラヴァッジョに登場する人物たちは総じて劇的な動きを見せる
が、ラトゥールの描く人物は静的だ。 -
「情熱の対象とともにして瞑想する
聖なる女性たち」
フランソワ・ジョセフ・ナベス作 -
『オルセー美術館』
1900年に建てられた鉄道駅の駅舎をそのまま
使って美術館として1986年開館した。
一部の作品を除いて原則的には、1848年から
1914年までの作品が展示されている。
印象派を中心としたコレクションと駅舎を使った
長方形の美術館の建物と併せて見どころがいっぱいの
美術館です、出来る限りの滞在時間を作って欲しいと
思います。オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「サーカス」
スーラ作 1891年
スーラは、1859年パリの裕福な中産階級の家に生まれた。
1878年国立美術学校に入学。巨匠たちの絵画を研究するなどしたが
翌年には、兵役のため退学。1年の兵役を終えると、その手法から
「点描主義」あるいは「分割主義」と呼ばれた作品制作を始めた。
1883年 サロンに素描1点が入選。この年から初めての大作
「アニエールの水浴」(ナショナル・ギャラリー)制作に着手。
翌年サロンで落選。1886年 には、彼の代表作ともいわれる
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を最後の印象派展に
出展。しかし、スーラは、1891年風邪をこじらせ髄膜炎を
患い31歳の若さで世を去ってしまう。
スーラは夭逝したこともあり制作期間はおよそ10年と短い。
それゆえに作品は、素描を除くとわずか数10点しか残されて
いない。これは点描画は、一作を仕上げる時間の長さも関係し
ていると思われる。
1891年に開催されたアンデパンダン展
〈無審査の展覧会〉に制作途中の『サーカス』が出展された。
作品は、完成しないまま今日至ることに。
スーラは、作品を描く際学問的に考えすぎたきらいも
感じるが、「クロンクトン」と呼んでいた素描の使い方
など、常に新しい作風を模索していた画家で、
〈あの街から〉は、どの点描画作品を観ても
優しさに包まれるような、そんな雰囲気を味わいながら
スーラの作品の前に立っていました。
〈あの街から〉の気に入りの画家のひとりです。 -
「ピアノを弾く少女たち」
ルノワール作 1892年
ルノワールの友人で詩人でが画家のマラルメは
「決定的な絵画、非常に伸びやかで自由な円熟した作品」
と評し、国家買上げに際して重要な役割を果たした。
1890年代からルノワールは、音楽や読書にふける
ブルジョワの室内を理想化した構図で描くことが多かった。
という。 -
「睡蓮の池」
モネ作 1899年 -
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの演踏会」
ルノワール作 1876年
1877年、第3回印象派展に出展。
当時のモンマルトルで若者に人気のあったダンスホールの名で
週末になると若い男女が集い、飲み・食べ・踊って青春を謳歌
していた。
ルノワールは友人の手伝いを受けながら連日ここへキャンバスを
運び描き続けた。木漏れ日の下、実に陽気で楽しげで若者たちの
浮き浮きとした雰囲気が伝わってくる。 -
「バレエのレッスン」
ドガ作 1873年~1875年
有名なバリトン歌手で美術コレクターのジャン=バティスト・
フォールの注文により制作された作品で、バレイのレッスンが
もう時期終わろうとしている踊り子たちを描いている。
踊り子たちの落ち着きのない様子やレッスン場のざわついた
雰囲気で誰もがバレイ教師に注意を向けていない。
ちょっとコミカルな雰囲気の踊り子たちの様子で好感が持てた。 -
「ダイバー」
ギュスターヴ・カイユボット 1877年 -
「草上の昼食」
エドゥアール・マネ作 1863年
この作品が出展年のサロンへの出展作品がかなりの
数に登り落選した作品の中から選りすぐった作品の
〈落選展〉を開催されることとなった。
時に、フランスでは2度の大きな革命が起こった後で、
ナポレオン3世が帝政に戻した。このことから世の中は、
相当保守回帰を呈していた。
そんな頃、マネは、ラファエロの版画を元に古典的な
構図で描いた作品だが、女性を裸婦として描きスキャンダル
となった。それまで、ヌードは宗教画と神話画でのみ描く。
という暗黙のルール破ったのだ。そればかりか、当時高級娼婦
を連れてのピクニックすることは、風俗に反すると各方面から
厳しい糾弾を受けた。
しかし、このことで、主題に対するタブーを取り除かれて、
自由な主題を描く姿勢は、印象派の画家たちに大きな衝撃と
その後彼らの描く作品に大きな影響を与えた。
そして、マネと印象派は古典的な宗教画や歴史画から離れ
てゆき、急速に流行していた都市生活の戸外でのレジャーや
カフェ、オペラ座などをテーマに選んだ。生粋のパリジャン
のマネは都会のセンスと自然への羨望眼を?併せ持ちこれら、
テーマは〈もってこい〉といった心境だったと、思われる。 -
「バティニョール地区のアトリエ」
アンリ・ファンタン・ラトゥール作 1870年
ファンタン・ラトゥール自身が後に、<マネとその門徒たち>
と呼んだようにマネへの讃歌である。イーゼルの前でパレットを
手にしているのがマネで、左から順に画家スコルデレール、
ルノワール、アストリュック<評論家、詩人・着席>
エミール・ゾラ、メートル<音楽に造詣の深い>、
長身のバジールそしてモネが並んでいる。
テーブルの上を見るとミネルヴァ像や東洋の壺
が置かれていて当時の彼らの好奇心の幅の広さを
目にするようだ。
1870年 普仏戦争前夜に開かれたサロンに
出品され3等賞を受賞した。 -
地下鉄も随分とお世話になりました。
正直言ってパリの地下鉄は
パリの後、ロンドン、ナポリ、ローマ
ベルリンなどで何度も利用しましたが
パリほど酷いところはなかったなぁ。
なにせ
ホームまでの構内が汚れている所が散見されたし
鼻を覆いたくなる匂いもあったり、
無賃乗車のためか改札口を飛び越えたりしてゆく人が
散見され、扉を押し開けたりつる人も見かけました。
これでは、オリンピック開催時が少し心配に
なりました。
たぶん、地下鉄駅の入口や出口に警察官を大量に
導入するなどして対処するのだろうとは思いますが。
ただ、スマホには、細いチェーンをつけたり、殆どの
ものは、Hotelに置いて身軽に行動をするなど
用心をして対策をとっていたので
スリの被害を受けることはありませんでした。 -
〈時計塔〉
前回は、ここでランチをしたのでした。
昼時は、並んでいました。
やはり、予約が必要ですね。 -
あぁパリに来てるなぁ。と感じました。
別途
「各美術館」「パリのカフェ」「パリの街歩き」を予定しています。
よろしかったら合わせてお付き合いください。
-
オペラ座の内部を見ることができるよう
模型がありました。
これが、結構凄い人気でみなさん並んで
撮影会のようでした。 -
「星降る夜」
ゴッホ作 1888年 -
「アルルのゴッホの寝室」
ゴッホ作 1889年 -
『晩鐘』ミレー作
-
『落穂拾い』
ミレー作 1857年 -
「すみれの花束をつけた ベルト・モリゾ」
マネ作 1872年 -
「自画像」
レンブラント作
レンブラントは、おそらく油絵だけで40枚以上の自画像を
描きましたが、これは史上群を抜いています。
しかも、20代から死の年までに渡っていて、
この「自画像」は、チョピリ気取っている姿が
収まっていますし、
サスキアと結婚した年の自画像は人生の絶頂期を
謳歌したようすが描かれてい ます。
破産の2年後に描いた自画像〈NYフリックコレクション蔵〉は、
唇をキリッと結んで耐えているところを描き、究極の自画像は、
死の年に描いた
3枚の自画像で穏やかな微笑みを浮かべている。
その時代その時代自画像には、
人生が投影していて興味深いものがあります。 -
「床に鉋〈かんな〉をかける人びと」
ギュスターヴ・カイユボット 1875年 -
「オランジェリー美術館」
ミュージアムパスを使って
予約なしで入場もスムーズでした。
「大きな静物画」
ピカソ作 1917年~1918年 -
「アントニア」
モディリニアー二作 1915年
彼の描いた作品は、〈モディリニアー二〉とわかる
特徴的な様式である。彼はその生涯で4枚の風景画を
描いたそうだがあとの作品は、とにかく人間しか描か
ない。それも肖像画とヌードである。22歳でパリに
出てきて、先ずモンマルトルに住んだ。3歳年上の
ピカソやユトリロらと親交をあたため刺激を受けるも
同時にアル中といわれたユトリロとの出会いにより、
モディリニアーニがヴェネツィアの学生時代に覚えたと
される酒と麻薬に再び溺れることとなった。
やがて彼は、結核から髄膜炎を併発し病院に運ばれるも
意識が戻らぬまま死去。35歳の短い生涯だった。
アーモンド型として有名な特徴的な〈眼〉にはなんともしれない
「哀しみ」を感じてしまう。愛すべき画家モディリニアーニ
オランジェリー美術館で堪能してきました。オランジュリー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「アルルカンとピエロ」
1924年アンドレ・ドラン作
オランジュリー美術館のコレクションの基礎を築いた
画商でコレクターのポール・ギョームの注文で描かれた
という。
描かれているのは、イタリアの仮面演劇コメディア・デラルテの
登場人物、多色格子模様の服に三日月形の帽子を被るアルルカンと
ひだ襟の白い寛衣に黒い縁なし帽を被るピエロの二人。
片膝を上げてギターを演奏する彼らは、マリオネットのような雰囲気
があります。楽し気なダンスや音楽のイメージとは対照的に、彼らは
互いに目を合わさず真面目な表情からは哀愁が漂っています。
幾何学的で複雑な構図をとることで、ドランは、伝統的なテーマの
中にも独創性を前面に出している。
ピエロのモデルとなっているのは、おそらくポール・ギョームであろう。 -
「睡蓮」 モネ
ポーズをとって撮影をじっくりとしている
グループが数組あり、つかの間のチャンスに
シャッターを切りました。 -
「睡蓮」 モネ
久しぶりなので少し離れて
俯瞰し鑑賞してきました。 -
パリの街を自転車で散策するのもいいなぁ。
-
「アラブ世界研究所」
館内は、近未来的な造りでテーマパークの
SF館のようでした。残念なことに撮影は禁止で
画像でお伝えすることはできません。アラブ世界研究所 博物館・美術館・ギャラリー
-
レストランの案内待ち
前のフロアー
アラビアンな雰囲気が素敵でした。 -
1階にお土産コーナーが
ありました。
アラビアンチックな品々が並んでいて
ここはパリだと忘れそうな雰囲気です。 -
かなり広い書店もあり
専門書のほか童話の絵本など
見ていて楽しくなる本もありました。
旅は始まったばかりで
重い土産は買えませんでした。 -
かなり広い書店もあり
専門書のほか童話の絵本など
見ていて楽しくなる本もありました。 -
「ノートルダム大聖堂」
2019年4月15日に起きた火災で尖塔が焼け落ちるなど
大きな被害が出ましたが、その後、修復作業が進んでいて
2024年末には再オープンの予定とのこと。
大聖堂の前に階段状の観覧席が設置されていて
多くの観光客とともにしばし、眺めながら往年の姿を
思い浮かべていました。
その後、修復工事等のパネル展示コーナーを見
工事のご苦労を偲びました。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
「サクレクール寺院」
サクレクール寺院からパリの街を見渡してきました。
パリの街の散策にお付き合いいただき
ありがとうございます。サクレクール寺院 寺院・教会
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この旅行記へのコメント (3)
-
- あの街からさん 2024/08/20 09:46:57
- パリは名画がいっぱい
- ことりsweetさん
ありがとうございます。
パリの街には、大小多くの美術館があり、その点でも魅力的
な街です。
確かに〈パリ=スリ〉のイメージはありますよね。
地下鉄空港線やオペラ座駅の構内では、昔から日本語で
「スリ注意」の放送が常時流れているなど、何年もあまり
有効的な対策は取られておらず、ある面自己責任に任せられ
ているのだろうなあ。と思ってしまいます。
やはり、何らかの防衛をして出かけた方が良さそうですが
基本的な注意を緩めずに歩くことにすれば、普通に観光は
楽しめるので、是非、機会をみて、あのパリの街の空気感を
味わって欲しいと思います。
あの街から
- あの街からさん からの返信 2024/08/20 09:48:44
- Re: パリは名画がいっぱい
- ことりsweetさん
コメントが前後逆に載ってしまいました。
ごめんなさい(⌒-⌒; )
-
- ことりsweetさん 2024/08/20 01:04:46
- 沢山の名画
- あの街からさん、
コートールド美術館のクチコミにイイネをありがとうございます。
あの街からさんの旅行記で
東京で出会えなかったこの美術館がここにあるのかと知り、
この6月にようやく行ってきました。
見たかった絵以外にその建物ごとすべてのまとまりが
全て素敵で上品で洒落ていて気に入りました。
あの街からさんの思いがこもった名画のホンモノがパリでは
沢山出会えるんですね~~巻
この絵も、この絵も、私が自分の持ってた百科事典のアート巻で
何度もみた名画。
東京で一か所ずつ訪れた美術館展で見た名画。
目と頭に刷り込まれているけど忘れていたもの、
そして新たに見せていただいた名画。
パリに行きたいけれど、ついスリ犯罪の多さで二の足踏んでます。
ちゃんと目指して行きたや、いつか。
楽しませていただきました。
ことりsweet
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