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新緑の景色を観たいと思い、色々と調べていると、只見町で周遊バスを運行すると言う記事を見つけた。奥会津は、交通の便が非常に悪い。これまでも、何度か訪れようとしたのだが、いつも断念していた。その周遊バスは、河井継之助記念館や田子倉ダムなど、訪れたいと思っていた場所を巡るので、これはと思い、急遽計画することにした。旅程は一泊二日とし、宿は柳津町とした。しかし、只見町では、大きく予定が変わることになった。<br /><br />(2024.06.6投稿)

新緑の奥会津をゆく

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2024/05/31 - 2024/06/01

2位(同エリア179件中)

旅行記グループ 【陸奥国】会津

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旅猫

旅猫さん

新緑の景色を観たいと思い、色々と調べていると、只見町で周遊バスを運行すると言う記事を見つけた。奥会津は、交通の便が非常に悪い。これまでも、何度か訪れようとしたのだが、いつも断念していた。その周遊バスは、河井継之助記念館や田子倉ダムなど、訪れたいと思っていた場所を巡るので、これはと思い、急遽計画することにした。旅程は一泊二日とし、宿は柳津町とした。しかし、只見町では、大きく予定が変わることになった。

(2024.06.6投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自転車 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 大宮駅を、8時51分発の『なすの253号』に乗車。平日の朝とあって、車内は用務客で混み合っていた。終着の郡山駅で降り、10時15分発の快速『あいづ1号』に乗り換え、会津若松駅へと向かう。

    大宮駅を、8時51分発の『なすの253号』に乗車。平日の朝とあって、車内は用務客で混み合っていた。終着の郡山駅で降り、10時15分発の快速『あいづ1号』に乗り換え、会津若松駅へと向かう。

  • 会津若松駅では、乗り換え時間がかなりあるので、とりあえず、お昼とする。入ったのは、お気に入りの『会津山塩食堂』。そして、『会津山塩ラーメン』を注文。とろとろの叉焼に、中太の縮れ麺がかなり美味しい。

    会津若松駅では、乗り換え時間がかなりあるので、とりあえず、お昼とする。入ったのは、お気に入りの『会津山塩食堂』。そして、『会津山塩ラーメン』を注文。とろとろの叉焼に、中太の縮れ麺がかなり美味しい。

    会津山塩食堂 グルメ・レストラン

  • そして、13時5分発の只見線の小出行で、今宵の宿がある会津柳津駅へと向かう。この日は、生憎の雨模様であったが、しばらくすると少し明るくなって来た。車窓は、田植えの季節である。

    そして、13時5分発の只見線の小出行で、今宵の宿がある会津柳津駅へと向かう。この日は、生憎の雨模様であったが、しばらくすると少し明るくなって来た。車窓は、田植えの季節である。

  • 30分ほどで着いた若宮駅からは、心癒される景色が広がっていた。

    30分ほどで着いた若宮駅からは、心癒される景色が広がっていた。

  • ちょうど一時間で、会津柳津駅に到着。金曜日なので、多くの学生さんがホームに降り立った。

    ちょうど一時間で、会津柳津駅に到着。金曜日なので、多くの学生さんがホームに降り立った。

  • その駅舎は、いつの間にか綺麗になっていた。以前の風情は失われてしまったが、建物自体は取り壊されなかったので良かった。建物の中は大きく変わり、赤べこ工房と喫茶となっていた。

    その駅舎は、いつの間にか綺麗になっていた。以前の風情は失われてしまったが、建物自体は取り壊されなかったので良かった。建物の中は大きく変わり、赤べこ工房と喫茶となっていた。

  • 駅から、町の中心へと歩いて行く。途中の家や名物の粟饅頭の店も建て替えられ、見違えるほど綺麗になっていた。それでも、まだ風情のある街並みが残っている。

    駅から、町の中心へと歩いて行く。途中の家や名物の粟饅頭の店も建て替えられ、見違えるほど綺麗になっていた。それでも、まだ風情のある街並みが残っている。

  • その先に、福満虚空蔵菩薩圓藏寺の山門が見えて来た。せっかくなので、参拝していくことにする。その山門の奥には、新緑に彩られた本堂が見えていた。

    その先に、福満虚空蔵菩薩圓藏寺の山門が見えて来た。せっかくなので、参拝していくことにする。その山門の奥には、新緑に彩られた本堂が見えていた。

  • 本堂からは、只見川が望める。この景色も、とても気に入っている。

    本堂からは、只見川が望める。この景色も、とても気に入っている。

  • お気に入りの版画家斎藤清の作品にも描かれた風情のある景色を愛でる。この辺りは、観光客の姿も無く、とても静かである。

    お気に入りの版画家斎藤清の作品にも描かれた風情のある景色を愛でる。この辺りは、観光客の姿も無く、とても静かである。

  • 表参道の石段を降り、振り返る。その石段の下には、小さな旅館がある。二度ほどお世話になった宿だが、今は一人旅を受け入れていないのが残念である。最近、一人で宿泊出来る宿が少なくなり、寂しい限りだ。

    表参道の石段を降り、振り返る。その石段の下には、小さな旅館がある。二度ほどお世話になった宿だが、今は一人旅を受け入れていないのが残念である。最近、一人で宿泊出来る宿が少なくなり、寂しい限りだ。

  • その宿の向いからは、只見川の美しい流れが望める。桜の季節も、雪に覆われた景色も美しいが、緑の季節も良い。

    その宿の向いからは、只見川の美しい流れが望める。桜の季節も、雪に覆われた景色も美しいが、緑の季節も良い。

  • さらに街の中心へと歩いて行く。以前、『小法師』を買い求めた土産物屋も健在である。

    さらに街の中心へと歩いて行く。以前、『小法師』を買い求めた土産物屋も健在である。

  • しかし、その先の地酒の試飲が楽しめたスーパーは無くなり、小奇麗な甘味処になっていた。ソースカツ丼をいただいた食事処は閉まっていたが、こちらはまだ健在のようである。

    しかし、その先の地酒の試飲が楽しめたスーパーは無くなり、小奇麗な甘味処になっていた。ソースカツ丼をいただいた食事処は閉まっていたが、こちらはまだ健在のようである。

  • 一王町に入った。ここは、かつて趣のある町屋が立ち並んでいた場所で、斎藤画伯の作品にも多く登場する街並みであった。今は新しい建物も増え、当時の風情は無くなってしまったが、それでも、微かに情緒を感じるのは、街の記憶であろう。

    一王町に入った。ここは、かつて趣のある町屋が立ち並んでいた場所で、斎藤画伯の作品にも多く登場する街並みであった。今は新しい建物も増え、当時の風情は無くなってしまったが、それでも、微かに情緒を感じるのは、街の記憶であろう。

  • さらに進むと、阿久津地区となる。一王町と比べると、かなり長閑な風情を感じる。趣のある民家が並び、なかなか良い雰囲気である。

    さらに進むと、阿久津地区となる。一王町と比べると、かなり長閑な風情を感じる。趣のある民家が並び、なかなか良い雰囲気である。

  • 主屋と蔵と畑があるのは、よく見られる光景だが、主屋の前側に蔵と畑があるのは珍しいような気がする。

    主屋と蔵と畑があるのは、よく見られる光景だが、主屋の前側に蔵と畑があるのは珍しいような気がする。

  • のんびり散策しながら歩いて来たので、目指す斎藤清美術館には、40分も掛かった。この日は、『パリめぐり』と言う企画展が開催され、パリを訪れた際に描かれた作品などが展示されていた。とても洒落た感じの作品が多く、『会津の冬』などとは違う、新鮮な魅力を感じた。

    のんびり散策しながら歩いて来たので、目指す斎藤清美術館には、40分も掛かった。この日は、『パリめぐり』と言う企画展が開催され、パリを訪れた際に描かれた作品などが展示されていた。とても洒落た感じの作品が多く、『会津の冬』などとは違う、新鮮な魅力を感じた。

    やないづ町立斎藤清美術館 美術館・博物館

  • 美術館を堪能した後、宿へと向かう。今宵の宿である『つきみが丘町民センター』は、町内の高台にある。そこへと至る坂を登ると、途中に白い建物が見えて来る。斎藤画伯が、晩年の10年間を過ごした自宅を記念館とした『斎藤清アトリエ館』である。以前拝見したことがある。

    美術館を堪能した後、宿へと向かう。今宵の宿である『つきみが丘町民センター』は、町内の高台にある。そこへと至る坂を登ると、途中に白い建物が見えて来る。斎藤画伯が、晩年の10年間を過ごした自宅を記念館とした『斎藤清アトリエ館』である。以前拝見したことがある。

    斎藤清アトリエ館 美術館・博物館

  • 高台に立つ宿は、かなり古めかしい。部屋も狭く、6畳だが江戸間のようである。洗面所などは共同と、一昔前の宿であった。以前、立ち寄り湯をしたことがあるのだが、相変わらず、かなり熱い湯であった。

    高台に立つ宿は、かなり古めかしい。部屋も狭く、6畳だが江戸間のようである。洗面所などは共同と、一昔前の宿であった。以前、立ち寄り湯をしたことがあるのだが、相変わらず、かなり熱い湯であった。

    柳津温泉 つきみが丘町民センター 宿・ホテル

    安さが魅力の宿 by 旅猫さん
  • 夕食の時間となり、食堂へと向かう。食事は少なめとしたのだが、何と、通常の料理から、肉や魚を無くしただけである。

    夕食の時間となり、食堂へと向かう。食事は少なめとしたのだが、何と、通常の料理から、肉や魚を無くしただけである。

  • 食事のお供には、喜多方の蔵元が醸す『なじょすんべ無濾過純米酒』をいただく。『なじょすんべ』とは、会津の方言で『どうしよう』の意味である。これが呑み口も良く、とても美味しい酒であった。

    食事のお供には、喜多方の蔵元が醸す『なじょすんべ無濾過純米酒』をいただく。『なじょすんべ』とは、会津の方言で『どうしよう』の意味である。これが呑み口も良く、とても美味しい酒であった。

  • 翌朝、昨日の雨が嘘のように良い天気となった。只見へと向かう列車が早朝にしかないため、6時半に宿を出て、駅へと向かう。途中の橋からは、鏡のような川面に青空が映り込み、とても美しい景色が広がっていた。

    翌朝、昨日の雨が嘘のように良い天気となった。只見へと向かう列車が早朝にしかないため、6時半に宿を出て、駅へと向かう。途中の橋からは、鏡のような川面に青空が映り込み、とても美しい景色が広がっていた。

  • そして、ご当地マンホールも見つけた。柳津町のもので、町の花である『桐』と町の鳥である『鶯』、町の木である『柳』が描かれている。

    そして、ご当地マンホールも見つけた。柳津町のもので、町の花である『桐』と町の鳥である『鶯』、町の木である『柳』が描かれている。

  • 駅へ着くと、早朝だと言うのに、そこそこ人がいる。そして、7時4分発の小出行がやってきた。会津若松を6時過ぎに出た列車だが、車内はかなり混み合っている。まあ、この列車の後、只見へと向かう列車は7時間も無いので、仕方が無いと言ったところだ。

    駅へ着くと、早朝だと言うのに、そこそこ人がいる。そして、7時4分発の小出行がやってきた。会津若松を6時過ぎに出た列車だが、車内はかなり混み合っている。まあ、この列車の後、只見へと向かう列車は7時間も無いので、仕方が無いと言ったところだ。

  • 列車は、蛇行する只見川を橋で渡りつつ、奥会津へと分け入って行く。

    列車は、蛇行する只見川を橋で渡りつつ、奥会津へと分け入って行く。

  • 30分ほどで会津宮下駅に着いた。只見線は単線だが、極端に本数が少ないため、列車の行き違いは滅多にない。

    30分ほどで会津宮下駅に着いた。只見線は単線だが、極端に本数が少ないため、列車の行き違いは滅多にない。

  • 懐かしい早戸駅に着いた。この駅からの只見川の眺めは、個人的には只見線随一と思っている。

    懐かしい早戸駅に着いた。この駅からの只見川の眺めは、個人的には只見線随一と思っている。

  • 越後川口駅が近付いてくると、右手車窓に、風情のある民家が立ち並ぶ集落が見えて来る。大志集落である。一度歩いてみたいと思っている場所であるが、何しろ交通が不便なので、未だに実現していない。

    越後川口駅が近付いてくると、右手車窓に、風情のある民家が立ち並ぶ集落が見えて来る。大志集落である。一度歩いてみたいと思っている場所であるが、何しろ交通が不便なので、未だに実現していない。

  • その大志集落を過ぎて少し走ると、只見川越しに集落が見える場所を通る。その光景は、何とも言えず美しいのだ。

    その大志集落を過ぎて少し走ると、只見川越しに集落が見える場所を通る。その光景は、何とも言えず美しいのだ。

  • 緑に抱かれ、水辺に佇む大志集落。次に奥会津を訪れる時には、必ず訪れようと心に誓った。

    緑に抱かれ、水辺に佇む大志集落。次に奥会津を訪れる時には、必ず訪れようと心に誓った。

  • そして、会津川口駅に到着。ここで、再び行き違いとなるため、しばらく停車する。この駅も只見川の畔にあり、とても気持ちの良い場所である。

    そして、会津川口駅に到着。ここで、再び行き違いとなるため、しばらく停車する。この駅も只見川の畔にあり、とても気持ちの良い場所である。

  • 会津柳津駅から2時間余りで、只見駅に着いた。そこは、会津の西の外れで、奥会津と呼ばれる地域である。隣は越後の魚沼であるが、かつては、八十里越と呼ばれる難所であった。実際には八里ほどなのだが、一里が十里にも感じられるほどの難所であったそうだ。

    会津柳津駅から2時間余りで、只見駅に着いた。そこは、会津の西の外れで、奥会津と呼ばれる地域である。隣は越後の魚沼であるが、かつては、八十里越と呼ばれる難所であった。実際には八里ほどなのだが、一里が十里にも感じられるほどの難所であったそうだ。

  • 予定では、観光周遊バス『自然首都・只見号』で巡ることにしていたのだが、駅前の観光案内所に貸自転車があったので、つい借りてしまった。もちろん、電動アシストである。駅前を出て、まずは『河井継之助記念館』へと向かうことにする。しばらく走ると、長閑な風景が見えて来た。奥には、特異な姿をした蒲生岳が見えている。

    予定では、観光周遊バス『自然首都・只見号』で巡ることにしていたのだが、駅前の観光案内所に貸自転車があったので、つい借りてしまった。もちろん、電動アシストである。駅前を出て、まずは『河井継之助記念館』へと向かうことにする。しばらく走ると、長閑な風景が見えて来た。奥には、特異な姿をした蒲生岳が見えている。

  • その先の叶津地区には、旧叶津村の名主を務めた長谷部家の住宅が残されていた。厩を備えた曲がり屋である。八十里越の番所としても使われ、役人が詰めた座敷や上段の間などもあり、見応えがあった。

    その先の叶津地区には、旧叶津村の名主を務めた長谷部家の住宅が残されていた。厩を備えた曲がり屋である。八十里越の番所としても使われ、役人が詰めた座敷や上段の間などもあり、見応えがあった。

    旧長谷部家住宅(叶津番所) 名所・史跡

  • そのすぐ近くには、国の重要文化財に指定されている『旧五十嵐家住宅』もあった。享保3年(1718)に建てられた本百姓の住居で、福島県内最古の古民家だそうだ。

    そのすぐ近くには、国の重要文化財に指定されている『旧五十嵐家住宅』もあった。享保3年(1718)に建てられた本百姓の住居で、福島県内最古の古民家だそうだ。

    旧五十嵐家 名所・史跡

  • 集落を出ると、すぐに只見線の叶津川橋梁を潜る。風情のある鉄橋で、奥には浅草岳も見えていた。

    集落を出ると、すぐに只見線の叶津川橋梁を潜る。風情のある鉄橋で、奥には浅草岳も見えていた。

  • しばらく走ると、蒲生地区に入った。正面には、象徴である蒲生岳が聳えている。人気の山らしいが、登るのは手強そうである。

    しばらく走ると、蒲生地区に入った。正面には、象徴である蒲生岳が聳えている。人気の山らしいが、登るのは手強そうである。

  • 会津蒲生駅に立ち寄ってみると、絵になる踏切があった。未舗装の道が続き、つい誘い込まれそうである。その先には、上原清水と言う湧水があった。飲んでみたが、とても柔らかい水で美味しかった。

    会津蒲生駅に立ち寄ってみると、絵になる踏切があった。未舗装の道が続き、つい誘い込まれそうである。その先には、上原清水と言う湧水があった。飲んでみたが、とても柔らかい水で美味しかった。

  • 踏切からの眺めも気持ちが良い。緑の中を続く線路に旅情を感じる。

    踏切からの眺めも気持ちが良い。緑の中を続く線路に旅情を感じる。

  • 会津塩川駅の手前で渡った寄岩橋からは、只見川に寄り添うように架かる第八只見川橋梁が見えた。蒲生岳の姿も綺麗で、なかなかの景色である。

    会津塩川駅の手前で渡った寄岩橋からは、只見川に寄り添うように架かる第八只見川橋梁が見えた。蒲生岳の姿も綺麗で、なかなかの景色である。

  • 会津塩川駅を過ぎると、橋の袂に小さな田圃を見つけた。今まで観た田圃の中で、一番小さなものだ。山間では、僅かな土地で作物を栽培しなければならなかった。その小さな田圃からは、かつての厳しい生活を強く感じさせられた。今でも大切にしているところに感銘を受ける。

    会津塩川駅を過ぎると、橋の袂に小さな田圃を見つけた。今まで観た田圃の中で、一番小さなものだ。山間では、僅かな土地で作物を栽培しなければならなかった。その小さな田圃からは、かつての厳しい生活を強く感じさせられた。今でも大切にしているところに感銘を受ける。

  • 1時間15分ほどで、『河井継之助記念館』に辿り着いた。河井継之助と言えば、長岡藩の家臣として、数々の改革を推し進めた人物として名が知れる。しかし、北越戦争で善戦したものの負傷し、会津へ逃れる途中、ここ塩川で死去している。記念館には、彼が亡くなった部屋が移築保存されている。北越戦争の資料なども展示され、興味深いものがあった。

    1時間15分ほどで、『河井継之助記念館』に辿り着いた。河井継之助と言えば、長岡藩の家臣として、数々の改革を推し進めた人物として名が知れる。しかし、北越戦争で善戦したものの負傷し、会津へ逃れる途中、ここ塩川で死去している。記念館には、彼が亡くなった部屋が移築保存されている。北越戦争の資料なども展示され、興味深いものがあった。

    河井継之助記念館 美術館・博物館

    司馬遼太郎も訪れた場所 by 旅猫さん
  • ここには、『峠』を執筆後に司馬遼太郎も訪れ、只見川の景色を眺めたそうである。その場所には、標柱も立てられていた。

    ここには、『峠』を執筆後に司馬遼太郎も訪れ、只見川の景色を眺めたそうである。その場所には、標柱も立てられていた。

  • 記念館を見学した後、墓を参拝することにした。その途中の景色も、なかなか美しかった。

    記念館を見学した後、墓を参拝することにした。その途中の景色も、なかなか美しかった。

  • 河井継之助の墓は、医王寺と言う寺の境内にあった。その墓は、思いの外小さく、少々寂しい感じである。この地で荼毘に付され、遺骨は会津と長岡に埋葬されたそうで、残された細かな骨片を村人たちが集めて埋葬したものだそうだ。理不尽な新政府のせいで、不幸な運命を辿った彼に、合掌せずにはいられない。

    河井継之助の墓は、医王寺と言う寺の境内にあった。その墓は、思いの外小さく、少々寂しい感じである。この地で荼毘に付され、遺骨は会津と長岡に埋葬されたそうで、残された細かな骨片を村人たちが集めて埋葬したものだそうだ。理不尽な新政府のせいで、不幸な運命を辿った彼に、合掌せずにはいられない。

  • 医王寺から戻る途中、ウッドデッキのある喫茶を見かけた。気持ち良さそうなので、そこで休憩することにする。アイスコーヒーとチーズケーキをいただき、只見川の景色を眺めながらしばらく寛いだ。

    医王寺から戻る途中、ウッドデッキのある喫茶を見かけた。気持ち良さそうなので、そこで休憩することにする。アイスコーヒーとチーズケーキをいただき、只見川の景色を眺めながらしばらく寛いだ。

  • 休憩後、再び自転車を漕ぎ、只見駅の方へと戻る。途中には、長閑な景色が広がっている。遠くには、名峰浅草岳の優雅な姿が見えていた。

    休憩後、再び自転車を漕ぎ、只見駅の方へと戻る。途中には、長閑な景色が広がっている。遠くには、名峰浅草岳の優雅な姿が見えていた。

  • 只見の街中を通り抜け、次に向かったのは田子倉ダムである。手前にある只見ダムからは、彼方に田子倉ダムの大きな堰堤が望めた。

    只見の街中を通り抜け、次に向かったのは田子倉ダムである。手前にある只見ダムからは、彼方に田子倉ダムの大きな堰堤が望めた。

    只見ダム 自然・景勝地

  • 只見ダムの脇を走り抜け、田子倉ダムの下に着く。そこからは、巨大な堰堤の上まで、延々と続く巻き道を登って行く。電動アシストなので多少は楽であるが、かなり厳しい道のりである。それでも、途中からは素晴らしい景色が望めた。

    只見ダムの脇を走り抜け、田子倉ダムの下に着く。そこからは、巨大な堰堤の上まで、延々と続く巻き道を登って行く。電動アシストなので多少は楽であるが、かなり厳しい道のりである。それでも、途中からは素晴らしい景色が望めた。

  • 20分ほどの登りで、ようやく堰堤上に辿り着いた。堰堤上から眺めると、改めてその高さに驚く。正直、自転車で来る場所ではない。

    20分ほどの登りで、ようやく堰堤上に辿り着いた。堰堤上から眺めると、改めてその高さに驚く。正直、自転車で来る場所ではない。

    田子倉ダム 名所・史跡

  • 反対側には、ダム湖が広がっている。田子倉湖である。その湖底には、田子倉集落が沈んでいる。今は美しい湖の景色だが、先祖代々の土地を奪われた多くの住民たちがいたことも忘れてはならない。

    反対側には、ダム湖が広がっている。田子倉湖である。その湖底には、田子倉集落が沈んでいる。今は美しい湖の景色だが、先祖代々の土地を奪われた多くの住民たちがいたことも忘れてはならない。

    田子倉湖 自然・景勝地

  • 田子倉ダムを後に、只見の街へと戻る。その途中に曲がり家があり、黄色い暖簾が掛かっているのが目に留まった。引き返して訪ねてみると、食事処のようである。ちょうど昼時でもあったので、どうしようかと迷っていると、後ろから声を掛けられ驚いた。その店の料理人の方で、どうぞと言われたので入ることにした。

    田子倉ダムを後に、只見の街へと戻る。その途中に曲がり家があり、黄色い暖簾が掛かっているのが目に留まった。引き返して訪ねてみると、食事処のようである。ちょうど昼時でもあったので、どうしようかと迷っていると、後ろから声を掛けられ驚いた。その店の料理人の方で、どうぞと言われたので入ることにした。

  • 中へ入ると、古民家の一部が店となっている。料理は四種類しかない。その中から、『黒毛和牛ほほ肉の赤ワイン煮込み』を注文。肉はとても柔らかく、味も良かった。付け合わせが天婦羅であったのが面白い。食後、店の方としばらくおしゃべりを楽しんだ。

    中へ入ると、古民家の一部が店となっている。料理は四種類しかない。その中から、『黒毛和牛ほほ肉の赤ワイン煮込み』を注文。肉はとても柔らかく、味も良かった。付け合わせが天婦羅であったのが面白い。食後、店の方としばらくおしゃべりを楽しんだ。

  • 店を辞し、只見ダムの畔にあった電源開発の『只見展示館』に立ち寄ったが、大した施設ではなかった。市街地へ入ると、すぐに只見町のマンホールを見つけた。町の魚『岩魚]と町の花『辛夷』、町の鳥『鶯』を配し、『只』を意匠化した紋章が描かれていた。

    店を辞し、只見ダムの畔にあった電源開発の『只見展示館』に立ち寄ったが、大した施設ではなかった。市街地へ入ると、すぐに只見町のマンホールを見つけた。町の魚『岩魚]と町の花『辛夷』、町の鳥『鶯』を配し、『只』を意匠化した紋章が描かれていた。

  • 次に立ち寄ったのは、『ただみ・ブナと川のミュージアム』である。館内には、只見の自然に関する展示があり、なかなか見応えがあった。

    次に立ち寄ったのは、『ただみ・ブナと川のミュージアム』である。館内には、只見の自然に関する展示があり、なかなか見応えがあった。

    ただみ ブナと川のミュージアム 美術館・博物館

    只見の自然を知ることが出来る施設 by 旅猫さん
  • 只見の街には、北越戦争に関する史跡が八つある。時間があったので、それらを巡ってみた。河井継之助が逗留した場所や、会津に逃れた長岡藩主牧野忠訓が宿舎とした名主宅跡などがあった。長岡城落城後、多くの藩士が只見へ逃れて来たそうである。時の代官丹羽族(にわやから)が食糧確保のために奔走したが万策尽き、代官所で自刃したそうである。その代官所跡は、民家となっていた。

    只見の街には、北越戦争に関する史跡が八つある。時間があったので、それらを巡ってみた。河井継之助が逗留した場所や、会津に逃れた長岡藩主牧野忠訓が宿舎とした名主宅跡などがあった。長岡城落城後、多くの藩士が只見へ逃れて来たそうである。時の代官丹羽族(にわやから)が食糧確保のために奔走したが万策尽き、代官所で自刃したそうである。その代官所跡は、民家となっていた。

  • 史跡巡りをした跡、駅近くにある『ふるさと田子倉館』を拝観。田子倉ダムに沈んだ田子倉集落に関する資料を展示する資料館である。高度経済成長期、電力確保のため、多くの集落がダムに沈んだ歴史がある。苦悩した住民たちの姿を記録した資料は、一見の価値がある。

    史跡巡りをした跡、駅近くにある『ふるさと田子倉館』を拝観。田子倉ダムに沈んだ田子倉集落に関する資料を展示する資料館である。高度経済成長期、電力確保のため、多くの集落がダムに沈んだ歴史がある。苦悩した住民たちの姿を記録した資料は、一見の価値がある。

    ふるさと館 田子倉 美術館・博物館

    田子倉ダムと田子倉集落に関する資料館 by 旅猫さん
  • 列車の時間まで一時間以上あるので、何かないかと探してみると、町外れに銭湯を見つけた。田子倉ダムに登ったりと、少々汗をかいたので、ひと風呂浴びて、さっぱりすることにする。その銭湯『ひとっぷろまち湯』の内装は、草臥れ切った外観からは想像もつかないほど洒落ていた。

    列車の時間まで一時間以上あるので、何かないかと探してみると、町外れに銭湯を見つけた。田子倉ダムに登ったりと、少々汗をかいたので、ひと風呂浴びて、さっぱりすることにする。その銭湯『ひとっぷろまち湯』の内装は、草臥れ切った外観からは想像もつかないほど洒落ていた。

    只見保養センター ひとっぷろまち湯 温泉

  • さっぱりして寛いでいると、小冊子が目に付いた。そこには、三石神社が掲載されていた。そして、三石神社への参拝をすっかり忘れていたことに気付き、急いで向かうことにした。駅を通り越し、踏切を渡ると瀧神社の前に出た。そこを左手に進み少し走ると、三石神社の鳥居が見えて来た。

    さっぱりして寛いでいると、小冊子が目に付いた。そこには、三石神社が掲載されていた。そして、三石神社への参拝をすっかり忘れていたことに気付き、急いで向かうことにした。駅を通り越し、踏切を渡ると瀧神社の前に出た。そこを左手に進み少し走ると、三石神社の鳥居が見えて来た。

    三石神社 寺・神社・教会

  • 自転車を置き、鳥居を潜って先へ進むと、鬱蒼とした森の中に、細い山道が続いている。そこを登って行くと、途中にヒメサユリが咲いていた。

    自転車を置き、鳥居を潜って先へ進むと、鬱蒼とした森の中に、細い山道が続いている。そこを登って行くと、途中にヒメサユリが咲いていた。

  • そして、一の岩、泪岩の先に、大きな岩が現れた。縁結びの岩と呼ばれ、他の二つの岩と共に磐座とされることから、三石神社と言うそうだ。社殿は無く、岩そのものが御神体である。岩には穴が開いていて、そこに糸を通した5円玉を吊るすことが出来れば、良縁に恵まれるそうである。

    そして、一の岩、泪岩の先に、大きな岩が現れた。縁結びの岩と呼ばれ、他の二つの岩と共に磐座とされることから、三石神社と言うそうだ。社殿は無く、岩そのものが御神体である。岩には穴が開いていて、そこに糸を通した5円玉を吊るすことが出来れば、良縁に恵まれるそうである。

  • 駅へ戻ると、16時を過ぎたところであった。9時過ぎから自転車を借りていたので、7時間も経っていた。自転車を返し、16時31分発の小出行列車に乗車。列車は会津と越後の国境を越えて行く。一駅だけだが、30分ほども掛かり、越後側の最初の駅、大白川駅に着いた。そして、終点の小出駅には、17時47分に到着した。

    駅へ戻ると、16時を過ぎたところであった。9時過ぎから自転車を借りていたので、7時間も経っていた。自転車を返し、16時31分発の小出行列車に乗車。列車は会津と越後の国境を越えて行く。一駅だけだが、30分ほども掛かり、越後側の最初の駅、大白川駅に着いた。そして、終点の小出駅には、17時47分に到着した。

  • 小出駅では45分ほど待ち、18時31分発の上越線に乗り、浦佐駅へと向かう。そして、浦佐駅で18時53分発の『とき338号』に乗り換え、今回の旅を終えた。観光周遊バスの運行を知って急遽計画した只見への旅であったが、結局バスには乗らず、貸自転車で巡ってしまった。おかげで、初夏の気持ち良い風に吹かれながらの旅となり、とても爽快であった。

    小出駅では45分ほど待ち、18時31分発の上越線に乗り、浦佐駅へと向かう。そして、浦佐駅で18時53分発の『とき338号』に乗り換え、今回の旅を終えた。観光周遊バスの運行を知って急遽計画した只見への旅であったが、結局バスには乗らず、貸自転車で巡ってしまった。おかげで、初夏の気持ち良い風に吹かれながらの旅となり、とても爽快であった。

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この旅行記へのコメント (14)

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  • Q太郎さん 2024/07/16 17:03:08
    旅猫さん こんにちは Q太郎です
    旅猫さん こんにちは Q太郎です

    三石神社!イイデスネエ!!
    恥ずかしながらまったく知りませんデシタ!
    社殿のない神社ってなんか日本人の自然信仰の
    伝承の姿のようで、キュンときます。
    旅猫さんの趣には共通感をとても感じます!

    大志集落のシャッターチャンスもバッチリで
    とてもウツクシイですね!
    実はQ太郎、会津までは何度も足を運んでいる
    のですが、奥会津は前沢集落までで、桧枝岐で
    さえまだ訪れたことがないので、旅猫さんの
    旅行記は大変参考になりました!
    是非参ります!!

    Q太郎の旅行記にもご来訪ありがとうござい
    ました!今後ともよろしくお願いします!

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/07/18 08:52:22
    RE: 旅猫さん こんにちは Q太郎です
    Q太郎さん こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    三石神社、なかなかの雰囲気でした。
    古来の日本人の信仰形態をそのまま残したような感じです。
    名前の通り、三つの大岩がご神体となっています。

    大志集落は、歩いてみたい集落ですが、外から見るのもいいですよね。
    あの川越しの集落は、やはり一見の価値がありますね。
    次回は、車窓からではなく、しっかり川のほとりから望みたいです。

    会津は私も好きで、何度も訪れています。
    桧枝岐も訪れたことがあります。
    とは言え、尾瀬へ向かう往きと帰りに立ち寄っただけですが。

    こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
    旅猫
  • 横浜臨海公園さん 2024/06/08 09:16:20
    42年前の奥会津
    旅猫さま、おはようございます。

    小生、初めて奥会津地方を訪れたのは今から42年前の昭和57年(1982年)で、旅猫さまの旅行記に投稿された写真の建物など修復されているとは申せ、全く変わっていないことに驚きを隠せません。
    当時の只見線には季節運転ながら、キハ58型2両で本州最後の非冷房急行奥只見号が運転されており、会津若松乗車時は地元の方々しか乗っておらず、会津柳津からは小生を含め乗客は2人だけで終点浦佐まで乗った記憶が残っております。
    再訪してみたいものです。


    横浜臨海公園

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/08 14:31:18
    RE: 42年前の奥会津
    横浜臨海公園さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    42年前ですか!
    私は、まだ子供でした。
    その頃は、もっと風情のある街並みが残っていたことでしょう。
    それでも、当時と変わらず残っている建物があるとは嬉しい限りです。

    家族旅行で使っていた時刻表が、今でも家に残っています。
    それを見ると、『奥只見』が載っていました。
    他にも、『いなわしろ』が只見まで運転されていたようですね。
    その当時に、只見線を旅してみたかったです。

    今は人気があるらしく、通しで乗る観光客などでほぼ満席です。
    途中で行き違った列車は、観光バスのツアーに組み込まれ、通勤列車並みの混雑でした。
    大白川駅で降り、観光バスに乗り換えていました。

    旅猫

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2024/06/11 10:09:27
    急行いなわしろ号
    旅猫さま、こんにちは。


    急行いなわしろ号は会津若松で磐越西線経由新潟-仙台間運転の急行あがの号に連結され県庁所在地福島まで運転された列車で、北海道九州の一部急行列車を除き、本州で西会津-只見間では唯一のキハ52型1両で運転されており、小生、只見線では乗車した事はございませんでしたが、併結運転区間で何回かお世話になった事がございました。
    昭和50年(1975年)以降、一般形気動車は漸次首都圏色と称する中央線オレンジ色に塗り替えられていた時代に、当該列車運用キハ52型のみ、急行運転運用を理由に最後まで一般色に塗装され、福島駅構内などでは異彩を放っておりました。
    今では全てが夢となってしまいました。



    横浜臨海公園

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/11 17:29:58
    RE: 急行いなわしろ号
    横浜臨海公園さん、こんにちは。

    詳しく教えていただき、ありがとうございます。
    今は新幹線ばかりで、旅情のある列車が無くなりましたね。
    寂しい限りです。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2024/06/07 14:39:54
    小さな田んぼ
    旅猫さん こんにちは。

    山深い所には必ずと言っていいほど日本の原風景を残す
    風情ある町が存在しますが、観光地化されて
    お土産屋さんばかりで住人が住まなくなった、作られた古い町並みも
    多くなりました。

    そういった、インバウンドが多く集まる町ではない
    生きた町並が只見には残っていそうですね。
    交通が不便な事が幸いしているのかも知れません。
    小さな田んぼにも、田植えをされているのを見ると
    『ご先祖様から引き継いだ土地』として大切にされているのをしみじみ感じます。
    あの大きさなら、たった半日で壊せてしまえそうなのに
    ほんのわずかな稲しか育たないのに、狭い土地に暮らす日本らしい
    美しい景色です。
    子供の頃、よく祖父母に「一粒のお米でも粗末に扱ったらバチがあたる」と
    言われた事を思い出しました(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/08 14:16:15
    RE: 小さな田んぼ
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    奥会津は、山深く、僅かな平地に集落が点在しています。
    交通が不便なため、整備された大きな観光施設などは無く、素朴な景色が広がっています。
    そのような場所が好きな人には、とても寛げるところだと思います。

    お洒落な店や観光施設が無いと人が集まらない時代ですが、何もないからこそ、かえって日本らしい景色が広がり、とてもホッとします。
    外国人観光客もほとんどいませんので、とても静かですし。

    あの小さな田圃は、音階の旅でも印象に残った景色です。
    山深く、平地が少ない土地なので、僅かな土地に田んぼや畑があり、まさに代々受け継がれた田畑と言った感じです。
    今の飽食の時代でも、大切にしているところが土地柄だなと思います。

    今回、只見でも色々と巡りましたが、観光客が多くいたのは田子倉ダムだけでした。
    あとは、ほぼ私だけでした。。。
    河井継之助も、歴史好き以外には知られていませんし。
    地味過ぎて、観光地とはなりませんね。

    旅猫
  • あるき虫さん 2024/06/07 10:34:28
    日本の原風景。。
    旅猫さん、こんにちは。

    只見線に乗っての奥会津の旅、時空をタイムスリップでもしたような、いつの時代の日本に来てしまったのか…といった感じの風情ですね。会津地方はまだ茅葺き古民家とか、曲家とかが多く残っていて、私も訪ねたいなと思いながらも、なかなか足を運べずにおります。

    段丘の小さな田んぼは、なかなか乙なスポットですね。気をつけていないと見逃してしまいそうな、でもそんな風景を見つけたときに、旅の収穫といいますか、達成感みたいなものを感じます。観光地も良いですが、誰もスポットを当てないような何気ない物件に出会うのも、楽しいものですね。

    只見線はまだ未乗区間なので、いつか現地入りをしたい所ですが、なかなかハードルが高そうです。ただ、何時なんどき自然災害などで不通になってしまうかも分からないので、何とか機会を作って、訪ねてみたいと思いました。。

    あるき虫

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/08 13:50:46
    RE: 日本の原風景。。
    あるき虫さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    会津地方が好きなので、只見線も結構乗っています。
    最近は、人気なのか通しで乗る人で混んでいます。
    それでも、沿線の街は鄙びていて、昭和のままと言った感じです。
    何せ、交通が不便な上、多くの人が訪れる様な観光施設が無いので、ある意味静かで良い場所です。

    あの小さな田圃は、今回の旅でも印象に残るものでした。
    自転車だったので、見つけられたのだと思います。
    多くの人を魅了するような景色も良いですが、こんな景色が好きですね。

    只見線は何度か乗りましたが、とても不便なので、途中の駅で観光するのはなかなか難しいかと思いますが、おすすめです。
    私も、いつ廃線になるかわからないので、行ける時に訪れようと思います。

    旅猫
  • チャムンパスさん 2024/06/07 00:10:23
    なかなか行きづらい場所ですが…
    旅猫さん、こんにちは。

    私も昨年の同じ時期に旅猫さんとは逆のルートで只見線に乗車して旅をしましたが、晩春から初夏にかけての奥会津はいいですね、

    四季折々の風景が絵になる場所ですが、新緑鮮やかなこの時期もまた捨てがたいです。

    ここを旅した当時の私は、前年の2022年10月に2011年の豪雨災害から全線復旧を果たして間もない只見線に乗れることへの喜びと、車窓から見る風景に心奪われていただけでした。

    でも沿線の只見町は幕末の北越戦争の主人公、河井継之助終焉の地でもあったのですね…

    一つ教えて頂き、ありがとうございました。

    これからもいい旅を続けてください。

                チャムンパス

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/08 13:39:38
    RE: なかなか行きづらい場所ですが…
    チャムンパスさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    チャムンパスさんも只見線で旅をされたのですね。
    高い山に雪が残り、新緑が綺麗な季節はとても美しいですよね。
    冬の景色も好きですが。

    今回、会津柳津と只見で下車しましたが、二日間で下車観光をする人はほとんどいませんでした。
    会津若松から小出まで、またはその逆で乗り通す人が圧倒的に多いですね。
    個人的には、降りてみたい場所がいくつもあるので、毎回どこかで降りています。

    今回初めて只見で降りましたが、河井継之助の終焉の地など、北越戦争所縁の史跡がいくつかありました。

    旅猫
  • hot chocolateさん 2024/06/06 23:26:00
    奥会津の旅
    旅猫さま

    こんばんは。
    ご無沙汰しているうちに、未読の旅行記が溜まっていて・・・
    ゆっくりと読ませていただきますね。
    まずは、新緑の奥会津の旅行記を拝見。

    会津のラーメンといえば山塩ラーメン。
    この透明感で、味はあるのか、と思うほどの透明さですよね。
    でも、お味はしっかりと美味しい。

    只見といえば交通の不便な秘境のイメージです。
    流石に人があまり行かないところだけあって、山並み、湖、
    全てに清涼感を感じます。
    河井継之助ゆかりの地というのは知りませんでした。
    清々しい空気と、美しい山並み、良い旅でしたね。

    hot choco


    旅猫

    旅猫さん からの返信 2024/06/08 13:32:09
    RE: 奥会津の旅
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    会津と言えば、山塩が有名ですよね。
    山塩食堂のラーメンは、スープがとても澄んでいて、とても綺麗です。
    でも、中太の縮れ麺にスープがよく絡むので、味はしっかりと感じますね。

    奥会津地方は、鉄道もバスもほとんど無いので、車が無いとかなり不便です。
    只見線も、昼間は7時間も列車がありません。
    途中下車して観光するのは、ほぼ無理です。

    観光地化されていないため、外国人の姿も稀で、とても静かです。
    そして、新緑の頃は、とても爽やかで美しい。

    越後と会津を結ぶ街道が通っていたため、北越戦争の際に、多くの人が会津に逃れようと峠を越えてきました。
    その中に、かの河井継之助もいましたが、途中で力尽き、亡くなっています。

    旅猫

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