2024/04/14 - 2024/04/14
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たびたびさん
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先般の「神戸・ミナミから奈良の旅(五日間)」で、以前から気になっていたことをいくつか寄せ詰めたらこうなったという旅をしましたが、すっきりしたようなしないような。それなりにすっきりした部分はあるのですが、つまり、そういうもやもやしているテーマがいくつも残っていて、そういうのをつぶさないと新たなステップに進めない。たぶん、今はまだそんな状態なんだろうなと気が付きました。ちょっとバラバラなテーマでも強引に組み合わせて、そういう状態を少しでも解消しなければ。。ということで、今回の旅は”以前から気になっていたことをいくつか寄せ詰めたらこうなったという旅”の第二段。京都の奇祭「やすらい祭」、近江六角氏の居城だった「観音寺城」、観心寺の「如意輪観音」に葛井寺の「千手観音」、叡福寺の「聖徳太子御廟」と「推古天皇陵」は、いずれもちょっとハードルが高くて、ずっともやもやが続いていたもの。調べるとなんとかうまい具合に五日間の日程で収まることが分かってきて、それならと一気に解消することを決断した次第です。それに仏像巡りもちょうど埋め合わせがしたかったところでしたからね。
さて、一日目は、京都の奇祭「やすらい祭」。起源は平安時代中期。桜の散る頃、疫病を鎮めるために行われるお祭りで、「鞍馬の火祭」「太秦の牛祭」と並ぶ京都三奇祭のひとつ。ただ、「太秦の牛祭」はもう半分途絶えたような状態なので、京都三奇祭のひとつと言ってもなんか微妙なんですけどね。
まあまあ、それはそれとして。今宮神社の本殿横に陣取って、かぶりつき。最初から最後までじっくりと拝見しました。今宮神社のやすらい祭りには上野やすらいと川上やすらいの二つのチームがあるのですが、どちらも主役は赤い衣装に赤毛や黒毛の赤熊(しゃぐま)をつけた鬼たち。鉦や太鼓を打ち鳴らし、ざんばら髪を振り乱して踊ります。主役の鬼たちのほか、練り衆と呼ばれる祭の行列には、旗、榊台、唐櫃、鉾、御幣などに続いて、最後は桜や椿で飾った赤い大きな花傘や囃子方である青い衣装の横笛の奏者の集団。華やかは華やかなのですが、華やかな中にも一種独特の怪しげな雰囲気があって、その辺りが奇祭と言われる所以なのかなとも思います。また、規模は割とこじんまり。京都でもローカルなお祭りの部類だと思います。けっこう渋い祭りでしたが、いずれにしてもこれで課題のひとつは無事に解消です。
なお、やすらい祭りは午後からだったので、その前の時間を使って。宝ヶ池から北山通りの周辺を散策して、古田織部美術館まで。ほとんど何にもないようなエリアを歩きまして、確かに何にもないことを確認しましたが、ただ、京都は何をやっても意味がある。京都に楽しめない散策はありませんからね。お天気にも恵まれて、言うことなしの1日になりました。
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朝イチバンで京都駅に到着。そこから地下鉄でまっすぐ国際会館駅へ。
駅を降りると国立京都国際会館が見えてきます。
ただ、久しぶりでここから宝が池の方に出るのに道を間違えてしまいました。建物の左手から回ればよかったのですが、右手から回ってしまって、いくぶん遠回りになったと思います。 -
奥の方から歩くことになりましたが、まあまあ、それでもこれはこれで悪くないでしょう。
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宝が池は池の眺めもいいし、周囲の散歩道もいいんですよね~
京都にはいいところがいっぱいありますが、その中でもかなりお気に入りの場所です。池を眺めながら歩くとなんともいえない気持ちのよさ by たびたびさん宝ヶ池 自然・景勝地
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ちなみに、宝ヶ池は、江戸時代の宝暦年間(1751-1764年)に作られた農業用のため池が始まり。湧き水をせき止めただけの小さな池から徐々に大きくなって、今の規模になったのは江戸の後期。公園として本格的に整備されたのは戦後のことです。
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イチオシ
この堤も江戸時代のものでしょうか。しっかりとした堤です。
桜の花もまだなんとかいけてます。ランニングをしている人もいて、こんなところでランニングなんて最高でしょう。 -
宝が池公園の東側には、宝が池公園子どもの楽園というのがあります。
名前の通り、子供のための公園。子供連れ以外の人は入場をしないでくださいみたいな案内もあって、まあ、それもありなのかな。遠目で眺めましたが、子供の元気な声が響いていて、こちらも雰囲気は抜群です。 -
さて、ここからさらに散策を続けます。
妙円寺は、五山の送り火、妙法の松ヶ崎東山の麓にある日蓮宗の寺。この日は本堂の前にある枝垂れ桜がちょうど見ごろ by たびたびさん妙円寺 (松ヶ崎大黒天) 寺・神社・教会
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江戸の初期、元和2年(1616年)の創建です。
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境内には、都七福神めぐりの大黒さんが祀ってあって、松ケ崎の大黒さんとも。
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イチオシ
そして、この日は本堂の前にある枝垂れ桜がちょうど見ごろ。そよそよと揺れる枝垂れには白く可憐な花がほどよく着いて、いいじゃないですかあ。バックの新緑も輝くよう。全然予想していなかったところでこういうのに会うと、なんか余計に美しさが沁みるような気がします。
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次の目的地は、京都ギリシアローマ美術館ですが、その前に。。
ふと目に入った高砂亭は、松ヶ崎通りと北泉通の交差点。なにか雰囲気があるので、昼飯はここにします。 -
鳥南蛮をいただきましたが、そばはそれなりにキレがあるし出汁もすっきりしてなかなかの上質感。たまにはいい蕎麦屋さんで食べたいねという客がここにやってくるようなお店かな。そういう意味では、近所の人ではないけれどお店のことを良く知った常連さんのお店のような気がします。
これで少し落ち着きましたよ~ -
高砂亭からほどなく、京都ギリシアローマ美術館へ。こちらは、ギリシア・ローマ美術のコレクター、蜷川明の私設の美術館です。
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おしゃれな門の中には高級住宅のような敷地と奥にそれらしい建物が見えていましたが、なんかひと気もないし、休館中なのかな。ただ、この雰囲気は少なくともそれなりのもの。しっかりしたコレクションを有している美術館ではないかと感じます。
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そして、古田織部美術館は、表千家北山会館の隣り。古田織部研究家、宮下玄覇の収集品を展示する美術館です。
古田織部研究家、宮下玄覇の収集品を展示する美術館 by たびたびさん古田織部美術館 美術館・博物館
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言うまでもなく、古田織部は利休七哲のひとりであり、千利休の後継者。織部好みと呼ばれる一大流行をもたらしたという人物ですが、そこから先の何かがここで得られるかというとちょっと微妙。展示されている作品も限られるし、情報も断片的なような気がします。
つまり、少し補足をすると、ここでの説明は織部のひょうげものという側面。茶碗を歪めたりしてその意表を突いた趣向のことですが、それはやはり一面のはず。織部焼は、黄瀬戸に緑色を加えた配色ですが、この黄色や緑はたぶん南蛮貿易によって東南アジアから入ってきたもの。当時の感覚で言うとたぶんびっくりするくらい鮮やかな配色だったのではないかと思います。ひょうげる前にまずはそうした抜群の鮮やかさとか斬新さとかなにか煌めくものがあってのひょうげものでないと正統とはみなされなかったのではないかというのが私の思い。織部の次の世代は、小堀遠州の綺麗さびですが、織部の世代だと南蛮文化とか安土桃山文化の華やかさを直に体験しているはずですから、心に刺さるためにはこうした煌めくものは必須だったのではないか。その煌めくものを土台にして、自分の色を出していったのではないかと想像します。もちろん、織部焼が織部の生みだしたものかどうかは不明ですが、少なくとも私は織部焼には抜群の煌めくものを感じます。ひょうげもの云々の前にもう少しその辺りを掘り下げるものを期待していたという次第です。 -
イチオシ
では、そろそろ今宮神社に向かいましょう。
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北山通りの最寄りのバス停から今宮神社に向かいます。
常徳寺は、北山通沿いにある日蓮宗のお寺。外観はきれいなお寺ですが、基本は非公開のよう。しかし、門前には、義経ゆかりの寺とありまして。。 -
つまり、この寺の前身、知足院の頃、常盤御前が義経の安産祈願のためにお参りしたと伝えられる地蔵菩薩像「常盤地蔵」がある寺なんですね。なるほどという感じです。
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今宮神社の参道。
今宮神社と言えば、あぶり餅。今宮神社 寺・神社・教会
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イチオシ
今日もたくさんの人が並んでいますが、先を急ぎましょう。
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拝殿から
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本殿へ。
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どこで拝見するのがいいのかなといろいろ思案して、本殿脇の灯籠のところに決めました。向こうの方でも人が大勢待っていて、そちらでも踊りがみられるようですが、やっぱり大事なのは本殿の前でしょうからね。
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待つことしばし。一行がやってきました。
これが先頭。川上やすらいかな。 -
ここから、拝殿の周りを時計回りに回ります。
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赤い服が主役の鬼たちです。
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殿りの青い衣装の集団は囃子方。
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もう一周回るよう。
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鬼たちは四人。二人が鉦、二人が太鼓を手にしていますね。
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二周回って、本殿の方へやってきます。
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さてさて
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本殿に向かって
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太鼓を手にした鬼たちが整列しました。
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周りも整列して
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一礼。
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囃子方のお囃子が始まって、
鬼たちも動き出しました。 -
鉦と太鼓で
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イチオシ
スローなリズム。
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動きは踊りとまでは言えないような。。
複雑な動きではありませんね。 -
しばらくして、終了かな。
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もうこれで邪気を払ったということでしょう。
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うーん
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ちょっと拍子抜けの感がなくもないですが、これがやすらい祭りですか。
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まあ、雰囲気かな。
この祭りは雰囲気を味わうということなんでしょう。 -
今度は向こうの方でパーフォーマンスが始まりました。
なるほど、向こうだと正面から見れるのでそれはいいかもしれませんね。 -
しばらくすると次は上野やすらい。
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こちらは拝殿を反時計回りに回ります。
赤い花傘が華やかだし、人数もちょっと多いような。 -
二周目を回って
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皆さんぞろぞろ。
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前後がちょっと詰まってます。
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囃子方もこんなに多いですからね。
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さて、本殿の前へ。
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槍が三本と赤い傘が二本。白装束6人の最後は女性で手に箱のささげものを持っています。
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赤い花傘と四人の鬼たち。
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前の二人は黒い頭。後ろの二人は赤い頭。
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花傘の後ろに整列です。
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お囃子が始まって、鬼たちも鉦と太鼓で軽く合わせます。
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手前にも同じく白い装束のメンバー。
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槍と赤い傘、箱のささげものは、
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同じ組み合わせですね。
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こちらも赤い花傘を先頭に鬼たちが整列。
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都合、8人の鬼が整列です。
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始まりの一礼。
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イチオシ
鉦、太鼓を打ちながら
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始まりましたよ~
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川上やすらいと同じくテンポはスロー
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しかし、花傘があるのと
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人数が8人ということもあって
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イチオシ
華やかさはこちらが上ですね。
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しかし、鬼たちはうつ向いて元気はない。
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少年たち、もっと溌溂とできませんかね~
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イチオシ
と、少しづつテンポがアップ
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髪を振り乱したり
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頭をキョロキョロさせたりして、やっと鬼らしくなってきたかな。
しかし、激しく感じるのは長くは続かないし、全体的なイメージとしてはやっぱりスローなままかなあ。 -
それでも、神事としては無事終了。
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皆さん、お疲れさまでした。
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と思ったら
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もうちょっとあるのかな。
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少しテンポが上がった感じで
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鬼たちは輪になってのパーフォーマンス。
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互いの動きを確認し合って
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腰を落としたり
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伸びあがったり。
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それでもまあまあほどほどの激しさ。
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イチオシ
それなりに自重した中での動きのように感じます。
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ただ、これで少しすっきりはしたかな。
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では、皆さん退場です。
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囃子方が続いて、
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イチオシ
これは小鬼。
最後に初めて気が付きました。 -
二つ目の花傘から
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鬼たち
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二つ目の囃子方で終了です。
正直言えば、少し迫力不足という感じなのですが、私なりに解釈するとたぶんスローテンポが一番の原因かな。つまり、今の感覚なら、もっともっとアップテンポの動きになってしかるべしみたいなことですからね。ただ、スローテンポなのはむしろ古式ゆかしい祭りの証。田楽舞いとか延年の舞いとか平安時代に起源を持つ舞いはとてもスローテンポです。たまに元気のいい舞いがあったりしますが、それは後世のアレンジであって、古来の舞いを正しく継承していないもの。スローなテンポを維持していることこそ正統な舞いの証なんですね。やすらい祭りのテンポもそういう意味ではこれが平安の香りなのかな。今の感覚でどうこう言うのはやっぱりおこがましいことではないかと思います。 -
ひと息ついて、もう少し境内をうろうろ。
織姫神社は、今宮神社の境内社。祭神は、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)という女神で、七夕伝説の織姫にはた織を教えた神と言われます。氏子の西陣織業者が勧請した神社だそうで、両側の献灯は織物を織る際に使われる杼(ひ)を象ったもの。けっこう堂々とした構えです。 -
本殿にお参りして
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楼門から退出です。
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今宮神社からは大徳寺に向かいます。
これは仏殿。大徳寺 寺・神社・教会
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ちょっと中を拝見。
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三門は、金毛閣。
千利休がこの三門を造営するのですが、この上屋に雪駄履きの自身の木像を安置したことで、豊臣秀吉の怒りを買い切腹を命じられたという逸話。しかし、造営した主が自身の像を上屋に置くのは慣例としてあったこと。野上彌生子の「秀吉と利休」でもそれを指摘していて、切腹の遠因は朝鮮出兵に関係するとのシナリオ。一定の説得力があって面白いと思いました。 -
雲林院は、大徳寺の塔頭ですが、通りを挟んだ飛び地。かつては源氏物語や伊勢物語にも登場する天台宗の大寺院であり、淳和天皇の離宮・紫野院の流れをくむ平安時代の史跡でもある寺なんですね。
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つまり、紫野院は淳和天皇の皇子、常康親王に譲られたのですが、869年(貞観11年)親王が亡くなると僧正遍昭に託され、ここを官寺、雲林院とされたのですね。
また、紫式部の紫は紫野の紫とも。源氏物語第10帖の賢木では、光源氏が雲林院に参籠し、天台六十巻を読みすすめるという下り。
門前の駒札には西行の詠んだ歌も記されていて、
これやきく 雲の林の 寺ならん 花を尋ねる こころやすめん
境内には小さなお堂が建つだけですが、歴史はいろいろと多いお寺です。 -
少し南に下がって、玄武神社。
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ここでも、別のやすらい祭があって、というかこの神社がやすらい祭の発祥とされる神社。この後しばらくしてからとのことでしたが、まあ、もういいですね。パスします。
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そして、最後は上御霊神社。
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拝殿から
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本殿をチェックして、
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もう一つは応仁の乱勃発地の碑。
つまり、上御霊神社の森の合戦というのが応仁の乱の始まり。
畠山政長と同じ一族で家督を争う義就が戦ったというもの。この後、山名宗全、細川勝元が加わって、争いは大きくなっていったという流れです。 -
晩飯はモトイギョーザ。四条通から柳馬場通りを上がってすぐという賑やかなエリアだし、通りからは、店内の様子がよく分かってテラス的な雰囲気も安心感があるかもしれません。便利な場所ということもあって店内は海外のお客さんがたくさん。カウンターでいただきましたが、それにめげないちょっとした勇気が必要かもしれません。
香辛料をいろいろ使ったちょっと複雑系の味わいかな by たびたびさんモトイギョーザ グルメ・レストラン
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さて、餃子の方ですが、そこまでひねってはいないにしても香辛料をいろいろ使ったちょっと複雑系の味わいかな。悪くはないですが、ちょっと面倒くさい感じもしなくはないというのが正直なところです。
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宿は、安心お宿。京都にもカプセルホテルが増えたような気がしますが、こちらもその一つですね。烏丸駅にも近い便利な場所だし、その分少し高めなのは仕方がないかなと思いましたが、カプセルホテルにしてはそれなりの上質感があって結果はまずまず。スタッフの落ち着いた対応も好感です。
明日は、安土の観音寺城。山登りになると思います。
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