2023/10/31 - 2023/10/31
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那覇の見どころとして有名なのは首里城公園ですが、沖縄戦では日本軍の司令部が置かれたため激戦地だったこともあり、首里城をはじめとして被害が大きかったところです。ですので古い建物は残っていませんが、それでも琉球王国時代からのものが残っていて国の重要文化財に指定されているところもあります。
首里城のすぐ北側にある円覚寺跡の放生橋が国の重要文化財となっています。さらに首里から少し北へ行った石嶺の住宅街の中にある伊江御殿墓も国の重要文化財に指定されています。この2つは沖縄観光の見どころとしてあまり知られておらず、隠れたスポットと言っていいでしょう。首里城観光の前に、この2つの国重要文化財を中心に散策しました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
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今回の旅行記のスタートは、ゆいレールの石嶺駅から。首里駅の1つ先で、駅周辺は住宅街となっています。ただ、そんな住宅街のなかにも琉球王国時代からの史跡が点在しています。
石嶺駅 駅
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石嶺駅からは西側の住宅街に入り、写真の川沿いの道を進んでいきます。この先に国の重要文化財に指定されている伊江御殿墓があります。
また、写真に撮り忘れたのですが、この通りのすぐ近くにはもうひとつの墓所、豊見城御殿墓もあります。琉球王国に関連した史跡がいくつかある地域です。 -
石嶺駅から徒歩7~8分で「うどぅん山公園」に着きます。うどぅんとは御殿のことで、伊江御殿墓を中心とした公園として整備されています。
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こちらが伊江御殿墓。残念ながら入口の門は閉ざされていて非公開です。とはいえその門から中を見ることはできます。
ここにある亀甲墓は尚家の分家のものであり、かなり古いもので、亀甲墓の典型的な形式の造りになっているそうです。そうしたことで国の重要文化財に指定されています。亀甲墓はわずかながら見ることができました。伊江御殿墓 名所・史跡
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伊江御殿墓から石嶺駅へ戻ります。そして石嶺駅前にある「さーたーあんだぎーの店・安室」。有名なお店で、サーターアンダギーを食べたかったのですが、午前の早い時間だったのでまだ営業前で閉まっていました。残念。
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石嶺駅からゆいレールに一駅だけ乗り、首里駅で下車。首里駅の周辺にも歴史の匂いが残っています。
首里駅近くの首里中学校の敷地は、かつては聞得大君という王朝に仕える最高位の女神官(ノロ)の住居・神殿の敷地だったそうです。首里中学校の敷地の前にこの碑・説明板があります。
聞得大君は斎場御嶽での神事にも深く携わったノロであり、琉球王国の歴史の中では欠かせない官位だったのでしょう。大きな敷地を有していたのでしょう。聞得大君御殿跡 名所・史跡
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聞得大君御殿跡の説明板から、ゆいレールが通る大通り沿いに儀保のほうへと向かうと、マンションの1階入り口にこの碑・説明板があります。
こちらは儀保殿内跡。こちらも女神官の邸宅跡で、聞得大君とともに琉球王国の離島のノロを管轄していたそうです。儀保殿内跡 名所・史跡
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さて、首里城のほうへと向かいます。首里駅前から龍潭通りを歩いて行くと、すぐに出て来るのがこちらの国王頌徳碑。
尚清王が斎場御嶽など聖地への街道を整備したことで、それを称える碑とのこと。オリジナルのものは沖縄戦で壊れ、一部が県立博物館にあるそうです。
薩摩藩の琉球侵攻のはるか前につくられたものですが、この碑の表側は平仮名で書かれており、日本本土との深いつながりがあったことをうかがい知ることができました。国王頌徳碑 (かたのはなの碑) 名所・史跡
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龍潭通り沿いにある天王寺跡の碑・説明板。かつてここには天王寺という大きな寺院があり、ここは琉球王国の王妃を祀る寺だったそうです。大きな仏殿があったそうで、その写真が説明板にもあります。
この説明板の近くの民家の裏手に石垣の一部が残っているそうで、龍潭通りを挟んだ向かいには井戸跡もありました。天王寺跡 名所・史跡
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天王寺跡のすぐ西側には首里染織館suikaraという施設があります。新しい施設ですね。周囲に溶け込んだデザインではありますが、きれいな建物なのでわかりやすかったです。
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首里染織館suikaraは、紅型のひとつ、首里織についての施設であり、職人の育成なども目的としているそうです。首里織の展示・販売のほか、上階は工房となっていて、職人さんが作業しているのを見ることができるようになっています。
今回は時間がなかったので見学できなかったのですが、次回来たときにはぜひとも見学しようと思っています。首里染織館suikara 美術館・博物館
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龍潭通りから南側へと入ると、首里城へと向かうルートになります。
この通りの両側は沖縄県立芸術大学の敷地となっていますが、この敷地も歴史があるところであり、こちらには師範学校附属小学校跡という碑がありました。 -
こちらには碑・説明板があり、貝摺奉行所跡とありました。写真ものっていてわかりやすいです。
こちらにあった奉行所では、琉球王国の特産品である漆器を管理しており、それは高級品であって、日本の幕府や清国への献上・贈答品として名高かったそうです。そうした点で、王国にとっても重要な奉行所だったのでしょう。 -
沖縄県立芸術大学の校舎。芸術大学らしい、ちょっとおしゃれなデザインになっているところもありました。こちらは図書館・資料館だそうです。
沖縄県立芸術大学 名所・史跡
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沖縄県立芸術大学の敷地にはまだまだ碑・説明板があります。こちらは首里市庁跡です。
戦後まもない頃までは首里市が行政区分として存在しました。それが現在のように那覇市へと編入されたのですが、その首里市の市庁がここにあったそうです。琉球王国時代から首里が政治面で重要だったことをうかがい知ることができます。首里市庁跡 名所・史跡
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沖縄県立芸術大学の敷地横にはまだ碑・説明板があり、こちらは高所跡というもの。琉球王国の田畑の石高や交易船の貨物などの管理を担っていた役所・奉行所だったそうです。琉球での政務面で大きな役割を持っていたところではないでしょうか。そうした歴史的経緯もあり、後の首里市庁に以降していったのでしょう。
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沖縄県立芸術大学に隣接して、こちらの円覚寺跡があります。こちらに今回の散策でのもうひとつの国重要文化財、放生橋があります。
円覚寺という名前のように、鎌倉の円覚寺にならって創建された寺院です。円覚寺跡 名所・史跡
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復元された門は閉じられていて、中に入ることはできません。その門のすきまから放生橋を見ることができました。でも、これだとちょっと寂しいです。ということでもっとよく見える場所へと移動します。
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門の右手のほうへと行くと、石垣が途切れた場所があります。ここから円覚寺跡の敷地の横へと入ることができるようになっていました。
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円覚寺跡の敷地横に入ると、ここから放生橋の全景を遠くからではありますが見ることができます。小さな石橋ですが、中世につくられたもので、これが国の重要文化財となっています。敷地内には入ることができません。
こちらには大きな仏殿があり、国宝に指定されていたのですが、沖縄戦で焼失してしまい、この石橋のみが残ったそうです。そう考えると貴重なものであり、国の重要文化財になっているのも納得です。旧円覚寺放生橋 名所・史跡
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今回の旅行記ではこの円覚寺跡までにしておきます。
円覚寺跡の放生橋、少し離れていますが、伊江御殿跡という2つの国重要文化財を巡りました。首里城に近いところでありながらも、意外と知られていない貴重な史跡だと思います。
一般の方にはおすすめしにくい場所ですが、歴史に興味がある沖縄リピーターの方にはおすすめしたい見どころです。
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