2024/03/03 - 2024/03/03
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かくちゃんさん
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第6区は、東照宮をスタートし、鹿沼までのコースとなります。
今回は、日光までJRで行きました。
宇都宮から乗った日光線、車内は外国人観光客もいてそれなりに混雑。ローカル線とは思えないスピードで日光まで約40分で到着。バスの発車時刻まで少し時間があったため、駅二階のホワイトルームを見学してから、バスで二荒山神社へ。拝殿を参拝した後、前回、参拝し損なった神苑を拝観。輪王寺は常行堂の内陣を参拝してから、宝物殿を見学。逍遥園の庭を散策後、三仏堂の内陣を参観。これで前回と合わせて東照宮、二荒山神社、輪王寺を回り切りました。
さて、駅伝の方は、東照宮の社号碑をスタートして、勝人上人像、長さか瀧、神橋の並木寄進碑、神橋、鉢石宿を経て杉並木に入り、砲弾打込杉、今市宿を通過。追分地蔵尊で日光街道に別れを告げ例幣使街道に入り、室瀬一里塚、地震坂、板橋宿、板橋一里塚、文挾宿、小倉一里塚、小倉の並木寄進碑、武子富岡一里塚を通過。御成橋を渡って、鹿沼宿、鹿沼一里塚を経て、本日のゴール鳥居跡に到着。
着替えて、「みっちゃん蕎麦」で一人打上げを行った後、新鹿沼から「スペーシア日光4号」に乗車して帰路に着いたのでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
JR日光駅。
現在の駅舎は大正元年(1912年)建造の二代目ですが、すでに築100年を越えています。関東の駅百選にも選ばれています。日光駅 駅
-
日光駅2階の「ホワイトルーム」。
一等客の特別待合所として使用されていたそうです。 -
二荒山神社の大鳥居。
「二荒」を音読みして「ニコウ」、これに「日光」の字を当てて「にっこう」と読むようになったのだそうです。 -
二荒山神社拝殿。
祭典や祈祷を行う場所で、重要文化財、世界文化遺産ともなっています。
まだ所々に雪が残っています。日光二荒山神社 寺・神社・教会
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二荒山神社本殿。
第二代将軍徳川秀忠によって寄進されたもので、こちらも重要文化財、世界文化遺産となっています。 -
大国殿の前にある丸石。
立札に「祈願する者は、石に手をかざし、「心は丸く、腹を立てず」と念じて願うべし」とありましたので、3回ほど念じてみました。果たして効果や如何に。 -
輪王寺常行堂。
内陣まで無料で入れます。
最近、位牌が盗まれたのだそうで、「返してください」という張り紙がありました。罰当たりなことをする人がいるんですね。怪しからん話です。輪王寺 常行堂 寺・神社・教会
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輪王寺の社号標と門。
立派な佇まいです。日光山輪王寺 寺・神社・教会
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輪王寺本堂(三仏堂)。
内陣には、三体の大仏さまと二組の三尊仏がお祀りされています。 -
日光東照宮社号標。
今日はここからスタートします。 -
勝道上人像。
日光山は奈良時代に勝道上人が開いたものなのだそうです。 -
長さか瀧。
東照宮方面から流れて来た水が急坂の途中で滝になっています。「瀧」となっているのは長坂が曲がりくねっていて竜のように見えるからでしょうか。今年の干支にちなんで撮影してみました。 -
神橋の杉並木寄進碑。
17世紀中頃に建てられたもので、石碑はここのほか3か所あります。日光神領の境界にあることから「境石」とも呼ばれているそうです。 -
神橋。
前回は雪景色でしたが、雪のない神橋もきれいですよね。神橋 名所・史跡
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日光街道 鉢石宿。
奈良時代からある門前町で、現在も人が絶えず賑わっています。賑わっている宿場町を見ると何だか嬉しくなります。 -
砲弾打込杉。
写真一番左の木の上方の凹んだところは、戊辰戦争の際、官軍の幕府軍攻撃による砲弾が破裂した痕なのだそうです。 -
日光街道 今市宿。
市縁ひろばは、令和4年4月から店舗などの施設が休止しており、人気もなく寂れてしまっています。今市宿市縁ひろば 名所・史跡
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追分地蔵尊。
祠に祀られているお地蔵様はお地蔵様というよりは大仏様のようです。
ここを左に行くと日光街道、右に行くと日光例幣使街道となります。追分地蔵尊 名所・史跡
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ここから日光例幣使街道となります。
上州中山道倉賀野まで続きます。 -
日光例幣使街道 室瀬一里塚。
塚と思しき小山がありますが塚かどうかは分かりません。 -
地震坂。
昭和24年(1949年)の大地震で写真左上あたりにあった坂が地滑りで今の位置に移動したのだそうです。すごい話です。 -
日光例幣使街道 板橋宿。
宿場町の痕跡は見当たりません。隣の「文挾宿」との合宿(二つの集落で一つの宿場町の機能を果たす宿)だったようです。 -
日光例幣使街道 板橋一里塚跡。
木碑は折れ、無残にも祠の隣に横たわっています。これからもここに一里塚があったことだけは後世に伝えてもらいたいものです。 -
文挾宿郷倉(ごうくら)。
不作の時に食べ物に困らないよう貯穀するために江戸時代末期に栗材で建てられたもので、旧日光領内に現存する唯一のものとなっています。 -
日光例幣使街道 文挾(ふばさみ)宿。
ここも宿場町としての痕跡は見当たりません。
街の中心に「日光醤油のろばたづけ文挾宿本店」がありましたので、ここで「日光ゆば 混ぜ込みご飯の素」と「ろばたづけ(なす)」を買って帰りました。 -
日光例幣使街道 小倉(こぐら)一里塚があったと思われる場所。
杉並木道路と並走する未舗装道路の脇にあります。木碑があるはずなのですが見当たりませんでした。 -
日光例幣使街道小倉の並木寄進碑。
日光神領内には合計4か所石碑が建っており、このうち、山口、神橋、小倉の3か所を巡ることができました。もう1か所、会津西街道にある大桑にもいつか行ってみたいものです。 -
日光例幣使街道 武子富岡一里塚があったと思われる場所周辺。
写真に見える石垣が一見、一里塚を保護するためのもののようにも見えますが、そもそもここに一里塚があったかどうかも定かではありません。 -
鹿沼宿の木戸があったのではないかと妄想している場所。
街道はここから二手に分かれ、鳥居跡でまた合流していますので、この辺りに木戸が設けられていたのではないかと勝手に妄想しています。 -
日光例幣使街道 鹿沼宿。
それなりに大きな宿場町だったようです。 -
日光例幣使街道 鹿沼一里塚があったと妄想している場所。
武子富岡一里塚からちょうど1里が写真にある鳥居跡(とりいど)あたりになりますので、この辺りに一里塚があったのではないかと勝手に妄想しています。 -
みっちゃん蕎麦。
お店再開後すぐの午後4時10分頃に伺いましたが、すでに2組お客さんがいました。その後も、途切れることなく来客があり、それなりの人気店のようです。みっちゃんそば グルメ・レストラン
-
にら蕎麦と野菜の天ぷら、そば餅。
芭蕉そば御前のBセットと鹿沼ニラそばシュウマイ、生ビールに東力士(日本酒)を注文。写っていませんが、セットには鹿沼こんにゃく味噌おでんも付いています。にらそばに野菜天、相性が良く美味しくいただきました。
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