東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
東山近辺を歩く旅、楽しいです。<br />多くの寺院や歴史的な遺蹟が多い京都、歩くと必ず何かの発見があります。<br /><br />カフェにも立ち寄り、ひと休みもふた休みもしながら、マイペースで歩きます。<br />Hyde&amp;Away やkaikodou..それぞれレトロな建物を使ってのカフェ。天井も高く、とても落ち着きます。<br />お洒落ですけれど、私のようなおばあも楽しめるお店でした。<br />また行きたいです。<br /><br />後白河天皇陵は法住寺のすぐお隣に参道があります。<br />きれいに整備された陵でした。<br />法住寺は後白河天皇と深いつながりのあるお寺です。<br />カフェでひと休みをしつつ、お漬物のお土産を買ったり、思いがけない発見のある街歩き、とても楽しい時間でした。<br /><br /><br /><br />

きょうとさんぽ  後白河法皇・大石内蔵助・長谷川町子ゆかりの法住寺~カフェにも立ち寄り^^

37いいね!

2024/02/26 - 2024/02/26

1069位(同エリア6667件中)

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154

Reise

Reiseさん

東山近辺を歩く旅、楽しいです。
多くの寺院や歴史的な遺蹟が多い京都、歩くと必ず何かの発見があります。

カフェにも立ち寄り、ひと休みもふた休みもしながら、マイペースで歩きます。
Hyde&Away やkaikodou..それぞれレトロな建物を使ってのカフェ。天井も高く、とても落ち着きます。
お洒落ですけれど、私のようなおばあも楽しめるお店でした。
また行きたいです。

後白河天皇陵は法住寺のすぐお隣に参道があります。
きれいに整備された陵でした。
法住寺は後白河天皇と深いつながりのあるお寺です。
カフェでひと休みをしつつ、お漬物のお土産を買ったり、思いがけない発見のある街歩き、とても楽しい時間でした。



旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩

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  • 京都の馬町というところにやってきました。<br />こちらは、前回、見落として、気になっていたところです。<br /><br />佐藤継信 忠信のお墓があるところです。

    京都の馬町というところにやってきました。
    こちらは、前回、見落として、気になっていたところです。

    佐藤継信 忠信のお墓があるところです。

  • 細い路地を入っていきます。

    細い路地を入っていきます。

  • 佐藤継信 忠信の墓という石碑があります。<br /><br />佐藤継信と忠信の兄弟は奥州藤原氏の家臣でもあり、源義経の家臣です。<br /><br />兄の継信は。屋島の戦いで、源義経の身代わりとなり矢を受けて亡くなったといわれています。また、ほかに、お墓は高松市などに二か所、あるそうです。<br /><br />弟の忠信も源義経の家臣で、義経が源頼朝と対立し、京都に潜伏していたところを鎌倉から派遣された御家人に見つかり、自害しています。<br /><br />

    佐藤継信 忠信の墓という石碑があります。

    佐藤継信と忠信の兄弟は奥州藤原氏の家臣でもあり、源義経の家臣です。

    兄の継信は。屋島の戦いで、源義経の身代わりとなり矢を受けて亡くなったといわれています。また、ほかに、お墓は高松市などに二か所、あるそうです。

    弟の忠信も源義経の家臣で、義経が源頼朝と対立し、京都に潜伏していたところを鎌倉から派遣された御家人に見つかり、自害しています。

  • この場所には、かつて二基の十三石塔がありました。<br />現在は京都国立博物館の庭園にあります。<br /><br /><br />一つの銘には1295年の銘があるそうで、時代的には佐藤継信 忠信のお墓とは考えにくいそうですが、昔からの地図などには、この場所にお墓の記載があったそうです。<br />

    この場所には、かつて二基の十三石塔がありました。
    現在は京都国立博物館の庭園にあります。


    一つの銘には1295年の銘があるそうで、時代的には佐藤継信 忠信のお墓とは考えにくいそうですが、昔からの地図などには、この場所にお墓の記載があったそうです。

  • 小さな古い石塔が後ろのほうにありました。<br /><br /><br /><br /><br />

    小さな古い石塔が後ろのほうにありました。




  • のちに、幕末に勝海舟の従者として、海軍伝習所に学び、その後翻訳方として、また技術者として鉄道建設にも貢献した、子孫の佐藤政養が、この土地を買い取り、十三重石塔の碑を建てたそうです。

    のちに、幕末に勝海舟の従者として、海軍伝習所に学び、その後翻訳方として、また技術者として鉄道建設にも貢献した、子孫の佐藤政養が、この土地を買い取り、十三重石塔の碑を建てたそうです。

  • そして、またそのすぐそばに、顕彰碑や大きな石碑があります。<br /><br />こちらは、佐藤政養が父親の功績を顕彰し、顕彰碑を建立しています。<br /><br />そのお隣の大きなせ石碑は、佐藤政養が亡くなったあとに、遺族が建てた招魂碑です。<br />揮毫は勝海舟によるものだそうです。

    そして、またそのすぐそばに、顕彰碑や大きな石碑があります。

    こちらは、佐藤政養が父親の功績を顕彰し、顕彰碑を建立しています。

    そのお隣の大きなせ石碑は、佐藤政養が亡くなったあとに、遺族が建てた招魂碑です。
    揮毫は勝海舟によるものだそうです。

  • 佐藤政養の父親の顕彰碑でしょうか。<br /><br />読むことが困難です、、

    佐藤政養の父親の顕彰碑でしょうか。

    読むことが困難です、、

  • とても立派な石碑でした。<br /><br />額題は勝海舟によるもの。<br />その文も剥落しているそうですが、説明板にその功績を称えた文面の説明がありました。

    とても立派な石碑でした。

    額題は勝海舟によるもの。
    その文も剥落しているそうですが、説明板にその功績を称えた文面の説明がありました。

  • 鉄道助という重職にも就いた佐藤政養についての文面の説明がありました。

    鉄道助という重職にも就いた佐藤政養についての文面の説明がありました。

  • ちょっと見えにくいですが、路地に入る際の佐藤継信 忠信の墓の石碑の裏側には、昭和2年 佐藤政治郎というも見えます。<br />子孫の方でしょうか。<br /><br />十三重石塔と政養招魂碑の場所を示す石碑です。<br /><br /><br />

    ちょっと見えにくいですが、路地に入る際の佐藤継信 忠信の墓の石碑の裏側には、昭和2年 佐藤政治郎というも見えます。
    子孫の方でしょうか。

    十三重石塔と政養招魂碑の場所を示す石碑です。


  • 路地のお隣は、こんなお店がありました。

    路地のお隣は、こんなお店がありました。

  • この辺りは馬町といいます。<br /><br /><br />名前の由来は鎌倉幕府の京都守護職・六波羅探題がおかれたころに<br />鎌倉に贈るための馬をつないでいた場所だったところから、、、と<br />いわれています。

    この辺りは馬町といいます。


    名前の由来は鎌倉幕府の京都守護職・六波羅探題がおかれたころに
    鎌倉に贈るための馬をつないでいた場所だったところから、、、と
    いわれています。

  • 京都っておしゃれだなぁ~と思うこと、多すぎます。<br /><br /><br />唐辛子、、、<br />保存にも、魔よけにも、、<br /><br />私も真似してつくってみよう~。

    京都っておしゃれだなぁ~と思うこと、多すぎます。


    唐辛子、、、
    保存にも、魔よけにも、、

    私も真似してつくってみよう~。

  • 京都国立博物館の角に、古い道標が。

    京都国立博物館の角に、古い道標が。

  • 横断歩道をわたり、三十三間堂のほうへ、。

    横断歩道をわたり、三十三間堂のほうへ、。

  • 京都国立博物館の石垣とレンガ。<br /><br />

    京都国立博物館の石垣とレンガ。

  • この石垣の組み合わせも可愛いし、赤いレンガ、、<br />ここも確か文化財。<br /><br />新しく博物館の建物はできていますが、私は昔ながらの博物館の風景が大好きです。

    この石垣の組み合わせも可愛いし、赤いレンガ、、
    ここも確か文化財。

    新しく博物館の建物はできていますが、私は昔ながらの博物館の風景が大好きです。

  • 三十三間堂の近くに、法住寺の看板がありました。

    三十三間堂の近くに、法住寺の看板がありました。

  • 三十三間堂の建物がまぶしい朱色。

    三十三間堂の建物がまぶしい朱色。

  • 有名な観光地、<br />なんどか拝観していますが、今回なパスです。

    有名な観光地、
    なんどか拝観していますが、今回なパスです。

  • この緑色とのコントラストが綺麗です。

    この緑色とのコントラストが綺麗です。

  • 後白河法皇とゆかりのあるお寺、法住寺にやってきました。

    後白河法皇とゆかりのあるお寺、法住寺にやってきました。

  • 身代わり不動尊で有名です。

    身代わり不動尊で有名です。

  • 駒札も立っています。

    駒札も立っています。

  • そのお隣に細い道があるのですが、その奥に後白河天皇の陵があります。

    そのお隣に細い道があるのですが、その奥に後白河天皇の陵があります。

  • 細い参道です。

    細い参道です。

  • ピンクの梅が法住寺から見えています。

    ピンクの梅が法住寺から見えています。

  • 宮内庁の管轄。<br /><br />後白河天皇ほかの皇子らとの合祀になっていました。<br /><br /><br />

    宮内庁の管轄。

    後白河天皇ほかの皇子らとの合祀になっていました。


  • 整然と手入れされた陵。

    整然と手入れされた陵。

  • 院政を開いた後白河法皇、法住寺を中心とした法住寺殿を開いて、院政を行いましたが、平清盛とも対立します。<br /><br /><br /><br />1192年に崩御し、その陵はかつての法住寺殿内に築かれ、法住寺が陵を守ってきたそうです。

    院政を開いた後白河法皇、法住寺を中心とした法住寺殿を開いて、院政を行いましたが、平清盛とも対立します。



    1192年に崩御し、その陵はかつての法住寺殿内に築かれ、法住寺が陵を守ってきたそうです。

  • 美しい陵でした。

    美しい陵でした。

  • 近代的な建物がまわりにみえます。

    近代的な建物がまわりにみえます。

  • 樹々が美しく整えられています。

    樹々が美しく整えられています。

  • すぐそばに法住寺。

    すぐそばに法住寺。

  • こちらは桐の井とよばれる古い井戸のようです。<br />法住寺創建当時のものと伝わります。

    こちらは桐の井とよばれる古い井戸のようです。
    法住寺創建当時のものと伝わります。

  • 立派な松の樹がそびえたっていました。

    立派な松の樹がそびえたっていました。

  • 法住寺に入ります。<br />十三重石塔そばにはピンクの可愛い梅の花。<br /><br />春が近い。

    法住寺に入ります。
    十三重石塔そばにはピンクの可愛い梅の花。

    春が近い。

  • 反対側にも白とピンク混ざった梅の花。<br /><br />皆さん、お写真を撮っておられました。

    反対側にも白とピンク混ざった梅の花。

    皆さん、お写真を撮っておられました。

  • 扉の門も菊の御紋のよう。<br /><br />創建は988年。藤原為光が妻や娘を弔うために建てたお寺です。<br />娘の忯子は花山天皇の女御でした。<br />その後、後白河上皇が、こちらの法住寺を中心として法住寺殿をつくり、御所として院政を行っています。<br /><br />本尊は身代わり不動尊、大石内蔵助も討ち入りの前、山科の家から花街に遊びに来る途中、こちらのお寺に討ち入りの成功を祈念したといいます。<br /><br />中は拝観、見学ができます。<br />赤穂義士47士の木製の像がありました。<br /><br />また親鸞聖人自作と伝わる、伝説のそば喰いの木像と言われ安置されていました。<br />

    扉の門も菊の御紋のよう。

    創建は988年。藤原為光が妻や娘を弔うために建てたお寺です。
    娘の忯子は花山天皇の女御でした。
    その後、後白河上皇が、こちらの法住寺を中心として法住寺殿をつくり、御所として院政を行っています。

    本尊は身代わり不動尊、大石内蔵助も討ち入りの前、山科の家から花街に遊びに来る途中、こちらのお寺に討ち入りの成功を祈念したといいます。

    中は拝観、見学ができます。
    赤穂義士47士の木製の像がありました。

    また親鸞聖人自作と伝わる、伝説のそば喰いの木像と言われ安置されていました。

  • 高貴な雰囲気です。<br /><br />中は拝観、見学ができますが、お写真は一切禁止とのことでした。<br /><br />身代わり不動尊や赤穂義士47士の像、親鸞聖人のそば喰いの木像など<br />見どころが沢山です。<br />また、御庭も綺麗で、後白河天皇陵も見えます。<br /><br />

    高貴な雰囲気です。

    中は拝観、見学ができますが、お写真は一切禁止とのことでした。

    身代わり不動尊や赤穂義士47士の像、親鸞聖人のそば喰いの木像など
    見どころが沢山です。
    また、御庭も綺麗で、後白河天皇陵も見えます。

  • 外に出て、境内、お地蔵さんや

    外に出て、境内、お地蔵さんや

  • 本堂前にある、石の小さなお庭。

    本堂前にある、石の小さなお庭。

  • 小さなお社と、

    小さなお社と、

  • 華やかな梅も。<br /><br />

    華やかな梅も。

  • 門がもうひとつ。

    門がもうひとつ。

  • そういえば、こちらは、サザエさんの長谷川町子さんの菩提寺で、分骨されているそうです。<br /><br />平家物語が大好きだったと聞いたことがありますが、この辺りを訪れたとき、雰囲気をとても気に入られ、住職とも交流があったことから、菩提寺とされたそうです。<br /><br /><br /><br />私もこのあたりの雰囲気はとても好きです。<br />華やかで、人も訪れることが多い三十三間堂から少し離れて、人通りも少なく、しかし、歴史の濃い場所だと感じました。

    そういえば、こちらは、サザエさんの長谷川町子さんの菩提寺で、分骨されているそうです。

    平家物語が大好きだったと聞いたことがありますが、この辺りを訪れたとき、雰囲気をとても気に入られ、住職とも交流があったことから、菩提寺とされたそうです。



    私もこのあたりの雰囲気はとても好きです。
    華やかで、人も訪れることが多い三十三間堂から少し離れて、人通りも少なく、しかし、歴史の濃い場所だと感じました。

  • 南大門を出ます。<br />大きな門です。

    南大門を出ます。
    大きな門です。

  • 南大門に接する塀、

    南大門に接する塀、

  • 美しい塀ですが、こちらは天正16年のヘラ書きのある瓦があり、軒平瓦には太閤桐の模様もあり、「太閤塀」と呼ばれています。<br /><br />ここにも豊臣家とつながりのある遺構が残っています。

    イチオシ

    美しい塀ですが、こちらは天正16年のヘラ書きのある瓦があり、軒平瓦には太閤桐の模様もあり、「太閤塀」と呼ばれています。

    ここにも豊臣家とつながりのある遺構が残っています。

  • 美しい塀でした。

    美しい塀でした。

  • またしても休憩します。<br /><br />以前見かけて入ってみたかったカフェ。<br />

    イチオシ

    またしても休憩します。

    以前見かけて入ってみたかったカフェ。

  • もとは文房具屋さんだったそうです。<br /><br />きれいにリノベーションされています。

    イチオシ

    もとは文房具屋さんだったそうです。

    きれいにリノベーションされています。

  • レトロな雰囲気。

    レトロな雰囲気。

  • 中へ。<br /><br />

    中へ。

  • 天井も高く、素敵な雰囲気~。<br /><br />

    イチオシ

    天井も高く、素敵な雰囲気~。

  • 素敵な家具や、

    素敵な家具や、

  • ベンチやいす、

    ベンチやいす、

  • 二階にもお席があります。

    二階にもお席があります。

  • 上の席にしようかなぁ~と迷い、

    上の席にしようかなぁ~と迷い、

  • 結局入口に。<br /><br /><br />ふわふわの椅子、、

    結局入口に。


    ふわふわの椅子、、

  • レトロなシャンデリア、

    レトロなシャンデリア、

  • 天井が高くて、落ち着く雰囲気です。

    天井が高くて、落ち着く雰囲気です。

  • 子供の遊ぶスペースもあり。

    子供の遊ぶスペースもあり。

  • 色んなケーキ、綺麗です。<br /><br />和菓子を食べたばかりだったので、ここはパスします。<br /><br />残念~。

    色んなケーキ、綺麗です。

    和菓子を食べたばかりだったので、ここはパスします。

    残念~。

  • 珈琲のみ。

    珈琲のみ。

  • お砂糖やスプーンまで、おしゃれですよねぇ~。

    お砂糖やスプーンまで、おしゃれですよねぇ~。

  • 外にも席がありました。<br /><br />お天気良いときは、こちらもよいなぁ~。

    外にも席がありました。

    お天気良いときは、こちらもよいなぁ~。

  • とても落ち着くカフェでした。<br /><br />

    イチオシ

    とても落ち着くカフェでした。

  • 七条を目指して歩きます。<br /><br />太閤塀を観つつ。

    七条を目指して歩きます。

    太閤塀を観つつ。

  • きれいな色ですよね~。

    きれいな色ですよね~。

  • 京都の街の家に良く見かける、鐘馗の像。<br /><br />小さいのですけれど、しっかり守っている&#12316;。<br />

    イチオシ

    京都の街の家に良く見かける、鐘馗の像。

    小さいのですけれど、しっかり守っている〜。

  • このあたりにも多言語の観光マップ。

    このあたりにも多言語の観光マップ。

  • お漬物屋さんに立ち寄ります。

    お漬物屋さんに立ち寄ります。

  • このポスターをみまして、もう、すぐきで頭がいっぱい。。笑<br /><br />すぐき、大好きです。<br />夫の父、義父もすぐきが大好きで、なんと、さらに物足りないときには<br />お酢までかけてたべていたという、、、<br /><br />懐かしいな。

    このポスターをみまして、もう、すぐきで頭がいっぱい。。笑

    すぐき、大好きです。
    夫の父、義父もすぐきが大好きで、なんと、さらに物足りないときには
    お酢までかけてたべていたという、、、

    懐かしいな。

  • いろんな種類のものがあります。

    いろんな種類のものがあります。

  • 奥に工場があって、御主人が40年以上、つくられているそう。<br /><br />ここで、すぐきやナスのお漬物などを購入。<br /><br />どちらもとても美味しかったです。<br />また来たいと思っています。

    奥に工場があって、御主人が40年以上、つくられているそう。

    ここで、すぐきやナスのお漬物などを購入。

    どちらもとても美味しかったです。
    また来たいと思っています。

  • 京都は、歩くとお寺に出会います、、、

    京都は、歩くとお寺に出会います、、、

  • 古い石塔?がありました。

    古い石塔?がありました。

  • もともとは、天台宗のお寺、いまは浄土宗に属するお寺です。<br />醍醐三宝院の開山の理源大師の自作の念事仏である馬頭観音が祀られています。<br /><br />馬頭さんの寺と呼ばれるようになったそうです。<br /><br />また、古文書によると、理源大師が大蛇を退治したという言い伝えも残っているそうです。<br /><br />貴重な美術品も収納されているとありました。<br /><br /><br /><br />

    もともとは、天台宗のお寺、いまは浄土宗に属するお寺です。
    醍醐三宝院の開山の理源大師の自作の念事仏である馬頭観音が祀られています。

    馬頭さんの寺と呼ばれるようになったそうです。

    また、古文書によると、理源大師が大蛇を退治したという言い伝えも残っているそうです。

    貴重な美術品も収納されているとありました。



  • 結界もあり、中にははいれません。

    結界もあり、中にははいれません。

  • 近くの通りには、小さなお地蔵さん。

    近くの通りには、小さなお地蔵さん。

  • 古い材木屋さんのようなお店もありました。<br /><br />昔ながらのお店が多い通りでした。

    古い材木屋さんのようなお店もありました。

    昔ながらのお店が多い通りでした。

  • 今では珍しくなった、結納品を取り扱うお店。<br /><br />昔はあちこちで見かけました。<br />今もされているのかなぁ~。

    今では珍しくなった、結納品を取り扱うお店。

    昔はあちこちで見かけました。
    今もされているのかなぁ~。

  • こちらも歴史のありそうなお漬物屋さん。

    こちらも歴史のありそうなお漬物屋さん。

  • 七条大橋に来ました。

    七条大橋に来ました。

  • 国の登録有形文化財でもあります。

    国の登録有形文化財でもあります。

  • 冬の鴨川の様子。

    冬の鴨川の様子。

  • 説明板もありますが、明治末期の京都三大事業の一つで1911年に着工、1913年に竣工した大橋。親柱や金属製の高欄は今は現存していないそうですが、<br />幾何学模様のセセッション式の欧風意匠をこらした鉄筋コンクリートの大橋はとても珍しいものだったそうです。<br /><br /><br />1987年には三十三間堂の通し矢の矢車模様の高欄がつけられたそうです。

    説明板もありますが、明治末期の京都三大事業の一つで1911年に着工、1913年に竣工した大橋。親柱や金属製の高欄は今は現存していないそうですが、
    幾何学模様のセセッション式の欧風意匠をこらした鉄筋コンクリートの大橋はとても珍しいものだったそうです。


    1987年には三十三間堂の通し矢の矢車模様の高欄がつけられたそうです。

  • 行き交う人が多くて、人が映りこんでしまうので、写真がうまくとれませんでした。

    行き交う人が多くて、人が映りこんでしまうので、写真がうまくとれませんでした。

  • 橋を渡って、松明殿稲荷神社に来ました。<br />祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)ほか。<br /><br />天智天皇の木像や大友皇子の木像を安置しているそうです。<br />948年に創建、たいまつ殿の号を下賜されています。<br /><br /><br />江戸時代には伏見稲荷大社の春の稲荷祭のときは、松明(たいまつ)をもって神輿を迎えたという記載も残っています。

    橋を渡って、松明殿稲荷神社に来ました。
    祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)ほか。

    天智天皇の木像や大友皇子の木像を安置しているそうです。
    948年に創建、たいまつ殿の号を下賜されています。


    江戸時代には伏見稲荷大社の春の稲荷祭のときは、松明(たいまつ)をもって神輿を迎えたという記載も残っています。

  • 稲荷神社の境外末社。

    稲荷神社の境外末社。

  • 古い手荒い石と井戸が残っています。

    古い手荒い石と井戸が残っています。

  • 説明にもありますが、江戸時代中期の木喰正禅養阿の銘があります。

    説明にもありますが、江戸時代中期の木喰正禅養阿の銘があります。

  • 小さなお社もあります。

    小さなお社もあります。

  • 境内も小さいです。

    境内も小さいです。

  • 都会の中。<br />梅が綺麗でした。

    都会の中。
    梅が綺麗でした。

  • 駒札の説明もあります。

    駒札の説明もあります。

  • このあたりの高瀬川も工事中。<br /><br />昔ながらの風情が残るとよいなぁ~。

    このあたりの高瀬川も工事中。

    昔ながらの風情が残るとよいなぁ~。

  • 小さな川です。

    小さな川です。

  • かつて、この川も物の運搬に使われていて、船が行き交っていたことが信じられません。

    かつて、この川も物の運搬に使われていて、船が行き交っていたことが信じられません。

  • 雷鳥神社ってあるのですけれど、レストランみたいでした。

    雷鳥神社ってあるのですけれど、レストランみたいでした。

  • レトロな建物群がありました。<br /><br />その間に、京都タワー。<br /><br />あちこちから京都タワーは見かけます。<br />京都って、高い建物を建てるのを禁止していたのですよね、、たしか。<br /><br />それでも、今は、マンションやビル、それに、この京都タワーだって<br />高い建物です、、規制がかわったのかな、、<br />看板の規制はありますけれど。

    レトロな建物群がありました。

    その間に、京都タワー。

    あちこちから京都タワーは見かけます。
    京都って、高い建物を建てるのを禁止していたのですよね、、たしか。

    それでも、今は、マンションやビル、それに、この京都タワーだって
    高い建物です、、規制がかわったのかな、、
    看板の規制はありますけれど。

  • 窓の様子もおしゃれですよね~。<br /><br />レトロな建物。<br />1回はカフェになっています。<br />珈琲とレコードのカフェとききました。<br /><br />この次、行ってみたいな、、

    窓の様子もおしゃれですよね~。

    レトロな建物。
    1回はカフェになっています。
    珈琲とレコードのカフェとききました。

    この次、行ってみたいな、、

  • お隣にもビルは続く。

    お隣にもビルは続く。

  • すごく可憐な梅の花がありました。<br /><br /><br />こんな淡い色の梅も久しぶりに観ました、<br />ピンクって可愛いですね~。

    イチオシ

    すごく可憐な梅の花がありました。


    こんな淡い色の梅も久しぶりに観ました、
    ピンクって可愛いですね~。

  • こちらの一画には駒札もありますが、七条仏師跡です。<br />有名な仏師たちのゆかりの場所。<br /><br />駒札によると、、、<br /><br /><br />平安中期の仏師 定朝は有名ですが、定朝やその一族、師弟などが居住し、仏所として彫刻などを行っていた場所です。<br /><br />定朝は平等院阿弥陀堂本尊の阿弥陀如来坐像などを作製し、和洋と呼ばれる優れた技術を持ち、仏師の社会的向上に努め、仏師の祖と呼ばれています。<br /><br />その後鎌倉時代には、運慶、湛慶、快慶といわれる優れた仏師たちがいますが、室町時代になると衰退し、兵乱の火災などによって、仏所の遺構は完全に焼失してしまったそうです。<br />

    こちらの一画には駒札もありますが、七条仏師跡です。
    有名な仏師たちのゆかりの場所。

    駒札によると、、、


    平安中期の仏師 定朝は有名ですが、定朝やその一族、師弟などが居住し、仏所として彫刻などを行っていた場所です。

    定朝は平等院阿弥陀堂本尊の阿弥陀如来坐像などを作製し、和洋と呼ばれる優れた技術を持ち、仏師の社会的向上に努め、仏師の祖と呼ばれています。

    その後鎌倉時代には、運慶、湛慶、快慶といわれる優れた仏師たちがいますが、室町時代になると衰退し、兵乱の火災などによって、仏所の遺構は完全に焼失してしまったそうです。

  • 駒札があります。

    駒札があります。

  • そして、今回、どうしても来てみたかったところ、、<br /><br />こちらのカフェ Kaikado Cafe。<br /><br /><br />開化堂と言えば、京都のお茶筒の有名な老舗です。<br />明治8年の創業と聞きました。<br /><br /><br />とても素敵な茶筒です。<br />

    そして、今回、どうしても来てみたかったところ、、

    こちらのカフェ Kaikado Cafe。


    開化堂と言えば、京都のお茶筒の有名な老舗です。
    明治8年の創業と聞きました。


    とても素敵な茶筒です。

  • こちらもレトロな建物です。<br />昭和50年代まで、京都市電の「内濱架線詰所」という事務所兼車庫のような建物だったところだそうです。<br /><br /><br /><br />

    イチオシ

    こちらもレトロな建物です。
    昭和50年代まで、京都市電の「内濱架線詰所」という事務所兼車庫のような建物だったところだそうです。



  • 事務所風のシンプルなビルの造りにも見えます。

    事務所風のシンプルなビルの造りにも見えます。

  • こちらも天井の高い内部です。

    こちらも天井の高い内部です。

  • 落ち着く雰囲気。

    落ち着く雰囲気。

  • 中庭も素敵でした。<br />奥のほうにも古いお家。<br /><br />外でもお茶できるのかなぁ~。

    中庭も素敵でした。
    奥のほうにも古いお家。

    外でもお茶できるのかなぁ~。

  • 私がオーダーしたのは、こちらの餡バタートーストと古代式の緑茶です。<br /><br /><br />小豆も甘くなく、美味しいし、トースト小さめで食べやすい、、<br />しかも、一番感動したのは、お茶です。<br /><br /><br />美味しいお茶、、古代式ってちょっと惹かれましたけれど、<br />なぜ古代式かも聞くのを忘れて←食い意地がはってます。<br /><br /><br />緑茶なんですけれど、甘いのです。。<br />甘くて、じんわりと体にしみわたるような優しい味わいのお茶でした。<br />お湯もお替りできます。<br /><br />また、のみたいなぁ~とおもいつつ、<br />ついつい餡子にもひかれてしまい、お土産にモナカのセットを買ってしまいました。<br /><br />こちらも、夫には大好評で、今もまだ、手作りモナカを造って食べております。

    イチオシ

    私がオーダーしたのは、こちらの餡バタートーストと古代式の緑茶です。


    小豆も甘くなく、美味しいし、トースト小さめで食べやすい、、
    しかも、一番感動したのは、お茶です。


    美味しいお茶、、古代式ってちょっと惹かれましたけれど、
    なぜ古代式かも聞くのを忘れて←食い意地がはってます。


    緑茶なんですけれど、甘いのです。。
    甘くて、じんわりと体にしみわたるような優しい味わいのお茶でした。
    お湯もお替りできます。

    また、のみたいなぁ~とおもいつつ、
    ついつい餡子にもひかれてしまい、お土産にモナカのセットを買ってしまいました。

    こちらも、夫には大好評で、今もまだ、手作りモナカを造って食べております。

  • 餡子のあっぷ。笑<br /><br />小豆物は、本当に大好きです。

    餡子のあっぷ。笑

    小豆物は、本当に大好きです。

  • メニューも豊富です。<br /><br />またいきたいなぁ~。<br /><br /><br /><br />ちょっと変わっているかもしれないのですが、、<br />店内でコーヒー豆をザルに入れて、マメをよっておられたのですが、<br />そのざーーーーーっという音がとても心地良くて、てっきり、小豆を寄っている音だと思ってましたら、コーヒー豆でした。<br /><br /><br />とても素敵なお店でした。<br /><br /><br />

    メニューも豊富です。

    またいきたいなぁ~。



    ちょっと変わっているかもしれないのですが、、
    店内でコーヒー豆をザルに入れて、マメをよっておられたのですが、
    そのざーーーーーっという音がとても心地良くて、てっきり、小豆を寄っている音だと思ってましたら、コーヒー豆でした。


    とても素敵なお店でした。


  • 近くにも昭和時代を彷彿させるようなレトロな建物がありました。

    近くにも昭和時代を彷彿させるようなレトロな建物がありました。

  • この狭い道の奥に食事ができる場所があるようです。

    この狭い道の奥に食事ができる場所があるようです。

  • 更に歩いて、京都駅のほうに向かいます。<br /><br />はし、、とあるのですけれど、川はありません。<br />

    更に歩いて、京都駅のほうに向かいます。

    はし、、とあるのですけれど、川はありません。

  • またも見える京都タワー。<br /><br />これを見ると、おおよその位置が分かってきます。<br />助かります。

    イチオシ

    またも見える京都タワー。

    これを見ると、おおよその位置が分かってきます。
    助かります。

  • 塩小路通り。<br /><br />名前をきくと、塩麹といつも間違えます、、頭のなかで。笑

    塩小路通り。

    名前をきくと、塩麹といつも間違えます、、頭のなかで。笑

  • こちらは、京都芸術大学?<br />大きな建物です。

    こちらは、京都芸術大学?
    大きな建物です。

  • 桜田儀兵衛の顕彰碑とその石碑、説明板がありました。

    桜田儀兵衛の顕彰碑とその石碑、説明板がありました。

  • 駒札が劣化して、読めなくなっています。<br /><br />その下に説明が新しく。<br />駒札を作り直したほうが良いと思うのですが、、、<br /><br />

    駒札が劣化して、読めなくなっています。

    その下に説明が新しく。
    駒札を作り直したほうが良いと思うのですが、、、

  • 桜田儀兵衛は資材を投じて貧民救済を行い、明治期に流行したコレラの防疫活動にも尽力を尽くした人物。<br /><br />柳原町町長にも選出されています。

    桜田儀兵衛は資材を投じて貧民救済を行い、明治期に流行したコレラの防疫活動にも尽力を尽くした人物。

    柳原町町長にも選出されています。

  • こちらは、その偉業を称えた顕彰碑です。

    こちらは、その偉業を称えた顕彰碑です。

  • 古い石塔もあり、

    古い石塔もあり、

  • 古い橋の遺構も残っていました。

    古い橋の遺構も残っていました。

  • 銭座場跡の碑もあります。<br /><br />銭座場では銅銭を製造していたそうで、寛永通宝や宝永通宝を製造していました。<br /><br />

    銭座場跡の碑もあります。

    銭座場では銅銭を製造していたそうで、寛永通宝や宝永通宝を製造していました。

  • 建物の建築の記念碑のようなものも、、

    建物の建築の記念碑のようなものも、、

  • この一角、いろんな史蹟の者が集められたようなところでした。

    この一角、いろんな史蹟の者が集められたようなところでした。

  • そして、このパステルカラーの可愛い建物が、柳原銀行記念館です。<br /><br /><br />明治32年の創業、被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行だそうです。<br /><br />当時、差別により町内ではできなかった融資なども行われ、産業の振興にも寄与し、小学校などの運営の資金や道路の建設などにも利子が運用されるなどしたそうです。<br /><br /><br />金融恐慌で昭和2年には倒産してしまいます。<br />

    そして、このパステルカラーの可愛い建物が、柳原銀行記念館です。


    明治32年の創業、被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行だそうです。

    当時、差別により町内ではできなかった融資なども行われ、産業の振興にも寄与し、小学校などの運営の資金や道路の建設などにも利子が運用されるなどしたそうです。


    金融恐慌で昭和2年には倒産してしまいます。

  • 月曜日のために、本日は休館です。<br /><br />次回、見学したいと思っています。<br /><br />明治の後期、洋館の木造建築として大切に保存されています。

    月曜日のために、本日は休館です。

    次回、見学したいと思っています。

    明治の後期、洋館の木造建築として大切に保存されています。

  • この奥のほうは大学の構内です。

    この奥のほうは大学の構内です。

  • そして、見学目的の、平清盛終焉の地を目指します。

    そして、見学目的の、平清盛終焉の地を目指します。

  • 川沿い、大学の校舎の横を通って、

    川沿い、大学の校舎の横を通って、

  • ガードレールをくぐり、

    ガードレールをくぐり、

  • とても小さな一角に、小さな石碑と説明板がありました。

    とても小さな一角に、小さな石碑と説明板がありました。

  • 平清盛の終焉後の推定地とあります。<br /><br /><br />1181年、平盛国の屋敷にて平清盛が没したと伝わっています。<br /><br />そして、同時に、この場所では清盛の甥で、また安徳天皇の父親である高倉天皇が誕生した場所でもあります。<br /><br /><br />

    平清盛の終焉後の推定地とあります。


    1181年、平盛国の屋敷にて平清盛が没したと伝わっています。

    そして、同時に、この場所では清盛の甥で、また安徳天皇の父親である高倉天皇が誕生した場所でもあります。


  • 説明板。<br /><br />破損していて、読みにくいです。<br /><br />

    説明板。

    破損していて、読みにくいです。

  • そして、少し進むと、崇仁の名前の由来と銭座場跡という説明板がありました。<br /><br />崇仁の名前は平安左京の坊名からが由来です。<br /><br />銭座は銅銭の製造所で1698年から寛永通宝、その後宝永通宝も製造されてきました。<br /><br />1731年からはその銭座場跡に新しい村を開発していき、<br />銭座場跡村としたそうです。

    そして、少し進むと、崇仁の名前の由来と銭座場跡という説明板がありました。

    崇仁の名前は平安左京の坊名からが由来です。

    銭座は銅銭の製造所で1698年から寛永通宝、その後宝永通宝も製造されてきました。

    1731年からはその銭座場跡に新しい村を開発していき、
    銭座場跡村としたそうです。

  • 小さな公園になっていました。

    小さな公園になっていました。

  • 京都駅に向かう途中、西光寺というお寺がありました。<br />大きなお寺です。

    京都駅に向かう途中、西光寺というお寺がありました。
    大きなお寺です。

  • こちらは正久寺。

    こちらは正久寺。

  • 京都周辺も工事中です。<br /><br />どんどん変わっていくのかなぁ~。

    京都周辺も工事中です。

    どんどん変わっていくのかなぁ~。

  • お洒落なお店もあって、

    お洒落なお店もあって、

  • こちらからも見える京都タワー。

    こちらからも見える京都タワー。

  • 変なホテル、、こんなホテルもあるんだ、、、って、何が変なのかな、、

    変なホテル、、こんなホテルもあるんだ、、、って、何が変なのかな、、

  • JR京都駅に来ました。<br /><br />本日の歩き旅、ここで終わりです。<br /><br />

    JR京都駅に来ました。

    本日の歩き旅、ここで終わりです。

  • Kaikodo Cafe で買ったおみやげ。<br /><br />餡子好きなので、ついつい。<br />甘さ控えめの美味しい餡子です。<br /><br /><br />中村製作所さんのものだそうです。

    Kaikodo Cafe で買ったおみやげ。

    餡子好きなので、ついつい。
    甘さ控えめの美味しい餡子です。


    中村製作所さんのものだそうです。

  • こちらは餡子をはさむもの、、なんていうんでしょう、<br />この皮、ぱりぱりしてとても美味しい。<br /><br />以前、下鴨神社のお茶屋さんで食べたモナカと同じようなおいしさでした。<br />

    こちらは餡子をはさむもの、、なんていうんでしょう、
    この皮、ぱりぱりしてとても美味しい。

    以前、下鴨神社のお茶屋さんで食べたモナカと同じようなおいしさでした。

  • 家でもたっぷりと餡子を挟んでいただきました。。<br />美味しい~。^^

    家でもたっぷりと餡子を挟んでいただきました。。
    美味しい~。^^

  • こちらも大好きなすぐきのお漬物たち。<br /><br />この大きなすぐきが大好きです。<br /><br />また買いにいきたいなぁ~。<br /><br /><br />長い旅行記を最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^<br /><br /><br />

    こちらも大好きなすぐきのお漬物たち。

    この大きなすぐきが大好きです。

    また買いにいきたいなぁ~。


    長い旅行記を最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^


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この旅行記へのコメント (2)

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  • sukecoさん 2024/03/01 13:26:50
    餡子!!!
    Reiseさん、こんにちは!

    京都、歩くとお寺に出会えます。。。
    わかります~、歩くといつでもお寺に出会えそう~!。
    でも結局、私の場合は定番のお寺ばかり行ってしまいます(笑)。
    綺麗な梅の花を見ながら、さんぽしてお寺に出会う、そんな観光に憧れます!!。
    鐘馗の像、初めて知りました。
    京都の家には結構あるのですね!。
    今度、京都の町を歩くときは、チェックしてみます♪。
    それにしても、Kaikodo Cafeの餡子、なんと見事な餡子でしょう~(笑)。
    餡子大好きの私には、たまりません!!。
    ふふふっ、私は、あの餡子に、バニラアイスクリームをのせて、食べたいな♪。
    いくらでも食べられる自信があります(笑)。

     sukeco

    Reise

    Reiseさん からの返信 2024/03/01 16:15:26
    私も餡子大好きです♪
    sucekoさん

    こんにちは!


    そうなんです、、いま、あちこちで梅がとてもきれいでした。
    私がちょっと惹かれたのはピンクの薄い色の梅で、白や赤は見慣れてしまったのですが、ピンクのパステルの色がとても綺麗な梅でした。

    鐘馗は怖いんですよね、顔を見ていると。
    でも、京都の町家の屋根のところにちょこんと立って、疫病などから守っていると思うと、安心ですよね。
    昔ながらの家々が多い場所などには、特に多くて、まじまじと屋根をみながら歩いています。屋根ばかり見ているので、変なひとですよね。笑
    京都に来られたら、是非、町屋の家の鐘馗も探してみてください。

    Kaikodo Cafeの餡子、中村屋さんというところの餡子を使っているそうなんですが、ほんのりの甘さでいくらでも食べられます。
    お土産に買って帰ったモナカのセット、最高でした。
    止まらなくなるおいしさ。危ないですよね〜笑

    sucekoさんも餡子がお好きなんですね〜。
    きっと、あの中村屋さんの餡子はお気に入りになるとおもいますよ。
    バニラアイス〜なるほど。それはもっと美味しくなりますね。
    試してみたかったです、、実は残りがあとモナカの皮の一つ分。
    それとも、バニラアイスを買ってきて、モナカの中に餡子といれてみようかな〜。

    美味しいアイデア、ありがとうございます♪♪

    Reise

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