2024/01/08 - 2024/01/10
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nichiさん
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鬼怒川渓翠に初めて泊まりました。
そして翌日は鬼怒川渓翠主催の日光から中禅寺湖を巡るバスツアーに参加しました。
ツアコンは鬼怒川渓翠のフロントの方です。
まず最初に行ったのが輪王寺~東照宮。
何度か伺ったことがあるのですが、ガイドさん付きで伺うのは今回が初めて。
私たちシニア夫婦が初めて知ったこともいくつか。。。。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
鬼怒川渓翠主催のツアーバスで出発。
バス出発時、鬼怒川渓翠のスタッフたちが手を振ってお見送り。。。。 -
30分弱で輪王寺の駐車場に到着。
ココでガイドさんと合流。 -
ハーヴェストの会員向けのツアーバスで、参加者は20名弱の方々が参加。
年齢層は、皆さん私たちより少し上の方々ですね。 -
目の前は輪王寺の本堂である三仏堂です。
-
前回伺ったときは、平成の大修理の真っただ中で、外観は見れませんでした。
平安時代に創建された輪王寺の三仏堂、今の建物は、正保2年(1645年)、徳川三代将軍「家光」によって建て替えられました。
よって東照宮よりはるかに長い歴史があるお寺です。
中は撮影禁止。
日光三所権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)が鎮座していらっしゃいます。
高さ7m以上の大きな三体の仏様。
近くて迫力ありました。
日光では、山、仏、神が一体なんですね。
三山(女峰山・男体山・太郎山)
三仏(阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音)
三社(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)
これを同一視していたようです。
滝尾権現は今の滝尾神社、新宮権現は今の日光二荒山神社、本宮権現は今の本宮神社のことです。
ガイドさんがいると勉強になるな~ -
逍遥園と言う輪王寺の庭園です。
-
閑静な庭園ですね。
-
三仏堂の裏側に廻ると、大護摩堂の手前に、ロケットのような塔が現れました。
日陰には雪が残ってますね。 -
徳川三代将軍「家光」の命によって建てられた高さ13mの相輪橖です。
-
青銅製の塔で、上部には金の鈴がかかってます。
徳川の葵の御門が記されています。 -
こちら側が正面です。
-
参道に出てきました。
この緩やかな坂の奥が東照宮です。 -
ココでガイドさんの説明があり、初めて知ったことが。。。
なんと、春と秋の例大祭の時、ココで流鏑馬が行われるとのことです。
へ~~~
京都や鎌倉の流鏑馬、テレビで見たことある。。。
日光でもあるんだ~~
それも例大祭の目玉なんだとか。。。
新しい発見1です。 -
ココで大勢の見物人が見る中、疾走する馬上から鏑矢を放って、3つの的を射抜きます。
生で見てみたいな~~
緩やかな坂になってます。
東照宮から外に向かって少し下ってます。 -
緩やか坂を歩いて、東照宮の入口までやってきました。
-
ココでガイドさんから新しい事実を教えていただきました。
この石碑の「東照宮」の文字、なんと、渋沢栄一の字なんだそうです。
徳川家康没後300年祭が行われた1913年に建てられた石碑で、渋沢栄一は徳川15代将軍であった慶喜に仕えたこともあり、ゆかりがあったのですね。 -
ガイドさんの「石碑の裏側をご覧ください。」といわれ、みんなで裏側に廻ってみました。
「渋沢栄一」の文字が見えます。
新しい発見2です。 -
石鳥居に向かってガイドさんの後を登ります。
ココでガイドさんのご説明で知ったこと。
石鳥居下の石段は、千人桝形と呼ばれていますが、10段の石段の各段に100人並ぶことができるのだそうです。ギュウギュウですが。。。
よく見ると、上に行くほど横幅が狭く、しかも段差も低くなっています。
石鳥居を遠くに見せる遠近法を使ったトリックなんですね。 -
ガイドさんが石鳥居の近くで止まって、下の石畳みの1枚の石を指して説明が始まりました。
この石は、「照降石(てりふりいし)」と言うのですが、この石、斜めに線が見え、右側が黒っぽく左側が白っぽく見えます。
翌日に雨が降るときは、この黒い部分がより黒くなるそうです。
湿度によるものらしいのですが、日光七不思議のひとつなんだとか。。。
これもガイドさんに教えてもらはなければ知らなかったことです。
新しい発見3です。 -
一の鳥居です。
石鳥居です。
ココでもガイドさんの説明で新たに知ったこと。
日光東照宮創建の翌年、元和4年4月17日(1618年6月9日)に造られた鳥居だったのです。
つまり江戸初期からあるのですね~ -
で、この石鳥居は花崗岩で造られており、黒田長政が奉納したのですね~
関ケ原での活躍が家康に認められて、福岡藩初代藩主に取り立ててもらった長政は、なんと福岡から花崗岩を運んだそうです。
江戸までは海路、そして江戸川・利根川・渡良瀬川を遡り、前日に行った栃木市内の巴波川をさらに遡り、小山~鹿沼~今市を経て陸路、日光まで運んだのだとか。。。
よく見ると、組み立てられた跡が見えます。
新しい発見4です。 -
左側には五重塔。
-
慶安3年(1648年)に、若狭藩主だった酒井忠勝により寄進された五重塔。
後に火災で焼失しましたが、1818年に再建されています。
ここでもまたガイドさんの説明で新たに知ったことが、、、
家康が寅年、寅の刻生まれだったことから、寅の彫刻が多く刻まれているのだそうです。
家康が寅年、寅の刻に生まれたことは、NHK大河ドラマの「どうする家康」で知っていたので、ガイドさんの説明を伺って、「ふ~~ん。なるほど、、」 -
寅を探します。
-
さあ東照宮へ。
普段は混んでいる所ですが、平日ですのでガラガラです。 -
チケットは、ツアコンのハーヴェストのスタッフが用意してくださいました。
-
表門です。
小学校の修学旅行以来、何回訪れているのだろう? -
表門から歩いてきた参道を振り返ります。
石鳥居が見えます。 -
表門から中に入ると、正面には左から上神庫、中神庫。
-
右には修理中の下神庫。
この3つの神庫には、千人武者行列の際の使う装束や道具が収納されています。 -
ガイドさんに、上神庫の妻を見るように言われました。
-
上神庫の妻をアップで。
ここには、象の彫刻。
でも尾が3本。
牙が金色。
体毛が濃く、毛むくじゃら。
耳に金の金具のようなものが付いてます。
よって、実際の象とはかなり異なります。
これは、「想像の象」と言われており、狩野探幽の描いた下絵を基にした彫刻だそうです。
この象は、神庫の中の宝物を守っているのだそうです。
新しい発見5です。 -
3つの神庫の反対側には、有名な「三猿」がある神厩です。
創建されたのは、元和3年(1636年)です。
つまり家光による東照宮再建の時で江戸初期ですね。
ガイドさんの説明をお聞きしました。
ここは厩舎ですから、馬がいたのかと思ったのですが、そうではありませんでした。
家康の愛馬が家康の永眠を守るために造られたのがこの神厩です。
東照宮の神馬は、普段ココにはいないそうです。
新しい発見6です。 -
外壁には猿の物語。
ストーリーは知っていましたが、なぜ猿なのかは知りませんでした。
新しい発見6
「猿は馬を守る」と言う言い伝えがあって、インドから中国を経て日本に伝わった信仰なんだそうです。
知らなかったな~
これは物語の最初の一枚目。
手をかざして遠くを見つめる母猿。
すぐそばには生まれたばかりの子猿。 -
有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」ですね。
自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を、見たり聞いたり言ったりしがちだけど、それらはしないほうがよいという戒めです。 -
独り立ちしようとしている若い猿です。
-
2匹の若い猿が空を見上げています。
自分の未来を見つめています。 -
人生の厳しさを知ってうなだれている猿と、その両側で慰めている猿です。
-
恋愛中の若い猿。
-
その2匹はめでたく結婚。
-
母猿が妊娠しました。
これで最初に絵に戻ります。 -
二の鳥居と陽明門が見えました。
-
これが二の鳥居です。
青銅製の鳥居で、寛永3年(1636年)に造営されました。
鳥居の中から陽明門が見えます。 -
左側には手水舎。
元和4年(1618年)に鍋島藩の鍋島勝茂より奉納されています。
水を使うので、腐らないように、柱は木ではなく花崗岩です。 -
さあ青銅製の二の鳥居をくぐります。
-
左側には輪蔵。
回転式の本棚に仏教の経典が保存されています。
でも何で神社に仏教に経典?
ガイドさんに教えていただいた私にとっての
新しい発見7。
そもそも日光山輪王寺は、日光山の全権を握っていました。
つまり日光東照宮は、輪王寺の管理下だったのですね。
それで神仏混合になった由来があるとのこと。
そういう意味では、先ほど訪れた五重塔も元来はお寺のものですもんね。 -
ココに並んでいる燈篭の中の手前の2つは、鉄の燈篭です。
東照宮が創建された元和3年(1617年)に伊達政宗から奉納されたものです。
ポルトガルの鉄を輸入して鋳造したのだそうです。
南蛮鉄と呼ばれ、当時の和鉄より高価だったようです。
では何故、伊達政宗はこの南蛮鉄を使った燈篭を奉納したのか?
他の大名から贈られた燈篭は、ほとんどが石か鋳銅。
当時高価だった南蛮鉄の灯篭を送ることに寄って、他の大名との差別化を図り、伊達政宗はもう徳川に忠誠を誓い、天下を狙う気がないことを示したと考えられているそうです。
ガイドさんに教えていただいた私にとっての
新しい発見8
でした。 -
正面には陽明門。
-
陽明門は、平成の大修理で綺麗になりました。
輝きが全く違うそうです。
陽明門は東照宮の正門です。
元和3年(1617年)に徳川秀忠によって創建され、寛永13年(1636年)に徳川家光が家康の21回忌に合わせ、豪華絢爛な門に立て替えました。
500以上の彫刻が施されています。 -
陽明門の扁額です。
「東照大権現」とは、家康が死後に朝廷から送られた神様としての名で神号のことです。
「後水尾天皇」の直筆です。 -
一日中見ていても飽きないことから「日暮の門」とも呼ばれているのは有名ですよね。
門の中央の一番上には、鬼瓦が下を睨んでいます。
上から邪悪な者が入ってこないか見張っています。 -
白いのが、「目抜きの龍と龍馬」。
中央には爪と髭と歯が黄金に輝く白い龍が宙を待っている様子が彫られています。
右は目が彫られていない龍。
目が入って彫刻が完成したら龍が遥か彼方に飛んで行ってしまうという「画竜点睛」という故事のお話。わざと未完成状態なんですね。
左には龍馬。顔は龍で胴体は蛇、脚は馬。 -
弾琴と言う楽器を弾いています。
-
展書
書と触れ合うのも精神修行の一環。 -
観画
絵を描くことも人格教養の一環。 -
囲碁を打ってますね。
-
じっと見ているときりがない。
見とれてしまいます。
門をくぐりましょう。 -
くぐって門の裏側へ。
狛犬の両側の白い柱。 -
これが有名な逆さ柱。
他の柱と模様が逆です。
完璧なものは魔が差すというと言われ、未完成であることで、崩壊を防ぐ考え方です。 -
鯉に乗った琴高仙人
この仙人は琴の名手で、800年生きたと言われています。
鯉に乗って黄河に入り、龍を捉えに行くところです。 -
龍に乗る黄仁覧。
-
裏側もじっくり見とれてしまいます。
-
陽明門をくぐってすぐ左側の神興舎です。
祭事で使う神輿の倉庫です。 -
天井には「天女舞楽」の絵。
-
中には神輿が3基。
真ん中が家康。
右が秀吉。
左が頼朝。 -
見事な陽明門を再び振り返ります。
-
唐門に続く壁。
-
唐門です。
この唐門も元和3年(1617年)に徳川秀忠によって創建されています。
ココから先は、将軍に拝謁できるレベルの方しか入れなかったエリア。 -
右の白い柱には昇龍。
左の白い柱には降龍が描かれています。
白い部分に黒い部分が寄木で造られており、黒い部分は黒檀が使われているとのことです。
普段は閉じられているこの門。正月や例大祭、勅使が下向された際に開放されます。 -
陽明門ほどではありませんが、この門の彫刻もすごいです。
これは、春秋時代、舜帝に会いに多くの役人たちが拝謁する様子を表現しています。 -
この一本燈篭、二代将軍であった徳川秀忠の娘である徳川和子より奉納されています。
-
家康の墓所に続く奥参道の入口の坂下門の手前にある回廊の潜り門の上には眠り猫。
-
左甚五郎作で縦15㎝、横20㎝の猫です。
家康が永眠している奥所を守っている眠り猫。
薄目を開けて前足を折らずにいる姿は、いつでもとびかかれる姿です。
では、何故ここに猫の彫刻なのか?
ココから先はネズミ一匹通さない!
と言う意味なんだそうです。
ココに猫がいる意味までは知らなかったな~
ガイドさんに教えていただいた私にとっての
新しい発見9です。 -
陽明門を出て、
-
すぐ左の薬師堂へ。
この薬師堂も、元和3年(1636年)に創建されています。
御本尊は、薬師如来像です。 -
で、ここで有名なのが、狩野永真安信作の巨大な天井画です。
縦6m×横15mの龍の水墨画です。
でもでもこの薬師堂は火災で焼けてしまい、復元されたものです。
中は撮影禁止ですのでブロッシャーから。。。
龍は水を司る神と言われ、寺院を火災から守るという意味があるそうです。
で、数十人ごとに参拝者を区切り、僧侶の方に中に案内されます。
私たちは、たまたまフィリピンの団体さんといっしょになり、僧侶の方より日本語と英語で説明を受けます。
龍の頭の下に行って、僧侶の方が拍子木を鳴らすと、カーンと音がした後、鈴が転がるような音が聞こえます。
これが龍の鳴き声だと言うことです。
僧侶の方が少し場所をずらして拍子木を鳴らしても、この音は聞こえません。
龍の顔の部分が少しへこんでいて、そもそも天井がわずかに湾曲しており、フラッターエコーの影響でこのような音がするそうです。
面白いですね~
で、この音も明治時代に偶然見つかったそうです。
薬師堂の中に入った鳩を追い出すために、僧侶が手をたたいたところ、龍の顔の真下でこのような現象が起きて発見されたそうです。
面白いですね~
ガイドさんに教えていただいた私にとっての
新しい発見10です。 -
オランダ廻燈篭です。
寛永20年(1643年)、オランダの東インド会社から贈られました。 -
なななんと、三つ葉葵の御門が逆さまです。
それも上部全部です。
間違えちゃったのですね。
オランダなのでお咎めはなかったそうです。
ガイドさんに教えていただいた私にとっての
新しい発見11です。 -
こちらも寛永17年(1640年)に奉納された蓮燈篭です。
-
ガイドさん付きで新たな発見が多かった東照宮です。
面白かった~
つづく
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