2022/10/15 - 2022/10/15
259位(同エリア2580件中)
パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2022/10/15
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壷川駅
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電車での移動
ゆいレール 6:20 → 6:24
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県庁北口高速バス乗り場 6:35
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バスでの移動
やんばる急行バス 6:43→ 7:40
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バスでの移動
やんばる急行バス 7:46→9:02
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今帰仁城跡入口 バス停
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徒歩での移動
9:03→ 9:23 写真を撮りながらユックリ歩く。
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徒歩での移動
11:03→ 11:25 帰りも写真を撮りながらノンビリ。
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今帰仁城跡入口 バス停 11:25
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バスでの移動
琉球バス交通沖縄バス・66本部半島線(今帰仁廻り・備瀬経由)・名護バスターミナル行バス 11:36
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この旅行記スケジュールを元に
梅雨の5月城巡りのリベンジです。雨は余り降らないシーズンを選んだ筈が、初日を除き全て雨予報と前日知る。 急遽予定を組みなおしての慌ただしい旅となりました。詰めの甘いスケジュールが幸いして?、土地の人に沢山助けてもらいました。又沖縄行きたい(^_-)-☆
②は2日目午前今帰仁城跡行きです。
https://4travel.jp/travelogue/11787370の続編です。
表紙写真は今帰仁城跡 志慶真門郭。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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☆The Second Day☆ 10月15日 (土)
(写真) 6:11 壷川駅 改札口前の床のマングローブタイル
那覇空港駅のパブリックアート 「万国津梁の民」は前回ご紹介しましたが、壷川にこのようなモザイク画があるの気付きませんでした。
壷川駅略直結のメルキュールホテル泊だと6:45 県庁北口発なんてどうってことないです。 -
壷川駅 各駅アート 「国場川に競う爬竜船(はりゅうせん) 」
「 沖縄各地で古くから行われ、豊漁と海上安全を祈願するハーリー。」
*https://www.yui-rail.co.jp/routemap/tsubogawa -
(写真) 6:14 壷川駅 てだこ浦西 方面プラットホーム
午前中はまだ24時間券使えます。 壷川6:32発でも間に合いますが。 シニアは走れないので(^_-)-☆ -
メルキュール那覇ホテルは郵便局の隣にあります。 壷川プラットホームより
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国場川と歩行者専用の北明治橋 川の向こうは奥武山公園 壷川プラットホームより
通算6泊もメルキュールホテルで通算6泊もしたのに奥武山公園どころかこの橋も渡ってません(>_<) -
壷川プラットフォームより、奥武山公園駅方面 まだライトがついています。
国場川にかかるのは那覇大橋と新那覇大橋(とよみ大橋)のようだ。 -
6:18 空港行きのゆいレール入線
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6:18 少し遅れててだこ浦西行きのゆいレールも入線。 6:20 壷川発。
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後ろの車掌席
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前の車掌席
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6:24 県庁前駅着 ホームドア停止中 なので電車が停止すると係員がロープを外してからドアが開きます。 乗降が終わると 又ロープをかけます。
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ブーゲンビリアに飾られた階段を降ります。
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(写真) 6:32 おなりばし 県庁前駅そば
階段を降りたらすぐにやんばる急行バス停がある筈だったのですが。
昨晩予習済みだったのに、どうしたのでしょうか? 通りを渡るとおなりばしがありました。でも昨晩はこんな場所ではありませんでした。
こちらに向かって歩いて来た若い女性に尋ねる。 -
(写真) 6:35 ここが県庁北口高速バス乗り場です。リウボウ正面入り口(国際通り)の方にあります。
彼女も同じバスに乗るそうなのでバス停まで一緒に。 -
やんばる急行バス (YKB)バス停はこのデパ地下案内板の斜め前 夕食は今日こそこちらの「ふる里」でのつもりだったのですが。
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(写真) 6:38 県庁北口高速バス乗り場より 左はHOTEL ROCORE NAHA、右は県庁。
ホテルを出る時は厚い雲でしたが、青空にうろこ雲が浮かぶ。 -
照明ポールの天辺の太陽みたいな飾り
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美しい屋根付きのバス停
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(写真) 6:43 やんばる急行バス定時に着。乗車時に切符を買います。 クレジットカード使えました。
6:45発 やんばる急行バス 美ら海水族館・運天港 行き(YKB888)1便
*https://yanbaru-expressbus.com/timetable/
◎県庁北口→今帰仁城入口 やんばる急行バス \2,000 -
YKB888 1便車内
国際通り向こうにはJino Tourのバスが止まっていました。
やんばるバスは6名を乗せ定時発。 次のバス停泊高橋で4名が乗りこむ。 -
(写真) 6:57 YKB888 1便 車窓
懐かしいオキミューを通過。 -
(写真) 6:59 YKB888 1便 車窓
おもろまち一丁目バス停の向いに日本銀行那覇支店があった。
おもろまち一丁目 で1人乗車。 おもろまち一丁目のやんばるバスのバス停はStarbuckの前で分かり易い。
おもろまち駅前 誰も乗らなかった。昨晩偵察したバス停のような気がしないでもなかったが、誰もいないとヒヤヒヤしたと思う。 メルキュールのフロントのHさんのアドバイスに従い県庁北口で乗って良かった。 -
(写真) 7:04 古島駅前バス停
古島駅前 で2人乗車 計13名
7:12 大平で1人乗車
嘉数でこれから高速道路にはいるので、シートベルト着用
琉大入口で1人下車 -
(写真) 7:21 YKB888 1便 車窓
ふれあいの里若松アガぺ会 (北中城喜舎場にある) 宗教団体かな?と調べてみれば特定医療法人でした。 喜舎場(又来ました!)で雨が酷くなる。
「イオンモールライカムにご用の方は山里で降りて下さい」のアナウンス。5月イオンモールライカムでグスク巡りんバスに乗ろうと走り回ったのが懐かしい。 -
(写真) 7:37 海が見える。
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(写真) 7:40 伊芸サービスエリアでトイレ休憩
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伊芸サービスエリア。 何の木でしょうか?
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伊芸サービスエリア。 お店はまだ開いていません。
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(写真) 7:44 石の門の上部に朱色で「かりゆし」と書かれています。 伊芸サービスエリア。
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花の向こうの石の門がかりゆしの門。 伊芸サービスエリア。
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読みづらいので全文書き写します。
かりゆし門
命名由来
「かりゆし」とは、沖縄の方言で「めでたいこと・縁起のよいこと」
というような意味があります。
この門をくぐり、拓けた空間には、天の恵みによる青々とした樹木
や草花、青い空、金武湾を望む展望台等があり、この門がみなさま
の幸せの門出となるよう命名しました。 -
様々な花々で飾られたフラワースタンド。 伊芸サービスエリア。
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雨に濡れたハイビスカス。 伊芸サービスエリア。
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金武湾 (きんわん)?が見えました。 伊芸サービスエリア。
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(写真) 7:46 約束の7:50より早く戻りましたが、私が最後で席に着くとすぐ出発。 運転手は人数をしっかりチェックしていました。
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(写真) 7:49 雨が降って来ました( ;∀;)
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(写真) 7:49 不思議な雲が出てきました。 右手に太陽が出て来ました。
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(写真) 8:04 海が見えて来ました。
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(写真) 8:06 道の駅許田
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(写真) 8:07 大雨が降りそう。
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(写真) 8:09 左手海側は厚い雲だが、右手には太陽が見えた。
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(写真) 8:11 建物が多くなってきました。 名護です!!
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(写真) 8:13, 8:14 お洒落な名護市役所が見えます。こちらには帰りに寄ります。
名護市役所で2人下車し、乗客は11人。
8:19 名護バスターミナルで1人、8:20 北部会館で1人下車し、残り9名となる。 -
(写真) 8:27 島々が浮かぶ。もう少しお天気が良ければな。
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(写真) 8:28 右手には 砕石工場? 左手はクレーン船
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(写真) 8:29 右手は拓南製鐵石灰工場 8:30 左手はクレーン船
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(写真) 8:33 虹です(^^♪
この辺りに ゴリラチョプの岩が見えたようですが、虹を写すことに夢中で気付かず(>_<) -
(写真) 8:34 崎本部緑地公園
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(写真) 8:36 本部港
本部港で4人降りたので、左の窓側の席に移動する。 -
(写真) 8:36 バスは 瀬底大橋向こうの虹を追いかけて国道449号を進みます。
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(写真) 8:38 瀬底大橋と一足のブーツを逆さにしたような岩
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(写真) 8:38 瀬底大橋と一足のブーツを逆さにしたような岩
本部博物館前でカトレアを持った女性が1人降りる。 -
(写真) 8:41 虹を追って進むが、8:42 中央にほんの薄っすら見えるだけでお終い。
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(写真) 8:41
本部大橋を渡る。右手は渡久地港で、高山食堂、ゲストハウス琉遊、ドコモショップの看板が見えた。 -
(写真) 8:43 ホテルモトルリゾートの最寄りバス停は本部高校入口。 古びた建物ですが、ビューは良さそうです。
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(写真) 8:45 浦崎の信号。ここで左折してバスは県道114号線を進む。
Family Mart 海洋博公園前店はここ。 美ら海水族館の切符は事前購入すると割引なのですね。 -
(写真) 8:47,8:48 マハイナウェルネスリゾート
バスはホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワを通るが乗降なし。 -
写真) 8:50 記念公園前 シニア男性が1人下車。 県道114号
8:52 ロイヤルビューホテル美ら海 ( 美ら海水族館) でもう1人下車 -
(写真) 8:53 Hotel Orion Motobu Resort & Spa
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(写真) 8:54「ようこそフクギの里備瀬集落へ」の看板
備瀬フクギはこの辺りなのですね。 こちらも次回のお楽しみに取っておきます。 -
(写真) 8:57 ホテルオリオンモトブを過ぎると114号は山の方へ進んで行く。 バスは途中具志堅西の信号で左折し、505号線に入る 。 小雨が降っています。
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(写真) 8:59 SONOMA、SALEM HEMISPHERE何かな? グーグルマップで調べると、 ウッドペッカー今帰仁のトレイラーハウスと判明。
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(写真) 9:00 今帰仁城跡入口はもうすぐ。
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(写真)9:02
交通整理の案山子?のお出迎え -
(写真)9:03
バスにはもう誰も乗っていない。 505号を少し戻ります。 男性が一緒におりましたが、ノンビリ写真を撮っていたので結局おいていかれました。 -
(写真)9:03
誰もいませんが、一本道を進むだけでしょう。 -
(写真) 9:05 今泊キリストの教会
民家のような感じ。 上五島の教会を思い出す。 -
(写真) 9:05 花に囲まれた道の向い側の民家
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(写真) 9:06道端のニチチニチソウ & 雨に濡れたハイビスカス
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今帰仁城跡に向ってノンビリ歩いて行くと左手の駐車場?の入口左側ににユニークな間仕切り壁のようなものがありました。ウチワのような葉っぱをつけた木(松でしょうか?)と首の長い鳥が5,6羽のレリーフで飾られていました。
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駐車場?左側、こちらには松のような木と太い竹にトラとヘビのレリーフで飾られた板。バックには年季の入った車。 番号のついた旗が間をあけて3本並んでいました。
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(写真) 9:08九年母 面白い名の喫茶。 さんぴん茶とケーキのお店かなと思えば、ネットで調べるとモーニング、ランチと食事も出してくれる喫茶。 「キュウネンハハ」でなく「クネンボ」と読み、日本の柑橘類の祖先、果皮の厚いミカンのことでした(^^)/
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エバーフレッシュ(アカサヤネムノキ)
小さなポンポンのような花が咲いていました。何かと近寄ってみました。
先ずはハナノナアプリで調べると「ブラシノキ」「バンクシア」。それはパースでみたので違う。グーグル画像検索を使い、「エバーフレッシュ」(和名はアカサヤネムノキ)と分かりました。エバーフレッシュ、オジギソウ、ネムノキ、ミモザ皆仲間です。ですが写真のアカサヤネムノキ 触ってみなかったので本当にお辞儀をするかは不明。 -
(写真) 9:11 桜の咲くころ再訪したい。
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(写真) 9:14 たったの500mですが、傘をさし植物観察をしているとナカナカ着きません。
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(写真) 9:15 テイキンザクラ にも雨。
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(写真) 9:17 地味な坂道になってます。 振り返ると海がみえました。
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花びらの色が水色ですが、ツユクサでしょうか?
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(写真) 9:23 券売所はこの階段を上ります。
◎今帰仁城跡観覧料 \600 -
(写真) 9:31 世界遺産登録資産の石垣石材
世界遺産に登録された琉球王国の5つのグスクの城壁は中国や朝鮮などの影響を受けた技術で構築され、それを琉球独自に発達させた。石垣に使われている石灰岩の種類は土地に寄り異なっている。 -
(写真) 9:31 勝連城跡・中城城跡・首里城跡の城壁の石材
沖縄本堂中南部の城壁には琉球石灰岩が用いられています。新生代の堆積層で、白色で柔らかく、加工が容易なため、大きな石材から形を整えることができ、城壁の築城技術も発展した。 -
(写真) 9:31 今帰仁城跡の城壁の石材
今帰仁城の城壁に用いる石材は、比較的古いタイプの石灰岩で、ねずみ色で硬い。城壁の壁面に並ぶ面石は、直方体の形の整った石材を選び、最も高い石垣は7mまで積み上げられている。 -
(写真) 9:32 イヨイヨ外壁が見えて来ました。
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(写真) 9:34
外郭の大きな石垣は「屏風形の曲線を描いていて沖縄屈指の名城たる風格を備えてい」る。
*石畳道の始まり両脇にある石碑、説明板 -
(写真) 9:34 美しい曲線の石垣
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(写真) 9:35 城の茶屋
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(写真) 9:35 平郎門と石畳道の始まり両脇にある石碑、説明板
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(写真) 9:36 今帰仁城跡石碑(平郎門に向って左手)
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(写真) 9:36「琉球王国のグスク及び関連遺産群」今帰仁城跡石碑(前の写真)のテーブル左部分
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(写真) 9:36 今帰仁城跡説明板 今帰仁城跡石碑の(向って)左隣。
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(写真) 9:37 平郎門から有料地域です。 野面積みの石垣。
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(写真) 9:37 大隅(うーしみ)の城壁 説明板
「城壁の外側に一定の間隔をあけて突出部を築くことで、城壁にせまる敵を横、あるいは斜めから攻撃できるように工夫された造りになっています。・・・
戦災を逃れた今帰仁城跡の城壁は、その多くがオリジナルの城壁となっています。」
この辺りから大隅に入れたのでしょうか? -
(写真) 9:38 平郎門はアーチ型になっていません。
昭和37年に修復されたもので、門の天井は大きな一枚岩を乗せた作りで左右に狭間があります。 *https://www.nakijin.jp/pagtop/kakuka/somuka/3/3/5/548.html
素敵な門と写しただけで、天井、左の狭間しっかり撮れていません(>_<) -
クワンソウは10月の花
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のでシーズン真っ盛り
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(写真) 9:45旧道説明板
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旧道
こちらからは不安で登らなかったのか、禁止だったのかは失念(>_<) -
ホルトノキ
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(写真) 9:42 カーザフ説明板
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(写真) 9:44 カーザフってどこ? ここではなかったようです。
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美しい階段と思い写しました。
七五三の階段になっているそうです。 写真は3段、5段、7段の部分です。
今帰仁村グスク交流センターにメールで
「七五三の階段」は戦後に造られたものか、七五三とした意味を問い合わせました。すると今帰仁城跡管理事務所より下記の詳細な返信戴きました。
★七五三の階段の歴史、構造について
平郎門から大庭まで続く参道は、戦前に地元集落(今泊)の方々によって桜の植栽とともに直線道に整備されました。戦後まもなく、土でできた坂道だったところを米軍車両が行き来していたのですが、地元の方々が大切にしていた聖地が城の中枢部にあったので、これ以上荒らされないよう、昭和37年、戦災文化財の修理として琉球政府文化財保護委員会の指導のもと、今みる階段に整備されました。三段、五段、七段と階段を上るごとに踊り場がある構造になっています。階段は全部で83段あります。そうした階段の数から、七五三の階段と呼ばれています。
この構造の階段が「疲れない」という話が埼玉県の関係者の方に伝わり、人間工学的な見地からも「疲れにくい」ということが理にかなっていることが確認され、埼玉県内の県道に三段・五段・七段ごとに踊り場のある歩道橋が設置されたエピソードが伝わっています。お年寄りや子供が楽に登れるように、との思いが込められたものだそうです。その歩道橋が現存しているかは不明ですが、当時の沖縄県内の地元紙に取り上げられて話題になったそうです。
また、今帰仁城の地元今泊の方々の間では、七五三の階段を整備した文化財保護委員であった故・新城徳裕氏(今泊出身)が神主の資格をもっておられたことから、「七・五・三」という数が縁起の良い語呂合わせであり、呼吸を整えるのにちょうど適したリズムだったことに着目されて構造を考えられたのではないかと話されています。 -
(写真) 9:45 風鈴佛桑花 説明板
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フウリンブッソウゲ
風鈴のような*仏桑花(*ハイビスカスの和名) -
(写真) 9:46 大庭 説明板
大庭(うーみやー)は青磁・宗教儀式が行われたと考えられる場所。 -
(写真) 9:48 志慶真乙樽の歌碑と大意
これを読んでもどこに蜜柑と書かれているのか
分からなかったのですが、喫茶「九年母」で調べましたから納得です。
そうか!「しもなり」霜の降る頃、「季節はずれ」で。
季節はずれの蜜柑=高齢の王妃か。
それにしても美女「乙樽」本当に一緒に喜んだのでしょうか?
と勘ぐってはいけませんね。 -
今帰仁の城 しも
なりの九年母 志慶真
乙樽がぬきゃい はきゃい
と記された歌碑 -
(写真) 9:50 翼廊付基壇建物跡
実は「北殿跡?」と思い此方も今帰仁城跡管理事務所の方に教えて戴きました。
★翼廊付基壇建物跡
1982~1986年の主郭発掘調査で確認された「翼廊付基壇建物跡」です。発掘調査では出土した陶磁器などの年代からおおむね14世紀前半~中頃と推定されています。
なお、北殿跡とされている施設は大庭郭の北側にあるとされています。未発掘のため詳細は不明ですが、礎石が確認されています。今帰仁グスクには北山が中山に滅ぼされた15世紀前半以降、山北監守によって統治されていますが、この頃以降に構築されたものと推定されています。 -
(写真) 9:51 今帰仁里主所火の神説明板
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(写真) 9:51 今帰仁里主所火の神
祠前の右手に建つのが山北今帰仁城監守来歴碑記 。 アップで撮っていません(>_<)
「線香やとうちかび類は、各自お持ち帰りください!」とかかれています。
今でもここで祈りに来る人がいるようです。うちかびはあの世で使うお金の事でこれを燃やし先祖の霊があの世で苦労しないように使われる。*Wikipedia -
三北今帰仁城監守来歴碑
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(写真) 9:52主郭説明板
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発掘調査からみた今帰仁城主郭の変遷(前の写真の主郭説明板の裏側)
主郭は13世紀末ごろから17世紀前期まで機能した。
第I期(13世紀末~14世紀前期)にして既に中国製陶磁器が出土している。
第III期(14世紀後半~15世紀前期)が今帰仁城の最も栄えた時期で、この時期に中国産陶磁器が最も大量に出土している。 -
(写真) 9:53「石垣に登らないで下さい」と書かれています。
ここまでは曲線の石垣は奇麗だけど、石垣に登れないのではビューはイマイチだなと思っていました。 -
主郭から木の階段を降ります。毒ヘビに注意のサインはあるし、人も余りいないし、大丈夫なのでしょうか?
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(写真) 9:54主郭から志慶真門郭へ。 写真では伝わりませんが、壮大で解放感があります。 今帰仁城跡、流石世界遺産!
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主郭から志慶真門郭(しじまじょうかく)へ。 竹田城跡に勝るとも劣らない。
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(写真) 9:54, 9:55 志慶真門郭
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志慶真門郭 海が見えた(^^♪
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(写真) 9:57志慶真門郭
「ここには城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられてます。発掘調査によって4つの建物があったことが分かっています。」と下記今帰仁城跡ホームページに書かれています。 又、 9志慶真門郭(しげまじょうかく)の写真には4棟の掘立柱建物跡が全て写っています。 *https://www.nakijinjoseki-osi.jp/guidance.php
私の写真には3つまでしか写っていません。実際に4つあったのか記憶にありません。 打たれた杭の意味が分からず写真を撮っていたので(>_<) -
(写真) 9:58 志慶真門郭 記憶が正しければ、少し高い所から撮りました。
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志慶真門郭説明板
「・・・御門を防衛する戦略的な位置どりと、主要な廓との近さおよび行き来のしやすさから、志慶真門郭は王の側近が住んでいた場所である・・・」 -
(写真) 10:00 志慶真門郭
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(写真) 10:01 志慶真門郭と主郭方向城壁
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(写真) 10:01志慶真門郭説明板
1. 志慶真門は志慶真集落に通じる門。
2. 志慶真川がつくる渓谷を利用して築かれた天然の要塞。
3. 4棟の建築物跡等が確認された。 -
(写真) 10:01 志慶真門郭と主郭方向城壁
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(写真) 10:03 志慶真門郭。 武者走りがありますが登るのは禁止。
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(写真) 10:03 志慶真門郭
今帰仁の石垣の中は石が詰まっていて、お互いにくっついていないので崩れやすいので登るのは危険だそうです。
*世界遺産『今帰仁城跡』取材:東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター
https://www.youtube.com/watch?v=iFirwea573w -
(写真) 10:04 志慶真門郭
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(写真) 10:09 志慶真門郭
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(写真) 10:14 御内原(うーちばる)
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(写真) 10:15 テンチジアマチジ(城内上の御嶽)
御内原(うーちばる)の南東側、低い石垣で囲まれる御嶽。・・・今帰仁グスクの守護神としてあがめられる最も神聖な拝所です。 俗に、テンチジアマチジと呼ばれ、昔は御内原とこの区域は男子禁制で、城内の女官によって子孫繁栄、国家安泰、五穀豊穣を祈願したと伝えられています。 旧暦七月のウプウイミ、八月のグスクウイミでは、今帰仁ノロによって祭祀が執り行われます。 -
(写真) 10:16 御内原(うーちばる)
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(写真) 10:17 御内原より大隅(ウーシミ)
御内原の北端からの眺望は、城内で最も開けていて今帰仁城跡の城壁のほぼすべてを望むことが出来る。 *御内原説明板 -
(写真) 10:18 御内原から
説明板によれば国頭の山並みや離島の伊平屋・伊是名島を眺めることができ、晴れた日には、与論島を見ることも出来るそうです。 残念ながら海と船が見えただけ(>_<) -
(写真) 10:20御内原から
ホリゾンブルーのイノー、白いリーフ、その向こうはコバルトブルーの海。 -
(写真) 10:20御内原説明板
北殿跡の北側にある一段高いところで、女官部屋があったそうです。 -
(写真) 10:20御内原より大隅(ウーシミ)
大隅行くの忘れた(>_<)
★大隅(ウーシミ)
「戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。 最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。」 *今帰仁城跡リーフレット -
(写真) 10:25 ソイツギ(城内下之御嶽) 「旧暦八月のグスクウイミという祭祀の時、今帰仁ノロが五穀豊穣等を祈願します。」
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(写真) 10:38 今帰仁村歴史文化センター
ユックリ見たつもりでしたが、ここまで1時間7分。 -
(今帰仁村歴史文化センター)運天の歴史
源為朝の運天渡来伝説で良く知られる。
1916年まで今帰仁の行政の中心地。
歴史的な墓がある。
薩摩郡の琉球侵攻の際の船元になった場所。
近世末には外国船が訪れ、薩摩への仕上世米の積み出し港となった。 -
(今帰仁村歴史文化センター) 百按司の墓とは「数多くの按司の墓」の意で、墓所内には7つの木棺があった。 現存する3つの内の1つ。
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(今帰仁村歴史文化センター)
勾玉は、日本本土では縄文時代から古墳時代の装飾品だが、琉球諸島では12世紀以降、神女の祭具として使われてきた。
今帰仁阿応理屋恵は首里王府高級女官三十三君のひとりで、やんばるの祭祀を司っていた。 -
(今帰仁村歴史文化センター)今帰仁阿応理屋恵勾玉・水晶玉
帰仁阿応理屋恵の代々受け継がれてきた品で、県指定文化財。 -
(今帰仁村歴史文化センター)神女組織図
三十三君とあるので数えてみたが数が一致しない。
三十三君とは「聞得大君の下の高級神女たちのこと。三十三は特定の数字ではなく、多数の意。」だそうだ *https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-41532.html 琉球新報DIGITAL -
(今帰仁村歴史文化センター) ジーファー(簪)
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(今帰仁村歴史文化センター)生活の容器(壺・甕)
主に日常生活で利用された沖縄産の焼物。 -
(今帰仁村歴史文化センター)戦闘機の燃料補助タンクをボートや貯水タンクに利用。
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(今帰仁村歴史文化センター)厨子甕(蔵骨器)洗骨した遺骨を納める。
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(今帰仁村歴史文化センター)サバニ説明板
「文化的には南方ポリネシアのカヌーと同一で、一連の文化的つながりがあったのではないか」 -
(今帰仁村歴史文化センター) こちらは丸木舟でなく杉ハギ舟ですよね。 舟の中にも様々な展示品がありました。
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(今帰仁村歴史文化センター)沖縄生まれの器、本土生まれの器
割れている器ばかりと言う事は殆どが発掘で見つかったのでしょうか? -
(今帰仁村歴史文化センター)ムラ・シマの器たち
シマの文化の担い手と評価しているので「器たち」と親しみを込めた表示をしているのでしょうか? -
(今帰仁村歴史文化センター)今帰仁村はかつては田んぼがいたるところにあった。
納屋に残されたその当時の田んぼの道具 -
(今帰仁村歴史文化センター)発掘された今帰仁ムラ跡 説明板
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(今帰仁村歴史文化センター)グスクと集落 説明板
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(今帰仁村歴史文化センター)ジャコウアゲハ
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(今帰仁村歴史文化センター)リュウキュウハグロトンボ
名護市役所を見てお昼も食べたいので勉強はこの辺で。
ですがここで最も大切な展示品「国宝金装宝剣拵(千代金丸)」の複製を見た覚えがありません。リーフレットにチャンと書いてあったのに(>_<) レプリカなので那覇市歴史博物館に行けば本物が見られるそうですが。
「国宝金装宝剣拵(千代金丸)」は那覇市歴史博物館ホームページでは「1416年に中山王との戦いに負けた山北王がこの刀で自害したとされる。」ですが、
今帰仁城リーフレットでは「自害しようとしたが切れず、志慶真川に投げ捨て・・・伊平屋島の人に拾われ王府に献上されたと伝えられ」となっています。 -
(写真) 11:01 サンダンカ (今帰仁村歴史文化センターの植え込み)
ジャコウアゲハ?が密を吸っていました。 -
ローゼル (今帰仁村歴史文化センターの植え込み) 実をハイビスカス・ティー、ジャム。 葉っぱも食べられるそうです。
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サルビアフェアリーピンクか?(今帰仁村歴史文化センターの植え込み)
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ゲットウが実をつけていた。(今帰仁村歴史文化センターの植え込み)
オレンジ枠内は5月に浦添城跡で写したゲットウの花。 -
(写真)11:03
土曜日なので11:36を逃すと次のバスは今帰仁城跡入口13:06発。
11:03乗り遅れないように今帰仁城跡を後にする。 -
(写真)11:08 テイキンザクラ
「提琴とはバイオリンのことで、葉の形がバイオリンを連想させることによる。」 *Wikipedia -
(写真)11:16 アサヒカズラの絡まる民家
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(写真) 11:17 カロライナジャスミン
下写真奥に小さく写っているのはムラサキの花はチョウマメ。 -
(写真) 11:17 チョウマメ
完全に開いていないと思いズームで撮りませんでしたが、蝶の形だったのですね。 豆を赤で囲みました。
下の写真は前述のカロラインジャスミンの写真から切り取りました。 -
(写真) 11:17 ターネラ・ウルミフォリア
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(写真) 11:19 キントラノオ
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(写真) 11:20
タイワンレンギョの実 グーグル画像でヒットです(^^♪
奇麗な実がなっていました。 薄紫色の花(下写真)が咲いていましたが、小さくてピンボケ。 -
(写真) 11:19 道端に咲くニチニチソウ 11:21 ハイビスカス
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(写真) 11:25 11分前にはバス停に着きました。 バス停で時刻表を見ると、11:48発は無し。危ない所でした。
*今更ですが、11:48発 名護バスターミナル行きがバス停に書いていなかったので確認するとこちらは、通り(505号線)向こうのバス停、今帰仁城跡入口(伊差川向け)から発車で 往路とは逆回り。此方の方が近道だったようです。あくまでもネット検索で乗車していませんので、自己責任でご利用下さい。
48分発に乗れば別の景色を楽しめたのに(>_<) -
(上写真) 11:29 オドントネマ・ストリクツム (/ ベニツツバナ)
バス停そばに赤い筒のような花が咲いていました。
(下写真) 11:29 通り(505号線)向こうのバス停(伊差川向け)には煉瓦の屋根があり、そばには今帰仁村観光案内地図もありました。 渡って写真を撮りたかったのですが、横断歩道が少し離れているし、その間バスが来たら大変なことに。
琉球バス交通沖縄バス・66本部半島線(今帰仁廻り・備瀬経由)・名護バスターミナル行バスは11:36定刻発。
ここまで読んで下さり有難うございました。
名護市役所、伊波城跡編に続きます。
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