2023/02/12 - 2023/02/15
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赤い彗星さん
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福岡2日目は、有明海に面した柳川市に向かいました。
市内の至る所に掘割と呼ばれる水路が設けられ、
川下りの風景が有名な水郷の街です。
あいにくの雨となってしまい、かなり冷え込んだ日でしたが、
柳川市街を散策してみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
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西鉄福岡(天神)駅から、柳川に向かいます。
出発まで少し時間があったので、駅横の警固神社にやってきました。 -
警固神社は、福岡藩の藩祖である黒田長政が建てた神社です。
警固神社 寺・神社・教会
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西鉄柳川駅に到着。
時間の合うバスが無かったので、タクシーで御花に向かいます。西鉄柳川駅 駅
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御花に到着。まだ開園前の時間ですが、正門は開いています。
柳川藩主立花邸「御花」 名所・史跡
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正門正面の西洋館。
明治43年に建てられた洋風建築の建物は、迎賓館として建造されました。
現代は観光客にも開放されていますし、結婚式場やパーティ会場としても利用されています。 -
和風建築の松濤館と西洋建築の西洋館。
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水郷柳川の名物は、船に乗っての川下り。
まだ早朝の上、雨も降っているので船は係留されたままです。 -
各施設の開館時間になるまで、付近を散策することにしました。
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今回は食べる機会がありませんでしたが、柳川は鰻が有名なんですね。
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御花近くの沖端水天宮。
GWに行われる沖端水天宮祭では、船を繋いで舞台を作り、囃子や芝居を奉納しているそうです。沖端水天宮 寺・神社・教会
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沖端さげもんパークという広場には、あと2週間ほどでひな祭りを迎える事から、お雛様が飾られていました。
天井からぶら下がっている飾りは、柳川市に伝わる「さげもん」という、女性の幸福を願う風習ということです。 -
沖端さげもんパークには、協賛企業の提灯が飾られていました。
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沖端川という川のようですが、水が少なく干潟のようになっています。
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旧小島家住宅に到着。
御花観光の前にこちらの邸宅から、お邪魔する事にしました。
入館料は100円です。旧戸島家住宅 公園・植物園
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旧戸島家住宅は、文政11年(1828)に柳川藩中老であった吉田兼儔が、隠居後の住居として庭園と共に建築した建物で、後に藩主に献上され、茶室として利用されていました。
幕末に藩兵の調練所として住宅を徴発された由布氏に代用地として下賜され、明治15年の由布氏の転居に伴い、戸島氏の所有となりました。
平成13年(2001)に柳川市に寄贈され、解体修理を経て、平成16年(2004)から一般公開されています。 -
仏間の板扉には、漢詩が書かれていました。
さげもんも飾られています。 -
二等身の可愛らしいお内裏様とお雛様。
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茶室には、三日月型の光が差し込んでいます。
竹を意匠として建築された茶室で、柱や落し掛け、窓に竹が使われています。 -
座敷にもお雛様とさげもんが飾られていました。
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小さめの御庭ではありますが、掘割から水を引いて池を作り、築山を取り入れた池泉庭園です。
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茶室に障子越しに三日月型の光が差し込んでいましたが、外から見ると土壁に三日月型の竹下地窓が設けられているのがよく分かります。
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御花に戻ってきました。
御花観光の入口で松濤館宿泊時のフロントもこの建物になります。 -
掘割に向かって設けられた門。水路が発達している街なので、道路が舗装されていない時代は、船運の方が便利だったんでしょうね。
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お雛様と吊るし飾りのさげもん。
部屋いっぱいに展示されていて、豪勢な場所です。 -
大広間前の廊下には、立花家で使用されていた金箔押桃形兜がずらりと並べて飾られています。豊臣秀吉に西国無双と武勇を讃えられ、大津城が早く落ちて関ケ原の合戦に間に合っていたら、戦況が変わったとまで云われるほど強かった立花宗茂軍内の一部隊が、揃って着用していた兜です。
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立花家では、「金甲」と呼ばれていた金箔押桃形兜は、兜の形状が桃に似ている事から名付けられました。
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庭園の松濤園を眺める事が出来る大広間。
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100畳もの広さを誇る大広間。
畳を取り除くと、能舞台として使用できる造りになっているそうです。 -
大広間に飾られていた三幅の掛軸。
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松濤園は、大広間から眺めることを想定して造園された池泉鑑賞式庭園です。
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立花家は明治維新に伴い、柳川城から御花に住居を移しました。
松濤園は、14代立花寛治氏により整備されました。松濤園 公園・植物園
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しとしとと雨が降っている庭をしばらく眺めていましたが、外気の冷たさと底冷えする寒さに座り続ける事が出来なくなって、館内の見学を再開。
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大広間は天井が高く、襖も上下2段に分かれています。
風通しがかなり良さそうですが、毎日の開閉は大変そうですね。 -
西洋館側から見た大広間を有する本館。
寺院のようにも見える大きな和風建築物です。 -
大広間から、西洋館に移動。
ソファが対面で2台ずつ並ぶのではなく、テーブルの4隅に据えられている珍しい配置です。 -
西洋館一階の食堂。
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大広間横の部屋は、結婚式やパーティの控室として利用されているようです。
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西洋館二階の大広間。
結婚式やパーティ会場として利用されています。
椅子の並びは、結婚式会場の準備完了のようです。 -
西洋館二階にもさげもん。
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御花に併設されている立花家史料館。
立花氏庭園入園料としての1000円で、松濤園、西洋館、立花家史料館に入場できます。立花家史料館 美術館・博物館
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立花家史料館前の立花宗茂と誾千代の顔出しパネル。
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立花家史料館内の顔入り展示パネル。
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立花宗茂が着用していた「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。
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金箔押桃形兜のレプリカ。
大広間に飾られていた実物の桃型兜は、時代を経てそれなりに風化していましたが、完成直後はこのように光り輝いていたんですね。 -
江戸時代後期の蔦唐草祇園守紋散蒔絵八角貝桶と合貝。
貝に描かれた絵を基に神経衰弱のように貝を合わせる遊びに使う貝と、黒漆の入れ物は、貝を収納するための入れ物です。 -
雨の中、アジア系観光客の団体が、川下りをしていました。
寒い時期の雨中の川下りは辛そうだなと思いましたが、結構テンション高めな感じだったので楽しめていたようです。柳川川下り 乗り物
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バスの本数が少なく、時間的に戻る便がなかったので、歩いて駅に向かうことにしました。戻る途中で柳川城址に寄ってみます。
柳川城跡の石垣が続いています。石垣の中は学校。 -
柳川城は蒲池鑑盛によって築かれ、平城にも関わらず、水の利を生かして水堀を張り巡らし、難攻不落の名城として知られていたそうです。
豊臣秀吉の九州征伐後に立花宗茂が城主となりましたが、関ケ原で西軍に付いたため改易され、次の田中吉政が城主の時代に天守閣も築かれました。跡継ぎの田中忠政に後嗣がなく、無嗣断絶となった後は、立花宗茂が城主に返り咲き、幕末まで立花家が柳川藩を治めました。柳川城阯 名所・史跡
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柳川城天守は明治5年に焼失してしまい、現在の本丸跡には、天守台などの遺構も残されていません。
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駅に向かう途中、鳥居とお多福を見かけたため、早速寄ってみる事にしました。
日吉神社 寺・神社・教会
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境内末社の正一位太郎稲荷大明神。
立花宗茂の養父戸次鑑連(後の立花道雪)が、稲荷明神への信仰が厚く、出陣の際には護り神として御幣を奉じて、勝利のご加護を得られていたそうです。
関ケ原戦後の立花宗茂が浪人中も、正室の誾千代が父道雪の遺志を継いで信奉し続け、宗茂が柳川城主に返り咲いてからは、柳川城に勧請されて、現在は日吉神社境内に遷座されたそうです。 -
時期的には2月半ばでしたが、毎年お正月にお多福門が設けられているようです。
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皇太子殿下(現天皇陛下)ご成婚を祝して奉納された、見ざる聞かざる言わざるの石像。
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丸に一文字の家紋は、有名所では那須与一の家紋だったとか。
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日吉神社の拝殿。
正応3年(1290)に比叡山の麓の近江坂本に鎮座している日吉大社から分霊され、創建されたと伝わっています。
田中吉政や立花宗茂などの歴代柳川藩主からも厚く信仰されていた神社です。 -
お賽銭箱には、立花家の家紋が記されていました。
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歩き疲れたので、日吉神社参道の古民家カフェで一服することにしました。
bakery cafe tanabata グルメ・レストラン
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和洋折衷の落ち着いた店内です。
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この日は雨も降ってかなり冷えていたので、温かい飲み物が身に沁みます。
持ち帰り専用の大判焼きを、他のお客がいないということで特別サービスで店内で食べさせてもらって糖分補給。 -
水郷の街柳川は至る所に掘割が残っていて、街を歩いているとこのような風景を頻繁に目にします。
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てくてくと歩き続けて、三柱神社に到着。
三柱神社 寺・神社・教会
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三柱神社の鳥居前には、川下りを楽しむ事が出来る松月乗船場があります。
水郷柳川 名所・史跡
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三柱神社の銅の鳥居。
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鳥居を過ぎた後の参道が、広くてとにかく長い。
神社の建物は、まだ視界に入りません。 -
参道を歩き続けて、石の鳥居に到着。
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恐らく松の幹を模している石灯籠。
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境内にある庭園の「心字の池」。
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柳川出身の歌人:北原白秋が、「三柱宮水照繁なる石段に瑪瑙の小蟹ささと音あり」と歌を詠んだ手水舎。
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私たちのイメージする現在の手水舎ではなく、参拝前に小川で禊を済ませる昔の様式がそのまま残されています。
歴史のある寺社仏閣などで、池や小川横の禊場などを見かける事がありますね。 -
境内摂社の水天宮。手・足・腰の守護神として祀られているようです。
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境内摂社の道了神社。神武天皇の東征に従って武功が多かった道臣命が御祭神です。道臣命は、大伴氏の祖先です。
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先程の手水舎と違い、現代的なイメージの手水舎はこちらですね。
四辺の木桶で水を受ける様式は、見かけたことがないかも。 -
木像の鳥居の向こうに拝殿が見えてきました。
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正面に立花家家紋の提灯。
周囲の提灯は、奉納されたものですね。 -
三柱神社は、天明三年(1783)に七代藩主:立花鑑通が、柳川城内に戸次道雪を祀ったのが最初で、文政九年(1826)に九代藩主:立花鑑賢が現在の場所に社殿を建てて、戸次道雪、立花宗茂、立花誾千代の三人を祀り、三柱神社となりました。
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三柱神社の御祭神として祀られている、中央に雷に打たれて半身不随になりながら、輿に乗って前線で督戦し続け、大将として指揮を執った戦は無敗の戸次道雪。右に道雪と共に斜陽の大友家を最後まで支え続けた猛将:高橋紹運の息子で、これまた直接指揮を執った戦は無敗の道雪の養子立花宗茂。左が道雪の娘で宗茂の正室となった誾千代です。
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登り鰻のおみくじを引いてみる事にしました。
おみくじの入った鰻の置物を釣り上げる形式です。
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