2023/10/17 - 2023/10/17
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壬生を歩きました。
根付は印籠やたばこ入れ、袋などを帯からつるすときに、落ちないように止めるものですが、具体的な用具としての役割から、お洒落な細かな留め具として
江戸時代にも多く優れた作品が残されています。
小さな根付は美しいばかりか、物語を語っていたり、その小さな根付に幅広いテーマがあって驚くばかりです。
壬生にある根付清宗根付館はおよそ5000点のコレクションがあり、江戸時代から現代までの作品が1階と2階に展示されています。
建物も武家屋敷を利用しており、風情を感じさせるものでした。
壬生と言えば、新選組とも深いつながりがある土地、壬生寺や旧八木邸、旧前川邸など新選組が屯所とした場所もあり、回ってみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 自家用車 徒歩
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京都清宗根付館に来ました。
京都市の中京区壬生にあります。 -
根付は江戸時代に武士や町人が印籠や巾着やたばこ入れなどをつるす時にすべり留めにする留め具です。
江戸時代、元禄のころからは庶民にも広がったといわれています。 -
こちらの建物も1820年に建てられた貴重な建物。
武家屋敷の式台玄関を持つ貴重な建物です。 -
玄関あたりも美しいです。
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風情の漂う敷地内。
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お庭も素敵です。
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館内の撮影が可になったそうです。
玄関。
高さがある段を上ります。 -
パンフレットによると、5000点以上の収蔵があり、毎月新しいテーマの企画展があり、常設は3か月ごとに展示の入れ替えがあるとのこと。
およそ400点の展示があるそうです。 -
現代にも日本の伝統技術が伝承され、多くの美しい作品が展示されていました。
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小さく、溜息のでるほど、精巧な美しい根付。
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細やかな作りに溜息。。
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伝統工芸を受け継ぐ作家さんの写真がずらり。
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江戸中期が最盛期だったそうです。
都の風情を反映した京都派、息と洒落を重んじた江戸派などの特色が生まれたそうです。(パンフレットより) -
住宅についての説明。
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製作道具。
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昔の道具も。
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お庭を観ながら廊下。
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イチオシ
赤いじゅうたんも建物の雰囲気にぴったりで。
お庭も綺麗でした。 -
しばし、端正で上品な建物を鑑賞します。
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豪華な屏風もありました。色がとても鮮やかでした。
住吉大社や厳島神社、大阪城などの風景が描かれています。
新しいものかと思いましたら、17世紀末から18世紀にかけての作品らしいです。 -
洋風の部屋も。
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欄間もおしゃれ。
決して華やかではないのですが、上品でシンプルです。 -
障子もその上の欄間障子のデザインも素敵でした。
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庭も明るく綺麗。
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陽がさした廊下は本当に美しくて、しばし見とれました。
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こちらの窓からも外の景色。
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そして、こちらは台所。
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梁もすごいですが、
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とても急な階段を上って二階へ。
二階にも展示があります。
建物の雰囲気も味わえます。 -
←鉄砲でしょうか、、
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梁もそのまま。
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こちらも手の込んだ根付。
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ちょっとユーモラスなものも。
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江戸時代の「をかし」ユーモラスな題材も多く、ある意味、平和な時代だったのかな、、、とおもいました。
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なんて、豪華、、象牙が材料。
優雅です。 -
こちらは明治時代のもの。
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ちいさいちいさい工芸品、美術品です。
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灯り。
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台所と玄関との間に格子戸。
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外へ。
根付の日本伝統を鑑賞、江戸時代の武家屋敷の建物も鑑賞できて、楽しかったです。
外国からの見学の方も多かったです。 -
壬生寺にも行きました。
壬生寺は991年に快賢僧都が創建した律宗のお寺です。
かつてはお寺の境内で新選組の兵法の調練場に使われており、新選組との関わりが深いお寺です。壬生塚と呼ばれる場所には近藤勇の胸像や遺髪塔、芹沢鴨や平山五郎のお墓などの新選組隊士のお墓がありました。 -
入ってすぐ右に一夜天神。
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説明板にもありますが、
菅原道真が大宰府に流されるとき、壬生の親戚と別れの別れをして、そののち江戸時代になって、夢枕に立った道真の望みで天神堂を建てたそうです。
一夜にして望みをかなえてくれる、学業の神としても信仰を集めています。 -
夜泣き地蔵。
夜泣きや長引く病気にご利益があるとのことです。。 -
壬生の境内。
広いです。 -
新選組隊士の墓所、歴史資料館があります。
有料。 -
阿弥陀堂、新選組に関するお土産などを売っていました。
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チケットを買います。
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順番に墓塔を。
壬生官務家墓塔があります。
平安時代から代々、太政官制の書記の役割を果たしてきた家柄だそうです。 -
新選組の歌碑がありました。
歌が聞こえるみたいですが。。 -
総検校 吉川湊一の墓塔。
琵琶の名手です。
当道職の屋敷跡は、仏光寺の近くにありましたが、以前、その碑を観たことがあるのを思い出しました。 -
壬生寺の歴代住職の供養塔です。
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ここからは新選組の隊士の墓所がありました。
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古い百度石があります。
そこには、かつて車馬の乗り入れを禁止する、、とあったようですが、
新選組は馬の乗り入れをしていた、、と説明書きにありました。 -
新選組の供養塔。
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人丸塚。
大正時代のものだそうですが、柿本人麻呂の灰塚とあります。
人麻呂から火止まるのゴロで、火災除けとして信仰があることを
よく聞きます。 -
新選組の顕彰碑。
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近藤勇の胸像。
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右から近藤勇の遺髪塔、その隣は新選組の勘定方だった河合耆三郎のお墓です。帳簿の不始末により処刑されたといわれています。親類がお墓を建てたそうです。
その隣は平山五郎、一番左は芹沢鴨のお墓です。二人とも八木邸にて暗殺されています。 -
壬生寺と新選組、壬生塚に祀られている新選組の隊士たちの略歴の説明があります。
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土方歳三の胸像もありました。
新しく造られたようです。 -
小さな橋を渡って、地下にある歴史資料館へ。
壬生狂言や新選組の資料などがある資料館でした。
写真の撮影はできません。 -
外に出て、境内を周ります。
弁財天。 -
中院。
1815年再建の御堂。
本尊は十一面観音菩薩。 -
説明にもありますが、京都十二薬師霊場第四番札所本尊の歯薬師如来像もお祀りしているそうです。
歯の病に霊験あらたか、、とありました。 -
水かけ地蔵。
水をかけて祈ると一つの願いが叶うと、あります。 -
本堂。
新しい建物のようでした。 -
古い灯籠も。
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千体仏塔があります。
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説明板。
近くには寄れないようです。 -
石仏も一カ所に。
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三界万霊碑。
江戸時代のものだそうです。 -
説明にもありますが、全ての精霊を供養するものだそうです。
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多くの石仏、石塔がありました。
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こちらもそうです。
激動の時代も見守ってきたお寺だとかんじました。 -
すぐ近くに旧八木邸があります。
こちらは和菓子屋さんですが、かつてはこのあたりまでも八木邸の建物があったようです。 -
お店のの前に。
読みにくいですが、新選組遺蹟?とあります。 -
駒札の説明があります。
徳川家茂の上洛警護のために浪士組として八木邸に投宿し、その後、江戸に戻った浪士たちもいましたが、芹沢鴨や近藤勇らは残り、京都守護職の松平容保の下に新選組と名前を変えて活動します。
隊士も多くなり、この近隣の邸にも分散して住んでいたそうです。 -
八木家住宅の説明駒札。
八木家はかつて壬生村の郷士の長老を務めていた旧家です。
この土地はもともと水が豊富な農耕に適した土地で、農業の盛んな土地でした。
八木邸は隊士達の宿所となり、旧壬生屯所となります。
こちらは芹沢鴨が暗殺された場所であり、暗殺時に鴨井についた刀傷や芹沢鴨がつまずいたという子供の文机、刀傷などがありました。 -
ここからは、写真撮影が禁止でした。
ガイドさんが説明をされます。 -
見学のあとは、こちらの和菓子屋さんでお抹茶とお菓子をいただきました。
チケット代に含まれています。 -
こちらがお抹茶とお菓子。
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このあたりは、風情ある建物が多いです。
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美しい長屋門が見えてきました。
八木邸の近くにある旧前川邸の長屋門です。 -
ここにも新選組がかつて宿所としていました。
その期間は2年間。
当時、前川家は掛屋を行っており、御所や所司代の公金の扱いなど、
公の仕事と関わり、役人ともつながりがあったようで、その関係から前川家本家が壬生にあった前川邸の屋敷を浪士組(新選組)の宿所として提供したそうです。(HPより)
現在は個人のお宅であり、中を見学できません。 -
土日祝に、当時の勝手口で新選組のグッズの販売をするそうです。
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前川邸の説明。
とても大きなお屋敷だったようです。
こちらに隊士達が宿所とするようになり、当時の当主は他の場所に移ったと聞きました。
また屋敷を堅固なものにするように、様々な防備設備を造って改造、
万が一の時のための抜け道も屋敷内につくったそうです。
また、芹沢鴨が暗殺される夜に、八木邸の灯りが消えて就眠したことを土方歳三らが、この八木邸から確認したとも。 -
改造した場所などの説明がありました。
刀傷も多いようです。
特別公開もあるそうです。 -
近くには肥後藩の屋敷跡の石碑もありました。
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光縁寺というお寺がありました。
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新選組の墓とあります。
新選組 山南敬介のお墓があります。
近藤勇らと意見の対立があり、脱走、捕らえられ、切腹。
お寺の紋と山南家の紋が同じという由縁で、また、当時の住職と山南敬介の歳が近いこともあり、親交があり、多くの隊士達が葬られています。
かつて、このお寺の近くに新選組の馬小屋もあったとか。
多くの隊士達が行き交う場所だったのですね。
前川邸とは近くです。 -
このような注意書きがありました。
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その他にも、お寺が沢山ありました。
今は幕末の激動の時代も感じることがないくらい、静かで穏やかな壬生でした。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます。^^
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