2023/10/18 - 2023/10/18
831位(同エリア3977件中)
hijunoさん
- hijunoさんTOP
- 旅行記545冊
- クチコミ1181件
- Q&A回答0件
- 574,979アクセス
- フォロワー61人
久し振りに京都をひとり歩きしました。
一番の目的は東寺と対照的にあった西寺の跡をみること。以前、NHKのテレビ番組のプラタモリで、取り上げられていた西寺。
とても興味深かったです。現在も立派な伽藍が立ち並び、栄えている東寺と以前は対照的に造られていたという西寺が、どんな場所にあったのか、とても気になっていました。
今は公園の中の小高い丘に石碑と礎石があるのみです。
近くの鎌達稲荷神社や羅城門跡や新選組の不動堂村屯所跡、芹根の水、女性の守り神の信仰もある粟島堂なども周りました。
東寺の特別拝観も目的の一つです。東寺も数年ぶりの拝観。
広い境内と変わらない威風堂々とした建物群でした。
歩いていると小さな遺蹟も発見して、とても楽しい一日でした。
マイペースで歩くのはやはり楽しいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
-
駅から、西寺跡目指して歩き始めてふと、レトロな建物が。家の裏側です。
表に行って何の建物か確認しようとして、、、忘れてしまった。。 -
小さな道祖神の神社もありました。
-
こちらがその西寺跡のようです。
公園になっています。 -
小高い丘に石碑が建っています。
-
礎石が残っていました。
-
こんもりとした樹々にかこまれた場所になってました。
西寺は794年に平安京が造られた際に羅城門の西に創建されたお寺です。
東寺とともに官寺で、伽藍も東寺と同じ規模だったそうです。
大きなお寺だったようです。東西は約250m、南北は約510m、金堂や講堂、南大門、中門、五重塔などが配置されていました。
その後火災などが相次ぎ、消滅してしまいます。
1233年に五重塔が焼失したあとは再建されることもなかったようです。
再建されなかった理由の一つに、プラタモリでも言われていましたが、
右京にあたるこの地は水はけが悪く、人々も住むことをやめ、環境が悪くなったことなどが原因の一つであるようです。 -
かたや、東寺は今日までも栄え続けたお寺です。
東西のお寺があったら、また賑やかだっただろうなぁ~と
残念な気持ちでした。 -
近くの鎌達神社に参拝します。
-
安倍晴明の子孫が崇敬していたといわれる神社。
元稲荷といわれ、伏見稲荷大社よりも古い創建といわれています。 -
駒札の説明によりますと、二神の倉稲魂大神と猿田彦大神を祀り、幸運・勝負運、開運、家内安泰、良き道への導きの神として崇敬されています。
-
白菊稲荷大神も祀られていました。
-
境内にあった説明板。
こちらの神社ではサムハラという御守りが有名です。
戦国や日清日露戦争で兵士が身に着け、難をのがれた、大きな負傷を免れたといわれる御守りがあります。 -
そして、こちらはすぐ近くの公園にあった、羅城門の跡。
どこに石碑などがあるのか、キョロキョロ。 -
石碑と説明板がありました。
実は、この羅城門の遺構は見つかっていません。
しかし、藤原道長の時代になると、法成寺の建設のために羅城門の礎石を持ち帰ったともいわれています。 -
羅城門跡の石碑です。
羅城門は794年に建設された平安京の正門でした。北端には朱雀門があり、相対していました。唐の長安にならったもので、980年に暴風雨により破損してからは修復されることなく、荒れ果ててしまいました。
荒れ果てた羅城門には鬼が住み、奇怪な話が今昔物語に語られ、それをもとに芥川龍之介の羅生門が誕生します。
門の幅が30m以上もあった大きな門、いまはその面影もないのですが、羅城門にあったといわれる兜跋毘沙門天像が今は東寺に安置され、信仰を集めています。 -
説明板がありました。
羅城門の様子が描かれています。
京都駅付近にも羅城門の模型があるそうです。。 -
近くの矢取り地蔵尊に立ち寄ります。
-
駒札があります。
そのむかし、東寺の空海と西寺の守敏僧都は対立しており、あるとき、守敏僧都が羅城門から空海に向けて背後から矢を射ったそうですが、そのとき
黒衣の僧が現れ、空海の代わりに右肩に矢を受けました。
その空海の身代わりとなった黒衣の僧は、実は、地蔵菩薩で、この矢取地蔵の右肩にはその傷が残っているといわれています。
身代わり地蔵菩薩を地元の人々は大切に守ってきたようです。 -
少し歩くと、もう東寺の五重塔が見えてきました。
-
九条通りに面した南大門です。
平安京遷都のあとに官寺として創建された東寺。その後、823年に嵯峨天皇が唐より密教、仏教を学んできた空海に下賜します。空海は講堂や五重塔などの建物、また初の私学の綜芸種智院も創立、現在まで1200年の間、様々な災害や戦い、混乱の時代も経て、力強くその信仰は途絶えることがありません。 -
訪れるのは数年ぶり。
こちらで行われる骨董市 弘法市が好きで、何度か訪れました。
特別拝観をしています。 -
大きな門をくぐると、広い境内が広がります。
-
すぐに真正面にある建物は金堂です。
-
門を入って、右に五重塔と小さな稲荷の社が見えました。
八島社殿。 -
地主の神を祀ったともいわれます。東寺がある以前よりもあった古い社で空海も崇めたと説明板にありました。
-
チケットを購入しますが、少し離れたところにあるので、キョロキョロと周りの建物を観ます。
小子坊。
天皇を迎える建物だったところ。
昭和9年に再建されています。
庭園は小川治兵衛、襖絵や壁画は堂本印象。
東寺のHPを参考にさせていただきましたが、写真も素晴らしい建物の様子でした。 -
菊の御紋が見えます。
足利尊氏が光厳上皇を奉じて都に入った際に戦いが収まるまで、住まいとしたところだそうです。 -
お庭の奥には国宝の蓮華門があり、空海がこの門から高野山に向かったそうです。
中も見学してみたいです~。 -
説明板もありました。
-
二つの小さなお堂がありました。
最初は南門にあったそうですが、拝まないで通ると、罰があたるといわれていたそうです。。 -
夜叉神堂。
もともと南大門にあり、倒壊してから、こちらに移されたそうです。
空海作の夜叉神像が安置されています。 -
説明板です。
歯痛を治めることでも信仰が続いています。 -
チケットを購入します。
ゲートを入ると、枝垂れ桜。
みごとです。
特別拝観は、講堂、金堂、五重塔(1階のみ)、灌頂院、宝物館、観智院、食堂の中に入れます。
パンフレットの裏にスタンプがあり、拝観を終わると係りの人がスタンプを押してくれます。
コースを回りやすいように、地図もあって便利でした。
平日でも、結構な人が参拝していました。 -
不二桜。
4月中旬に開花だそうです。 -
立派な力強い松も。
-
桜の木々も多いのでしょう。
少しずつ紅葉していました。 -
まず、建物は講堂へ。
和洋の優美な建物です。
パンフレットによると、828年弘法大師によって着工しますが、その後自然災害や一揆などによって修復され、現在の建物は1491年に再建されたもの。 -
大日如来を中心とした仏像が安置されていました。
立体曼荼羅の弘法大師の教えが表現されています。 -
朱色が美しい建物です。
-
次は金堂へ。
東寺の本堂です。
1486年に焼失、1603年に再建。桃山時代の建築。唐様、和洋をトイ入れているそうです。パンフレットより。 -
イチオシ
本尊の薬師三尊座像と日光、月光の菩薩立像、薬師三尊座像の下には
十二神将の像がありました。 -
そして五重塔。
京都の遠くからも観ることができる、東寺のシンボル的な存在。
パンフレットによると、826年に弘法大師の創建着手でしたが、その後4回も焼失し、今の塔は1643年の徳川家光の寄進だそうです。 -
高さはおよそ55mで、現存の日本の古い塔の中では最も高いそうです。
-
この特別拝観では1階のみの見学です。
内部は和様のつくり、彩色も残っています。 -
東寺をめぐる壁も大切に保存事業がされているようです。
-
こんな細やかな作業があります。
-
灌頂院へ。
-
説明板にもありますが、弘法大師のころに着手されていました。
現在の建物は1634年に再建されたもの。
中はとても暗かったです。。
特別公開で、1200年の記念に奉納されたという曼荼羅が展示されていました。 -
境内はとても広いです。
砂利道もあり、歩きやすい靴をお勧めします。 -
こちらは特別公開の建物ではないのですが、立ち寄ります。
毘沙門天堂。
978年に倒壊した羅城門の上層にあったといわれる兜跋毘沙門天像は東寺の食堂に移されていましたが、江戸時代になって、1822年、その像を安置するために建てられた堂だそうです。
兜跋毘沙門天像は現在は宝物館に収蔵されています。 -
そして、さらに1994年に修復されたそう。
毘沙門天は北方の守護神です。
学業成就や安産の信仰を集めています。
日本で一番古い七福神巡りの「都七福神」の毘沙門天です。 -
境内には数々の遺蹟があります。
こちらは大きな石。 -
説明駒札によると天降石と呼ばれ、古くからあった石のようです。
石を撫でて、身体の痛いところを触ると治るといわれ、別名は撫で石だそうです。 -
こちらは供養塔?
-
こちらは尊勝陀羅尼の碑。
もともとは北野天満宮のあたりにあったそうですが、神仏分離で1868年こちらに。 -
説明にもありますが、亀のような形の動物は、中国の想像上の動物「ひいき」で、竜の子どもです。重いものを背負うのが好きなのだそう。
甲羅の上に石塔や柱などが建っていますが、永遠の不滅として、また万病平穏としてもご利益があるとのことで信仰を集めているそうです。
万病の手ぬぐいの布でひいきを擦って、幹部を触り、病気などが良くなったらまた、その布を布収めの棒にくくるとのことです。 -
高野山の遥拝所もあります。
この南の方向に高野山。
弘法大師は高野山と東寺を終生大切にされ、最期は高野山で亡くなっています。 -
高野山との深いつながり。
-
立派な、そして丸い金木犀の木がありました。
-
小さなお堂がありました。
-
御影堂。
太子堂とも。
国宝です。
もとは、弘法大師の住坊。
弘法大師の念持仏 不動明王座像が安置されています。
パンフレットによると1379年に焼失、翌年に再建、10年後に北側に前堂と中門を加えて現在の姿になったそうです。
国宝の弘法大師座像が安置されています。 -
国宝御影堂。
-
司馬遼太郎による説明もありました。
興味深いです。 -
三面大黒天をお祀りしています。
-
三面大黒天は、説明によると、弘法大師の作製。
-
不動明王もお祀りされていました。
-
次は宝物館へ。
東寺には多くの宝物があります。
弘法大師が唐から持って帰ってきた貴重なものなどもそうですが、
羅城門にあったといわれる兜跋毘沙門天立像も国宝です。
今回は弘法大師による風信帖も展示されていました。
10月25日までは両界曼荼羅図も展示されています。 -
次の見学のコースは観智院となっていました。
-
門を通らず、裏のようなところから取っていきます。
弁財天? -
北大門から通っていけばよかった、、とおもいました。
ここも蓮池?? -
小さなお社があり、
-
ここは観智院の別の門でしょうか。。
-
こちらが北大門。
-
観智院へ向かいますが、北大門から北総門までの道は平安時代からその道幅や位置が変わっていない道として知られています。
1000年以上経っても、当時の痕跡が残っているなんて、奇跡。
区画の整理や京都の争乱や災害、様々なことが起こっても、この小さな路だけは
平安時代からの痕跡。不思議な気持ちになりました。
櫛笥小路です。
櫛笥大納言といわれる人物が住んでいたことからつけられた名前だそうです。 -
東寺の塔頭寺院、後宇多法王の発願で建立、1359年。
弘法大師の密教教学の研究機関として密教の教理に関しての多くの経典類を有すると、パンフレットにありました。
中国の唐からもたらされたといわれる「五大虚空菩薩坐像」がとても品格のある美しい像でした。
また宮本武蔵の作の障壁ががありました。 -
入口付近から。。
-
建物内側、部屋は撮影禁止です。
お庭のみ撮影可。
紅葉が少しずつ進んできています。 -
端正なお庭でした。
-
枯山水の四方正面の庭とありました。
-
小さな中庭にも心がこもっているように感じました。
-
紅葉した葉っぱが、ぱっと明るいです。
-
どこの庭をみても、きりりとしていました。
-
こちらは勅使門でしょうか。。
-
蔵がありました。
-
学問の研究機関の役割を果たしてきた場所ですが、堅苦しさもなく、むしろ
樹々、植物、庭の自然の柔らかさを感じられる場所でした。
写真は撮れませんでしたが、客殿の建物も素晴らしく、国宝でした。 -
この水鉢もお洒落な形です。
-
最後に食堂(じきどう)へ。
足利尊氏も住んでいたことがあるそうです。 -
説明板があります。
この時期、土門拳の東寺写真展をしていました。
これで東寺の特別拝観は終わりです。 -
東寺、北総門から出ます。
-
金木犀も、もうじき終わりですね。
秋を楽しまねば。。 -
女性の守り神、、というところにひかれます。
-
説明の駒札がありました。
室町時代に開山されたお寺。
女性の病気平癒、安産子授、良縁祈願にご利益があり、女性の守り神として信仰を集めていた神社です。(HPより) -
本堂。
-
与謝蕪村の句もありました。
娘の病気平癒のために祈願に訪れた際に読んだ句です。
お百度参りをする人をみて、詠んだ句だそうですが、
娘思いの優しいお父さんだったのですね。 -
優しい雰囲気のお寺でした。
-
そして、この近くに新選組の屯所跡があると聞いたので探します。
ホテルの敷地内にその碑ががありました。 -
説明板にもありますが、このあたりに新選組不動堂村屯所の建物があったそうです。
その前に西本願寺に屯所を設けていましたが、度々の問題発生、西本願寺が大金を払って、退去してもらったとか。。
その後、このあたりに大きなおやしきを建てて、新しい屯所にしたとききました。 -
近藤勇の詠んだ歌が刻まれていました。
京都には新選組の遺蹟が沢山ありますね。 -
小さな路地には、芹根水の遺蹟もありました。
京都の地形、川なども年月とともに変化していきます。 -
京都の水の中でも、とても良い水が流れていたところ。
洛中七名水のひとつです。
石碑がありました。 -
茶道家や文人たちに愛された水だったようです。
-
文房四神の碑もありました。
この付近に住んでいた江戸時代の書家の烏石葛辰の書だそうです。
紙や墨などの文房具を朱雀や青龍などの四神になぞえています。
近くの道祖神にあったものがこちらに移されています。
歩いていると、いろんな遺蹟に出会います。
京都の街歩き、、楽しいです。
このまま西本願寺方面に向かいます。
続きます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(^^♪ -
追記 東寺で買ったお土産です。
薄い四角の飴は上品なお味です。
不二桜のお茶も可愛いパッケージでした。 -
飴も可愛いです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
京都駅周辺(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
104