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河原院(渉成園)に花見に行きました。<br /><br /> 渉成園付近(京都駅から言って右上・北東側)には『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われる貴族/左大臣・源融が営んだ庭園“六条河原院”が存在したと言われます。

花曇りの河原院①

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2024/04/04 - 2024/04/04

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旅行記グループ 花曇りの河原院

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エンジュ

エンジュさん

この旅行記スケジュールを元に

河原院(渉成園)に花見に行きました。

 渉成園付近(京都駅から言って右上・北東側)には『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われる貴族/左大臣・源融が営んだ庭園“六条河原院”が存在したと言われます。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 京都河原町駅・ここからスタートです。

    京都河原町駅・ここからスタートです。

    京都河原町駅

  • 四条小橋から高瀬川を見ると、川の上に桜が咲いてました。

    四条小橋から高瀬川を見ると、川の上に桜が咲いてました。

    高瀬川 自然・景勝地

  • 京阪電車に乗るため四条大橋を渡りました。

    京阪電車に乗るため四条大橋を渡りました。

    四条大橋 名所・史跡

  • 京都南座の前の「伝・阿国歌舞伎発祥地」の碑を見ました。

    京都南座の前の「伝・阿国歌舞伎発祥地」の碑を見ました。

    京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡

  • 京阪電車 祇園四条駅にはエレベーターで駅に行きました。レストラン菊水と南座前チャンスセンター(宝くじ売り場)の間にあります。

    京阪電車 祇園四条駅にはエレベーターで駅に行きました。レストラン菊水と南座前チャンスセンター(宝くじ売り場)の間にあります。

    祇園四条駅

  • 京阪電車 七条駅で下車して、エレベーターで地上に移動しました。

    京阪電車 七条駅で下車して、エレベーターで地上に移動しました。

    七条駅

  • 七条大橋を渡って西に行きました。

    七条大橋を渡って西に行きました。

    七条大橋 名所・史跡

  • 松明殿(たいまつでん)稲荷神社・七条大橋の西詰に松明殿稲荷の小さな社地がある。伏見稲荷大社の境外末社であり、田中社、炬火社(たいまつの-やしろ)ともいわれる。<br /><br />

    松明殿(たいまつでん)稲荷神社・七条大橋の西詰に松明殿稲荷の小さな社地がある。伏見稲荷大社の境外末社であり、田中社、炬火社(たいまつの-やしろ)ともいわれる。

    松明殿稲荷神社 寺・神社・教会

  • 左から、養阿の手洗と井戸・地蔵尊

    左から、養阿の手洗と井戸・地蔵尊

  • 祭神は、大己唯命(おおなむちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、猿田彦命(さるたひこのかみ)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)になる。 商売繁盛、厄除開運、病気平癒、交通安全などの信仰があります。

    祭神は、大己唯命(おおなむちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、猿田彦命(さるたひこのかみ)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)になる。 商売繁盛、厄除開運、病気平癒、交通安全などの信仰があります。

  • 末社、天満宮

    末社、天満宮

  • 渉成園 (枳殻邸)の入り口の枳殻邸の正面大門・西向きの入り口です。東本願寺の飛地境内地。江戸時代前期に本願寺十三代宣如上人が徳川家光から寄進されたこの地に隠居所を造営したことに始まる。

    渉成園 (枳殻邸)の入り口の枳殻邸の正面大門・西向きの入り口です。東本願寺の飛地境内地。江戸時代前期に本願寺十三代宣如上人が徳川家光から寄進されたこの地に隠居所を造営したことに始まる。

    渉成園 (枳殻邸) 名所・史跡

  • 入り口のしだれ桜はほんの一部しか咲いてませんでした。

    入り口のしだれ桜はほんの一部しか咲いてませんでした。

  • 高石垣・渉成園の入口付近にあるこの飾り壁は、1858年と1864年の火災で建物を失った後、園内の瓦礫から集められた大小さまざまな石や瓦などの建材で作られている。石の多くは、高温にさらされて変色したり、歪んだりしている。<br /><br />

    高石垣・渉成園の入口付近にあるこの飾り壁は、1858年と1864年の火災で建物を失った後、園内の瓦礫から集められた大小さまざまな石や瓦などの建材で作られている。石の多くは、高温にさらされて変色したり、歪んだりしている。

  • 高石垣に近づくと切石、礎石、石臼、瓦など多様な素材を利用しているのが、よく解りました。

    高石垣に近づくと切石、礎石、石臼、瓦など多様な素材を利用しているのが、よく解りました。

  • 庭園北口までの通路・綺麗に花が咲いてました。

    庭園北口までの通路・綺麗に花が咲いてました。

  • 庭園北口までの通路・ここも趣きがありました。

    庭園北口までの通路・ここも趣きがありました。

  • 通路の横も趣きのある庭園です。

    通路の横も趣きのある庭園です。

  • 庭園北口ここから庭園です。庭園は池泉回遊式庭園です。

    庭園北口ここから庭園です。庭園は池泉回遊式庭園です。

  • 臨池亭(池に面して幅一間の広縁が張り出ているため、浮殿のように見える)と滴翠軒(緩やかな勾配の屋根と池に面して縁を巡らせているため、軒の深い外観です)・この二つの建物は吹放しの廊下でつながっています。

    臨池亭(池に面して幅一間の広縁が張り出ているため、浮殿のように見える)と滴翠軒(緩やかな勾配の屋根と池に面して縁を巡らせているため、軒の深い外観です)・この二つの建物は吹放しの廊下でつながっています。

  • 檜垣の燈篭・滴翠軒の横です。独特の形をしており、名称の由来はよくわかっていません。

    檜垣の燈篭・滴翠軒の横です。独特の形をしており、名称の由来はよくわかっていません。

  • 臨池亭の屋内です。落ち着いた風情が漂っていました。

    臨池亭の屋内です。落ち着いた風情が漂っていました。

  • 桜が咲いてるエリアは満開でした。

    桜が咲いてるエリアは満開でした。

  • 水路に椿の花が一輪だけ落ちていて、いとおかし

    水路に椿の花が一輪だけ落ちていて、いとおかし

  • 水路の両側に桜が咲いてきれいでした。

    イチオシ

    水路の両側に桜が咲いてきれいでした。

  • 代笠席へ行く小径、曲がりくねって分かりにくかったです。

    代笠席へ行く小径、曲がりくねって分かりにくかったです。

  • 代笠席・庭園の北に位置し、生垣をめぐらせて南向きに建てられた煎茶席。人里離れた地を訪れた旅人が笠代わりに雨宿りする席ということから名付けられている。

    代笠席・庭園の北に位置し、生垣をめぐらせて南向きに建てられた煎茶席。人里離れた地を訪れた旅人が笠代わりに雨宿りする席ということから名付けられている。

  • 代笠席・茶畑が残されていました。

    代笠席・茶畑が残されていました。

  • 傍花閣・山門にあたる場所に建てられている個性的な建築様式が目に付く楼門。

    傍花閣・山門にあたる場所に建てられている個性的な建築様式が目に付く楼門。

  • 傍花閣・左右側面に山廊と呼ばれる階段の入り口があり、2階には四畳半の座敷があります。

    傍花閣・左右側面に山廊と呼ばれる階段の入り口があり、2階には四畳半の座敷があります。

  • 侵雪橋・印月池の西北岸から縮遠亭のある島へと渡る木造の反橋で頼山陽が『渉成園記』のなかで雪の積もった橋の様子を玉龍にたとえ表現しています。

    侵雪橋・印月池の西北岸から縮遠亭のある島へと渡る木造の反橋で頼山陽が『渉成園記』のなかで雪の積もった橋の様子を玉龍にたとえ表現しています。

  • 獅子吼・池の水源の一つで、通常みられるような滝の石組みではなく、山腹から湧き出す泉のような形式で造られています。

    獅子吼・池の水源の一つで、通常みられるような滝の石組みではなく、山腹から湧き出す泉のような形式で造られています。

  • 侵雪橋と京都タワー・何だか不思議な風景でした。

    侵雪橋と京都タワー・何だか不思議な風景でした。

  • 回棹廊・1884年に架けられたもので、屋根は中国風のデザインに檜皮葺きなどの日本的な要素を加えたものになっている。

    回棹廊・1884年に架けられたもので、屋根は中国風のデザインに檜皮葺きなどの日本的な要素を加えたものになっている。

  • 縮遠亭・北大島に建つ明治17年(1884)頃に再建された、くの字型をした茶室。西側の土間から入ると抹茶席と四畳間があり、その先は折れ曲がった三畳間の高台が池に張り出す様に舞台造りとなっている。

    縮遠亭・北大島に建つ明治17年(1884)頃に再建された、くの字型をした茶室。西側の土間から入ると抹茶席と四畳間があり、その先は折れ曲がった三畳間の高台が池に張り出す様に舞台造りとなっている。

  • 塩釜の手水鉢(石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したもの)と池の中に源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔(源融の供養塔と言われている)がありました。

    塩釜の手水鉢(石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したもの)と池の中に源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔(源融の供養塔と言われている)がありました。

  • 縮遠亭と印月池

    縮遠亭と印月池

  • 「お東さん」と京都市民に親しまれている東本願寺の飛地境内にある庭園です。

    「お東さん」と京都市民に親しまれている東本願寺の飛地境内にある庭園です。

  • 印月池・渉成園の6分の1を占める大きな池。東山から上る月影が水面に美しく映ることから、この名が付けられました。

    印月池・渉成園の6分の1を占める大きな池。東山から上る月影が水面に美しく映ることから、この名が付けられました。

  • 縮遠亭・降りた所から撮影しました。あせびの花が綺麗に咲いてました。

    縮遠亭・降りた所から撮影しました。あせびの花が綺麗に咲いてました。

  • 印月池のほとりに漱枕居が佇むように建ってました。

    印月池のほとりに漱枕居が佇むように建ってました。

  • 碧玉の石幢・笠に蕨手と呼ばれる装飾がなく、幢身が多角柱で節がなく、幢身の上に仏像をあらわす龕部が作られている点に石燈籠との違いがある。

    碧玉の石幢・笠に蕨手と呼ばれる装飾がなく、幢身が多角柱で節がなく、幢身の上に仏像をあらわす龕部が作られている点に石燈籠との違いがある。

  • 大きな切り株の存在感がすごかったです。ヒノキ科のイブキ(ビャクシン)の大木、2本あり枯死している。

    大きな切り株の存在感がすごかったです。ヒノキ科のイブキ(ビャクシン)の大木、2本あり枯死している。

  • 臥龍堂(南大島)・元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しました。この堂は二階建・瓦葺の建物で、かつては漱枕居に集まった客人に、縮遠亭へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしていました。安政の大火(1858年)による焼失以降、再建されておらず、現在は礎石を残すのみとなっています。

    臥龍堂(南大島)・元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しました。この堂は二階建・瓦葺の建物で、かつては漱枕居に集まった客人に、縮遠亭へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしていました。安政の大火(1858年)による焼失以降、再建されておらず、現在は礎石を残すのみとなっています。

  • 滴翠軒の前の池と印月池を結ぶ小川にかかる石橋が趣きがあり和む。

    滴翠軒の前の池と印月池を結ぶ小川にかかる石橋が趣きがあり和む。

  • 漱枕居・印月池の南西に池に迫り出すように、慶応元年(1885)頃に建てられた建物。漱流枕石は蜀書にある山水の間にかくれ住んで、自由な生活をすることの例えであり、晋の孫楚が漱石枕流と誤って使った故事に夏目漱石の名が由来していることは有名です。

    漱枕居・印月池の南西に池に迫り出すように、慶応元年(1885)頃に建てられた建物。漱流枕石は蜀書にある山水の間にかくれ住んで、自由な生活をすることの例えであり、晋の孫楚が漱石枕流と誤って使った故事に夏目漱石の名が由来していることは有名です。

  • 印月池を中心とした広い池泉回遊式庭園(国指定名勝)は石川丈山の作庭と伝わっています。

    印月池を中心とした広い池泉回遊式庭園(国指定名勝)は石川丈山の作庭と伝わっています。

  • 閬風亭・東山の阿弥陀ヶ峰を借景とした庭を一望できるように造られている。賓客を迎えるための大書院として、中国の崑崙山脈の頂部にあり仙人が棲むといわれる山の名前が付けられている。

    閬風亭・東山の阿弥陀ヶ峰を借景とした庭を一望できるように造られている。賓客を迎えるための大書院として、中国の崑崙山脈の頂部にあり仙人が棲むといわれる山の名前が付けられている。

  • 咲いているのは、桜だけではありませんでした。ツウルニチソウの紫色が綺麗でした。

    咲いているのは、桜だけではありませんでした。ツウルニチソウの紫色が綺麗でした。

  • その昔、平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の旧蹟であったという伝説があります。<br />河原左大臣・源融(822-895)この源融こそ、あの『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルではないかと言われる人物です。

    その昔、平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の旧蹟であったという伝説があります。
    河原左大臣・源融(822-895)この源融こそ、あの『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルではないかと言われる人物です。

  • 蘆菴・珍しい形の屋根の中門。二階建ての茶室で一階は七畳で西側に床をかまえ、二方に縁側がついており、二階は主室四畳半に台目三畳の次の間を付す。<br /><br />主室北側が板敷、中央に赤松の曲木を立て左を床、右脇には二重棚を有し、二方の肘掛け窓から眺望を楽しむことができる煎茶席となっています。

    蘆菴・珍しい形の屋根の中門。二階建ての茶室で一階は七畳で西側に床をかまえ、二方に縁側がついており、二階は主室四畳半に台目三畳の次の間を付す。

    主室北側が板敷、中央に赤松の曲木を立て左を床、右脇には二重棚を有し、二方の肘掛け窓から眺望を楽しむことができる煎茶席となっています。

  • 蘆菴の露地(茶室に付随する庭園)に春日灯篭(六角形の笠を持つ石燈籠)

    蘆菴の露地(茶室に付随する庭園)に春日灯篭(六角形の笠を持つ石燈籠)

  • 園林堂・傍花閣の正面に建つ持仏堂。昭和32年(1957)に再建されている。園林とは中国宮廷に造られた大規模な庭園であるが、仏典では浄土を表わしている。<br /><br />

    園林堂・傍花閣の正面に建つ持仏堂。昭和32年(1957)に再建されている。園林とは中国宮廷に造られた大規模な庭園であるが、仏典では浄土を表わしている。

  • 濃いピンクの花はカラムラサキツツジです。花曇りの空の下に鮮やかな濃いピンクの花が印象的でした。

    濃いピンクの花はカラムラサキツツジです。花曇りの空の下に鮮やかな濃いピンクの花が印象的でした。

  • 東本願寺の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸とも呼ばれます。

    東本願寺の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸とも呼ばれます。

  • 侵雪橋・印月池の西北岸から縮遠亭のある島へと渡る木造の反橋で頼山陽が『渉成園記』のなかで雪の積もった橋の様子を玉龍にたとえ表現しています。

    侵雪橋・印月池の西北岸から縮遠亭のある島へと渡る木造の反橋で頼山陽が『渉成園記』のなかで雪の積もった橋の様子を玉龍にたとえ表現しています。

  • 平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が奥州塩釜の風景を偲んで難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の趣向を取り入れている。<br /><br />印月池に逆さ京都タワーが映し出されいます。<br /><br />

    平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が奥州塩釜の風景を偲んで難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の趣向を取り入れている。

    印月池に逆さ京都タワーが映し出されいます。

  • 白い蔵のような建物が見えました。

    白い蔵のような建物が見えました。

  • 庭園北口から出ました。

    庭園北口から出ました。

  • 渉成園は桜が満開でも観光客が少なくてゆっくりと観光できる庭園でした。

    渉成園は桜が満開でも観光客が少なくてゆっくりと観光できる庭園でした。

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