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文子天満宮→市比賣神社→長講堂→蓮光寺→上徳寺(世継ぎさん)→源融河原院址→牛若丸弁慶像→扇塚→五条大橋→団栗橋→高瀬川→木屋町通と観光しました。

花曇りの河原院②

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2024/04/04 - 2024/04/04

3212位(同エリア3743件中)

旅行記グループ 花曇りの河原院

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エンジュ

エンジュさん

この旅行記スケジュールを元に

文子天満宮→市比賣神社→長講堂→蓮光寺→上徳寺(世継ぎさん)→源融河原院址→牛若丸弁慶像→扇塚→五条大橋→団栗橋→高瀬川→木屋町通と観光しました。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 文子天満宮・祭神は菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の一つに数えられている。

    文子天満宮・祭神は菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の一つに数えられている。

    文子天満宮 寺・神社・教会

  • 手水舎・いい雰囲気を醸し出していました。

    手水舎・いい雰囲気を醸し出していました。

  • 白瀧稲荷大明神・商売繁盛にご利益があるとされています。

    白瀧稲荷大明神・商売繁盛にご利益があるとされています。

  • 御乳母七条坊門多治比の文子の方像と摂社の老松社(おいまつしゃ)、福部社(ふくべしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)、白太夫社(しらたゆうしゃ)が祀られています。<br /><br />福部社(ふくべしゃ)の祭神は、十川能福(そがわのうふく)であり、道真に仕えた舎人(とねり、牛馬の世話役)であり、開運招福の神になる。 <br />火之御子社(ひのみこしゃ)の祭神は、火雷神(いかづち)であり、雷除け、五穀豊穣になる。 <br />白太夫社(しらたゆうしゃ)の祭神は、道真の守役だった伊勢神宮の渡会春彦翁(わたらいはるひこおう)であり、子宝の神を祀る。<br />老松社は島田忠臣(植林林業の神)を祀る。

    御乳母七条坊門多治比の文子の方像と摂社の老松社(おいまつしゃ)、福部社(ふくべしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)、白太夫社(しらたゆうしゃ)が祀られています。

    福部社(ふくべしゃ)の祭神は、十川能福(そがわのうふく)であり、道真に仕えた舎人(とねり、牛馬の世話役)であり、開運招福の神になる。 
    火之御子社(ひのみこしゃ)の祭神は、火雷神(いかづち)であり、雷除け、五穀豊穣になる。 
    白太夫社(しらたゆうしゃ)の祭神は、道真の守役だった伊勢神宮の渡会春彦翁(わたらいはるひこおう)であり、子宝の神を祀る。
    老松社は島田忠臣(植林林業の神)を祀る。

  • 大宰府に左遷された道真は、延喜3年(903)59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小祠を建て道真を祀ったといわれている。天満宮の起りで、北野天満宮の前身ともいわれている。

    大宰府に左遷された道真は、延喜3年(903)59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小祠を建て道真を祀ったといわれている。天満宮の起りで、北野天満宮の前身ともいわれている。

  • 道真公が太宰府へ左遷される際に立ち寄り、腰掛けたという「腰掛石」

    道真公が太宰府へ左遷される際に立ち寄り、腰掛けたという「腰掛石」

  • 本殿には御祭神・菅原道真公が祀られています。<br /><br />文子天満宮は、菅公を「天神」としてわが国で最初にお祀りした神社であることから「天神信仰発祥の神社」と位置づけられます。

    本殿には御祭神・菅原道真公が祀られています。

    文子天満宮は、菅公を「天神」としてわが国で最初にお祀りした神社であることから「天神信仰発祥の神社」と位置づけられます。

  • 市比賣神社(いちひめ神社)にお参りしました。

    市比賣神社(いちひめ神社)にお参りしました。

    市比賣神社 寺・神社・教会

  • 手水舎「瀞」(すがすがしい)・「瀞(すがすがしい)」とは「清」、「浄」の文字が組み合わさった文字で「自分の心をすがすがしくしなさい」。という意味を表しています。

    手水舎「瀞」(すがすがしい)・「瀞(すがすがしい)」とは「清」、「浄」の文字が組み合わさった文字で「自分の心をすがすがしくしなさい」。という意味を表しています。

  • 本殿・御祭神は市寸嶋比賣之命・多紀理比賣之命・多岐都比賣之命・神大市比賣之命・下照比賣之命です。<br />五女神を祀ることから、女人厄除の社として信仰を集めている。

    本殿・御祭神は市寸嶋比賣之命・多紀理比賣之命・多岐都比賣之命・神大市比賣之命・下照比賣之命です。
    五女神を祀ることから、女人厄除の社として信仰を集めている。

  • 摂社 植松稲荷社・ 祭神として植松稲荷大神、松玉稲荷大神、光玉稲荷大神を祀り、商売繁昌や金運アップのご利益があるとされます。

    摂社 植松稲荷社・ 祭神として植松稲荷大神、松玉稲荷大神、光玉稲荷大神を祀り、商売繁昌や金運アップのご利益があるとされます。

  • 天之真名井(あめのまない)・落陽の七名水の一つに数えられ、当社神宝天目椀「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された「若水(わかみず)」を、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残る。現在も名水として茶会、花展・書展等に用いられる。また、絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられる。

    天之真名井(あめのまない)・落陽の七名水の一つに数えられ、当社神宝天目椀「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された「若水(わかみず)」を、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残る。現在も名水として茶会、花展・書展等に用いられる。また、絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられる。

  • 長講堂・1183年(寿永2)後白河法皇が六条御所内に持仏堂を建立したのが起こり。法華経を長期間講習する堂としてその名がある。本堂に本尊阿弥陀三尊像(重文)を安置。

    長講堂・1183年(寿永2)後白河法皇が六条御所内に持仏堂を建立したのが起こり。法華経を長期間講習する堂としてその名がある。本堂に本尊阿弥陀三尊像(重文)を安置。

    長講堂 寺・神社・教会

  • 蓮光寺・1492年(明応元)真盛上人が高野山の苅萱堂に模して新町高辻に創建した。当時は天台宗で萱堂と号した。その後光順上人が浄土宗に改めた。本尊は快慶作と伝える負別阿弥陀如来。地蔵堂には駒止地蔵を祀る。

    蓮光寺・1492年(明応元)真盛上人が高野山の苅萱堂に模して新町高辻に創建した。当時は天台宗で萱堂と号した。その後光順上人が浄土宗に改めた。本尊は快慶作と伝える負別阿弥陀如来。地蔵堂には駒止地蔵を祀る。

    蓮光寺 寺・神社・教会

  • 趣きがある庭園でしたので、山門から撮影しました。境内には土佐の長曾我部盛親の墳墓がある。

    趣きがある庭園でしたので、山門から撮影しました。境内には土佐の長曾我部盛親の墳墓がある。

  • 上徳寺(世継ぎさん)・平安貴族たちが詩歌管弦を楽しんだ平安京河原院跡です。<br /> なんと!ここらへんまで河原院の屋敷跡とは驚きです。

    上徳寺(世継ぎさん)・平安貴族たちが詩歌管弦を楽しんだ平安京河原院跡です。
     なんと!ここらへんまで河原院の屋敷跡とは驚きです。

    上徳寺 (世継地蔵) 寺・神社・教会

  • 本堂・上徳寺は1603年、徳川家康によって側室の阿茶の局と泰栄院の菩提を弔うために、伝誉蘇生上人を開山に招請して建立されました。阿茶の局は家康からの信頼が厚く才知に長け、大坂冬の陣で本多正純と共に和議をまとめた人物。

    本堂・上徳寺は1603年、徳川家康によって側室の阿茶の局と泰栄院の菩提を弔うために、伝誉蘇生上人を開山に招請して建立されました。阿茶の局は家康からの信頼が厚く才知に長け、大坂冬の陣で本多正純と共に和議をまとめた人物。

  • 手水舎・屋根付きでとても立派な手水舎でした。

    手水舎・屋根付きでとても立派な手水舎でした。

  • 世継地蔵大菩薩・昔から世継ぎ地蔵といわれ良い世継ぎが授かるという事で信仰を集めています。

    世継地蔵大菩薩・昔から世継ぎ地蔵といわれ良い世継ぎが授かるという事で信仰を集めています。

  • 身代り地蔵尊・苦悩、災難、疾病、輪禍などの身代りになって守護する。

    身代り地蔵尊・苦悩、災難、疾病、輪禍などの身代りになって守護する。

  • 右側から、延命地蔵(二つ)・水子地蔵尊・はがため地蔵尊

    右側から、延命地蔵(二つ)・水子地蔵尊・はがため地蔵尊

  • 歓喜地蔵様・お参りして、とてもほっこりしました。

    イチオシ

    歓喜地蔵様・お参りして、とてもほっこりしました。

  • 源融河原院址・石票と駒札、後ろは老巨木の榎。

    イチオシ

    源融河原院址・石票と駒札、後ろは老巨木の榎。

  • 「此附近 源融河原院址」と記されている石票<br /><br />「此附近」とあるように、壮大な敷地の「六条河原院」の北東角に近いところのようです。この辺りは、庭園の中の島である「籬(まがき)の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられる「籬の森」の跡で、石碑の後ろにある老巨木の榎は森にあった木の最後の1本だと伝えらています。

    「此附近 源融河原院址」と記されている石票

    「此附近」とあるように、壮大な敷地の「六条河原院」の北東角に近いところのようです。この辺りは、庭園の中の島である「籬(まがき)の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられる「籬の森」の跡で、石碑の後ろにある老巨木の榎は森にあった木の最後の1本だと伝えらています。

  • 老巨木の榎の裏側、お稲荷さんにお参りしました。

    老巨木の榎の裏側、お稲荷さんにお参りしました。

  • 鳥居の中に入ってみると、小さいけれども、稲荷様が鎮座されてました。

    鳥居の中に入ってみると、小さいけれども、稲荷様が鎮座されてました。

  • お稲荷様の建物の横の道を進むと、鴨川の土手にいけました。土手沿いに桜並木が続いていました。対岸の桜並木は「花の回廊」です。三条大橋から七条大橋まで咲き誇る桜の名所です。1987年、鴨川三条と七条間を走っていた京阪電車と琵琶湖疏水が地下化された。この改修工事により、戦前からの念願であった鴨川河道の拡幅改修も実現している。その後、京都府と京都市は、三条から七条間の鴨川東岸で「花の回廊」整備事業(1992-1999)を完成させた。

    お稲荷様の建物の横の道を進むと、鴨川の土手にいけました。土手沿いに桜並木が続いていました。対岸の桜並木は「花の回廊」です。三条大橋から七条大橋まで咲き誇る桜の名所です。1987年、鴨川三条と七条間を走っていた京阪電車と琵琶湖疏水が地下化された。この改修工事により、戦前からの念願であった鴨川河道の拡幅改修も実現している。その後、京都府と京都市は、三条から七条間の鴨川東岸で「花の回廊」整備事業(1992-1999)を完成させた。

  • 五条大橋の西詰の中央分離帯に設置されている、牛若丸(源義経の幼名)と武蔵坊弁慶の石像です。中央分離帯には横断歩道を渡っていけます。なぜか牛若丸と弁慶が可愛らしい子供の姿です。<br /><br />『義経記』では、牛若丸と弁慶が出会ったのは五條天神社。五条通の対決では引き分けた牛若丸と弁慶が最終決闘の場所は、挿絵では清水寺の舞台だそうな。橋の上で戦ったというのは後世の創作の可能性が高いそうです。

    五条大橋の西詰の中央分離帯に設置されている、牛若丸(源義経の幼名)と武蔵坊弁慶の石像です。中央分離帯には横断歩道を渡っていけます。なぜか牛若丸と弁慶が可愛らしい子供の姿です。

    『義経記』では、牛若丸と弁慶が出会ったのは五條天神社。五条通の対決では引き分けた牛若丸と弁慶が最終決闘の場所は、挿絵では清水寺の舞台だそうな。橋の上で戦ったというのは後世の創作の可能性が高いそうです。

    牛若丸弁慶像 名所・史跡

  • 扇塚・かつて、この地には平安時代に創建された「御影堂(みえいどう)」とよばれるお寺がありました。扇の発祥地として知られるお寺で、扇塚は昭和35年(1960)に当時を偲んで設立されたものです。平安末期の一ノ谷の合戦で、平家の武将・平敦盛が亡くなったあと、敦盛の妻が出家。夫の菩提を弔うために尼となって御影堂へ入り、寺僧とともに扇を折り始めます。その扇はやがて「御影堂扇(みえいどうおうぎ)」とよばれ、広く名が知れ渡るように。このエリアに扇職人が多く移り住み、長く京扇子の名産地として栄えたといわれています(京都知新HP)

    扇塚・かつて、この地には平安時代に創建された「御影堂(みえいどう)」とよばれるお寺がありました。扇の発祥地として知られるお寺で、扇塚は昭和35年(1960)に当時を偲んで設立されたものです。平安末期の一ノ谷の合戦で、平家の武将・平敦盛が亡くなったあと、敦盛の妻が出家。夫の菩提を弔うために尼となって御影堂へ入り、寺僧とともに扇を折り始めます。その扇はやがて「御影堂扇(みえいどうおうぎ)」とよばれ、広く名が知れ渡るように。このエリアに扇職人が多く移り住み、長く京扇子の名産地として栄えたといわれています(京都知新HP)

    扇塚 名所・史跡

  • 「五条大橋」とビルの谷間から見える「東山三十六峰」

    「五条大橋」とビルの谷間から見える「東山三十六峰」

    五条大橋 名所・史跡

  • 扇塚の北側の階段で鴨川のほとりに下りました。

    扇塚の北側の階段で鴨川のほとりに下りました。

  • 階段を下り切って、見上げると五条大橋が目に入った。<br /><br />もとは平安京の五条坊門通(現在の松原通)に架かっていたのを、豊臣秀吉が天正年間(1573~92)、方広寺大仏殿造営の際に南へ2町下がった現在地に移した。

    階段を下り切って、見上げると五条大橋が目に入った。

    もとは平安京の五条坊門通(現在の松原通)に架かっていたのを、豊臣秀吉が天正年間(1573~92)、方広寺大仏殿造営の際に南へ2町下がった現在地に移した。

  • 花曇りの空の下、対岸の花の回廊と京の街並みを見ながら休憩しました。

    花曇りの空の下、対岸の花の回廊と京の街並みを見ながら休憩しました。

    花の回廊 自然・景勝地

  • 鴨川には二条大橋手前から五条大橋手前まで、西岸に人工水路が設けられています。この水路は納涼床のために設置された禊川(みそそぎがわ)です。ここで鴨川への合流するようです。<br /><br />

    鴨川には二条大橋手前から五条大橋手前まで、西岸に人工水路が設けられています。この水路は納涼床のために設置された禊川(みそそぎがわ)です。ここで鴨川への合流するようです。

  • 五条大橋には擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる、欄干の上に丸くて先のとがったネギの花に似た飾りが14個つけられています。<br />

    五条大橋には擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる、欄干の上に丸くて先のとがったネギの花に似た飾りが14個つけられています。

    五条大橋 名所・史跡

  • 団栗橋・橋の名前は「どんぐりばし」と読むとのことです。<br /><br />橋のたもとに大きな団栗の木があったことに橋名が由来すると言われています。<br />

    団栗橋・橋の名前は「どんぐりばし」と読むとのことです。

    橋のたもとに大きな団栗の木があったことに橋名が由来すると言われています。

    団栗橋 名所・史跡

  • 京都の日常が流れている風景でした。六波羅を散策して、京都河原町駅に行くのに、この橋を渡ると近いので、団栗橋を目指して来ました。

    京都の日常が流れている風景でした。六波羅を散策して、京都河原町駅に行くのに、この橋を渡ると近いので、団栗橋を目指して来ました。

  • 団栗橋(どんぐりばし)から桜と鴨川を撮影しました。

    団栗橋(どんぐりばし)から桜と鴨川を撮影しました。

  • 団栗橋(どんぐりばし)から花の回廊の径が見えました。

    団栗橋(どんぐりばし)から花の回廊の径が見えました。

    花の回廊 自然・景勝地

  • 団栗橋(どんぐりばし)を渡り、そのまま行くと、目の前に高瀬川が見えました。

    団栗橋(どんぐりばし)を渡り、そのまま行くと、目の前に高瀬川が見えました。

    高瀬川 自然・景勝地

  • 高瀬川の横の道の木屋町通の歩道は観光客でいっぱいで歩くのに苦労しました。

    高瀬川の横の道の木屋町通の歩道は観光客でいっぱいで歩くのに苦労しました。

    木屋町通 名所・史跡

  • 高瀬川に大きな鳥が飛んで来ました。アオサギのようです。大勢の観光客がいるのに突然、川の中に着地して、ビックリしました。

    高瀬川に大きな鳥が飛んで来ました。アオサギのようです。大勢の観光客がいるのに突然、川の中に着地して、ビックリしました。

  • 京都河原町駅に着きました。ここが、旅のゴールです。

    京都河原町駅に着きました。ここが、旅のゴールです。

    京都河原町駅

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この旅行記へのコメント (2)

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  • さやえんどうさん 2024/05/03 17:16:22
    人が少なめ?
    エンジュさん、こんにちは。

    以前行ったところも出てきたので、懐かしく拝見しました。
    またいつか、機会があったら京都に行きたいな~
    人混み苦手なので、インバウンド関連で色々話を聞いていると、つい選択肢から漏れてしまいます(;^ω^)でも、静かにお花を愛でることができる場所があるのですね(´∀`*)ウフフ
    素敵な旅行記をありがとうございました。

    エンジュ

    エンジュさん からの返信 2024/05/03 21:45:36
    Re: 人が少なめ?
    こんばんは!さやえんどうさん

    いいね!とコメントありがとうございます。

    さやえんどうさんの推察のとおり、穴場スポットを観光してまいりました。
    渉成園は入場するのに、寄付金500円納めるので、人が少なめです。
    文子天満宮にいたっては、他に参拝者がいませんでした。

    渉成園は京の桜の穴場スポットと聞いて行って来ました。体験済みですので、間違いなく、超おすすめスポットでございます。

    帰り道六波羅界隈のほうが、インバウンドの観光客が多かったですよ。
    高瀬川沿いの木屋町通もインバウンドの観光客でごった返していました。

    後は、西陣がおすすめです。詳しくはエンジュの旅行記「西陣の桜」と「桜の紫野」を見てくださいね。美味しいパン屋さん「雨の日も風の日も」もおすすめです。

    ぜひとも、京の観光穴場スポットに来てくださいね╰(*°▽°*)╯

                        食いしん坊のエンジュより

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