2023/10/18 - 2023/10/19
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西条祭りと新居浜太鼓祭りを見物して、今回の旅の目的はそれでほぼ終わっているのですが、せっかくの四国ですから、香川県の方ももう少し回ってみようから始まったのが、最後の5・6日目。
ただ、香川県は前回女木島男木島を訪ねましたが、つまりそれはもうそれくらい回りつくしているということなんですけどね。ここでついでに香川県のこと。。香川県はうどん県とかでアピールしていますが、私も散々うどん屋さんの探索はやってきていて、最後にたどり着いたのがまんのう町の山内うどん店。これはまさに神の領域。今でももうこれ以上のお店に出会うことはないなという確信があります。正直、そこからうどん店巡りはペースダウンしているのですが、まあ、トップレベルばかり狙ってもそういうことだけではないですよね。中堅のうどん屋さんのレベルでも十分高いし、そのレベル感を知ることもけっこう大事な視点です。二つめは、空海の誕生地、善通寺ほか雲辺寺などの四国八十八か所に、”一生に一度は”の金毘羅さん。四国4県の偉人を考えた時に、高知の坂本龍馬、愛媛の正岡子規に対して、香川ははっきりしていないかもしれませんが、やっぱり空海でしょう。仏教界の巨人であり、鎌倉仏教の諸宗は比叡山の天台宗から生まれたというのはその通りなのですが、空海の真言宗も知だけではない行の重要性に目を開かせたという意味で大きな影響を与えたというのが私のもう一つの解釈です。三つめは、源平合戦の屋島。一の谷の合戦、屋島の合戦、壇ノ浦の合戦で平家は滅亡しますが、一の谷の合戦は場所が今でも特定できていないし、壇ノ浦の戦いは海上ですからそれは求めるべくもない。唯一、屋島は場所が特定できていて、屋島や屋島の周辺には史跡がとても多く残っています。レンタカーで集中して回ったことがありますが、こまごまと具体的な史実を伝えていてとてもリアルです。(https://4travel.jp/travelogue/10841492)また、それと関連してだんだんと分かってきた義経の戦い方の汚さ。悲劇の最期を遂げる義経ですが、因果応報ということでしかないような気もします。安徳天皇の命を守れず、三種の神器の草薙剣を失ったことは頼朝にしたら痛恨の極みだったし、検非違使の無断任官も許せることではない。義経はそれが分かっていたのかどうか。その後、頼朝は征夷大将軍となりますが、これは朝廷の権威の一部を奪うことが狙い。征夷大将軍は生殺与奪の大権を与えられており、以降はいくら戦さをしても平将門の乱のような私闘とは無縁の存在となりました。そして、律令制度の中では土地の私有を認められず、そういう意味では社会的な弱者であった関東武士の土地の安堵を図ったことは鎌倉殿の大恩中の大恩。承久の変以降、新たに配置された地頭が荘園を横取りしていくのとはわけが違うと思います。四つめは、水戸徳川藩の分家、高松藩のお膝元であり四国の玄関としての歴史を持つ高松。栗林公園に伝統工芸の数々や菊池寛記念館なんかも高松の文化の厚みを証明していると思います。京極家の丸亀藩も立派な丸亀城、中津万象園でちょっと存在感がありますね。そして、最後は二十四の瞳の小豆島も。
そんなところを押さえたらもう十分でしょというのが私の思いだったのですが、ふと目に留まったのが、香川県で唯一の重要伝統的建造物群保存地区、笠島。塩飽諸島の中心、本島にあって、塩飽勤番所、塩飽水軍の本拠地って?
全然知らないことだったし、もう一度、過去を洗うとほか坂出や宇多津辺りも歩いていないということが分かって、あれれ、そうだったかなあみたいな感じ。結局、そんな流れで二日をかけて回ることになったという次第。坂出、宇多津は、讃岐国司跡や菅原道真、坂出の塩田の歴史、宇多津の古い町並み、四国水族館に瀬戸大橋記念公園。塩飽だけじゃなく、気が付いていなかったことがあまりにも多くて、ちょっと反省。香川が分かってるなんて、まだまだたいしたことなかったなあと実感しました。
さて、本島のことに戻ります。
本島は、丸亀の沖合10キロ。かつて、四人の年寄が勤番で政務を行ったという塩飽勤番所がポイントで、これは、人名(にんみょう)の制度といって、公儀の海上輸送義務を負った650人の加子役に対し、その代わりとして島の石高1250石の領有を認めるというもの。年寄りはその加子役から選ばれた人物ですから、立派な自治制度ですね。その制度は秀吉の時代に始まり、徳川幕府にも引き継がれ、江戸期は大坂町奉行直属の位置づけだったとか。戦乱の世が終わり消滅した村上水軍と比べると体制の保護を受けて真逆な歴史のようにも思えますが、それは塩飽が相応に役に立つ働きをしていたから。公儀の海上輸送はいずれにしても必要不可欠のものですからね。
ということで、塩飽水軍といってもその実態は操船技術にたけた水夫たちのことであり、その根拠地だったのが笠島地区なんですね。ただ、島の繁栄はそう簡単ではない。塩飽廻船として廻船業にも進出しますが、最盛期は西廻り回船がまだ未熟だったころ。他地域で大船主が現れるとそれに押され、今度は造船の技術で活路を見出すことに。塩飽大工はその技術を持って五重塔を建てたりもしていますが、まあ、一種の出稼ぎ集団ですね。
塩飽勤番所の展示室には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の朱印状や幕末の咸臨丸の関係も。咸臨丸の水夫の7割が塩飽の出身だったとか。いろんな時代を経ても操船技術の伝統はしっかり守られていたことが見て取れると思います。
やはり、日本は広いですね。小さな歴史だけどけっこう日本の歴史に関わる歴史があちこちにあるものです。最近注目の石丸伸二氏じゃありませんが、地方がしっかりしないと東京も困るでしょはその通りではないかと思います。
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新居浜太鼓祭りの夜は川之江で宿を取りました。
川之江は、三島と並んで大王製紙の工場がある紙の街くらいのイメージでしたが、市街の中心部に近い場所に川之江城址があることで、かつての城下町の雰囲気がそれなりに残っているんですね。早朝、その川之江城を訪ねます。城山公園(川之江城址) 公園・植物園
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城は、南北朝時代に讃岐を支配する細川氏に対抗し、伊予の河野氏が築いた砦が始まり。
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その後、細川氏に落とされたり、長曾我部氏に落とされたり、
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最後は秀吉の四国平定で開城。
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江戸時代は一国一城令により廃城となりましたが、天守閣とか立派に復元されていて、
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これは地元の城への思いが反映された結果のものでしょう。
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簡単に上れるし、
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今でも身近な存在であることがよく分かります。
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これは、戦国時代、姫ケ嶽の悲劇を伝えるもの。傍らに与謝野晶子の歌碑もありました。
与謝野晶子の歌碑は、北海道から九州まで全国各地にあって、またここでもかという感じもなくはなかったのですが、少し考えるとこの歌碑は姫の冥福を祈る意味もあるのかな。与謝野晶子の人間性や生涯も重ねれば、悲劇の痛みを少し和らげてくれるような気もします。 -
川之江城から降りてきて、川之江駅前辺りをうろうろ。
駅通り商店街・栄町商店街は、駅からすぐの商店街。駅通り商店街と栄町商店街はクロスしていますが、実質的には一体となったアーケード商店街です。駅通り商店街・栄町商店街 市場・商店街
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例によって、地方のあんまり元気のない商店街ではあるのですが、早朝、散歩をしている人がちらほらいたり。地元の中心としての顔はそれなりにあると思います。
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気が付くと駅前商店街からすぐ見える真言宗の寺があって、それが宅善寺。
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寛永19年(1642年)の創建。
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楼門形式の山門から、
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二重屋根の本堂もかなり手の込んだ意匠で、なかなかの迫力。
四国八十八か所ではありませんが、四国三十三観音霊場の二十六番札所ということで、それなりの威厳が漂います。 -
川之江駅から讃岐府中駅に移動して。
ここからは坂出のエリアです。
見えているのは城山で、かつて朝鮮式の古代山城があったということで、国指定の史跡となっています。山頂付近は溶岩ドームのような形をしていて、濃い緑に包まれているのがけっこう印象的。この地域では、ランドマーク的な存在感があるように感じました。 -
このエリアでは、古代の讃岐国の遺跡を訪ねます。
開法寺は白鳳時代から平安時代にかけてあったという古代寺院。その存在はそれなりに知られていたようですが、発掘調査により、塔の柱を支えた礎石が発見されたことで、その開法寺塔跡として認められ香川県の史跡となったもの。確かに整然と石が並んでいて、しっかりした塔であったことが想像できました。 -
次は、讃岐国司跡。飛鳥時代から鎌倉時代の遺跡です。江戸時代から讃岐国府の場所を探しても特定できなかったようで、坂出のこの地にあったのが分かったのは最近のよう。説明板には、付近に垣ノ内、帳次、状次など国府に関係する地名が残っていることも書かれていました。石垣に守られて立派な石碑がとても誇らしげに立っています。
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香川県埋蔵文化財センターも訪ねます。
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旧石器時代から
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縄文、弥生時代の発掘品から始まって
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古代寺院の発掘に
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讃岐国の街道と駅、条理地割は、讃岐国が古代からよく整備された土地であったことが想像できます。
特に、菅原道真が讃岐国司として任じられていた仁和2年(886年)から寛平2年(890年)に制作された「菅家文草」には国庁や国司館のことが記されていて、発掘された遺構との対比ができる貴重な資料となっているのだとか。普通だと遺跡はあるけど関連文書がないということなんでしょうが、こんなところでも菅原道真よくやってくれています。 -
讃岐府中駅から八十場駅に少し戻ってきて。
ここからところてんの清水屋に向かいます。八十場駅から少し高台の場所へ。一度来たことがあるんですが、覚えているようないないような。 -
清水屋です。久々の再訪ですが、前回は12月~3月の休業期間中でいただけずじまいだったんですよね。
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いただくのは、こちら。何種類もあって迷いましたが、
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ここは基本の酢醤油で。つるんとした触感に酢醤油がさっぱり。辛子が鼻につんと来るのも悪くないですね。
創業200年というのは確かにすごいことなんですが、ただ、ところてんはところてん。これが日本一おいしいという声もありますけど、そこまでの違いはないように思います。 -
ところで、そのほとりにある弥蘇場の湧水。その昔、讃留霊王が瀬戸内海の悪魚を退治したのですが、その際、悪魚の毒により瀕死の重傷を負った兵士たち88人がこの水で蘇ったという伝説の湧き水。この湧き水を使ったところてんなのかどうかは聞き漏らしましたが、少なくともかつてはそうだったんじゃないでしょうか。弥蘇場の湧水あってのところてんなんだと思います。
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八十場駅から坂出駅に戻ってきて、ここからは坂出の中心部。
坂出駅の構内にある坂出市観光案内所で、レンタサイクルを利用します。レンタサイクルもやっていて by たびたびさん坂出市観光案内所 名所・史跡
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まずは駅の北側。駅を出たすぐのところにある久米通賢翁と入浜式塩田碑。
久米通賢翁というのは、江戸時代文政の頃、久米式と呼ばれる入浜式塩田で、坂出を日本一の塩のまちとして発展させた地元の恩人。銅のレリーフは、その功績を称えるものとして設置されました。駅を出たすぐのところ by たびたびさん久米通賢翁と入浜式塩田碑 名所・史跡
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元町栄筋商店街は、坂出駅の北側すぐのアーケード商店街。入口の構えがかなり目立っているし、それなりの活気もあるような。すぐそばにイオンもあるのですが、それと合わせて駅周辺の賑わいが確保されていて、坂出もなかなかがんばっているなという感じです。
入口の構えがかなり目立っているので by たびたびさん元町栄筋商店街 市場・商店街
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で、ちょっと変わっているのがその向かいの商店街。
何でもないような商店街なのですが、実はこの上が住宅地になっていて -
そのなも、坂出人工土地。商店街の上階が改めてアパートとかが建つ住宅地という二重の構造になっているんですね。
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ここが商店街の上階であることを忘れさせるくらい普通の住宅地。路地や植栽とか本当に普通の景色です。
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では、続いて香風園へ。
こちらは、明治44年、坂出市出身の実業家、鎌田勝太郎の別邸に作られた日本庭園。 -
現在は坂出市の所有で、通りからひょいと気軽に中に入れます。
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翠松閣、
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時雨亭といった
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趣のある建物をバックにした池泉回遊式の日本庭園なのですが、
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イチオシ
ただ、松だけでなくいろんな広葉樹が植えられていて、それらがけっこう目障りな感じで気になります。
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広葉樹が成長するに伴って、ちゃんと剪定しないといけないのですが、それがうまくいってないのかなあ。
けっこうもったいないなと思います。 -
すぐそばの鎌田共済会郷土博物館もさきほどの鎌田勝太郎が、慈善・育英・社会教育を目的として設立した財団法人鎌田共済会の施設の一つ。元々は大正11年、鎌田共済会図書館として建てられた建物です。
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純白の外観ですが、
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内部はレトロで落ち着いた雰囲気ですね。
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駅前のレリーフにもあった久米通賢の関係が展示の中心。坂出の塩業の発展に貢献した久米通賢の資料は国の重要文化財なんですね。文政9年(1826年)、高松藩の普請奉行に任じられた久米通賢が開いた入り浜式塩田は久米式塩田と呼ばれ、当時、日本の塩生産量の半分が坂出だったとか。また、展示室中央にある天体望遠鏡「星眼鏡」も発明家でもある久米通賢のもの。これも国の重要文化財です。
ところで、ついでに塩業のこと。坂出で塩の生産量が多かったのは事実ですが、塩業の歴史を理解するのは実は意外に難しいです。久米式塩田がどのように優れていたのか細かいところは分かりませんが、それこそ弥生時代からの歴史を持つ赤穂が江戸期の塩業ではトップランナー。入り浜式塩田は、赤穂では安土桃山時代から導入された技術です。そして、塩造りでいうと塩田は塩水の塩分濃度を高める採鹹(さいかん)の技術。これにこれを煮詰めて結晶化する煎熬(せんごう)の技術が合わさっての塩造り。赤穂の塩はその技術の高さでブランド価値があったのです。江戸期の塩業はその赤穂の技術を学んで瀬戸内海の各所に広がっていくという流れ。岡山や広島もそうですね。そして、総じていえば生産過剰というのが実態だったと思います。ちょっと極端な想像かもしれませんが、その中にあっても徹底的に規模の拡大で優位性を築いた坂出とブランドの価値が揺るがなかった赤穂みたいな関係かな。児島にも野崎家のような塩田王が現れますが、逆風の市場環境下にあっても経営手腕や技術改良で成功を収めたもの。赤穂の塩、久米塩田も野崎家の工夫もそれを理解するのはそんなに簡単ではない。情報はそれなりにあるのですが、理解するとなるとけっこうハードルが高いなというのが実感です。 -
これも近くですが、坂出市郷土資料館は、大正8年、坂出商業学校が県立学校に昇格したときに建設された木造の学校舎。坂出市内の学校建築として最古の建造物だそうですが、外観からするとけっこうボロボロ。ただ、意匠的には大正時代の気風を留めた感じもあって、見応えあり。坂出市の文化財として指定されているのも納得です。
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坂出市民美術館は、所蔵作品もなくはないのですが、限られたもののようだし、市民の作品を対象にした展覧会も含めて開催される気軽な美術館といった感じ。ただ、独自の視点での企画展は見るべきものもあって、硬軟混じるところがあるのもちょっと面白いところです。
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では、昼飯はこちらのやなぎ屋 西大浜店へ。坂出市街の海岸に近い方。瀬戸大橋を渡るトラックがビュンビュン通る大通りの辺りです。
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いただいたのは温玉肉うどん。甘辛い出汁に程よいコシのある柔らかめのうどんが自然にフィットしていて、素直な味わい。あんまり讃岐うどんらしさを前面に出していないところも悪くないなと思います。
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イチオシ
その先の坂出市倉庫は、旧港湾事務所。昭和9年に建てられたこの建物で、一階が大阪商船の乗降場、二階を港湾事務所として、昭和31年まで使われたということ。香川県に残る唯一の戦前の港湾事務所です。
海際に建っていて、塔屋上部、屋上部分のドームとかいかにも古風な意匠ですが、保存状態はあまりよくないかな。ちょっと危なっかしい感じもします。 -
ここから瀬戸大橋記念公園の方へ向かいます。
その途中の坂出緩衝緑地は、街路樹や芝生の広場がある番の州公園として整備されていますが、 -
あまり人影は見えなくて、公園としての人気はイマイチのような気もします。ただ、きれいはきれいです。
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瀬戸大橋の高架の下を進みます。大橋もすごいですが、この高架もすごい。
列車も走っていますからやっぱり特別です。 -
イチオシ
海の方に出てきまして、ここが瀬戸大橋記念公園です。
坂出市街からここまで。レンタサイクルですから、まあまあ余裕ですね。瀬戸大橋を見上げる景色はさすがの眺めだし、 -
架橋機器展示広場というのがあって、橋を造る際に使われた機械類が保存展示されていました。
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この橋のために開発された機械なんだと思いますが、けっこうリアルでちょっと感慨深いものがありますね。
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そして、瀬戸大橋記念公園の中心施設は瀬戸大橋記念館。
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瀬戸大橋架橋記念博覧会のパビリオンを活用したもので、
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瀬戸大橋ができるまでの
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物語や
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架橋工事、架橋技術をいろいろと紹介しています。
100年以上前に大橋を提唱していた大久保諶之丞に、多くの児童が犠牲となった宇高連絡船紫雲丸の事故も含めて、瀬戸大橋への思いが伝わってくるような内容です。 -
瀬戸大橋記念公園に隣接して建つ瀬戸大橋タワーは、瀬戸大橋を臨む瀬戸大橋記念公園にある高さ108mの回転式展望タワー。所要時間10分で、ドーナツのような展望室が回転しながら上昇します。
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巨大な瀬戸大橋に対して、このタワーが景観的にちょっとしたアクセントになっているところもあって、眺めているだけでもけっこう楽しいと思います。
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もう一つは、東山魁夷せとうち美術館。
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建物の中からは瀬戸大橋がきれいに見えていて、このロケーションもなかなかですね。
東山魁夷の祖父が瀬戸内海の櫃石島の出身ということで、ここに作られたのだとか。原画は数枚だそうですが、リトグラフの絵もそれを感じさせないくらい十分にきれい。少し前に見た嵐山の福田美術館の東山魁夷はなぜかイマイチだったんですが、思わぬところでリベンジができました。 -
美術館から西側の沙弥島へ。島と言っても埋め立てで陸地とつながっているので半島みたいな感じかな。瀬戸大橋記念公園から少し離れてひっそりとしたエリアです。
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最初に海水浴場が現れて、それが沙弥島海水浴場。ヤシの木が生えていたり、浜辺の砂浜もそこそこきれいですが、周囲の眺めはイマイチかな。街に近い場所といった感じがして、これでは気分が出ないかもしれません。
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北側に向かって、沙弥ナカンダ浜遺跡の原っぱ。砂浜の上にあって縄文時代の前期から晩期まで4500年の間続いたムラの遺跡だそう。一面穏やかな浜ですが、そんなに長くこの地形が続いたというのは瀬戸内海だからなんでしょうね。
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イチオシ
一方、瀬戸大橋の眺めが絶景で、そっちの方もかなりお勧めです。
以上で、坂出はおしまい。 -
坂出駅から宇多津駅に移動して、海側のエリアへ。
ゴールドタワーは、高さ158mの展望塔。宇多津駅から歩くとすぐに見えてきます。黒字に金を配した蒔絵のようなゴージャスな色調ではあるのですが、どちらかというと異様な感じの方が強いかも。夜景の方もちょっと微妙です。 -
さて、このエリアのメインは四国水族館。名前からして四国を代表する水族館を目指したものでしょう。
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令和2年、総事業費70億円でオープンしたというかなり思い切った施設です。
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見どころの一つはこのイルカたち。ただ、この水槽のイルカではなくて
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二階のデッキフロアーから眺めるのですが
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夕日の海を泳ぐイルカのシチュエーションがなかなか。自然の中でイルカを見ているような感覚があって、楽しいですね。
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なお、デッキの上からは水族館の周囲の宇多津臨海公園も見えています。
復元塩田やカフェとショップのうたづ海ホタルなどはこの後に訪ねます。 -
では、改めて館内に戻って。
エントランスの近代的な感覚から始まって -
水槽展示の方もゆったりしたわくわく感があるし、
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魚たちの生き生き感も目立っているように感じます。
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それぞれは
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別に珍しい魚でもないのですが
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そこはよく見る
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普通の魚でもいいんです。
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我々には住むことのできない水中で
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そこを住処にして
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気持ち良く
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暮らしている。
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その姿をそっと覗かせてもらうのが水族館の楽しみ。
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自由にのびのび
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イチオシ
魚たちの自然な姿が一番ですからね。
そういう基本的なところがしっかりしている水族館だと感じました。 -
では、水族館を出て、周辺の施設もチェックしますよ~
この旧仲枡塩田水門は、大正15年に作られた幅3.8m、高さ5.3mの石造水門。 -
復元塩田の中に移設されていて。古びてはいますが、石造りのしっかりした構造。坂出と並ぶ宇多津塩田の隆盛の歴史を物語る遺跡の一つです。
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宇多津駅から、今夜の宿のある丸亀駅に移動。
晩飯は、骨付鳥 一鶴 丸亀本店。ここは地元では一番人気のお店ですからね。この日も長い行列ができていましたが、まあ、当然かな。 -
店内は広くて悠々。食べるのに少し時間がかかるので、この広さもありがたいですね。
いただいたのはひな鳥の方。しっかり胡椒が効いた皮はパリっとしていますが、肉は柔らかくてふっくら。身離れもよさもさすがかなと思います。 -
今日の宿、ホテルアルファーワン丸亀は、丸亀駅から本当にすぐの場所。アーケードの通り沿いなので、それも雨降りとかの日はいいでしょう。
ホテルアルファーワンはけっこういろんなホテルがあって印象も違うのですが、ここは中クラス。上質感とかは別にないですが、リーズナブルで使いやすい普通のビジネスホテルだと思います。 -
翌日も早朝からスタート。本島に渡る前に丸亀、宇多津の市街地をちょっと散策です。
まずは丸亀市街。訪ねた妙法寺は、別名、蕪村寺。蕪村が明和3年(1766年)から明和5年(1768年)の間に数回に渡って来遊し、「蘇鉄図」「竹図」「寿老人図」「山水図(一双・三双)」「寒山拾得図」の大作6点を揮ごうしたとありました。 -
また、小堀遠州作のくずれ石の庭も。お願いすると見せてもらえるという情報もありましたが、ちょっと気が引けて声をかけれず。もったいないことをしたかなと心残りになりました。
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丸亀市民ひろばは、丸亀城の北に位置し、お城が一望できるロケーション。
芝生の広場が中心のようですが、手前の広々した駐車場からして、お城が丸見え。イベントが行われても、これだけの広さがあれば確かに悠々だと思います。 -
これは、寿覚院。寛永18年(1641年)、丸亀藩主、山崎家治が山崎家の菩提寺として創建した浄土宗のお寺です。
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正面に見える千鳥破風の観音堂は、その時の建物で桃山時代の遺風を受けた丸亀市内では最も古い建物。本堂に安置された木造観音菩薩立像、木造勢至菩薩立像は藤原時代の作という貴重なもののようです。
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宗泉寺は、丸亀藩の支藩、多度津藩京極家ゆかりの日蓮宗のお寺。
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多度津藩京極家の初代藩主、京極高通の生母芳泉院、京極家普請奉行で俳諧で知られる津坂木長の墓があります。細い参道を進んで奥まった場所が境内。ちょっと遠慮したような雰囲気もあるかもしれません。
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法音寺は、万治元年(1658年)、京極高和が丸亀藩主として入赴する際、龍野から移転してきたという浄土宗の寺。
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ただ、有名なのは、丸亀藩の才女で女流歌人でもあった井上通女の墓があること。新井白石、室鳩巣と関りがあり、「東海紀行」「江戸日記」「帰家日記」は、江戸文学の粋とも称され、丸亀市の所蔵。丸亀からなかなか面白い人物が出たものです。
そして、丸亀駅から昨日も来た宇多津駅に移動。 -
宇多津駅から宇多津の古い町並みは、ちょっとした峠を抜ける細い道。ちょっと妙な感じです。
峠を出てきた場所にさっそく宇夫階神社。 -
本殿は街を見下ろす小山の上にあって、入り口の石鳥居からして、かなり立派な構え。
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日本武尊の子、武殻王が小烏の導きで暴風雨を凌いだという言い伝えがあり、
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別称は「小烏さん」とか。
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本殿の後ろに巨石(いわさか)と御膳岩という大きな石があり、それも見どころとなっています。
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ここからはしばらく宇多津の古い町並みの探索です。
本妙寺は、室町時代創建の法華宗のお寺。 -
宇多津の古い町並みから、山の中腹に建つ寺に坂道を上っていきますが、すぐに目に入ってくるのは、日蓮大聖人と日隆聖人の銅像。寺全体が堅牢な石垣で囲われているとか厳めしい雰囲気もありまして、これは城跡のなごりのようです。
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宇多津の町並みは、古街(こまち)と呼ばれる旧市街。
メインストリートは、第78番札所、郷照寺のほか寺院群に1200年以上の歴史があるというさきほどの宇夫階神社。ゆるくカーブをした通りの感じも昔の街道っぽくて、雰囲気があると思います。 -
ここで
四国一の閻魔大王像
浄泉寺の看板が目に入ったので覗いてみました。 -
赤地に鮮やかな色彩の衣をまとって
なかなかいいと思います。 -
聖徳院は、鎌倉時代創建の真言宗の寺で、讃岐33観音霊場第29番札所。また、本尊の聖徳太子の二歳立像は日本三大太子の一つだとか。三門の豪華な意匠や
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手入れの行き届いた境内に建つ本堂、観音堂の構えなどただならぬ格式を感じさせるもの。
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真言宗ですから空海を前面に出すのが普通だと思いますが、ここは聖徳太子。その辺りから、かなり独自カラーがあるように思います。
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倉の館三角邸は、これも古街(こまち)では名物の建物。
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肥料商であった堺氏が建てた贅沢な別邸。
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日本建築の母屋の隣りには洋風の三角の塔屋が建っているのが目立っていて、それで三角邸と呼ばれるよう。豪壮な外観と塀の間から中庭が見えたりして、中の様子が少し分かります。
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では、ここから丸亀の方まで歩いて帰りつつ、ここからうどん屋さんを四軒ほど回ります。
山ともは、国道33号線沿いなので車の人には便利な場所ですね。 -
「お客様が認めた日本一のうどん」という幟が何本か立っていて、けっこう背負ってるなあという印象だったのですが、
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イチオシ
ここのうどんはそれがそう間違いでもないと納得させられるだけの出来。しょうゆうどんをいただきましたが、少し柔らかめのタイプのうどんは程よいコシに小麦粉のうまみやつるんとした舌触りとか素晴らしいです。冒頭、山内うどんのことにも触れましたが、ここのうどんもそれにかなり迫るレベル。この後、近くにある中村うどん、麺処 綿谷とかの有名店にも行きましたが、結果としてはとても比較にはならないですね。まだ若そうなご主人でしたが、よくぞここまで到達しました。ちょっと感動ものです。
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二軒目の中村うどんは、宇多津では圧倒的な人気を誇るようで。平日でしたが、9時半の開店前にはちょっとした行列が出来ていました。
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つるんとした触感に心地よい弾力は讃岐うどんの正統派。うまい讃岐うどんを思い切り想像するとここのうどんになるのかなあという感じですね。まったく申し分のないうまさなのですが、ただ、やっぱり山ともほどのサプライズはないと思います。
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土器川の橋を越えて、もう丸亀に近い辺り。
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三軒目の麺処 綿谷 丸亀店は、たくさんの人が入れてけっこう大規模。
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これなら待ち時間はないですね。
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うどんは少し太め。しかし、全体がもっちりとした弾力があって、それがうまさの基本となっています。ただ、この不自然な均一感はなんなのかなあ。手打ちのうどんだとどうしてもどこか不均等の部分が出てしまうはずなんですが、それがちょっと気になります。以前、あるチェーン店のうどん屋さんで、今は粉を工夫すると簡単にコシとか出せますからねえと言っていましたが、そんなことを思い出しました。
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すぐそばの玉積神社は、もう海辺に近い場所。天保4年(1833年)新堀湛甫掘削の土砂を盛り上げたところに、丸亀藩大坂蔵屋敷内にあった神社を移したのが始まり。江戸期は金毘羅宮の遙拝所だったようですが、今は、独立して、丸亀城の南にある山北八幡神社のお旅所の一つとなっているよう。
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屋根瓦が見事な意匠で、ちょっと驚きます。
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四軒目の石川うどんは、もう丸亀駅からも近い場所。小料理屋さんのような高級感のあるうどん屋さんです。
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いただいたのはかけうどん。キレイ系の出汁に、うどんはしっかりコシがあって細め。舌触りのつるつる感もいいですね。ただ、今は冷凍うどんの技術がものすごく進化していて、かなりうまい。変な話、よくできているとそれだけ冷凍うどんのうまいのに似ている感じもして、ちょっと複雑な気持ちになりました。悪くはないんですけどね。
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では、丸亀港から本島に渡ります。
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丸亀港から塩飽諸島の本島までは、本島汽船。
フェリーと旅客船があって、この旅客船だと所要時間は20分です。 -
丸亀港を出港しました。
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イチオシ
意外にたくさんの船が停泊していて
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ちょっとびっくり。
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あの有名なボートレースまるがめもきれいに見えています。
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沖合に出て、船はどんどんスピードを上げていきます。
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瀬戸大橋を横に眺めながら、白波を蹴立ててぶっ飛ばすみたいな感じ。
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眺めの良さとそのけっこうなワイルドさを楽しみました。
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途中、牛島を経由しますが
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あっという間に
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到着ですね。
これはフェリーの方で、 -
乗ってきた旅客船がこれです。
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本島に上陸して、これは港の事務所建物。
ここにある本島レンタサイクルで自転車を借ります。結果としてみても、塩飽勤番所や笠島地区を訪ねるならこの一択ですね。実は、事前に丸亀市観光案内所に尋ねたら本島は坂が多いので難しいというような情報でしたが、ごく限られた部分だけでそんなことはありません。ご安心を。 -
泊海水浴場は、本島港から歩いてもすぐのところ。場所的に便利だしそれなりにきれいな砂浜。遠くに瀬戸大橋が見えるという眺めの良さもいいですね。丸亀港からのトータルのアクセスを考えても利点が多い海水浴場だと思います。
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ここからは、笠島地区を目指しながら。。
ほどなく、
冒頭に触れた本島の四人の年寄のひとつ宮本家代々の墓がこちら。 -
ちなみに、選ばれた四人の年寄で、宮本伝太夫、吉田彦右衛門、真木又左衛門、入江四郎右衛門。一番背の高いのが寛永4年(1627年)に建てられた初代の年寄 宮本伝太夫の墓です。
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さらに進んで
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これが塩飽勤番所。
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長屋門があって
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イチオシ
それなりに威厳のある構えです。
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現在の建物は寛政10年(1798年)に建築されたもの。国の史跡建物です。
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座敷に上がって、資料を拝見します。
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本島の寺院群。そう大きな島でもないのにけっこうな数ですね。
海の仕事で信仰心が強かったことや廻船業の財力の背景があったという説明には納得です。 -
その廻船の絵馬かな。
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江戸前期から中期。華やかなりし頃の本島ですね。
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手前の細かな年表では源平合戦の時、屋島の合戦で敗れた平氏が安徳天皇をいただいて塩飽に立ち寄ったとも書かれていました。
奥には咸臨丸の模型と -
これは咸臨丸の乗り組み員の遺品。
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織田信長、
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豊臣秀吉、徳川家康の朱印状も圧巻。
秀吉の命では、島津討伐、小田原攻め、朝鮮出兵への応援等何かあると駆り出されていた感がありました。 -
塩飽勤番所から海の方へ出たところにある東光寺。平安時代に作られた本尊の薬師如来坐像が国の重要?化財ということで訪ねましたが、周囲は草ぼうぼうだし、山門は崩れそうになっていて中には入れない状態。けっこうな荒れ寺になっていました。
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さらに進んで、笠島に向かう途中の峠のような場所。
年寄のひとつ吉田家代々の墓がこちら。一番大きいのが寛永4年(1627年)に建てられた吉田彦右衛門の墓。下部の狛犬、花瓶、蓮華、鶴亀の蝋燭立ての彫刻も見事です。 -
峠を越えてしっかりした集落に入ってきました。
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これが笠島地区ですね。
地区の建物は江戸時代後期から昭和初期のもののようですが、ここは街並が整っているというか家々の趣きにばらつきがない。いろんな重要伝統的建造物群保存地区がありますけど、とても見栄えがする街並だと思います。 -
これは、文書館(藤井邸)。細かな格子窓には品のよさを感じます。
街並の中の一軒なので、ちょっと分かりにくいかもしれません。 -
無人の資料館で、
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展示ケースにはそれらしい古文書が並んでいましたが、表題は書いてあっても説明はないので、雰囲気を味わうくらいかな。本島小学校の関係は明治の資料だと思います。
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座敷の方はこんな感じです。
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では、さらに細い路地を
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進んで行きます。
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実はこの細い路地にも意味があって
敵が攻めてきた時に守りやすいようにということのようですね。 -
と
広い通りに出ました。
この辺りが地区の中心でしょう。 -
すぐにあるのは、笠島まちなみ保存センター(真木邸)。
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では、中へ。
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イチオシ
築190年の建物は、塩飽勤番所で勤番の政務を勤めた四人の年寄のひとつ、
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真木家の住宅。
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塩飽大工の手によるしっかりした建物で、屋根裏部屋も含めて格式を感じさせる雰囲気がそこかしこに漂います。
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はしごを上って
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これは天井裏の部屋。
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そんな狭苦しくもなくて、むしろ悠々かな。
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一階に戻って
奥の座敷から -
この坪庭も見どころの一つのようですが、これはちょっと見栄えとしてはイマイチかもしれません。
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最後に裏手の井戸の方も確認しておしまい。
笠島まちなみ保存センターのネーミングですが、これは単純に真木邸を拝見するという内容ですね。 -
表通りを挟んで、
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笠島まちなみ保存センター(真木邸)の向かい側が、ふれあいの館(小栗邸)。ただ、表札はこちらも真木邸となっているんですけどね。
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限られたスペースですが
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天下普請を支えた塩飽島の築城石、650人の船方が塩飽島1250石を共有する人名制、
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船大工の技術を活かした塩飽大工とか。
ポイントを突いた資料があって、けっこう分かりやすいと思います。 -
中心部から海の方に抜ける道。
マッチョ通りといってもマッチョではなく、町通りが訛ったものだそうです。 -
笠島の港。
小舟がいくつか停泊して。穏やかなものですね。 -
そこから東へ少し上ったところ。
見晴らしのいい場所にこんなのもありました。 -
瀬戸大橋がきれいに見えています。
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イチオシ
もう一度、中心部に戻ってきて、さっきの一番広い通り。
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この通りも実は微妙に突き当りがあったり
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かぎ型になっていたりと
防御のための設計がされていて、それも見どころ。要チェックです。 -
本島港に戻ってきて。
ここから児島港へは六口丸海運を利用します。 -
丸亀港から本島港への本島汽船からも瀬戸大橋がきれいに見えましたが、こちらの航路の方が瀬戸大橋にはもっと近い。
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迫力という意味ではこちらの方がすごいですね。
児島からは倉敷へ。倉敷で晩飯を食べて帰ります。
さて、以上で六日間の旅は終了。お疲れさまでした。
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