2023/02/25 - 2023/02/27
67位(同エリア315件中)
白熊爺さん
昨日は弥生時代の始まりの地、
板付遺跡に参りました。
関係者の努力で見事に再現された環濠を見る事が出来て興奮いたしました。
ここから弥生時代が始まった!
その地に立って初めての弥生の風を感じる事が出来ました。
今に通じる価値観がここから始まった。
エゴも見栄も嫉妬も諍いも全てはここから始まった!
そんな弥生時代になぜか昔から惹かれていた私です。
今日は船に乗って壱岐島の原の辻遺跡に行きます。
どんな弥生の風が吹いているのでしょうか?
弥生の風に吹かれる旅のはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
PR
-
2023年2月26日 曇りのち晴
【2月26日の歩行数 18383歩】
昨夜はお風呂に入った後に
やはり眠くてたまらずに早々と寝てしまいました。
今朝は空腹で目が覚めるという素敵な朝w
今回は朝食付きのプランなのでウキウキと最上階の朝食会場に来ました。
とても眺めの良い会場です。
天井は低いので開放感はないです。
早速窓際に陣取って眺めの良い席で朝食。
すごく贅沢な感じがします。
朝食開始時間すぐに来たのですがまだそれほどは混んではいませんでした。
でもすでに食事中の人がいました。
開始時間以前に来てるってことですよね、、、 -
今日は和食でまとめました。
ガメ煮と鳥飯がとても美味しかった和の朝食。
おかわりしました。 -
博多ラーメンも美味しかった。
朝食の種類は多く無いけど
どれも味付けが自分好みで嬉しい。
ある意味、
種類が多く無いのであれこれ欲張らずに済むのも欲深い私にむいていますw -
デザートまでゆっくり食べました。
-
このホテルは那珂川の眺めがとても良い
-
この眺め、、、、
なんか見覚えのある風景なんですよね、、 -
それに、、
この朝食会場の感じもどことなく見た様な気がします。
まぁ、、、
よくあるといえばそれまでなんですけどね、、、 -
そろそろ日の出の時間。
福岡は関東よりも日の出時間がゆっくり目です。 -
今日は天気がスッキリしないのかな?
天気予報では雨が降らないという事なので
今日は傘は持っては行かないつもりです。 -
食事を終えて食事会場を振り返った時!
あ!
これは絶対に見た風景!
ここは絶対過去に来てますね!
と気がつきました。
しかも何度も来てるはず。 -
部屋に戻り外の景色を見ます
-
うーん、、
確かにここには以前に泊まってますねー。
持参してるiPadでGoogle mapで調べても
現在の西鉄イン福岡アクロス福岡前ホテル以外の情報は何も出て来ません。
グーグルで西鉄イン福岡 アクロス福岡前で歴史関係で検索しても大した情報もないです。
4トラベルの中で西鉄イン福岡アクロス福岡前を口コミ検索して、
ある方の口コミでこのホテルの前身について言及されているものがありました。
さすが4トラベル!
どこよりも頼りになる!
4トラベルのおかげでわかりました!
博多東急ホテル!
これです!
ここはずいぶん昔に何度か宿泊してます。
もっと煌びやかな感じだったので
すっかり印象が変わっていてピンと来なかったです。
私が利用していた当時はホテル全体が今よりも広々としていたような印象があります。
モヤモヤがスッキリしました。
その当時泊まっていた博多東急ホテルは
その後博多東急インに代わったようです。
その年代からいって私は博多東急インには泊まって無いと思います。 -
そういう目で改めて見ると、
ホテル内の作りは昔と同じ部分もところどころありますが
印象はずいぶん変わったような気がします。
別のホテルのような印象です。
それで全然気がつかなかったです。 -
博多の城下町の頃の古地図が上の方に飾ってありました。
こういうの大好きなのでもっと近くで見たいです。
せっかくなので博多東急ホテルの歴史を調べてみました。
1969年5月15日に「博多東急ホテル」として開業。
2002年4月1日に「東急イン」にブランド転換。
2007年5月16日 に閉館。
現在は「西鉄イン福岡」(←今ココ)
博多東急ホテルの頃は仕事がらみだったから、
慢性金欠病な私でも相手先の招待で東急ホテルに泊まれていたんだと思います。
2002年以降といえば仕事抜きで個人的に来てるはずだからもっと安いホテルに泊まってる私ですね~~w -
昨日とは違う出口でホテルを出ました。
そうそう!
当時はこっちが博多東急ホテルのメインの入り口だったはず。
一つ思い出すと次々と思い出してきます。
ここからタクシーに乗ってましたね。
私もなかなかの記憶力。
って遅すぎでしょ~~w -
やっと、今までモヤモヤしていたものが無くなりました。
前には西中島橋が見えています
あの橋を渡ります。 -
ホテルのすぐ横は那珂川。
水鳥や魚が意外に多い。
水も思った以上に綺麗。 -
那珂川の上流方面を見てみる。
川の左は中洲エリア。 -
ホテルの横は遊歩道になっていて川沿いに散歩できる感じです。
-
ではこの遊歩道を那珂川に沿って西中島橋を目指して行きましょう。
-
遊歩道が大きな通りの昭和通りに突き当たる交差点の角に
赤煉瓦の素敵な建物がありました。
福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店)
東京駅みたい、、
と感じたあなた。
正解です。
辰野金吾が設計に関わっています。
1909年(明治42年)日本生命保険九州支店の竣工。 -
西中島橋を渡ります。
橋の上から那珂川上流を見た感じ。
福岡城があった頃はこの川が堀の役目を果たしていました。
この西中島橋を渡った福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店)の前あたりには桝形門があって福岡城の守りを固めていたそうです。 -
西中島橋の上にはその枡形門の説明がありました。
この橋で庶民の街博多と武家の街福岡が繋がれていた感じです。
福岡は一つの街に見えますが
実際には庶民の街の博多と武家の街の福岡と2つの街で構成されているツインシティなのですね。
そうです。
ハンガリーのドナウ川を挟んだブダとペシュトの合体したブダペストのような感じです。
という例えが、、、
まず、まどろっこしいw -
西鉄イン福岡 アクロス福岡前の外観です。
こうしてみたらなかなか良い立地です。
確かに部屋からの川の眺めは良いよー。
でも慢性金欠病の私は楽天ポイントが
貯まらないと泊まれないですけどねーw -
西中島橋を渡って左に曲がり那珂川に沿って歩きます。
前に見えるのは弁天橋です。 -
弁天橋のたもとに出会ったら道を右に行きます。
右に曲がった道路の左側は公園になっていました。
その公園の道沿いに石碑がありました。
旧浜新地
1834年(天保5年)七世市川団十郎来演
という文字が刻まれていました。
江戸時代の頃はこの浜新地あたりでは
相撲や芝居の興行が行われていた場所なのだそうです。
興行といっても常設小屋ではなく掛小屋のような感じだったようです。 -
ここにも石碑がありました。
七代目 市川団十郎博多来演記念之碑 -
裏面は後援者の名前が書かれています
-
電信柱に詳しい説明がありました。
当時七世市川団十郎は大人気。
その後五世市川海老蔵を襲名するのですが
天保の改革で江戸払いになり江戸で芝居ができなくなったそうです。
贅沢な暮らしぶりを咎められたと言いますが、
当時絶大な人気があった役者を利用して
幕府が一般市民に発した天保の改革の本気度のアピールの
スケープゴートにされたという考え方もあるようです。 -
大黒橋を渡ります。
潮風のせいか橋がサビサビです。
大黒橋を渡って左に曲がり博多川に沿って歩きます。 -
博多川に沿っていくと何やらしゃれた石造物がありました。
-
旧須崎橋の解説がありました
-
そういう目で見ればオシャレなデザインです
-
明治44年に架けられた須崎橋は当初は市内電車用の橋だったようですね。
-
昭和4年に電車軌道の両側に自動車用の道路を作ったようです。
-
よく見たらそのほかにも橋の部材と思われるものがありました。
確かに美しいデザインの橋だったようで市民にも愛されていたようです。 -
平成9年に現在のこの橋に架け替えられたようです。
今の橋は、、、
可もなく不可も無くというところでしょうか。
よくある感じの普通の橋ですね。 -
那の津大橋を左に見て那の津通りを横断して那珂川沿いに歩いていくと、那珂川の上に巨大なフェンスがありました。
-
川を囲っているようです。
BOAT RACE 福岡(福岡ボートレース場)のようです。
減速走行をお願いします
という垂れ幕がかかっています。
レース中にこちら側の波がフェンスをくぐって向こうに伝わるんですかね? -
BOAT RACE 福岡(福岡ボートレース場)の下流はもう海が見えます。
かなり河口に近いところにあるんですね。
水質は海水~汽水という感じのようです。
ここだと海の波の影響も受けそうです。
この辺りはボラがすごく多いらしくレース中に水面にはねたボラに衝突することがままあるそうです。
ボートの損壊や選手の大怪我もあるらしく
ヘルメットのシールドが割れるくらいで
それで脳震盪で入院、引退ということもあるようです。 -
高速道路の下にトンネルが見えます。
あのトンネルを抜けて行きます。 -
トンネルを抜けると
目の前に博多ポートタワーが見えました。 -
左手には広い川幅の那珂川のが流れています
-
もうすぐそこは那珂川の河口。
その向こうは海ですね。 -
ここで右に曲がってレンガ道を行きます。
-
賑やかそうな通りに出ました。
まだ朝も早いのでお店は開いていない感じです。 -
ここは左に行きます。
この辺りもまだ開店準備前のようです。
この通り沿いにはお店がたくさん並んでいます。 -
左前には博多ポートタワーが見えます。
-
博多ふ頭第1ターミナル
今日はここからの乗船ではありません。
さらに先に行きます。 -
博多ポートタワー
ずいぶん昔に登ったことがあるのを思い出しました。
眺めが良いのに入場無料だったのが印象深かったです。
今でも入場無料のようです。
この博多ポートタワーはタワー博士で知られている内藤多仲さんの手になるタワーで「タワー六兄弟の末っ子」としてタワーマニアには知られています。
足の開き方がタコちゃんみたいで可愛いと思うのは私だけ? -
博多ふ頭第2ターミナルに到着。
今日はここから壱岐島に向けて船に乗ります。 -
博多ふ頭第2ターミナルビルに入ります。
1階は車の受付です。
旅客は2階に窓口があるので左の階段を2階に上がります。
2階の旅客チケット売り場のあるフロアに上がって来たら、、
もうすでに結構長い行列ができていました。 -
意外に多くの人が船を待っています。
-
最初に乗船カードを書いてから行列に並びます。
-
無事乗船券が購入できました。
クレジットカードが使えました。
九州郵船 博多~壱岐~対馬(厳原)航路フェリー
博多港発 10時 → 壱岐港(郷ノ浦港)着 12時20分
料金 2960円(2等) -
予想の斜め上行く大勢の乗客数です。
この博多ふ頭第2ターミナルからは壱岐~対馬航路以外に
五島に行く船が出るみたいです。
そのためか大荷物の人が目立ちます。
五島の福江島に住んでいた川口春奈さんが雑誌のニコラのモデルをやってた中学生の頃は五島からこの船で9時間かけてここまで来て東京に行っていたという話も有名ですね。 -
今日は離島に行くので念のために飲み物と非常食を購入しておきます。
博多海陸運送(株)博多本店
綾鷹 上煎茶 180円×2本 360円
アルミ 羽衣あられ 115円
計 475円(税込) -
そろそろ行列が始まってきました。
並ぶのは好きでは無いけど
そうも言ってはいられないので
行列の後ろについて並ぶ事にします。 -
乗船券の表側
-
乗船券の裏側
-
外に見えるあの船に乗るのかな?
-
行列に並んでいるときに私のすぐ後ろで
老夫婦が子供連れの若夫婦の見送りに来ていました。
老夫婦がちょっと大きな段ボールを持っていました。
そして、
その大きな段ボール箱を唐突に若夫婦に渡していました。
どうやら若夫婦には内緒でお土産として持ってきていたようです。
若夫婦はその事は知らなかったらしく、
本気で驚いていて、
一応は笑顔でお礼を言ってはいましたが
その段ボール箱の大きさにたぶん戸惑ったと思います。
若夫婦には
一人は抱っこが必要な乳児。
もう一人は手つなぎが必要な幼児。
それに自分たちのガラガラのついた大きなスーツケースに大きなリュック。
という十分すぎる荷物がすでにあるのでした。
老夫婦は大きな手土産を渡すことができて満足感でニコニコしてます。
きっと若夫婦は大喜びしてるはず!
良い事したわっていう確信がありそうな顔です。
乗り込むときは若夫婦は老夫婦の手前終始笑顔でしたが
大きな段ボールの扱いに相当苦労していました。
老夫婦はそれに関しては全然意に介せず無頓着でした。
若夫婦が喜んでいるのを照れ隠ししてるって
思っている風で笑っていましたw -
後ろの若夫婦の続きが気になりましたが
ちょうどいいところで改札が始まりました。 -
長い通路を渡ります
-
船に乗り込みました。
あの若い夫婦連れたちはちゃんと乗船したのかな?
私は乗船直後は船あちこちを色々見たくて
チョロチョロしてたので気がつきませんでした。
その後、
あの若夫婦たちはどうなったのか、、、
誰も知らない、、 -
ちょこっと船内にきてみました。
今日乗る船はフェリーきずなですね。
そろそろ出航なので甲板に出ます。
船に乗るとついついチョロチョロします。 -
甲板に出てきました。
これから乗船してくる人はもういないようです。 -
船の左手に博多ポートタワーが見えます
-
誰も船の外には出て来ないみたい
-
船の右手にはマリンメッセ福岡が見えます
-
そろそろ出航かな
-
係員登場
-
ゲートを閉めるようです
-
ゆっくりと閉じられるゲート
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慣れた手つきです
-
プロの動きに無駄はありません
-
きちんとロックを確認。
プロのお仕事と私の好きな制服鑑賞を同時に堪能できました。 -
ブリッジがズルズルーと引っ込んで行きます
-
プロの確認の目は厳しく光っています。
無事切り離しに成功です。 -
出航です。
船が離岸します
九州郵船 博多~壱岐~対馬(厳原)航路フェリー
博多港発 10時 → 壱岐港(郷ノ浦港)着 12時20分
料金 2960円(2等) -
ゆっくりと船が岸壁を離れていきます
-
重い船体を力の限り踏ん張って離岸しているような力を感じます
-
船は岸壁を離れました。
エンジンが一段階強くなって船は前進しだしました。 -
左手に博多ポートタワーを見ながらの出航です
-
博多ふ頭第2ターミナルもどんどん遠ざかっていきます
-
船は意外な早さで博多港の中を進んでいます
-
振り返ると博多ポートタワーがもうあんなに小さくなっていました。
船の意外な速さを実感できました。 -
どんどん小さくなっていく博多ポートタワー。
船の速さを感じる瞬間です。 -
船は一路、壱岐島を目指して進みます。
空は青空。
波は静か。
優しい潮風が良い気持ちです。
日焼け止めは薄く塗ってきたので安心な私w -
名残惜しそうに博多ポートタワーこちらを見守っています。
そう感じる風景です。 -
博多港をもうすぐ外洋に出る感じです
-
博多ポートタワーはもうあんなに小さくなりました
-
島が見えます。
能古島かな? -
自販機がありますね。
-
あれ?
110円からある!
お茶も150円!
ものすごく良心価格です。
さっき売店で買ったものより安いではないか!
うぬぬ、、、
失敗であった、、
ここで買えばよかった、、、 -
ゲームコーナーがありました。
中は狭すぎず広すぎず。
中の写真を撮ろうと思ったら一人入ってきて、
結局その人、ずーっとゲームしていて写真撮れなかったです。
こういう太い客がいるので多少空いていても
ゲームコーナーが続いてるわけなんですね。 -
船の右手に白い灯台が付いた防波堤が見えてきました
-
こちらは船の左手に赤い灯台が付いた防波堤が見えてきました。
これは船に港の入り口を伝える灯台です。
この灯台の色は航路標識法という法律で決められているんですね。
海から陸に向かって港に入るとき、
船の右側に赤い灯台、
左側に白い灯台
が見えるようになっているのです。
だからこの光る灯台の間が博多港の出入り口というわけです。 -
今、博多港を出ました。
ここからは外洋になります。 -
左手には玄界島航路のみどり丸が見えます。
福岡市営渡船ですね。
博多港からは博多ふ頭第1ターミナルから出航しています。 -
結構早いです。
1日7往復してるようです。
割と便数はありますね。 -
今度は右手に来ました。
志賀島から海の中道までがパノラマで見えます。 -
今度は左手に来ました。
福岡PayPayドームや福岡タワーが見えますね。
あのあたりは飛行ルートの影響はなさそうなので高層ビルが建ち放題ですね。 -
あれは能古島かな?
能古島という島の存在は
井上陽水の歌の「能古島の片思い」で初めて知ったという人も多いはず。
私もその一人です。
もう、年がバレバレw -
左手後ろを振り返ると
福岡の街が遠ざかっていきます。 -
博多港は定期航路が色々な方面に出ているので
博多港を拠点に島巡りするのも楽しいですね。 -
福岡PayPayドームが意外な大きさで見えています。
この福岡PayPayドーム。
元の名前は福岡ドームですが元々の計画では同じ大きさのドームをもう一つ作ってツインドームにする計画だったそうです。
その後、その当時の持ち主だったダイエーがお金がなくなってそのツインドームの話も無くなったようです。
今から考えるとドームをもう一つは作らなくて正解でしたね。
作っていたらとんだ負の遺産になるところでしたね。 -
志賀島と海の中道が大きく見えてきました
-
右に目をやれば海の中道はずーっと続いていますね。
海の中道は昨日飛行機からも見えましたが長大な陸繋砂州ですね。
上から見ても緩やかな弧を描いて美しかったです。 -
さらに右に目をやれば博多の後ろの山々も見えています。
良い天気です。
今日はこのまま晴れてくれると良いなー。 -
ここから見ると志賀島は上が平らなんですね。
志賀島はなぜが金印が見つかった場所で知られています。
なぜにここから?
っていう感じですよね。 -
さっきこの船の乗った博多港からも志賀島には船で行くことができます。
途中、海の中道の西戸崎を経由していきます。
1日15往復あるので使い勝手はいいです。
乗り場はさっき乗船した博多ふ頭第2ターミナルではなく手前にあった博多ふ頭第1ターミナルです。 -
手前に見える緑の博多港中央航路第1号灯標と奥に見える端島
端島には白い色の博多港端島灯台があるのが見えますね。
博多湾の中には船の通り道が設定されています。
中央航路とそれからYの字に分岐した東航路が設定されています。
博多港に行くのが中央航路です。
東航路はアイランドシティ方面に行く航路です。
外洋から来て湾の入り口からYの字の分岐までの航路の幅は400メートルですがYの字の分岐から先の幅は300メートルに狭くなります。
そのため航路の両側に写真のような灯標が置かれています。
博多港の中央航路は船舶と灯標が接触する事故が多発しているようです。
なかなかの危険水域ですな。 -
時間があったら志賀島にもいきたいですね。
-
船の左手に来ました。
ジェットフォイルが凄いスピードで走り去っていきます。 -
対馬~壱岐~博多航路で就航しているヴィーナス2ですね。
この航路はフェリー以外にもヴィーナスとヴィーナス2の2隻のジェットフォイルで運行しています。
博多港から壱岐(郷ノ浦港)までは
このフェリー船で所要時間が2時間20分(2等料金 2710円)
ジェットフォイルで1時間10分(5340円)
なかなか絶妙な料金設定と時間です。 -
船の左手には能古島の北側が見えています。
能古島は福岡市民の気軽なリゾート地という感じで
船に乗って渡り
海を見たり
散歩をしたり
お花の綺麗なガーデンを巡ったりと
自然を生かした静かな感じの良い島です。 -
船の右手に志賀島の側面が見えています。
向こうには玄界島が小山のように見えています。 -
志賀島の右には海の中道が海の上を長く続いています
-
さらに右には福岡の街の向こうに山々が見えています。
-
船の左手には能古島の向こうに糸島の山々が見えています
-
ここから見ると能古島の上も平らなんですね。
能古島の島名は少し前までは読み方は同じでも「残島」という書き方だったそうです。
書き方が変更になったのは1941年というからそれほど昔のことでは無いのです。
能古島が当時の早良郡から福岡市へ吸収合併されるタイミングでの変更だったようです。 -
福岡の街も遥か彼方になってきました
-
こうして見ると福岡の街は外洋に開けた大きな街ですね。
ある意味日本で一番最初に国際都市になった街なのかもしれません。 -
ではそろそろ船内探訪に出かけます。
まず一番大切なトイレチェック。
広々として清潔なトイレです。
これは良いですね。 -
船内図ですね。
なるほど。 -
ここに船名の手書きの額がありました。
-
またチョロチョロと外に出て来ました。
船の前方には小山のような玄海島が見えています。 -
船の右手の真横に志賀島が見えています。
こうして見たら緑の多い島です。 -
船の左手後方には能古島が遠ざかっています
-
左手奥に糸島方面の山がポコポコと見えています。
あのあたりは一支国とは微妙な感じの関係だった伊都国があったあたりですね。
伊都国もなかなか面白いので近いうちにに行ってみたいですね。 -
船の右手には志賀島が遠ざかっていきます
-
右手に玄界島が近づいてきました。
海から突き出てきた小山のような島です。 -
集落は南側に集中していてここから見えるのがすべてのようです。
2005年(平成17年)に福岡県西方沖地震で家屋の7割が全半壊するなど多大な被害を受けました。
現在の集落はニュータウンのような整備された集落で離島という感じの風景では無いようです。
博多港から福岡市渡船で35分と近いですが
日曜休みのスーパーマーケットが1件あるだけなので
訪問するにはそれなりの準備は必要そうです。 -
玄界島の隣には桂島が見えています。
-
船の左手には西浦岬が見えてきました
-
船に右手は玄界島と桂島
-
船の左手には西浦岬。
ここを過ぎると本格的な外洋です。 -
西浦岬を過ぎると波がゆるやかに大きくなって来ました
-
今日は穏やかな海ではありますが、
大きくゆったりと波たつ海は
玄界灘の荒波の感じを少しは体感できるようでした。 -
福岡の陸地を左に見ながらの航行です
-
糸島の山々が見えています。
穏やかな空模様です。 -
再び船内探訪です
-
この船にはレストランや売店はありません。
それらの代わりになる自販機コーナーにやって来ました。 -
お菓子類は充実しています。
値段も良心価格。
コンビニ程度の値段ですね。 -
カップ麺は8種類。
うどんとそばがあるのが嬉しい。 -
貸し毛布は50円
-
またまたチョロチョロと外に出て来ました。
遠くに島が見えます。
小呂島? -
福岡の街はもう遥か彼方
-
漁船が2隻走っていきます。
小呂島に行くのでしょうか? -
船の右手に海の上のぽっかりと現れる烏帽子島灯台が意外な近さに見えます
-
烏帽子島灯台は、イギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1873年に建設が開始されたようです。
荒波の中の孤島に建設したのですから工事はとても大変だったようです。
1875年8月1日に点灯開始できたようです。
それから100年間は交代で職員が滞在したようです。
これは結構キツイですね。
特に大荒らしの日とかは。
人によっては映画のシャイニングみたいにおかしくなっちゃう人も出そうです。
1976年からは滞在管理から巡回管理に変わったそうです。
やっぱり何かあったのかしら? -
船の前方にうっすらと大きな島が横たわっています。
壱岐島のようです。
ものすごく大きい島です。
弥生時代の人もこうしてあそこに見える壱岐島めざして船で海を越えたのでしょうね。 -
またまた船内探訪です。
船に乗るとチョロチョロして落ち着かない私です。
案内所にやって来ました。 -
なにやら御朱印?みたいなものがありました
-
御船院w
いいの?
これ?
バチ当たらない? -
船の現在位置がわかるようになっていました。
「画面はモニターです。タッチパネルではありません」の文字がおかしいw
画面を大きく表示しようとして人差し指と親指で画面を拡大する人が多そうですよね。 -
また、船の右側に来て見ました。
壱岐島が近づいて来ました。
これから向かう壱岐島はかつて一支国という魏志倭人伝にも登場していた国があった島です。 -
船は壱岐島の南側を航行しています。
魏志倭人伝の内では一大国と表記されている部分もあり
これを誤記とする説と正しいとする説があるようです。
果たしてどちらが正しいのか?
どっちも頑張れ~~w
この一支国は海外との貿易で栄えた国でいわゆる貿易立国で文化と経済の交差点の国でした。
発掘して出てくるのもの中で外国製のものの比率が驚くほど多いというのもここの特徴です。 -
壱岐島の西側の港の郷ノ浦港に行くために壱岐島の南側を回り込んでいます。
島の南東には印通寺港があるのですがその港は唐津東港行きしか出ていません。
島の東には芦辺港がありますが利用したい時間には便がなくて時間が全然合いませんでした。 -
この屋外のエリアにいるのはずーっと私一人。
誰も来ません。
貸切です。
すごく贅沢な感じです。 -
壱岐島を見ながらの優雅なクルーズです。
-
後ろを振り向くと、、
非常用のボートが見えました。
福岡の山もうっすらと見えます。
このまま晴れていて欲しいです。 -
誰もいないプロムナード。
潮風が通り過ぎるばかり。
貸切気分です。 -
なにも考えずにボーッと眺める海が好き
頭の中ではエンヤの音楽が流れている感じ -
普段から何も考えてはいませんが
さらになにも考えない状態になれるのが海の上。
どうしてなのかはわかりませんが。 -
壱岐島をさらに回り込んでいます。
壱岐島、意外にでかいです。
今回は目的地には入っていませんが
壱岐島といえば島流しw
京都から西の罪人は壱岐島か五島列島か天草に流されていたようです。
壱岐島には毎年20人くらい流されて来たようです。
常時、島内には200人から300人の流人がいたそうです。 -
壱岐島の東側はもう見えない感じになって来ました。
壱岐島は政治犯と刑事犯が流されていて
政治犯は主に関西から来た人が多いようでインテリが多く島民に都の文化や教養を伝えていたようです。
隠岐の島の後鳥羽上皇とか後醍醐天皇みたいな誰でも知っている人は流されてきてないみたいです。
でもここに流された庄屋の小山弥兵衛と三女の孫娘の全鏡の話はなかなか感動的で、その子孫が全鏡の道程を辿る話が一時期話題になったのでご存知の方もいるかと思います。
全鏡の生涯は知るほどにドラマチックで感動します。
気になった方はチェックしてみてください。 -
ようやく壱岐島の西側に来たようです。
小高い丘が続いています。
一方、刑事犯は長崎本土から流されて来た博打や窃盗、婦女暴行、密輸、強盗などロクでもない人間が送られてきました。
こいつらはやっぱりダメ人間が多くて島でも問題行動を起こすヤカラがいたそうです。 -
なだらかな丘が海に浮かんでいるような風景です。
流刑されているのにさらに壱岐島の中で犯罪を犯すというヤカラはさらに離島に流されます。
壱岐島周辺の小島に流されたようです。
この後に見えてくる長島や大島や原島などです。
島流しのさらに島流しですねw -
こんもりと盛り上がった壱岐島の丘。
壱岐島の名前の由来はとても古くて
「古事記」の中で表されている「天比登都柱(あめのひとつばしら)」からきていると言われています。 -
ゆるやかに海になじむように落ちていきます。
それは「天と地を繋ぐ島」という意味だそうです。 -
確かにこうして見ると天と地と海が融合したかのような穏やかな感じの見た目の島ですね
-
船の左手前に島が見えて来ました。
離島のさらに離島ですね。 -
右手には壱岐島がゆったりとした姿で広がっています
-
かなり回り込んでいますがまだ港は見えません
-
思った以上に大きな島なんですね
-
船の左手には小さな島が見えます。
壱岐島の郷ノ浦近くには3つの有人島があります。
原島、長島、大島の3つの島です。
先ほど言った壱岐島内で問題を起こしたら
これらの島に流されたようです。
島流しのさらに島流しということですね。 -
振り返ると船は大きく船体を時計回りに回転させて来ました。
-
白く長く尾をひく航跡が大きく弧を描いています
-
郷ノ浦港がやっと見えて来ました。
右手に赤い灯台が見えています。
港に入る場合
右手に赤い灯台があることを確認です。 -
今、郷ノ浦港に入ります!
-
郷ノ浦港に入りました!
-
穏やかな地形ではあるが海岸線はなかなか複雑な壱岐島
-
神浦港の入り江もかなり奥行きが深いです。
でも元々はここは遠浅だったらしく大型の船は入れないようでした。
1925年(大正14年)から改修をして大型船も利用できるようになったようです。 -
港内に入り振り返ると航跡が弧を描いていて
着岸までは簡単なルートではなかったことが伺えます。 -
左に白い灯台が見えます。
入港時には白い灯台が左に見えるのがルールです。 -
防波堤に何か書かれています。
港内スローw
まるでスシローみたいなノリですw -
防波堤の後ろには神社があります。
八幡宮です。 -
八幡宮の左に見えるのが春一番の供養塔。
1859年(安政6年)旧暦2月13日、
この港から8人漕ぎの漁船7艘が出漁しました。
この漁船が激しい突風に遭遇し53人が死亡する海難事故が発生しました。
それで地元漁師の間で春先の突風を春一番という言い方が根付いたそうです。
これが全国に広がり春一番という語源になったという説があります。
春一番というと何やらおめでたい感じがしますが
自然の猛威を忘れるなという意味合いだそうです。 -
船が船首を岸壁に向けていきます
-
わずかに岸壁を外して舵を切りました。
船首付近で二人が待ち構えています。 -
船首の二人が動いた!
-
船から綱(ホーサーという呼び方だそうです)が飛んできて陸上の二人が引っ張りあげています
-
それを二人がかりで係留柱(ビット、またはボラードというらしいです)に引っ掛けています
-
慎重に確認しています
-
もう一本のロープも飛んできて奥へ運んでいますね
-
向こうのロープもしっかり確認しています
-
向こうのロープを巻き上げてピンと張って来ました。
手前も巻き上げて船が岸壁に寄せて固定されたようです。 -
船が岸壁に接岸しました。
ブリッジがウィーンと伸びて来ました -
スタッフさんがブリッジの受け入れ準備をしています
-
確認はしっかりしていますね
-
ブリッジが出て来ました
-
ニョロニョロっと出て来ました
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あと少し
-
今到着
-
確認をしています
-
念入りにチェック
-
お客様の下船の準備ができたか向こう側と確認
-
下船開始
ぞろぞろと大勢の人の列が動いていきます。
九州郵船 博多~壱岐~対馬(厳原)航路フェリー
博多港発 10時 → 壱岐港(郷ノ浦港)着 12時20分
料金 2960円(2等) -
かなりたくさんの人が乗っていたようです
-
みんなどこにいたの?っていう感じです。
-
とにかく無事に着いて良かった~
おまけに綺麗な海のが景色独り占めだったし。
言うことなしの船旅でした。
帰りの船は夕景から夜景の時間だなー。
楽しみです。 -
この船にはものすごい大勢の人が乗っていたんですね!
こうしてみたらビックリしました! -
出口が混んでるので
群れを離れて私はここで一休み -
壱岐島の衛星写真。
複雑な海岸線の島です。 -
今乗船して来たフェリーきづな
無事に運んでくれてありがとう
とても楽しかったよ -
2階に食堂があるようです。
髭達磨
というお店のようです。 -
お!
刺身&カキフライで750円
これはそそられます。
メニューはお手頃です。
壱岐豆腐とかタコの唐揚げとが刺身盛り合わせなど私の好きそうなものもありますね。
でも今日は日帰りなので時間が詰め詰めです。
あきらめましょう。 -
やっとこさ地上に降りて来ました。
-
こうしてみると大きな船ですね
-
さて外に出ました。
最初にあそこに行って資料集め。 -
壱岐市観光連盟郷ノ浦港観光案内所
綺麗な施設で係員のお姉さんが数人いましたが
自転車旅行をしているお兄さんに全員がつきっきりです。
なんだよぉ~
一人くらいこっちの相手してよ~!
ってお兄さんをみたら、、
!!ものすごいイケメン!!
ま、負けた、、、
これは無理もない、、、
お姉さんたちの瞳はキラキラ~~w
瞳はダイヤモンド~~w
すすけたお爺さんはキラキラなダイヤモンドの瞳では見えないのは無理ないですね、、
諦めてセルフサービスで資料を適当に引っこ抜いて来ました。 -
ここは釣り客も多いからこういうのが大事なんだろうな
-
敗北感を抱えつつターミナルに戻る
-
郷ノ浦ターミナル
-
とても綺麗なビル
-
ここでタクシーを待つ
-
いくら待ってもタクシーが全然来ない
-
目の前にシールが貼ってあった。
とりあえずここに電話してみる。 -
タクシーがすぐ来た。
良かった~。
壱岐市立一支国博物館(長崎県埋蔵文化財センター)まで行ってもらいます。
玄海タクシー
郷ノ浦フェリーターミナル発 12時50分 → 壱岐市立一支国博物館着 13時6分
料金 2580円 -
壱岐市立一支国博物館(長崎県埋蔵文化財センター)に到着。
所要時間は17分でした。
渋滞もなくスイスイきましたが意外に遠いです。
というか思った以上に大きな島です。
タクシーの窓から見た壱岐島は山がちというか丘陵がちですね。
緩やかな丘がいくつも続いている感じです。
玄海タクシー
郷ノ浦フェリーターミナル発 12時50分 → 壱岐市立一支国博物館着 13時6分
料金 2580円 -
タクシーは去っていきました。
穏やかな運転手さんでした。
安全運転ありがとう。 -
壱岐市立一支国博物館(長崎県埋蔵文化財センター)
建物が変わった形をしています。
黒川紀章の手になるものですね。 -
これはこれは、なかなかメンテナンスが大変そうな造りですなー。
個人的には好きです、こういうのw -
中に入りました。
ここから先は有料エリアです。
ここは後で来ましょう。 -
こういうデザインのものって
黒川さんの建物によくありそうですねw
レトロな視点の未来感っていう感じ?
ちょっとハッピーでポジティブな視点を感じます。
嫌いじゃないわ~~~w -
壱岐島の鬼凧
家内安全、無病息災の魔除けだそうです。
まず最初に4階の展望室に向かいましょう。 -
4階にきました。
一面ガラス張りでとても良い眺めです。 -
見事な眺めです。
ぐるりと360度見てみましょう。
右へ順に見ていきます。 -
その右には原の辻遺跡が一望です
-
その右には広い水田が広がっています。
この広い盆地は長崎県で2番目に大きな平野で、
「深江田原平野(ふかえたばるへいや)」
と呼ばれています。
1番広いのは諫早平野。 -
その右から山が始まっています。
小さな島だと思っていましたが広い水田の広がる豊かな島のようです。 -
山深いところがありますね。
-
山の向こうにチラリと海がのぞいています
-
その右には遠くに海が見えます
-
その右にはまた山が始まりました。
これで一周した感じですね。 -
展望室は狭い通路がぐるりと一周している造りです
-
遮るものが無い良い眺めです。
ところどころ、のぞきメガネがあります。 -
風景の下には、、
-
解説があります
-
照らし合わせてみます
-
ここはどこかな?
-
なるほどなるほど
という具合に見ることができます。 -
建物は上から見下ろしてもそうとう変わっています。
-
今日は眺めが良いのになぜかこの展望室は空いています。
来館者が少ないわけではなく
下の階にはそこそこの人は来ていました。 -
こんなに眺めが良いと思わずぐるぐる回ってしまいます。
-
こんな独占状態で美しい景色を見られる機会はなかなか無いですね。
嬉しくてあまりぐるぐる回りすぎてバターになりそうですw
まるでチビ(ピーッ!←自粛w)サンボのお話みたいです。 -
こんな素晴らしい眺めが入場無料!
こんなに運が良くて良いのでしょうか? -
せっかくのチャンスなのでじっくりみましょう。
-
屋根がうねうねしていますね
-
この屋根の形状は弥生時代の山の形状を再現してるそうです
-
向こうに正面に見えるぴょこんとした所は
壱岐島で一番高い場所の岳の辻で標高212.8mだそうです。
展望台もあって360°見渡せるようです。
でも公共交通機関は無いのでタクシーか自動車になります。 -
弥生時代はこういう山が続いていたのか
-
山の形の再現とはなかなか面白い視点です
-
そう思うと屋根の斜面が山の斜面に見えてきて
向こうの林に連続して見える -
こちらの山と向こう正面の岳の辻
その間に広がる深江田原平野
なんとなく弥生の風景を感じます。 -
風景も満足できたので
そろそろ下に行ってみます -
3階にきました。
屋上展望広場に行ってから喫茶コーナーでお茶でもしよう。 -
なるほど
-
3階の屋上展望広場ですね
-
屋上だけど丘の上みたいな印象です。
こういうの好きです。 -
見た目が変わってる屋根ですが
弥生時代の山を再現してると思うとなかなか良いアイデアですね -
屋上からの眺めはどうでしょうか?
右に見ていきましょう。 -
なだらかな丘がありますね
-
その右に広がる原の辻遺跡
-
その右は山の森
-
建物の一部が見えてきました
-
広場が見えてきました。
この階にはかなり人が来ていますね。
子供づれのグループも多そうです -
さっきいた展望台です
-
これでぐるりと屋上展望広場の風景を一周しました
-
展望台はそれほどの高さでは無かったけど眺めは抜群でした。
しかも入場無料!
太っ腹です。
では、中に入りましょう。 -
弥生人かと思ったら全然関係無いみたいです
-
こちらはゆるキャラ?
-
建物模型ですね。
こういうの大好き。 -
なるほどね。
言われてみれば丘陵っぽい屋根になっていますね。 -
建物は駐車場裏の山のラインの延長線上を想定してるんですね。
-
何やらものすごい行列。
広場からも見えましたが中に大勢の人が並んでいます。
イベントでもあるのでしょうか? -
ここがカフェらしいけど?
どこがどうなってるのか不明です。
面倒だからパスしよう。
次に行きます。 -
お!
なんかすごいものがある! -
収蔵品が見えるようになってるのかな?
-
これはなかなか良いでは無いか!
-
1階に降りてきました。
収蔵品が見られる展示ですね。
これはなかなかレアですね。 -
なかなかの大迫力
こういうのってなかなか無いですよね。
ちょっと興奮しています。
しばらくここに張り付いてしまいました。 -
ここから遺跡の出土品の整理の過程が見られるようです。
1 洗浄作業 -
2 接合作業
-
3 ナンバリング作業
-
4 実測作業
-
5 トレース作業
今日は休日のせいか誰もいません。
平日だったら作業を見られたんだろうか。
ぜひ見たいものだ。
これは素晴らしい展示だと思います。
これは見入ってしまいますね。
もし営業日に私がきたら朝から夕方まで
窓に張り付いてしまいそう。
私がガン見してたら作業員もサボれないしw -
ここにも入れるみたいです
-
おお!
収蔵品を真近かに見られる喜びと興奮! -
うーん
これは凄いなー
手前には最新の発掘調査の展示をしています。 -
今は長崎奉行所の発掘展示をしてるみたいです。
奥の土器もすごく良いですねー。 -
なになに?
身長比べ?
あんたと?
165センチ?
悪いけどあんたより全然身長高いから、私~w -
結局は何の高さなの?
-
え?
弥生人?
あ、そう、、、
ここで身長の高さで勝っても
なんだか微妙な気持ち、、 -
この展示室はちょっとクセになりそう。
こういうカフェがあったら良いなぁ。
収蔵庫カフェ。
収蔵品を愛でながらコーヒーをいただく。
幸せ~w -
収蔵庫エリアを出ました。
エントランスの吹き抜けに面してミュージアムショップがある。
あまり大きくはない感じです。 -
ミュージアムショップって
世界のどこに行っても似たもの売ってるのはなぜ?
決まりがあるのかな? -
ここから有料エリアです。
受付でチケットを購入しましたが、、
チケットが不気味な絵柄のシールで
スタッフさんがバッグに貼ろうとしたので
力づくで阻止しました。
こういうシールって剥がすときにノリが残って
ベタついちゃうから嫌なんですよね。
そもそもだけどなんでシールチケット?
紙チケットでよくね?
壱岐市立一支国博物館
観覧料 410円 -
映像展示は30分に1回かー。
7分間の上映の割にはケチくさいなー。
7分だったら15分に1回かせめて20分に1回だろー。 -
ま、良いや、、
先に行こう、
あー、、
こういう文字を模様として展示するオシャレ狙いの見せ方は私は好きじゃ無い。
文字にはちゃんと意味あるのだから
内容がきちんと伝わる工夫をしてほしい。
美しく見せるのはそれからにして欲しい。
文字は模様ではありません。
心や想いを伝える手段だという基本を忘れずに! -
映像ホールに入りました。
暗い部屋で壱岐島にスポットライトが当たっています。
少し待ちました。
前面にスクリーンがあって映像展示が始まりました。
船を使って異国の人が新しい文化を持ってきましたよー
そこにはほのかな恋心もあったよー
私、きっと忘れないー
それで終了~~。
みたいな感じのゆる~~い内容のイメージビデオが流れました。
え??
これで終わり??
これって博物館の映像展示?
マジ~~? -
映像が終わったら背面のスクリーンが開いて背後に見える原の辻遺跡が見えるという仕掛け。
でも映像の内容が、、、、
イメージビデオすぎて、、
ぼんやりとしすぎ~~
原の辻遺跡を急に見せられても~~
なんだか、、全然心に響かなかったです。 -
でもこの模型は凄いな。
これだけで飯三杯は食べられる。 -
まぁ、、
ここからの原の辻遺跡の眺めは、、、
ちょっと木が邪魔してますね。
あまり見晴らしはいい感じではなかったです。 -
そもそもだけど壱岐島の地図がなぜここにあるのかというのも謎。
ここにあっても
今上映している映像展示の内容は
壱岐島全体の成り立ちとかではないし、、
今後の映像展示が壱岐島各所の話になるなら別だけどね。
ま、深く考えないようにしましょ。
その次は展示室に行きました。
ここからは撮影禁止なので写真は無しです。
最初の展示は長ーい通路にパネル展示が延々とありました。
たくさんパネルを見せる感じの展示なので
もう少し話を簡潔にまとめた方がいい気がする。
それに暗い照明の通路なので老眼の私は小さい文字があまり見えません。
ここら辺もう少し工夫が必要な気がしました。
その後、通路の踊り場にお墓の石室が再現されているところがありました。
再現といっても畳2~3枚くらい?の石室だけの小さなものです。
石室の周囲の状況とか石室が属する構造的な全体の様子の説明もあまりなくて、
その石室部分だけを取り出しての展示しか無い。
当時の死生観とか葬祭儀式を含めた説明が無いので精神世界的な感動もない。
せっかくの再現展示なのに、全貌が明快につかめない感じで、モヤモヤ消化不良でもったいない気がしました。
そこから通路を降りると広い展示室です。
いわゆる展示室はそこ1つだけ。
メインのところではパノラマ模型で集落を再現していましたが、
作りがデフォルメされたマンガチックでファンシーな表現。
全然リアリティが無いのでどうも感情が入りにくく実感が掴みにくい展示です。
展示数はそれほど多くないです。
貴重な遺物も何点か展示されていました。
それらは素晴らしかったです。
あとは鉄器や土器をオシャレなレイアウトで並べていました。
が、、
頭の悪い私にはうまく連続性と変化が理解できなかったです。
正直、こういうオシャレな展示方法はニワカな私にとっては一番苦手な展示です。
まぁ、ちゃんと勉強してから来いって事なんでしょうけどねw -
有料エリアを出ました。
勉強不足の頭にはちょっと消化不良な感じでした。
まぁ、、、
ツアーで来る人にも短時間で楽しんでもらう有料展示は
限られた滞在時間でインパクトを残すと考えての構成かもね。
それほど興味のない人にはじっくり見てもらえないから不利といえば不利かもね。
ここだって、せっかく良いものを展示してるんだしもったいなーーい!
っていう感じになりましたよ。 -
ふと見た足元の床のモザイクの模様は、、
何かと思ったら壱岐の島なの?
地元の人と地図好き以外にはなかなかハードル高すぎw -
でもなんだかんだ言ってても楽しめました。
これだけ満足できて410円は激安!
来て良かったです。
ありがとう
壱岐市立一支国博物館 -
この博物館にはバスが来てますね。
でも時間が合わないので今回は私は歩きます。 -
建物に沿って歩いていきます。
屋根の軒がうねってますねー。
メンテナンス大変そうー。
でもこういうの私好きだけどねw -
なるほど
-
横から見た壱岐市立一支国博物館。
本当に小山のようです。 -
弥生ロードの表示があります。
この道を行きます。 -
青い空と壱岐市立一支国博物館
この建物は確かに丘陵の一部感はありますね。 -
緩やかな坂を歩いていきます
-
原の辻ガイダンスの表示に従います
-
何やら厳かなものがあります
-
途中にはいろいろ解説があります
-
遊歩道は綺麗に整備されています
-
看板を読んでいくので思った以上に時間がかかります
-
ちょっと足早になります
-
細いながらちゃんとした道に出ました
-
この道を下がっていきます
-
要所要所に看板があるので安心です
-
大きな道に出ました
-
ここは下がっていきます
-
広い田んぼに来ました。
くるりと見てみましょう。 -
なかなかの水田です
-
広い水田です。
しかもなかなかの美田です。
弥生時代の米の生産面積は対馬国よりも一支国の方が多かったらしいです。
この水田を見るとなんとなく想像ができますね。 -
ここが島の中とは考えにくい感じの見事な水田です。
周囲を緩やかな丘陵に囲まれているというのも水田作りには良い条件でしょうね。 -
これで平野は見られました。
さあ、先に進みましょう。 -
この道を行きます
-
橋がありますが渡らずに手前を右に行きます
-
この道を行きます
-
原の辻の人たちと交易していた人たちは
左手に流れている幡鉾川を舟で漕いで
原の辻の船着場までやってきたそうです。 -
右手で何か音がすると思ったら
ブンブンと鷲型の凧が飛び回っていました。 -
なかなかリアルな動きです
-
川の向こうに原の辻遺跡が見えてきました
-
原の辻遺跡は小高い丘の上にあるようです。
弥生時代あるあるですね。 -
ここで幡鉾川を渡ります
津合橋
現在、原の辻遺跡に雰囲気を合わせる検討をしているとか。
いや、そのお金あったら早急に周辺の用地買収交渉や発掘調査をしなきゃ。 -
次のポイントが見えてきましたね。
原の辻ガイダンス(一支国王都復元公園管理事務所) -
まずはバス時刻の確認
-
ふむふむ
16時32分が郷ノ浦行きですね
今が14時33分だから、、、、
あと2時間、、、
ちょっと急がなきゃ。 -
入館無料の文字うれし
-
なるほど
-
豪快な石碑
-
勝手に掘ったりする奴がいるんだよね、これが。
-
なるほど
-
あいや~!
怖い~~!
なにこれ~~ -
なるほど
-
到着!
原の辻ガイダンス(一支国王都復元公園管理事務所) -
これは知らなかったけど
私は結果的にこのコース通りに来たようです。 -
これは、、もしかして、、
-
ああ、やっぱり
原の辻遺跡船着き場の復元模型ですね -
やっぱりそうです
-
原の辻遺跡船着き場はこの場所からすぐ裏のところにありましたが
圃場整備で跡形も無くなくなりました、、、
東アジアで唯一の発見例なんですけどねーー
これの存在は
魏志倭人伝にも書かれた一支国。
その一支国は他国との交流をもとに成り立っていた貿易立国と言う存在の根拠。
だから、一番大事なはずなんですけどねぇ、、、、
そうとは考えない人がたくさんいたって言うことでしょうねー。
まぁ、日本の全般の文化意識はそんなレベルなので仕方ないです。
こういう発掘後に無かったことにする例は
たくさん見すぎていて既視感がありすぎます。
海外から言われたら手のひら返しで大事にするんですけどねw
今後これから行く予定のところでも
そういうケースはたくさん出てくるのは知っています、、、
それが日本の文化レベルという事ですね。
だから見られるものは見られるうちに見ておかなければ。 -
ま、そういうわけで今あるものだけでも見ておきましょう。
原の辻ガイダンス(一支国王都復元公園管理事務所)
入場無料です -
では、ありがたくお邪魔いたします。
-
こう言う系統のデザインの盾は
岡山の鬼の城でも見かけましたね。 -
壱岐島は島といっても気候風土に恵まれて豊かだったせいか古戦場も多いですね。
-
もう遺跡だらけの壱岐島
いろんな文化の交差点ですね -
こういうのを歩くのも楽しそう
-
こういう後世に有名になる文化財には
必ずその文化財に人生を捧げたキーマンがいますよね。 -
甕棺も出ましたね。
これは子供用ですね。
見事な丸い石器も出てるんですね。 -
ここは見ごたえがありますね。
-
パノラマ模型もファンシー要素は不要!
こう言うリアルなのが私は好きです。
こういうのがイメージがつかみやすくて良いです。 -
弥生時代の国が展示されてます。
魏志倭人伝に書かれている事でそれぞれの国を説明しています。 -
対馬国
なんかファンシー要素が気になるけど、、、
対馬国は大海を渡った最初の国として紹介されています。
山が険しく森が深く道は獣道。
千軒家はあるが良い田んぼは無く海産物を食べて生活してる。
北や南との交易で生計を立てている。
という表現で書かれているようです。
確かにそのまんまですね。 -
一支国
なんでファンシー要素入れたがるの?
南に海をものすごく渡ったら一支国に着く。
対馬と壱岐国の間には瀚海と名付けられている海がある。
広さは300里で竹木や叢林が多く3000軒の家がある。
田んぼはあるが食べるには足りない。
ここも南や北との交易で生計を立てている。 -
末盧国
ファンシー、誰得?
また大海をすごーく渡ったら末盧国に着く。
4000軒の家がある。
山の麓の浜に住んでいる。
陸には草木が茂っていて前を歩く人が見えない。
魚やアワビが大好き。
海の深さに関係なくみんな潜って採っている。 -
伊都国
ファンシー、気持ち悪い。
南東に陸地をかなり行くと伊都国に到着。
1000ちょっとの家がある。
代々王が国を治めている。
皆が女王国に属している。
郡使が往来するときは必ずここに滞在する。
女王国より北には一大率を配置する。
諸国を特に厳しく検察している。
諸国は女王国を恐れ気を使っている。
んーー
女王国。
気になりますねー。
もしかしたら、、、
あの方なのかな?
って思っちゃいますよねー。 -
奴国
ファンシー、誰の指図?
南東にずーっと行ったら奴国に到着。
2万戸の家があったよ。
サラッと紹介されておしまいです。
伊都国が1万ちょっと。
その倍くらいの家があるのにサラッと書かれているだけです。
志賀島の金印は漢委奴国王と彫られていました。
この奴国のことなんでしょうね。
奴国の金印のことはは魏志倭人伝のはるか前に書かれた後漢書に書かれていたんですけどね。 -
ファンシー見てたら
気持ちが少しボヤ~~となったので
リアル模型を見て落ち着こう -
ここの田んぼは圃場整備済みになってますね。
圃場整備前の図面が残ってたら微地形も再現できるのにね。
そうしたらほんの僅かでも低地部分の傾向がわかるかもしれなかったのにね。
ちょっと残念です。 -
一支国の王都が原の辻遺跡らしい
100ヘクタール!
東京ドーム21個分!
東京ディズニーランドなら2個入れてもまだお釣りがくる! -
パノラマには色々ボタンがあって知りたい項目の範囲が光るのも好きです。
-
そうそう!
こう言う感じでまとめて教えてもらえると
ニワカな私でもわかりやすいです。 -
こちらは発掘の時の映像資料が見られるブースです
-
もちろん見るのは無料ですが
スタッフさんにDVDを動かしてもらう必要があるので
窓口で声をかける必要があります。
女性スタッフさんが何度ディスクを入れてもすぐに排出されてしまいます。
それで女性スタッフさんが男性スタッフさんを呼びに行きました。
男性スタフさんがやってもディスクが排出されます。
2人ともあれ~?ってなっていたので、、
私が恐る恐る、、、、
「あの~~、、、一旦ディスクを取り出して、電源をオフにして、再度電源を入れてディスクを入れてみてはいかがでしょう?」
とアドバイス。
見事に再生されました。
お役にたって良かったです -
この見せていただいた映像が
調査から発掘、復元までレア映像で網羅されていて
臨場感がある興奮ものの素晴らしい内容でした。
これは見られて良かったです。
プロジェクトXみたいな貴重映像満載でした。
しかもこちらは本家とは違いヤラセなしw -
復元の苦労話というよりも
復元する時の考え方の構築方法を知る事ができて
とても面白かったです。 -
ここの展示はいいなぁ。
見ていて楽しいです。
好きな人が好きなものに情熱を傾けているのが
ヒシヒシと伝わる展示でした。 -
ここだったら入場料払うよ~、私なら。
あっちも展望台や一般展示が最高だったから当然払いますけどねw -
さてさて、
ついに来ました原の辻遺跡。
読み方は「はるのつじ」です。
念のため。 -
原の辻ガイダンスで知識もニワカなりに入れてきました
-
なだらかな丘を上がっていきます。
弥生時代には朝鮮半島や中国大陸から続々と品物を抱えて使節団がやって来たのでしょう。
どういう思いでこの坂を上がったのでしょうね。 -
そよそよと風が吹いています
-
一支国の王都に吹く風は
弥生の空も
今の空も
同じに吹いているのだろうか。 -
なだらかな坂を登っていきます。
弥生時代の外の国から貿易をしに来た使節団の人は、
この丘を初めて登った時はドキドキしながら登ったのだろうか?
この丘の上に何があるのだろうか?
と思いながら一歩一歩坂を上がっていたのだろうか? -
ふと横を見ると青い空に広い草原。
ここだけ見ると弥生時代に戻ったような気がする。
草の上を優しい風が吹き抜けていく。
枯れた草の香りが鼻腔を通り抜けていく。
弥生時代の人も今と同じような風景を見、
風を感じたのかと思うと不思議な気がする。 -
こっちへ行ってみましょう。
この辺りは高元体験広場というエリアのようです。 -
あそこになんかある。
遺構露出展示らしい -
中にあるのは土器溜り
土器の捨て場ですね -
あー
確かに捨てられていますね -
細かく割られて捨てるのかな?
-
大きな破片は無いみたい。
土器だから崩れやすそう。
それで細かいのかな?
縄文期の土偶は割ることが目的だったから
そういった目的のも混じってるのかもしれない。
知らんけどw -
次はあっちに行ってみる
-
広い環濠が何列もあります。
環濠再現エリアです。 -
土器捨て場
-
いらない土器を環濠とかに捨てたんかーい!
-
ここも環濠が見事に再現されて堀られてますね
-
なかなか見事な大規模な環濠です。
-
これはすごく見事な復元ですね
-
門と柵が復元されていますね。
ちょっと門を出てみます。 -
一旦、門を出て
外から門に入ってみます。 -
これから原の辻に入るという場面です。
-
この門は正門だったようですね
-
門を入って右には見事な環濠を見るという流れですね
-
左に目をやると環濠の向こうの小高い丘の上に物見櫓が見える
-
道を行く毎に環濠が次々現れて防御の厳重さがわかる
-
小高い丘を登っていく
-
高元体験広場に到着
-
集落を目指して坂を上っていく
-
集落が見えてきた
-
集落のある丘の上はかなり広い
-
大きな家がありました。
交易司の家 -
交易司の家
パンフレットには
平地式の壁立住居で交易を司る者が滞在する家を想定してるそうです。
使節団が大人数の時は分宿棟としても活用されたと思われています。
と書かれています。 -
おお!!
これはこれは!
原の辻遺跡のシンボル的な景観です。 -
物見櫓ですね。
近くで見ると結構迫力がありました。
2間×2間の9本柱で支える物見ところです。
集落内でも1番目立っていた建物です。 -
幡鉾川の人の出入りを見張り
何か異常があればいち早く伝えるための防衛施設として使われたものと思われています。 -
集落のどこでも見えたであろう物見櫓。
ぐるりと見てもなかなかの存在感です。
当時の目から見たら超高層ビルだったことでしょうね。 -
手前は番小屋。
奥は物見櫓。 -
使節団の宿舎
パンフレットには
平地式の壁立住居で、交易趾の家と同規模の建物
使節団に関わる関係者たちが宿泊するための場所として使われていたものと思われます。
と書かれています。 -
譚の家
パンフレットには
譚(たん)は中国の言葉と倭国の言葉を巧みに操る渡来系の通司(通訳)です。
使節団長と一支国王との間を取り持つ重要な役割を果たしていたものと思われます。
と書かれています。 -
空に壱岐島のような雲が浮かんでいました
-
穀倉
パンフレットには
一支国で収穫したコメやムギを保管しておくための倉庫と想定。
日常生活で食べるための食料としてだけでなく、交易品としても使用されたものと思われます。
と書かれています。 -
門があります。
門の上になんか飾りがついていますね。 -
祭りや儀式の場
ここからは祭りや儀式の場のようです。 -
弥生時代の棟や軒には鳥の形の装飾があることがあります。
鳥を対象とした信仰の穀霊信仰の存在を示すものとされていますね。
稲作の多い東南アジアあたりから広くあるようです。
弥生時代のここにも穀霊信仰の存在があったようです。 -
ここには祭祀関係の建物が一列に立ち並んでいます。
-
祭祀用祭具倉庫
パンフレットには
祭儀場内につくられた祭祀用の祭具を保管しておくための倉庫と想定。
中には、儀式で使用する祭服や副葬品などの調度品が保管されたものと思われます。
と書かれています。 -
祭祀用食材倉庫
パンフレットには
祭儀場内につくられた祭祀用の食材を保管しておくための倉庫と想定。
中には、儀式で使用する器や調理用品、食材などが保管されていたものと思われます。
と書かれています。 -
主祭殿
パンフレットには
一支国王が国の大切な方針を決定する時に使用する神と対話する特別な祭場と想定。
鏡に向かい、神と食を共にする神聖な空間だったと思われます。
と書かれています。 -
平屋脇殿
パンフレットには
祭儀場内にある王が儀式の支度を行うための建物と想定。
中は土間と板の間に分かれており、身を清め、儀式に向かうための特別な空間として使用されたと思われます。
と書かれています。 -
では、、
入っても良さそうなので。
のぞいちゃお。 -
なるほどー。
神聖というか、、
ただならぬ感じは伝わります。 -
土間には土器が飾られています。
-
板の間には身支度する雰囲気なのが伝わって来ます
-
ここは小高いので水田が見えています。
-
入った場所とは違う出口から出ます。
-
祭場エリアから出ると目の前にあったのが
王の居館
パンフレットには
祭儀場内に一番近い建物であることから、一支国を収める王(オウ)が住む家と想定。
中には、王を象徴する什物がならべられていたものと思われます。
と書かれています。 -
中は入れないみたいです
-
床はかなり深く掘りこんでるようです。
作りも頑丈そうです。 -
王の居館の裏手に濠があります。
ここは祈りの場と居住エリアの境。
濠の向こうは神聖な場所になります。 -
二重の濠を越えると、、
-
そこは祈りのエリア。
とても神聖な場所。
そこにはさらに環状の濠に区切られた祈りの場所に来ました。 -
こういう形態の祈りの場所は他でも時々見かけますね。
特に縄文時代の環状列石の祈りの場に発想は似ているような気が個人的にはします。
円の中心でパワーを感じるという感じ? -
縄文時代からの共通認識があったのかどうかは不明ですが、
その思想を受け継いでいるのか、
たまたま似ていたのか、
図らずも同じ形態に至ったのでしょうか? -
ここから王の居館が見えます。
では戻ります。 -
居住エリアに戻って来ました。
林の向こうに祭祀エリアが見えます。 -
王の居館を通り過ぎて、、
-
時代が合わなさそうな謎の小屋がありました。
普通の物置でしょうか? -
使節団の倉庫
パンフレットには
使節団が訪れた時に荷物を保管しておくための倉庫と想定。
現在は、使節団を迎える前に改修を行っている段階を再現しています。
と書かれています。 -
従者の滞在場
-
従者の滞在場
パンフレットには
使節団長に仕える側近の従者たちが滞在する建物と想定。
従者は使節団長の護衛や食事の準備などしていたものと思われます。
と書かれています。 -
中は結構広いですね。
賑やかに大勢のいる感じを出しています。 -
作りは王の居室よりは華奢な感じですかね。
空間は広々とした感じです。 -
団長の滞在場
-
団長の滞在場
パンフレットには
使節団長が一支国内で滞在する建物と想定。
中では、交易を行ったり、一支国王と交渉したり、様々な取引が行われていたものと思われます。
と書かれています。 -
中を見られるようですね。
では、お宅拝見~。 -
なかなかしっかりした造りのお家ですね。
-
使節団長に相応しい広さです。
-
交易の倉庫
-
スッキリ晴れた空にスックと立っていて
光の具合も良い感じ。
しばらく見とれてしまいました。
これが表紙でも良かったかも。 -
交易の倉庫
パンフレットには
市で入手した大切な交易品を一時的に収納しておくための倉庫と想定。
鉄製品や青銅製品などが保管されていたものと思われます。
と書かれています。 -
中は意外に広いです
-
あちらにも家がありますね。
行ってみましょう。 -
長老の家
-
長老の家
パンフレットには
集会を執り行い、民衆を纏める指導的人(長老)が住む家と想定。
長生きの経験を次の世代に引き継ぐ役割を果たしていたものと思われます。
と書かれています。 -
長老が尊重されていた時代なんですね。
今だったら優先席も譲ってもらえませんよーw -
集会場
パンフレットには
農業や漁業など様々な長(おさ)が集まり、語り合う集会場をと想定。
中では一支国の大事な決め事などが行われていたものと思われます。
と書かれています。 -
これで一通りは見ることができました。
時間内に見ることができてよかったです。
なかなか見ごたえがありました。 -
建物は丘陵の縁あたりに建てられている感じですね。
弥生時代にすでに中国や朝鮮半島と交易をして国を運営していたのだから大したものです。
何と言っても商売上手な国ばかりが相手だったのですから大変だったと思います。 -
集落の中央部は広場というか空間がありました。
今後何かが出てくるかもしれませんが。
一支国はその後も穏健な対外政策で中国相手に長く貿易をしていきます。
なかなかの商売上手だったのかもしれません。
逆に伊都国との関係の方が気になる感じですよね。
伊都国は商売上手な一支国にちょっとジェラシーw
そういうところが面白いですね。 -
公園案内所の小屋がありましたが今日は閉まっています。
そうそう、この公園内にはトイレは無かったです。
水飲み場も無かったです。
そこは注意です。 -
まだ少し時間がありそうなので
もうちょっとみて回れそうです。 -
集落内をみていると観光バスの団体さんが来ました。
-
私はそのグループにつかづ離れずで付いて行って
ガイドさんの解説をちゃっかり聞いていましたw -
そうです、
私はガイド泥棒ですw
バレないように時々離れた距離のところに行ったりします。
そこが盗み聞きのプロたる所以w -
もらえる知識はなんでももらう。
どうせすぐ忘れちゃうから罪にはならないw -
ガイドさんは流石に小ネタをたくさん持っています。
飽きないようにテンポよく話しています。
さすがプロの技。 -
聞いていて思わず
へえ~~
って後ろの方にいて言ってしまいましたw
横の人は「あんた、だれ?」って顔してましたっけw -
そんな観光バスを私は見送りました。
こういうガイドさんのついたツアーは
なかなかためになるしガイドさんは小ネタを色々調べて練りに練ってるので聞いていて楽しいですよね。
あとはお金とみたい場所の自由時間がなかなか合わないのが難点ですね。 -
さてさて、
私もそろそろ行かなくちゃ。
ゲートを抜けて外に出ました。 -
レンゲソウ?
-
綺麗な風景です
-
弥生の暮らしを支えたのが水田ならば
-
ここはまさにそれにうってつけの場所だったろうと思います
-
しかしながらこれほどの水田を持ってしても
当時の一支国の人を養えるだけのお米は作れなかったそうです。 -
そこで一支国の人々は交易という道に活路を見出しました。
-
見知らぬ文化の人たちの交渉はさぞかし大変だったと思います。
ましてや当時は最先端の文化を持った交渉事が天性のような国の人たちが相手です。
それでもうまくやっていたのは一支国の人たちの性格がそれにあっていたのかもしれません。
中国とはその後も長く交易があったようですから一支国の人もなかなかのやり手だっったのかもですね。 -
バス停に戻ってきました。
まだ時間がありますが慌てるのは嫌なので早めにバス停でバスを待ちます。
こういうバスを待ったり電車を待ったりする時間って嫌いじゃないです。 -
なんかスズメの声がものすごくうるさいです
-
この木の中に大量のスズメがいるようです。
何事?
スズメの戦争?
戦争反対!
静かにしてください! -
そんな時にちょうどバスが来ました。
壱岐交通 印通寺・郷ノ浦方面 本町[郷ノ浦]行
原の辻遺跡バス停発 16時32分 → 郷ノ浦港バス停着 17時02分
料金 620円 -
車内は私を入れて3人の乗客
-
バスの左手に原の辻遺跡のある丘が見えます
-
小高い丘の上でその姿を見せてくれます
-
楽しかったなー
-
良いものを見ることができました
-
天気にも恵まれました
-
良い思い出をありがとう
原の辻遺跡 -
バスは穏やかな光の中を過ぎていきます
-
まだまだ知らない遺跡がこの島にはありそうですね。
そんな神秘的な感じがする場所でした。 -
船が見えてきました
-
印通寺港フェリーターミナルに着いたようです。
-
ここで何人か乗ってきました。
ここ印通寺港からは唐津東港までフェリーが出ています。
1日5往復出ていて時間帯もちょうど良かったのですが福岡に宿泊してるので唐津東港に行くのが大変なので今回は使いませんでした。 -
バスは印通寺港フェリーターミナルで
くるりと回って発車しました。 -
麦焼酎 壱岐の玄海酒造。
-
本町[郷ノ浦]バス停に到着。
ここでバスを降りて郷ノ浦港まで歩きます。
なぜバスは郷ノ浦港まで行かないのか不思議です。
ナビタイムでもそうなってるのでしょうがないなーと思っていました。
でももしかして?と思って料金を払う時に運転手さんに
私「このバスは郷ノ浦港まで行かないのですよねー?」と聞きました。
運転手さんは「行きますよ」との事。
ええーー!!
そうなのーー??
私「じゃあ、このまま港まで乗ってもいいですか?」
運転手さん「どうぞー」
危ないところでした~
ここからだと10分以上歩くところでしたー。
ナビタイムもあてにならないなー。 -
左手に郷ノ浦港の深い入り江を見ながらバスは行きます。
ここをとぼとぼ歩いても良かったんだけどね。
せっかくあるバス路線は乗りつぶしたいというのも乗り物好きの宿命。 -
無事に郷ノ浦港バス停に到着。
壱岐交通 印通寺・郷ノ浦方面 本町[郷ノ浦]行
原の辻遺跡バス停発 16時32分 → 郷ノ浦港バス停着 17時02分
料金 620円 -
親切な運転手さんのおかげでバス旅がすっきりした気分で終わることができました。
ありがとう!
ナビタイムもちゃんとしてよねー。
って言ってもタダで使ってるから文句は言えないーw -
郷ノ浦フェリーターミナルに来ました。
なんだかすごい人でごった返しています。
ちょうどジェットフォイルの改札が始まったところでした。
係員さんが「最終のジェットフォイルです。お乗り遅れのございませんように。」
と大きな声で案内しています
ええーー!!
大変大変!!
乗り遅れちゃう!!
係員の人に言って大至急でチケットを発券してもらいました。
クレジットが使えました。
九州郵船 博多~壱岐~対馬航路〔超高速船「ヴィーナス2」〕
郷ノ浦港発 17時5分 → 博多港着 18時15分
料金 5850円 -
フゥ~~、、
なんとかギリギリ間に合った、、、
あの時バスの運転手さんに聞いて本当に良かったー -
さすが最終便。
すごく混んでますねー。
明日は月曜日だから週末は里帰りに人も多いんだろーなー。
福岡と壱岐島は近すぎず遠すぎず適度な距離感だからいいのかもね。 -
これに乗って帰るのかー。
カッコいいなー。
ボーイング社製なんだね。
本当にジェットの会社が作ってるのもすごいよね。 -
結構たくさんの人が乗ってるなー。
-
調べてみたら257人乗りみたいです。
1階が157人
2階が100人 -
全長が
水中翼を上げてる時は30.78メートル
水中翼を下げてる時は24.40メートル
速さは40ノット!!
すごーく早い! -
岸壁のクッションの幅もハンパないですね。
-
フゥ~~
やっと落ちつきましたー。
ジェットフォイルは本町のバス停から歩いていたら絶対に間に合わないと思っていたから乗れて良かったです。
フェリーで夕景を見ながらの航海も捨てがたかったけど
まだ知らぬ福岡港のジェットフォイル体験もぜひしたかったんだよねー。 -
出航です。
ブルルル~~
ドロロロロ~~
エンジン音が全身に伝わって来ます。
九州郵船 博多~壱岐~対馬航路〔超高速船「ヴィーナス2」〕
郷ノ浦港発 17時5分 → 博多港着 18時15分
料金 5850円 -
最初はゆっくりと動いていましたが、、
-
一旦静かになったら、、
ダッシュで飛び出して行きました。 -
早い早いー!
何に例えればいいかなーって考えたら、、
まるでそりに乗ってる感じ?
自分ではどうしようもない速さと
浮き足立ったような浮遊感がある感じが似ているような気がする。 -
シートベルト締めてるからちょっと窮屈
-
船内図
ショップもあるみたいだけど
この速さだとチョロチョロできそうも無いなぁ -
売店メニュー
-
かなりザックリとしたメニュー、、、
値段も書かれていません、、、 -
窓際だけど外の景色はあまり見えない
-
2階の方が眺めは良さそう。
でも早い者勝ちですね、多分。 -
船内はエンジン音がかなり聞こえますね。
私は気にならないけどね。 -
とかなんとか言ってるうちに
もう博多港に着いたようです -
本当に早いなー。
何も考えないうちに着いた感じ。 -
博多ポートタワーがお出迎えしてくれてます。
でも窓ガラスは汚いよねw
仕方ないけどね。 -
博多港に到着。
料金は高いけどそれに見合う速さはありました。
体験できて良かったです。
九州郵船 博多~壱岐~対馬航路〔超高速船「ヴィーナス2」〕
郷ノ浦港発 17時5分 → 博多港着 18時15分
料金 5850円 -
ヴィーナス2の顔を撮ります
-
こうやって見たら
普通の遊覧船に見えるけどね。 -
でもね、
走ると早いよー。
普段は地味なあの人が運動会ではヒーロー!
っていう感じでしょうかねw -
こっちは玄海島に行く船ですね。
-
福岡市渡船のみどり丸ですね
-
到着したのは博多ふ頭第1ターミナルでした。
ジェットフォイルはこっちから出るんですね。
こっちはなんだか都会の雰囲気ですね。 -
ベイサイドプレイスという
かっこいい名前の方に行ってみます。 -
でかい水槽。
これは見たことがありますね。
どうやら私はここには来た事があるようです。 -
変わるものがあれば
変わらないものもある。 -
バスが来ました
西鉄バス [46]
博多ふ頭バス停発 18時28分 → 市民会館南口バス停着 18時37分
料金190円 -
1番ゲット
-
市民会館南口バス停到着。
博多ふ頭からすぐでした。
西鉄バス [46]
博多ふ頭バス停発 18時28分 → 市民会館南口バス停着 18時37分
料金190円 -
須崎橋のたもとです。
-
須崎橋の上から博多の街灯りを見る
-
須崎橋の過去のデザインが残っていました
-
ぶらぶら川沿いを歩いてみました。
というのは嘘で、、
降りるバス停を間違えただけですw
やっとホテルに近づいてきました~~~ -
でもこういう夜の風景を見られたので結果オーライです。
-
やっぱり博多は水の街だなぁー。
前に来た時は福博であい橋という橋に行ったことを思い出しました。
そこからリバークルーズに乗ったと思います。 -
やっとここまで戻ってきました~~
夜見ても綺麗なビルですね
福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店) -
街明かりが俺を呼んでるぜ!!
さぁ!
夜の街に繰り出そうぜ! -
っていう気力はすっかり使い果たしました、、
-
やっとホテルに戻って来た~~
-
今日の分のタオル類がドアに掛かっていました。
-
部屋に入りました。
部屋の明かりもつけずに外を見てみます。 -
部屋からの眺めは
なかなか良い眺め~。 -
お風呂にゆっくり入って
今出て来ました。
今日も一日遊び倒しましたねー。
楽しすぎた~~。
そのせいかとても眠い~
もう、眠くて仕方ないです~~
まだ20時にもなってないけどとりあえず寝ちゃいます~~
おやすみなさ~~い。
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