2023/02/25 - 2023/02/27
61位(同エリア255件中)
白熊爺さん
今回の旅は弥生時代の風を感じに行くということが目的でした。
初日は、
弥生時代の始まりの集落の板付遺跡に立つことができました。
そこでは黎明期の弥生の風を感じることができて感激。
昨日は、
他国との貿易で異文化を相手にしたたかに生き抜いていた一支国の王都、原の辻遺跡に訪れることがでました。
そこでは弥生時代中期からの発展期の集落に吹く風を感じる事ができました。
最終日の今日は弥生文化の完熟期の集落の風を感じに吉野ヶ里遺跡に参ります。
そこにはどんな弥生の風が吹いているのでしょうか?
弥生の風に吹かれる旅のはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 交通手段
- 船 JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
-
2023年2月27日 晴
【2月27日の歩行数 26676歩】
昨夜はご飯も食べずに寝てしまいました。
本当によく寝る私です。 -
ホテルの部屋から見る朝の予感
なかなか良い眺め。
宿泊料金が高めなのも納得の眺めです。 -
目覚めたらすっかり腹ペコw
今日は10分ほど早めに行ってみよ~~っとw -
ちょっと早めに来ましたが
すでにお客さんはいましたw
まるで朝食チキンレースですw
ここはカレーが美味しいという事なので
2種類あった両方を食べますw
塩分控えめの薄味の私なので少し塩が勝っている印象でしたが、
とても美味しいカレーだと思います。
って、エラソーに言ってる私は実は軽度の味音痴w -
上りゆく朝日を見ながらの朝食
-
世のはじめ さながらに
あさひてり 鳥うとう -
世のはじめ さしいでし
みひかりを あびつつ -
朝の光の中で心を浄化されていく私。
食べる手は止まらず
食べる口も止まらず
ひたすらに体内に入れ込む私。
心の浄化と体に充電の朝w -
デザートもしっかりいただく
今日もいただける朝の食事に感謝 -
今日はもうチェックアウトの日です。
この眺めの良いホテルともさよならです。
チェックアウトは特にフロントに寄る必要も無く
鍵を箱に入れて
はい、さようなら。
面倒はない反面
最後に行ってらっしゃいませの言葉も無い。
それが今の時代の安旅事情。
旅の区切りに何かが足りないような気がする旧時代の私です。 -
ホテルから大きなリュックを背負って天神駅に到着
ちょうど通勤時間なので、、、
大きなリュックを持っての乗車は無理かなーなんて思っていましたが、、、、
車内は東京ほどの混雑では全然無くて、
リュックを持って乗車しても私の周囲にゆとりがあるくらいの乗車率でした。
私の感覚では、
通勤時間帯の混雑では無く、日中の11時過ぎくらいの普通に人が乗ってるという感じの混雑具合の福岡の通勤時間帯でした。
福岡市営地下鉄空港線 福岡空港行
天神駅発 8時30分 → 博多駅着 8時36分
料金 210円 -
博多駅に到着
とりあえず大きな荷物と必要のない荷物をコインロッカーに入れてトートバッグにショルダーバッグ姿で身軽になります。
今日は平日の朝なのでコインロッカーはどこも空いていて良かったです。
福岡市営地下鉄空港線 福岡空港行
天神駅発 8時30分 → 博多駅着 8時36分
料金 210円 -
博多駅は通勤時間で賑わっている時間。
圧縮という表現がぴったりな関東の混雑とは次元が違いますねー。
ギュウギュウでイライラーーとは無縁な感じで羨ましい~。
福岡はいいなーって思いました。 -
面白い自動販売機があります
-
こういうのは見た事がない。
面白いです。 -
ここからJR線に乗り換えです。
JR鹿児島本線 鳥栖行
博多駅発 9時 → 鳥栖駅着 9時46分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
電車が来ました
JR鹿児島本線 鳥栖行
博多駅発 9時 → 鳥栖駅着 9時46分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
走る電車の車窓から高級列車が停まっているのが見えました。
慢性金欠症の私がこれに乗る機会は一生無さそうですね。
でも、うらやましくないも~~んw(←負けず嫌いw) -
沿線には懐かしい昔の倉庫の風景も見られました。
-
鳥栖駅に到着
ここで乗り換えです
JR鹿児島本線 鳥栖行
博多駅発 9時 → 鳥栖駅着 9時46分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
鳥栖駅で鹿児島本線から長崎本線に乗り換えです。
JR長崎本線 江北(佐賀県)行
鳥栖駅発 10時2分 → 吉野ケ里公園駅着 10時17分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
乗ってきた電車は折り返し小倉行きに変わりました。
もう、休みなしですね。
これが人間だったらブラック企業w -
乗り換えで地下道に降りました
-
かなり長い地下道です。
ということはかなり大きな駅なんですね、鳥栖駅は。 -
2番線に電車は来ていました
JR長崎本線 江北(佐賀県)行
鳥栖駅発 10時2分 → 吉野ケ里公園駅着 10時17分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
この電車で間違い無いですね。
-
関東近辺では見た事がない感じの車内です。
ゆったりしていますね。
まるで指定席みたいです。
ロングシートじゃ無いんですね。
電車が発車する頃には意外に人が乗っていて
満遍なく人が座っている感じで
立っている人も意外にいました。
では出発です
JR長崎本線 江北(佐賀県)行
鳥栖駅発 10時2分 → 吉野ケ里公園駅着 10時17分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
吉野ケ里公園駅に到着
鳥栖駅で乗り換えると意外なくらい早く着きました。
鳥栖駅と吉野ヶ里公園駅は距離的にはそれほど離れていない感じでした
JR長崎本線 江北(佐賀県)行
鳥栖駅発 10時2分 → 吉野ケ里公園駅着 10時17分
料金 860円(博多駅~吉野ケ里公園駅) -
こういう駅の看板の書き方が
普段見慣れた感じじゃ無いのも旅情を感じていいですね -
私を降ろした電車は目的地に向けて去って行きました。
-
さあ、これからが私の旅の始まりです。
-
吉野ヶ里公園駅は橋上駅でした。
-
ホームがレトロな感じだったのに対して
駅舎は新しい感じの簡素な造りの駅舎でした。 -
改札を出て北口に行きます
-
跨線橋から見た鳥栖方面
-
跨線橋から見た佐賀方面
-
ここから階段を降りていきます。
この辺の建物の造りが妙に凝っていて新しいです。 -
左にバスが停まっています
-
コミュニティバスのようです。
(このコミュニティバスはその後令和5年9月に利用者の低迷により廃止になったそうです。今となっては貴重な写真ですね。) -
北口の駅前広場に来ました。
北口の広場周辺には何もありません。 -
振り返ると外観が新しい駅舎だという事がわかります。
吉野ヶ里遺跡のために改装したのでしょうね。
ここの1階はコミュニティーホールになっていてトイレとかがあります。
この先、吉野ヶ里歴史公園まではトイレはないので
済ませるものがあるときはここで済ませましょう。 -
では歩いてまいりましょう。
表示があるのでわかりやすいです。 -
振りかえると駅舎が異様に近未来的。
のどかな周囲の風景からはとても浮いていました。 -
吉野ヶ里遺跡までは要所に表示があるので迷わない感じになっています。
-
車止めもあるので自動車が来ない分安心して歩けます。
-
遊歩道の周囲は田園風景が広がっていて気持ちが良いです
-
迷いやすい所にもきちんと表示があります
-
標識には豆知識が書かれているので吉野ヶ里遺跡に着くまでに結構な知識がつきます
-
良い天気に良い眺め。
気持ちがいいお散歩コースです。 -
目の前に大きな道路が現れました。
国道385号線のようです -
ここで信号を渡ります。
-
信号を渡ったら標識に従って右に行きます。
-
おお!
これは環濠の復元?
違うかな? -
案内板がありました
んー、、
相当広いですねー。
今日は気合い入れて歩きましょう。 -
ここから入るようです。
なんだか伊勢神宮とかの参道のような風景みたいです。 -
堂々とした入り口ですね
-
これは環濠をイメージしてる感じでしょうね
-
実際の環濠だと玉石積みって事は無いでしょうけどね
-
ここらあたりは公園として整備する時には当然発掘調査はしたのでしょうね。
それでここからは何も出なかったのでこのように並木を植えられたという事でしょうね、多分。
知らんけどw -
何やら広場の向こうにありますね
-
なんか遺跡に合わなさそうな雰囲気のものが見えてきました
-
この写真には写らないようにしていますが
左側には駐車場があって大型の観光バスが何台も停まっていて大変な騒ぎです。
おっさん、おばちゃんが大はしゃぎしていて
やかまし~~~ -
この眺めはとても遺跡の入り口とは思えないなー
-
まぁ、、、
雨の日とかには良いのかもしれないけどね、、 -
チケットは券売機で購入するみたいです
-
一枚購入しました
-
なぜか、、、
私は200円で入れました~w
歳をとって良かったって思える数少ない場面です。
吉野ヶ里歴史公園
入場料 200円(シルバー料金・65歳以上) -
今10時57分です。
ここの閉門が17時までなのでまだまだゆっくり見られそうです -
このゲートのこちら側にはレストランや売店、休憩室がありました
-
こちら側にはガイダンスルームやミニシアターがありました。
園内に入る前に事前にいろいろ学べます。
ここまでは無料で入れます。 -
ここから有料エリアになります。
ここでチケットを見せて入場です -
地面が真っ赤です
ここは橋になっているようです。 -
橋は幅の広い環濠を跨いでいるようです
-
かなり広い環濠ですね
-
ここは天の浮橋とういう名前らしいです。
橋の上は丹色というかなんというかすごい色ですね。
滑ら無いような加工が表面にされていました。
雨の日も安心という感じでした。 -
吉野ヶ里遺跡の一部が見えていて期待が高まります
-
なるほど
最初に環濠集落ゾーンから見る流れですね -
なるほど
遺跡の上に盛土をして遺跡保護をしてからその上に復元しているのですね。
それ大事ですよね。
保存盛土の厚さは場所によって30センチから50センチの土をかぶせてから復元したようです。
それに、何か新しい事がわかったら随時更新していくという姿勢は大事ですね。 -
では参りましょう
-
やはり最初に目につくのは厳重な柵ですね
-
柵がぐるりと巡らされています
-
なかなか見事な感じの再現ですね
-
鳥居のようなものが見えてきました
-
ここにも一支国の門で見たような鳥形が飾られていますね。
ここも一支国のように遺跡から鳥形が出土しているようです。
ここでも弥生時代には穀霊信仰が存在していたようです。
縄文時代の自然崇拝の思想と穀霊信仰は非常になじみが良い気がするのですんなりと受け入れられたんでしょうね。 -
ここの濠の深さがえげつないほどすごいですね。
ここは外壕になるようです。 -
外濠の外側は柵で固めています。
外壕の内側は逆茂木(乱杭)がこれでもかというほど打ち込まれています。 -
逆茂木(乱杭)の解説。
やはりこの頃には奪い合いがあったようですね。
弥生時代はこうでなくちゃ。 -
この杭の数が憎しみの数なのか欲の数なのか
それとも愛する人と物を守るための数なのか。 -
どっちにしてもなかなか物騒な時代であったのは確かです。
まさに弥生時代を端的に表す光景ですね。
逆茂木(乱杭)の敷地もかなり広く取られていますね。
所によっては杭の代わりに鋭い枝のついた木を相手側に向けて打ち付けているところもありますね。 -
イノシシに乗らないでねw
はしゃいが観光客は乗りがちw
で、記念写真w
困ったものです。 -
向こうの方にまた柵に囲まれたエリアが見えてきました
-
一列に整然と杭が打たれています
-
かなり広いエリアです
-
あそこから入るのかな?
-
ここから入るようです
-
ここは櫓門らしいです
-
そっちにも入り口はあるみたいです。
ここは2箇所でセットになっているようです。 -
この櫓門は上に上がれるようです。
それではせっかくなので櫓門に上がってみましょう -
櫓門に上がってきました。
おおーー。
なかなか良い眺めです。 -
これなら確かに遠くも見えますね
-
しかも門に上なのに結構広い
-
かなり多くの人が乗っても大丈夫そうです
-
なんだったら仮眠も取れそうな広さです。
もしかしたら交代でサボる奴もいたりして。
人間だものw -
さらに内側にある柵の内部もよく見えます
-
あちらの柵の内部も結構広いですね
-
あの内側の柵のエリアは物見櫓まであってなかなか厳重ですね。
-
あそこのエリアは物見櫓が入り口の両側に2つ建っているのが見えます。
次はあそこから入ってみましょう -
櫓門を降りました。
次にあそこから入ってさらに内側のエリアに行きましょう。 -
門の内側にさらに柵で囲まれたエリアです
-
ふと見上げた空がものすごい青空!
弥生晴れ? -
それではいよいよ門の中へ入っていきます
-
柵の中では鳥形のある門がお出迎え
-
見慣れてくると
鳥形があるとハッピーな感じはしてきますね。 -
内側の柵の外から見た物見櫓
-
またまた鳥型の門がありました
-
ここは南内郭というエリアですね。
大人の場所みたいです。
大事な場所だったのですね。
大人というのは権力者という意味なのかな?
その大人の頂点が王ですね。 -
物見櫓は南内郭の守りのためだったのですね
-
南内郭の説明です
-
壕がすごいです
-
板付遺跡の壕も恐らくこれくらいのキツイ深いものだったんだろうね
-
一支国の原の辻遺跡でもあった物見櫓。
この南内郭では4棟建っています。 -
説明
-
ここは登れないみたいです。
残念です。 -
南内郭は広場を中心に、建物を周囲にという配置が想定されていますね。
現在の吉野ヶ里歴史公園は弥生時代後期の状態を復元しています。
この場所にはそれ以前から人が定住していてスクラップアンドビルドを繰り返していたようです。
弥生時代に入ってからでも、何度も建物や壕の場所が移動したり廃棄されたり再度使われたりとかしていたようです。 -
それにしても広いです。
この南内郭は吉野ヶ里のセレブが住んで仕事をしたエリアと考えられています。
当時の身分階級は
大人(たいじん)→国を支配または国の行政を担っていたセレブ。
農業や土木などしない口だけ星人。
下戸(げこ)→一般人。
農業、土木何でもやる普通の人。
生口(せいこう)→ブラック労働者。
一般人がやりたくないことをバラまかれ押し付けられる階級。 -
時々この中央の広場に各階級の人が集まって集会とかしてたと考えられています。
-
物見台の足場は近くで見るとかなり広いです。
遠くで見ると物見櫓の大きさはあまり実感できませんが
この下に立つと建物の大きさが実感できます。 -
建物は中央の広場の周辺に配置されています。
1万年続いた縄文時代に比べれば
弥生時代は700年と短く感じますがそれでも長く続いた文化です。
それにこの期間に急激に人々の生活様式や文化が変化、発展した時代とも言えます。 -
この吉野ヶ里遺跡では弥生時代の全ての期間の遺跡が発見されています。
それゆえ弥生時代の中での生活様式や文化の変化が比較しやすいのが特徴です。 -
この環壕も最終形という形態ですね
-
第二次大戦の頃の塹壕と比べても遜色ないくらいです
-
物見櫓と支配者層の住まい
-
物見櫓の説明
-
この物見櫓は上ることができるようです。
では上りましょう。 -
結構しんどい上りですが
階段は綺麗で上りやすい感じでした。
上に着いたらものすごく良い眺めです。
ここから右にクルリと見てみましょう -
その右の
向こうの柵に囲まれたエリアは倉と市のエリアのようです。
本当に弥生時代に戻ったかのような眺めです。 -
倉と市のエリアもそうとう広いエリアのようです。
-
その右を見ると
倉と市のエリアと南内郭エリアは二重の壕で隔てられていました。 -
その右には
南内郭が見えてきました。
この物見櫓の上にはおばさんスタッフがいて観光客を迎えてくれます。
つまり、
観光客がここでふざけて事故を起こさないように監視してるんだと思います。 -
その右には
南内郭の中央広場が見えてきました。
今日は平日のせいかこの物見櫓に上がってくる人は誰もいなさそうでした。
暇そうにしょんぼりしていたそのおばさんとチョコチョコお喋りをしました。
私は何故だかおばさんには好かれてしまう特性があるようです。 -
その右の
南内郭の広場は上から見るとかなり広いのがわかります。
おばさんは色々話してくれて
こういう遺跡ができて吉野ヶ里が有名になるのは嬉しい。
でも当初の予定通り工業団地ができていたら
若者も働き口があって定住できたから今よりは地元は活性化してたはず。
という地元民ならではの本音も話してくれました。
それもあるなーと共感もできました。 -
その右には
物見櫓が見えます -
その右には
環濠が見えます -
その右には
杭と壕がウネウネと続いています -
その右には
さらに環濠と櫓門が見えます。 -
これでグルリと一周しました。
とても広い公園だということがわかりました。
まだまだお散歩は始まったばかり、
という実感が湧いてきました。 -
良い眺めだなー
そう思って眺めていたら若い3人組が上がってきました。
おばさんと話しているのを聞いていたら
なんと北海道から観光に来たそうです。
私は思わず無意識に、、
「いいな~、北海道!手荷物に入れて北海道に連れてって~~!」
と言ったら
見事にダダ滑りしてドン引きされましたとさ~~w
で、いたたまれず~~w
逃げるように大急ぎで物見櫓を降りたとさ~~w -
物見櫓を降りました。
もうさっきの恥ずかしさはすっかり消え去りましたw -
目の前にある建物は
「大人(たいじん)」の妻の家 -
「大人(たいじん)」の妻の家の説明
-
物見櫓の目の前にあります
-
中はリアルな展示。
なかなかいいですね。 -
小屋組もよくわかる感じです。
でもこういう竪穴住居は縄文期とあまり構造的に劇的な変化はないんだよね。
もっと極端に言っちゃえば旧石器時代くらいからあまり基本は変化してない感じがするからある意味完成形なのかも。 -
どことなく合掌造りの屋根裏部屋みたいな雰囲気もしますね
-
その隣にあるの「大人(たいじん)」の家の説明
-
「大人(たいじん)」の家は「大人(たいじん)」の妻の家の隣にあります
-
中は「大人(たいじん)」の妻の家と同じ感じですね
-
展示がリアル。
-
こう言ったもののデザインが半島文化の影響を感じさせますね
-
「大人(たいじん)」の家を出ると
隣のテントで当時の衣類や織物機械の展示がありました -
織物もしていたのですね。
ものすごくシンプルな道具みたいですね。 -
少し歩くと再び
「大人(たいじん)」の家
がありました。 -
「大人(たいじん)」の家の説明
-
中は、、
調度品が置かれていました。
人形さんの展示は無かったです。 -
寝台?
-
食事用?
-
「大人(たいじん)」の妻の家
-
「大人(たいじん)」の妻の家の説明
-
中には人形の展示は無かったです
-
この辺りに「大人(たいじん)」の関係者の建物は固まっていました。
この裏は柵に囲まれた王の住まいのエリアになるようです。 -
ここから先の柵に囲まれたエリアが王の住まいのエリアと考えられています
-
王の住まい
-
王の住まいの解説
大事なものを枕元に置くというのが
私の世代には「そうそう!」と納得してしまうところです。
遠足とか修学旅行とかの荷物は枕元に置くというのがお約束でしたw -
色付きの衣装ですね。
王様でしょうか。 -
寝床もちょっと上質。
枕元には王の権威を表すものが置かれているということです。
無印良品で売ってそうなカゴに入れていますね。 -
今でもどこかでありそうなデザイン
-
王の家の裏にあるのが
王の娘夫婦の家
サザエさんとマスオさんの家という感じでしょうか。 -
王の娘夫婦の家の解説
-
王の娘夫婦の家の室内。
人形はいません。 -
弥生時代のサザエさんとマスオさんの生活はどんなだったんでしょうね。
漫画みたいにサザエさんが家の中で一番発言力があったりしたのかな?って考えたらおかしいですね。 -
王の住まいのエリアは南内郭の中でもさらに柵と壕で囲まれていました
-
「王」の妻の家
-
「王」の妻の家の説明
-
王の妻だって機織りくらいはするんですね。
ここで、、
はて?と思った私。
王も大人も妻は別な家を持っています。
夫婦別々に寝てるの?
そういう夫婦って新しい!って思いました
が、
実は弥生時代の夫婦観とか結婚観とか家族観は現在とは違っていたようで、はっきりとはわかっていないらしいです。
夫婦関係に関しては一説には妻問婚と呼ばれるスタイルではないかと思われています。
結婚しても夫婦一緒に暮らすさずに別居のままで夫が定期的に妻に会いに行く結婚スタイルだったのではと想像されているらしいです。
まぁ、それだと夫婦喧嘩は無さそうだから良いといえばよいのかも。 -
煮炊屋
この建物は竪穴住居ではなく掘立柱形式で建てられていました。 -
煮炊屋の説明
料理は下働きの人が作ってたのでしょうね。 -
中は掘立柱形式なので壁がある分天井が高いです
-
でもいくら天井が高いと言っても
天井の素材がが藁だから火気厳禁な気はしますよね。 -
煮炊屋の目の前に物見櫓がありました。
これも上に上れるようです。
せっかくなので上ってみましょう。 -
頑張って上ってきました。
ここからも南内郭が綺麗に見えます。 -
ではここでもグルリと見てみましょう
-
その右には
広場が集落の中心にあります。 -
その右には
王の住まいのエリアが見えます -
その右には
煮炊屋などの建物が固まって見えます。 -
その右は
南内郭の境界の柵が見えます -
その右は
南内郭の境界の柵と向こう側の柵が見えます -
その右は
南内郭の境界の柵と向こう側の柵が見えます。 -
その右は
南内郭の境界の柵と向こうに北内郭の建物が見えます。 -
北内郭に行くゲート
本来はあそこにはゲートは無かったようです。
あくまでも観光用。 -
あそこには集会用の建物があるようです
-
南内郭の入口方面
これでグルリと一周しました。 -
物見櫓もオリジナルに近い形で復元されているようです。
-
ここで
ちゃんと来ましたよと言う証拠写真。 -
物見櫓から降りてきました
天気が良いので木陰に入ると気持ちが良いです -
木陰の後ろには
集会の館がありました。 -
集会の館の解説
大人が集まって話しあう場所のようですね。 -
中は風が抜けて気持ちの良い空間です。
-
ここに座って外を眺めると集落が一望できます。
風が抜けて気持ちが良いので
ここでちょっとのんびりしちゃいました。 -
集会の館の横には2軒の「大人(たいじん)」の家がありました
そのうちの1軒は裁定を取り仕切る大人の家だそうです -
大人の家の解説
-
お人形はいないみたいです
-
もう一軒の大人の家
-
こっちは外交の担当みたいです
-
外交官でも中は他と同じ感じですね。
-
ここはやっぱり観光用の出口でしたね。
ここからは出ないで違うところから出ましょう。 -
ここから出る事にします
-
やはりこの環壕を見なくては
気持ちがおさまりません。 -
良いですねー
環濠集落はこうでなくちゃー -
南内郭を出ました
-
時間があったら見てみたい
-
吉野ヶ里遺跡展示室
、、、、、閉まってました、、、
さすが、運の悪い私。
わざわざ狙ったように休館日に来てしまう運の悪さ、、、、 -
まあいいや、、
見事な環壕を見て気を紛らわします。 -
南のムラの案内図
-
緩やかな坂を上がると広い場所に出ました。
向こうにテントが見えますね。 -
こちらには建物がありますね。
-
弥生くらし館
ちょっと入ってみましょう。 -
中は学習室みたいになってますね。
ここは入れないのかな? -
丸が書かれていました。
ここが入り口?
でも開かなかったです。 -
こっちに通路がありました。
通路の壁面には展示物がありなかなか見ごたえがありました。 -
館内に入ると博物館になっていました。
入場は無料
というか受付みたいのはなかったです。
係員の人とか人がいないのかな?
静かでした。 -
映像ブースがありますね
-
では拝見しましょう。
やはり映像で見るとわかりやすいです。
そして涼しいので休憩にもなりました。
他に誰もいないので快適でした。 -
館内は思った以上に展示が充実しています。
見せ方も的確で私レベルのニワカにもわかりやすかったです。 -
おお!
私の大好物のジオラマ模型です! -
あそこはさっき見た南内郭ですね。
よくできています。 -
こちらは後で行く北内郭ですね。
楽しみです。 -
南内閣の感じがさっき見たまんまです。
かなり正確に伝わってきますね。 -
おや?
これはもしかして、、 -
やっぱり甕棺ですね。
自動的にビデオが始まるようです。 -
なかなかわかりやすくて為になりますね。
甕棺の生い立ち、種類などもわかりやすく説明してくれています。 -
土器の修復作業は普段は公開してるんですね?
-
ここですか。
見たかったなー。 -
館内図です
-
休憩室があるようなので一休みしましょう
-
あら?
自販機がある。
でも、、お高いんでしょう、、? -
まぁ!
なんということでしょう!
お手頃価格だわ~!
これなら私にも手が届くわ~!
と、夢グループのように喜んでみます。 -
ポカリスエット 160円
冷たくて~
おいちい~
しばらく椅子の上でのんびりしちゃいました~ -
さてさて
のんびりしすぎたので
先を急ぎましょう。 -
弥生くらし館の前には広い土地が広がっていました。
その向こうにさりげなく弥生時代の家並みが見える。
そのさりげなさがリアルでタイムスリップ感がすごいです。 -
さっきも見えたテント。
何かな?
よくあるバーベキューテントかな? -
弥生くらし館の横に竪穴住戸の復元家屋がありました
-
新築物件みたいですね。
縄がまだ新しいです。 -
農機具が展示されていました
-
弥生時代の技法ですが現代でもこれに似た工法で作られている小屋とかはありそうですね。
-
先ほどから気になっていたテント。
体験受付と書かれています。
何の体験でしょう? -
本当に弥生時代に紛れ込んだような自然な風景ですね。
-
弥生時代の人もこんな感じのホカポカした天気で
こういう景色を見ていた日もあったんだろうなー
そう思うとなんだか不思議な気持ちになります。 -
あそこに高くなった場所がありますね。
行ってみましょう。 -
祭壇
天に伝える場なのかな?
こういうのは割と各地にある感じですね。 -
ここでクルリと見てみましょう。
かなりの土盛りをしていますね。 -
その右も続いています。
結構大きいですね -
その右にも続いていました。
かなり大きいです。 -
その右を見ると
集落からは少し離れた場所にあるようです。 -
集落からは離れた神聖な地域という感じなのかな?
-
祭壇の上に上がっても良いようなので
祭壇の上がってみました。
祭壇の上は平らで広いです。 -
この祭壇のある場所自体が台地のヘリにあるようで眺めがとても良いです
-
ここでも右へ見ていきましょう
-
その右は、
盛土の斜面 -
その右は、
街が見える -
その右は、
なかなかの良い眺め
遠くまで見えます -
その右は、
吉野ヶ里のムラが見える -
その右は、
吉野ヶ里のムラが広がっています。 -
その右は、
吉野ヶ里のムラが広がっています。 -
その右は、
祭壇の上もかなり広い場所です -
その右で、
これで一周しました -
この祭壇の上に立つと天に近い感じがするのは確かです
-
祭壇の下に降りてみました。
結構な高さがありますね。 -
この祭壇は当初は墳丘墓と考えられていましたが
調査の結果、墳墓は発見されず祭祀用のツボなどが見つかったので
現在は祭壇と考えられているようです。 -
祭壇が集落から離れているのは
ムラの穢れから距離を保つという考えなのかな? -
この集落は南のムラと考えられています
この南のムラには
南の一家
中の一家
ムラ長の一家
北の一家
の4つのグループがあったとされています。 -
ここは南の一家
儀式用の倉 -
南の一家
古代中国の思想では
北が上位
南が下位
という考えがあるそうです。 -
南の一家解説版
-
南の一家
ここ吉野ヶ里集落もその思想の影響を影響を受けていると考えられています -
南の一家
吉野ヶ里集落の北には北内郭や北墳丘墓がある事から高貴な場所と考えられます -
南の一家
そういう考えからこの南のムラには環濠内ではもっとも下位に属する集落と想定されています。 -
南の一家
環濠内での地位は一番低いですが国全体では比較的高い位置にいたと考えられています -
南の一家
環濠内では大人の階級に従うような立場だったと考えられています -
南の一家はその南のムラの中では農作業や祭壇の儀式の手伝い、
西の出入り口の警護をしていたと考えられています。 -
ここがその西の出入り口ですね
-
狭い間口です
-
環壕があります
-
なかなかのものです
-
なかなかの日当たりです。
住環境としてはとても良い場所ですね。 -
集落内をそぞろ歩きます。
そよそよと気持ちの良い風が
お日様の光を含んだ枯れた草の香りを運んできて
その良い香りを嗅ぐと幸せな気持ちになります。
今日のような晴れた日は
弥生時代の人も私と同じような気持ちに
なったのではないでしょうか? -
弥生時代の集落は
竪穴住居が3、4棟と高床の共同倉庫が1棟という組み合わせてワンセットということが多いようです。
この形式は全国的にも一般的な単位のようです。 -
大きな建物があります
-
中の一家のようです
-
中の一家は農作業をしながら鉄器の製作、修理をしつつ、船から物資の荷揚げをしていたと考えられています。
-
広場の中央に倉があります
-
近くで見ると大きな家です。
-
この辺りが南のムラの真ん中あたりのようです
-
家が立て込んできました
-
弥生銀座でしょうかw
-
この辺りに来るとムラという感じがしてきました。
今日はあたりには人が全然いません。
静かです。
今にも弥生人がひょっこり出てきそうです。 -
集会場がありました。
中はとても広いです。 -
高床の倉庫が2つ建っていました
-
この辺りはムラ長の一家のエリアのようです
-
家屋の戸数も多い感じです
-
それぞれの家に違う役割が想定されているようです
-
ここらあたりから北の一家のエリアになるようです
-
ここは緩やかな傾斜地を上りきった感じの場所になります
-
北の一家
農作業をしながら麻や絹の織物をしていたと考えられています -
南のムラで一番丘の上にあります
-
北の一家の高床の倉
-
向こうに柵が見えます
-
ここが環濠の入り口になるんですね
-
南のムラを柵の外から振り返ってみた感じ
-
柵を出ると低地です
-
低地に沿った高台のふちに柵が作られています
-
どこまでも柵が続いています
-
これはなかなかの景観です
-
あそこに櫓門がありますね
-
このエリアは倉と市(いち)のあるエリアのようです
-
右手には櫓門がありますね。
ここから先はクニの大倉エリアです。
この中は後で行きます。 -
クニの大倉は櫓門の左手の柵に囲まれた一画です。
その前には深い壕があります。 -
壕の向こうに見えている建物は
クニの大倉の吉野ヶ里の大事なものを保管せている倉だそうです -
櫓門の前には集落がありました
-
市長の住居
「しちょう」ではなく「いちおさ」です。
市(いち)の責任者ですね。 -
遠来の人と会ったり市(いち)をおさめたりしていたようです
-
あちらには倉が建ち並んでいます。
あそこは後で行きましょう。 -
ここのすぐ裏はさっき通った低地。
向こうに見える小高い丘は南のムラ。 -
市長(いちおさ)の住居から少し西にあった集落。
吉野ヶ里の環濠内の西の端に位置しています。 -
ここは兵士の住居があるエリア
-
市(いち)の警備をしていたようです。
ここで暮らしていたと想定されています。 -
兵士の倉
-
ここで暮らしていた兵士の生活道具が置かれていたようです
-
作りがどことなく南洋の島のお家みたいです
-
兵士のエリアから北を見ると向こうに建物が建て込んでいる場所が見えます
-
行ってみると稲籾の倉がありました
-
脱穀した籾を保存しているようです
-
ほんとだ!
稲籾でいっぱいです! -
この辺りには倉が建て込んでいます
-
ここらあたりが中心でしょうか?
-
ここから左に行ってみましょう
-
市楼がありました
-
「イチロー」ではなく「しろう」です。
ここで開催する位置を管理する建物。
1階は市に参加する手続きをするところ。
2階は見張りの兵士が待機。 -
上に上がれるようです
-
それほど広くは無いです。
太鼓がありました。
これで市の開催を知らせるようです。 -
見晴らしはそこそこ良いです
-
ここから市(いち)を監視するんですね
-
どこで市(いち)は開催してたんでしょう?
-
倉が見事に整然と並んでいます
-
通路の幅は狭いです
-
向こうには兵士の詰所が見えます。
やはり市(いち)には様々な人が紛れ込んでくるから
物騒なこともあるんでしょうね。 -
裏にもあるようです。
降りて見に行きましょう。 -
降りてきました。
こちらも兵士の詰所です。 -
交代で警備していたんですね。
-
これほどの警備が必要なほど
揉め事は頻発していたのでしょうね。 -
稲穂の倉
-
稲穂の倉の解説
稲籾ではなく稲穂の状態で保管していたんですね -
吉野ヶ里のクニ中から集めた稲穂だそうです
-
先ほど見た柵で囲われたクニの大倉に来ました
-
中は細長い敷地になっていました。
その周囲を柵で囲んでいる感じです。 -
倉が一列に並んで建っている配置です
最初にあったのが稲籾の倉 -
稲籾の倉
-
軍事の費用や国の財力を示すために保管しているそうです。
財力を示すって事は相手国に見せびらかす前提の倉って事なのかな? -
原料の倉
-
吉野ヶ里で製作される鉄や銅の製品の原材料の保管庫
-
貢物の倉
-
中国に使者を派遣する時の手土産を保管する倉
-
中も見る事が出来ました。
意外に綺麗。
どこかの農家民宿の部屋みたいです。 -
ここでクニの大倉は一通り見ました。
-
先ほど見た櫓門がありました。
上がれるようなので上がってみましょう。 -
上に来ました。
流石に見晴らしが良いです。 -
視界を遮るものがありません。
-
全体が見通せます
-
吉野ヶ里の台地のへりあたりにある感じなのでしょうかね。
見通しがすこぶる良いです。 -
先ほど見た市(いち)のあたりですね
-
市(いち)とクニの大倉の間には壕と柵で厳重に仕切られています
-
クニの大倉は一列に並んでいます
-
小高い場所には厳重な柵で囲われた南内郭が見えます
-
南内郭はこちらよりもかなり高い場所にあるのがわかります
-
これだけの復元には大変な下調べがあったんだろうなー
-
でもそのおかげでこうして弥生時代気分に浸れるのでありがたいです
-
ここで見張ってると向こうの見張りと目があったりしてたんだろうなー。
何か交信とかもしてたんだろうね、多分。
知らんけどw -
ここからみると倉が一列に並んでいるのがわかります
-
下に降りてきました
-
来た道を引き返します
-
細長い敷地に一列に並んでいるという事は
他国の人に見せるための前提で作ったショーケース的な枠割りもあったのかな?
手の内を見せて安心させる的な?
知らんけどw -
ここで何かを作っていました
-
物見櫓の建設中みたいです。
当時の工法なんでしょうね。
今の視点なら筋交いとか入れたくなっちゃいますねw -
ここに入り口があります。
ここから南内郭方面に入りましょう -
この橋の長さからいって壕の幅が広そうですね。
期待できます。 -
城の語源が土から成るなんですね。
なるほど〜。
勉強になります。 -
ここも見事な壕ですね
-
こういう厳重な壕を見てうっとりしてしまう私はちょっと変わり者w
-
壕の内側に来ました
-
門の前には高いところに兵士の詰所があります。
さすがにぬかりがありません。 -
少し行くと入り口がありました
-
ここからは中のムラというエリアになるようです
-
中のムラは祭祀や儀式、政治に使うものを作っていた場所と考えられています
-
中のムラを過ぎると北内郭です。
北内郭の解説。
吉野ヶ里で最も大事な場所で
田植えや稲刈り、市や祭の開催、クニ全体の重要なことを決める場所だそうです。
どうしても決まらない時は霊感のある最高責任者に祖先の声を聞いてもらうという場所だったそうです。 -
北内郭の発掘時の写真がありました。
これはなかなか見られる機会がないので興奮しました。 -
鳥形がお出迎え
-
幾重にも板塀で囲まれていて閉塞感がハンパないです
-
ちょっと息苦しいくらい警備が厳重です。
入り口がカクカク曲がって入る感じになっています。
これは古代中国の都市設計の影響と考えられています。 -
壕を囲むのも板塀で刑務所みたいです(←入った事はないけどw)
-
この厳重さはちょっとすご過ぎですね
-
まだ柵はあります
-
さらに入ります。
訪問時は北内郭は各所で工事中で落ち着かなかったです -
工事中の標識が見えてなかなか気持ちが集中できません
-
やっと北内郭に入りました。
工事中感がハンパなくします。
落ち着かないです。 -
主祭殿
今この建物の周囲に工事の人がわらわらといるので入りづらい感じです。
ここは後で人がいなくなったら入ってみます。 -
北内郭には他にも建物があります
-
斎堂
-
斎堂の解説
身を清めるってどういうことをするのかも書いて欲しいですね。
行水するとか湯浴みするとか。 -
従者の住まい
-
従者の住まい
北内郭で唯一の竪穴住居 -
物見櫓
-
南内閣の物見櫓と形が違うとのことです。
では上がってみましょう -
階段がスチール製なのがさっきのと違いますねw
-
おお!
眺めはすごく良いです!
ここでぐるりと見てみましょう。 -
右はこんな感じ
2重の柵が見えます -
その右は
外側の柵が一旦終わってますね -
その右は、
広場が見えてきました -
その右は、
広場から北内郭に通じる入り口があります -
その右は
北内郭の中 -
その右は、
主祭殿が見えます -
その右は、
高床住居が見えます -
その右は、
2重の柵が見えます -
その右は、
2重の柵が見えます -
その右は、
2重の柵の向こうに中のムラが見えます -
物見櫓は狭い通路でした
-
南内郭の物見櫓とは造りが違っていました
-
下に降りてきました。
高床住居です。 -
高床住居の説明
吉野ヶ里の最高司祭者の住まいだったと想定されています。
一般の人前にはほとんど姿を現さないと考えられています。
ここでは中を覗けるそうです。
じゃあ、のぞいちゃおw -
ストイックな生活ですね。
卑弥呼といえば岩下志麻さんのイメージが強いのでストイックというイメージに結びつきづらい世代です。 -
都内のワンルーム住宅くらい?
-
ここにズーッと引きこもっていたなら心病んでしまいそうです。
確かに聞こえない声が聞こえてきそうな気がします。 -
暗い気持ちで外に出ました。
こちらに出口があります。
まだ出ません。 -
その前に主祭殿がまだ残っていました。
上がってみましょう。 -
主祭殿の解説
この形に至るまでには紆余曲折あったようです。
この建物近辺は工事関係者や観光客がウロウロしていて
写真を撮ることが思うようにできませんでした。
ちょっとストレスが溜まった場所でした。 -
階段を上がって2階にきました。
最初見たときギョッとしました。 -
人形とわかっていても威圧感がありました
-
こういう展示はわかりやすくて良いですね。
-
解説あるよ
-
人形とわかっていてもこの迫力
-
明るい時間なら良いけれど暗くなったら相当怖い
-
でもこうしてみられると
イメージが湧きやすいので良いですね -
もう一段上がって3階にきました
-
解説あり
-
スポットライト浴びてます
-
カメラに後光が入って上手く撮れません。
確かに神がかりかもしれません。 -
下に降りてきました
-
ではこの門を出ましょう
-
壕の深さはそれ程でもないですね。
ここは防御というよりも結界的な意味合いだと言われています -
こちらも浅い壕です
-
門を出ると目の前に東祭殿がありました
-
東祭殿の解説
何度も建て替えられた形跡があるようで
祭りのたびに建て替えられた可能性があると考えられています。 -
門の外にも壕がありました
-
東祭殿の裏にも壕がありました
-
東祭殿の裏には板塀の柵が続いていました
-
この先から墓園が始まります
-
祀堂
-
祀堂の解説
ここからお供えしてお祈りしたようです -
北墳丘墓と墓道と祖霊の宿る柱
-
北墳丘墓の解説
歴代の王様のお墓 -
墓道の解説
北墳丘墓のお参りのための道 -
祖霊の宿る柱
北墳丘墓を守る祖先の霊が宿るとされているそうです -
北墳丘墓
弥生時代後半にはお墓の役目は終えていて
神聖な場所として崇められる場所となっていたようです。 -
北墳丘墓の前は深い壕で外と仕切られています
-
壕は大地の端まで続いています
-
北墳丘墓の前に循環バスのバス停があります。
公園の入り口からここまではわりと距離があるので
歩くのが大変な方は利用されるのもありです。 -
北墳丘墓の入り口は北にあります
-
かなりの高さに盛土されています
-
入り口は近代的
-
北墳丘墓の解説
-
入り口のおじさんスタッフに館内の撮影は大丈夫かと確認しました。
おじさんスタッフはぜひ撮影してくださいと快諾してくれました。
なかなかナイスなおじさんでした。
って言っても、
私よりもはるかに若いんですけどねw
館内に入ったら思わず
わ〜〜!!
って心の声が出ました。 -
これはすごい!
正面部分の遺構面と甕棺はリアルガチの本物!
すごい! -
こういった発掘現場の展示は劣化を防ぐ表面加工や湿度管理などをしていて大変な管理作業だと思います。
-
北墳丘墓の模型
-
最初は弥生時代中期の王の物だったようです
-
おそらくは何層も土を重ねて積み上げられたのでしょう
-
当時はおそらくは土団子のような物を重ねていったのではないでしょうか?
-
その出来上がった土の面に甕棺を埋めていくという感じでだんだん高くなったのではないでしょうかね?
-
やはり時代ごとに階層的に積み上げられていったような感じですね
-
しかし、すごい密度ですね。
-
本物の甕棺が残っている部分もあるようです
-
ガラスの下には発掘面が見えます
-
なかなか貴重でリアルな展示ですね
-
埋葬のパターンは
中心に偉いと思われる人のものがあって
そこから放射状に埋葬されているのではないかとも思われているようです -
私の好きな映像展示~
-
短いけど面白かったです
-
発掘面の表面は劣化防止の加工はされている感じでした。
-
銅剣
セレブの証 -
ガラスの管玉
セレブの証 -
ガラスの管玉の比較
-
甕棺の埋葬
-
南北の聖なる軸線上に配列されています
-
北墳丘墓の埋葬の様子
-
甕棺を埋めてます。
甕棺の埋め方は
最初に斜めに穴を掘って
下の部分の甕を斜めに埋めて
そこに遺体と埋葬品を入れて
上の甕で蓋をして
粘土でつないで
土をかぶせて埋めます。 -
葬祭の様子
-
足の下の本物の展示の様子も見られました
-
ここも放射状になっているのがわかります
-
う~~~ん、、、
とても濃密な空間であった、、、
来て良かったです。
でも非常に疲れました。
何でしょうねこの濃密な感じは、、、 -
まあ、でも綺麗に復元されていて良かったです。
これはなかなか見られない感じの展示なので見られて良かったです。 -
さて戻りましょう
-
振り返ってみました。
何か不思議な感覚が残りました。
何といっていいかわからないですが。 -
もう一度この場所から見てみた。
何層にも渡って埋葬するという発想が、
まず凄いですね。
なんか、、
とても濃密な感じでした。
不思議な気持ちです。 -
ふとみたら甕棺がゴロゴロあります
-
甕棺があちこちに露出しています
-
このあたりはお墓のようです
-
土がこんもり盛り上がっています。
このしたに甕棺墓がある感じです。 -
甕棺墓列の解説
甕棺はここ以外でもたくさん発見されているようです。 -
北墳丘墓の周辺は広大な甕棺の墓園でした
-
葬られた人の中には
頭がなかったり、
刀傷を受けたもの、
腹に10本の矢を受けたもの
など当時の荒々しい世情があらわになったものも
少なくないようです。 -
中のムラのエリアに来ました。
中のムラは墓園に接していました。
やはりそういったお墓関係の仕事にも携わっていたんでしょうね。 -
織物の倉
-
織物の倉
祭祀や儀式の織物や衣装を保管する倉 -
中のムラ倉庫群
中はどれも同じでした。 -
中のムラ倉庫群
中はどれも同じでした。 -
中のムラ倉庫群
中はどれも同じでした。 -
養蚕の家
機織の家 -
中のムラは養蚕から機織、祭器作り、酒造りもやっていたと想定されています。
他にもそういった儀式の補助などもやっていたとされています。 -
そろそろ休みたいなーって思っていたところに、
休憩所の文字が目に飛び込んできました。
これは天の恵み! -
あ!
自販機がある! -
しかもお手頃な良心的価格!
これなら私にも手が届くわ~~
と、夢グループ風に喜びます。 -
弥生式ポカリスウェット 160円〜〜。
-
おいちい〜〜
水分補給〜〜
2本飲んじゃいました〜〜w -
休まりました~~。
ありがと~~休憩所~~。
でもこの家って
弥生時代というよりも
日本昔話みたいな感じの造り家だよね。 -
さてさて、
どうやらザックリと全体は見られたなー
古代の森エリアはちょっと広すぎるのでパスします。 -
南内郭を左に見ながら行きます
-
ここの鳥ちゃんのところを通って
倉と市のエリアに行きます。 -
倉と市のエリアに来ました
-
ここは倉と市のエリアの北のあたり
-
全然人はいません
-
この辺りは建設中の物見櫓があるくらいですね。
これといって目立つものがないエリアです -
ここから出口があるので
一旦出ることにします -
この辺りの環濠はユルユルですねw
-
こっち側の環濠もそうとうユルユルですw
-
実はそろそろトイレに行きたかったのです。
あそこにあるので行きます。 -
さてさてさっぱりしたところで先に行きましょう
-
ここは環濠の外で市の広場という場所になるようです。
広々とした芝生の広場が広がっています。 -
環濠の柵に沿って歩いて行きます
-
と、思って改めて見てみると先はすごく長いので
環濠の中に戻る事にしました -
再びユルユルの環濠を渡って中に来ました
-
建設中の物見櫓が完成したら
この辺りももっと雰囲気が出るでしょうね -
環濠内の集落の外側の道を歩いて行きます。
倉と市のエリアを外から見ます。 -
集落は小高い丘の上にあるのがわかります
-
集落を見上げながらのお散歩です
-
少ししたら広い低地のエリアに来ました。
向こうに南のムラが見えています。 -
ハス池らしいです
-
この辺りは低地らしい平坦な地形ですね
-
低地の先には小高い場所に南のムラが見えています
-
あちらには南内閣も物見櫓が見えています
-
ここから坂道を上っていきます。
-
坂を上がるたびに向こうの丘の上の集落が見えてきます
-
再び南のムラに来ました
-
ここはやはり一段と高い場所なのか日当たりがとても良いです
-
環濠内では一番低い地位にいたとしても
住んでいる環境は一番良さそうです -
再び集落の周辺をめぐる遊歩道を行きます
-
低い場所から南のムラを見上げながらの散歩です
-
吉野ヶ里遺跡の最盛期の環濠内に住んでいた人口は1200人と考えられています
-
吉野ヶ里のあたりは
弥生時代前期にあちらこちらで集落ができていたようでした。 -
弥生時代中期に外環濠で囲われるクニができたと考えられ、争い事が頻発したのもこの頃からと考えられています。
-
弥生時代後期に巨大な外環濠に囲まれたクニに発展し
北内郭、南内郭も兼ね備えた最盛期を迎えたと考えられています。 -
その後、吉野ヶ里から人は忽然と姿を消してしまいました。
人々はどこに行ってしまったのかは謎が多いようで諸説あるようです。 -
その後この吉野ヶ里は古墳が作られたり
墓地として使われる場所になっていったようです。
栄華を極めた吉野ヶ里も歴史の表舞台からフェイドアウトし
人々の記憶からも消えてしまったのです。 -
この出口から出ることにします
-
ここらあたりは環濠がきっちりしています
-
最後にふさわしい景観で安心しました
-
出口を出て振り返って見てみました。
柵がきちんと並んでいます。
ありがとう!
吉野ヶ里遺跡!
ものすごく楽しかったよ!
ここはまた来たい場所です。 -
現在場所はここですね
-
トイレも景観に合わせてますね
-
大きな池がありました。
岸辺ではたくさんの鳥が羽を休めています。 -
ものすごく鳥がいる
-
それに大きな池です
-
なんだかぼんやりとしてしまうのどかな風景です
-
反対側も同じ池が続いています。
-
とても大きな池です
-
橋みたいなのもありました
-
出口に来ました
-
ここには西口サービスセンターという施設がありました
-
結構大きな施設でした
-
この辺りは弥生の大野と呼ばれるエリアでどこまでも草原が広がっていて気持ちがよいエリアです。
子供を走らせるのにぴったりのエリアです。 -
楽しかった吉野ヶ里遺跡のお散歩もそろそろ終わりのようです
-
ここで写真を撮っていたら女性スタッフの方が「よろしかったらお撮りしましょうか?」と声をかけてくれました。
-
ありがたく記念写真スポットで写真を撮っていただきました。
でも緊張しすぎて私の肩に力が入りすぎてて
猫背イカリ型のおかしい感じのポーズですw -
これも女性スタッフさんが撮ってくれました。
吉野ヶ里の建物を背景にパチリ!
実は全身入っていたんですが、、
足が、、もうね、、
立ち姿が老人足でくねくねガニ股で見苦しかったのでトリミングしちゃいました。
流石に年は隠せません、が、
年相応のズルさで、
トリミングで何とかしちゃいますw -
親切なスタッフさんのおかげで楽しい締めくくりになりました。
ありがとうございます!
ここは発掘作業が現在も進行中なので
新しい発見も続々とあるようです。
また来たいなぁー。 -
楽しい1日をありがとう!
-
では駅に向かっていきましょう。
ここは西口駐車場の入り口ですね。
かなり広い駐車場のようです。 -
この通りを行きます
-
JR長崎本線の下をくぐって行きます
-
国道34号線に出ました
-
神埼駅近くで食事しようかなと考えていましたが
半端な時間だったせいか開いているお店がありませんでした。 -
神埼駅に到着。
ビックリするほど近代的な駅舎です。
東京でもこんな駅は無いです。 -
中も近未来です
スカイツリーかと思っちゃいました。 -
近未来的な駅舎に
時計にガムテープで留めた赤マジックのなぐり書きの故障中のメモ書きw
JR長崎本線 鳥栖行
神埼駅発 16時2分 → 鳥栖駅着 16時9分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
ホームに来ました
-
ここからみても異様な近未来的な駅舎
-
すごいです!
-
周囲はのどかな風景。
余計にこの駅舎の存在が際立ってますね -
とぼんやりしていたら電車が来ました
JR長崎本線 鳥栖行
神埼駅発 16時2分 → 鳥栖駅着 16時9分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
学生さんで混雑しています
JR長崎本線 鳥栖行
神埼駅発 16時2分 → 鳥栖駅着 16時9分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
鳥栖駅に到着
次に乗る小倉駅行きがすでに来ていました
JR長崎本線 鳥栖行
神埼駅発 16時2分 → 鳥栖駅着 16時9分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
次にこの小倉駅行きに乗ります
JR鹿児島本線区間快速 小倉行
鳥栖駅発 16時21分 → 博多駅着 16時50分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
博多駅に到着。
適当に来たら駅ビルの中の改札に来ちゃいました。
JR鹿児島本線区間快速 小倉行
鳥栖駅発 16時21分 → 博多駅着 16時50分
料金 860円(神埼駅~博多駅) -
博多シティっていうところみたいです。
-
とりあえず何か博多っぽいものを食べよう。
博多1番街に来ました。 -
博多のうどんは好きなのでここに即決です。
大福うどん 1番街店 -
メニューを見て即決
-
丸天ごぼう天うどん 670円
笹ごはん 260円
計 930円 -
笹ごはんは本当は九州は鶏飯が美味しいので注文したかったのですがここにはありませんでした。
笹ごはんは鶏飯っぽいけど鶏飯ほどは味わい深く無かったです。 -
とりあえずは美味しかったので満足です。
ここは他にも美味しそうなお店がありました。 -
博多1番街は食べ物屋さんが並んでいるので便利でした。
-
博多駅は地下街が広い
-
どこまでも地下街が続いています
-
実は、、、
今、ちょっと迷っていますw -
私はどこにいるのでしょう?
-
あ!地図がありました!
-
わかったような
わからないような、、、 -
こっちに行ってみます
-
博多ラーメンのお店
結構混んでました。
美味しいんでしょうね。 -
どうやらこっちの方みたいですね。
良かったです。 -
ここを降りるみたいです
-
コインロッカーから荷物を出して地下鉄の博多駅に向かいました
-
福岡市営空港線 福岡空港行
博多駅発 18時7分 → 福岡空港駅着 18時12分
料金 260円 -
電車が来ました
福岡市営空港線 福岡空港行
博多駅発 18時7分 → 福岡空港駅着 18時12分
料金 260円 -
福岡駅到着
福岡市営空港線 福岡空港行
博多駅発 18時7分 → 福岡空港駅着 18時12分
料金 260円 -
福岡空港は人でごった返しています
-
福岡空港はわかりづらいです
-
空港内は人が多くてゴタゴタしているので
さっさと制限エリアに入ってしまいました
2月27日(月) JAL332便
福岡 → 東京/羽田
定刻 21:05発 - 22:35着 -
カードラウンジがあったので入ってみました。
ラウンジタイム サウス
VISAは受け付けてないみたいです。
入りたければ金払え、
みたいなことを言われたので
ケチンボな私は金払ってまでは入る気もなし。
丁重にお礼を言ってさっさと出てきました。
でも同時に来た他の人はお金払って入ってるみたいでした。
世の中にはお金が余ってる人がいるんだなーなんて思いましたよ。 -
2時間くらい時間があったのでブルースカイでお買い物。
ブルースカイFUK8番ゲートショップ
小倉名物糠味噌漬け ぬかみそ炊き 1296円 ←美味しいけど塩っぱい
津江鶏めしの素 486円×2点 972円 ←美味しい
明太子切れ子 1080円×2点 2160円←美味しい
梅の実ひじき 756円←微妙
うまか天 1296円←美味しい
真空さつまあげ 1080円←美味しい
ポカリスウェット 162円←安定の味
伊藤園お~いお茶 183円←安定の味
JALカード割引 -396円
合計 7509円
これで当分おかずには困らないので嬉しいです。 -
飛行機は滑走路を走り出しました。
いよいよ出発します。
2月27日(月) JAL332便
福岡 → 東京/羽田
定刻 21:05発 - 22:35着 -
滑走路の、すぐ近くまで街明かりが迫っています
-
こんなに街の真ん中にある空港もなかなか無いですね
-
今日はカメラの調子が珍しく良いです
-
これほどブレない事って初めてかも
-
福岡の街が遠ざかっていきます
そして私もジェットストリームを聴きながら
深い眠りについてしまうのでした、、、、 -
ふと目が覚めて、、、
気がつけばもう東京湾の夜景が見えています。
今回もコンソメスープはいただけずじまい、、、
私とした事が、、、
不覚! -
ディズニーランドが見えます
でも腹の足しにははならない -
東京ゲートブリッジが見えます
でも腹の足しにはならない -
着陸態勢に入りました
-
無事羽田空港に到着
2月27日(月) JAL332便
福岡 → 東京/羽田
定刻 21:05発 - 22:35着
なんだかんだ言っても天気に恵まれた3日間でした。
弥生の風に吹かれてみて
私も何かと感じるものがありました。
私の中の何かがちょっと動き出した気もしました。
行って良かったです。
またどこかに行けると良いなぁ~。
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吉野ヶ里(佐賀) の旅行記
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