2023/08/11 - 2023/08/15
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emi_uさん
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ご覧いただきまして、ありがとうございます。
数年前に妻籠、馬籠、奈良井宿には行ったので、今回は「じゃない」木曽路となったかもしれません。
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今回最初の目的地はここ
「是より南 木曽路」
国道19号を旧中山道を南に入る -
この地は木曽路の北の入口であり、江戸時代には尾張藩領の北境であった
石碑は桜沢の藤屋百瀬栄が昭和15年に建立
裏に「歌ニ絵ニ 其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある
(案内板より)
そもそもは「是より北 木曽路」を見よう!から始まり、「南」もある事を知った是より南木曽路の碑 名所・史跡
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眼下には奈良井川が流れ、雨上がりのまだ朝5時頃とあって、霞がかった奥から水音が聞こえる
ここから「是より北 木曽路」を目指す -
(新茶屋の一里塚近くの案内板)
木曽十一宿は北から、贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠と続く -
JR中央本線 贄川(にえかわ)駅
「是より南 木曽路」の碑も住所としては長野県塩尻市贄川にある贄川駅 駅
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北側から木曽路に入ると、最初の宿場が贄川宿
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次は有名な奈良井宿
フロントガラス越しに木曽の大橋を眺めつつ、ここは数年前に訪れたのでスキップ
しばらく車窓からの観光が続く木曽の大橋 名所・史跡
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雲海が見えたのは宿場で言うと宮ノ越と福島の間、中山道中間点の近く
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三留野(みどの)宿には桃介橋がある
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福澤桃介がすぐ先の読書(よみかき)発電所を大同電力が建設する際、同社社長の桃介が建設主となって資材運搬のために建設
1922年に完成、桃介は「桃介橋」と命名したかったものの周囲に反対され、当初は「桃之橋」と命名
1993年の復元事業後に「桃介橋」となったらしい
桃介は福澤諭吉の婿養子、三留野に山荘があったようだ桃介橋 名所・史跡
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読書発電所の手前で国道19号から左に折れて県道7号に入る
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妻籠宿、ここも数年前に訪れたのでスキップ
妻籠宿は昭和51年、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された
令和3年8月時点で、文化庁により全国126地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている妻籠宿 名所・史跡
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県道7号は高度を上げ、峠入口バス停へ
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ここには中山道の石碑がある
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馬籠宿へ4.4km
妻籠宿へ3.9km -
中山道は昭和62年に国史跡に指定された一方、平成5年県道中津川南木曽線(現・県道7号)は主要地方道路に指定され、拡張工事では両者が重なる箇所も
関係者協議の上、形状を維持し、埋没保存された -
一石橋(いちこくはし)を挟んだ右手に、
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中山道の石畳が続いている
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県道7号を進むと馬籠峠を通過
標高790m馬籠峠 自然・景勝地
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峠の茶屋があるのだが、以前来た時も朝早かったのでオープン前
今日もまだ朝6時半過ぎ -
6:50 県道7号から左折して旧中山道に入り辿り着いた、
「是より北 木曽路」
これは「木曽路はすべて山の中である」で始まる「夜明け前」の著者、島崎藤村の揮毫による
だから「是より南」より有名なんだと思っていたが、馬籠宿に程近いからかもしれない
馬籠宿までは歩いても30分程度のようだ -
裏から
昭和15年、当時68歳だった藤村が地元の要請によって揮毫したもの
この碑は藤村記念館の落成10周年を記念して、昭和32年に藤村記念館建設の執行母体である「ふるさと友の会」によって建立された
(案内板より) -
芭蕉の句碑も並ぶ
「送られつ 送りつ果は 木曽の穐(あき)」
場所は1688年、信州姨捨山の月見と善光寺参りを兼ねて中山道を旅し、「更級紀行」とした -
この辺りは新茶屋と呼ばれている
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江戸時代、宿場と宿場の間にある茶屋を「立場茶屋」と言った。かつての茶屋は、ここから岐阜県側に数百メートルほど入った場所にあったが、江戸時代の終わり頃に現在地に移り、ここを新茶屋と呼ぶようになった。わらび餅がこの茶屋の名物だった。
(案内板より) -
これが新茶屋であり、昭和25年から今でも民宿として営業している
http://innshinchaya.sakura.ne.jp/民宿 新茶屋 宿・ホテル
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「新茶屋の一里塚」もある
一里塚は秀忠の時代、江戸幕府による街道整備の一環として1里(約3.9km)ごとに塚を築き、榎か松を植えて休息の場としたもの
距離、駄賃、運賃の目安となった
(案内板より)新茶屋一里塚跡 名所・史跡
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「昔の姿で残っている」とあるから、この一里塚は当時のものなのだろう
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右に写っているのが、整備で復元された榎かな?
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看板には復元に関しても言及されている
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一里塚の向こうには、
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石畳の旧中山道が続く
次は落合宿に向かう -
元来た道を引き返し県道7号に戻る前、左手に石畳が見える
車から覗いてたら、地元らしき歩いてきた方が「駐車場あるよ」「石畳、全部歩いても20分くらい」と教えてくれた
駐車場は写真の右奥にある
写真の右手前の階段より右にある車道から下りていく -
奥の草地は駐車に耐え得る地面か未詳ながら、数台は駐められるだろう
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せっかくなので、ちょっとお立ち寄り
張り出した枝を、竹で支えている -
休憩所は屋根に草が生えている
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この道は中津川市が、先ほどの新茶屋の一里塚の先の長野県境からの約1kmを、残された歴史的な石畳をつなぐように整備した
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馬籠宿は信濃国、落合宿は美濃国
馬籠宿は、かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年2月13日、山口村は越県合併により岐阜県中津川市に編入された
越県てあるんだ~と思ったら、やはりハードルが高く、特に近年では1968年4月以来の出来事
この後にも例がない -
江戸時代につながりそうな石畳の静かさに想いを馳せながら、落合宿へ
中山道 落合の石畳 名所・史跡
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国道19号に出る途中、素晴らしい景色、お天気
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棚田も見える
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松の木をくぐって、再び旧中山道へ
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7:20 落合宿
宿場は390m程、75件の家があった落合宿 名所・史跡
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落合宿 本陣
中津川市HP
https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkashinkoka/2/3/17245.html落合宿本陣 名所・史跡
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築100年以上
岐阜県で唯一残る本陣建築
岐阜県観光連盟HP
https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_1362.html -
現在、本陣は一部破損が発見され、一般公開中止
右手に写るのは常夜燈 -
宿場にあった4基のうち、3基は1880年の明治天皇巡幸の際の整備により他所に移されていたが、かつての様子を再現するため、2021年に落合宿に戻した
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この辺りの修復かな?
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案内板に内部の様子を窺う
2010年に落合宿本陣、落合宿の常夜燈は、新茶屋までの中山道約2.5.km、新茶屋の一里塚とともに国史跡「中山道」追加指定された -
向かいには脇本陣
本陣は井口家、脇本陣は塚田家が代々務めた -
1804年、1815年の2回大火があったものの、本陣を中心に往時を思わせる
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落合宿を後にし、県道7号に出ると右手に大きな赤い橋、中央自動車道が見える
進むのは逆側
次は付知峡(つけちきょう)を目指す -
落合宿から40~50分
8:10 付知峡に到着
緑でなぞったルートを散策する付知峡 自然・景勝地
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散策路の入口には、流しそうめんや冷やし野菜(トマト、きゅうりなど)が並ぶ
8時にはまだ整っていなかったが、戻ってくる9時前には野菜が涼しげに水につかっていた -
8時過ぎとは言え、駐車場は既に日差しが痛い
散策路は木に守られ、水も流れて暑さを凌げる -
3つの滝を巡るが、順序に従ってまずは不動滝を目指す
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階段を下っていくと、水の流れる音が大きくなってくる
上からチラッと見える姿が、思った以上の大きさ -
何というか、滝が斜め裏から見えてくる感じ
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覗き込むと美しく大きい姿が見える、これが観音滝
今日巡る3つの滝のうち、落差は最大 -
不動明王が祀られた展望台まで行くと、
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観音滝の滝壺からさらに流れるように、不動滝が見える
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観音滝、不動滝から少し戻って、次は仙樽の滝に向けて吊橋を渡る
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吊橋から見た上流側
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上流と言っても観音滝の上流ではないから、吊橋から反対側を見ると木々の向こうに観音滝が見える
吊橋の下の流れと観音滝が合流して不動滝になっているわけだ -
定員3人の吊橋を渡り終えると、
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東屋がある(写真右)
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その脇からまた吊橋へ
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これは仙樽橋
(写真は渡り終えた向こう岸から)
さっきの橋も名前があったのかな? -
足下に仙樽の滝
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もっとよく見えるところがないのかな、と思ったが、ここがベストのよう
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吊橋を渡って、
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少し右手へ進むと、岩場の先端の方まで進める
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仙樽の滝の少し上流になる
さらに上流にもう1つ吊橋が見える
案内図にはそんな吊橋載ってないと思うんだけどな… -
陽の当たる散策路まで上がったら、帰り道は左だが、さっき見た吊橋を見に行ってみる
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これが正体
上流は水道水源地で立入禁止
だからこの看板の右手に写る吊橋が案内図に載ってなかったのね -
引き返して、出口に向かう
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足下、何ヵ所もから水が流れ出る
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マイナスイオンたっぷりな気分で30分ほどの散策を終了!
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次の目的地は、加子母(かしも)の大杉
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付知峡から車で30分ほど
9:20頃、ひときわ大きな杉の木が見えてきた -
数台入る地蔵尊の階段前の駐車場に車を駐めてドアを開けると激しい日射し
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あまりの日射しにスマホの画面もよく見えず、屋根のてっぺんまで写っていない事に気づかなかった
ともあれ、こちらが地蔵堂 -
その後ろに大杉が聳え立つ
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根周り20m、目通り13m、高さ30.8m
(平成元年3月29日実測、看板より)
樹齢千数百年と言われ、1194年(看板より、パンフレットでは1195年)源頼朝が鎌倉への帰途、文覚上人創建の鳳慈尾山大威徳寺(ほうじびざんだいいとくじ)に立ち寄った
元々は1176年に現在の地蔵堂より300m西に作られた小さなお堂が老朽化していたため、頼朝が現在の大杉の元に祀るよう指示したという -
幹の上部はこれまでの自然災害で折れたと思われ、4㎡ほどの平面状になっているそうだ
パノラマで歪んでいるとは思うが、折れていなければもっと高く伸びていたのかも -
お地蔵様は日本最初の大僧正・行基の作と言われ、滋賀県の瀬田大寺に安置されていた
785年に同寺が廃寺となると、お地蔵様は点々とし、1176年に当地に辿り着く
最初のお堂の跡地には「鎌倉石」があるらしいが、とにかく暑くてそそくさと退散
そして次に行くのは、 -
車で5分程度
舞台峠ファームズ(旧舞台峠観光センター)
https://butaitouge.com/舞台峠観光センター グルメ・レストラン
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大きなさるぼぼがお出迎え
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「舞台峠」は飛騨と美濃の境にある標高629mの峠
この特徴的な名前は、2代将軍源頼家が前出の大威徳寺に参詣した際、この通りに舞台を作り都の美しい白拍子たちを集め、能を催したことに由来する -
まず入口はお土産物屋さん
銀の朏(みかづき)は、2000年9月に岐阜県下呂市でコシヒカリの中から発見された品種で、食用米で日本一大きな粒らしい -
お食事処「とり&もー」
お目当てはここのモーニング -
せっかくなら名物食べたいな~と思ったら、優秀なツアコン・相方が、朝ごはんに五平餅を食べられるところを見つけてくれた
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無事モーニングサービスの時間(9時~11時)に間に合い、五平餅、ミニサラダ、コーヒーで500円
ねっとりしたお米がおいしい
さ、腹ごしらえが済んだら、次はダムと遺跡へ
次編へ続く…
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