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2023年7月24日(月)に後祭の山鉾巡行を見に行った祇園祭の話。改めてだが、四条通の東の突き当りにある八坂神社(祇園社)の祭礼で、毎年7月の1ヶ月間に渡って行われる。一般には17日の前祭(さきのまつり)、24日の後祭(あとのまつり)の山鉾巡行とそれぞれの宵山(よいやま)が有名だが、多彩な行事が1ヶ月間に行われる。八坂神社については以下の旅行記を参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11809736<br /><br />平安時代の869年に疫病・災厄の除去を祈った御霊会(ごりょうえ)を始まりとする。その後、祇園社の興隆と共に祇園御霊会と呼ばれ、この呼び方が略されて祇園会となる。当初は不定期開催だったが、約100年後の970年からは毎年6月14日に行われるようになる。<br /><br />室町時代、応仁の乱で都は焼野原となり、祇園会も長い中断の憂き目に遭うが、1500年に町衆により再興される。1533年には一向一揆に際して幕府に神事停止を命じられるが、神事停止と関わりなく町衆により山鉾巡行は行われた。<br /><br />山鉾が現在のような形になり、豪華な飾りを付けるようになったのは、桃山時代から江戸時代に掛けて。特に江戸後期の化政文化の時代には山鉾の大型化、部品・懸装品の華美化が進み、曳山の多くも仮屋根から、鉾と変わりない千鳥破風を掛けるようになった。<br /><br />江戸末期から明治維新の混乱期に断絶した山鉾も多く、また1872年(明治5年)の山鉾巡行を支えていた寄町制度の廃止で存続が危ぶまれた時期もあり、1942年までコレラの影響による延期もあったが、山鉾の維持と巡行は続いた。なお、太陽暦の採用に伴い、1877年(明治10年)に前祭の巡行日が7月17日、後祭の巡行日が7月24日に改められた。<br /><br />戦争によって中止となっていた祭りも1947年には長刀鉾と月鉾が建てられ,長刀鉾のみ巡行を行った。しかし、1952年には当時の全山鉾(29基)の巡行が復活。その後休山が徐々に復活し、2019年に鷹山が唐櫃巡行で復活し、現在は前祭23基、後祭11基の合計34基で、休山は布袋山の1基だけとなっている。<br /><br />山鉾には大きく分けて鉾と山がある。鉾は真木が立ち、車輪付きで囃子方を乗せて綱で引くもの。屋根までの高さが約8m、鉾頭までが約25mで、重さは約12トンある。囃子方の他に全面で指揮をする音頭取が2人(辻廻しの時は4人)、電線などの障害を調整する屋根方が4人、舵を取る車方1人が乗車する。曳き手は40人から50人。<br /><br />ただし、船鉾と傘鉾は特殊で真木がなく、文字通り形が船や傘で、傘鉾に人は乗れない。前祭の長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾の6基で、船鉾は前祭の船鉾と後祭の大船鉾の2基、傘鉾は前祭の綾傘鉾・四条傘鉾の2基。<br /><br />山は真木がなく、車輪がなく、囃子方は乗らず人が担ぐ(補助輪付きで押す)もの。ただし、山でも曳山(ひきやま)と呼ばれるものは基本的に鉾と同じで、真木の代わりに真松がある。前祭の岩戸山と後祭の北観音山・南観音山・鷹山の4基が曳山。<br /><br />他の山は舁山(かきやま)と呼ばれ、重さは1.2トンから1.6トンで、曳き手は14人から24人。前祭の螳螂山・保昌山・孟宗山・占出山・山伏山・白楽天山・霰天神山・郭巨山・伯牙山・芦刈山・木賊山・油天神山・太子山の13基と後祭の鈴鹿山・浄妙山・橋弁慶山・役行者山・黒主山・鯉山・八幡山の7基の合計20基が舁山。ただし、螳螂山・浄妙山・橋弁慶山と船鉾の船鉾・大船鉾の合計5基には真木(真松)がなく、山洞もないため、屋台として分類されることもある。<br /><br />山鉾の巡行は神輿が八坂神社境内から御旅所へ向かう神幸祭と境内に戻る還幸祭で通る道をあらかじめ清める意味合いがあり、元々は前祭も後祭も共に右回りで、前祭は四条烏丸から四条通を進む、寺町通を南に下がって松原通を西進して烏丸松原まで、後祭は三条烏丸から三条通を進み、寺町通を下がり四条通を西進して四条新町までだった。<br /><br />1956年、前祭は寺町通を上がって御池通を西進するように変更され、さらに1961年からは現在と同じ河原町通を上がるコースとなった。また、1966年には後祭の巡行がなくなり、前祭との合同巡行になった。これらのコース変更の理由は、車社会の到来。昭和30年代からモータリゼーションが進み、交通渋滞の元になる山鉾巡行をよりスムーズに行えるように変更した。<br /><br />後祭が復活したのは2014年。私は京都の地の人間ではないので、京都に来てからずっと巡行は17日だけだったので、元々分けられてたんだと初めて知った次第だった。なお、後祭の復活は祭を本来の姿に戻すという意味のほか、山鉾の復活に伴って巡行時間が掛かるようになったことや、宵山や巡行の観客集中を分散化する狙いもあった。<br /><br />あと、ことわざで「時機を逃して用を成さない」ことを「後の祭り」と云うが、異説もあるが、祇園祭の後祭から来ていると云われる。前祭は豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、後祭では山鉾の数が少なく小規模であることから、前祭を見逃して残るは後祭しかないような状況を指すと云うこと。<br /><br />9時半、いよいよ祇園祭後祭の山鉾巡行スタート。京都に住むようになって50年近く、町内のオフィスに勤めてた時期もあったので、宵山期間には何度も行ったことがあるが、山鉾の巡行を見るのは前祭含めて初めて。<br /><br />烏丸御池をスタートした後祭の巡行は先導のパトカー、祇園会の幟に続いて現在(2023年)は11基の山鉾が続く。巡行の順番はくじ取らずの山鉾を除いては、7月2日に京都市役所・市会議場で行われる巡行の順番を決めるくじ取り式で決まる。くじ取り式は室町時代の1500年頃に先陣争いを防ぐ為に行われたのが始まりで、かつては六角堂で行われていた。<br /><br />全34基のうち10基は慣例で順番が決まっているくじ取らずで、後祭の11基のうち、橋弁慶山、北観音山、南観音山、鷹山、大船鉾の5基がくじ取らず。ただし、北観音山と南観音山は今年(2023年)から隔年で2番目・6番目を入れ替わって巡行するようになった。<br /><br />10時15分頃、最後のパトカーが通り過ぎて11基の巡行は終了。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10036459326424001&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />各山鉾の話に続く

京都 祇園祭(Gion Festival,Kyoto,Japan)

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2023/07/24 - 2023/07/24

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旅行記グループ 祇園祭

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年7月24日(月)に後祭の山鉾巡行を見に行った祇園祭の話。改めてだが、四条通の東の突き当りにある八坂神社(祇園社)の祭礼で、毎年7月の1ヶ月間に渡って行われる。一般には17日の前祭(さきのまつり)、24日の後祭(あとのまつり)の山鉾巡行とそれぞれの宵山(よいやま)が有名だが、多彩な行事が1ヶ月間に行われる。八坂神社については以下の旅行記を参照。
https://4travel.jp/travelogue/11809736

平安時代の869年に疫病・災厄の除去を祈った御霊会(ごりょうえ)を始まりとする。その後、祇園社の興隆と共に祇園御霊会と呼ばれ、この呼び方が略されて祇園会となる。当初は不定期開催だったが、約100年後の970年からは毎年6月14日に行われるようになる。

室町時代、応仁の乱で都は焼野原となり、祇園会も長い中断の憂き目に遭うが、1500年に町衆により再興される。1533年には一向一揆に際して幕府に神事停止を命じられるが、神事停止と関わりなく町衆により山鉾巡行は行われた。

山鉾が現在のような形になり、豪華な飾りを付けるようになったのは、桃山時代から江戸時代に掛けて。特に江戸後期の化政文化の時代には山鉾の大型化、部品・懸装品の華美化が進み、曳山の多くも仮屋根から、鉾と変わりない千鳥破風を掛けるようになった。

江戸末期から明治維新の混乱期に断絶した山鉾も多く、また1872年(明治5年)の山鉾巡行を支えていた寄町制度の廃止で存続が危ぶまれた時期もあり、1942年までコレラの影響による延期もあったが、山鉾の維持と巡行は続いた。なお、太陽暦の採用に伴い、1877年(明治10年)に前祭の巡行日が7月17日、後祭の巡行日が7月24日に改められた。

戦争によって中止となっていた祭りも1947年には長刀鉾と月鉾が建てられ,長刀鉾のみ巡行を行った。しかし、1952年には当時の全山鉾(29基)の巡行が復活。その後休山が徐々に復活し、2019年に鷹山が唐櫃巡行で復活し、現在は前祭23基、後祭11基の合計34基で、休山は布袋山の1基だけとなっている。

山鉾には大きく分けて鉾と山がある。鉾は真木が立ち、車輪付きで囃子方を乗せて綱で引くもの。屋根までの高さが約8m、鉾頭までが約25mで、重さは約12トンある。囃子方の他に全面で指揮をする音頭取が2人(辻廻しの時は4人)、電線などの障害を調整する屋根方が4人、舵を取る車方1人が乗車する。曳き手は40人から50人。

ただし、船鉾と傘鉾は特殊で真木がなく、文字通り形が船や傘で、傘鉾に人は乗れない。前祭の長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾の6基で、船鉾は前祭の船鉾と後祭の大船鉾の2基、傘鉾は前祭の綾傘鉾・四条傘鉾の2基。

山は真木がなく、車輪がなく、囃子方は乗らず人が担ぐ(補助輪付きで押す)もの。ただし、山でも曳山(ひきやま)と呼ばれるものは基本的に鉾と同じで、真木の代わりに真松がある。前祭の岩戸山と後祭の北観音山・南観音山・鷹山の4基が曳山。

他の山は舁山(かきやま)と呼ばれ、重さは1.2トンから1.6トンで、曳き手は14人から24人。前祭の螳螂山・保昌山・孟宗山・占出山・山伏山・白楽天山・霰天神山・郭巨山・伯牙山・芦刈山・木賊山・油天神山・太子山の13基と後祭の鈴鹿山・浄妙山・橋弁慶山・役行者山・黒主山・鯉山・八幡山の7基の合計20基が舁山。ただし、螳螂山・浄妙山・橋弁慶山と船鉾の船鉾・大船鉾の合計5基には真木(真松)がなく、山洞もないため、屋台として分類されることもある。

山鉾の巡行は神輿が八坂神社境内から御旅所へ向かう神幸祭と境内に戻る還幸祭で通る道をあらかじめ清める意味合いがあり、元々は前祭も後祭も共に右回りで、前祭は四条烏丸から四条通を進む、寺町通を南に下がって松原通を西進して烏丸松原まで、後祭は三条烏丸から三条通を進み、寺町通を下がり四条通を西進して四条新町までだった。

1956年、前祭は寺町通を上がって御池通を西進するように変更され、さらに1961年からは現在と同じ河原町通を上がるコースとなった。また、1966年には後祭の巡行がなくなり、前祭との合同巡行になった。これらのコース変更の理由は、車社会の到来。昭和30年代からモータリゼーションが進み、交通渋滞の元になる山鉾巡行をよりスムーズに行えるように変更した。

後祭が復活したのは2014年。私は京都の地の人間ではないので、京都に来てからずっと巡行は17日だけだったので、元々分けられてたんだと初めて知った次第だった。なお、後祭の復活は祭を本来の姿に戻すという意味のほか、山鉾の復活に伴って巡行時間が掛かるようになったことや、宵山や巡行の観客集中を分散化する狙いもあった。

あと、ことわざで「時機を逃して用を成さない」ことを「後の祭り」と云うが、異説もあるが、祇園祭の後祭から来ていると云われる。前祭は豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、後祭では山鉾の数が少なく小規模であることから、前祭を見逃して残るは後祭しかないような状況を指すと云うこと。

9時半、いよいよ祇園祭後祭の山鉾巡行スタート。京都に住むようになって50年近く、町内のオフィスに勤めてた時期もあったので、宵山期間には何度も行ったことがあるが、山鉾の巡行を見るのは前祭含めて初めて。

烏丸御池をスタートした後祭の巡行は先導のパトカー、祇園会の幟に続いて現在(2023年)は11基の山鉾が続く。巡行の順番はくじ取らずの山鉾を除いては、7月2日に京都市役所・市会議場で行われる巡行の順番を決めるくじ取り式で決まる。くじ取り式は室町時代の1500年頃に先陣争いを防ぐ為に行われたのが始まりで、かつては六角堂で行われていた。

全34基のうち10基は慣例で順番が決まっているくじ取らずで、後祭の11基のうち、橋弁慶山、北観音山、南観音山、鷹山、大船鉾の5基がくじ取らず。ただし、北観音山と南観音山は今年(2023年)から隔年で2番目・6番目を入れ替わって巡行するようになった。

10時15分頃、最後のパトカーが通り過ぎて11基の巡行は終了。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10036459326424001&type=1&l=223fe1adec


各山鉾の話に続く

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