2023/07/24 - 2023/07/24
4260位(同エリア4366件中)
ちふゆさん
2023年7月24日(月)朝に観覧した祇園祭後祭山鉾巡行に参加した11基について記す。まず最初に来たのは舁山の橋弁慶山。山洞がないので屋台にも分類される。牛若丸と弁慶が五条大橋の上で戦う姿を表わしており、数ある義経の物語の中の謡曲「橋弁慶」を題材としている。
1962年に重要有形民俗文化財指定の指定を受けた鉾7基・曳山3基・舁山19基の一つ。室町時代の狂言「鬮(くじ)罪人」のその年の祇園祭の趣向を相談する話の中に橋弁慶山が登場しており、その当時から存在していたことが伺える。
橋弁慶町町家は蛸薬師通の烏丸通から室町通の間の20件ほどの山鉾町。1979年に重要無形民俗文化財指定の指定を受けた7山鉾町の一つ。龍吐水と呼ばれる消火用のポンプが店内に展示されているマエダコーヒー本店やカフェダイニングなどのflowing KARASUMA、和食のわかしろ、担担麺のKAKEGOEや和彩食のむらなどの店もある。すぐ近くのオフィスに結構長く勤めてたが、どこも知らない。
1500年(明応9年)の巡行の順番を決める際、理由は定かではないが「先規(先の規定)ヨリ一番也」と記され、山の中で唯一くじ取らずで、応仁の乱前より後祭の一番先頭を行く特権を確保していた。
1872年(明治5年)に北観音山が復興された際、編成上の都合で北観音山に後祭の先頭を譲ることになり、舁山で一番となり、1966年の前祭・後祭一本化で全体の25番目(後祭2番目)に巡行することになったが、2012年に大船鉾の再興により約140年前の巡行順が復活し、橋弁慶山は後祭の先頭として24番目に巡行した。そして2014年の後祭復活で後祭先頭に復帰した。
山の上には上述のように五条大橋の上の牛若丸と弁慶。橋の欄干は黒漆塗反り橋で橋板も艶々と磨かれている。左右四本ずつ親柱があり、金鍍金の擬宝珠が付いている。牛若丸は髪を巻き上げ、引き締まった面持ちで、橋の欄干の擬宝珠の尖端に左足の足駄金具一本の前歯で立ち、右足を後に跳ね上げている。
弁慶は鎧姿で褐色の御顔に鉢巻を締め、眉を吊り上げ目を開き、驚きと困惑の混ざった表情で、朱塗蛭巻脇差と1.8mの黒漆塗長刀を帯びている。また、力縄と呼ばれる太い縄を両手足に一巻きしているが、この縄は毎年綯われているもので、弁慶の勇敢な姿にあやかり、心身ともに強健でありますようにという願いが込められている。
牛若丸の人形には永禄6年(1563年)大仏師康運作の銘が、足の鉄串には天文丁酉(1537年)右近信国の銘がある。また、右手に持つ太刀は近江守久道の作と云われている。弁慶の人形にも永禄6年(1563年)大仏師康運作の銘がある。弁慶の長刀の刀身は長さ74.6cm、反りは2.8cm、備前盛光作で京都国立博物館に収蔵されている。
前掛は、以前は中国明頃の雲龍波濤文様の綴錦だったが、1983年に富岡鉄斎の作「椿石霊鳥図」に新調された。原画は清荒神所蔵の衝立。本綴錦は原画と同寸法に織成されていて、原画の高雅な趣きを十二分に伝えている。
胴掛は葵祭の路頭の儀を絵巻風にしたもので、牛車、近衛使、検非遣使などが描かれた「加茂祭礼行列図綴錦」で円山応挙の下絵とされる。1809年に制作された綴織胴懸を2011年に復元新調した。
胴掛上部の水引は2012年に復元新調した唐子嬉遊図。唐子遊びを描いており、子孫繁栄を祈念する吉兆図。下部の織物は、中国民末清初期に制作された刻絲と呼ばれる幟状の綴織で、文化年間に裁断し横に継がれて水引に仕立てられたと推定される。縦長の綴織を横長の水引に仕立直した工夫の跡が随所にうかがえる。後掛は江戸末期の雲龍図刺繍。
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続いて曳山の南観音山。楊柳観音像と善財童子像をお祀りする。楊柳観音は三十三観音の一観音で、病苦からの救済を使命としている。右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と云われる。巡行前夜には、この楊柳観音像を蓮台に載せて町内を駆け回る「あばれ観音」という行事が行われる。
善財童子は華厳教の説話に記された童子の姿をした菩薩。童子は法を求めて南へ南へと53人の聖者を訪ね、28番目の南海の辺に住む美しい観音にはあらゆる苦悩から人々を救うことを教えられ、最後の普賢菩薩からは十大願を聞き、阿弥陀浄土に往生することを願うようになった。仏法修業の段階を表すと共に、指南や東海道五十三次の語源にもなった。
起源は明確ではないが、室町時代中期の応仁の乱前の山鉾と地名を記した文献には「普陀落山(錦小路町と四条坊門間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと云われている。かつては舁山だったが曳山に改められた。
鉾町は新町通の蛸薬師通と錦小路通の間の百足(むかで)屋町。江戸時代に「百足屋」と云う豪商があったことから町名になった。京都の商いの中心地。なお、現在も「百足屋」と云う料理屋があるが、それとは全く関係ない。蛸薬師通の北の北観音山とセットで、京都の上ル下ルに由来する下り観音山とも呼ばれる。
くじ取らずの山鉾で、江戸時代は北観音山と隔年交代で巡行していたが、明治以来毎年出ることになり、後祭の山鉾巡行の最後を締めくくっていた。しかし、その後大船鉾の復活と後祭の復活で、後祭の6番目に巡行するようになり、さらに2023年からは北観音山と交互に2番目と6番目を行くことになった。
山鉾は高さ約17.24m・長さ約6.55m・幅約4.45mで、総重量約9.54トン。最小回転半径は約5.90m。祇園囃子を奏でる囃子方が乗り、諸病を防ぐ大柳の枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉を付けている。
真松(松の木)は舁山の頃の名残りで、松の横枝には鳩を付けている。なおこの松の木は鳴滝から毎年2本届けられ、7月19日の松取式で南観音山と北観音山がクジを引いて選ぶ。クジで勝った山は「良い松を選べた」、負けた山は「良い松を残してもらった」と云うのが慣例になっている。
御神体の楊柳観音座像は鎌倉時代に造られ、恵心僧都・源信作と云われていたが、江戸時代後期の1788年の天明の大火によって頭胸部以外が焼失し、その後復元された。そのため、像は宝冠をかぶりながら坐像という形になっている。善財童子像も江戸時代の作。
前掛は異无須織と伝える華麗なペルシャ絹緞通の逸品で、天水引は塩川文麟下絵の「緋羅紗地 四神図」肉入刺繍で、近年復元新調された。その下に、下水引、二番水引、三番水引を伴う。下水引の飛天奏楽は加山又造の原画(以前は土佐光孚の下絵による舞楽図刺繍だった)。
胴掛はペルシャ花文段通。見送は中国・明時代の雲中青海波文様の綴錦だったが、1988年に加山又造作の王渡海図を新調し使用している。後懸のインド絨毯は以前は江戸時代中期の1684年の年号があり、日本最古のインド更紗と云われていたものが使われていたが、2010年にイラン製の「中東連花水辺に魚文様」絨毯に代えられた。
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3基目の浄妙山に続く
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