2023/06/01 - 2023/06/07
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薔薇の咲く庭さん
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フランスのジュベルニーにあるクロード・モネの庭へいつか行きたいと思っていましたが、もう行けそうにないので、日本の北川村にあるモネの庭へ行くことにしました。
せっかく四国まで行くのでモネの庭に行くだけではなく、行ってみたかった四万十川や牧野植物園、小豆島へも行く計画を立てました。
睡蓮の花が昨年満開になったのは6月5日。その日にモネの庭へ合わせていくことにしました。しかし、岡山まで行った次の日に季節外れの台風2号のために線状降水帯が四国にかかり、大雨のため土讃線が不通になり、琴平で土讃線の開通を待つという大幅な予定変更をせざるを得ない旅となりました。
飛行機ではなく陸上を行く方法を取り新幹線を使った長旅です。
6月1日 岡山城
6月2日 後楽園 金刀比羅宮
6月3日 牧野植物園 桂ヶ浜 はりまや橋
6月4日 北川村 モネの庭 マルモッタン
6月5日 高松城
6月6日 小豆島 オリーブ公園 マルキン醤油記念館 二十四の瞳映画村
6月7日 帰宅
この旅行記は高松城の旅行記です。ご覧いただけると幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿泊したホテルの朝食です。別にどうと言う事は無いのかもしれませんが、魚焼きの網の上に、魚の切り身があったのが印象的です。
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アジの切り身です。焼きたてを食べられたので印象が深くなりました。
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このホテルは、モネの庭の宿泊客のために建てられているようで、宿泊した前日の予約はいっぱいで取れませんでした。ここに予約が取れたので、モネの庭に行く日が決められた感じです。
土讃線が不通になって、予定を変更してモネの庭に行く日が1日早くなりましたが、予定通りの宿泊ができたのでラッキーです。何故かダイニングルームは閑散としていました。ツアーが入れば満席になるのでしょう。 -
ホテルの車が送ってくれて、奈半利の駅に出てきました。
奈半利駅 駅
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駅員さんはいません。券売機で御免駅までのチケットを買いました。今日は高松まで行くのですが、土佐くろしお鉄道の切符しか買えませんでした。
誰もいないので少し不安になります。 -
周辺の地図が駅に掲示されていました。ここは奈半利町と言う名前の場所のようです。北川村は北の方角にあって、奈半利駅とは管轄が違いました。
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北川村のマップもあります。中村慎太郎の故郷だそうです。
確かに、四季折々の豊かな自然に恵まれた村だと思います。 -
奈半利駅を9時50分に出る電車に乗る予定です。まだ電車は入線して来ません。といっても、ここは折り返しの終点の駅なので、高知方面から来る電車を待ちました。
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今度来た電車は普通の電車で、昨日の「しんたろう号」という名前の観光用列車ではありませんでした。早く高松に着きたいのでやれやれと思いました。
土佐くろしお鉄道 ごめんなはり線 (阿佐線) 乗り物
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電車が走っていく線路は全て高架になっていました。津波対策です。
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誰も乗客がいないので、この線路は過疎地帯を走っているのだなぁと思いました。ここから都会へ出るのは大変なことです。
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海の景色はとても素晴らしいのですが。
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一部分だけ高架でないところを走りました。よく見ると海側に防波堤がありました。高い防波堤で海は見ません。なるほど、津波対策をしているところは高架にはなっていないのです。
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聞き覚えのある名前の駅にきました。お相撲さんで確かこの名前がついた関取がいたはずです。
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多分ここの出身なのでしょう。彼のおかげで、この駅は全国に知られている駅の名前だと思います。
安芸駅 駅
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ここでしばらく電車が停車しました。線路が何本もあって、土佐くろしお鉄道の主要な駅になっているようです。電車を降りて写真を撮りました。
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乗ってきた電車はこの電車です。出発する前にまた乗ります。御免駅まで行くのです。
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電車の中を見ると、こんな広告がありました。「土佐くろシニアパス」65歳以上のお年寄りが奈半利と安芸の間を自由に行き来できる定期券です。この線路は地域の人にとっては大事な大動脈なんですね。
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電車はやがて動き出しました。海岸の方を見ると、何とも言えずに南国的な情緒にある海岸が見えます。暖かいんですね。
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土佐くろしお鉄道で御免駅まで来ました。ここでJRの土讃線に乗り換えて宇多津まで行きます。
1時間に一本または二本しか走っていない土佐くろしお鉄道です。 -
御免駅で一旦改札を出て、JRの高松までの切符を買いました。奈半利駅では高松まで買うことができなかったからです。
南風12号岡山行、11時22分発の電車を待ちます。 -
10分ぐらい時間があったので、御免駅の写真を撮りました。
「御免駅」は面白い名前ですものね。言いそびれてしまう言葉かもしれません。 -
時刻通りに南風12号は御免駅に到着しました。ガラガラに空いていました。
3日前のあの混み様が嘘のようです。土讃線が1日運休したために指定席が満席になり、その上ダブルブッキングもあり溢れかえっていました。 -
吉野川の川の流れの中に、大歩危と言う名勝があるそうです。岡山のホテルであった人が「大歩危の観光に来た」と言っていたことを思い出しました。どんな所なのかちょっと興味が湧きます。琴平から高知に向かう時には、そんな余裕は全くありませんでした。
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駅に掲示してある写真を見ると、確かにとても素敵な渓流のようです。雪化粧をするとこのような景色になるようです。でもここは四国なので雪化粧なんてあるのでしょうか?
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窓の外をしっかり見ていると、確かに渓流は美しい流れでした。水の色が緑色でなので神秘的な感じがします。
大歩危 小歩危 自然・景勝地
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線路に沿って道路も作られているようです。風光明媚な景色が川の両側に広がっています。
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なかなか素敵ですね。
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やがて琴平に到着しました。とても懐かしい気持ちがしました。当日の飛び込み予約で、泊めてくれたホテル琴参閣に感謝です。
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やがて丸亀に出てきました。丸い亀と言う名前が面白い。小学生の頃新どんな場所なんだろうと名前から地域を想像しました。まぁ普通の駅でした。
丸亀駅 駅
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駅の案内板を見ると、讃岐富士と呼ばれる山が南東5キロメートルのところにあるそうです。どんな山でしょう?
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電車が動きだすと、それらしき山が見えてきました。山の頂が少し白くなっています。これが讃岐富士でしょうか?確かにそんな感じもします。
飯野山(讃岐富士) 自然・景勝地
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宇多津に着きました。
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宇多津に着いたのは午後1時5分。快速サンポート南風リレー号に乗り継ぎます。
思えば、宇多津の駅まで来て土讃線が不通になっている状態が分かり、今後どうするか考えあぐねていた数日前が嘘のようです。今度は順調に高松まで行くことができます。宇多津駅 駅
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電車が来ました。当たり前のようですが、これはかなり大変なことなのだと思いました。
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快速サンポート南風リレー号に乗ると、再び讃岐富士のような山が見えてきました。方向がよくわからないので、讃岐富士の周りを回ってきたのかもしれません。
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見覚えのある駅高松駅です。やっと着きました。奈半利からは遠かった!
高松駅 駅
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ここへ来たら食べたいものは讃岐うどんです。駅ビルの中にあるうどん屋さんに入って昼食を食べました。おいしかったです。
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さて、今夜の宿はJRクレメント高松です。駅を降りるとすぐ目の前に見えました。
ホテルを探して歩く必要がないのでやれやれです。 -
会員になっているので、アーリーチェックインができました。
最上階は大浴場になっています。そのすぐ下の階のお部屋でした。なんとお部屋から見ると、屋久島が見えるではありませんか!眺めは最高です。 -
ホテルに荷物を置いて、明日行くことになっている小豆島の土庄港へ向かう船の確認に行きました。
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高松港です。酔い止め薬も購入して準備万端。
高松港 乗り物
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明日は9時10分発の高速船に乗ります。小豆島と高松はなんと35分で移動できるのです。驚きました。高速船は早いのですね。チケットは、当日の乗船20分前でないと販売しないことがわかりました。出航できない場合もあるからでしょう。
高松港旅客ターミナルビル 乗り物
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明日の予定が立ったので、高松城へと向かいました。西門から入ります。
史跡高松城跡(玉藻公園) 公園・植物園
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中に入ると、広々としたお城でした。このお城は1587年に豊臣秀吉から讃岐1国を与えられた生駒親正が築城に着手した平城です。瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本三大水城の一つと言われています。
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地図から考えると二の丸跡と思います。よく手入れがされていました。
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本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋の鞘橋に出てきました。築城当時は欄干橋だったそうですが、江戸時代中期にはこのような屋根付きの橋になったそうです。
橋を渡ります。 -
端から見える天守台です。水は内堀です。
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右側を見て驚きました。琴電の高松築港駅のホームが見えます。ここから琴平まで行くことができたのです。思わぬところで金比羅宮とつながっているので驚きました。
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もう少しで鞘橋を渡りきます。天守台が近づいてきました。
本丸に行く方法は、この橋を渡る方法しかないので、いざと言うときには、この端を落として本丸を守ったのでしょう。 -
高松城が水城であることがよくわかります。本丸の反対側にかなり広い三の丸の陸地が見えています。
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本丸跡に出てきました。ここには観光している人の姿が見えました。
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こんな注意書きがありました。この階段は江戸時代の遺構を復元したものだそうです。
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階段を上ると、確かに不揃いの高さの石が並んでいました。
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平成17年から平成25年にかけて行われた天守台の修復工事で、地下の1階部分から58個の礎石が当時のままで現れたそうです。その1部らしき石が展示されていました。
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天守台からの眺めです。三の丸がよく見えます。城主または重臣でなければ、見ることができなかった眺めです。
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天守台の海へとつながる内堀の先には水門が見えました。堀が海へとつながっているので、潮の干満による水調節のため水門が設けられていたそうです。
堀には鯛や、ヒラメなど海の魚がいるそうです。海とつながっているので、堀の中で魚が泳ぐことができるのですね。 -
拡大してみました。パンフレットによると、体の餌やり体験を船を浮かべて行われるそうです。
水門のある内堀は珍しいですね。 -
江戸時代と現代とか微妙なバランスでつり合っている感じがします。二の丸の向こう側に見える高いビルは宿泊しているJRのホテルです。
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明日の予定の小豆島へ向かう船が海の向こうに見えないかとしばらく眺めていました。出航時刻に天守台の上にいたからです。しかし、見ることができませんでした。次の日に方向が違っていることがわかりました。
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高松城の歴史を開設した掲示がありました。
築城した生駒氏の治世は54年でお家騒動で終わってしまったんですね。
天守が老朽化を理由に明治17年1884年に解体されています。 -
天守台石垣も築城から420年を経過していて、石材の割れや抜けなど痛みが著しくて崩落の危険性が高かったそうです。平成24年に修復工事が終了して、後世に残すことができるようになりました。大掛かりな工事だったんですね。
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ここから見る鞘橋の眺めはとても素敵です。絵になる風景です。
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二の丸を拡大してみました。
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二の丸とは反対の方角の景色です。
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高松城天守の説明がありました。
かって3重5階の天守が立っていたそうです。生駒期の後の藩主となった松平頼茂が天守を改築したそうです。 -
石垣修復、工事の時に、天守台の発掘調査を行い、地下に東西13.6メートル、南北、12.2メートルの空間に、「田」の字状に52個の礎石が並べられていたことがわかりました。礎石で区切られた4カ所の区画中央にそれぞれ柱が建てられていたそうです。
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地下1階が、当時の寸法で東西六間、南北五間であることが判明したそうです。
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なるほどこんな感じの天守が立っていたんですね。
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老朽化により、明治17年(1884年)に取り壊されて、その後に初代藩主松平頼重を奉る玉藻廟が建築されていたそうです。その写真も展示されていました。
後で資料を調べてわかったことですが、松平頼重は水戸黄門の弟にあたるそうです。
徳川家康の孫であり、将軍家と近親の関係にあった頼重は、中国四国の監察役を命じられていたと言われています。 -
この寸法は、小神野筆帖と言う文献に記された内容と合致しているそうで、文献の記載が正確であることが判明したそうです。しかし内部の階段の位置や内装についての情報は未だに得られていないとの事でした。
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どこかで見たことがあるお城に似ています。どこで見たかは思い出せません。
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掲示板を見て知識を得た後に、礎石を見ると親しみを感じます。
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展望台デッキから見た二の丸とは反対側の景色です。高いビルが立ち並んでいます。
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天守台からの眺めが、このように変化するとは、築城当時は想像もしなかったでしょう。
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天守台展望、デッキからの眺め。
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天守台展望デッキからの眺め。
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香川県立ミュージアムに高松城下図屏風があるそうですが、そこに高松城が描かれています。現在地が記されていて、江戸時代と現在とを結びつけています。
今ちょうど天守台のところにいます。
かっては外堀もあり、大きな城だったんですね。 -
天守台に上る階段をゆっくり降りました。見上げるとこんな感じの階段です。
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水門を近くから見たいと思い水門へ向かいました。通路は直角に曲がっています。攻めてきた敵を減速させるための工夫ですね。
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三の丸から二の丸に入る門としてかって鉄門があったそうです。
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再び高松城下図屏風に戻ります。城内にはこの屏風を使って説明書きがありました。
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1640年代中頃の高松町の様子を描いた屏風だそうです。堀に船が描かれています。
藩主が堀を遊覧した可能性があるそうです。そういえば堀を遊覧することができた城として彦根城があったことを思い出しました。 -
外海の瀬戸内海には軍艦が描かれています。飛龍丸と言う名前の軍船で、藩主が乗船して参勤交代などに使われたそうです。大きな帆に○が描かれていて、高松藩の目印になっていたそうです。全長31.8メートル、艪は52あったそうです。
参勤交代を軍船で行くなどと、将軍の近親でなければありえないことですね。 -
水門のところに出てきました。先程の天守台がよく見えます。ちょうど反対側です。
水門自体は見ることができませんでした。真下を覗き込むことができません。
高松城は、北は瀬戸内海、外の3方に堀を巡らせた海城で日本三大水城の1つです。海上から見ると、その威容は素晴らしいものだそうです。
しかし、城の北側も、明治時代の度重なる築港工事に伴う海の埋め立てにより海と接しないようになりました。現在は堀と海はこの水路によってのみつながっているそうです。 -
三の丸を右手に見ながら、月見櫓へ向かってみることにしました。
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三の丸には飛雲閣庭園があり、江戸時代の庭園の1部が残っているそうです。後で見ることにしましょう。
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向かう途中で櫓がありました。地図で調べてみましたが、名前は分かりません。
月見櫓のところまで行ってみると、地図があってわかりました。武櫓跡の場所に立ててある櫓です。 -
月見櫓のところまで来てみると、なんと通行止めです。
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残念! 7月10日まで入場はできません。
今日は6月の4日。あと1ヵ月くらいは見ることが出来ません。 -
ここで収穫できたのは、園内案内図です。
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ここには、月見櫓と続櫓、渡櫓と水手御門があります。NHKのブラタモリで水手御門は海へ出ることができる門であることを紹介していたことを思い出しました。本物をみたかったのでとても残念です。海の大手門を見たかったです。
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次に飛雲閣へと向かいました。松平藩時代にも現在の場所に飛雲閣と呼ばれる建物があったそうです。藩の政庁、藩主の住居として使われていました。明治時代に老朽化によって取り壊しされてしまったそうです。その後大正6年(1917年)に現在の飛雲閣が完成しました。
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142帖の大書院があるそうです。
第二次世界大戦後、しばらく占領軍に接収されていましたが、高松市が譲り受けて、現在は貸し会場として茶会、華展などに利用されているそうです。
確かに大きな建物でした。史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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飛雲閣の建物の1部。
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お庭も素晴らしく、枯山水の庭です。江戸時代の庭園の1部が残っているそうですが、どこなのかはよくわかりませんでした。石灯籠の立派なのがありました。
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この橋は、1つの花崗岩をくりぬいて作った橋だそうです。枯川の中程にありました。
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重量11トンあまりと言われる大型の手水鉢かと思われます。もう少し近づいてはっきりとした形を撮ってくればよかったと思います。
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庭園内は、経路に沿って飛び石が縦横に配されていました。
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飛雲閣の南側には、まだまだたくさんの高松城の見所があることが、旅行記を書く段階になってわかりました。この日は次の日のことを考えて早めに切り上げてしまいました。十分に下調べをしないで行くと後で残念な思いをします。
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ともあれ、今日も1日良い旅行ができました。土讃線が不通になってしまったことを考えると、高松まで来て、明日は最終目的地の小豆島に行くことができるので、祝したいと思います。 かんぱーい!
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ホテルの1階にあるお店で夕食を食べました。ここの太巻きの太かったことは驚きでした。海鮮がたくさん入っていてとてもおいしかったです。
~旅は続く~
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