2008/01/04 - 2008/01/10
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コロコロパッカーさん
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ウガンダから歩いてルワンダへ入国。
私が行ったのは2008年で、ほんの10年ほど前にツチ族とフツ族の間で大量虐殺が行われていた場所です。
虐殺メモリアルの記録はなかなかキツイですが、負の遺産の記録としてしっかりと日記に書かれていたので、ここに書き起こしておくことにします。
・・・・・・
ここの国境も、ほかの国境同様、ここも物乞いの人がいるのだが、この国境にいる人は他の国の人よりも痩せていた。
キガリまでの道はガタガタ、牛がのっそり、ウガンダの後だけに不安を煽る。
ルワンダのイメージと言うと。
ウガンダから続くので、国土はきっときれいだろう。
しかし虐殺後、わずか10年弱しか経っていない。本当に正直に書くと、この国の国民性に少し不安があった。怖い人たちじゃないといいけれど。
(なんてことを書けば、日本人だって怖がられる対象になる。悪いのは国民ではなく、争いを仕掛ける政治家や軍人だと頭では分かっているが・・・ついこの間までジェノサイドが行われていた場所に立ち入るのはもちろん初めての経験で、冷静ではいられなかったと思う。)
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1月4日
イミグレーションの職員がガンジャマークのTシャツを着ていた・・・。
公務員としてどうなのよ。
(ちなみにブルンジのイミグレ職員は全員ジャージ姿でジョギングしていて不在www自由だわ)
物売りの子たちはみんなお揃いのユニフォームを着ていた。統制されているのか。
加えて、エボラのチェックも。エボラはこの時期ウガンダに発生していたらしく、問診を受け、エボラの警告シートをもらった。
※エボラ出血熱は空気感染はしません。インキュベーション(潜伏期間?)あり。
患者と密に接触する人は危険。
院内感染もあり、感染すると鼻血を始めとした異常出血が起こる。
ゴリラで有名なフォードポータル地方で発生したらしい。
そうこう言ってる間に雨。
国境からの道は多分ルワンダで通った道の中で1番悪路だったと思う。
それも最初だけ。
すぐに茶畑の巨大プランテーションが現れ、それが延々と続く。
茶畑で働く人々も見かけた。
アフリカで初めて見た、それらしいプランテーションだ。
キガリまでは大体1時間。道中ずっと緑豊かな山と茶畑だった。
写真はキガリでなかなかよかった安宿、NEW MODERN GUESTHOUSE -
キガリ到着。
こじんまりとした街で、丘の上に多少のビルが見えるが、ウガンダよりずいぶん小さく見えた。
ルワンダの大地は広いのに、何もこんなところに首都を作らなくても、と言う狭い場所だった。
キガリの最初の印象は小綺麗と言う感じ。
坂道が多く、ロータリーはガーデニングが施されていた。
ちょっとしたカフェもあって明るいイメージ。
ルワンダってこんなにおしゃれなの?
これはフランスの影響?
カフェもカラフルで、街路樹もきれい。 -
旅行人に載っていた最初の安宿は水が出ず、管理人もやる気がなかったのでがっかり。
ロンプラでリコメンドされていた別の宿を探す。
路地を一歩中に入ると舗装されていないし、若干不安だったが、地元の人に案内してもらい、モダンゲストハウスと言う宿にチェックイン。
バスルームはあまり良くないが、まぁ一応洗濯はしているみたいだし、実際毎朝手洗いをがんばっていた。
枕はセーラームーン柄。 -
荷物を置いたら早速お食事タイム、フランスの力を見せてくれ。
目の前の食堂に入ってみたら、いい匂い。なんと、ここはビュッフェスタイルだった。
トマトで煮込んで少し崩れたマトケ、コールスローに手作りマヨネーズ付、牛肉のシチュー(これはとっても良いお味)、ライス、そしてフライドポテト、後は、スクマのペースト、これは焦げた味がした。
右下はマトケと温野菜の胡麻和え。これ和食だよ。
アフリカでこんなに種類の多い食事をしたのは始めてなのでうれしかった。
そして、フランス植民地だった国は大抵ご飯がおいしくて○
しかもこれで150円ぐらい。
ビールもうまいじゃないか。
ルワンダ、もう気に入った。 -
テーブルクロスがおにぎり柄でした。大葉で巻いたおにぎりと、ゆかりおにぎり、なかなか渋いよ。
(キガリの人はこれが日本のトラディショナルフードだってことをご存じなのだろうか・・・) -
ショッピングモールも見物。ATMはあるが国際キャッシュカードは使えないらしい。
キャッシングなら銀行でできるらしいと聞き、銀行も行ってみた。
みんなきれいな服でウェスタナイズされた。
だがしかし国際キャッシュカードは使えず。
突然ハッピーバースデーが流れたと思ったら、チーフの誕生日らしくケーキとプレゼントが登場。デジカメ持って撮影している子もいる。
銀行員はよっぽどいいステータスの人たちなんだろう。って、今仕事中ですよね。 -
1階にはスタバのようなカフェ。
コーヒー1杯1ドル位だから、高くはない。
ネットもできるし、ボディーショップのようなコスメ屋さんもある。
航空券のオフィスもあったし、携帯・下着・土産屋なども入っている。
スーパーの品揃えもよく、ベーカリーではケーキもたくさん。キッコーマンもある。
でも水とかはちょっと高い。買わないけど、見て楽しむ。 -
ケニアでももっとローカルな飲み屋さんに行ってたから、こんなピカピカな場所は久しぶりでした。
珍しくてついつい写真撮っちゃう -
ルワンダって、何でもあるんだなぁ。
(ここ以外にはほぼ何もなかった。)
ここにいる若者たちはみんなおしゃれ。
きれいな服を着て、ピザをお召し上がりになっていた。 -
この日はDRコンゴの情勢を聞きに、バイタクでイミグレーションオフィスへ。
バイタクは2人乗り、メット着用。ルワンダ政府は結構しっかりしている。
しかしこのバイタクはぶっとばす。
まだルワンドに怖いイメージもあったので、思わず肩を叩いてバイクを止めさせてしまった。ゆっくりおねがいします・・・
イミグレで、DRコンゴに関してはトランジットビザも降りないという情報を得て町に戻る。
帰りはマタツで。
イミグレ側にも街が広がっていて、実はキガリも結構大きな街だと分かった。
帰りにネットをしてみる。日本語が見られるし、良いパソコンだった。
何かとインフラがしっかりしている様子。 -
これはルワンダの写真でよく見る光景だね。
大虐殺中は、このきれいなキガリの町も血で染まっていたそうです。 -
これ、ホテルルワンダかも。ちょっと忘れてしまったが、ジェノサイドの時に人々をかくまった場所で、映画にもなっている。
-
緑が多いキガリ。懐かしいなー。
ルワンダと言ったら虐殺、PKO、難民などマイナスなイメージしかなかったけど、行ってみたらびっくり。
この時点で、暫定・東アフリカで一番お気に入りの国。
下町に戻ってきました。
夕飯はフランス人経営のテラス付レストランで。
サンドイッチはチーズ入り。せっかくフランス系なのにバケットはちょっとイマイチで残念だった。
あとオックステールの煮込みもまあまあ。
夜やっているレストランが少ないキガリ、宿の人に食べる場所を教えてくれと頼んだら、近くまでついてきてくれた。
帰りは真っ暗でちょっと怖かった。
色々とあるけど、ルワンダは概ね気に入った。
プリムスビールはとても美味しく、ボリュームもOK。 -
1月5日
朝前のレストランでお茶。
コーヒーも紅茶もポットに入ってくる。ミルクは粉。
今日は昼にビュッフェを食べるつもりで、朝は抜く。
午前中はバスターミナルをめぐり、ギセンニ・ジェノサイドミュージアム・ブルンジ行きのバスの調査。
全て調査完了し、キガリの下町散策。
サンダルや等商店は多いが、品揃えはそれほど良くは無い。でも人通りも多く賑わっていた。
花屋が多いのもキガリを明るく見せてくれる。お花で庭をいっぱいにしている家も多かった。
床屋さんでは、たくさんのおっちゃんがバリカンでセット中。
アフリカではまめに散髪に行くらしいので、女の人もおしゃれだし、床屋さんは大盛況、女の人用のネイルサロンもあって、こちらもなかなかいい感じ -
この日お昼は昨日と同じビュッフェ。
夜もも昨日と同じカフェレストランへ。行動パターンが決まってしまった。
今日はサンドイッチとチップスを1つ頼んでチーズも買う。1ドルは安い。
しかも割とおいしい。
プリムスも相変わらずとても美味しくていい。
カフェレストランの前のバーにも行ってみる。
いつもいい人が多く、ナイロビみたいに絡んでも来ないし、ぼられもしない。
宿の人も来ていて、本当はボトルを返さないとデポジットを返してもらえないけど、おかげでデポジットなしでテイクアウトできた。
ビールも安いしお気に入りだ。 -
欧米人ツーリストらしき人もちらほら
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街角ポスター
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ケニア航空のポスターかな。
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1月6日
ナイルレストランで卵とバケットの朝食。
できれば朝はオムレツとチャイが欲しい。 -
今日はジェノサイドメモリアルに行くのでちょっと気が重い。
ジャノサイドメモリアルは、NYAMATA と NYATAMARAという街にあります。
キガリからミニバスで30分ほど行った、この小さな村に、虐殺現場となった教会が残されています。
ミニバスはぎゅうぎゅう。
ニャマタまでは約1時間の旅。
とてもよく見晴らしの良い丘をいくつも越えて、あっという間にニャマタヘ。
道中たくさん教会が見えて、その度に緊張してくる。 -
日曜と言うこともあり街はひどく閑散といて、コーラ1つでさえ買える場所が見つからず。
雨も降ってきてしまった。
チャリタクのお兄ちゃんに連れられて、3分ほど離れた教会まで行ってみるも、クローズの様子。
日曜だからかな。実はかなりほっとした。
柵の向こうのレンガ造りの教会はひっそりとしていて、扉を固く閉ざしていた。
この中に何百人と言う人たちのミイラやお骨があるのか・・・
紫と白のリボンで覆われた柵が重々しい。
曇り空がさらに周りの空気をどんよりと重くしている。
この周りだけ恐ろし邪気に包まれているようだった。 -
そんな重々しい空気を破ったのは、教会からの賛美歌。ここは、現在使われているニャマタの教会。
せっかくだからと参加し、しばし牧師さんの説教に耳を傾けている人々を見物。
虐殺の際、どうすることもできなくて、最後に教会に逃げ込んだ人々の気持ちを思うと苦しくてたまらなくなりました。
NYAMATA と NYATAMARAの村だけでも何千ものツチ族が殺さたそうです。
ここに来たのは、歴史の証拠をしっかりとこの目で見るため。
気が重いが、明日また出直そう。 -
外に出ると、外国人が珍らしかったのか、たくさんの子供たちが群がってきた。
ルワンダの人はカメラ嫌いと聞いていたが、子供までカメラが嫌な様子で、レンズを向けた途端、パーっと散っていってしまった。 -
それでも何人かの悪ガキが自分の姿を写した画像を面白そうに眺めている様子を見て、他の子も徐々にカメラへの恐怖心がなくなっていったらしい。
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最後は子供に囲まれててんやわんや、大騒動になってしまった。
この子たちジェノサイドを知っているのかな。
10歳以上の子は覚えているのかもしれない。とても気の毒でならない。
今はこんなに明るい子達。この賑やかな子供の住む村も、たった10年前、血で染まったのか。 -
たくさんの子供に囲まれ帰る。
帰り道は実はかなりほっとしていた。また明日来なくてはいけないと分かっていても、さっきまでどんより暗かったメインストリートが、今は子供に囲まれててんやわんや、変なきぶん -
パイナポーだ
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最近ルワンダ出身の英語の先生と話していたら、偶然にもニャマタの人でした。
ちょうどこのとき会った子ぐらいの世代の子で、すごく穏やかでいい先生でした。
彼にこの絵にかいてある文字を翻訳してもらったんですが、子供の教育を促す言葉が書かれているそう。
なるほど、言われてみればマトケを運んで働いている子供の絵だ。
あれから15年経ってますが、今ルワンアの識字率は70%ぐらいかな。 -
内陸国でありながらIT教育に力を入れていて、アフリカの奇跡ともいわれているらしいです。
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ルワンダには「つ」の発音があるから、日本語の発音の中で一番ネックになる発音ができるよ、と言ってました。生徒で名前に「つ」が付く人に会うと、いつも先生の発音の良さに驚くと言ってました。「あつし」さんや「かず」さんは、外国人には発音しにくいですもんね。
「ツチ」族のツは、本当に日本語の「つ」と同じ発音なんだ。 -
バスでキガリに帰る。
日曜日だったのでビュッフェもやってない。
フランス人のところでビールとサンドイッチを食べて帰る。
ルワンダはチーズも安くておいしい。 -
1月7日
朝はマトケのトマト煮ウィズビーフ。
まだ煮込みが甘いが、なかなかおいしい。
大体はトマトとマトンかビーフで煮込んであって、ルワンダ人は朝からこれを食べ、お昼のビュッフェにも必ず入っている。
これも先生に聞いた話で、最近は朝ごはんではパン食が一般的なんだそう。マトケシチューを食べることもあるけど、出勤前に作るのは大変だからって。
どこの国も一緒だね。 -
ルワンダの先生に、東アフリカの中で一番ルワンダのごはんがおいしかったと言ったらめっちゃ驚かれました。ご本人たちはそうは思っていない?
ルワンダではマトケとは言わないと言ってたな。
あと、ウガリはキャッサバでできていて、コーンではない、コーンのなら(たぶんシマ?)白く、ウガリならベージュ色だと教えてもらった。ルワンダにいるときに教えてほしかったー! -
アフリカって、人を呼ぶとき「プスー」と言いますよね。
あと、舌をはじいて返事したり。
日本語教授法の本の中でも、特殊な意思伝達方法として紹介されていました。
最初はネコを呼ぶみたいと思ったけど、慣れてくると使ってみたくなる。
罪悪感はぬぐえないのだけど、呼ばれた人はごく普通に返事してくれる。 -
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写真はローカル飲み屋。ここにいる人はみんなジャントルマン。
どっかのケ●アみたいに、からんでくる人はいませんでした。
からまれるのもまぁおもしろいけどね。 -
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今日はこのままごろごろ。日曜日は暇だ。
夕飯を食べる場所が全然なく、ごはんを探して走り回り、やっと見つけたインド人の食堂でカレーをゲット。日曜のキガリは夕食にもあぶれるほど、みんなお休みらしい。
旅友は夜の闇の中1人でビールを買いに行っていた。
結局宿の人に引率してもらったらしい。
暗闇の中に外国人が1人ウロウロするのはあまり良くない。心配してくれる宿の人に感謝。 -
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キガリのタクシーパーク付近。
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カンパラよりもだいぶゆったりしている。
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今日はバスでニャトマラへ。
チャリタクが客引きしてきたが、断るとすぐに諦めてしまった。
しつこくないと言う事は、おそらく目的地はそんなに遠くないはずだが、なぜかとんでもなく遠かった。アフリカの不思議、しかるべきところで押しが弱い。遠すぎて嫌だったのかな?
心配になり、一度戻って結局チャリタクのお世話になることにした。
ニャタマラはのどかな村。結構暑くて、周囲はマトケだらけだった。
外国人が学校を作っていた。
おばちゃんやチャリンコのおじさんに助けられつつ、子供と喋りつつ、のんびと目的地へ。
チャリタクを2ケツして、さらに平和の村を行く。すれ違う人に手を振りつつ。 -
まず最初にニャタマラの教会を見学する。
昨日のニャマタ同様、紫と白いリボンで覆われた柵を越えて中へ。
いよいよだ。
緊張して自然と無口になる。
教会に入ると、いきなり並んでいたのは人の頭蓋骨だった。
部位ごとに分けられ、スチールの棚に人の骨が整然と並べられていた。
皆、この教会に逃げ込み、虐殺された人々の骨だ。
子供のものもあるし、頭部を殴られたあとを残すものもあった。
教会の内部には今も椅子が残っていて、ひょっとするとここに腰かけて休む旅行者もいるかもしれない。
だが、実はこここそ、痛いが折り重なるように倒れていた現場だった。
彼らの着ていた洋服は、内部の柱にびっしりと並べられていた。
そのほかにも、靴の箱や、教科書の箱など、遺品もたくさん保管されていた。
続いて案内されたのは、焼き場。
建物の内部の一角で、人々は遺体をここで焼いたのだという。
毛髪が今も残っていた。
次は教会の裏にある学校を見学。
教室もまた虐殺現場だったらしい。血痕が生々しく残っていた。
最後に、私たちを案内してくれたガイドの若者こそ、虐殺の生存者なのだと教えてくれた。
彼は両親を虐殺で失っていた。
ルワンダは、今もまだこういう人々がたくさんいる国なんだ。
ルワンダが急に恐ろしい国に思えたきた。
虐殺は確かにあった。
あまりにも穏やかな空気にすっかりなじんでしまったが、やっとこの国と向き合えた気がした。
若者にお礼を言って村を後にする。
バイタクのお兄ちゃんは今日は忙しそうだったので、チャリタクに乗ることにした。
チャリタクなのに、まさかの3ケツ(いろいろな乗り物に乗ったけど、3ケツチャリは初めてよ。)
チャリに乗りながら村を眺める。
あの家の向こうまで走っていけば、敵を振り切ることができたのではと思うほど、その土地は広くて果てしない。
もしも私なら地獄の底まで走っていくかもしれない。
しかし人々は教会に集まった。きっと神に助けを乞うたのだと思う。
彼らの絶望が見えたような気がする。
そうする事しかできなかったんだろう。
後で聞いたけど、捜索には犬が借り出されたらしい。確実に見つかってしまうやつだ。
今はもう、ツチだのフツだの分ける事は、政府により禁じられていると若者は言っていた。
けれど、両親を殺された彼は相手方の人間を許すことができるのだろうか。
彼らのことをもっと学んでみたかったが、あいにく彼は英語英語はあまり話せないようで、ほとんど質問することができなかった。
道舗装道路にも戻りチャリタクを乗り換え、昨日も行った、隣のニャマタ村へ向かう。
今度はちゃんと2台拾えた。
途中かなり長い坂があったので、チャリを降り、私たちとチャリタクさんの4人で並び、のんびり坂道を登る。
すでにチャリタクの2人はものすごい汗だくだった。
仕事に一生懸命な人はいいね。
マタツのお兄ちゃんが一生懸命呼び込みしているのを見ると、そのマタツは安心だと思ってしまう。 -
さて、いよいよ次はニャマタ。
ここにミイラが安置されているのかと思うと、やっぱり相当気が重い。
管理者に挨拶して、内部へ。
こちらも教会だが、規模はもっと大きい。
何千ものツチ族がここに逃げ込んだが、最後はフツ族が扉を破、り虐殺現場になったのだ。
同じように骨となった被害者が並び、中央に小さな棺桶が1つ安置されていた。
裏手にはさらに大規模な骨の安置所がある。私はもうこれ以上何も見ることはできなかったが、中に入った旅友によると、ものすごい数の頭蓋骨に囲まれたときの恐怖は何とも言えないものがあったと教えてくれた。
こうして虐殺現場訪問を終えたわけですが、行ってよかった。
怖くて絶対1人だったら行かなかったけど、人類が犯した滞在の証拠をこの目で見た事は、将来平和の尊さを伝えていくいく上でものすごく重要な意味を持つことだろう。
うん、行って良かった。
人と人が殺し合うなんて絶対にいけない。
怒りよりも、悲しみで心がいっぱいになった。 -
今日もまた、昨日訪ねた学校付近を歩いていたら子供たちに囲まれた。
ルワンダの子たちは人懐っこい。 -
子供が旅友を指さして、what is your name?と言ってきたので、 what is his nameだよ、と教えると、ちゃんと言い換えてた。賢い。
余談ですが、今私はこの頃の子供時代を過ごしたと思われる人たちに英語を習っています。ルワンダ人の先生も、もしかしてここにいたかもね。 -
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ニャマタ出身の英語の先生によると、この街には7個ぐらいの小学校があるといったかな。
制服を着ていれば、それは公立だそう。
彼は英語で教育を受けていたから、私立学校を出ているそう。 -
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しっかりお勉強してね。
ルワンダ人の英語の先生によると、最近では英語で教育する学校が多いんだそう。
ルワンダだけでなく、ケニア、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエなど、どの国の先生も小学校から英語で学んでいると言っていた。ナイジェリアに至ってはほぼネイティブ。日本、大丈夫か。 -
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そういえば昨日は日曜日で制服の子はいなかったな。
女の子は青い制服みたい。 -
昨日の写真で撮った絵が後ろにあるね。
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チャリタク、大変お世話になりました。
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賢そうな子。学級委員長っぽいね。
この日見た教会はこぎれいに整備されていましたが、キガリの虐殺記念館に展示してある虐殺時の写真を見てしまうと、とてもここに足を踏み入れることはできなかったと思う。
私は先に現地に来ていたのでそれほど抵抗はなかったのですが、それでも当時この場所で殺された人々の骨や服が残っていて、何度も足がすくんでしまいました。
キガリの記念館の写真だけでは伝えきれないものを得ることができたので、ぜひ時間があったら現場である教会も訪ねてほしい場所です。 -
この子たちは虐殺を知らない村の子供たち、みんな無邪気!
同行の旅友にも感謝。
もしも一人だったら、絶対に記念館にもこの村にも行くことはなかったし、現在の平和なルワンダだけを見て満足して終わっていたと思う。
でもやっぱりルワンダに来たなら絶対に行くべき!
平和の重要さを伝えるには十分すぎるほどのメッセージを受け取りました。。。。 -
今は平和そのもの。
しかしまぁ、歩いてるね!
(逆に、インドやフィリピンの知人らは、日本に来て人が全然歩いていないことを不思議がっていた。と、おばあちゃんがチャリで疾走していることにも漏れなく驚く。)
キガリに帰ろうとしたら、タクシーは2時まで来ないよ、と言われる。
200メートル向こうでミニバスにすぐに乗れたんですが。
ここで待っている人はあと3時間待つつもりなのかな。 -
何はともあれキガリへ。宿に戻り、GPOで荷物を送ろうとしたが、どうにも高い。
あきらめて箱を捨てたあと、箱が有料だったことを思い出した。
しまった、お金払い忘れた・・・(ルワンダの人は、地獄の果てまで追いかけてはこないのね。)
宿に帰ったら、ナイロビであった旅行者がいて、ゴリラトレックやギコンゴロ?虐殺記念館のことを話していた。
あれだけでもおなかいっぱいの私たちだが、ギコンゴロこそ、ミイラの並ぶ虐殺記念館だったらしい。 -
今日のビュッフェはなぜか何もかもがまずい。メニュー自体はいつもと同じなのに、シェフの調子が悪いのかしら。
再びバスターミナルに戻り、ギセンニ行きのバスに乗る。
バスに座っているとたくさんの物売りが来て、いろいろ勧めてくる。
活気があっていいなぁ。
安いジュースを一生懸命売り歩く青年の汗がなんとも清々しい。 -
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街路や家の庭にはバナナヤ色とりどりの花が植えられていて、いつか見たパンフレットそのもの。
人の心が豊かでないと花を植える事は無い。
花を盗む人もいるけど、花を愛でたくて花を盗む人って、どんなあまのじゃくなんだろう?
イミグレで働いているおじさんが、コンゴの難民キャンプのある場所教えてくれた。
ここはルワンダは、難民キャンプの最前線。
プレハブでできた住居地帯もあって、それほど悪い環境には思えないが、こういうところはそれなりに犯罪も多いのだと言う。
さらに1時間ほど、モサモサのマトケの森を越えて、ギセンニへ向かいます。
続く。
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