姫路旅行記(ブログ) 一覧に戻る
西国札所の兵庫と大阪の旅、初日は姫路 書寫山圓教寺の後半です。<br /><br />ドラマチックな三之堂から奥の院に向かいます。

秋の西国三十三所巡礼、姫路と大阪の旅【2】西国札所 圓教寺(その2)奥の院

1いいね!

2021/11/24 - 2021/11/26

1925位(同エリア2154件中)

三峯霧美

三峯霧美さん

西国札所の兵庫と大阪の旅、初日は姫路 書寫山圓教寺の後半です。

ドラマチックな三之堂から奥の院に向かいます。

PR

  • 13:26 姫路 書寫山圓教寺 荘厳な三之堂から奥の院に向かいます。

    13:26 姫路 書寫山圓教寺 荘厳な三之堂から奥の院に向かいます。

  • 参道の先がぱっと明るくなって奥の院エリアに入ります。

    参道の先がぱっと明るくなって奥の院エリアに入ります。

  • 右側にあるのが不動堂 1673年ごろ建立、山内唯一の朱色に塗られた建物だったそうですが、1967年の土石流で全壊し、1976年に再建されました。基壇が広いので、もっと大きなお堂だったのかもしれません。<br /><br />性空を守護した護法童子の乙天と若天、乙天は不動明王の化身とされ、不動明王のお堂です。<br />一方の若天童子にはお堂はなく、若天の姿が怪異で人々が恐れたので、性空上人が若天に暇を出したというお話があります。

    右側にあるのが不動堂 1673年ごろ建立、山内唯一の朱色に塗られた建物だったそうですが、1967年の土石流で全壊し、1976年に再建されました。基壇が広いので、もっと大きなお堂だったのかもしれません。

    性空を守護した護法童子の乙天と若天、乙天は不動明王の化身とされ、不動明王のお堂です。
    一方の若天童子にはお堂はなく、若天の姿が怪異で人々が恐れたので、性空上人が若天に暇を出したというお話があります。

  • 13:28 ここも三方向を建物に囲まれています。<br />右側が護法堂の乙天社と若天社、奥が開山堂、手前が護法堂の拝殿です。

    13:28 ここも三方向を建物に囲まれています。
    右側が護法堂の乙天社と若天社、奥が開山堂、手前が護法堂の拝殿です。

  • 開山堂は 性空を祀るお堂で、性空が亡くなった年に創建されました。<br />現在のお堂は1671年の再建です。<br />

    開山堂は 性空を祀るお堂で、性空が亡くなった年に創建されました。
    現在のお堂は1671年の再建です。

  • 2009年に解体修理が行われた際、須弥壇下から石櫃や五輪塔などが見つかり、石櫃の中には性空上人の遺骨が納めらているのが発見されました。<br /><br />性空上人は彌勒寺で亡くなり、この地で荼毘に付されたと2010年に発表されました。<br />

    2009年に解体修理が行われた際、須弥壇下から石櫃や五輪塔などが見つかり、石櫃の中には性空上人の遺骨が納めらているのが発見されました。

    性空上人は彌勒寺で亡くなり、この地で荼毘に付されたと2010年に発表されました。

  • ご本尊は性空上人の座像で、1286年に前の像が焼失したので慶快が作成しました。<br />前の像の中にあったガラスの壺に入った性空の遺骨を新しい像に入れなおしたそうです。

    ご本尊は性空上人の座像で、1286年に前の像が焼失したので慶快が作成しました。
    前の像の中にあったガラスの壺に入った性空の遺骨を新しい像に入れなおしたそうです。

  • 御朱印を書いてくださったお坊さんはチベットで修業をしたことがあるそうで、チベット語の御朱印を書いていただきました。

    御朱印を書いてくださったお坊さんはチベットで修業をしたことがあるそうで、チベット語の御朱印を書いていただきました。

  • 素敵な照明ですね。<br />法具、五鈷杵錫杖ではないかと思います・・。

    素敵な照明ですね。
    法具、五鈷杵錫杖ではないかと思います・・。

  • 摩尼殿から三之堂あたりは、拝観者がたくさんいたのですが、ここまで来る人は少ないみたいで、とても静かです。

    摩尼殿から三之堂あたりは、拝観者がたくさんいたのですが、ここまで来る人は少ないみたいで、とても静かです。

  • 御朱印を頂きました 開山堂

    御朱印を頂きました 開山堂

  • チベット語の御朱印<br />一番上が「開山堂」<br />二段目に 奉拝 本日の日付<br />三段目 書写山 奥の院<br />と書いてあるそうです。

    チベット語の御朱印
    一番上が「開山堂」
    二段目に 奉拝 本日の日付
    三段目 書写山 奥の院
    と書いてあるそうです。

  • 山内の紅葉は、ピークを過ぎたようです。

    山内の紅葉は、ピークを過ぎたようです。

  • 軒下には左甚五郎作の力士像が3体あります。最初は4体でしたが、1体は重さに耐えかねて逃げ出したんだそうですよ。

    軒下には左甚五郎作の力士像が3体あります。最初は4体でしたが、1体は重さに耐えかねて逃げ出したんだそうですよ。

  • 護法堂拝殿 1589年建立、こちらも昭和に終始が行われました。<br />別名「弁慶の学問所」弁慶が少年期をこの山で過ごしたので、そう呼ばれています。

    護法堂拝殿 1589年建立、こちらも昭和に終始が行われました。
    別名「弁慶の学問所」弁慶が少年期をこの山で過ごしたので、そう呼ばれています。

  • 護法堂 左が若天社 右が乙天社 神社です。<br />春日造の社殿で1559年の建立です。<br />若天、乙天は性空を守護した護法童子で、若天が毘沙門天、乙天が不動明王の化身なのだそうです。

    護法堂 左が若天社 右が乙天社 神社です。
    春日造の社殿で1559年の建立です。
    若天、乙天は性空を守護した護法童子で、若天が毘沙門天、乙天が不動明王の化身なのだそうです。

  • 若天社 <br />2020年に若天像と乙天像が新造され、一般公開されました、コロナで自粛の時期で、公開期間は延長されていたようです。

    若天社 
    2020年に若天像と乙天像が新造され、一般公開されました、コロナで自粛の時期で、公開期間は延長されていたようです。

  • 乙天社<br />新造された像は、秘仏で開山堂での修行を満行した行者が一生に一度だけ配することができるものです。<br />Facebookで画像が公開されましたが。

    乙天社
    新造された像は、秘仏で開山堂での修行を満行した行者が一生に一度だけ配することができるものです。
    Facebookで画像が公開されましたが。

  • 鳥居があって、狛犬がいて、神社ですね。

    鳥居があって、狛犬がいて、神社ですね。

  • 護法堂拝殿の横の石段を下りて金剛堂に向かいます。

    護法堂拝殿の横の石段を下りて金剛堂に向かいます。

  • 山のふもとからお寺に登ってくる参道、鯰尾坂と刀出坂の分かれ道を通り過ぎ、足場の悪い木の根が這う泥の坂、なんだか雨が流れたような跡がある道を登っていきます。<br />ちょっと道のチョイス間違えた感があります。<br />

    山のふもとからお寺に登ってくる参道、鯰尾坂と刀出坂の分かれ道を通り過ぎ、足場の悪い木の根が這う泥の坂、なんだか雨が流れたような跡がある道を登っていきます。
    ちょっと道のチョイス間違えた感があります。

  • 石垣が現れて足元が安定した道になりました。<br />石垣の上に出ると70代と思しき女性が二人、私が通ってきた道で奥の院に向かおうとしていたので、三之堂を見てから奥の院に行ったほうが道が平らですよと、声を掛けました。<br />上りでも不安定な道、下りだと更に危険です。

    石垣が現れて足元が安定した道になりました。
    石垣の上に出ると70代と思しき女性が二人、私が通ってきた道で奥の院に向かおうとしていたので、三之堂を見てから奥の院に行ったほうが道が平らですよと、声を掛けました。
    上りでも不安定な道、下りだと更に危険です。

  • 石垣の上は平らな場所で、きっとここも昔は塔頭や別院の建物があったのでしょう。<br />鮮やかに色づいた木々の間に金剛堂が見えます。<br />

    石垣の上は平らな場所で、きっとここも昔は塔頭や別院の建物があったのでしょう。
    鮮やかに色づいた木々の間に金剛堂が見えます。

  • 14:02 金剛堂<br />お堂の正面を探してぐるっと回って、ここかな?<br />旧塔頭の普賢院の持仏堂でした。<br />本尊は金剛薩埵坐像 食堂の2階に移動しています。<br />

    14:02 金剛堂
    お堂の正面を探してぐるっと回って、ここかな?
    旧塔頭の普賢院の持仏堂でした。
    本尊は金剛薩埵坐像 食堂の2階に移動しています。

  • 山の端に行くと展望台がありました。瀬戸内海、播磨灘、そして四国が見えます。

    山の端に行くと展望台がありました。瀬戸内海、播磨灘、そして四国が見えます。

  • 薬師堂 根本堂・根本中堂ともよばれ、性空上人が創建したと伝わります。<br />現在のお堂は鎌倉時代に再建されたもので、山内最古の建物です。<br />本尊は食堂に移動しています。<br /><br />昭和の解体修理時に奈良時代の遺物が出土して、圓教寺創建以前に何らかの宗教施設があったと考えられています。

    薬師堂 根本堂・根本中堂ともよばれ、性空上人が創建したと伝わります。
    現在のお堂は鎌倉時代に再建されたもので、山内最古の建物です。
    本尊は食堂に移動しています。

    昭和の解体修理時に奈良時代の遺物が出土して、圓教寺創建以前に何らかの宗教施設があったと考えられています。

  • 食堂で根本堂という御朱印を頂きました。

    食堂で根本堂という御朱印を頂きました。

  • 松平家廟所 徳川家康の孫にあたる松平直基のお墓です。<br />松平直基は山形から姫路に国替えになり、姫路に向かう道中で亡くなりました。<br />長男の松平直矩(姫路藩主)が分骨を納めました。

    松平家廟所 徳川家康の孫にあたる松平直基のお墓です。
    松平直基は山形から姫路に国替えになり、姫路に向かう道中で亡くなりました。
    長男の松平直矩(姫路藩主)が分骨を納めました。

  • こちらも姫路藩主だった榊原家の廟所<br />徳川四天王の榊原康政の子孫は、2度にわたり姫路藩主となり、ここには江戸中期に藩主となった榊原政房と政祐の墓塔があります。

    こちらも姫路藩主だった榊原家の廟所
    徳川四天王の榊原康政の子孫は、2度にわたり姫路藩主となり、ここには江戸中期に藩主となった榊原政房と政祐の墓塔があります。

  • 法華堂 法華三昧堂 本尊普賢菩薩<br />創建は985年 播磨国司・藤原季孝によって建立されました。<br />現在のお堂は江戸時代の再建。

    法華堂 法華三昧堂 本尊普賢菩薩
    創建は985年 播磨国司・藤原季孝によって建立されました。
    現在のお堂は江戸時代の再建。

  • 鐘楼 1331年に焼失し、翌年再建されたと伝わります。鐘も1324年に再度鋳造したと記録に残っているそうです。<br /><br />なんだかすっかり人が少なくなってしまいました。

    鐘楼 1331年に焼失し、翌年再建されたと伝わります。鐘も1324年に再度鋳造したと記録に残っているそうです。

    なんだかすっかり人が少なくなってしまいました。

  • 14:16 そろそろ、戻りましょうか。

    14:16 そろそろ、戻りましょうか。

  • 次の週末には色づいた葉は落ちてしまっているかも。

    次の週末には色づいた葉は落ちてしまっているかも。

  • 14:20 ちょっと後ろ髪をひかれる思いで、三之堂の広場まで行ってみました。

    14:20 ちょっと後ろ髪をひかれる思いで、三之堂の広場まで行ってみました。

  • ウエディングフォトの撮影はおわったようですね

    ウエディングフォトの撮影はおわったようですね

  • 名残惜しいですが、戻りましょう。<br />二度と訪れることのない場所は、記憶に残したいと思いますが、なかなか覚えていられないものです…。だから撮影しておきたい。

    名残惜しいですが、戻りましょう。
    二度と訪れることのない場所は、記憶に残したいと思いますが、なかなか覚えていられないものです…。だから撮影しておきたい。

  • 帰りは下の道で。

    帰りは下の道で。

  • 屋外のカフェ、週末とか、人が多い日は開かれるのかな?

    屋外のカフェ、週末とか、人が多い日は開かれるのかな?

  • 瑞光院 ここは圓教寺の中でも紅葉の美しい場所のひとつ。一週間遅かったようです。真っ赤な紅葉は銅色になっています。<br /><br />山内にある塔頭は観音講の宿院も兼ねていたそうです。<br />今でも講でお寺にいらしているのでしょうか。

    瑞光院 ここは圓教寺の中でも紅葉の美しい場所のひとつ。一週間遅かったようです。真っ赤な紅葉は銅色になっています。

    山内にある塔頭は観音講の宿院も兼ねていたそうです。
    今でも講でお寺にいらしているのでしょうか。

  • 大黒堂 瑞光院の向かい側にあって、詳しいことはわかりません。<br /><br />皆さん講に所属して、仲の良い人たちと出かける旅、楽しかったでしょうね。<br />一人旅は気楽ですが、気心の知れた友と、思い出を共有できる旅も楽しいですね。<br />

    大黒堂 瑞光院の向かい側にあって、詳しいことはわかりません。

    皆さん講に所属して、仲の良い人たちと出かける旅、楽しかったでしょうね。
    一人旅は気楽ですが、気心の知れた友と、思い出を共有できる旅も楽しいですね。

  • 幅が広くて明るい道ですが、上の山の中の道のほうが、風情があります。

    幅が広くて明るい道ですが、上の山の中の道のほうが、風情があります。

  • 摩尼殿の下に出てきました。<br />

    摩尼殿の下に出てきました。

  • お地蔵さまがずらりと並んでる。

    お地蔵さまがずらりと並んでる。

  • また日が差してきました。

    また日が差してきました。

  • ちょっと小腹がすいたので、はづき茶屋で力餅を買いました。<br />「弁慶修行の地 書写山圓教寺 力餅」<br />「弁慶」「の」「力餅」の字が大きいので「弁慶の力餅」なんでしょうか。 

    ちょっと小腹がすいたので、はづき茶屋で力餅を買いました。
    「弁慶修行の地 書写山圓教寺 力餅」
    「弁慶」「の」「力餅」の字が大きいので「弁慶の力餅」なんでしょうか。 

  • 14:33 11月下旬になると、この時間でも日差しが斜めです。

    14:33 11月下旬になると、この時間でも日差しが斜めです。

  • 湯屋橋を渡って

    湯屋橋を渡って

  • 十妙院の白壁と石垣に木の陰が映るのをながめつつ

    十妙院の白壁と石垣に木の陰が映るのをながめつつ

  • 14:42 仁王門を通過。来たときは気合入れてゆっくり上った参道を、ずんずん歩きます。

    14:42 仁王門を通過。来たときは気合入れてゆっくり上った参道を、ずんずん歩きます。

  • 14:53 帰りは下りなので早い早い。ロープウェイの山頂駅へ到着。

    14:53 帰りは下りなので早い早い。ロープウェイの山頂駅へ到着。

  • 上りのロープウェイとすれ違い、またお天気が良くなってきました。

    上りのロープウェイとすれ違い、またお天気が良くなってきました。

  • 15:05 駐車場に戻ってきました。<br />西国札所最西端の圓教寺、ぐるっと一回りして4時間。<br />あっという間に時間が過ぎました。旅に出ると一日があっという間です。<br /><br />まだ日暮れまで1時間くらいあるので、高速でワープして播磨国一の宮の伊和神社に向かいます。

    15:05 駐車場に戻ってきました。
    西国札所最西端の圓教寺、ぐるっと一回りして4時間。
    あっという間に時間が過ぎました。旅に出ると一日があっという間です。

    まだ日暮れまで1時間くらいあるので、高速でワープして播磨国一の宮の伊和神社に向かいます。

この旅行記のタグ

関連タグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP