今出川・北大路・北野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅の四日目は京都。天気予報では雨だったし、三日間の疲れも残っているだろうしということで、この日のスケジュールはいろんなものを詰め込まずかなり余裕のあるものにしていました。即ち、午前中には前々から気になっていたのですがなかなか機会がなかった駒井家住宅、午後には曼殊院の「黄不動明王像 里帰り特別公開」と大徳寺の特別公開という基本三つを回るだけ。いつものスタイルからするとまさにゆるゆるです。<br /><br />まずは、午前中の駒井家住宅。公開日は限られるのですが、この日は公開日。事前にネットで予約をして伺いました。<br />昭和2年、京都大学名誉教授、駒井卓博士の私邸として建てられた住宅で、あの米国人設計家W.M.ヴォーリズの設計によるもの。スパニッシュ様式の外観は何でもない住宅地にあっても違和感なく落ち着いたたたずまい。邸内も特別な豪華さはなくて、食堂から居間・応接にかけての中心部とかここにも一般家庭の普通の暮らしがあったんだろうなというようなごく自然な印象。出窓から取り込む適度な外光があって、周囲の芝生の庭との関係性や一階の居間と二階の書斎との距離感などもよく考えてあるように思います。ヴォーリズは、もしかしたら日本人の生活習慣までちゃんと理解して設計に生かしているような感じかな。そんなところも我々日本人に人気のある理由の一つではないかと思います。例えば、奥の日本間も。狭くて付けたしみたいな部屋で着替えのためとかの隠れ部屋的な位置づけのものですが、これがないとやっぱり不便だったと思います。<br />さて、時間はたっぷりあるし、建物も期待通りのものだったので、ご招待に預かったお客さんよろしく悠々と寛いでいたのですが、私ともう一人訪ねて来た京都市内の大学に通うという女性。なんとなく、話を伺うと実は韓国からの留学生で、大学卒業後も日本で働くつもりなんだとか。ちょうど尹大統領が誕生し、日韓雪解けのムードが高まりつつあったところでもあり、よかったですねえみたいな話をしたら、何か噛み合わない。むしろ、日韓関係が戦後最悪となった原因を作ったあの文在寅を懐かしむような感じなんですね。せっかくの機会なので、少し日本人の一般的な考え方とかも話してみましたが、やっぱりなかなか難しい。結局、ひとつ分かったことは、日本の文化にあこがれていることと政治的な信条はまったく関係がないということ。日本の社会や文化への理解が政治的な信条へも望ましい影響を与えていくというのは、我々が勝手に思い込んでいるだけで残念ながら想像以上に高い壁があるのだなと強く感じざるを得ませんでした。ただ、一方で、政治的な信条では相容れなくても、彼女のようにそれと切り離して日本の社会に柔軟に対応する道は確かにあるわけで、改めて考えてみると日本人の若い人でも政治的な話は切り離してという人の方がたぶん圧倒的に多いですよね。もちろん、彼女のようなしなやかな対応はある意味爪を隠したものだし、対する日本の若者はのんきなノンポリなのでそれはそれで問題がないとは言えないのですが、こうした柔軟な行動スタイルはやはり若い人の特権のような気もするし、あまり固定的な考えに捉われず、これも広い意味では相互理解のうちと受け入れる必要があるのかもしれません。慰安婦問題や徴用工の問題によって、日韓基本条約や請求権協定が揺らいでいることは確かに由々しきことではあるのですが、根っこは朝鮮の併合が合法だったか合法でなかったかという認識の違いですから、それぞれ言い分があって、たぶん、その辺りまで行くと簡単に交わることはないでしょう。ただ、少なくとも国際法の遵守とか最低限の約束やルールを守らない態度は理解できないし、受け入れ難いものがあるんですけどね。それでも、日韓関係は安全保障や経済の面でもなんとかかんとかやっていくしかない。同床異夢の相互理解や交流であっても、それがいざという時の安全弁となるように祈るばかりですね。思わぬところで日韓関係を考えることになってしまいましたが、こんなことも旅だからこその機会。悪いことではないでしょう。<br />韓国旅行でもあれこれ考えたことがあって、興味のある方は参考まで。ちなみに、37年間の日韓併合ですが、これが侵略行為であったにしても、それ以前の李氏朝鮮の時代が誇れるものかというととてもそんなことではないですね。大院君と閔妃一族の派閥争いは、諸外国の力を利用して生き延びようとする断末魔の叫び。独立国としての存続はいずれにしても無理だったように思います。それから、親日という言葉。韓国では反論のしようがないくらいひどい言葉となっていて残念な限りですが、たぶん、これは日本への反感というよりも日本の威を借りて甘い汁を吸った同輩への恨み。例えば、悪名高き両班がそれなりに安泰だったのも両班の威を借りて甘い汁を吸う取り巻きがいたからという説がありますし、慰安婦問題を利用した正義連の欺瞞や李在明への権力集中も同じような構図があるのかも。韓国の恨(ハン)の歴史は考えれば考えるほど甘くないような気がします。<br />https://4travel.jp/travelogue/11088598<br />https://4travel.jp/travelogue/11088599<br />https://4travel.jp/travelogue/11088602<br /><br />なお、午後の方ですが、黄不動明王像はたぶんこれが最後の見納めになるようですし、大徳寺の本坊伽藍特別公開は仏殿が初めての公開であるほか、国宝の唐門も3年の修復を終わってのものですから大いに価値あり。詳しくは本編の方で。。

高松経由で関西の旅(四日目)~雨の京都は駒井家住宅から曼殊院と大徳寺。思わぬところで日韓関係を考えるとか、時間に余裕があるのもいいものです~

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2023/05/13 - 2023/05/13

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たびたび

たびたびさん

今回の旅の四日目は京都。天気予報では雨だったし、三日間の疲れも残っているだろうしということで、この日のスケジュールはいろんなものを詰め込まずかなり余裕のあるものにしていました。即ち、午前中には前々から気になっていたのですがなかなか機会がなかった駒井家住宅、午後には曼殊院の「黄不動明王像 里帰り特別公開」と大徳寺の特別公開という基本三つを回るだけ。いつものスタイルからするとまさにゆるゆるです。

まずは、午前中の駒井家住宅。公開日は限られるのですが、この日は公開日。事前にネットで予約をして伺いました。
昭和2年、京都大学名誉教授、駒井卓博士の私邸として建てられた住宅で、あの米国人設計家W.M.ヴォーリズの設計によるもの。スパニッシュ様式の外観は何でもない住宅地にあっても違和感なく落ち着いたたたずまい。邸内も特別な豪華さはなくて、食堂から居間・応接にかけての中心部とかここにも一般家庭の普通の暮らしがあったんだろうなというようなごく自然な印象。出窓から取り込む適度な外光があって、周囲の芝生の庭との関係性や一階の居間と二階の書斎との距離感などもよく考えてあるように思います。ヴォーリズは、もしかしたら日本人の生活習慣までちゃんと理解して設計に生かしているような感じかな。そんなところも我々日本人に人気のある理由の一つではないかと思います。例えば、奥の日本間も。狭くて付けたしみたいな部屋で着替えのためとかの隠れ部屋的な位置づけのものですが、これがないとやっぱり不便だったと思います。
さて、時間はたっぷりあるし、建物も期待通りのものだったので、ご招待に預かったお客さんよろしく悠々と寛いでいたのですが、私ともう一人訪ねて来た京都市内の大学に通うという女性。なんとなく、話を伺うと実は韓国からの留学生で、大学卒業後も日本で働くつもりなんだとか。ちょうど尹大統領が誕生し、日韓雪解けのムードが高まりつつあったところでもあり、よかったですねえみたいな話をしたら、何か噛み合わない。むしろ、日韓関係が戦後最悪となった原因を作ったあの文在寅を懐かしむような感じなんですね。せっかくの機会なので、少し日本人の一般的な考え方とかも話してみましたが、やっぱりなかなか難しい。結局、ひとつ分かったことは、日本の文化にあこがれていることと政治的な信条はまったく関係がないということ。日本の社会や文化への理解が政治的な信条へも望ましい影響を与えていくというのは、我々が勝手に思い込んでいるだけで残念ながら想像以上に高い壁があるのだなと強く感じざるを得ませんでした。ただ、一方で、政治的な信条では相容れなくても、彼女のようにそれと切り離して日本の社会に柔軟に対応する道は確かにあるわけで、改めて考えてみると日本人の若い人でも政治的な話は切り離してという人の方がたぶん圧倒的に多いですよね。もちろん、彼女のようなしなやかな対応はある意味爪を隠したものだし、対する日本の若者はのんきなノンポリなのでそれはそれで問題がないとは言えないのですが、こうした柔軟な行動スタイルはやはり若い人の特権のような気もするし、あまり固定的な考えに捉われず、これも広い意味では相互理解のうちと受け入れる必要があるのかもしれません。慰安婦問題や徴用工の問題によって、日韓基本条約や請求権協定が揺らいでいることは確かに由々しきことではあるのですが、根っこは朝鮮の併合が合法だったか合法でなかったかという認識の違いですから、それぞれ言い分があって、たぶん、その辺りまで行くと簡単に交わることはないでしょう。ただ、少なくとも国際法の遵守とか最低限の約束やルールを守らない態度は理解できないし、受け入れ難いものがあるんですけどね。それでも、日韓関係は安全保障や経済の面でもなんとかかんとかやっていくしかない。同床異夢の相互理解や交流であっても、それがいざという時の安全弁となるように祈るばかりですね。思わぬところで日韓関係を考えることになってしまいましたが、こんなことも旅だからこその機会。悪いことではないでしょう。
韓国旅行でもあれこれ考えたことがあって、興味のある方は参考まで。ちなみに、37年間の日韓併合ですが、これが侵略行為であったにしても、それ以前の李氏朝鮮の時代が誇れるものかというととてもそんなことではないですね。大院君と閔妃一族の派閥争いは、諸外国の力を利用して生き延びようとする断末魔の叫び。独立国としての存続はいずれにしても無理だったように思います。それから、親日という言葉。韓国では反論のしようがないくらいひどい言葉となっていて残念な限りですが、たぶん、これは日本への反感というよりも日本の威を借りて甘い汁を吸った同輩への恨み。例えば、悪名高き両班がそれなりに安泰だったのも両班の威を借りて甘い汁を吸う取り巻きがいたからという説がありますし、慰安婦問題を利用した正義連の欺瞞や李在明への権力集中も同じような構図があるのかも。韓国の恨(ハン)の歴史は考えれば考えるほど甘くないような気がします。
https://4travel.jp/travelogue/11088598
https://4travel.jp/travelogue/11088599
https://4travel.jp/travelogue/11088602

なお、午後の方ですが、黄不動明王像はたぶんこれが最後の見納めになるようですし、大徳寺の本坊伽藍特別公開は仏殿が初めての公開であるほか、国宝の唐門も3年の修復を終わってのものですから大いに価値あり。詳しくは本編の方で。。

  • 五条の宿を出発して、高木珈琲店でモーニング。<br />今日は時間に余裕がありますからね~

    五条の宿を出発して、高木珈琲店でモーニング。
    今日は時間に余裕がありますからね~

  • ここは四条河原町や四条烏丸からも少し離れているので、それなりに静かな場所なのですが、それでもさすが人気店。朝から客足が切れることはないですね。特別に内装がいいというほどではないのですが、適度なゆったり感と落ち着いた雰囲気があるのはさすがです。

    ここは四条河原町や四条烏丸からも少し離れているので、それなりに静かな場所なのですが、それでもさすが人気店。朝から客足が切れることはないですね。特別に内装がいいというほどではないのですが、適度なゆったり感と落ち着いた雰囲気があるのはさすがです。

  • いつもだと急いた気持ちにしかならないところなんですが、少し長居して京都の朝を楽しみました。 

    イチオシ

    いつもだと急いた気持ちにしかならないところなんですが、少し長居して京都の朝を楽しみました。 

  • 駒井家住宅の最寄り駅、出町柳に移動しましたが、予約した時刻までにはまだまだ時間がある。ということで、この辺りをもうしばらく散策です。<br />正定院は、賀茂大橋の東詰め。浄土宗のお寺のようですが、山門には「ちご地蔵尊」の表札。

    駒井家住宅の最寄り駅、出町柳に移動しましたが、予約した時刻までにはまだまだ時間がある。ということで、この辺りをもうしばらく散策です。
    正定院は、賀茂大橋の東詰め。浄土宗のお寺のようですが、山門には「ちご地蔵尊」の表札。

  • 門を入ってすぐの玄関わきに子供を背負った地蔵さんの姿がありました。特に古いものではなさそうですが、お寺のサービス精神の一環なのかも。

    門を入ってすぐの玄関わきに子供を背負った地蔵さんの姿がありました。特に古いものではなさそうですが、お寺のサービス精神の一環なのかも。

  • その奥の

    その奥の

  • 本堂の前庭にはつつじの花が咲いていました。

    本堂の前庭にはつつじの花が咲いていました。

  • 賀茂大橋は、今出川通りを通します。この橋のすぐ上流で賀茂川と高野川が合流して鴨川となるという場所。設計は福山市出身で東京帝国大学建築学科を首席で卒業した武田五一。欄干には14基の石灯籠があって、夜になると灯が灯ります。

    賀茂大橋は、今出川通りを通します。この橋のすぐ上流で賀茂川と高野川が合流して鴨川となるという場所。設計は福山市出身で東京帝国大学建築学科を首席で卒業した武田五一。欄干には14基の石灯籠があって、夜になると灯が灯ります。

  • 賀茂大橋から見える賀茂川と高野川が合流して鴨川となるという場所は、鴨川デルタと呼ばれています。中央の洲のように見える中央部に向かって左右から飛び石で渡れるようになっていて。子供でも簡単に渡れるので、けっこう楽しめます。夏場だと涼みにもなるし、またいいものですよね。

    賀茂大橋から見える賀茂川と高野川が合流して鴨川となるという場所は、鴨川デルタと呼ばれています。中央の洲のように見える中央部に向かって左右から飛び石で渡れるようになっていて。子供でも簡単に渡れるので、けっこう楽しめます。夏場だと涼みにもなるし、またいいものですよね。

  • 賀茂大橋を渡って、すぐ。鴨川デルタの西岸にある妙音弁財天です。京都七福神の一つで、技芸上達や福徳円満のご利益があるという神様なんだとか。

    賀茂大橋を渡って、すぐ。鴨川デルタの西岸にある妙音弁財天です。京都七福神の一つで、技芸上達や福徳円満のご利益があるという神様なんだとか。

  • 本堂には弁財天像を祀りますが、

    本堂には弁財天像を祀りますが、

  • 裏の六角堂に祀られている弘法大師作の妙音弁財天画像の掛け軸は、鎌倉時代、左大臣であった西園寺公衡の娘、寧子が女御として後伏見上皇の後宮に入った際に、念持仏として持参。以来、伏見離宮内に祀られて、光厳、光明、崇光天皇にも伝承されてきたというものです。詳しい説明書がありました。<br />本堂も裏の六角堂もとても雰囲気があって、やっぱり天皇にまつわる物語があると違うものだなあという印象です。<br /><br />ちなみに、京都七福神は都七福神とは別で、以下の通りです。<br />弁財天(出町妙音弁才天)  <br />恵比寿神(ゑびす神社) <br />大黒天(松ヶ崎大黒天)  <br />福禄寿(清荒神 護浄院) <br />布袋尊(円山 長楽寺)  <br />毘沙門天(山科毘沙門堂)<br />寿老神(革堂 行願寺) 

    裏の六角堂に祀られている弘法大師作の妙音弁財天画像の掛け軸は、鎌倉時代、左大臣であった西園寺公衡の娘、寧子が女御として後伏見上皇の後宮に入った際に、念持仏として持参。以来、伏見離宮内に祀られて、光厳、光明、崇光天皇にも伝承されてきたというものです。詳しい説明書がありました。
    本堂も裏の六角堂もとても雰囲気があって、やっぱり天皇にまつわる物語があると違うものだなあという印象です。

    ちなみに、京都七福神は都七福神とは別で、以下の通りです。
    弁財天(出町妙音弁才天)  
    恵比寿神(ゑびす神社) 
    大黒天(松ヶ崎大黒天)  
    福禄寿(清荒神 護浄院) 
    布袋尊(円山 長楽寺)  
    毘沙門天(山科毘沙門堂)
    寿老神(革堂 行願寺) 

  • 少し南に下がって、これは法華宗本山本禅寺。

    少し南に下がって、これは法華宗本山本禅寺。

  • 京都の法華宗は天文5年(1536年)の天文法華の乱により、京都を追放されるという歴史があるのですが、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨によって、帰洛が許されることに。

    京都の法華宗は天文5年(1536年)の天文法華の乱により、京都を追放されるという歴史があるのですが、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨によって、帰洛が許されることに。

  • その後、御奈良天皇の勅願寺となったり、江戸時代後期には有栖川宮の祈願所とも。<br />それなりの歴史があるのですが、境内はちょっと荒れた感じ。ひとけも感じないし、妙なことになっています。

    その後、御奈良天皇の勅願寺となったり、江戸時代後期には有栖川宮の祈願所とも。
    それなりの歴史があるのですが、境内はちょっと荒れた感じ。ひとけも感じないし、妙なことになっています。

  • では、駒井家住宅の方へ。<br />開門前に到着したので、開門と同時に入ります。

    では、駒井家住宅の方へ。
    開門前に到着したので、開門と同時に入ります。

  • これが玄関。

    これが玄関。

  • 玄関の奥すぐが居間で<br />出窓に面したソファと椅子・テーブル

    イチオシ

    玄関の奥すぐが居間で
    出窓に面したソファと椅子・テーブル

  • その奥に進むと

    その奥に進むと

  • 廊下から

    廊下から

  • 日本間につながります。

    日本間につながります。

  • 改めて、今に戻って

    改めて、今に戻って

  • 居間の隣りは小さな食堂。

    イチオシ

    居間の隣りは小さな食堂。

  • 二階に上がると

    二階に上がると

  • 狭い廊下の先に

    狭い廊下の先に

  • 小部屋と

    イチオシ

    小部屋と

  • サンルーム

    サンルーム

  • サンルームは大きなものではありませんが、庭を見ろして開放感抜群ですね。

    サンルームは大きなものではありませんが、庭を見ろして開放感抜群ですね。

  • そして、書斎も二面が窓。ここもさほど広くはないですが、これだけ明るいとゆったり感があるでしょう。

    そして、書斎も二面が窓。ここもさほど広くはないですが、これだけ明るいとゆったり感があるでしょう。

  • 居間と食堂の間から裏庭に出れまして

    居間と食堂の間から裏庭に出れまして

  • 芝生の緑がいいですね。

    芝生の緑がいいですね。

  • 小径には鞍馬石でよくあるんですが、丸い石を集めたデザインの飛び石。石畳でもないし、延べ段でもないしということなんですが、やっぱりそれらを意識した造りのような気がしますね。<br />

    小径には鞍馬石でよくあるんですが、丸い石を集めたデザインの飛び石。石畳でもないし、延べ段でもないしということなんですが、やっぱりそれらを意識した造りのような気がしますね。

  • 裏庭からみた建物の全景。<br />一通り見た後は、居間に帰って、冒頭に書いた通りの時間を過ごしました。<br />京都は、神社仏閣も多くて伝統的な街ではあるのですが、実際は進取の精神が旺盛で、和洋折衷などの多様性や柔軟性に富んでいるのも隠れた魅力。韓国から来た彼女にはそうしたところもぜひ感じ取ってもらいたいなと思います。

    裏庭からみた建物の全景。
    一通り見た後は、居間に帰って、冒頭に書いた通りの時間を過ごしました。
    京都は、神社仏閣も多くて伝統的な街ではあるのですが、実際は進取の精神が旺盛で、和洋折衷などの多様性や柔軟性に富んでいるのも隠れた魅力。韓国から来た彼女にはそうしたところもぜひ感じ取ってもらいたいなと思います。

  • 曼殊院は午後からの予定としていたんですが、ルートを考えるとやっぱり駒井家住宅からそのまま回った方がいいですよね。ということで、曼殊院の方にやってきました。<br />

    曼殊院は午後からの予定としていたんですが、ルートを考えるとやっぱり駒井家住宅からそのまま回った方がいいですよね。ということで、曼殊院の方にやってきました。

  • ちなみに、曼殊院は、最澄が比叡山上に営んだ一坊をその起源とし、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂と並んで天台五門跡のひとつ。そして、洛北では、曼殊院から詩仙堂、圓光寺を巡るコースは定番中の定番ですよね。<br /><br />

    ちなみに、曼殊院は、最澄が比叡山上に営んだ一坊をその起源とし、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂と並んで天台五門跡のひとつ。そして、洛北では、曼殊院から詩仙堂、圓光寺を巡るコースは定番中の定番ですよね。

  • ただ、しばらく機会はなくて、今回はかなり久しぶりの訪問。

    ただ、しばらく機会はなくて、今回はかなり久しぶりの訪問。

  • そういう意味だと、その美しい庭園もしっかりまた見届けておかないといけませんね。

    そういう意味だと、その美しい庭園もしっかりまた見届けておかないといけませんね。

  • 建物と建物の間を埋める路地庭園も

    建物と建物の間を埋める路地庭園も

  • しっかりしているし、

    しっかりしているし、

  • 特に国指定名勝の曼殊院書院庭園は、遠州好みとされ、鶴を模した樹齢400年の五葉松がシンボルです。

    特に国指定名勝の曼殊院書院庭園は、遠州好みとされ、鶴を模した樹齢400年の五葉松がシンボルです。

  • ただ、意外にこの庭はうまく写真に収めることが難しい。

    ただ、意外にこの庭はうまく写真に収めることが難しい。

  • 鶴の松もいろいろアングルを試すんですが、<br />これも

    鶴の松もいろいろアングルを試すんですが、
    これも

  • これも。<br />いつもながら、イマイチ決まらないんですよね~<br />

    イチオシ

    これも。
    いつもながら、イマイチ決まらないんですよね~

  • まあ、それはまたの機会もあるでしょうし、<br />やっぱり今回のお目当ては、「黄不動明王像 里帰り特別公開」。冒頭にも触れましたが、黄不動はこれが見納めとなるようですからね。<br />ちなみに、この黄不動は三井寺の黄不動を模写したもの。三井寺の黄不動は秘仏であり国宝なのですが、それを模写したものまで国宝になっているという稀有な例でもあります。<br />では、展示室の方へ。<br />なるほど。うーん。当初の予想通りでしたが、これを見て素晴らしい感動があるかというとそういうことではないですね。鈍い黄金色の体躯は、美しさや荘厳さ、神秘性や精神性もそこまでではないような。これを見て、予備知識もなくて何かを感じろと言われても正直難しいというのが本当のところではないでしょうか。<br />そもそも黄不動は天台宗の第5代座主、円珍が修行中に感得した金色の不動明王を写しとらせたものと伝わります。今ではすっかりお馴染みとなった不動明王ですが、その始まりはこの円珍の感得した黄不動からと言われているのですね。不動明王はすべてを焼き尽くすような憤怒の形相が慈悲の心と表裏一体。憤怒が激しければ激しいほどありがたみも増すといった感覚でしょうか。つまり、そういう感覚からすると、黄不動は大きく目を見開いていますが、憤怒というよりは威嚇のレベル。円珍を陰から守護する守護神としての匂いもあって、やはり今の感覚とは違いますね。ちなみに、東大寺法華堂の執金剛神立像は仁王像の原型と言われているのですが、けっこうおとなしい印象。それと同様に、現在の不動明王の原型はこの黄不動と捉えればその違いはその後の進化や変容の不思議を感じられる手がかりなのかも。ちょっと苦しいですが、そう思うとなんとか少し見方も変わってくるのではないかと思います。<br /><br />なお、円珍と三井寺については、別途の旅行記で整理していますので、興味のある方はこれも参考まで。https://4travel.jp/travelogue/11818768

    まあ、それはまたの機会もあるでしょうし、
    やっぱり今回のお目当ては、「黄不動明王像 里帰り特別公開」。冒頭にも触れましたが、黄不動はこれが見納めとなるようですからね。
    ちなみに、この黄不動は三井寺の黄不動を模写したもの。三井寺の黄不動は秘仏であり国宝なのですが、それを模写したものまで国宝になっているという稀有な例でもあります。
    では、展示室の方へ。
    なるほど。うーん。当初の予想通りでしたが、これを見て素晴らしい感動があるかというとそういうことではないですね。鈍い黄金色の体躯は、美しさや荘厳さ、神秘性や精神性もそこまでではないような。これを見て、予備知識もなくて何かを感じろと言われても正直難しいというのが本当のところではないでしょうか。
    そもそも黄不動は天台宗の第5代座主、円珍が修行中に感得した金色の不動明王を写しとらせたものと伝わります。今ではすっかりお馴染みとなった不動明王ですが、その始まりはこの円珍の感得した黄不動からと言われているのですね。不動明王はすべてを焼き尽くすような憤怒の形相が慈悲の心と表裏一体。憤怒が激しければ激しいほどありがたみも増すといった感覚でしょうか。つまり、そういう感覚からすると、黄不動は大きく目を見開いていますが、憤怒というよりは威嚇のレベル。円珍を陰から守護する守護神としての匂いもあって、やはり今の感覚とは違いますね。ちなみに、東大寺法華堂の執金剛神立像は仁王像の原型と言われているのですが、けっこうおとなしい印象。それと同様に、現在の不動明王の原型はこの黄不動と捉えればその違いはその後の進化や変容の不思議を感じられる手がかりなのかも。ちょっと苦しいですが、そう思うとなんとか少し見方も変わってくるのではないかと思います。

    なお、円珍と三井寺については、別途の旅行記で整理していますので、興味のある方はこれも参考まで。https://4travel.jp/travelogue/11818768

  • では、河原町の方に戻ってきて、お昼は三嶋亭へ。<br />といっても、本店の方はお高いので、こちらの高島屋店の方なんですけどね。

    では、河原町の方に戻ってきて、お昼は三嶋亭へ。
    といっても、本店の方はお高いので、こちらの高島屋店の方なんですけどね。

  • 手ごろなランチのすき焼きを注文して、待つことしばし。

    手ごろなランチのすき焼きを注文して、待つことしばし。

  • こちらのすき焼きはすき焼きでも、後は食べるだけみたいにして出してくれるので、楽は楽ですね。<br />この値段で国産牛ではないと思ったのですが期待していたよりはおいしくて、気になったので聞いてみると、国産牛だけど本店とは部位が違うんですということ。いやいや、それくらいなら何ともないですよ~。この味なら文句なくお得です。ごちそうさまでした。

    イチオシ

    こちらのすき焼きはすき焼きでも、後は食べるだけみたいにして出してくれるので、楽は楽ですね。
    この値段で国産牛ではないと思ったのですが期待していたよりはおいしくて、気になったので聞いてみると、国産牛だけど本店とは部位が違うんですということ。いやいや、それくらいなら何ともないですよ~。この味なら文句なくお得です。ごちそうさまでした。

  • それでは、最後。<br />大徳寺本坊伽藍の特別拝観です。

    それでは、最後。
    大徳寺本坊伽藍の特別拝観です。

  • 特別拝観の内容は、金毛閣、仏殿、法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画、唐門<br />拝観料2,000円 時間毎に人数を限定して入場し、ツアー形式で案内をしてくれるというものです。<br />

    特別拝観の内容は、金毛閣、仏殿、法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画、唐門
    拝観料2,000円 時間毎に人数を限定して入場し、ツアー形式で案内をしてくれるというものです。

  • 勅使門の脇から、普段は入れないエリアに入っていきます。

    勅使門の脇から、普段は入れないエリアに入っていきます。

  • まずは、金毛閣<br />1589年(天正17年)、千利休によって造営された三門ですが、ここに雪駄履きの自身の木像を安置したことが豊臣秀吉の勘気に触れ切腹を命じられたという逸話はあまりにも有名です。<br />ただ、そうは言われてもあまりピンとは来ないのが正直なところ。案内の方の説明でも、三門の寄進者が自らの像を置くことはよくあることで普通のことだったということ。最近読んだ野上彌生子の「秀吉と利休」では、背景に石田三成派との確執があり、秀長という後ろ盾を亡くした利休が秀吉肝いりの朝鮮出兵への不安を漏らしたことの非を問われたという筋書き。三門の木造は沙汰の口実という設定。最後は三成も驚く切腹となったのも弾みの域の解釈です。自分も制御できなくなるほどの強大な権力を手にする一方で、冷静な判断がだんだんできなくなる秀吉の姿もなるほどという感じでした。

    まずは、金毛閣
    1589年(天正17年)、千利休によって造営された三門ですが、ここに雪駄履きの自身の木像を安置したことが豊臣秀吉の勘気に触れ切腹を命じられたという逸話はあまりにも有名です。
    ただ、そうは言われてもあまりピンとは来ないのが正直なところ。案内の方の説明でも、三門の寄進者が自らの像を置くことはよくあることで普通のことだったということ。最近読んだ野上彌生子の「秀吉と利休」では、背景に石田三成派との確執があり、秀長という後ろ盾を亡くした利休が秀吉肝いりの朝鮮出兵への不安を漏らしたことの非を問われたという筋書き。三門の木造は沙汰の口実という設定。最後は三成も驚く切腹となったのも弾みの域の解釈です。自分も制御できなくなるほどの強大な権力を手にする一方で、冷静な判断がだんだんできなくなる秀吉の姿もなるほどという感じでした。

  • そこから一直線に並んだ仏殿、法堂を拝見して<br />最後は唐門。<br />秀吉の建てた聚楽第の遺構と伝えられるもので、豊国神社の唐門、西本願寺の唐門と合わせて京都の三大唐門と呼ばれるいずれも国宝の唐門。豊国神社の唐門と西本願寺の唐門はいつでも見れるのですが、この大徳寺の唐門だけはなかなか見れる機会がなくて、今回は貴重なもの。

    そこから一直線に並んだ仏殿、法堂を拝見して
    最後は唐門。
    秀吉の建てた聚楽第の遺構と伝えられるもので、豊国神社の唐門、西本願寺の唐門と合わせて京都の三大唐門と呼ばれるいずれも国宝の唐門。豊国神社の唐門と西本願寺の唐門はいつでも見れるのですが、この大徳寺の唐門だけはなかなか見れる機会がなくて、今回は貴重なもの。

  • そして、なんと特別に写真撮影も可ということで大興奮。雨の中でしたが、しっかりその美しさを撮ることが出来ました。

    そして、なんと特別に写真撮影も可ということで大興奮。雨の中でしたが、しっかりその美しさを撮ることが出来ました。

  • まあ、豪華な美しさという意味では、やはり西本願寺の唐門がずば抜けているのですが、かなり以前に遠目で見た時の印象はくすんだ唐門だったのに、今回の印象はかなりいい状態で、そのことにもけっこう感動ですね。<br />ところで、利休も聚楽第の中には私邸をもらっていて、堺の自宅から行ったり来たりしていたよう。この門も普通に見ていたんだろうなと思います。

    まあ、豪華な美しさという意味では、やはり西本願寺の唐門がずば抜けているのですが、かなり以前に遠目で見た時の印象はくすんだ唐門だったのに、今回の印象はかなりいい状態で、そのことにもけっこう感動ですね。
    ところで、利休も聚楽第の中には私邸をもらっていて、堺の自宅から行ったり来たりしていたよう。この門も普通に見ていたんだろうなと思います。

  • ところで、大徳寺は織田信長の葬儀が行われた寺。この葬儀を取り仕切ったのが秀吉で、清須会議に続き、この葬儀を取り仕切ったことも秀吉が信長の後継者であることを世の中に強く印象付けることになりました。<br />大徳寺の塔頭、黄梅院は、永禄5年(1562年)、織田信長が父、信秀の追善供養のため創建したのが始まり。この黄梅院があったことも信長の葬儀を大徳寺で行う理由となったものでしょう。<br />

    ところで、大徳寺は織田信長の葬儀が行われた寺。この葬儀を取り仕切ったのが秀吉で、清須会議に続き、この葬儀を取り仕切ったことも秀吉が信長の後継者であることを世の中に強く印象付けることになりました。
    大徳寺の塔頭、黄梅院は、永禄5年(1562年)、織田信長が父、信秀の追善供養のため創建したのが始まり。この黄梅院があったことも信長の葬儀を大徳寺で行う理由となったものでしょう。

  • 信長の菩提寺としては、新たに総見院が造られたのですが、そういう意味ではここも織田家にゆかりの深い塔頭ということですね。

    信長の菩提寺としては、新たに総見院が造られたのですが、そういう意味ではここも織田家にゆかりの深い塔頭ということですね。

  • その後、小早川隆景の帰依を受け、その流れで京都における毛利家の菩提寺ともなる。山門入ってすぐには織田信秀、毛利家、小早川隆景、蒲生氏郷の墓碑。毛利家は秀吉の備中大返しを黙認し秀吉が天下取りの道を開くのに間接的に貢献した関係だし、小早川隆景は秀吉亡き後の五大老。蒲生氏郷は、信長の娘婿という関係。有力武将は当時それぞれ互いになんらかの関係ができるのは当然なのですが、それでもこうして眺めていると不思議な関係性を感じてしまいます。<br />以上で、四日目も終了。今夜の宿は、滋賀県の草津。明日はこの旅の最終日。草津周辺を回ります。

    その後、小早川隆景の帰依を受け、その流れで京都における毛利家の菩提寺ともなる。山門入ってすぐには織田信秀、毛利家、小早川隆景、蒲生氏郷の墓碑。毛利家は秀吉の備中大返しを黙認し秀吉が天下取りの道を開くのに間接的に貢献した関係だし、小早川隆景は秀吉亡き後の五大老。蒲生氏郷は、信長の娘婿という関係。有力武将は当時それぞれ互いになんらかの関係ができるのは当然なのですが、それでもこうして眺めていると不思議な関係性を感じてしまいます。
    以上で、四日目も終了。今夜の宿は、滋賀県の草津。明日はこの旅の最終日。草津周辺を回ります。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Antonioさん 2024/04/22 20:49:18
    日韓関係
    こんばんは。韓国や中国の人に過去日本が行ったことについて忘れてもらい、前向きにというのは難しい課題ですね。韓国に関しては、近年経済力をつけ、観光で来る人の層も大分変ってきているのは街を歩いていても感じます。日本が米国の広島と長崎への原爆投下を決して許せない心情と通じるものがあるように思います。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2024/04/24 09:55:21
    RE: 日韓関係
    コメントありがとうございます。
    日韓関係は、今は小康状態ですが、この先どうなることやら。。日本も政権がガタガタしての円安も加わったりして、あんまりいい展望が開けない。憂鬱になることが多いような昨今です。

                                  たびたび

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