2015/12/04 - 2015/12/05
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たびたびさん
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韓国1週間の最後は、ソウル市内の観光です。ちょっとありきたりのコースなんですが、それでも感じるところは少なくない。韓国を考えては日本を思い返す。いろんな思いがオーバーラップする旅の総仕上げです。
さて、メインの景福宮(キョンボックン)は、李氏朝鮮の王宮であり、周囲に城壁は巡っていますが、戦いを想定したようには見えません。あくまで政治をつかさどるための施設だったような感じですから、日本だと江戸城というより、京都御所に近い性格の建物ではなかったかと思います。そして、なんとか殿、なんとか殿とやたら殿の付く建物だらけですが、そもそも殿というのは建物に対する最高の称号なのだそうですが、そんなことを聞いても、韓国に来たことで日本のことをよりよく知ることができるの思いを強く持ちました。
日本統治時代には、ここに朝鮮総督府の庁舎が置かれたのですが、そこに至るまでには宮廷内部の抗争に諸外国の利害が交錯した争いの中心が景福宮。大院君と閔妃一族の争いは、宗主国を自認する清を悩ませ、朝鮮を独立国とみなして利権を拡大させようとする日本、ロシアにとっては思うつぼ。自国の実力を養う間もなく、日清・日露戦争の勝利者である日本に併合されてしまうのです。
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朝の便で済州島からソウルに戻ってきて、そこからさっそく昼飯に直行です。
韓国料理には体に良いものという料理が多いのですが、参鶏湯はその最たるもの。朝鮮人参くらいしか分かりませんが、いくつかの薬膳が入って若鳥を柔らかく煮こんであります。 -
イチオシ
この新羅参鶏湯でいただいた参鶏湯も白く白濁したスープがいかにも体に良さそうです。量が多くてどうかなあと思いましたが、きれいに完食。ほかほかとお腹が温もって、外の寒さを忘れさせてくれました。
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昼食後は、マイクロバスに乗って、景福宮に向かいます。
光化門広場の世宗の像を横目に、 -
景福宮の北側に回ると北岳山の麓に建つ大統領官邸、青瓦台。
テレビにもよく出る場所だし、見覚えがある建物が目に入ってきて、ちょっと興奮しました。
ただ、想像していたよりは小ぶりかも。山をバックにしているのでそう感じるのかもしれません。ちなみに、この山をバックにしているのは、警備のしやすさとか安全上のこともあるのですが、やはり風水に基づく一番条件のよい場所だから。韓国の基本は、どこまでも儒教や風水です。 -
東側の門から景福宮に入ります。
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左手には景福宮の正門である光化門。景福宮は、李氏朝鮮の創始者で初代の国王であった李成桂が建てたもの。同時に都はケソンからソウルに移ります。1394年のこと。日本だと室町時代、足利義満の頃ですね。そこから続いた李氏朝鮮は、500年以上続くことになります。ちなみに、その前の高麗は918年からなので474年。それぞれ、中国にならい皇帝を頂点とする中央集権国家でした。天皇は権威があっても実権はなかったという日本とは大きく様相が異なります。
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そして、興礼門へ。この門は、景福宮の正門である光化門に対して、勤政殿に向かう中門の位置づけになります。光化門と興礼門の間は広いスペースなので、王宮守門将交代儀式はここで行われます。あとで、また帰ってくることになります。
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イチオシ
興礼門は光化門より一回り大きくて、こっちの方が絵になるかも。この門から有料エリアに入ります。
さきほど、景福宮は李成桂が建てたと言いましたが、その後、荒廃した景福宮を復興したのは李氏朝鮮の最後の皇帝高宗の父であった大院君。しかし、この大院君と高宗の妃、閔妃の権力闘争が李氏朝鮮の末路を早めたのも皮肉なところでしょう。 -
日本同様に鎖国から開国へ。列強が牙をむく国際社会にデビューした朝鮮ですが、結局は日本を始めとする列強の餌食になってしまう。その流れはとても悲惨です。主な事件を辿ると、以下の通り。基本的には、宗主国を自認する清に同調する事大党とこれに対抗するため、真の独立を目指して日本やロシアの力を借りようとする開明派なのですが、結局は大院君一派と閔妃一族の覇権争い。なので、閔妃一族も親日だったり、親清だったり、親露だったり。局面局面で立場が変わる。ただ、結果として唯一明らかなことは外国の力を安易に借りては真の独立などできなかったということだったかもしれません。
<主な事件>
1876年 江華島条約(日朝修好条規)による開国
強硬な鎖国政策を指導してきた大院君だったが、日本の力の前に屈服。
1882年 壬午事変
大院君の力が弱まり主導権を取り戻した親日開明派の閔妃一族に清が待ったをかけた事件。清軍を扇動したのは大院君だが、結果として、争乱の責任は大院君にありとして、大院君は清に連行される。一方、実権を取り戻した閔妃一族だが、清の力の下では清寄りの立場とならざるを得ない。
1884年 甲申政変
再びの親日派クーデター。しかし、清、袁世凱の機転で事態は収束。閔妃一族は清の傀儡と化す。
1894年 東学党の乱から日清戦争
乱を収めるため、清、日本は朝鮮に出兵。主導権争いの果てに、日清戦争が勃発。日本が勝利し、清の宗主権は完全に消滅。清の後ろ盾を失った閔妃一族から実権は大院君に移る。閔妃一族は親日だったはずなんですが、今度は大院君が日本を頼ります。
1895年 乙未事変
大院君に対抗し、閔妃一族も反撃。今度は親露政策によって権力を奪還したかにみえた閔妃一族ですが、日本守備隊も含めた争乱の中で閔妃は殺害されてしまう。しかし、大院君も日本側によって幽閉されてしまう。
1904年 日露戦争
南下政策を目論むロシアと日本の激突。イギリスは清を頼りにロシアの南下政策を阻止する戦略でしたが、清は頼りにならずとみて、日英同盟によって日本を後押しします。帝政ロシアの内部崩壊の足音も日本を助けた戦いであり、このあたりは日本のツキが目立ちます。
1910年 韓国併合
日本は、ここから太平洋戦争の終戦まで35年間も朝鮮を占領しました。長い長い年月です。 -
そんな権力抗争の舞台が景福宮なんですね。
さて、興礼門の向こうには、もう一つの勤政門が見えています。 -
景福宮は、光化門から、興礼門、この勤政門の三つの門を通って一番重要な建物である勤政殿に至る、一直線の配置が特徴です。興礼門も勤政門も壮大さでは似ていますが、この間には橋が架かっていて、橋を渡ると聖域ということでしょう。そういう意味で、興礼門との違いは聖域にある門ということかと思います。
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聖域へと入るのは、この永済橋から。
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日本だと神社などにあるのと同じで、ここから聖域なのでここで汚れをはらうというような意味があるようです。想像上の動物が装飾としてあちこちに配置されています。
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勤政門も含めて、入り口は三か所ある。身分によって入る口が違うとか。韓国は何から何まで身分社会が徹底しているんですよね。朱子学の教えなんですが、日本では徳川幕府が朱子学を奨励しても結局定着はしませんでした。
儒教は宗教のような感じもしなくはないんですが、処世術とか人心掌握術だし、マナーを教える要素もある。中国人のマナーが問題になっていますが、それは共産党による儒教の否定も一因。儒教の否定が、儒教のマナーの否定にもつながっているからだと思います。 -
この派手派手も皇帝の権威の象徴。あれがあれを表すとかこれがこれを表すとか。きっと細かい決まりがあるんでしょうね。
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通用口のようなところがあって、庶民の私はこっちから入りましょう。
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そして、これが勤政殿。景福宮の中心部にある正殿で、宮殿ではここが最も重要な場所です。
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ここで政治を行うとともに、国家の儀式が行われたり、外国からの客を接待しました。
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これは、文官、武官の配置を示すもの。正七品というのは、日本なら正七位という意味です。
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勤政殿も例によって、一段高い場所。この階段を登って行くんですが、これも真ん中の階段は皇帝しか使えないとかですよね。
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この彫刻もたぶんそうしたことを意味しているんだと思います。
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周囲には干支の彫刻。
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方向とかを示しているのだと思いますが、これも儒教でしょうか。
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建物の内部ですが、奥の柱の中央には王座があって、その後ろには日月五岳図。
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天井には、足指の爪を7つ持つ対の七爪龍があって最大の見所の一つなんですが、
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建物の左横から見ないと見えにくいので、ご注意を。
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イチオシ
で、これが七爪龍です。
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勤政殿から勤政門を見た眺めを確認して。
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さらに奥へと進みます。
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これは慶会楼(キョンフェル)。王宮で宴を催すために造られた高床式2階建ての楼閣です。
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正面には池があって、それがセットになって一つの景観とはなっていますが、池は池、建物は建物といった静的な組み合せのような気もします。外から眺めるしかありませんでしたが、真価は中に入って見ないと分からないかもしれません。
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ちょっと建物が混み合ってきたような区画に入ってきましたね。ここは景福宮の国王が政務を執る思政殿を中心とする治朝のエリアです。
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これが思政殿。勤政殿のすぐ後ろに位置します。
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王様はここで日常の執務を行い、御前会議等もここで行われました。玉座の後ろには、日月五嶽図。太陽と月は王と王妃を、五つの山は王が治める広い領土を意味しています。その上にあるのは龍。龍は王様を表わしています。
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これは、萬春殿。思政殿を挟んで、左右に「千秋殿」と「萬春殿」が並び建つ配置です。この「殿」というのは、最も尊い建物という意味なのですが、三つに全部「殿」が付いていると、ちょっと「殿」の使い過ぎのような気もしてしまいますね。
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こちらが千秋殿。
土台が一段高くなっているのはオンドルが付いているから。こういうのを見ると韓国が厳しい寒さの北の国であることを感じざるをえませんね。 -
景福宮の構造は、いわゆる三朝制度に基づいて建てられていて、臣下たちが業務を執る「外組」、国王が政務を執る「治朝」、国王と家族の生活空間の「燕朝」の三つのエリアに分けられます。
ここからが「燕朝」のエリアに入ります。 -
まず正面に建つ康寧殿は、国王の生活空間である寝殿。屋根に棟木がないのが、外観上の最大の特徴です。その理由は小鳥が留まって王を起こさないようにというのもあるようですが、記憶がちょっと曖昧になりましたが、棟木は龍なので王の頭上には置かないとかの説明があったように思います。
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景福宮の中で国王と家族の生活空間「燕朝」のエリアの中心は康寧殿ですが、その脇にある建物の一つがこの延生殿。ところで、康寧殿の屋根には棟木がないのですが、こちらにはありますね。
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中央の康寧殿を挟んで左右に延生殿とこの慶成殿が並ぶ構造は、思政殿の両脇に千秋殿と萬春殿が並ぶ構造と同じです。そして、すべてにここでも「殿」が付く。どれもが大事だとするとどれもが同じとなってしまう。この感覚は、やっぱりお国柄なのかなあと感じます。
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西儀門は、王の寝殿、康寧殿のエリアから、王妃の寝殿、交泰殿へと続く門。赤いベンガラの門は小ぶりで頑丈な感じは受けませんが、
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面白いのは門に続く塀に、こんなところにという感じでオンドルの煙突が付いているところ。デザインのアクセントにもなっています。
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交泰殿は、王様の寝殿である康寧殿の後ろにある王妃の寝殿。康寧殿と同じで、ここの屋根にも棟木がありません。
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内部は赤松の林で遊ぶ鹿の群れ。
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鶴と亀に、太陽も描かれていて、女性らしいというよりも、おめでたい雰囲気のある絵だと思います。
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含元殿は、王妃の寝殿、交泰殿の西側。世宗の時代に仏像を祀って仏事を行うために用意された殿閣なのだそうです。李氏朝鮮の前の高麗では仏教は厚く庇護されたのですが、李氏朝鮮では儒教を重んじたはず。ちなみに、韓国の仏像や仏教関係の歴史的な品が日本に渡ったのも、こうした背景が一因ということを聞いたことがあります。
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さらに裏手の方に進みます。
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小さな門を入ると、
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ここは、峨嵋山。交泰殿の裏庭に作られた小高い人工の山。傾斜面には整った石を4段に積んでその平らな部分に花壇を造るという女性の趣向に合わせたものかと思ったら、これも風水の考え方のよう。
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イチオシ
涼しい風がこの山の後ろから吹き降りてきて気持ちよく暮らせるのだそうです。通訳さんが一生懸命説明してくれましたが、韓国は何にでもルールがあって、すごいです。
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中心部のエリアを出て。
乾清宮は、時間がなかったので遠目から見ただけですが、こちらは、李氏朝鮮の第26代国王、高宗の王妃であった閔妃(びんひ)が日本軍守備隊らに暗殺された乙未事変が起きた悲劇の場所。李氏朝鮮内部の権力争いにロシアと日本が加担したという背景もあるのでしょうが、尋常なことではない。日本は日清戦争で勝利した直後でしたが、この15年後の日韓併合へと繋がって行くことになります。もうかなり前ですが、ここに来た時に初めてそのことを知って、とても悲しい気持ちになりました。
塀には、女性らしい絵も入っていたり、美しい建物であるだけにその分痛々しい気持ちにもなってしまいます。 -
香遠亭は景福宮の北側で、順路に従ったコースの最後の方です。池の中央の島に立つ六角堂は、優雅な佇まい。建物がぎっしり建ったエリアから出てきたところなので、余計に開放感を感じる一角だと思います。なお、ここでは北岳山が遠景となっています。
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今度は、もう一つの人気施設、国立民俗博物館の方に向かいます。
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かつて、ここには中央博物館があったのですが、今は移転してしまって、後できたのが、この国立民俗博物館です。
ちなみに、前回来た時はその中央博物館で、おびただしい青磁に粉青沙器、白磁を拝見しました。日本人の好みは圧倒的に高麗青磁でしょう。私も国内ではよく見かけるし、高麗青磁が目当てだったのですが、李氏朝鮮になってからの前期の粉青沙器、特に後期の白磁が意外に美しくてとても驚いた記憶があります。朝鮮では陶工はすべて官の庇護を受けて成り立つので、王朝によって様式が一新されてしまい、多様性がないのが日本との大きな違いなんですが、その分、同じ様式の中で進化して行く様がよく分かります。例えば、高麗青磁だと始めは翡色(ひしよく)の美しさを追求するだけだったのに、最後は象眼や辰砂の派手なデザインが出現して終わりを迎える。生物の進化も最初は生き残るために必要な進化を遂げるのですが、どこかから必要のない進化が始まるそうです。そんなことも考えてしまいます。 -
さて、国立民俗博物館の一番の見どころは韓国人の一生を解説するコーナでしょう。
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床入れみたいなところから始まって。
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赤ん坊が生まれてから、成人して、歳を取って、死んでいく。
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節目節目で、イベントがあって、それをルール通りにこなしていくんですが、子供の幸せを思ったり、
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どのような道を歩んでいくのか。考えたりすることもなんだかとっても細かいです。
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結婚式に、
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役人となってから文官の道に
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武官の道。
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しかし、仕事の合間には趣味の世界があって
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イチオシ
漢方でしょうか。病気への対策も必要。
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年を取っては長寿を祝い、
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悪霊退散みたいなこともやる。
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そして、死んだ後も。
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すべてにおいて、
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風水のような規則を重んじて、年長者や祖先には礼を尽くすという姿勢。
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これは墓の風水。どういう場所に墓を作ったらよいのか判断するし。また、実際に作られた墓はどうなのかを風水の観点で細かく評価をするんですね。
これがなかなかやっかいなんですが、韓国の人は人相とか手相なんかもそうですけど、ものすごく好き。人相についても互いに全然遠慮なんかせずに話題にします。日本人だと相手の顔のことを正面から話題にするってありえないですけど、そんな風が全然ない。ちょっとうんざりだったのですが、こんな空気なら整形が当たり前なのはさもありなんという感じです。ちょこっとそんな話をしたら、人相は血液型と同じ。日本人も血液型の話好きですよねと反論されましたが、いやそこには大きな違いがあるんですけどね。。 -
こうして、生きている間だけではなくて、死んだ後のそのまた後まで、ルールがあってそれを守らなくてはならない。韓国は大変なんですね。
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イチオシ
悪く言えば、因習に縛られたともいえなくはないのですが、こうしたスタイルをどうとらえたらいいのでしょうね。結局は儒教の世界なのかもしれませんが、結果とプロセスという視点でとらえれば、明らかにプロセス重視の考え方でしょう。日本でも、結果という言葉には結果論とかネガティブな使い方もありますし、結果を求めて試合に臨むという言い方は非常事態を前提としていて、本来の姿ではないという意味も少し含まれます。それにプロセスが大事なのは見直しや修正がしっかり行えるからです。
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ところが、ここまでくると。プロセスに目が行き過ぎて、結果。つまり何が目的だったのかが分からなくなってしまうのではないかという心配もわいてきます。
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厳しく言えば、長寿を喜び、死者を弔うということがどういう意味だったのかということが脇に置かれて、その手続きやプロセスだけを一生懸命守ろうとする。あるいは、その手続きが無用の進化を遂げてしまう。もしかしたら、そうした一面があるのではないかとも思ってしまうんですね。
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これに対して、日本人は無宗教だといわれますが、私はそれは表面的なことだと思います。死生観について長い思考を重ねてきていて、誰でもが寂光浄土への参拝ができることを疑う人はいないでしょう。人は死んだら仏になるというのは日本人の常識です。そうした思考で人は救われるのであって、プロセスではないんですよね。どうしたら救われるか。どうしたら結果が得られるのかをどこまでも追及する。日本人のすごさはそこにあるような気がするんですが、いかがでしょうか。
もう少し興味のある方はこちらもどうぞ。
http://4travel.jp/travelogue/11008018 -
次は、ここから王宮守門将交代儀式に回ります。
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王宮守門将交代儀式は、景福宮の前庭で、毎日3回行われていて、今始まったところです。
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ちょっと間が抜けたような妙な調子なんですが、
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太鼓をドンドン叩いて。
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守衛の兵士たちはそれに合わせて隊を組んで進みます。
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髭を生やして威厳を保ったりしていますが、実戦的なものではないのは明らか。
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むしろ、平和な光景かもしれません。
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こうした文化を誇っている朝鮮ですから、なんだかんだと言いがかりをつけて進駐してきた日本軍は、戦いには強かったのかもしれませんが、どうみても野蛮人にしか見えなかったのは間違いないでしょう。
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朝鮮内部では派閥争いもあったし、民衆にも不平不満はあったにせよ、アンチ日本ではみな同じ。そこを強引に侵略した日本はそれも近代化の一部だと勘違いしてたんですね。
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朝鮮は清から独立しようとしていただけで、一部の親日派は日本がそれを助けてくれると期待していたのですが、それは大きな誤解でしかなかったということです。
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ただ、日本も朝鮮を併合してハッピーだったかといえば、そうではない。
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イチオシ
満州事変から日中戦争、太平洋戦争。結局、国土は焦土と化して、敗戦・無条件降伏という悲惨な道をたどることになる。
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こうして平和な儀式を見ていると、その後の過酷な歴史にも思いをはせてしまいました。
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こんどは、北村韓屋村に向かいます。
途中の東十字閣は、景福宮の東にある大通りの真ん中に建つ楼閣。宮廷望桜ということですが、中国の望桜であれば城壁の上に建っていたりするので、ちょっと違和感もなくはない。石の台座に比べて、屋根がかなり大きいのも特徴的かなあと思います。 -
建春門は、景福宮の東側。三清洞の方角に向かっていますが、普段は閉まったままのようですね。屋根には三蔵法師の飾り。入口は一つだけなので、身分の違いに応じて、通る場所が違うといったことはできない門。ガッチリしていて防御は完璧でしょうが、やっぱり裏門というような位置づけなのかなあと思います。
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北村韓屋村に到着して。
景福宮にも近い高台で、ここには、王族をはじめとする身分の高い両班が住んでいた場所です。 -
韓屋と呼ばれるお屋敷が軒を並べ、韓国の時代劇に出てくるような雰囲気。
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家々は高い塀に囲まれて、訪れる人を拒絶するような構え。中を窺い知ることはできません。
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両班と言えば、地方で搾取して嫌われた役人のイメージが強いので心なしかそう見えるのかもしれません。
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ところで、北村韓屋村はそんなに広いエリアではないのですが、小高い山の上にあることもあって、場所場所でけっこう景色が変化します。
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その中で、鍾路区が選定した8つのフォトスポットがあり、これを「北村八景」というようです。意識はしなくても、結果としてこれは○景だったんだなと思い出すくらいのものだと思います。
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例えば、これは北村6景。北村5景から北村韓屋村の長い坂道を上って、今度は上から眺めた景色のこと。ソウルの市街地からソウルタワーの方までが見通せて、歴史的な韓屋マウルの建物と近代的な市街を対比させて楽しめるところがいいと思います。ただ、ここは北村でも一番の人気スポットなので、人は多いです。
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少し移動して、
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北村7景は、北村6景から青瓦台の方向へ下って行く路地。
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路地を抜けると高台の斜面に張り付くように建物が建っていて、その間を細い急な石段がいくつもある。ソウルにいるのに、一瞬長崎に来ているような感覚に襲われました。雰囲気がとてもよく似ています。
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北村韓屋村は、山の上のあるかつて権力者が住んでいた高級住宅街ですが、
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その住宅地から降りてくると、
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周辺には石畳の賑やかな通りがあって、それが北村路。トッポギとかホットッとかのB級グルメの店もあって、
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これも楽しい一角です。
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恐る恐る食べましたが、思ったほど辛くはありませんでした。
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三清洞通りは、北村韓屋村から降りてくると、そのままこの通りに入りました。路地に入るとB級グルメの宝庫。このあたりにホットッの店があるはずなんですが。。
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あ、あれですね。
サムチョンドンのわき道をちょっと入った場所。 -
ホットッといえば、韓国のおやつですし、新大久保でも人気の食べ物。
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イチオシ
ただ、三清洞ホットッのホットッははちみつがトローリ。めちゃめちゃうまいですねえ。やっぱり本場はうまい。新大久保のホットッの十倍はうまいと思います。
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そこからそのまま歩いて、
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骨董品の通りです。
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書画や筆なんかを扱う店があったり、
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観光客にはほどよい異国情緒がありました。
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そして、最後のディナーへ。
この木蘭は、ソウルの地元の人にとってもあこがれのレストランのようです。とにかく予約が取りにくくて、観光客なんかがおいそれとは行けないお店だということでした。 -
ソウルの郊外で個室も悠々。
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内装とかはすごく豪華という感じはしませんが、清潔感溢れる雰囲気は気持ちの良いもの。
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中華料理のひと品ひと品が手が込んでいる感じだし、
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イチオシ
香りの高い中国酒も料理にあっているように思いました。
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最後の最後も、
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韓国の最高のグルメを楽しみました。
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締めは、ジャージャー麺。香辛料の香りもありますが、つやつやの高級感がある味わい。盛岡のジャージャー麺とはやっぱり違います。
以上、ご馳走様でした。 -
で、最後は、これもお決まりの明洞ですね。
ここはロッテ百貨店の中にある免税店。買い物好きの観光客にとっては、パラダイスのような場所。 -
人気商品は、ブランド品の他、韓国コスメの化粧品。やっぱり、包装とかのデザインが日本のものとは違って、とっても華やか。見ているだけで楽しい商品のオンパレードです。
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ロッテの免税店で買い物をした後に見かけたのが、近くにあるロッテホテルのイルミネーション。
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それなりではあるのですが、結果としてはこの後見る明洞の賑やかな夜のネオンサインのインパクトがあまりにも強烈だったので、こちらの印象は吹っ飛んでしまいました。
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明洞の中心部へ。
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で、街歩きの前に明洞瑞草汗蒸幕へ。
アカスリは、韓国の文化だということですから私も体験してみました。まずは松の木を燃やすという大きな窯の蒸し風呂に二回入って、もう汗だく。少しクールダウンして湯舟に浸かった後は、いよいよアカスリ。ゴシゴシこすられましたが、まあギリギリOK。その後、入念なマッサージで仕上がりです。
心配していたような痛さはなかったですが、一番気持ちよかったのは蒸し風呂かなあ。そんな感想です。 -
リフレッシュしたところで。。
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やっぱり、明洞はソウル市内で最も有名な繁華街。
夜が更けても至るところにネオンが輝いて、大勢の人で賑わっていて活気がある。路地にはちょっとした露店もあるので、買い食いなんかも楽しいです。 -
イチオシ
それに、このネオンの派手派手。
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表参道と新宿と渋谷を混ぜたような雑踏なんですが、それがやっぱり韓国らしい見事なにぎわいの光景です。
長かった韓国の旅の最後ですが、これで明るくスカッと終われたでしょう。韓国ドラマとかK-POPとかもそうですが、見た目通り素直に楽しめるこの感覚が最高です。 -
翌日。空港で、ガイドさんとも最後のお別れ。しかし、実はここでちょっとしたハプニング。
手荷物が多かったこともあって、私が左手で握手しようとしたら、それだめと拒否されてしまいました。もう長く一緒にいたので、どうということはないのですが、この辺りも韓国ならでは。握手に限らず、もし日本なら、自分に違和感があることでも相手が何も知らない外国人であればそれをそのまま受け入れたはず。そんなところで、軋轢を生むようなことはしないでしょう。
翻って、日本のおもてなしって、積極的なものではないようにも思ていましたが、こうした相手に合わせて不快な気持ちにさせないのは一つの大事な要素かも。そして、それって日本人ならではの考え方なのかもしれません。
ただ、一方で、韓国人がこれこれこういう理由で左手は使わないんだ。だから、あなたには左手で握手しないんだときちんと説明したらどうでしょう。もしかしたら、何気ない握手においても韓国人の思いを持ってきちんと礼を尽くす態度を知って、その文化とかに理解を深め、尊敬の念まで抱くこともあるかもしれません。なんとなく、気持ちがよかっただけの日本式と始めは違和感があってもその後は固有の文化の相互理解へと進む可能性のある韓国式。やっぱり、一長一短があって、やはり、必ずしも、日本式が優れているとも言えないように思います。
しかし、それでももう少し言わせてもらうと。韓国の礼は、もとは中国の文化です。そして、中国の文化は東アジアで国際交流をする時のマナーだったんですね。つまり、異民族同士でも、基本的な中国方式を守ることで、お互いのコミュニケーションが円滑に図れるようにしたのです。沖縄の守礼の門もそういうこと。私たちは礼を守る国です。安心してくださいという意味なんですね。
という視点に立てば、握手の仕方も韓国ではこうだといった固有の考え方に立つべきではないかも。共通言語のようなマナーは固有のものではなく、共通するものというところに意味がある。中国から文化を忠実に取り入れた韓国ですが、その文化とは万国共通のものであったはず。それが韓国の固有のものとして、それを自らのアイデンティティと考えているとすれば、ちょっとチグハグのようには思います。 -
飛行機の中で、空港で買った海苔巻をパクリ。
酢飯じゃないところが日本との大きな違いなんですが、ずいぶんおいしくなっているような。私の前回のイメージではおにぎりみたいなご飯の味ばかりが印象的だったんですが、全体としてご飯とおかずのバランスが良くて違和感なし。しかし、特徴という意味ではさみしいような気もして複雑です。 -
改めて、機内食もいただいて、
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なんとかこれで無事に終了。
おつかれさまでした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- mom Kさん 2019/11/22 19:33:35
- 早速
- たびたびさん、第一号で見てくださってありがとうございます。初めてのソウル。なんの予備知識も持たず(計画せず)「このお店に行かなくっちゃ」だけでしたが。
ホットっというのですか。ハチミツの入っているのを目にして、おなかがいっぱいだしと恨めしく思っていました。冬のソウルにも行かれているのですね。帰国して、拝見して、ああそうだなあと思うことしきり。来年も!
- たびたびさん からの返信 2019/11/25 13:53:00
- RE: 早速
- 冬のソウルって、スキー場みたいに寒いですよね。もしかしたら、それ以上かも。。
熱くて油断すると舌をやけどしてしまいそうですが、ホットッもそんな中での食べ物かもしれませんね。新大久保でも人気があるスイーツ。機会があれば、そちらでもぜひどうぞ。
たびたび
-
- trat baldさん 2016/12/18 08:54:51
- 旅行時期としては厳しかったと思ったけど、、、、
- 興味津々です、写真で見る限り割と順調に観光が出来ている様な感じですが。
大昔に済州島には通ったけど半島は通過点だった、見ごたえの有る風景が盛りだくさんでこれこそが旅行記ですよね!
Ps.諸般の事情で現地撮影がありません、移動や物価の説明に終始しただけの記事でしたが有難う御座います。
- たびたびさん からの返信 2016/12/19 09:24:27
- RE: 旅行時期としては厳しかったと思ったけど、、、、
- そのとおり。ソウルはスキー場みたいな寒さでした。やっぱり時期は大切ですね。
たびたび
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