2023/04/23 - 2023/04/23
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ぱくにくさん
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4月の土日で、仙台・石巻エリアを観光しました。
きっかけは、仙台で開催されていた、San-Xの90周年イベント「うちのコたちの大展覧会」。
そこに松島での宿泊、ニシキヤキッチンのレトルトの買い込み、仙台空港の見学、石巻エリアの震災遺構見学を絡めて、前日移動の2泊3日で観光しました。
こちらは、2日目の旅行記。
東日本大震災で大きな被害を受けた東松島・野蒜・石巻の震災遺構を中心にめぐっています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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松島湾沿いの松島センチュリーホテルに宿泊していたため、朝の散歩で松島海岸を歩いてみました。
県立自然公園松島 公園・植物園
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目の前の島に建っているのが五大堂です。
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五大堂行ってみます。
この橋は、横に木の棒が欄干を支え、その上に板が乗った形なので、下が透けて見えるようになっているんですよね。五大堂 名所・史跡
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五大堂を、海側(一番奥)から見た所です。
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五大堂からの松島の海の眺望。
穏やかで良きかな。
早めの時間だったのですが、もう遊覧船の受付も始まっていました。 -
日本三景の碑。
宮島、天橋立、松島。全部好きですよ。 -
遊覧船乗り場のあたりです。
松島湾 自然・景勝地
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観瀾亭。
豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗がもらい受けて江戸の藩邸に移築したものを、伊達二代藩主忠宗が松島に移築したのだそうです。
早い時間で、まだ中に入ることはできませんでした。観瀾亭 名所・史跡
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観瀾亭からさらに松島松島離宮の方に歩いていくと、東北ヨット発祥の地がありました。
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東日本大震災の慰霊碑。
仙台港~松島は複雑な地形で島々も多いため、津波の被害は幸い、比較的少なくて済んだ場所であり、震災前とあまり変わらない景色になっています。 -
東日本大震災を伝える伝承ボード?のようなものも。
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松島離宮まで歩いてきました。
戻ります(笑)宮城県松島離宮 美術館・博物館
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再び、松島の観瀾亭エリア。
松島出身の文学博士・青木存義氏の作詞で、松島に住んでいた頃を思い描いて詞を作ったそうですよ。
この後ホテルに戻り、散歩の汗をお風呂で流し、出発しました。どんぐりころころの碑 名所・史跡
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宿泊していた松島センチュリーホテルからほど近い場所にあった「松島レトロ館」に、ホテルをチェックアウトして最初に向かいました。
古いガイドだと、場所が移転しているので注意です。松島レトロ館 美術館・博物館
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宮城のレジェンドも訪問されたようですよ!
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館内のBGMはレコードで、レコードを選んでかけてもらえる仕組みでした。
ナウい。 -
「昭和」といいつつ「平成」な昭和館も割とある中、ここはガチで昭和です。
恐らくは館長の趣味やコレクションでやっている施設。
勢いのあった時代を感じる施設は残してほしいですね。 -
例年ならまだ桜が残るであろう、松島の景色を見下ろせるスポットの中ではアクセスも良好な「西行戻しの松公園」に行きました。
桜は、2023年は特に早咲きだったので、ちょっと厳しいですね。西行戻しの松公園 公園・植物園
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ここからの松島の景色は、素晴らしいの一言。
公園の名前の由来は、鎌倉時代・12世紀のの歌人・西行法師が、諸国行脚の折りに、松の大木の下で出会った童子と禅問答をし、敗れたために道を引き返した、という言い伝えからだそうです。 -
「明治百年記念、西行戻しの松公園」の碑。
こういう碑は余計というか・・
明治という時代はきちんと検証した方がいいと思うのです。
哲学や倫理を成熟させないままに暴れた結果、今の日本に色々なマイナスを残した時代ではないでしょうか。 -
公園内のレストラン。
ロマン グルメ・レストラン
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開店時間前で、屋外のテラスの方に行かれました。
ここからの景色が一番良かったかなと思います。
ランチもやっていて、意外に手頃なお値段で食べられそうでしたよ。 -
次は、松島海岸から川を挟んで反対側にある、藤田喬平ガラス美術館。
ガラス美術館好きなんですよねぇ。
ここ、営業時間短いのでご注意ください。最終入館13時です。藤田喬平ガラス美術館 美術館・博物館
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「飾筥(かざりばこ)」。
藤田喬平氏の代表的な作風・・ですが、こちらの作品、なんと息子さんの藤田潤氏の作品です。 -
ベネチアに留学していた時期があり、ベネチアガラス的な作品も数多く展示されています。「瑞巌寺を想う」という作品名です。
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こんな感じで、ゆとりのある空間内に美しいガラス作品が展示されていて、心落ち着く感じです。
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屋外の「水上庭園」も見どころです。
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藤田喬平監修のステンドグラスを備えたチャペル。
使われていなければ、自由に入れますよ。 -
次は、震災の津波で大きな被害を受けた野蒜地区に行きました。
震災の時に、運転士の判断で線路の一番高い所に電車を停車させ、津波から逃れた逸話があったのも、このエリアだったはずです。
奥松島公園公園の野球場です。楽天が後援していますね。 -
運動公園の一角にあるKIBOTCHA。
東日本大震災により津波被害を受けた旧・野蒜小学校跡地を再利用した施設で、「希望」も施設名に込められています。KIBOTCHA 宿・ホテル
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1階には食堂や入浴施設、2階には防災を体験型で学べる施設、3階には宿泊施設や会議室があります。
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旧野蒜駅跡です。
今は内陸側に線路が引き直されています。野蒜駅 駅
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野蒜駅に押し寄せた津波の高さが残されています。
東日本大震災で見かける津波の高さの掲示、ことごとく「異常だな」と思うんですよね。 -
野蒜駅の跡地は、東松島市震災復興伝承館として活用されています。
入場は無料です。東松島市震災復興伝承館 名所・史跡
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青い鯉のぼり。
よく見るとGLAYの名前が入っています。
東日本大震災で亡くなったこども達の為に、3月11日から5月5日のこどもの日まで「青い鯉のぼり」を掲揚する『青い鯉のぼりプロジェクト』を、GLAYと親交の深い和楽器集団を中心に立ち上げていて、そこにGLAYも参画して鯉のぼりを作ったのだそうです。 -
野蒜も、(この旧野蒜駅の景色からは想像しにくいのですが)大きな津波被害を受けた場所で、ニュースでもよく流れていて、それでこの場所に興味を持ったというのが実は正直なところです。
その野蒜地区を含め東松島市内の被災状況が展示されていました。 -
旧野蒜駅のホーム。
復元されたのでしょうけど・・・ -
「そば処奥松庵」さんで遅めのランチ。
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黒いおそば。
おそばに海苔をねりこんだので、この色なのです。 -
恐らくこのおそばはゼロカロリーと思われます。
ちょっと何言ってるか分からない。 -
写真撮影禁止でしたが、仙台在住の航空撮影家・黒澤英介氏のギャラリーも見学しました。
ブルーインパルスを撮影した写真などが展示されていました。 -
この旧野蒜駅一体のエリアは、東松島市東日本大震災復興祈念公園として整備されています。
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続いて石巻へ。
石巻を代表する企業・日本製紙工場の東側、津波ですべてが流されてしまった南浜地区の住宅街の跡地が公園として整備され、その一角にあります。みやぎ東日本大震災津波伝承館 美術館・博物館
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三陸どころか、太平洋沿岸を襲った未曽有の津波の記録を伝えています。
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津波の被害や、その被害直後の救援の様子などが展示されていました。
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くしの歯作戦の展示。
震災直後に、壊滅的な被害を受けた沿岸部へのアクセスを回復するため、道路啓開を超短期間で行った記録です。
比較的被害の少なかった東北道や4号線から、沿岸部までの道路を、最低限車が1台通れるレベルで開通させたもので、3日以内に大部分の道路啓開に成功しています。
がけ崩れなどを言い訳にしていましたが、能登の地震ではどうしてもこの実績と比較をしてしまいました。 -
鎮魂と追悼のモニュメント。
石巻南浜津波復興祈念公園 公園・植物園
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公園内には、不幸にして津波で亡くなった方の慰霊所も設置されています。
次は、この南浜地区の人が実際に逃げ込み、生徒と一緒に避難をして命をつないだ、門脇小学校です。 -
震災遺構・門脇小学校。石巻南浜津波復興祈念公園から見える位置で、北側の、小高い丘(日和山)の下に位置しています。
避難してきた地元の人や、小学生の親なども一緒に最終的に日和山まで避難した実績(結果的に1名の犠牲者も出さなかった)などが評価され、震災遺構として残されることが決まった施設です。震災遺構 門脇小学校 名所・史跡
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この小学校には6mの高さの津波が押し寄せたうえ、津波で流された車が小学校の建屋に激突して大火災が発生したりしました。
下層階にはその遺構が残されてます。
単に流されただけではなく、燃えた様子も分かります。 -
大正時代に作られた門脇小学校の看板や校章などの展示です。
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住宅街や門脇小学校に押し寄せた津波、そして門脇小学校の生徒や保護者、避難してきた住民が避難した経路の説明です。
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河川を遡って押し寄せた津波の説明です。
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震災の後に作られた仮設住宅の模型もありました。
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門脇小学校に通っていた生徒や先生方が避難した日和山に行きました。
日和山にある鹿島御児神社。鹿島御児神社 寺・神社・教会
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震災の時にこの場所に逃げてきた人も多かったのですが、本殿自体も被災をしており、2019年に再建された新しい本殿になっていました。
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神社の前が日和山公園です。
日和山公園 公園・植物園
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標高60mの日和山からは、太平洋と門脇小学校・祈念公園もある南浜エリアが一望できます。
東日本大震災前は住宅街ですから、震災が変えてしまった街の様子が最もわかる場所でもあります。 -
門脇・南浜エリアの説明掲示もありました。
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日和山は高台で、源頼朝の家人葛西清重に端を発する葛西家がこの地に石巻城を作り居住していましたが、秀吉の時代に滅亡し、伊達政宗の時代に廃城されています。
政宗は青葉城を本拠としましたが、この地を本拠にする案もあったとか。
今は碑だけが残っています。石巻城跡 名所・史跡
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日和山に上がる所の道です。
30%の斜度なんて初めて見ましたw
(長崎のオランダ坂で見た20%が最高ではないでしょうか) -
いしのまき元気いちばに立ち寄り、宮城のお土産を買いました。
いしのまき元気いちば お土産屋・直売所・特産品
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対岸には、頑丈なつくりで震災の時に住民が避難してきた石ノ森萬画館が見えます。
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石巻からは一目散に帰りました。
途中の春日PA。
最近は、一般のチェーン店がPAやSAに入っていることも多く、便利な反面ちょっと物足りなさも感じますね。春日パーキングエリア (上り) 道の駅
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