2022/11/16 - 2022/11/19
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まつじゅんさん
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一年振りの東京旅、3日目です。
明日の夕方便で、大阪に戻りますので、息子の生存確認をしなければ・・、という事で今夜の夕食に呼び出しました。
諸々の条件から、京王幡ヶ谷のお店で19時からという事で予約しましたが、それまで結構時間があります。
いつもの「今日はどうしようか。。。」という奥様との昨晩話し合い、今まで訪れた事が無く、気になっていた場所があるという提案があり、以前アド街で紹介されていた「都心の中の緑の街」という等々力渓谷と、可愛い電車が走る東急世田谷線沿線の街歩きとなりました。
等々力渓谷は、本当に住宅街のすぐ横にこんな場所があるのだと感動しました。
渓谷の途中で、美味しいイタリアンのお店でランチを頂き、東急世田谷線を三軒茶屋から下高井戸まで、一日切符を利用し途中下車を繰り返し、招き猫の豪徳寺、松蔭神社等をゆっくりと散策しました。
ゴトゴト走る2両連結の可愛い電車、一日中乗っていても飽きないですね。
19時前に下高井戸駅に到着し、幡ヶ谷で息子と合流し、コロナ疎開で帰って来て以来1年半振りに顔を見て、元気そうで良かったです。
夕食は息子にゴチになり、奥様は食事中に私の就職祝いにバックを貰う(強奪?)事になっていたようで、息子のマンションまで一緒に行き、無事ホテルに帰着いたしました。
3日目は、世田谷区内の街歩きです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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-
全日と同じく、ホテルから半蔵門線の九段下まで歩き、二子玉川で東急大井町線に乗り換え、等々力に向かいます。
30分チョットで東急等々力駅到着、街中にあるこじんまりとした駅ですね。等々力駅 駅
-
駅を出ると直ぐ、等々力渓谷遊歩道の案内がありました。
ホント、こんな所にあるの・・・と、一瞬疑いたくなる距離です。
1933年に、多摩川風致地区に指定され、1961年から1964年にかけて整備後、1974年に世田谷区等々力渓谷公園として開園した、1999年東京都文化財保護条例による「名勝」として、文化財指定されている渓谷です。等々力渓谷 自然・景勝地
-
道路から一つ入ると、そこは緑の遊歩道です。
橋の袂の階段を降りると、谷沢川に沿った約1kmの遊歩道があり、等々力渓谷散策のスタートは、この赤い色のゴルフ橋からのようです。
ゴルフ橋は、1961年に架けられた鋼製のアーチ橋です。
以前は木製の橋だったようで、昭和の初め頃に東急が旧下野毛に開発した約8haのゴルフ場があった事に由来するようです。 -
武蔵野台地の南端を流れる、多摩川の支流である谷沢川の侵食により形成された等々力渓谷。
谷沢川は街並みから10m位下がった位置を流れていて、住宅が並び立つ敷地からは、V型に落ちこんだ、23区唯一の渓谷となっています。
東急等々力駅から徒歩約5分で、ここは都心なの、と疑ってしまう立地ですね。
谷を覆う木々が日差しを和らげ、水冷効果もあってか、夏場は等々力駅周辺と比べて気温は平均3℃、大きい時で5~6℃低く、都心の避暑地と言われています。
等々力渓谷には、野鳥ガイドが設置されています。
ただ実際の所、野鳥は木に覆われていて発見は難しく、鳴き声で認識するという事でしょうか。 -
等々力渓谷には、7世紀(古墳時代後期)の横穴墓群があります。
全長13mに及ぶ横穴墓は、崖に横穴を掘った墓室(玄室)、羨道部分と通路である前庭部に分かれていて、墓室内には3体以上の人骨が埋葬されており、須恵器や土師器、耳環(イヤリング)やガラス小玉等の副葬が確認されています。等々力渓谷第3号横穴古墳 名所・史跡
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等々力渓谷には、約30箇所以上の湧水があり、湧水を汲める場所もあり、持ち帰り用のペットボトルに水を汲み入れる場所もあります。
この渓谷の湧水は、2003年に「東京の名湧水57選」に選定されているそうです。
また、渓谷内にはケヤキ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ等の自然植生林があり、シダ等の湿性植物の群落もあります。稚児大師御影堂 寺・神社・教会
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こちらが有名な「不動の滝」です。
等々力不動尊発祥と言われる滝で、途絶える事無く湧水が流れ落ちています。
パワースポットとして、有名なようです。
等々力の名称の由来は、この滝の音が「轟く」という表現から命名された、という説があるように、この渓谷を代表する場所ですね。稲荷堂 不動滝 名所・史跡
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滝の横には、不動明王が祀られています。
商売繁盛、出世、勝運、厄払い等のご利益があるようで、大日如来の化身とも言われ、関東三十六不動に選ばれているようです。 -
滝の横から急な階段を上っていくと、900年の歴史のある寺院がありました。
等々力不動尊です。
こちらは満願寺の別院で、山門はかつての満願寺の山門を移築したものとなっています。
真言宗智山派で、山号院号は瀧轟山、明王院です。
本尊の不動明王は、1100年頃に、真言宗中興の祖 興教大師覚鑁上人が開かれた霊場のようです。等々力不動尊 寺・神社・教会
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境内には展望台があり、桜や紅葉の時期は特に美しい景色が見られるようですが、今の時期、少し早かったようです。
もう一度滝に戻り、奥に進むと立派な門や池、流れ、石畳の階段園路等で、地形や周辺の自然を巧みに活かした、1973年築造の日本庭園を廻り、崖を登りきった所にあった書院でお茶を頂き、等々力駅に戻る事といたしました。 -
散策途中に、気になっていたこの看板。
渓谷から登った場所にある「OTTO」でランチを頂く事としました。
1998年開店の、カジュアルなイタリアンレストランのようです。OTTO グルメ・レストラン
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ランチタイムは、A~Cの3コース用意されていて、私達はミニサラダ、フルサイズのパスタorピザ、カフェのAコース(1,250円)をチョイス。
ピザはカンパニューラ、パスタはマーレロッソを注文、パスタは最初から2皿に盛りつけましょうかと、ありがた提案がありました。
人気店のようで、平日とはいえ丁度ランチ時で、1時間近くの待ち時間となりましたが、全てが美味しかったです。 -
東急等々力駅から二子玉川経由で三軒茶屋まで東急で移動し、三軒茶屋で世田谷線散策切符を購入しました。
ただ、あとから気付いたのですが、東急線ワンデーパスという切符が780円で、今日のルートでは、こちらのほうが少しお得なようです。
(まぁ、54円の差ですけどね・・・。ワンデーパスを調べ切れてなかった事が、悔しいだけです。) -
初めての三軒茶屋です。
駅前にはド~ンと高層のビルが、キャロットタワーと言うらしいです。
周囲は中・低層の建物が多い為か、地下5階、地上27階という、一際目立つ建物でランドマークになっていますね。
何故キャロット(人参)と思いますが、公募で「発想が豊かで新鮮。ビタミンたっぷりで元気の出る名前は、世田谷の将来の発展にふさわしい。」との理由で、区内の中学1年生の案に決まったそうです。
色、形からでは無かったんですね。(失礼しました。)キャロットタワー 名所・史跡
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最上階に展望台があるそうなので、上がってみました。
最上階の26階は展望レストラン、FM世田谷サテライトスタジオと展望スペースがあるようです。
126mから見る景色は、条件が整えば西側は東京西部から富士山、東側は東京タワーが見れるかも、との事でしたが無理でした。 -
東急HP掲載の散策マップです。
東急世田谷線は、2両編成の超ローカル線、なのに全国区の人気があるという、不思議な路線です。
理由としては、東京都内に残っている貴重な路面電車で、穴場スポットが全10駅の殆どにある事や、懐かしい下町の風景が残る場所や、オシャレなカフェがオープンしたり等があるようです。 -
三軒茶屋駅は、キャロットタワーの中にあります。
乗車料金の支払いは、車両に乗り込む際全区間150円で、IC利用がお得です。
三軒茶屋では東急田園都市線と、下高井戸で京王線、山下駅では小田急線と、複数の乗り換え駅を繋ぐ便利な路線のため、時間帯によっては混雑しているようですが、電車の本数が多いので一本見送っても、ゆっくりと街歩きが出来ますね。三軒茶屋駅 駅
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最初に向かったのは、招き猫で有名な豪徳寺です。
最寄り駅は「宮の坂」で、徒歩5分位だったのですが、お上りさんの私達、間違って小田急線の豪徳寺乗換駅の「山下」まで乗ってしまい、徒歩で20分位かかってしまいました。豪徳寺 寺・神社・教会
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招き猫の発祥地ともされている「豪徳寺」です。
境内の紅葉も少し進んできていますが、元は臨済宗寺院で、1584年に曹洞宗に転じたようです。
山号は大谿山、1633年に彦根藩主 井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備したもので、寺号は直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」からで、井伊家の菩提寺です。 -
招き猫の発祥が豪徳寺であるというのは、彦根藩主 井伊直孝が、猫により門内に招き入れられ、雷雨を避けて和尚の法談を聞くことができ、後に井伊家御菩提所としたという説から出ているようです。
豪徳寺では、「まねぎねこ」と称していて、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」があります。 -
願が成就したお礼として、数多くの招き猫が奉納されています。
招き猫というと、一般的に小判を持っていますが、豪徳寺の招き猫は右手を上げて小判は持っていません。
「招き猫はチャンスを与えてくれるが、それを生かして、福を得られるかどうかは自分次第。」という考えのようです。
私達も右から3番目の猫様を一体購入し、願が成就したら奉納させて頂きますね。。。 -
境内に猫様が・・・。
私達は、小田急線の豪徳寺駅から歩いてきましたが、駅前を起点にして豪徳寺への参道だったという豪徳寺商店街があり、道中には、表情豊かな招き猫が点在していました。 -
豪徳寺を出て、世田谷線宮の坂駅に向かいますが、確かに近いです。
駅近くに鳥居を発見した私達、鳥居を見るとお詣りする習性が。。。
世田谷八幡宮です。
祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后で、旧社格は郷社です。
歴史としては、陸奥守の源義家が清原家衡を攻め平定した後三年の役の帰路、1091年に この地で豪雨にあい、天気快復を待って十数日間滞在した折、戦勝は日頃から信仰している八幡大神様の御加護と感謝し、豊前国 宇佐八幡宮の分霊を招き、里人にも郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えたのが始まりで、創建は後に7代目世田谷城主の吉良頼康が、1546年社殿を再興させた時と言われています。
また、源義家が士卒に奉祝相撲を取らせたとの事から、奉納相撲が神事として行われているようです。世田谷八幡宮 寺・神社・教会
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以前は、奉納相撲の勝敗によって来年の豊作、凶作占いを行っていたようで、境内に土俵や力石がありました。
渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社と合わせ、江戸郊外三大相撲の一つとされていて、毎年9月に行われる秋の例祭で、東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われているそうです。(正代さんの母校ですね。)
こちらの狛犬さんには子供?がいて、子を抱き寄せられて親を見上げているようで愛らしいですね。 -
駅名は、世田谷八幡宮の近くにある坂が由来のようで、世田谷線で活躍した、旧玉電車両が駅前に展示されています。
旧玉電デハ80形(江ノ電600形)の車両は、駅に隣接した宮坂区民センターにで展示保存されています。
1925年製造の木製車両で、1953年に鋼製車に改造される等、度々車両番号が変わりながら、1969年廃線の玉川線(を走っていたから玉電)や今の世田谷線である下高井戸線を走っていたようです。
その後、江ノ島電鉄で活躍し、1990年に引退後、世田谷線を走っていた時と同じ色に塗装され2018年から展示されています。宮の坂駅 駅
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何度も途中下車をしながら、街巡りを楽しんでいます。
こちらは松陰神社で、吉田松陰が眠る墓所があります。
松陰神社前駅から、昔ながらの商店街を歩いていくと、かつて長州藩主の別邸があった場所に、安政の大獄から4年後、1863年に刑死した松陰を、高杉晋作、伊藤博文等の門人によって小塚原の回向院から改葬されたようです。
1882年に、門下生によって墓の側に松陰を祀る松陰神社が創建されました。
旧社格は府社、祭神は吉田松陰です。松陰神社 寺・神社・教会
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吉田松陰は、有名な幕末の思想家、兵学者、教育者です。
1830年に長州藩 萩松本村で、毛利藩士 杉百合之助常道の次男として生まれ、6歳の時に、叔父にあたる吉田大助が若くして亡くなると、山鹿流兵学師範を務める吉田家の家督を継ぐこととなりました。
吉田家ででは、厳しい教育の元で力をつけ、11歳の時に藩主 毛利慶親公に武教全書を講義するまでになっていました。
その後、外国艦船がしばしば現れていた頃、渡航に向け行動するも、鎖国の壁により何度も投獄されている時でも、日本を海外の列強からどのように守るを考えていたという事です。
萩に戻り、松下村塾を開村し、身分の上下や職業等に関係なく、畑仕事等をしながら、それぞれの長所を見つけ伸ばすという教育を行い、僅か2年間の開塾でしたが、伊藤博文、野村靖、山縣有朋等の明治維新を成し遂げた、数多くの若者達に影響を与えた人物です。 -
境内には、山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模した建物があります。
叔父の玉木文之進が1842年に開いた寺小屋に、松下村塾の看板を掲げたのが始まりと言われています。
塾長は玉木氏が多忙の間は、久保五郎左衛門が1857年まで引継ぎ、1892念ごろまで続いたようです。
吉田松陰は1852年の半年、1855年冬出獄してから1857年11月迄、杉家で教育していて、初めて8畳一間の塾舎が完成し、この時から塾で起居し塾生に対し師弟同行の教育が行われていました。
安政の大獄に連座し、投獄され刑死するまでの2年半程の期間に、明治維新を通して近代日本の原動力となった多くの逸材を輩出した教育とはどのようなものなのか、今の世界で実践する人が出ないものでしょうか。 -
世田谷線は、2019年に50周年を迎えた「地元の電車」です。
これからは地元の人はもちろん、多くの人に愛してほしいとの思いで、沿線の商店街や、近隣の学生、住民の方々と一緒に、世田谷線の町の魅力を発信されているようです。
確かに、乗ってみると都心の近くとは思えないような、穏やかな時間が流れ、地元で長く愛されてきたものと、今の時代の感性に響くもの、それらが共存するおしゃれなお店も沢山あります。
コンセプトは「田舎でもなく、下町でもなく、都会でもない、東京の故郷」を目指しているそうです。
幸福の招き猫電車には乗車できなかったですが、何度かすれ違いました。
2017年9月の玉電開通110周年記念で初登場し、世田谷線50周年記念企画として、電車全体が招き猫仕様となっていて、車体前面の猫耳と連結部分には鈴がデザインされています。
つり革も招き猫、車内の床には足跡もあります。東急世田谷線 乗り物
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世田谷線を行ったり来たりし、マップ片手に殆どの駅で一旦降りてみました。
陽も落ち、息子との約束の時間も近づいてきたので、下高井戸に向かいます。
こちらでも、駅前から伸びる日大通りを歩き、駅前市場や昭和の香りのするお店を覗いて、京王線で幡ヶ谷に向かいます。下高井戸駅前市場 市場・商店街
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駅前にある「呑兵衛 幡ヶ谷店」で息子と合流。
お刺身からおでん、焼き鳥等々、美味しく頂き、息子の近況を聞きながら、ほぼ2年振りの再開を楽しみました。
私のもぐもぐタイムの間に、奥様はちゃっかり私の再就職祝いに、息子からブランドバックを貰う(強奪)話を決めていたようです。
時間も忘れて、色々話し、笑いあっていましたが、私達には明日がありますので、そろそろお開きです。
息子が「ここはワシが」と伝票を持っていく後ろ姿に、ゴチになります。呑兵衛 幡ヶ谷店 グルメ・レストラン
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幡ヶ谷は、閑静な住宅街が広がる街で、繁華街が多い渋谷区の中では珍しい街のようです。
渋谷駅よりも新宿駅が近く、駅の周りには商店街が広がる、下町的な懐かしい雰囲気の街だと思います。
今回、幡ヶ谷とした理由は、私が2023年4月から働く会社の本社がこちらにあるので、見ておこう、というのが目的です。
本社籍で大阪勤務、という形態になるようですが、未知の分野だけに、無理せず良い塩梅に、頑張っていきたいと思います。
この後、タクシーで明大前の息子のマンションに向かい、バックを受け取り、明大前駅からホテルに向かいました。
3日目、これまで。
。幡ケ谷駅 駅
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