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《2023.February》あみんちゅぶらり関東歩く旅そのⅢ栃木~まちの駅・新鹿沼宿イルミネーション2022編~<br /><br />足尾銅山観光を出て数分で通洞駅に到着する。足尾銅山観光は通洞坑を利用して観光地化された場所であるために名前の通り最寄り駅となっている。こちらもやはり足尾鉄道開業時からの駅であり、駅本屋とプラットホームが登録有形文化財に登録されている。単式ホームの1面1線と駅舎があるだけの無人駅ではあるが、旧足尾町の中心部に近く、足尾銅山等観光地への拠点駅でもあり乗降客は多い。そのため12月から3月上旬の冬季は日祝日、その他は毎日9:45~15:40迄係員が常駐している。私が訪れた令和5(2023)年2月15日水曜日は水曜日の平日かつ16:00過ぎなので係員氏は勿論不在。でもそれ故に自由にホームに入れた訳である。ホームにはイルミネーション飾りが施されていた。冬場の16:00過ぎの山間部という条件でもやはり時間的には早かった。しかし点灯はされており、ほんのりとではあるが光によって浮かび上がる景色を見ることが出来た。まあそれだけでも来た甲斐はあったと良いように考えた私であった。<br /><br />再び車を走らせて向かった先は足尾駅。旧足尾線の中心だった場所と言いたいところだが、先述の通り旧足尾町の中心は通洞駅の方が近いために“全て”に於ける中心とは言い難い。しかし足尾鉄道時代に沢入から足尾駅迄の延伸に伴って開業した当時の駅舎やホームが残っており、駅本屋が周辺設備とともに登録有形文化財に登録されていることは他の駅と同様である。<br /><br />2面2線の相対式ホームを有する地上駅であり、ホーム同士は構内踏切で連絡している。下り間藤方面ホーム側には複数の留置線があり、観光列車〝トロッコわたらせ渓谷号〟の留置や早朝列車の夜間滞泊に使われていることから、やはりわたらせ渓谷鐵道になっても主要駅のひとつであることには違いない。また駅舎横の側線跡にはキハ30形・キハ35形気動車が静態保存されており、国鉄足尾線時代の面影を現在に伝えている。この足尾駅にもイルミネーションが飾られているのだが、他の駅のように〝駅舎〟と〝ホーム〟だけではなく、静態保存されている車両の車庫にも飾り付けがなされている。今回は時間的な絡みがあり、一部を確認できたに過ぎないのだが、イルミネーションの規模を考えるとかなり大きいものであることがわかる。なかなか足尾に日が暮れてから訪れることは至難の技であるが、多分訪れてみて損はしないだろうと読んだ私の勘は間違いないと思われる。<br /><br />次はわたらせ渓谷鐵道の終着駅である間藤駅となる筈だが、日が暮れるとわからなくなる〝その先〟のエリアから先に回って行くことにする。間藤から先の足尾本山駅までの区間は、国鉄からJRに移管した際に一応JR東日本とJR貨物の駅として存在はしたようだ。しかし旅客輸送の実績はなく、事実上JR貨物の駅だったようだが、貨物輸送の終了に伴い休止駅となり、その後わたらせ渓谷鐵道に承継されたが間藤から足尾本山駅迄の1.9kmは、わたらせ渓谷鐵道の未開業の免許線となっている。ほぼ同時期にJR貨物の駅としても廃止され、平成10(1998)年の鉄道事業免許失効を以て、正式に間藤~足尾本山駅間の鉄路と駅が廃止された。<br /><br />踏切はアスファルトが敷かれて無くなってはいるが、その他の遺構は朽ちてはいるものの多くが残されている。また足尾銅山に纏わる史跡もあり、明治23(1890)年に日本で3番目にできた水力発電所である〝間藤水力発電所〟跡や銅産出量増加に対応するため、明治17(1884)年銅製錬所として開設された〝本山精錬所〟跡等が今でも見ることが出来る。最も当時の先端技術を導入したことにより生産量が飛躍的に増加した反面、亜硫酸ガスの排出問題も発生し〝鉱害〟を助長した負の側面も持っている。その後長きに渡り根本的な改善はなされないまま採掘が進められていたが、昭和31(1956)年には脱硫技術を世界で初めて実用化し、亜硫酸ガスの大幅な排出に成功し閉山まで操業を続けていた。<br /><br />また松木川に懸かる古河橋は、足尾銅山の操業の中心地であった本山地区と社宅などが立ち並んでいる赤倉地区とを結ぶ橋として明治17(1884)年に架橋された木造の〝直利橋(なおりばし)〟に端を発する。明治20(1887)年の松木村の大火で直利橋が焼失し、その後釜に足尾銅山から足尾製錬の精錬所までの鉱石運搬用として、明治23(1890)年に直利橋の跡にドイツ人の設計により架設されたものである。翌年の明治24(1891)年には鉄道道路併用橋として日本初となる実用化された単線の電気鉄道が施設され、目新しくかつ斬新な橋梁として使われていた。その後は道路橋にそのまま転用され、補強工事も行われていたが老朽化に伴い、南側に新古河橋が平成5(1993)年に架設されたことでその役目を終えている。一時期は歩道橋として利用されていたこともあるが現在では橋の入り口に細が設けられ立ち入り禁止となっておりその姿を眺めるだけとなっている。<br /><br />尚廃線区間である間藤より先の線路だが、間藤駅を出て直ぐは一旦線路は途切れている。しかし300 m程進んだ場所である踏切までは線路がそのままになって残存している。切り通しになっている区間の多くは崩壊が進んでおり雑草がうっそうと茂っている。アスファルトで埋められた踏切部分を越えると、再び線路が現れて現存している。しかし切通しの部分を含め斜面が崩落しており既に復旧させるのは困難であると思われる。また赤倉地区あたりでは治山工事が行われているため、免許線部分の線路内には立ち入ることが出来ない。しかし本山前にある腕木式信号機や鉄橋もそのまま残っており、決して保存状況は良いとは言えないものの往時の名残を感じることが出来るようになっていた。<br /><br />旧足尾本山駅は元々貨物駅であったがためにホーム等は最初から作られてはいなかった。また駅跡は工場の敷地跡の中にあり、現在は立入禁止となっている。それ故に工場敷地手前にある門扉からその全体像を伺うことしかできないのが残念である。<br /><br />十把一絡げに言ってしまえば間藤~足尾本山駅区間は切通し区間の落石や踏切の撤去はあるものの、ほぼ当時の姿を残している。勿論線路が既に撤去されている踏切は、法律上は踏切ではなくなってはいるが警報機などの踏切施設は残っているために往時を偲ぶことはできるかと思う。<br /><br />近代史に於ける最大規模の鉱害の発生地である足尾の街、そして足尾銅山。平成19(2007)年には〝負の遺産〟として足尾銅山を世界遺産暫定リスト記載に向けて文化庁に要望書を提出している。その他日本の地質百選に選定され、経済産業省が取りまとめた近代化産業遺産群に〝足尾銅山関連遺産〟として認定された。平成20(2008)年には通洞坑と宇都野火薬庫跡が国の史跡に指定される。そして平成22(2010)年には製錬場が一部の施設を残して解体された。しかし閉山してから半世紀を過ぎても鉱山として稼働してきた〝負の遺産〟部分は払い続けなければならない。坑内からの浸透水の流出が続く限り浄水場は廃止することができないでいる。また鉱毒(亜硫酸ガス)による直接的な被害や坑木の調達や生活に必要な薪炭確保のための伐採、人口が増えたことによる山火事の発生等によって周辺の山々の森林を深刻なまでに荒廃させ、一部は自然回復が不能なはげ山と化してしまった史実は、21世紀を迎えた今日でも国や県による〝治山事業〟によって復旧〝過程〟を続けていることからも明白であろう。戦時中は軍需産業にも数えられた。そして江戸時代から400年にも渡る銅の産出は、一体いつになれば終着点を迎えられるのか?と最盛期を知らない者であっても不安になることしか思いつかないのが現状であると思う。確かに〝観光地〟のひとつではあれど、軽い気持ちで訪れてはいけない場所だと考える。過去は変えられないが未来は変えられるかも知れない。そんな想いを持ってこの地を訪れる若い年代が増えることを望む初老のひとりであった。<br /><br />ギリギリのところで銅山の遺構を見ることが出来た。後は残り時間を計算しながら先を急ぐだけとなる。先ずは間藤駅を訪れる。わたらせ渓谷鐵道の終点であるが、こちらでも駅前でイルミネーションイベントが行われている。公園を利用したそれ程大きな規模のものではないが、それなりに辺りが暗くなってきたことも幸いして、なかなかの景色を作り出している。滞在時には到着列車も無く私以外には観光客もいなかったが、わたらせ渓谷鐵道のイルミネーションイベントを巡るために宇都宮から佐野・桐生を経て日光市迄170kmを走って来たかいがあったと感じたひと時であった。<br /><br />そんな間藤駅ではゆっくりと今回の旅を振り返りたい気持ちはあったものの、時間もないので景色をカメラに収めて出発することにした。<br /><br />ナビの指し示すママ日光市の中心部へと向かう。途中ファミリーマート日光瀬川町店に立ち寄って一服休憩を取る。田舎では珍しくmyタバコが販売されており、二箱購入することにした。<br /><br />足尾も寒かったが日が陰ると、盆地故に気温が下がり寒暖計は氷点下6℃を指している。間藤を出てから約2時間走り、辿り着いたのはまちの駅・新鹿沼宿である。道の駅は良く聞くが〝まちの駅〟とはあまり聞かない。どういうものか?と思い調べてみると、どうやら鹿沼市の商店や公共施設等が様々な〝駅〟となり、その集合体のことを指すようだ。こんなまちの駅になりたいというコンセプトには、〝鹿沼の観光交流拠点として、街を活性化させる駅になりたい〟とある。私の事前に持っていた知識は〝日光線の駅〟位のものしかなく、古来から交通の要衝であるということは恥ずかしながら知らなかった。現在東北自動車道鹿沼ICが設けられている交通の要衝であり、県内物流の拠点として整備されて来た。また古峰ヶ原を含む前日光高原一帯は、日本古来の山岳信仰と仏教が結びついた〝修験道〟の道場とされており、奈良時代にこの地で修行を重ねた勝道上人が日光山を開山している。その後江戸時代を迎え徳川家康を祀る東照宮が造営されることになり、江戸と日光を結ぶ道が重要性を持つようになる中で、鹿沼の歴史は日光との深い関わりを持ちながら形成されて来た。加えて朝廷から日光への例幣使の街道の要所として、鹿沼宿は発展を遂げることとなる。これらの背景の下日光西街道や例幣使街道を往来する人や物は、地場産業を発展させ、文化の向上を鹿沼の地にもたらせた。その当時鹿沼の村々で生産された麻や朝鮮人参などの特産物は、江戸・大阪・京などの大都市へ出荷されることとなり、豊かな商品経済とともに文化が鹿沼の地に根付き始めたとされている。思っていた以上に歴史上や物流に於ける中心地であったことを知ったが、今回このまちの駅を訪れた理由は、そんな歴史に触れるためではなく、単純にここで行われているイルミネーションの見物であった。会場は〝まちの駅新・鹿沼宿〟とあるが、実際には駅舎奥の芝生広場で行われている。今年7回目を迎える鹿沼の冬の風物詩で、令和4(2022)年12月1日から令和5(2023)年2月28日までの期間雨天を除く毎日開催されている。用いられているLED数は140,000個で広さや規模のことを考えると少ない数ではない。今年は〝鹿沼の四季〟をテーマに象徴する作品が芝生広場いっぱいに展示されている。人気の光のトンネルや汽車の他、風物詩である〝鹿沼秋まつり〟に巡行する彫刻屋台を模した作品が初披露されている。老若男女問わず、バリアフリー化により車いすを利用する人も楽しむことができるものとなっているイルミネーションはお散歩やデートに最適で、スタッフ手づくりのまちなかイルミネーションを楽しんで下さい!というものが制作・運営側の〝想い〟として作られている作品は、手の込んだ素晴らしい作品に仕上がっている。芝生広場という平面を利用したイルミネーションイベントは、全くの〝平面据え置き〟であればものによっては〝何をモチーフにしているのか?〟がわからない残念なものになってしまうリスクをはらんでいると思われる。しかしこちらのイルミネーションは立体ものは少し〝高さ〟のある場所に設営されているために〝何か〟ということが良くわかるものとなっている。無料で楽しめるイルミネーションイベントの〝残念さ〟を会場の起伏を上手く利用して存在感を高めていることは素晴らしいと思うと同時に、作り手の〝想い〟が良く伝わってくるものとなっていた。まちの駅新・鹿沼宿の特徴である〝立地〟であるが、名前の通りただ〝休憩施設〟的なものをだだっ広い空き地を利用して作られたものではない。どちらかと言えば〝都市公園〟をイメージして作られたような印象を受けるくらいである。それ故広場周辺には普通に住居が立ち並んでいる。それが写真で切り取るとよくわかり、どのような場所から撮っても広角域の写真では背景に〝家〟が必ずと言って良い程写り込む。勿論イルミネーションイベント開催にあたり、近隣住民の方々からも承諾は得ている訳だが、結構見ていて不思議に感じた私であった。また平面的に作られていると先ほど述べたのだが、後からyoutubeの投稿を確認して〝なるへそ~〟と感じたことがあったので書き記しておく。敷地の広さや立地のことを踏まえ、一部を除いて高さがないと言ったのだが、機関車イルミが飾られている場所には〝すべり台〟があり、ここから会場一帯を見渡すことができるようになっている。多分会場全域を一枚の写真に収めるには、余程の広角レンズを使用しない限りは不可能であるとは思う。しかし少し見晴らしが良い場所から見る景色は、やはり目の高さから眺めるものとは少し異なって斬新な印象を受けるものであった。今回は帰ってから知ったのでどうしようもないことではあるが、もしイルミネーションの時期に栃木界隈を訪れることができるのであれば、是非とも再訪して確認したいと思った私であった。<br /><br />時間にして約一時間をかけて〝まちの駅新・鹿沼宿イルミネーション〟を堪能してきた。いつもならば最終目的地を後にすれば、ホテルへと向かうことが当たり前なのであるが、今回は〝弾丸旅行〟であるがため、夜行バスを利用して自宅へと戻る予定となっている。鹿沼から40分程で宇都宮へと向かい、ここでの事前に調べておいた〝格安ガソリンスタンド〟情報を下にした立ち寄り地を目指すことにする。ミツウロコ宇都宮中央SSは地元系の格安ガソリンを扱う商社が運用しているもののようで、宇都宮市内でも複数の系列ガソリンスタンドがあるようだ。まあ蘊蓄はこれ位にして旅の友moveクンに食事をさせる。レギュラーガソリン16.45Lで2,550円。燃費14.8km/Lは少し低い値かも知れないが、このクソ寒い中ヒーターをガンガンかけながら走っていたことを考えると十分許容範囲である。またガソリン価格もレギュラー155円/Lであれば、ここ暫く出会ってはいない価格帯だと言える。これでドライブ区間の旅はほぼ終わり、駅前のレンタカー営業所へと戻るだけとなった。21:00過ぎにニコニコレンタカー宇都宮駅前通り3丁目店へと到着し車を返車。2日間246.5kmを元気に走ってくれたmoveクンとのお別れの時間を迎えた。<br /><br />ニコニコレンタカー宇都宮駅前通り3丁目店からJR宇都宮駅までは歩いて2分、21:10に到着する。今回京都へと向かう夜行高速バスは関東自動車のとちの木号である。このバスは関東自動車柳田車庫から宇都宮駅西口を経由して、最終的には久喜駅西口が最終乗車地となり、以後高速道路を走り京都へと向かうルートを走って行く。そのため宇都宮でレンタカーを返した後はそのまま宇都宮駅西口からバスに乗車すれば、乗り換えることもなくそのまま京都へと向かえるのである。しかし宇都宮の発車時刻は21:10、当初の予定ではちょっと〝キツい時間〟かも…と判断した。宇都宮出発後の鹿沼インターや栃木駅では乗り換えの便や歩く距離の問題があり、今回は利用できない。ならば…ということで久喜駅西口から乗車することにした。可能性を読んでバスチケットを宇都宮発にすることは可能ではあるが、そうすると2,300円高くなり、久喜からにしておいた方が無難かつ安かったことが理由である。実際宇都宮ではギリギリの時間だったために思惑は正しかったことになり、予定通りJRで宇都宮から久喜まで移動することにした。<br /><br />駅前で一服を済ませ改札口へと向かう。いつものPitapaで改札を通過しようとすると、行きと同様ゲートが開かない。この辺りはPitapaのプリペイド区間に於けるチャージ金額の絡みがあり、既に行きに自動チャージをしてしまっていると、現金チャージしかできないということらしいのだ。こういう時に不幸は重なるもので、千円札をチャージしようとすると券売機が吸い込んでくれない。おまけにみどりの窓口は閉まっている。これって詰んだパターンかぁぁぁ~と思ってバス便の変更をしなければいけないのか…と考えていると、他の券売機ではチャージはできなかったが切符を購入することが可能だということを知り、Pitapaの残額と千円を合わせて1,170円で切符を購入。なんとか余裕で間に合う電車に乗車することが出来たのであった。<br /><br />行きにも乗ってきたJR東日本の電車だが相変わらず乗り慣れない感が半端ない。一番の理由は落ち着かないことであろう。我が街滋賀ではJR車両は基本的に〝転換クロスシート〟である。つまり進行方向に向かって垂直に座る形式である。しかしJR東日本の宇都宮線車両はE233系、つまりロングシート車両である。この窓を正面に見ながら乗ることには本当に慣れる気がしない。おまけに宇都宮から久喜までは約60km、1時間の旅路となる。まぁ夜だということが眺望を遮っているために、行き程ではないがあまり気楽なものではなかった。<br /><br />各駅に停車して久喜駅には22:30に溶着。30分程時間があるので何か食べておこうと思ったが、それらしい店はすべて閉店している様子。閉店準備だった店もあったようだが、我が街よりも田舎の様子に疲れがどっと出て来てしまった。そんな気持ちになりながらももうすぐバスに乗れば…と気を奮い立たせ駅前を散策する。10分前にはバス停に集合のこととは書かれてはいたが、バスそのものが遅れているようで出発予定時刻2分前にバス停へと向かい、バスがやって来るのを待った私であった。<br /><br />数分遅れで高速バスとちの木号がやって来た。関東自動車のオペレーションの日であることはチケットから知ってはいたが、あの独特なカラーリングではなくMEXカラーのガーラがやって来たことにちょっとびっくりした。このとちの木号だが近鉄バスとの共同運行便であり、2階建てバスのエアロキングが投入されていた。近鉄バスはその後エアロキングを廃車したが関東自動車では運航を続け、てっきり今回はエアロキングの2階席を利用できると思っていたからなおさらだ。そして関東自動車の座席番号は前から順番に打たれていることから〝19番〟という席が出入口側の窓際席であることにも気づいていなかったこともひとつの理由でもある。兎に角関東を後にする時間がやって来た。定時より遅れること7分で、京都大阪行き夜行高速バスとちの木号の乗客となり、一路京都を目指すことになった。<br /><br />比較的高速バスの利用頻度は高い私ではあるが、北関東からのバス利用は初めてである。まして新道があちらこちらで開通する今日、自らでハンドルを握っていた数十年前とは経路も全く異なっているのも事実である。車内アナウンスで東北自動車道から圏央道を経て…ということが話されていたが、既にこの時にルート把握できない状態になっていた。スマホナビで〝国道468号線〟を走行していることはわかったものの、それが圏央道とは知らなかった。その後最初で最後の休憩を菖蒲パーキングエリアで取ることがアナウンスされてはいたが、その辺りはあまりにイレギュラーが多かった今回の旅路故に行動に移せず、ぼ~っとしている間に出発したようだ。菖蒲パーキングエリアを出発する時間と前後して日付が変わり、消灯となる。夜行バスに乗り慣れてはいない方からすると〝バスの中で寝るなんて…〟といった声をよく聞くが、そもそも私の旅の形態は〝寝る時間〟を削って走り回っているために、帰り迄体力を残す余裕は全くない。今回も同様で、消灯時間となった後間もなく寝てしまったようだzzz。そんな感じで2月15日の夜は更けて行ったのだった。<br /><br />翌日京都東インターチェンジを下りた頃にアナウンスがあり、京都駅到着のコールがされた。京都駅八条口到着は6:08、定刻より1分の早着で到着できるドライバーさんには本当に頭が下がる思いである。取り敢えずバスから下車して荷物を受け取る。そして目の前にあった〝なか卯京都八条口店〟に吸い寄せられ、〝こだわり卵の納豆定食大盛〟を注文、勿論ペロッと平らげ、自らの胃袋を満足させて京都駅へと向かう。この時間は新快速の運行がなく、快速の米原行きに乗車する。田舎駅までは約15分、そして田舎の赤バスに乗り換えて10分程で自宅へと到着する。1泊3日という強行軍での旅路は40時間でドアtoドアとなるものとなった。シャワーを浴びて暫く仮眠、そして出勤して現実モードに戻る予定の北関東イルミネーションの旅は終わりを告げるのであった。<br /><br />  《終わり》

《2023.February》あみんちゅぶらり関東歩く旅そのⅢ栃木~まちの駅・新鹿沼宿イルミネーション2022編~

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《2023.February》あみんちゅぶらり関東歩く旅そのⅢ栃木~まちの駅・新鹿沼宿イルミネーション2022編~

足尾銅山観光を出て数分で通洞駅に到着する。足尾銅山観光は通洞坑を利用して観光地化された場所であるために名前の通り最寄り駅となっている。こちらもやはり足尾鉄道開業時からの駅であり、駅本屋とプラットホームが登録有形文化財に登録されている。単式ホームの1面1線と駅舎があるだけの無人駅ではあるが、旧足尾町の中心部に近く、足尾銅山等観光地への拠点駅でもあり乗降客は多い。そのため12月から3月上旬の冬季は日祝日、その他は毎日9:45~15:40迄係員が常駐している。私が訪れた令和5(2023)年2月15日水曜日は水曜日の平日かつ16:00過ぎなので係員氏は勿論不在。でもそれ故に自由にホームに入れた訳である。ホームにはイルミネーション飾りが施されていた。冬場の16:00過ぎの山間部という条件でもやはり時間的には早かった。しかし点灯はされており、ほんのりとではあるが光によって浮かび上がる景色を見ることが出来た。まあそれだけでも来た甲斐はあったと良いように考えた私であった。

再び車を走らせて向かった先は足尾駅。旧足尾線の中心だった場所と言いたいところだが、先述の通り旧足尾町の中心は通洞駅の方が近いために“全て”に於ける中心とは言い難い。しかし足尾鉄道時代に沢入から足尾駅迄の延伸に伴って開業した当時の駅舎やホームが残っており、駅本屋が周辺設備とともに登録有形文化財に登録されていることは他の駅と同様である。

2面2線の相対式ホームを有する地上駅であり、ホーム同士は構内踏切で連絡している。下り間藤方面ホーム側には複数の留置線があり、観光列車〝トロッコわたらせ渓谷号〟の留置や早朝列車の夜間滞泊に使われていることから、やはりわたらせ渓谷鐵道になっても主要駅のひとつであることには違いない。また駅舎横の側線跡にはキハ30形・キハ35形気動車が静態保存されており、国鉄足尾線時代の面影を現在に伝えている。この足尾駅にもイルミネーションが飾られているのだが、他の駅のように〝駅舎〟と〝ホーム〟だけではなく、静態保存されている車両の車庫にも飾り付けがなされている。今回は時間的な絡みがあり、一部を確認できたに過ぎないのだが、イルミネーションの規模を考えるとかなり大きいものであることがわかる。なかなか足尾に日が暮れてから訪れることは至難の技であるが、多分訪れてみて損はしないだろうと読んだ私の勘は間違いないと思われる。

次はわたらせ渓谷鐵道の終着駅である間藤駅となる筈だが、日が暮れるとわからなくなる〝その先〟のエリアから先に回って行くことにする。間藤から先の足尾本山駅までの区間は、国鉄からJRに移管した際に一応JR東日本とJR貨物の駅として存在はしたようだ。しかし旅客輸送の実績はなく、事実上JR貨物の駅だったようだが、貨物輸送の終了に伴い休止駅となり、その後わたらせ渓谷鐵道に承継されたが間藤から足尾本山駅迄の1.9kmは、わたらせ渓谷鐵道の未開業の免許線となっている。ほぼ同時期にJR貨物の駅としても廃止され、平成10(1998)年の鉄道事業免許失効を以て、正式に間藤~足尾本山駅間の鉄路と駅が廃止された。

踏切はアスファルトが敷かれて無くなってはいるが、その他の遺構は朽ちてはいるものの多くが残されている。また足尾銅山に纏わる史跡もあり、明治23(1890)年に日本で3番目にできた水力発電所である〝間藤水力発電所〟跡や銅産出量増加に対応するため、明治17(1884)年銅製錬所として開設された〝本山精錬所〟跡等が今でも見ることが出来る。最も当時の先端技術を導入したことにより生産量が飛躍的に増加した反面、亜硫酸ガスの排出問題も発生し〝鉱害〟を助長した負の側面も持っている。その後長きに渡り根本的な改善はなされないまま採掘が進められていたが、昭和31(1956)年には脱硫技術を世界で初めて実用化し、亜硫酸ガスの大幅な排出に成功し閉山まで操業を続けていた。

また松木川に懸かる古河橋は、足尾銅山の操業の中心地であった本山地区と社宅などが立ち並んでいる赤倉地区とを結ぶ橋として明治17(1884)年に架橋された木造の〝直利橋(なおりばし)〟に端を発する。明治20(1887)年の松木村の大火で直利橋が焼失し、その後釜に足尾銅山から足尾製錬の精錬所までの鉱石運搬用として、明治23(1890)年に直利橋の跡にドイツ人の設計により架設されたものである。翌年の明治24(1891)年には鉄道道路併用橋として日本初となる実用化された単線の電気鉄道が施設され、目新しくかつ斬新な橋梁として使われていた。その後は道路橋にそのまま転用され、補強工事も行われていたが老朽化に伴い、南側に新古河橋が平成5(1993)年に架設されたことでその役目を終えている。一時期は歩道橋として利用されていたこともあるが現在では橋の入り口に細が設けられ立ち入り禁止となっておりその姿を眺めるだけとなっている。

尚廃線区間である間藤より先の線路だが、間藤駅を出て直ぐは一旦線路は途切れている。しかし300 m程進んだ場所である踏切までは線路がそのままになって残存している。切り通しになっている区間の多くは崩壊が進んでおり雑草がうっそうと茂っている。アスファルトで埋められた踏切部分を越えると、再び線路が現れて現存している。しかし切通しの部分を含め斜面が崩落しており既に復旧させるのは困難であると思われる。また赤倉地区あたりでは治山工事が行われているため、免許線部分の線路内には立ち入ることが出来ない。しかし本山前にある腕木式信号機や鉄橋もそのまま残っており、決して保存状況は良いとは言えないものの往時の名残を感じることが出来るようになっていた。

旧足尾本山駅は元々貨物駅であったがためにホーム等は最初から作られてはいなかった。また駅跡は工場の敷地跡の中にあり、現在は立入禁止となっている。それ故に工場敷地手前にある門扉からその全体像を伺うことしかできないのが残念である。

十把一絡げに言ってしまえば間藤~足尾本山駅区間は切通し区間の落石や踏切の撤去はあるものの、ほぼ当時の姿を残している。勿論線路が既に撤去されている踏切は、法律上は踏切ではなくなってはいるが警報機などの踏切施設は残っているために往時を偲ぶことはできるかと思う。

近代史に於ける最大規模の鉱害の発生地である足尾の街、そして足尾銅山。平成19(2007)年には〝負の遺産〟として足尾銅山を世界遺産暫定リスト記載に向けて文化庁に要望書を提出している。その他日本の地質百選に選定され、経済産業省が取りまとめた近代化産業遺産群に〝足尾銅山関連遺産〟として認定された。平成20(2008)年には通洞坑と宇都野火薬庫跡が国の史跡に指定される。そして平成22(2010)年には製錬場が一部の施設を残して解体された。しかし閉山してから半世紀を過ぎても鉱山として稼働してきた〝負の遺産〟部分は払い続けなければならない。坑内からの浸透水の流出が続く限り浄水場は廃止することができないでいる。また鉱毒(亜硫酸ガス)による直接的な被害や坑木の調達や生活に必要な薪炭確保のための伐採、人口が増えたことによる山火事の発生等によって周辺の山々の森林を深刻なまでに荒廃させ、一部は自然回復が不能なはげ山と化してしまった史実は、21世紀を迎えた今日でも国や県による〝治山事業〟によって復旧〝過程〟を続けていることからも明白であろう。戦時中は軍需産業にも数えられた。そして江戸時代から400年にも渡る銅の産出は、一体いつになれば終着点を迎えられるのか?と最盛期を知らない者であっても不安になることしか思いつかないのが現状であると思う。確かに〝観光地〟のひとつではあれど、軽い気持ちで訪れてはいけない場所だと考える。過去は変えられないが未来は変えられるかも知れない。そんな想いを持ってこの地を訪れる若い年代が増えることを望む初老のひとりであった。

ギリギリのところで銅山の遺構を見ることが出来た。後は残り時間を計算しながら先を急ぐだけとなる。先ずは間藤駅を訪れる。わたらせ渓谷鐵道の終点であるが、こちらでも駅前でイルミネーションイベントが行われている。公園を利用したそれ程大きな規模のものではないが、それなりに辺りが暗くなってきたことも幸いして、なかなかの景色を作り出している。滞在時には到着列車も無く私以外には観光客もいなかったが、わたらせ渓谷鐵道のイルミネーションイベントを巡るために宇都宮から佐野・桐生を経て日光市迄170kmを走って来たかいがあったと感じたひと時であった。

そんな間藤駅ではゆっくりと今回の旅を振り返りたい気持ちはあったものの、時間もないので景色をカメラに収めて出発することにした。

ナビの指し示すママ日光市の中心部へと向かう。途中ファミリーマート日光瀬川町店に立ち寄って一服休憩を取る。田舎では珍しくmyタバコが販売されており、二箱購入することにした。

足尾も寒かったが日が陰ると、盆地故に気温が下がり寒暖計は氷点下6℃を指している。間藤を出てから約2時間走り、辿り着いたのはまちの駅・新鹿沼宿である。道の駅は良く聞くが〝まちの駅〟とはあまり聞かない。どういうものか?と思い調べてみると、どうやら鹿沼市の商店や公共施設等が様々な〝駅〟となり、その集合体のことを指すようだ。こんなまちの駅になりたいというコンセプトには、〝鹿沼の観光交流拠点として、街を活性化させる駅になりたい〟とある。私の事前に持っていた知識は〝日光線の駅〟位のものしかなく、古来から交通の要衝であるということは恥ずかしながら知らなかった。現在東北自動車道鹿沼ICが設けられている交通の要衝であり、県内物流の拠点として整備されて来た。また古峰ヶ原を含む前日光高原一帯は、日本古来の山岳信仰と仏教が結びついた〝修験道〟の道場とされており、奈良時代にこの地で修行を重ねた勝道上人が日光山を開山している。その後江戸時代を迎え徳川家康を祀る東照宮が造営されることになり、江戸と日光を結ぶ道が重要性を持つようになる中で、鹿沼の歴史は日光との深い関わりを持ちながら形成されて来た。加えて朝廷から日光への例幣使の街道の要所として、鹿沼宿は発展を遂げることとなる。これらの背景の下日光西街道や例幣使街道を往来する人や物は、地場産業を発展させ、文化の向上を鹿沼の地にもたらせた。その当時鹿沼の村々で生産された麻や朝鮮人参などの特産物は、江戸・大阪・京などの大都市へ出荷されることとなり、豊かな商品経済とともに文化が鹿沼の地に根付き始めたとされている。思っていた以上に歴史上や物流に於ける中心地であったことを知ったが、今回このまちの駅を訪れた理由は、そんな歴史に触れるためではなく、単純にここで行われているイルミネーションの見物であった。会場は〝まちの駅新・鹿沼宿〟とあるが、実際には駅舎奥の芝生広場で行われている。今年7回目を迎える鹿沼の冬の風物詩で、令和4(2022)年12月1日から令和5(2023)年2月28日までの期間雨天を除く毎日開催されている。用いられているLED数は140,000個で広さや規模のことを考えると少ない数ではない。今年は〝鹿沼の四季〟をテーマに象徴する作品が芝生広場いっぱいに展示されている。人気の光のトンネルや汽車の他、風物詩である〝鹿沼秋まつり〟に巡行する彫刻屋台を模した作品が初披露されている。老若男女問わず、バリアフリー化により車いすを利用する人も楽しむことができるものとなっているイルミネーションはお散歩やデートに最適で、スタッフ手づくりのまちなかイルミネーションを楽しんで下さい!というものが制作・運営側の〝想い〟として作られている作品は、手の込んだ素晴らしい作品に仕上がっている。芝生広場という平面を利用したイルミネーションイベントは、全くの〝平面据え置き〟であればものによっては〝何をモチーフにしているのか?〟がわからない残念なものになってしまうリスクをはらんでいると思われる。しかしこちらのイルミネーションは立体ものは少し〝高さ〟のある場所に設営されているために〝何か〟ということが良くわかるものとなっている。無料で楽しめるイルミネーションイベントの〝残念さ〟を会場の起伏を上手く利用して存在感を高めていることは素晴らしいと思うと同時に、作り手の〝想い〟が良く伝わってくるものとなっていた。まちの駅新・鹿沼宿の特徴である〝立地〟であるが、名前の通りただ〝休憩施設〟的なものをだだっ広い空き地を利用して作られたものではない。どちらかと言えば〝都市公園〟をイメージして作られたような印象を受けるくらいである。それ故広場周辺には普通に住居が立ち並んでいる。それが写真で切り取るとよくわかり、どのような場所から撮っても広角域の写真では背景に〝家〟が必ずと言って良い程写り込む。勿論イルミネーションイベント開催にあたり、近隣住民の方々からも承諾は得ている訳だが、結構見ていて不思議に感じた私であった。また平面的に作られていると先ほど述べたのだが、後からyoutubeの投稿を確認して〝なるへそ~〟と感じたことがあったので書き記しておく。敷地の広さや立地のことを踏まえ、一部を除いて高さがないと言ったのだが、機関車イルミが飾られている場所には〝すべり台〟があり、ここから会場一帯を見渡すことができるようになっている。多分会場全域を一枚の写真に収めるには、余程の広角レンズを使用しない限りは不可能であるとは思う。しかし少し見晴らしが良い場所から見る景色は、やはり目の高さから眺めるものとは少し異なって斬新な印象を受けるものであった。今回は帰ってから知ったのでどうしようもないことではあるが、もしイルミネーションの時期に栃木界隈を訪れることができるのであれば、是非とも再訪して確認したいと思った私であった。

時間にして約一時間をかけて〝まちの駅新・鹿沼宿イルミネーション〟を堪能してきた。いつもならば最終目的地を後にすれば、ホテルへと向かうことが当たり前なのであるが、今回は〝弾丸旅行〟であるがため、夜行バスを利用して自宅へと戻る予定となっている。鹿沼から40分程で宇都宮へと向かい、ここでの事前に調べておいた〝格安ガソリンスタンド〟情報を下にした立ち寄り地を目指すことにする。ミツウロコ宇都宮中央SSは地元系の格安ガソリンを扱う商社が運用しているもののようで、宇都宮市内でも複数の系列ガソリンスタンドがあるようだ。まあ蘊蓄はこれ位にして旅の友moveクンに食事をさせる。レギュラーガソリン16.45Lで2,550円。燃費14.8km/Lは少し低い値かも知れないが、このクソ寒い中ヒーターをガンガンかけながら走っていたことを考えると十分許容範囲である。またガソリン価格もレギュラー155円/Lであれば、ここ暫く出会ってはいない価格帯だと言える。これでドライブ区間の旅はほぼ終わり、駅前のレンタカー営業所へと戻るだけとなった。21:00過ぎにニコニコレンタカー宇都宮駅前通り3丁目店へと到着し車を返車。2日間246.5kmを元気に走ってくれたmoveクンとのお別れの時間を迎えた。

ニコニコレンタカー宇都宮駅前通り3丁目店からJR宇都宮駅までは歩いて2分、21:10に到着する。今回京都へと向かう夜行高速バスは関東自動車のとちの木号である。このバスは関東自動車柳田車庫から宇都宮駅西口を経由して、最終的には久喜駅西口が最終乗車地となり、以後高速道路を走り京都へと向かうルートを走って行く。そのため宇都宮でレンタカーを返した後はそのまま宇都宮駅西口からバスに乗車すれば、乗り換えることもなくそのまま京都へと向かえるのである。しかし宇都宮の発車時刻は21:10、当初の予定ではちょっと〝キツい時間〟かも…と判断した。宇都宮出発後の鹿沼インターや栃木駅では乗り換えの便や歩く距離の問題があり、今回は利用できない。ならば…ということで久喜駅西口から乗車することにした。可能性を読んでバスチケットを宇都宮発にすることは可能ではあるが、そうすると2,300円高くなり、久喜からにしておいた方が無難かつ安かったことが理由である。実際宇都宮ではギリギリの時間だったために思惑は正しかったことになり、予定通りJRで宇都宮から久喜まで移動することにした。

駅前で一服を済ませ改札口へと向かう。いつものPitapaで改札を通過しようとすると、行きと同様ゲートが開かない。この辺りはPitapaのプリペイド区間に於けるチャージ金額の絡みがあり、既に行きに自動チャージをしてしまっていると、現金チャージしかできないということらしいのだ。こういう時に不幸は重なるもので、千円札をチャージしようとすると券売機が吸い込んでくれない。おまけにみどりの窓口は閉まっている。これって詰んだパターンかぁぁぁ~と思ってバス便の変更をしなければいけないのか…と考えていると、他の券売機ではチャージはできなかったが切符を購入することが可能だということを知り、Pitapaの残額と千円を合わせて1,170円で切符を購入。なんとか余裕で間に合う電車に乗車することが出来たのであった。

行きにも乗ってきたJR東日本の電車だが相変わらず乗り慣れない感が半端ない。一番の理由は落ち着かないことであろう。我が街滋賀ではJR車両は基本的に〝転換クロスシート〟である。つまり進行方向に向かって垂直に座る形式である。しかしJR東日本の宇都宮線車両はE233系、つまりロングシート車両である。この窓を正面に見ながら乗ることには本当に慣れる気がしない。おまけに宇都宮から久喜までは約60km、1時間の旅路となる。まぁ夜だということが眺望を遮っているために、行き程ではないがあまり気楽なものではなかった。

各駅に停車して久喜駅には22:30に溶着。30分程時間があるので何か食べておこうと思ったが、それらしい店はすべて閉店している様子。閉店準備だった店もあったようだが、我が街よりも田舎の様子に疲れがどっと出て来てしまった。そんな気持ちになりながらももうすぐバスに乗れば…と気を奮い立たせ駅前を散策する。10分前にはバス停に集合のこととは書かれてはいたが、バスそのものが遅れているようで出発予定時刻2分前にバス停へと向かい、バスがやって来るのを待った私であった。

数分遅れで高速バスとちの木号がやって来た。関東自動車のオペレーションの日であることはチケットから知ってはいたが、あの独特なカラーリングではなくMEXカラーのガーラがやって来たことにちょっとびっくりした。このとちの木号だが近鉄バスとの共同運行便であり、2階建てバスのエアロキングが投入されていた。近鉄バスはその後エアロキングを廃車したが関東自動車では運航を続け、てっきり今回はエアロキングの2階席を利用できると思っていたからなおさらだ。そして関東自動車の座席番号は前から順番に打たれていることから〝19番〟という席が出入口側の窓際席であることにも気づいていなかったこともひとつの理由でもある。兎に角関東を後にする時間がやって来た。定時より遅れること7分で、京都大阪行き夜行高速バスとちの木号の乗客となり、一路京都を目指すことになった。

比較的高速バスの利用頻度は高い私ではあるが、北関東からのバス利用は初めてである。まして新道があちらこちらで開通する今日、自らでハンドルを握っていた数十年前とは経路も全く異なっているのも事実である。車内アナウンスで東北自動車道から圏央道を経て…ということが話されていたが、既にこの時にルート把握できない状態になっていた。スマホナビで〝国道468号線〟を走行していることはわかったものの、それが圏央道とは知らなかった。その後最初で最後の休憩を菖蒲パーキングエリアで取ることがアナウンスされてはいたが、その辺りはあまりにイレギュラーが多かった今回の旅路故に行動に移せず、ぼ~っとしている間に出発したようだ。菖蒲パーキングエリアを出発する時間と前後して日付が変わり、消灯となる。夜行バスに乗り慣れてはいない方からすると〝バスの中で寝るなんて…〟といった声をよく聞くが、そもそも私の旅の形態は〝寝る時間〟を削って走り回っているために、帰り迄体力を残す余裕は全くない。今回も同様で、消灯時間となった後間もなく寝てしまったようだzzz。そんな感じで2月15日の夜は更けて行ったのだった。

翌日京都東インターチェンジを下りた頃にアナウンスがあり、京都駅到着のコールがされた。京都駅八条口到着は6:08、定刻より1分の早着で到着できるドライバーさんには本当に頭が下がる思いである。取り敢えずバスから下車して荷物を受け取る。そして目の前にあった〝なか卯京都八条口店〟に吸い寄せられ、〝こだわり卵の納豆定食大盛〟を注文、勿論ペロッと平らげ、自らの胃袋を満足させて京都駅へと向かう。この時間は新快速の運行がなく、快速の米原行きに乗車する。田舎駅までは約15分、そして田舎の赤バスに乗り換えて10分程で自宅へと到着する。1泊3日という強行軍での旅路は40時間でドアtoドアとなるものとなった。シャワーを浴びて暫く仮眠、そして出勤して現実モードに戻る予定の北関東イルミネーションの旅は終わりを告げるのであった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JALグループ JRローカル 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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