2023/01/06 - 2023/01/06
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2022年3月に鎌倉巡りをしましたが,北条政子・源実朝の墓がある寿福寺など気になる訪れていない所がありました.時が過ぎ年明けになってしまいましたが,表題の場所を巡りました.妙本寺は北条一族に滅ぼさんされた比企一族の館があった場所に建てられた大きな寺です.寿福寺には北条政子と暗殺された第三代鎌倉将軍・源実朝のやぐら(横穴墓)があります.その後に海蔵寺を訪れた後に,化粧坂切通を登って源氏山公園に行きました.険しい急坂でしたが,どうにか登りました.源氏山の後に,銭洗弁財天と佐助稲荷神社にも訪れました.
表紙写真は寿福寺の北条政子やぐら(横穴墓)
妙本寺Web: https://www.trip-kamakura.com/place/228.html
寿福寺Web: https://www.trip-kamakura.com/place/168.html
海蔵寺Web: https://www.trip-kamakura.com/place/92.html
化粧坂切通Web: https://www.trip-kamakura.com/place/89.html
源氏山公園Web: https://www.trip-kamakura.com/place/142.html
銭洗弁財天Web: https://www.trip-kamakura.com/place/195.html
佐助稲荷神社Web: https://www.trip-kamakura.com/place/157.html
鎌倉観光公式ガイドWeb: https://www.trip-kamakura.com/feature/4423.html
鎌倉寺社めぐりWeb: https://www.kamakurameguri.com/jisya/index.html
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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鎌倉駅東口. 最初にここから近い妙本寺に行くことにしました.
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鎌倉マップ
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妙本寺総門
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妙本寺説明板.
比企一族は第二代鎌倉将軍・頼家と共に北条一族に滅ぼされたが,ここは比企一族の屋敷があった場所.生き延びた比企能員の末子・能本がこの地に法華堂を建てたのが,妙本寺となった. -
妙本寺総門の脇にある比企谷幼稚園の建物. 何やら由緒ありそうな建物.
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妙本寺参道. 両脇は民家.
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妙本寺境内マップ. 大きな寺院です.
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二天門への昇り坂
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妙本寺二天門
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妙本寺祖師堂
妙本寺 寺・神社・教会
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右側に比企一族の墓
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この石塔も比企一族の墓か
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左側には大きな日蓮聖人銅像
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祖師堂の奥にはこの階段があり. 行ってみました.
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上は墓地で,中央にこの源?子(?は女偏に美:よしこ;竹御所)の墓がありました.
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源?子(?は女偏に美:よしこ;竹御所)墓の墓誌.
源?子は第二代将軍・源頼家の息女で第四代将軍・藤原頼経の夫人.こんな女性がいたのですね(大河ドラマには出てこなかった).比企一族所縁のこの妙本寺に墓があるのは不思議に思えますが,母親が比企能員の娘・若狭局(長男・一幡も生んでいる)だったことによると思われます.比企の変のとき,まだ幼なかったので,政子が保護し,三代将軍・実朝の養女(猶子)となった.1230年,29歳だった源?子(よしこ;竹御所)は第四代将軍になったまだ13歳の藤原頼経と結婚した.子供を死産した際に亡くなった(享年33).源頼朝の血はこれて断絶した.
源?子(よしこ;竹御所)についてのWeb: https://bukaho.com/328/ -
源?子(?は女偏に美:よしこ;竹御所)の石碑は祖師堂の前にもあった.
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比企能員ゆかりの地の旗
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妙本寺の中心にあるのは祖師堂であり,これは本堂だが少し脇にある.
これで妙本寺を出ました. -
スイートピー
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線路をトンネルでくぐり,鎌倉駅西口へ.
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道案内標識. 寿福寺へ向かいます.
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寿福寺山門
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寿福寺の説明板. 源頼朝が没した翌年に北条政子が創建した.
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こちらも寿福寺の説明板.
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寿福寺中門に至る敷石道
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寿福寺中門. 中は立ち入り不可.
寿福寺 寺・神社・教会
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寿福寺本堂.この境内は立ち入り不可
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政子・実朝の墓への案内板に従って迂回して進みます.
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墓地への道
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寿福寺の墓地
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墓地の奥の山裾に並ぶやぐら(横穴墓)
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北条政子のやぐら(横穴墓). 中には五輪塔あり.
頼朝との仲は悪くなかったようだが,墓所は一緒ではないのですね(当時はそのようだったのかも).寿福寺 寺・神社・教会
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政子のやぐらの隣には息子である暗殺された第三代鎌倉将軍・源実朝のやぐら.
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源実朝のやぐら内. 五輪塔あり.
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政子と実朝のやぐらの間にある小五輪塔
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やぐらの一つには高浜虚子のやぐらもありました.
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寿福寺内から源氏山公園250mの案内板があった.
確かに地理的には近い. -
源氏山公園への道に進んでみたが,このように険しい急坂で,滑りそうで危ないので引き返した.別の道を行くことにしました.
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寿福寺のすぐ北側にあった英勝寺の入口. 有料だったので入らず.
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入口から見た英勝寺仏殿
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英勝寺の説明板.
初期の江戸城を築城した太田道灌の子孫で,徳川家康に仕えたお梶の方(英勝院)が道灌の屋敷跡に建てた尼寺. -
太田道灌邸旧跡の石碑
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海蔵寺に行く道の途中にあった稲荷神社, 英勝寺の末社のよう.
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英勝寺稲荷神社の説明板
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道案内標識. 海蔵寺に向かいます.
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海蔵寺山門
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海蔵寺説明板.
鎌倉幕府滅亡時に焼失したが.1394年に鎌倉公方・足利氏満の命で,上杉氏定が心昭空外を招いて再建し,扇ガ谷上杉家の保護を受けて栄えた. -
海蔵寺の文学案内
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海蔵寺境内
海蔵寺 寺・神社・教会
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海蔵寺鐘楼
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海蔵寺本堂
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海蔵寺本堂
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本堂横の入口
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本堂裏の和風建物と庭園
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本堂裏のやぐら(横穴墓)
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やぐら内
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やぐら内
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山腹にもやぐら
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海蔵寺薬師堂
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薬師堂内部
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十六ノ井戸への案内板. 行ってみます.
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十六ノ井戸.
鎌倉時代に掘られたと伝わる.今でも水が湧いている.
海蔵寺は別名水の寺とも言われる. -
十六ノ井戸内部
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オオベニウツギ
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少し海蔵寺への道を戻って,この横道に入り,源氏山公園へと向かいました.
380mとあり,大したことないと思ったのですが,違いました. -
最初は緩い昇り坂でした(化粧坂切通).
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途中から険しい登坂となりました.
水で湿っており,滑ると大怪我しそうで危険な道でした.
化粧坂切通の道ですが,とても常時人が往来する道とは思えません.化粧坂 名所・史跡
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通行注意看板
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やっと舗装道路に出ました.
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源氏山公園マップ
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源氏山公園
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源氏山公園の源頼朝公像
源氏山公園 公園・植物園
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横からの源頼朝公像
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道案内標識.
銭洗弁財天に向かいます.(源氏山公園へは銭洗弁財天側から昇った方が行きやすいようです.タクシーで近くまで行くことも出来るようです.) -
銭洗弁財天入口
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銭洗弁財天説明板.
源頼朝は湧き出す霊水で神仏を供養せよとのお告げに従い,この地に湧水があったので宇賀福神を祀り,神仏の供養を行ったことが,創建の由来.鎌倉五名水の一つ. -
銭洗弁財天へ山を潜るトンネル
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銭洗弁財天の鳥居列
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銭洗弁財天の由緒
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銭洗弁財天本社と行列
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銭洗弁財天本社. 左が銭洗いの洞窟(奥宮)のようだった.
銭洗弁財天宇賀福神社 寺・神社・教会
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銭洗いへの行列. 銭洗いはパスした.
どうも銭洗いの洞窟(奥宮)は行列を見て諦め,見逃してしまったようだ. -
銭洗いはこのザルにコインを入れて行うようでした.
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銭洗弁財天境内のどんと焼きの火
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本社裏の龍神・水おみくじ.
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龍神・水おみくじの湧水
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銭洗上之水神宮の標識. 昇って行ってみます.
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銭洗上之水神宮
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銭洗上之水神宮の内部
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丘を下って,下之水宮社
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下之水宮社横の一条の滝. 湧水のようです.
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七福神社.
これで銭洗弁財天を出ました. 佐助稲荷神社へ向かいます. -
佐助稲荷神社への道案内. 横道をかなり歩きます(350m).
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佐助稲荷神社入口.
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佐助稲荷神社説明板.
源頼朝公天下統一後,稲荷神霊の加護に感謝し,畠山重忠に命じ,佐介山隠里の霊地を選び社殿を造建した. -
佐助稲荷神社の千本鳥居.
佐助稲荷神社 寺・神社・教会
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鳥居の足元に多数の小白狐
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佐助稲荷神社の下拝所. 昇るのが困難な人はここで参拝する.
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千本鳥居
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狐様
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佐助稲荷神社の拝殿
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佐助稲荷神社拝殿
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拝殿内部
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狐様と多数の小白狐
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出世稲荷大明神
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多数の白狐の小社
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佐助稲荷神社説明板
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十一面観世音菩薩. この中にあるのだろうか.
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源頼朝と畠山重忠のゆかりの地の旗
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拝殿の裏に階段あり. 昇ってみます.
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多数の小白狐. これが本殿のようでした.
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拝殿の左横にも階段あり. こちらも昇ってみます.
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こちらにも多数の小白狐
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奉納の記念とのこと
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上から見た千本鳥居.
これで佐助稲荷神社を出ました. -
鎌倉駅に向かう途中で鎌倉歴史文化交流館に入るつもりで立ち寄りました.
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鎌倉歴史文化交流館は何と年末年始は休館でした.
年始には初詣客が多く立ち寄ると思うのだが,お役所仕事かな. -
駅へ向かう途中の由緒ありそうな古我邸.
鎌倉文学館、旧華頂宮邸とこの古我邸は鎌倉三大洋館とされている.
三菱合資会社(後の三菱財閥)専務理事だった荘清次郎の別荘として,15年の歳月をかけて1915年(大正5年)に完成した.設計はジョサイア・コンドルの弟子の桜井小太郎.
2015年から高級フレンチレストランになっている.
古我邸Web: https://miurahantou.jp/koga-tei/古我邸 グルメ・レストラン
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古我邸の入口
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空腹になったので鎌倉駅西口付近でレストランを探したが,適当な所がなかったので,東口に回って,小町通りへ.
こちらは人出多数でした.適当なレストランは待ち行列が出来ていた. -
横道の路地に入り,混んでいないこのレストランに入ることにした.
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遅いランチのうどんと小天丼. この後に鎌倉駅から帰路に着きました.
おしまいです. お付き合いいただき有難うございました.
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鎌倉巡り(2022-2023)
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