2022/05/23 - 2022/05/26
86位(同エリア3722件中)
ローマ人さん
この旅行記のスケジュール
2022/05/26
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5月26日(木)、旅の最終日4日目の午後は出島、新地中華街を観光し、その後は寺社巡りをした後、長崎を後にしました。
2022年3月末で退職して「老年失業家」になることになった私は、とにかく自由に使えるようになる豊富な時間をどう過ごそうかと考え、当面は在職中にはなかなか行くことが出来なかった「旅」に出かけることにしました。
そこで、4月には妻と一緒に八重山諸島(投稿済)に、6月は1人で北海道の神威岬(未投稿)、釧路(未投稿)の2ヶ所の旅に出かけることにしてエアと宿泊の予約をしました。
そして、空いていた5月には、まだ利用したことが無い長崎空港を利用して平戸、佐世保市、長崎市を訪れることにしました。
利用する航空会社は、国内線では初めて利用するLCCのピーチ航空にしました。
折角、低価格をうたっているLCCを利用するので、追加料金が必要な預け荷物は復路だけにして、同じく追加料金が必要な座席指定は往路だけにするなど、料金が安くなるように工夫してみました。
*スケジュール
・5月23日(月)
成田空港(8:25発)→長崎空港(10:40着)
佐世保観光(九十九島遊覧船、海上自衛隊佐世保史料館)
佐世保泊
・5月24日(火)
平戸観光(平戸城、平戸ザビエル記念教会、平戸オランダ商館、
松浦資料博物館、オランダ塀)
佐世保泊
・5月25日(水)
JR佐世保駅(7:51発)→JR長崎駅(9:44着)
長崎市内観光(平和公園、浦上教会、眼鏡橋、大浦天主堂、
グラバー園、オランダ坂、稲佐山展望台)
長崎泊
・5月26日(木)
長崎市内観光(軍艦島クルーズ、出島、中華街、寺社巡り)
長崎空港(19:20発)→成田空港(21:15着)
*航空料金(12,570円)
内訳:往路(航空券3,890円、座席指定890円、税・航空使用料450円、
支払手数料(カード決済)600円、合計5,830円)
復路(航空券3,890円、税・航空使用料450円、預け荷物1,800円、
支払手数料600円、合計6,740円)
*宿泊料金
・佐世保…ホテルリソル佐世保 コロナワクチン2回以上接種の方限定
シングル朝食付き2泊(税込13,040円)楽天トラベルで予約
・長崎…ホテルニュー長崎 スタンダードダブル朝食付き1泊
(税込9,050円)一休で予約
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
午前中は、小ぬか雨が降る中「端島(軍艦島)」に上陸。
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利用した「軍艦島クルーズ」の高速船。
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下船した後、港近くの中華料理店「桃華園」で昼食です。
大波止 桃華園 グルメ・レストラン
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1階のカウンター席です。
狭い店内は満席の盛況ぶり。
2階もあり、観光客に加えて周囲の会社のサラリーマン風の利用客が多かったです。 -
有名人も来店しているようで、サイン色紙がたくさん貼ってあります。
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ランチメニューです。
お笑いコンビ「ホンジャマカ」の石塚英彦さんの写真入り。
ロケで来店したようです。
夜は、中華の一品料理なども提供しています。 -
「ちゃんぽん」(税込800円)を注文。
私の好きなイカゲソを含め海鮮と野菜がたっぷり入っていて美味しいです。 -
昼食の後は歩いて直ぐの場所にある「国指定史跡 出島和蘭商館跡」へ。
出島は寛永13年(1636)キリスト教の布教を防ぐ目的で、市内に雑居していたポルトガル人を一か所に集め、住まわせるために幕府の命により造られた面積約15,000㎡の扇形の人工の島です。寛永16年(1639)のポルトガル人退去後は一時無人の島となりましたが、同18年(1641)平戸のオランダ商館がここに移され、以来安政の開国までの218年間我が国で唯一西洋に向けて開かれた窓となり、海外から新しい学術や文化が伝えられました。出島内にはオランダ商館員の住まいや倉庫などが建ち並び、家畜を飼い様々な植物が植えられていました。幕末から明治にかけての港湾改良工事などで周囲は埋め立てられ海に浮かぶ扇形の原形が失われましたが、日本の近代化に大きな役割を果たした貴重な歴史的文化遺産であることから大正11年(1922)に国の史跡指定されています。
*長崎市の案内板より
周囲を埋め立てられて、かつて陸地(左側)と「出島」(右側)を隔てていた海の一部が川(中島川)として残り、一部往時の面影を残しています。 -
これは、復元された「水門」です。
この場所は「出島」の西端にあたり、かつては海に面していましたが、現在では周囲と地続きになっています。
出島で取引される貿易品は、この門を通ってオランダ船から荷揚げしたり積み込まれたそうです。
門は2つあり、向かって右が輸入、左が輸出の門だったそうです。
写真右下の色が変わった部分は道路になっていて、「出島」の一部がその下に埋もれています。出島 名所・史跡
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「水門」の横には、オランダ船の積荷を揚げ降ろしをした「荷揚場」の護岸石垣が残されていています。
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中島川を挟んで「出島」の「表門」に続く「出島表門橋」です。
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入口になっている「表門」です。
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チケットを購入。
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「表門」を入って右側の眺め。
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オランダ商館長が暮らしていた建物「カピタン部屋」です。
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外から2階の居室部分に直接通じる「三角階段」が設置されているのが特徴的です。
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「カピタン部屋」1階です。
「出島」の建物の多くは、当時は1階が倉庫だったそうです。
現在は、出島の歴史や生活に関する体験展示が行われています。 -
「カピタン部屋」1階の展示物。
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商館長は江戸まで挨拶に行っていました。
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「カピタン部屋」1階の展示物。
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「カピタン部屋」1階の展示物。
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「カピタン部屋」1階の展示物。
もとはオランダ船に搭載されていた大砲で、昭和39(1964)年に長崎市の浦上川河口付近で引き揚げられたものだそうです。 -
2階に上がって正面の「大玄関」です。
2階には、商館長の私室、事務所および迎賓館としての機能を持った公的な部屋があったそうです。 -
「大玄関」右側の「17.5畳の部屋」。
商館の主要な事務を執る場所であったと考えられているそうです。
19世紀初頭の調度品を中心とした生活再現展示がされています。 -
左側の「15畳の部屋」。
「17.5畳の部屋」と同じく、普段は商館長の事務所として使われていたそうです。 -
「大玄関」奥の「玄関の間」。
31.5畳の広さがあります。
文政11(1828)年の記録では、この場所にビリヤード台が置かれていたそうで、この部屋はホールとして使用されていたと考えられているそうです。 -
左側にあるのが、迎賓館としても使われたという「大広間」です。
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「大広間」。
「オランダの冬至のお祝い(実はクリスマスパーティ)」のシーンを再現しているそうです。 -
「大広間」の奥にある「客間」です。
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更に「客間」の奥にあるのが「涼所(すずみどころ)」です。
江戸時代は海に面した部屋だったので、夏場はこの部屋で目の前の海を眺めながら涼んでいたとか。 -
「涼所」からの外の眺め。
現在では陸地しか見えません。 -
こちらは「居間」です。
その奥には、右に「図書室」、左に「女中部屋」があります。
「出島」に着任する商館員たちは、妻子の同行が許されていなかったそうです。 -
「居間」の内部。
当時は日常的にサロンとして使われていたそうです。 -
「15畳の部屋」の奥にある「寝間」です。
商館長の寝室で、天蓋付きのベッドが置かれていたそうです。 -
「17.5畳の部屋」の奥にある「執務室」です。
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階段からの「水門」方向の眺め。
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階段からの「表門」方向の眺め。
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「カピタン部屋」の隣の建物は、商館長次席(ヘトル)が住む「ヘトル部屋」です。
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「水門」の内側です。
手前に置かれているのは、当時使われた秤の模型です。 -
「一番船船頭部屋」です。
19世紀初頭の「出島」には、毎年夏にオランダの貿易船が2隻来航するのが通例だったそうです。
そのうち、先に到着する「一番船」の船長が出航する11月まで2階に滞在していました。 -
「一番船船頭部屋」の前に復元された側溝。
底に日本瓦が敷いてあります。 -
船長が滞在した部屋です。
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「一番蔵」です。
砂糖などを収めた蔵だったそうです。
現在は、「出島」の建物の復元方法や、発掘した基礎石を展示しています。
「出島」に建っていた建物では、このような倉庫が最も多く、19世紀の絵図には17番蔵まで描かれているそうです。 -
「二番蔵」です。
占領の原料となる蘇木(そぼく)などを保管していた大型の土蔵です。 -
「三番蔵」です。
海に面する「出島」では建物の傷みが激しく、元は漆喰壁の土蔵も徐々に現在のような羽目板を貼った姿に改修されていったそうです。 -
「拝礼筆者蘭人部屋」です。
オランダ商館の首席事務員の住居だったそうです。
現在は、蘭学(鎖国時代に出島を通じてもたらされた西洋の化学・技術・文化などを対象とした学問)に関する事項と西洋から伝わった器具が展示されています。 -
西洋から伝わった「のぞき眼鏡」が展示されていました。
遠近法を用いた絵を凸レンズをはめ込んだ穴から見る装置で、これを使って絵を見ると、まるで絵の中に入り込んだかのような錯覚に陥り、三次元の世界の様な奥行きが感じられるそうです。
江戸時代後期には一般大衆にも人気があったようです。 -
「新石倉」です。
オランダ商館が廃止された後の慶応元(1865)年に建てられた石造倉庫を復元したものです。 -
「十六番蔵」です。
輸入品の丁子が保管されていたそうです。 -
「筆者蘭人部屋」です。
オランダ商館員の住居で、数人の筆者(書記役)が住んでいました。
2階の窓の手摺に使われている緑の塗料は、当時のオランダでよく使われていたものだそうです。 -
「地番境石」があります。
居留地時代の遺構で「出島」の地番を表しています。 -
「十四番蔵」です。
かつては砂糖蔵だったそうです。
現在は、蔵の下の発掘遺構や出島築造の様子を紹介しています。 -
「出島」は、木杭で支えられて築造されていました。
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「出島」への唯一の出入口だった「旧出島橋」に関する説明。
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「出島大火後の遺構」です。
寛政10(1798)年、「出島」では西側半分を焼失する大きな火災が発生しました。
その時の遺構です。 -
「表門」の正面に建っている「乙名詰所」です。
「出島」の管理者(大人)が「表門」から出入りする人を監視するために詰めていた建物です。 -
「乙名詰所」の内部。
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「旧石倉」です。
幕末の商社の石蔵だったそうで、坂本龍馬の商社活動組織「海援隊」とも取引をしたそうです。 -
「組頭部屋・銅蔵」です。
組頭(乙名の補佐役)の名がついていますが、出島の主要な輸出品の銅を計量したり、梱包する場所だったそうです。 -
こちらは明治期の洋風建物で「旧長崎内外クラブ」です。
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同じく明治期の建物で「旧出島神学校」です。
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15分の1サイズの「ミニ出島」がありました。
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「国指定史跡 出島和蘭商館跡」の次は歩いて「新地中華街」へ。
写真は「北門」です。長崎新地中華街 名所・史跡
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ちゃんぽんが美味しいと評判の「会楽園」。
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狛犬が目立つ「京華園」。
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「北門」から「南門」に続く通り。
横浜の中華街と比較すると、かなりコンパクトです。 -
中華街の中央に位置する「長崎友諠商店」。
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「南門」です。
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「蘇州林」で「角煮割包」をいただきました。
蘇州林 グルメ・レストラン
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トロトロの豚の角煮が生地に挟まれていて美味しいです。
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月餅も買いました。
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「東門」です。
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「西門」です。
他の門に比べて小さめな門です。 -
「新地中華街」の後は寺社巡りです。
路面電車で新地中華街電停から崇福寺電停へ移動。
最初に訪れたのは「八坂神社」です。
寛永3(1626)年、地元の人々に崇敬されていた「天王社」に京都祇園社の御神霊を合祀して「祇園宮延寿院」と称したことが起源で、その後、東叡山上野寛永寺の末寺「天台宗寶珠山現應寺」となり、明治維新の神仏分離令により現在の社名となりました。
毎年7月下旬には、長崎の人々に「ぎおんさん」と親しまれている神事「祇園祭」が開催されます。
縁起物の「ほおずき」を買い求める人々で賑わうそうです。八坂神社 (長崎県) 寺・神社・教会
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長い階段を上ったところにある「神門」です。
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「神門」を潜ると「拝殿」が見えます。
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「拝殿」です。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、八幡大神(やはたのおおかみ)、大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)です。 -
「拝殿」左側の狛犬です。
異国情緒があります。 -
「拝殿」左側の狛犬です。
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手水舎です。
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御朱印をいただきました。
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次は『長崎四福寺(崇福寺、興福寺、聖福寺、福済寺)』にお参りします。
最初は聖寿山「崇福寺」です。
中国福州地方(現在の中華人民共和国福建省)の唐人(中国人)たちの希望で、寛永6(1629)年に渡来した唐の僧侶「超然」により創建された唐寺で、福州寺とも呼ばれているそうです。
写真の「山門」は、竜宮城を思わせる造りが印象的な門で国指定重要文化財です。
拝観料は大人300円です。崇福寺 寺・神社・教会
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「山門」右側の狛犬。
こちらも特徴的です。 -
「山門」左側の狛犬。
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天井の彫刻。
火災除けの「鯱」みたいです。 -
「山門」を潜ると左側に長い階段があります。
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階段を上りきると門と堂宇が見えます。
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これが国宝の「第一峰門(だいいっぽうもん)」です。
材料を中国寧波(現在の中華人民共和国浙江省寧波市)で加工し、船で長崎に運び、元禄8(1695)年に建設された軒下の構造組物が特徴的な中国建築様式の門です。 -
扁額です。
構造組物の様子が良く分かります。 -
「第一峰門」の中へ。
雰囲気が日本の寺院とはかなり違っています。 -
国宝の「大雄宝殿」です。
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「大雄宝殿」は崇福寺の本堂です。
御本尊は釈迦如来坐像で、右脇侍は迦葉(かしょう)尊者、左脇侍が阿難尊者です。
本堂を「大雄宝殿」と呼ぶのは釈迦(大雄)を御本尊として祀っているからだそうです。 -
左右に十八羅漢が並んでいます。
こちらは向かって右側。 -
向かって左側。
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国指定重要文化財の「媽祖門」です。
文政10(1827)年に再建されたもので、形式は八脚門三間三戸です。 -
「媽祖門」です。
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「媽祖門」を潜ると「媽祖堂」があります。
「媽祖(まそ)」とは、「菩薩」、「天后聖母」などとも呼ばれる中国宋代の福建省起源の航海の守護人で、貿易船に祀られていたが、明代になると外国貿易の進展にに伴い、日本を始め東アジア全域に伝播されました。
長崎に来航する唐船には必ず「媽祖」が祀られ、停泊中には、船から揚げて唐寺の「媽祖堂」安置したのだそうです。 -
国指定重要文化財の「護法堂」です。
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「護法堂」の内部です。
向かって右側。
ピントがズレていますが関羽像です。 -
「護法堂」の内部です。
中央。 -
「護法堂」の内部です。
向かって左側。 -
国指定重要文化財の「鐘鼓楼」です。
正保4(1647)年に造られた梵鐘があります。 -
「大釜」です。
米の不作により餓死者が出たので、これを救済する施粥のために天和2(1682)年に造った大釜だそうです。
口径6尺5寸(約1.97m)、深さ6尺(約1.82m)あるそうです。 -
次は東明山「興福寺」です。
元和6(1620)年創建の国内最古とされる黄檗宗の唐寺です。
「山門」が朱塗りなので「あか寺」とも呼ばれているそうです。
拝観料は大人300円です。興福寺 寺・神社・教会
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「山門」を入ると正面に黄檗宗開祖の「隠元禅師」立像があります。
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最初の見えるのが「鐘鼓楼」です。
2階建てで上階に梵鐘を吊り太鼓を置き、階下は禅堂になっています。 -
広い前庭の奥に建っているのが本殿の「大雄宝殿」です。
寛永9(1632)年、「黙子如定(もくしにょじょう)」が建立し、類焼、暴風大破を経て、現在の建物は明治16(1883)に再建されました。 -
「大雄宝殿」です。
国指定重要文化財です。 -
「大雄宝殿」の正面両脇にある丸窓は「氷裂式組子」になっています。
中国明代末期の建築様式で、「氷裂式」とは文字通り氷を砕いたような大変珍しい文様で、「組子」とは釘を使わずに木を組み付ける技術のことだそうです。 -
「大雄宝殿」の向かって左隣にある「媽祖堂」です。
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庫裡前の「鱖魚(けつぎょ)」です。
飯時を告げるために叩く板です。 -
これは、「大雄宝殿」の向かって右側にある「三江会所門」です。
明治13(1880)年、江南(現在の中華人民共和国江蘇省及び安徽省、上海市)、浙江省、江西省のいわゆる「三江」の出身者が設立した「三江会」の集会所として建てられた「三江会所」の門です。
「会所」の建物は昭和20(1945)年の原爆により大破したために残っていません。 -
これは、「三江会所門」の隣にある「中島聖堂遺構大学門」です。
「中島聖堂」は正徳元(1711)に竣工し、東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂と共に日本三聖堂の一つで最も古く由緒があるものだそうです。
かつては中島川のほとりにあったので「中島聖堂」と呼ばれていましたが遺構を保存のために興福寺境内に移築されたそうです。 -
境内図です。
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御朱印をいただきました。
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次は「聖福寺」に向かいます。
中島川に架かる「一覧橋」を渡り・・・。一覧橋 名所・史跡
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サント・ドミンゴ教会跡に建つ「長崎市立桜町小学校」の特徴的な門の前を通り・・・。
サント ドミンゴ教会跡資料館 美術館・博物館
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「長崎歴史文化博物館」の立派な建物の前を通り・・・。
長崎歴史文化博物館 美術館・博物館
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万寿山「聖福寺」に到着。
「聖福寺」は、延宝5(1677)年に隠元禅師の孫弟子にあたる「鉄心」により建立されました。
残念ながら「山門」は「大雄宝殿」と共に保存修理工事中で防護幕で覆われていて、その姿を見ることはできませんでした。聖福寺 寺・神社・教会
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本来の姿は写真で掲示してありました。
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「地蔵堂」です。
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これは「惜字亭(せきじてい)」です。
経文をはじめ寺内の不要文書類を焼却するための炉だそうです。
レンガ造り漆喰塗の六角形で、慶応2(1866)年に築造されたそうです。 -
石段を上った先に国指定重要文化財の「天王殿」があります。
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「天王殿」です。
宝永2(1705)年に建立されたもので、正面に布袋像、裏面に韋駄天像が鎮座しています。 -
「鐘楼」です。
享保元(1716)年に建てられました。 -
「石門」です。
アーチ式の石門は江戸中期に中国からもたらされた形式だそうです。 -
「方丈」です。
この「方丈」では、慶応3(1867)年に坂本龍馬率いる海援隊が運行する船「いろは丸」が紀州藩船「明光丸」と衝突し沈没した、いわゆる「いろは丸事件」の賠償交渉が紀州藩勘定奉行「茂田一次郎」と土佐藩参政「後藤象二郎」が行われ、坂本龍馬も同席したそうです。
この会談により紀州藩側が賠償金を支払うことで交渉が進められることになったのだそうです。 -
「方丈」の前に坂本龍馬像が建立されています。
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御朱印をいただきました。
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次は分紫山「福済寺」です。
寛永5(1628)年、「覚海」によって創建された唐寺です。
坂を上って行きます。 -
異国情緒漂う門が見えてきました。
「文殊般若の門」です。
如意棒を咥えた獅子の面が飾られています。福済寺 寺・神社・教会
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双門になっていて「普賢法界の門」です。
経巻を鼻に戴いた象の面が飾られています。 -
門の上の「鎮魂の鐘」です。
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「万国霊廟長崎観音」です。
高さ18m(地上からの高さ34m)巨大仏で、昭和54(1979)年に原爆殉難者の冥福を祈って建立されました。 -
近くで見ると更に迫力があります。
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「大雄宝殿」です。
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御朱印をいただきました。
これで長崎観光は終了。 -
ホテルで荷物を受け取り、長崎駅前バスターミナルから「長崎空港リムジンバス」で長崎空港に向かいます。
料金は1,000円です。 -
約45分間乗車して長崎空港に到着。
長崎空港 空港
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空港ビル内の飲食店。
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ショップも沢山あります。
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搭乗する飛行機が見えました。
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19:20発成田行きピーチエアMM354便に搭乗します。
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座席です。
リクライニングは固定されていて使えません。 -
機種はエアバス社A320-200型です。
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7割くらいの搭乗率です。
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機窓から見える夕焼けがきれいでした。
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アミュプラザ長崎で買っておいた鯖寿司を夕食にしました。
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定刻の21:15に成田空港第1ターミナル着。
近くで機体を見ることができて良かったです。成田空港第1ターミナル 空港
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第1ターミナルバス停からローコストバスで東京駅へ。
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21:55発のバスです。
料金は1,300円です。 -
東京駅日本橋口に到着。
JR、小田急を乗り継いで帰宅しました。
最後までご覧いただきありがとうございました。 -
追伸。
今回の長崎の旅で買った品々です。
日本酒4合瓶2本。 -
カステラは東京では見かけない松翁軒のものにしました。
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かまぼこ、ちくわ、付け揚げ。
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月餅。
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自衛隊カレー。
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マグネット。
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連凧。
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