2022/10/12 - 2022/10/12
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しにあの旅人さん
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青木繁たちが1ヵ月以上も投宿した、あるいは拘留された旅籠つるやのまわりには、この時代の雰囲気をのこすお店や史跡があります。
ぐるっと回ってきました。
一書に曰く、
小諸は、以前ヤマトタケルの旅のときに一泊いたしました。
何もない町だなあ。
と思った私は、浅はかでございました。
大反省です。
ホント、こんないいところとは、思ってなかった。
若い女の子のお好みにぴったりです。
すてきでした。
小諸義塾だけの町ではありませんでした。
が、藤村一色のまちではありました。
そこで、
♪♪こもろびと こぞりて、藤村がすきだー、藤村がすきだー
藤村が だいすきだ~♪ (もろびとこぞりてのメロディで)
By妻
投稿日 2022/11/9
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
藤村御用達の原稿用紙を売っていた大和屋紙店。現在も紙店です。
-
明治の面影を残す改装前の大和屋。自転車があるので、昭和初期か。
-
藤村の原稿用紙はまだ売っているそうです。
旅籠つるやの道路挟んですぐ右です。馬場裏の自宅から歩いてすぐ。 -
その原稿用紙を買いたくて、お店に入りました。
藤村の原稿用紙は、このような和紙で、注文があると型紙に載せて、いちいち刷ったようです。
藤村さん、夜中に調子が出て、のりのりで書きまくったら原稿用紙がない。でも下駄で大和屋に駆けていってもダメなんです。現代のコンビニとは違う。
原稿用紙材料の和紙は、税抜き1枚100円でした。 -
お店の中は昭和以前のレトロ。
-
ここはレジ、いや帳場と言いましょう。
-
座っていたのは20代のお若い方。6代目店主だそうです。
ここでBy妻、雰囲気に飲まれたのか、旅籠膳に乗った漆器を買ってしまいました。6代目によると、家の藏から出てきたモノだそうです。数が半端だし、ダメ元で店に出しておいた。
北國街道の旧家の藏を家捜ししたら、どんなお宝がでてくるか。
一書に曰く、
断捨離しなくては。
とか言いつつ、また買ってしまった。
だって、可愛かったんだもん。
ウキウキ帰ってまいりましたが、わが家に置いたら、そんなには良くないのよね。
わが家が悪いんだわね。
お椀はともかく、お膳は、どう使いましょう?
と言うことで、
荷物を増やした後悔と、無駄遣いした後悔と。
by夫には言わない、言えない心の声でした。
By妻 -
お宝といえば、こちらの方がお宝。店内に無造作に飾ってありました。
★
大正10年8月小諸に講演の折
旧料亭園源(労金小諸支店)前にて
左 島崎藤村 右 丸山晩霞
★
あれ、この時代の藤村は、デブ?
ハゲているように見えるけど、ガラスが光っているのかな? -
その時の2人の合作の色紙。
晩霞の墨絵と、藤村の筆。「懐古園にて 藤村 書」かな。
藤村は、明治37年に発表した小説「水彩画家」のモデル問題で、晩霞と諍いを起こしたことになっていますが、こうしてみるとちゃんと仲直りしたみたいです。 -
藤村の「千曲川のスケッチ」の1節「一ぜんめし」は揚羽屋のことです。
★私は外出した序でに時々立ち寄って焚火に当てて貰う家がある。鹿島神社の横手に、一ぜんめし、御休処、揚羽屋とした看板の出してあるのがそれだ。★
鹿島神社なんて近くにあったかな。120年前の話です。神社の盛衰もあったでしょう。
馬場裏の藤村自宅から揚羽屋まで現代の道路で200mちょっとです。まっすぐ帰宅すればいいのになんで寄るんだろう。小さい子が3人もいたので、子育て真っ最中の冬子夫人に追っ払われたのかもしれない。家にいても藤村が家事の役に立つとは思えない。むしろ邪魔。
一書に曰く、
by夫は、自分が家事の役に立たないから、藤村も同じだと思っているのですね~。
北国の男は、子守したり、結構イクメンだったりするそうですよ。
さて、藤村はどうだったのでしょうか。
by妻 -
揚羽屋は豆腐屋だった。朝晩おかみさんが荷を担いで売りに来るので、冬子夫人はよく油揚やがんもどきを買っていたそうです。
藤村は大鍋のかけてある炉辺に腰かけて、煙の目にしみるような盛んな焚火にあたっていた。
鍋の中身はうでだしうどん。あるいは「お煮掛」といううどんに野菜をいれて煮たもの。
「お豆腐のたきたては奈何(いかが)でごわす」などと言って、内儀さんが大丼に熱い豆腐盛ってだす。
どうもこのおうちでは、亭主よりもおかみさんが働き者みたい。
寒い冬には旨そうなモノばかり。藤村はそれを食べたとは書いていないのですが、絶対食っている。
以上「青空文庫版・千曲川のスケッチ」より。
揚羽屋は一次閉まっていたようですが、最近再開店したとのこと。食べてみたかったのですが、小諸に3泊して、開いている夜は1日もありませんでした。残念。 -
食べられなかったシリーズで、そば七。
-
ここで「おしぼり」を食べてみたかったのです。「おしぼり」は北信州のそばの食べ方で、味噌に大根の辛いしぼり汁をいれて、それにつけてそばを食べる。
ところが営業しているのはお昼だけ。3日間私たちは昼は小諸にいないので、結局食べられませんでした。 -
この唐風庇が江戸時代の面影をつたえているとかで、ムード満点。もともとは小諸本陣の一部だったそうです。
残念でありました
昼しかやっていないのはそば七だけではなく、小諸のおそば屋さんでは珍しくありませんでした。。
小諸に3泊して、2回居酒屋に行きました。居酒屋もラストオーダー18:30なんていうのがありました。
そもそもグーグルマップや食べログに載っている営業日、営業時間がまるっきり当てにならない。事前に電話して、あいているかどうか、営業時間を調べておかないと、夕食難民になります。
これがコロナ騒ぎの余波なのか。2017年に小諸に1泊しましたが、
あのときも夕食に困った記憶があります。小諸の伝統なのでしょうか。
一書に曰く、
2017年にヤマトタケルの追っかけで来たときは、小諸義塾側のホテルでした。
食べ物屋さんもなくて、線路を越えて、つるや側まで来ても、こっち側も、学習塾ばかりだった記憶です。
やっと見つけた、駅前から少し入ったところの、若夫婦がやっているお店に入りましたが、何食べたか覚えていません。
途中で赤ちゃんが出てきたりして、家庭的なお店でした。
つるやさんに泊まってみると、周囲は食べ物屋さんだらけ。
なんだか狐につままれたよう。
おしゃれな、素敵な町並みです。
わーい!
と思ったら、この食べ物屋さんがほとんど閉まっていたのです。
持ち上げといて落とされて、気分は地面にめり込んじゃいました!
コロナのせい?それとも、この町が、夜遊びしない町なのかしら?
By妻 -
藤村の家があったところに、「藤村奮栖地」の石碑と説明板があります。
「千曲川のスケッチ」によると、藤村の家の裏口には柿の木がありました。11月になると柿は落葉して、道も埋もれるばかり。朝は一面の霜。青木繁が藤村の家に呼ばれた12月ですと、もう雪だったかもしれません。
板の間へ掛けた雑巾跡がすぐ凍るそうです。 -
藤村井戸。
当時はつるべ式で、藤村は早朝ここで顔を洗ったそうです。冬子夫人も水汲み、洗い物をし、近所のおかみさん達と井戸端会議をしたとか。 -
現場説明板です。
「棟続きの草葺き平屋建」となっていますが、「棟続き」つまり長屋ではありません。
藤村の住まいそのものは佐久に移築され現存しています。 -
藤村旧宅パンフより
ご覧の通り立派な独立家屋です。
草葺きですが、保護のため鉄板におおわれていました。
一書に曰く、
と言うことで、藤村の旧居移築先まで、わざわざ出かけてまいりました。
南佐久インターチェンジで、高速を下りまして、ナビ様の言うとおりに進んで行きますと、見事に、山の中のりんご園に突入しまして、
「いったい、私が、アンタに何をしたって言うのよ?」
気がつきました。
昨日、ナビ様の言葉を無視しました。
そういうことをすると、きっと仕返しするんだよねえ。
で、平身低頭ごめんなさい。
もう一回インターチェンジ出たところから、やりなおし。
無事付きました。やれやれ。
しかーし!
グーグルマップのナビで、「島崎藤村旧宅」と入れたら、「島崎ふじむら旧宅」と音声ガイドがあったのです。 およ?
あんまりの間違いで、笑った笑った。
目が覚めました。
しまざきさんと、ふじむらさんが一緒に住んでるんだよね-。
グーグルさんは、国語が苦手のようです。
「島崎ふじむら旧宅」でガイドされても特に困りませんから、訂正入れませんでした。
By妻 -
見取り図。南側に主婦部屋(左8畳)、茶の間(右10畳)、台所、北側に書斎、書生部屋、納戸物置、となっています。(2)が案内板では書生部屋ですが、実物は囲炉裏のある居間で、藤村が執筆と勉強のとき以外は、ここで親子5人ごちゃっと暮らしていたのでしょう。
-
和10畳からお勝手を見ています。
一書に曰く、
中を見せていただけるはずなのに、家は閉まったまま。
例によって、言われた9時よりも早く着いたし、待ちました。
待った。待った。待った。
by妻は、お寺の庭を拝見して、そしてもう一回、ぐるりと拝見して、まだ閉まっておりました。
木々を眺めたり、空を見たり、わが掌をながめたりしておりますと、やっと、ひとりの男性登場。
私たちが待っているのに、こんなに待って居るのに、悠然とご登場です。
で、つい
「お待ち申しておりました。」と言ってしまいました。
ら、「はい、お待ち願います。」
だって。
なんだこりゃ!
写真の赤い荷物はその男性の持ち物。藤村とは無縁です。
けれど、これには、誤解がございました。
彼は時間通りに来たのです。
一方、私どもは、わざわざホームページで調べて、その時間で待っていたというわけです。
そのホームページが間違っていたというわけでした。
囲炉裏ばたで火をくべる彼と、私どもしか居りませんでしたので、ついつい雑談なぞいたしまして、解明いたしましたことでございました。
世の中、話さなきゃ、分からないのね。
話せば、わかる! -
和10畳から8畳
大きな木に囲まれていて、日当たりは悪く、湿っぽかったです。
家の周囲は、苔だらけでした。
この家で破戒を書いたなら、丑松は、最後自殺しちゃうなあ。
小諸で書いてよかったです。
By妻 -
傾斜地でした。藤村の家の近く、浅間から落ちてくる細流は、少しでも雨が降ると砂を押し流すくらいの地勢でした。
今もつるやから藤村旧居にかけてはちょっとした傾斜があります。 -
つたやは創業300年の老舗旅館でした。つるやの東側2軒隣です。かつてはつるやとつたやが軒を並べていました。
-
明治時代のつたやです。
現在の建物は、大正年間に建て替えられました。
近年まで旅館として使われていましたが、現在は廃業し、ギャラリーつたやとなっています。 -
一部屋ごとに古着屋、
-
小物屋、
-
陶器屋さんが店を構えています。
-
戦争中、高浜虛子がここに疎開していたことで知られ、虛子が句会をした部屋が残されていました。公開されていませんが、ギャラリーの管理者の方が見せてくれました。
-
一書に曰く、
つたやさんは、大きな宿屋さんだったようです。
今は、種々の骨董屋さんが、各部屋に入っていました。
骨董屋といっても、それぞれ専門がおありのようで、着物専門店、皿、小鉢専門店、レコード関係、書画骨董専門、、、果てしなく部屋が続いて、階段を登って、曲がって折れて、
迷路のよう。
そしてその部屋へやに、骨董というか、古い、「あ、うちの物置にある!」ってモノやらがぎっしり詰まっておりました。
あな おとろし。
断捨離されたものの吹きだまり。
そのモノをかき分け、踏み越え、(気分的にですが)たどり着いたところが、この部屋です。
高浜虚子お気に入りの部屋だったそうで、句会もよく催されたとか。
凝ったインテリアの部屋でした。
なるほど。
どおりで、青木繁も坂本繁二郎も無視されるわけだ。
我が町は、有名文化人に愛された町って自負しているのですね。
まあ、そうだけど。
ご縁がある文化人は、いーぱいいるんだものね。
青木繁も坂本繁二郎も、旅行者にすぎないもの。
でも、若い二人には、小諸は、生涯忘れることのできない土地でした。
by妻
堀辰雄「斑雪」
▲▼▲▼▲▼
管理者さんによれば、旅館を廃業するとき、古い書類を分類し、いまもこの建物の奥に保管されているそうです。ただし中身の調査は手つかず。
きっと宿帳が残っているでしょう。
昭和16年(1941年)12月23日には、堀辰雄と森達郎の名前があるはずです。
昭和16年12月24日付け佐藤恒子あてはがき(筑摩書房版堀辰雄全集第8巻P272)
佐藤恒子は中里恒子のこと、1939年初の女性芥川賞受賞者です。
★また信濃の旅に出てゐます。きのふは野辺山ケ原の斑雪(はだれ)のなかを歩いて板橋という部落まで行きました。それからはじめて小諸の古い町に一夜ですが寐ました。(以下略)★
「小諸町蔦屋より」となっています。
この信濃の旅が昭和18年(1943年)の「斑雪」となりました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 前日光さん 2022/12/14 23:01:53
- 大和屋紙店
- しにあさん&by妻さん
久しぶりのコメントです。
藤村の原稿用紙、なんと悠長なことに、「和紙で、注文があると型紙に載せて、いちいち刷った」のですか?
現代とは時間の流れが違いますねぇ。
藤村先生は、その原稿用紙で、あの数々の名文をものしたのですねぇ(^-^)
私は神楽坂の「山田紙店」で、恐れ多くも漱石先生が使われていたという原稿用紙を100枚ほど購入してきました。
ほとんどが、生徒の読書感想文を清書してコンクールに応募するときに使用してしまいました!
漱石先生にあやかって名文が書けるかもと、生徒を叱咤激励しながら指導していた昔を思い出しました。
「大和屋紙店」、小諸に行く機会があったら訪れてみたいものです。
by妻さんが勢いで買ってしまった漆器は、今どんなことになっていますか?
こういう文豪の痕跡が残る店に行ったら、ついつい何らかのものを購入してしまうのは人情というものです。
私だって、きっとそうしてしまうに違いありません。
文弱、脆弱、文豪。。。という響きに弱い人間です。
藤村の詩は、いいですよねぇ。
最近の高校の現代文では、文語定型詩というものをほとんど扱わなくなってしまいました。
どうして日本語の美しいリズムを、授業の時ぐらい若者たちに鑑賞させないのかと残念でなりません。
古い!というひと言で、文語文は彼方に追いやられてしまいます。
藤村や佐藤春夫や三好達治や白秋や。。。目で見ても漢字の美しい配列に感じ入る(ダジャレではありません!大まじめにこう思っています)生徒が一人でもいれば、今の日本語は滅びないと思うのですが。
話が逸れていますね。
藤村の文章が大好きなところは、by妻さんとも共感できるのではないかと(^^;)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/12/15 06:07:36
- Re: 大和屋紙店
- 藤村の原稿用紙はまとめて刷ったんだろうとは思いますが、考えてみると小諸時代は詩作と、千曲川のスケッチ、小品、破戒の初稿くらいですから、そんなに用紙はいらなかったのではないでしょうか。などといらぬお節介。
版木はこれ以外にもなん種類かありました。
小諸の文人は、お好みの原稿用紙を持っていたのでしょうか。贅沢であります。
漱石の原稿用紙って、用紙の中央に漱石用とか書いてあるやつですか。売れっ子作家だと、専用の原稿用紙を用意してくれたみたい。
コンクールの審査員さん、応募原稿用紙を見てびっくりしたでしょうね。
By妻衝動買いの漆器は使っています。何回か出てきたことあります。旅籠膳はどこに行ったか、見ていないなあ。
大和屋紙店に行く時は、買い物、くれぐれもご注意を!
近頃の高校は文語定型詩をやらないのですか。
藤村や、蘆花の「相模灘の落日」みたいな和漢混淆文を朗々と読み上げると、日本語文の良さがわかるのですが。
上野シリーズはこのあと上野三碑なのです。石碑の内容が、なんとかわかるのです。高校時代の漢文と文語文が役に立っています。
フランス人の教養レベルは、若い頃ラテン語かギリシャ語をやるかやらないかで決まるらしい。
日本語も同じで、ある程度の古文や漢文の知識がないと、人間が薄っペらくなります。
むかーしですが、四文字熟語を書けと言われたら「鬼平犯科」というのを出した高校生をテレビで見ました。「帳」が抜けてるじゃん!漢字を四つ並べればいいと思っていたみたい。
-
- kummingさん 2022/11/10 09:08:46
- 有名人(げいじゅつか?)に愛された街♪
- 朝晩は寒く日中は小春日和、続く昨今、しにあさん家におかれましては、昨夜の地震の影響はございませんでしたか?(小春日和って12月に使う表現だとか?)
明治時代、小諸で暮らした藤村が、信州内山で作った障子を切った紙を求めた、という大和屋紙店。障子に墨、筆で書く?って大変そうですが、昔は和紙に墨、が普通だったんですね。そういえばお習字用の紙は和紙でした。和紙一枚100円、現在の価格ですね?価格の妥当性は判断出来ません。
ついでに青木繁、坂本繁二郎が久留米在住の折、◯◯を求めた××店、ってあるかしら?
旅籠膳に乗った漆器を思わずお買い求めになったby妻さん、我が家にも食器棚に「溢れんばかりに古市で買って来たグラスが占める一角」がございます。私にはどこに違いがあるのか?分からない、バッカス君の衝動買いの吹き溜まり。
労金の前?で何をなさったのか、笑顔の藤村と丸山晩霞氏、まさか金策成功?
自分がそうだからそう思う、あるある!炎天下の芝刈り、水撒き、冬に備えて薪割り、お買い物など、ご活躍されているにも関わらず、「家事役立たず」しにあさん評by妻(笑)
小諸では夕食難民になりそうだったとか。やってる時間(開いている)が違うじゃん?3年以上前の情報を更新していなくて、行ったら閉まってた!コロナ禍で営業時間短縮していた影響はまだ残っているのかも。現ホームページにて確認は必須ですが、行ったらホームページと15分ズレていた!という事もあり、寒空の下待った事もございます。小諸の場合、夜遊びしない、元々早仕舞いの街なのかもしれません。
待ち合わせの誤解、話せば分かる♪円満解決して良かったです。
Google Navi の信憑性、以前よりずっと正確になったと思いますが、たまに、ココ泳いで渡れ!っていう無理筋、案内ありますね~(-。-; しまざきさんとふじむらさん→ふじこさんとふじおさん、みたいな?AIにもまだこんな隙がある?方が、かわいい♪
家の間取りを見ていて、廊下がない→他の部屋を通らないと奥へ行けない、先日見るともなくやっていたベルサイユ宮殿の番組で、国王の寝室が1番奥にあって、そこにたどり着くまでに多くの部屋を通らねばならなかった、と。日本家屋の場合は狭い土地ゆえで、ベルサイユ宮殿とは意味違いますね?
藤村の小説、読み直してみたくなりました。
mistral さんやしにあさんのご紹介で、地元民の地元愛を感じる今日この頃♪
ちぎれコメント寄せ集めでm(._.)m
- しにあの旅人さん からの返信 2022/11/12 20:09:53
- Re: 有名人(げいじゅつか?)に愛された街♪
- 地震はちょいグラ。震度1とか。このあたりは津波には弱いけれど、揺れには反応鈍いみたいです。
100円は現在のお値段。写真撮らしてもらうので、一応3枚買いました。1枚ってわけにはいかない。
By妻の衝動買い、理解できる面も。とにかく店全部がレトロで、骨董を買いたくなる雰囲気ムンムンでした。6代目、お若いのに、お主なかなかやるのお。
ものは本以外買わないように努力しています。
先日Amazonで筑摩版堀辰雄全集10巻などというものを買ってしまいました。厚さ5センチくらいのが10冊。By妻が本棚のスペースを作ってくれましたが、多分怒っているよね。
本は旅行のブログ用資料を買い込まざるを得ず、やむを得ず。読まない本を捨てるように努力していますが、これが難しい。
死んだ親の写真など、中を見ないで箱ごと捨てますが、本はね~~~
家事手伝いは、もはや諦めの境地です。薪割りは数年前までは一人でやっておりましたが、最近はとてもできない。薪割り機を使うのですが、薪を機械に乗せる係はまるっきりBy妻に依存です。
小諸の飯屋の時間は驚異的です。普通ホテルには近所の食べ物屋のリストがあるのですが、なし。駅の観光案内所にも、なし。要するに誰にも予想できないのだ。あたりをつけた飯屋に1時間前に電話して、ラッキーにも開いていたら予約します。
グーグルナビの無理筋にはもう驚きません。九十九里浜から海に誘導され、その先の陸はカリフォルニアなどというのもあった。
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