2022/11/04 - 2022/11/04
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たびたびさん
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佐賀バルーンフェスティバルは最終日の四日目にして、その前に今日は福岡市の西側の散策。地下鉄の駅でいうと姪浜、室見、藤崎、西新、唐人町の北側一帯。マリノアシティ、マリーナタウンとかヤフードームがあるももち地区とか。埋め立て地にできたエリアですから、福岡市では比較的新しくて、それなりに住みやすい場所としてイメージされていると思いますが、海岸に近い分、実は地下鉄駅からは意外に遠いし、さらにそれを横断するように歩いてみるって、かなり距離があるので、まあ普通こんな発想はないと思いますけどね。
ただ、埋め立て地ではない市街とかだと元寇の防塁跡があったりして古い歴史もそれなりにありそう。そして、福岡に住んでいた時に結局機会がなかった能古島を加えれば、相応に期待できるコースかな。そもそも、こうしてまるまる一日を掛けれる機会もそうそうはないですからね。
ところで、能古島のこと。私も以前に福岡で暮らす前はその名前すら知りませんでしたが、福岡市民にとっては本当に身近に感じる島のようですね。能古島うどんにのこのしまアイランドパークのお花畑は誰でも知っているし、それから、井上陽水の「能古島の片想い」も福岡人が愛してやまない歌なんです。
さて、今回初めての能古島に、のこのしまアイランドパークでしたが、なんとなんと。。その美しさや心地よさは想像以上。ちょうどコスモスの季節。玄界灘の青い海を見下ろす丘陵には一面に満開のコスモスが風に揺れていましたが、そのコスモス畑に限らず、周囲はどこも手入れがよく行き届いているし、この心地よさは最高ですね。一番奥の海の中道海浜公園から志賀島を真正面に望む芝生の広場の眺めもパノラマ映画の一シーンみたいでまさに絶景。どうかすると天橋立も真っ青くらいじゃないですか。ちょっと言葉がないくらい。完全に打ちのめされた感じです。また、園内で能古島うどんをいただいて、そのきりっと締まったおいしさにも大満足。すっかり能古島に魅了されて、福岡市民の気持ちがやっと分かったような気がします。
その後の散策も終えて、この日の最後は博多ライトアップウォークへ。広大な境内を持つ大寺が軒を並べる寺町の立地条件を生かした斬新なイベントでしたが、これも福岡市の魅力を上手に発信している感じ。なんか朝から晩まで盛沢山。佐賀バルーンフェスティバルへのつなぎの日のつもりでしたが、意外にも福岡の新たな魅力再発見、充実の一日となりました。
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姪浜駅の一つ先、下山門駅から散策を開始します。こんな駅降りたことありませんでしたが、さてさてどうなりますか。
まず向かったのは、壱岐神社。武内宿禰の身替りとなって死んだ壱岐直真根子を祀る神社。生の松原の中にひっそりとたたずんでいます。
この生の松原は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占った、その枝が生きて栄えたことから。境内にはそうした詳しい説明版がいくつも立っていて、日本書紀の世界とのつながりをアピールしています。天神にある警固神社も神功皇后の三韓征伐に関係しているし、福岡には神功皇后ゆかりの神社がとても多いですからね。 -
反対向きになると
神社からは、生の松原を突っ切って、海岸の方に向かって真っすぐ伸びる道。 -
これって、神社の参道なんですね。
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海からこうしてつながっていて、なるほどね。
それなりの構えじゃないですか。 -
海岸の砂浜は、生の松原海水浴場。
こんもりと茂った松原が長く続くし、砂浜もそれなりにきれい。市街地に近い利点もありますが、施設的にはどうなのかなあ。周囲を見渡してもこれといった施設がなさそうでそれはちょっと気になります。 -
では、ここから東に向かって進みます。
元寇防塁の石柱が建っていて -
海岸部はこんな見事な護岸工事がしてあって
すごい迫力ですよ~ -
海岸伝いの遊歩道もこれなら安心して歩けます。
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さらに進むと。。石垣が見えてきました。元寇防塁ですね。
元寇防塁は、福岡市内にはいくつか残っていて、いずれも国の史跡に指定されていて、これは生の松原の元寇防塁。 -
後世の城の石垣に比べると粗末に見えなくもないですが、それなりの効果を上げたのは確かなよう。
元寇は、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回。文永の役の苦戦を教訓にして、防塁はその翌々年、鎌倉幕府の命を受け、3か月の突貫工事で築かれます。その結果、弘安の役では博多への上陸を断念させ、博多湾での軍船の停滞は2か月にも及び、とうとう台風の被害にもあってしまうのはご案内の通り。
文永の役の兵力3~4万に対して、弘安の役では元・高麗を主力とする東路軍4万に旧南宋の江南軍10万を加えた大軍でしたが、最後は伊万里湾に浮かぶ鷹島で置き去りにされた10万の兵士が殲滅されるという大惨敗に終わるのです。 -
ただ、弘安の役での台風はいわゆる神風だったかもしれませんが、やっぱり基本的には日本が既に武士の世の中で、大規模な合戦も経験した戦闘力の高い時代だったことが一番の幸運だったかも。そして、ほどなく、中国では元は滅び明の時代へ。朝鮮では倭寇の被害が拡大し、高麗から李氏朝鮮へと時代は回る。余韻も小さくはなかったと思います。
どっちにしても、九州は対大陸の最前線。神功皇后の三韓征伐といった神話の時代から始まって、白村江の戦いや防人、遣唐使や清盛の日宋貿易、足利義満の日明貿易、秀吉の朝鮮出兵や南蛮貿易もそうかな。たぶん、海の向こうのことを常に意識する一種の緊張感が続いてきた歴史があります。実際、福岡に住んでみてもそうですが、想像以上に朝鮮半島は距離的な近さを感じるし、ほかの地域とはちょっと違う感覚があるような気もします。 -
そのまま小戸公園を目指して進みます。
だいぶ近づいたかな。 -
と、ここにも元寇防塁。
こちらは向浜地区の元寇防塁です。芝生の一角に「元寇防塁」の大きな説明版が立っていますが、ただ、元寇防塁そのものでいうとちょっとこんもりとした土塁らしき地形の辺りがそれなのかなあ。あんまりはっきりしないので、生の松原の元寇防塁と違って見ごたえとしてはかなり微妙です。 -
小戸公園に到着です。
マリノアシティのもう少し西側。近くにマリーナなんかもありますが、さすがに普通だと歩いてくるような場所ではないですね。小島か岬みたいな海岸辺りの景色はそれなりに雰囲気はありますが、それでもねという感じです。 -
小戸公園の中ほどにある小戸大神宮。小高い山の中腹に向かって、石段を少し上って行った先。
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神社は小さな祠のような感じで、大神宮というのはちょっと大仰。案内板があって、ここは、天照皇大神、月読命、素戔嗚命、住吉三神などが誕生した聖地なのだとか。
これは古事記に記されたイザナギが黄泉の国から逃げ帰り、禊ぎを行った際のこと。左目を洗うと天照皇大神が、右目を洗うと月読命が、鼻を洗うと素戔嗚命が生まれたとあるんですね。ただ、後日調べるとその地は「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」。確かに小戸の名前もありますが、宮崎の江田神社が有力のようですね。 -
小戸展望台にも上がってみます。
小戸公園の一番高い場所。石段から舗装した歩道とかアクセス道はきちんとしていますが、上るのは想像以上にしんどいですね~ -
それでも眺めはいいんだろうと期待していましたが、隣のマリノアシティが見えるくらいでそれもそう大したことはない。全然おすすめではありません。
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では、展望所を下りて、マリノアシティ福岡へ。
こちらは、レストラン街も備えるウォーターフロントのアウトレットモール。平成12年にオープンした当時は、九州最大のアウトレットモールでかなり話題性があったのですが、今はアウトレットモール自体珍しいものではなくなったし、久しぶりに訪ねるとちょっと古びてしまったかなの感もなくはないですね。まあ、今はそこそこの施設というレベルかと思います。 -
その南側にも元寇防塁があって、こちらは、脇地区の元寇防塁。全体が芝生で覆われた小高い土塁。
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そのてっぺんに「元寇防塁」という石碑が立っていますが、石垣の防塁跡はないので、やっぱり迫力としてはイマイチかなと思います。
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ここから、住宅地の中に入って行きまして。
旦過だるま堂は、小さなお堂。傍らにきちんとした説明版があって、ここは姪浜の興徳寺 の旦過寮(旅の僧を宿泊させてもてなした所)跡なんだとか。それがどれくらい意味のあることなのかはよく分かりませんが、 -
のぞくとお堂の中には祀られている達磨大師が見えていました。
それくらいです。 -
こちらは、姪浜住吉神社。家内安全・海上安全・商売繁盛のご利益があるとされる神社。
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地域の神社だと思いますが、始まりは、奈良時代、天平15年(743年)。異国船来襲の調伏祈願の折に住吉三神が出現したというところから。これも玄界灘に面した博多ならではの由緒かなと思います。
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市営渡船 姪浜旅客待合所に到着。あちこち寄りながら歩いてきましたが、本来は姪浜駅からバスが出ていてアクセスは悪くないです。
さて、能古島はここから出発します。 -
能古島は小さい島だし、始めはこの待合所はそれにしては大きいなあと感じましたが、時間が近づくと乗船客は多くなってちょっとびっくり。能古島って、こんなに人気があるんだなと改めて実感しました。
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能古渡船のフェリーで能古島へ。所要時間は10分ほど。
そこまで小さなフェリーではないのですが、このフェリーはいわゆる大部屋がない。細い通路のような場所にベンチのような座る場所があって、それだけ。車が優先の設計なのかもしれませんが、これは珍しいですね。 -
では、能古島に初上陸です。
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港からすぐのところから、のこのしまアイランドパーク行のバスが出ていて、皆さんこれを利用します。
もしかしたら歩いて行けるかなあとも思っていたんですが、かなりの距離もあるし上り道だし、やっぱり無理ですね。このバスに乗る以外の選択肢はないと思います。 -
しばらく走って、のこのしまアイランドパークに到着。
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ここが入口。
島のこんな奥まった場所にある施設ですけど、どうなんでしょうね~
まだ少し半信半疑ですけどね -
園内に入りました。
どこをどう回ればいいのか見当が付きませんけど -
中心部は、入り口を入って右手の方のようですが、ここを下っていった先ですか。
でも、この感じだとあんまり展望は開けないような。。 -
ということで、
遅咲きのコスモス畑があるという左手の方に進むことにしました。
少し丘を上がっていくと -
コスモス畑が見えてきましたね~
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コスモスは、この季節だと一番映えますからね。
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花の密集具合とかの感じだと
これはなかなかよく手入れされていますね。 -
だいぶ上がってきて、振り返ると
おー。これは絶景です。 -
海を遠望する丘陵部に広がるコスモス畑って、なかなかあるようでないですからね。
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イチオシ
もっと規模が大きいコスモス畑ならあるのですが、この解放感はやっぱり島ならでは。
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少し風が強くて、コスモスが波打つように揺れるさまもまたいいですよ。
それに花は咲き揃っていて、終わった花やこれからの花が全くないのもすごいこと。たまたまそういう時期なのか、それくらいよく手が入っているのか。詳しいことまでは分かりませんが、本当に最高の状態だと思います。 -
いやはや、これを見ただけでも能古島に来た甲斐は十分あったでしょう。
私のこれまでのコスモス畑の最高は、昭和記念公園のコスモス畑だったんですが、それに並ぶコスモス畑だと思います。 -
コスモス畑ですっかり癒されて、もう後はいいかな。
このまま帰った方がいいような気もしますが、それでもせっかくだからと思い直して、中心部の方に向かいます。 -
遊歩道沿いには、これも立派な花壇。
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この花壇もよく手入れされていて、本当に最高の状態が保たれている。
気持ちが入っているように感じます。 -
建物が集まっていて、思い出通りというエリアです。
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と、うどん屋さんを発見。
能古島はうどんが名物ですからね。耕ちゃんうどんですか。入ってみるとがらんと広い店内は、これなら気を遣わずにゆっくりできるし、いいじゃないですか。 -
そして、うどんの方。舌触りが良くてキレもある爽やか系。出汁もすっきりしていて、全体として男前です。
柔らかさが特徴の博多のうどんとはちょっと違って。さすが名物。確かに、これを食べない手はないと思います。 -
黄な粉のお餅も追加して、これでまた気持ちが落ち着きました。
さすがにもうこれで能古島はいいかなと思ったんですが、お店の人にもう少し奥にも行ってみてくださいと言われまして -
イチオシ
バーベキュー広場に出ると
これは何という眺めですか。
海の中道から志賀島に至る一筋の陸地が目の前にパノラマみたいに広がります。 -
志賀島は、後漢の光武帝が倭国の使者に与えたという「漢委奴國王」の金印が発見された島として有名ですが、海の中道からつながるその景色はこんなに美しかったんですね。
ただ、それが分かるのはたぶん、このこのしまアイランドパークからじゃないと無理でしょう。これはまったく想像以上。福岡市民が愛する島、能古島の意味がこれでやっと分かりました。 -
イチオシ
さらに進むとこちらにもコスモス畑。ただ、こちらの方は早咲きなのでここまで。
しかし、雰囲気は十分感じれますね。 -
イチオシ
始めのコスモス畑もよかったですが、やはりあれだけで帰っていてはもったいない。危ういところでした。
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調子が出たところで、もう少し能古島の探索をしてみます。
アイランドパークからの帰り。「早田古墳入り口」のバス停で途中下車して、鹿垣、早田古墳を目指します。 -
かつて、能古島は黒田藩の鹿の狩猟場だったとか。しかし、あまりにも鹿の被害が酷かったので石垣を築いてそれを防いだのだそう。それが鹿垣。島内の何か所かで見られるようですが、これは早田古墳に行く途中。鋭く割った石を重ねた石垣が森の中に見えています。
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早田古墳は、能古島の中央部、山の奥にある横穴式石室を有する円墳。
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ネットの情報では見事な石室の様子が確認できていたんですけどね。
この先30mという案内板からけもの道のようなところを進んでもそこから先の一帯はけっこう荒れていて近づけない。改めて整備が必要な状況だと思います。 -
ちょっと不完全燃焼でしたが、気を取り直して今度は能古博物館へ。
こちらもけっこう不便な場所にあるのですが、想像していたよりずっときれいで立派な施設ですね。 -
入り口を入って
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奥の展示室では、
志賀島で金印が発見された時、その価値をいち早く見抜きその保護にあたった亀井南冥や -
その子の昭陽、
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孫の少栞という学者の一族の紹介に
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能古島の廻船の歴史、古窯のことなど。
廻船の歴史は意外に短くて長くは続いていない。能古島だけではなく、そもそも江戸期、博多の廻船があまり奮っていなかったということだと思います。朝鮮半島や大陸との交易が絶たれてしまうと博多の地の利は限られたものになってしまうということでしょうか。日本海側の北前船や上方と江戸を結んだ樽廻船の活況を思うと寂しい限り。ただ、あれほど日本をリードしていた堺も江戸期は寂れてしまいましたからね。まあ、北九州の花形は長崎街道。お菓子の文化とかが残ったし、福岡が再び脚光を浴びるのは、明治以降。筑豊の炭鉱や八幡製鉄所に門司港ですが、大陸とのつながりが重要となってくると出番が回ってくるというお決まりのパターンですね。 -
能古博物館からはどんどん山を下って港に向かいます。
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能古博物館の敷地の中を少し下ったところにある孔子聖廟。小ぶりですが、なかなかきれいに整備されていて、意外に見ごたえがありますね。能古博物館で紹介のあった儒学者の亀井昭陽の遺徳を偲ぶために建設が決まったよう。比較的新しいものだと思いますが、歴史をとどめるものではあるようです。
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その先が能古焼古窯跡です。
明和~天明年間(1764~1787)に操業された藩窯の跡だそうですが、それなりの規模の迫力ある登り窯ですね。有田焼系磁器と高取焼系陶器の両方を焼成した窯というのが貴重なのだそうです。 -
山を下って集落の方に下りてくると、この永福寺の境内に出ます。
金龍寺9世、延雪玄祝によって文禄2年(1593年)に開かれたとも。能古島の古刹なんですが、本堂とかもけっこうさっぱりとした印象。古刹という雰囲気はあまりないと思います。 -
白鬚神社もその集落の一角。奈良時代の創建とされる島の産土神。
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神功皇后、猿田彦命、三筒男命を祭神としていて、そもそも能古島は神功皇后が住吉の神霊を残した島という島なんだとか。毎度毎度の神功皇后伝説です。
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イチオシ
これで能古島は終了。
博多に戻って、また散策の続きです。 -
姪浜旅客待合所から東に歩き始めてすぐ。
マリナタウン海浜公園は、広々とした砂浜が圧巻。そして、室見川をはさんではいるのですが、福岡タワーやももち地区へもそのままつながっているような眺めがまた最高ですね。
マリナタウンに住んでいる人にとってはプライベートビーチのような感覚もあるかもしれません。 -
沖合にはしっかり能古島も見えています。
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では、マリナタウンの方へ。
ところで、マリナタウンは、本来、埋め立て地に造成された住宅地を指すのだと思いますが、そこに進出したイオンモールのことも指すようになっていて、実はけっこう紛らわしいんですよね。 -
これがイオンモール。
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明るくて広々とした店内はおなじみのものですが、観光客の方には周囲のおしゃれな住宅地の方も少しのぞいてみることをお勧めします。
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イオンモールで少し休んで、再び出発。
マリナタウンからはこの室見川を越えていきます。ちなみに、この室見川は、福岡市の早良区と西区の境を流れて博多湾に注ぐ川。地元では春の白魚漁がそれなりに知られていて、川沿いにはそれを名物にする老舗らしい料理屋さんがいくつかあるんですよね。行ったことはありませんが、ちょっと気になるところです。
そして、河口部にはこんな風に高架の高速道路が走っていて、海を臨む景色とコラボしているのも一興です。 -
福岡市総合図書館は、福岡タワーに向かうサザエさん通り沿い。
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ここも巨大箱モノが得意な福岡県ならではの施設ですが、
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ロビーの奥には
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ギャラリーがあって、
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福岡ゆかりの作家の「映画化された小説」展。
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夏樹静子の「Wの悲劇」、 高樹のぶ子の「霧の子午線」とか確かに耳にしたことはありますし、ちょっと気持ちがハイになる。
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なかなかいい企画だと思いました。
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近くにある福岡市民防災センターにも寄ってみます。平成17年の福岡県西方沖地震では、この辺りも大きな被害があったところ。埋め立て地だったことも関係したんでしょうが、地下水が噴水のように吹き上げたりして大きなニュースとなりました。
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その現場であったことの記憶がだんだん薄れているようにも思いますが、災害は備えが肝心。たまには、災害を思い出して気を引き締める。必要なことだと思います。
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ところで、この地区には、サザエさん通りがあったり、サザエさんのキャラクターの像が立っていたりして、それはそれなりに認知されているのですが、
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サザエさん発案の地の碑はどうでしょう。交差点のところにありますが、全然目立ってもいないし、地元の人に尋ねても知らない人ばかり。認知度はかなり低いようです。
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イチオシ
サザエさん発案の地の碑から西新駅の方に向かいまして。
続いての西南学院大学は、キリスト教系の大学。その博物館は、1921年、西南学院の本館として、あのウィリアム・ヴォーリズが設計した赤レンガの建物です。
蔦の絡まる外観はそれはそれでインパクトがありますが、 -
圧巻はやっぱり展示の内容。
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ユダヤ教やキリスト教、
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そもそもキリストをどう考えるかといった基本的な解説をする資料展示は、ちょっと斬新。厳粛な雰囲気もあるし、たまにはこういうものに触れてみるのもいいかなと思います。
私のキリスト教の基本的な理解は、遠藤周作にあるのですが、キリスト教は新約聖書。キリストは、神がいるとかいないとかを説く必要はなくて、それは既に旧約聖書で絶対的なものとして確立している。その土台の上に立って、神との関係を説いているんですね。しかし、それもキリスト教として成立するのはキリストの死後であり、パウロやペテロの体験や理解から宗教としての形ができていく。旧約聖書の神は時に人々を苦しめる厳しい面も持っていますが、キリストの生涯を通じて説かれた神のイメージは人々に徹底的に寄り添う姿かな。その激変を思うと、キリスト教徒でない私でもちょっと感動的な気持ちになりました。 -
一方で、仏教も釈迦が説いたのはこの世に変化しないものはないという悟りくらい。大乗仏教が生まれるのはしばらく経ってからだし、インドから中央アジアに伝わる中で、基本的な骨格が出来たというのが流れですからね。
そして、最後に伝わった日本ではそれがまた独特の進化を遂げる。例えば、死んだら誰でも仏になるという考え方を否定する日本人はほとんどいないと思いますが、これも長い仏教の歴史があっての遺産。日本人は無宗教だとか分かったようなことを言っている人は一番分かっていない人だと思います。 -
西南学院大学には、聖書植物園というものがあるということでしたが、実はこれ。何かまとまった施設ではなくて、西南学院大学の構内のあちらこちらに聖書と関係する植物とその関係の解説が添えられているというもの。
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イエスが〇〇の時にこう言われたとかこうされたとか。そこに該当の植物が登場したりするんですね。それにしても、かなりの数。まあ、よく集めて解説したという感じです。
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と、こんなところにもサザエさんですね。
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そして、西南学院大学のもう一つのチェックポイントは、建物の中にある元寇防塁遺跡。建物の入り口に小さな看板が出ていて、中に入ってそれをたどっていくと確かにありました。
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建物に囲まれた小さな中庭のようなスペースですが、そこいっぱいに建つ石垣の塀。かなりしっかりとした石垣で、生の松原の元寇防塁よりずっと迫力がありますよ。これなら防御力はかなりのもの。元軍が防塁を見て上陸をあきらめたというのも実感として分かります。
これだけのものですから当然かもしれませんが、よく保存してもらえたものだと思います。 -
西新駅に到着。
西新駅から藤崎駅近くの方まで続く商店街、西新商店街です。「西陣中央商店街」や「なかにし商店街」といった表示も出ていて、細かくはいくつかの商店街に分かれるみたいですね。歴史的には福岡市西部の副都心という位置づけだそうですが、私も近くに住んでいたので分かりますが、西新商店街はそこにあるのが当たり前といった存在。サザエさんをモチーフにしたり、活気もまだまだ感じられる商店街です。 -
勝鷹水神は、その西新商店街にあるSBホークスの必勝祈願スポット。木彫りの鷹の像の前にはお供えの野球ボール。手前には何かのユニホームや優勝祈願の絵馬とかあれこれ賑やかに置かれていました。しかし、何か由緒のある歴史の場所かなと思っていたので、これを見つけた時はちょっとあっけにとられました。
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西新駅から唐人駅の方に向かって、ちょうど中間あたり。
金龍寺は、創建が永正5年(1508年)の曹洞宗の寺。入口の楼門脇に説明版があって、「怡土郡高祖村(前原市)に高祖城主、原田弘種が創建し、福岡藩二代藩主・黒田忠之の時に現在地へ移転した」とありました。 -
境内は広々としていてこれは立派な構えの大寺ですね。
倉田百三が寺住していたこともあるようです。 -
境内には福岡藩の儒学者、貝原益軒と東軒夫人の墓。楼門を入って少し奥に進んだ右手です。まず目に入るのは、貝原益軒が座って書物を読む姿の銅像。貝原益軒は、江戸時代前期の人。50年間の間に多くの著書を書いている大儒学者ですが、代表作「大和本草」が博物学の始まりとされるもの。実証主義の精神があって、型にとらわれていないのは後世の水戸派などとは全然違う姿。医学や歴史への造詣の深さなど儒学はあくまで入り口の一つに過ぎないとでもいうようなスケールの大きさが魅力なんだと思います。
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その奥がお墓。石囲いの中に墓が二つ並んでいますが、これは夫婦の墓ということです。
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その前に建つのは、倉田百三 寓居の記石碑。
碑には詳しい紹介があって、倉田百三が家族とともにここを訪ねたのは、代表作「出家とその弟子」を書いた翌年の大正7年。明石に移るまでの1年間をここで暮らしたのだそうです。碑はなかなか趣があって百三への思いを感じます。 -
浄満寺は、金龍寺と明治通り沿いを挟んだ向かい側。浄土真宗本願寺派の寺で、創建は、寛永12年(1635年)。現在地に移転してきたのは寛文11年(1671年)。
門前に「亀井南冥・昭陽両先生墓所」と大書した石柱が建っていて、一族の墓があることをアピールしています。
こちらもなかなかの大寺です。 -
亀井南冥・昭陽両先生墓所はこちら。
共同墓地の一角に、一族の墓とともに建っていました。
ちなみに、亀井南冥は、今朝ほどの能古博物館では、志賀島の金印の価値を認識してその保護を図った人物として紹介されていましたが、同時に福岡藩の東西2つの藩校の西学問所甘棠館の初代館長。
昭陽は、その長男であり、父以上の学者ともいわれたということです。なお、二人の墓だけは金字になっているのですぐにそれとわかります。 -
西新駅から一つ戻って、藤崎駅へ。最後にこの辺りも回りますよ~
こちらは、百道の元寇防塁。 -
公園の一角にごつごつとした石がいくつも地表に出ているのですが、防塁の頭のところかな。つまり、周囲が土で埋まってしまって、頭のところだけが地表に出ている感じ。まあ、それでもそれなりの迫力はあると思います。
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紅葉八幡宮は、平安時代後期の創建。陸奥国からやってきた柴田氏が産土神として祀ったのが始まり。
入り口の建つ大きな石の鳥居から -
参道を上がっていく石段とか赤い本殿も含めて、なかなかの構えですね。
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日が暮れてからでもきれいにライトアップされていて、寂しくないのもいいと思います。
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猿田彦神社は、藤崎駅からすぐの明治通り沿い。石の鳥居とか石の囲いとかはしっかりしていて、開運・招福の大きな看板が目立っています。
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旧唐津街道の出入り口に祀られる道祖神として伝えられてきたもののよう。こちらも、紅葉八幡宮が管理している神社です。
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さて、今日最後のお楽しみは博多ライトアップウォーク。2006年から始まったようですが、コロナ禍だったので、今年は3年ぶりの開催なんだとか。
承天寺、東長寺、円覚寺、本岳寺、善導寺、妙典寺、海元寺の7か所が有料会場。自分の好きなところを選んで入るのですが、やっぱり、人気は承天寺と東長寺でしょう。この後は明日のバルーンフェスティバルに備えて佐賀に移動しないといけないし、時間の制約もあるので、その二つに絞ります。
まずは、承天寺。 -
しばらく並んで、本堂の方へ上がります。
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イチオシ
ほ~
砂で波を表す枯山水の庭園が青くライトアップされて、おしゃれですね~
右上の方には満月のお月様も光っています。 -
京都のライトアップもしばらく行ってないですけど、たまにはこういうのいいですね。非現実の世界を表現する手法としては、比較的手ごろな演出方法なんだと思いますが、見た瞬間、見たまんまで楽しめるのは見る方にとってもあれこれ考える必要がないので面倒くさくなくて悪くないですね。
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こちらの中庭では
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お月見をする小さな動物たち。
こちらもなかなかかわいらしい演出です。 -
続いては東長寺。
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山門の両側に立つのは、仁王様ではなくて
中国風の四天王かな。青と -
赤にライトアップされて、
たったそれだけのことですけど、雰囲気が出ていて。これもいい感じじゃないですか。 -
イチオシ
そして、東長寺の誇る福岡大仏。
仏像の高さは10.8m、重さは30tの巨大物。木の地肌を活かしての仕上げは大きな特徴ですが、正直”作りました”感がなくもない。ちょっと勇気がいったのではないかと思います。 -
では、もう一度境内に出て、本堂と五重塔辺り。
まずは青くライトアップされた本堂と赤くライトアップされた五重塔の対比が鮮やかです。 -
イチオシ
ただ、写真に収めようとすると
二つのバランスをとるのはけっこう難しいですね。いろいろ試して、私としてはこんなところに落ち着きました。 -
で、気が付くと
本堂のプロジェクションマッピングも意外に本格的。 -
何かテーマがあるのかもしれないですが、
-
イチオシ
単純に絵やデザインが変化するのが面白い。
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この本堂は堂々とした大きさがあるので、プロジェクションマッピングには本当にぴったりです。
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最後にこれは、観音堂。
-
光の中に観音様が浮かび上がって
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ちょっと言葉は悪いですけど、大サービス。
お寺や仏教を身近に感じてもらえればそれでいいし、合わせて博多の魅力発信のためならと柔軟に対応しているのは好感が持てますね。
私も素直に楽しめて、博多の新しい魅力に触れたような気がしました。 -
以上で博多ライトアップウォークは切り上げて。佐賀市内へは、天神から高速バスで向かいます。
では、その前に、因幡うどん ソラリアステージ店で手早く晩飯です。 -
地元のチェーン店としてはごく普通のお店。まあ、可もなく不可もなくといったところなんですが、慣れているので安心感があるんですよね。
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バスは、高速を使うのもあって約1時間。けっこう遅い時間まであるし、感覚としてもあっという間ですね。
明日の最終日は、いよいよ佐賀バルーンフェスティバル。朝は早いです。
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