2022/11/03 - 2022/11/03
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たびたびさん
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九州のお祭りというと福岡の博多山笠とか博多どんたくが全国的には知られていると思いますが、歴史や伝統に街全体を巻き込む熱気とパワーという意味では、この唐津くんちも負けていないでしょう。日常生活の中でも唐津くんちに向けた準備や心構えには怠らない。地元の人にとっては誇りとアイデンティティの源。唐津を離れた人たちもくんちに合わせて里帰りする人が少なくないようですからね。私もかなり以前ですが、唐津くんちの曳山を拝見して、その迫力が強烈に印象に残りました。当時はまだデジカメも持っていなかった時代なので記録もないし、ここらでその挽回もという感じ。そういう意味ではお天気にも恵まれて、無事、その目的を達成できたものと思います。
さて、唐津くんちのことですが、期間は11月2~4日の三日間。ハイライトは3日に行われる御旅所神幸です。朝方、保管場所の曳山展示場から一台一台引き出された曳山が広場に並んで無事に揃うと、ほどなく順々に市街に向けて繰り出します。巡行は狭い通りもなんのその。勝手知ったる街ですから躊躇もせずに勢いよく駆け抜けていって、胸がすくような爽やかさ。これも祭りの見どころの一つですね。そして、いよいよのハイライトは、西の浜で行われる御旅所神幸。西の浜は細かな砂地なので曳山の車輪が深くめりこみますが、それをものともせずに曳き子は一丸となって力任せに綱を引く。砂埃の舞う中で、そろいの法被やいで立ちは決まっているし、山に上がった采配もカッコいい。それを応援する観客との一体感があるのもまさに唐津くんちの醍醐味だと思います。
本当に久々でしたが、曳山の煌びやかさや唐津っ子の熱気とか。記憶にあった印象そのまま。全く変わるところはありませんでした。やっぱり華があって、さすが佐賀を代表する素晴らしいお祭りですね。普段は、唐津焼の街で静かな城下町なんですが、それとのギャップもまた何とも言えないところ。どこにこんなエネルギーが隠れていたのかなというくらいの意外性がまた街の魅力をいっそう高めているようにも思います。
ほか、寺町の散策と末盧館に菜畑遺跡。これも宿題を済ませることができて、満足満足。これで唐津は一区切りがついた気がします。
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博多のホテルを出発。早朝の電車で唐津に向かいます。
まだ、時間はたっぷりあるので東唐津駅で降りて、ここから散策を開始します。
遠くに唐津城や唐津の市街地が見えていますが、この大河は松浦川。武雄市の青螺山を源流とし、最後はこうして唐津市街から唐津湾に注ぎます。唐津市街を迂回するように流れていますが、これは唐津城を築いた寺沢広高が河川工事によって波多川との一本化を行ったから。同時にその埋め立て工事によって城下町も形成され、このデザインされた唐津が出来上がったのですね。雄大な景色には、なかなかの歴史があるものです。
松浦橋が見えていますが、ゆったりと流れる松浦川に一直線で架かる橋のバランスもとてもいいように思います。 -
そのまま海側に進むと、東の浜海浜公園。唐津の中心部からは少し離れていますが、日本三大松原のひとつ、虹の松原はこの辺りから。つまり、東の浜海浜公園は虹の松原の一部といった関係なので、周囲には旅館やホテルがたくさんあって、ちょっとリゾート地っぽい雰囲気もありました。
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海に出たところは、東の浜海水浴場。
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ただ、ホテルの敷地があったり、塀が長く続いていたりで海辺に出れる場所は意外に限られます。
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砂浜は虹の松原と見事に一体化した眺めなのですが、シーズンオフだったこともあって、海岸にはゴミも目立っていて、そこはちょっとマイナスです。
ちなみに、虹の松原は、静岡県の三保松原、福井県の気比の松原と並ぶ日本三大松原のひとつ。4.5kmにわたって続く100万本といわれるクロマツの林は緩やかなカーブを描いてとても雄大です。ただ、ベストポイントはどの辺りなのか。唐津城からの眺めが一般的だと思いますが、こうして近くに来ると砂浜が長く続いているので、ここがそれという場所ははっきりしないような気がします。 -
なお、沖合、唐津湾の中ほどに浮かぶ島は高島。この神社に祈願すれば宝くじが当たるという評判で、すっかり有名になった宝当神社があって、定期船で訪れる人も増えたようです。島はお釜を伏せたような独特の形。こちら側からでも島の集落がよく見えます。
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では、東唐津地区の古刹を少し。
安養寺は浄土宗のお寺。天正12年(1584年)の創建です。 -
千体仏というのがあって、これは唐津城の築城と合わせて行った松浦川の大改修で、人柱の代わりに千本の卒塔婆を打ち込んだというのが謂れ。千本の卒塔婆の供養のために祀られた千体の阿弥陀仏なのだそうです。境内入り口すぐにそれを収めている建物がありました。
なお、参道は美しい延べ段。これも見どころかと思います。 -
宝昌寺は、曹洞宗のお寺。この地区では安養寺と並ぶ古刹のよう。
大通りに面してはいますが、少し石段を上がってから境内に入ります。 -
本堂が敷地いっぱいいっぱいに建っているのでちょっと窮屈そうですが、それが余計本堂の大きさを印象付けているところもあって、それはそれ。石段や植え込みの辺りとかきれいに整備されていて、さすが曹洞宗といった感じです。
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東唐津地区から松浦川を渡って唐津の中心部に入ります。
この橋は舞鶴橋。橋からすぐの小山の頂上に唐津城が見えていて、橋のデザインはその眺めの良さを壊すことがないように考えられたものですね。橋の親柱は石灯籠だし、緩やかなアーチ橋というというのもうなずけます。 -
で、ここが松浦川の河口。唐津城と高島はこんな位置関係になっています。
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唐津城の方から東城内駐車場に向かう地下道です。
あれれ。唐津曳山陶板 ギャラリー地下歩道というのがありました。 -
唐津くんちの曳山を1番曳山「赤獅子」以下14台、一台一台見事に描いていて、これは見ごたえあり。
せっかくなので、少し紹介しましょう。 -
1番曳山「赤獅子」
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4番曳山「源義経の兜」
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5番曳山「鯛」
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13番曳山「鯱」
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14番曳山「七宝丸」
写真じゃなくて絵だと描き手の気持ちがこもるので
祭りの雰囲気がよりしっかり伝わってくるように思います。 -
東城内駐車場から市街へは、この城内橋を通ります。ここは、町田川と松浦川が合流する場所。外町と城内地区を結びます。
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イチオシ
ただ、振り返るとこんな絶景。ここは唐津城をバックにした記念撮影のベストポイントなんですね。ゆるくアーチを描く木製の橋とその背後の唐津城。手前の「唐津城」の石碑とのバランスも良く計算されたものだと思います。
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そのすぐそばですが。。
この神社に祈願すれば宝くじが当たるという評判で、すっかり有名になった高島の宝当神社ですが、高島に渡る定期便の発着場がこの宝当桟橋。渡船両220円とか時刻表が書いてありますが、そこらのバス停にちょっと毛の生えたくらいの場所。意外に粗末な構えです。 -
ここから市街に入ります。
唐津城の天守閣は唐津市街からは離れた場所ですが、この三ノ丸辰巳櫓はほとんど市街の中心部。町田川に面しているし、見張りや防御のためには悪くない場所だったのでしょう。ただ、平成5年に復元されたものなので、石垣や建物はとてもきれいです。 -
さらに南側、曳山展示場を目指しますが、その途中。
これは唐津天満宮。天満宮ですから、菅原道真が主祭神。 -
唐津藩初代藩主、寺澤広高がお祀りしていた神社で、天和5年(1619)に当地に移されました。唐津城とは市街地を挟んで向かい側。場所はそう悪くはないのですが、境内は少し廃れた感じもなくはない。人気は少し落ちる神社のように感じます。
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さて、曳山展示場に到着。
曳山が一台一台引き出されていますよ。もう始まっていましたか~ -
まあ、まだまだこれから。
こんなにいい眺めなのに、観客はほとんど地元の人ばかりですね。
あんまり知られていないのかもしれません。 -
まあ、それはそれとして
いい天気なので、曳山はキラキラ輝いています。
漆を何度も何度も重ねたすえの色艶ですから
こうして日に照らされると上質なものであることがよくわかります。 -
慎重に引き出して、少し時間がかかりましたが
すべて揃った感じですね。 -
ここからは順番に街へと繰り出します。
1番は一足先に神社の方に行っているので
まずは、2番曳山「青獅子」、中町から。 -
3番曳山「亀と浦島太郎」、材木町。
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4番曳山「源義経の兜」、呉服町。
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5番曳山「鯛」、魚屋町。
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愛らしいデザインが人気の曳山です。
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6番曳山「鳳凰丸」、大石町。
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7番曳山「飛龍」、新町。
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8番曳山「金獅子」、本町。
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イチオシ
頭の上には采配です。
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9番曳山「武田信玄の兜」、木綿町。
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イチオシ
緊張とこれからやってやるぞという気合。
少し待機している間でも、そんな感じが伝わります。 -
10番曳山「上杉謙信の兜」、平野町。
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晴天に恵まれて、これ以上ない条件。
がんばってくださ~い。 -
11番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」、米屋町。
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12番曳山「珠取獅子」、京町。
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イチオシ
身を乗り出して
やる気満々ですね~ -
13番曳山「鯱」、水主町。
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全身の赤に金の縁。ずんぐりした体型と相まって重厚さがすごいです。
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14番曳山「七宝丸」、江川町。
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宝珠、打ち出の小槌、勾玉など七つの宝物を持つ龍の形をした船。
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殿を勤める最後の曳山です。
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煌びやかな曳山を拝見して、ちょっと一息。
唐津焼総合展示場の方に立ち寄ります。 -
窯元がそれぞれに商品を出品していて、唐津焼がどんなものかを概観するならここですね。唐津焼は土に砂が入っていてもかまわず焼いてしまう。それくらい土の質がいいということのようですが、入門編は絵唐津の食器とかかな。普段使いのもののようでいて、お茶席のようなところでもちゃんとはまるのが唐津焼。幅広く使えるのも面白いところだと思います。
ちなみに、私のお宝は岸岳炎まつりで買い求めた黄唐津の壷。大型ですがたたきの壷なので、とても固い。重宝しています。 -
市街の方でも、巡行で盛り上がってますよ~
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12番曳山「珠取獅子」が
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狭い路地を一気に駆け抜けていきました。
ここで、ずっと見ているのもありなんですが、御旅所神幸がハイライトですからね。
他の宿題を優先したいと思います。 -
ということで
唐津市街の端っこなんですが、末盧館にやってきました。歩いていくにはぎりぎりの範囲かなと思いましたが、ここは何といっても魏志倭人伝にもある末盧国関係の資料館。いかない手はないですよね。 -
福岡県春日市の奴国の丘歴史資料館、糸島市の伊都国歴史博物館と並んで弥生時代のクニがどのようなものだったかを解説しています。
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そして、こちらはそれに加えてというかそれ以上に縄文時代から弥生時代への移行期の遺跡、菜畑遺跡が発見されたことが大きな注目点。
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解説でははっきりとした結論は書いてありませんでしたが、初期の稲作では縄文人が稲作を学び取り入れていたということはしっかり触れられていて、悪くないですね。
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弥生人が大挙して渡来してくるのはその後なんですが、この境目辺りのところは今や考古学では最も熱いテーマ。
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奴国の丘歴史資料館や伊都国歴史博物館ではまだその点にあまり着目していなくて、話が通じませんでしたが、こちらではちゃんと認識されていて、係の人とは話が弾みました。
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ちなみに
縄文人と弥生人の関係、特に混血のことは日本人のルーツそのものに関係していて、私はもしかしたら邪馬台国のことよりもこっちの方が重要かもと考えています。というのも、邪馬台国→ヤマト政権の想定は、稲作文化によって、小さなクニ→大きなクニ→邪馬台国→ヤマト政権という流れができたということ。しかし、そんな自然熟成的な発展の仕方は100年程度の期間ではやっぱり無理がある。縄文時代から弥生時代への展開に弥生人の流入があったのと同じように、弥生時代から古墳時代への展開も大陸からの人の流れがブレークスルーになった可能性が高いという説もあって、とても説得力がある。興味を惹かれているところです。 -
末盧館から西の浜に移動。
御旅所神幸が行われる会場です。
砂地がきれいに整備されて、その奥には御旅所。 -
陣幕が張られてすっかり準備が整いました。
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周囲に見物席があって、なんとか潜り込みました。
ここならOK。
さあ、神輿がやってきましたよ~ -
イチオシ
車輪が砂地にめり込んでますけど
力を合わせてよいしょ、よいしょ。 -
神輿はそのまま進んで
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御旅所の上に運び上げられました。
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二つ目の神輿です。
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三つ目の神輿もやってきて、全てが運び込まれました。
御旅所に神輿がすべて収まって、あとは曳山が来るのを待ちます。 -
あ、1番曳山「赤獅子」、刀町が見えてきました。
何もなかった砂地の広場に大勢の引き手が駆けてくる様は潮のよう。曳山が主役ではありますが、引き手の集団の勢いと迫力も見ごたえ十分。素晴らしいですね。 -
大勢の引き手に引かれて曳山はそろりそろりと砂地に進入。
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足は重くなりますが、ここが引き手のがんばりどころ。
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力を合わせて、エンヤエンヤと引っ張ります。
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ほどなく動きが止まりまして
ここからは後ろ向き。 -
所定の場所までバックで進行。
定位置に収まります。 -
2番曳山「青獅子」です。
青い法被の集団が駆けてきました。 -
イチオシ
先頭は子供たち。
曳山を気にしながら、なかなかいっぱしの動きですね。 -
引き手の主力はこの若い衆。
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上半身がほとんど裸になったいで立ちがかっこいいですね~
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力を合わせて、エンヤ、エンヤ。
気合がこもる場面ですが、それだけじゃなくて引き手の集団には華もある。これまで曳山ばかりに注目していましたが、そういうことでもないですね。 -
さて、こちらもここからは後ろ向き。
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バックで定位置に進みます。
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続いての集団は
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3番曳山「亀と浦島太郎」。
青みがかった法被にちょこっと黄色が配されて、とっても爽やかな印象。センスの良さを感じます。 -
こちらも最後はバックで入って行きました。
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4番曳山「源義経の兜」です。
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はい、これもうまく収まりました。
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続いての集団は
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5番曳山「鯛」。
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砂地に入るところで既に反転して後ろ向き。
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慎重にゆっくりゆっくり。
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はい、これも見事に収まりました。
新たにやってきたのは、オレンジの法被の集団です。 -
6番曳山「鳳凰丸」
これも後ろ向きに入って、ゆっくりゆっくり。 -
7番曳山「飛龍」もそれに続いて
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ゆっくりゆっくり。
遠目で見ると静かな動きなのですが、引き手はみなさん前傾姿勢になっていて、力がめいっぱい入っています。 -
8番曳山「金獅子」は、正面から入ってきます。
引き手は大きく旋回していますけど、どうするのかな。 -
えっと。。
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あ、ここから後ろ向き。手前のラインに合わせてバックして
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うまく定位置に収まりました。
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9番曳山「武田信玄の兜」
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イチオシ
引き手が目の前すぐまで迫ってきて、これはすごい。
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引き手の目線って、こういう感じなんですね~
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最後のところは大勢では引けないのですが、そこを何とか収めるのも腕ですね。
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10番曳山「上杉謙信の兜」
静かに入ってきましたが -
突然、ギアアップ。
たぶん、勢いをつけて収まろうという意図ですね。 -
それでも最後はゆっくりと
はい、無事に収まりました。 -
イチオシ
11番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」
オレンジの集団はすごい勢い。砂埃も舞っていて、まるで先着の集団に見せつけるような感じですね。周囲はだんだん曳山で埋まってきていますから、そういう対抗心が湧いてくるのも分からないでもないですね。 -
ただ、こちらも最後はスローダウン。
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ゆっくり
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ゆっくりと収まります。
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無事に収まって、ちょっと一服というところですね。
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12番曳山「珠取獅子」も入ってきました。
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周囲は大勢の引き手の集団。最後のスペースがだんだん少なくなりました。
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13番曳山「鯱」
集団をかき分けるように進んで -
はい、こちらも無事に収まりました。
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14番曳山「七宝丸」は殿です。
これで最後のピースが埋まって、やれやれというところでしょう。これで引き込みは無事に完了です。 -
イチオシ
引き出しまでの待機時間を利用して、ここからは、並んだ曳山を近くで見物します。5番曳山「鯛」
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6番曳山「鳳凰丸」
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7番曳山「飛龍」
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9番曳山「武田信玄の兜」
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10番曳山「上杉謙信の兜」
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11番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」
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12番曳山「珠取獅子」
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イチオシ
13番曳山「鯱」
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14番曳山「七宝丸」
京都の祇園祭、岐阜の高山祭、埼玉の秩父夜祭が日本三大曳山祭り。ほか、長浜曳山祭や高岡御車山祭も曳山祭り。曳山の祭りって、あちこちいっぱいあるんですが、唐津くんちの曳山は、けっこう特徴がはっきりしていて、それぞれのキャラクターがシンプル。そして、シンプルな分だけ、気持ちがこもっていてインパクトが強烈なんですよね。豪華さとか華やかさとかもあるのですが、それ以上にキャラクターのインパクトが最大の特徴。ちょっと相応しくないかもしれませんが、フィギュアみたいな魅力があると思います。 -
会場から松林を抜けて
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海に出たところが西の浜海水浴場。東側には唐津城が見えています。
東の浜海水浴場のように虹の松原は見えませんが、砂浜はゴミもなくてこちらの方がきれいですね。 -
そして、正面には高島。唐津湾の風景です。
ここで、引き出しまで待つのもあったんですが、ここからは寺町の方へ。唐津の埋もれた歴史を拾いたいと思います。 -
近松寺は桃山時代の再興。塀回りもとても立派で、唐津では一番の大寺です。山門は名護屋城から移築されたものと伝わるなど、唐津藩の最後の藩主家で幕末まで続いた小笠原氏の菩提寺でもあります。
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庭園は本堂前の
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参道左右にある
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築山泉水式の庭園と
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この本堂裏にある枯山水庭園「舞鶴園」の二つ。本堂前の庭園は手入れがよく行き届いてとにかく美しいという印象。一方の「舞鶴園」の方は平庭に近くてややおとなしい感じですが、豊臣秀吉の出兵に随行した曽呂利新左衛門による作庭。
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織部燈籠も見どころとなっています。
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そして、その奥が小笠原記念館。無人の資料館で勝手に入って展示物を拝見します。
展示は藩主であった小笠原氏の史料ほか、高橋是清や辰野金吾などの唐津ゆかりの偉人に関連した品々も。そういう意味だと郷土資料館的な位置づけもできるのかなと思います。 -
小笠原貞宗は、足利尊氏に従って功績をあげ、信濃守守護へ。また、小笠原流礼法の中興の祖ともされる人物。小笠原家が歴史ある一族であることの象徴的な人物です。
ただ、唐津藩小笠原家は、小倉藩初代、小笠原忠真の弟で、杵築藩の初代となった忠知を祖とする家。唐津藩小笠原家にとって、小倉藩小笠原家は宗家という関係です。
そして、唐津藩小笠原家の歴史で忘れてならないのは幕末の小笠原長行。徳川家茂の下で老中となり、生麦事件の始末に、第二次長州征討では、主戦場であった小倉口の指揮を執りますが、あえなく瓦解。慶喜の下にあっても外交担当老中ということですから、阿部正弘や堀田正睦に続く切れ者の役職です。一方、戊辰戦争が起きると劣勢なまま函館戦争まで各地を転戦。これに対し、唐津藩は長行と絶縁。新政府に降伏しています。また裂きは桑名藩とかも同じで唐津藩だけのことではないのですが、やっぱり幕末のほろ苦い歴史ですね。
ちなみに、江戸期に入ってすぐの寺沢家も天草の乱の責任を取らされ、最期は改易。これも唐津で藩主家へのアイデンティティが生まれにくい事件の一つでしょう。 -
最後は、近松門左衛門の墓。近松門左衛門の父は福井の鯖江藩にいたことははっきりしていて、門左衛門も幼少期はそこにいたとされているのですが、その他の説がいまだに消えないんですね。ここでも、当寺の4代遠室禅師について得度の後、京都に出たというけっこう具体的な話が残っています。
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大乗寺は、唐津市内にあって加藤清正ゆかりの寺。境内に詳しい由緒が書かれていて、
そもそもは、加藤清正が名護屋のおいて陣中に祈祷所を設け、京都大本山本圀寺より日儀上人を請じて敵国降伏の祈念をさせたのが始まり。また、清正が凱旋の後は、戦死者の追善供養のため、一宇の堂を建立したのだそうです。 -
本堂前には日蓮の立像と加藤清正の像。赤い幟もたっているし、活気を感じる境内です。
ほか、函館新撰組隊士、高須熊雄の墓というのもあって、たぶん、先に触れた小笠原長行に従った一人ではないかと思います。 -
長得寺は、唐津市街中心部。お寺が集まる一角です。永正8年(1511)創建の曹洞宗の寺。
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本尊の銅造観音菩薩坐像は、14世紀前半、高麗時代の作品だとか。県の重要文化財に指定されているようです。入口はちょっと険しい石段ですが、境内に入ると本堂前の枝垂れ桜とか穏やかな雰囲気です。
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大聖院は、唐津市街中心部、寺町の一角です。
前身は、岸岳城主、波多氏の祈願寺であった大法寺。岸岳城が落城し火災に会ったことで唐津に移転。名前も大聖院となりました。
波多氏は松浦党の最大の一族。秀吉が九州に進出した後もイマイチ臣従の態度が煮え切らず改易となってしまいますが、唐津焼のルーツは岸岳だし、そういう意味では波多氏ゆかりの寺が残っているのはちょっと感慨深いものがありますね。金字の「大聖院」を彫った石柱も重々しいです。 -
なお、波多氏の最後の当主は波多親で、その妻は龍造寺隆信の養女、秀の前。名護屋に招かれた際、秀吉の命を狙ったのではないかと不評を買い、それが波多氏改易の原因の一つとも。秀の前の墓は、佐賀市の高伝寺にあるようです。
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こちらは、浄泰寺。
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寺の共同墓地の一角にある安田作兵衛の墓。
ちなみに、この安田作兵衛なる人物は、本能寺の変では明智方の先鋒。森蘭丸を討ち取り信長に一番槍を付けたというのですね。山崎の戦いで明智家は滅びますが、その後、立花家を経て、唐津城主、寺沢広高に拾われる。最期は病気を理由に自害したということですが、身の置き所に困っていた感じもしなくはないですね。墓は古びていますが、立派な標識が立っています。 -
西唐津駅に移動して、妙見神社へ。西唐津駅からでもけっこう遠いし、最後も急な坂を上った山の上です。
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何かの施設のような大きな建物を回りこんだ裏手の方。石の鳥居をいくつかくぐっていく参道が念入りで、本殿もなかなかしっかり。祭神の天之御中主命は北極星の神であることから、おみちびきの神様なんだそうです。
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そして、どちらかというとこれがお目当て。
旧三菱合資会社唐津支店本館は、唐津市歴史民俗資料館になっていたのですが、今はそちらの方は休館中です。
ただ、建物は、辰野金吾の弟子、田中実が設計で、明治45年築のクイーン・アン様式建築。平成9年まで銀行として営業されていたようです。当時の隆盛の名残をとどめる建物は、少し痛みもありますが、雰囲気はなかなか。とてもインパクトがある建物。一見の価値はありですね。 -
西唐津からは、そのまま博多まで。
晩飯はもつ鍋のおおやまです。 -
博多のもつ鍋だと一番うまいのはやま中なんですけど
なるほどねー
ここもなかなかうまいです。コクがあって、もつの芳醇な甘さも秀逸ですよ~
ただ、敢えて言えば、最後までそのうまさがしっかり続くかどうかがやま中との違いかな。ここは、それを馬刺しとか付け合わせのレベルの高さで補っているのが憎いところ。評価としては、総合力で対抗しているように思います。 -
今日のホテルは、西鉄イン天神。西鉄がやっているビジネスホテルなのでやっぱり安心感がありますよね~と思ったのですが、けっこう天神の裏通り。そして、部屋に入ると狭くて、リーズナブルなホテルに慣れている私でもちょっと圧迫感がありました。少し経つとその圧迫感は薄れましたが、けっこう古い規格のホテルなんでしょうかね。今どきの感覚ではないような気がします。
さて、明日は能古島とか博多の周辺。最終日のバルーンフェスタはその後です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- くわさん 2023/06/25 09:15:32
- ようこそ唐津へ
- たびたびさん、こんにちは。
元唐津市民のくわです。
コロナ禍でしばらく休止していた唐津くんち、昨年は開催されたのですね。
唐津市民はこの3日間のために一年の全精力を使い果たすそうです。
普段は人っ子一人見かけないのに、祭りになるとどみ.こからこんだけ人が沸いてくるのか。
↓あまりにも地元なので裏ブログで
http://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/11-5375.html
曳山の順番を全部言えたら唐津っ子認定らしいですが、5番の鯛山くらいまでは覚えましたが、その後は似たようなものが多くて挫折してしまいました。
このあとバルーンフェスティバルへ行かれたのでしょうか。
唐津くんちとバルーンフェスティバル、日程が完全にかぶっているのですよね。もうちょっと調整して時期をずらせば、県外からたくさん人が訪れるのに・・・唐津藩と鍋島藩のにらみ合いが未だに続いているようです。
くわ
- たびたびさん からの返信 2023/06/25 13:33:48
- RE: ようこそ唐津へ
- 元唐津市民ですか。それはそれは。
裏ブログの唐津くんち宵山を拝見しましたが、とても雰囲気があるし美しいですね。唐津に宿が取れていたら是非見たかったんですが、そこまではできませんでした。
ところで、唐津の街は、唐津焼と唐津城の城下町のイメージが半々といったところでしょうか。私は福岡に少し住んだことがありまして、その時に九州の焼きものにけっこうはまり、以来、焼きものが趣味の一つとなっています。一楽・二萩・三唐津の唐津ということで何度か行きましたが、心残りは朝鮮唐津。なかなかこれというものに出会えてないんですよね。ちょっとそんなことも思い出しました。
なお、バルーンフェスタの方は、福岡を挟んでこの二日後です。
では、くわさんも引き続きよい旅を。
たびたび
- くわさん からの返信 2023/06/25 18:47:13
- Re: ようこそ唐津へ
- 唐津焼、勿論唐津在住中に買い求めましたが、たびたびさんが言われるように器に砂が入っていたためでしょうか、洗っているうちに木っ端みじんに割れてしまいました。
イギリスへの出発は唐津から。
https://4travel.jp/travelogue/11281115
↓ロンドンの大英博物館で"karatsu"の文字を見たときは感激しました。
http://kuwanosu.com/2017england/aug28part4.html#n08281515
くわ
- たびたびさん からの返信 2023/06/25 20:02:51
- RE: Re: ようこそ唐津へ
- なんにせよ、大きな力を加えているでもないのに割れるっていうのは経験はないですね。ただ、焼きものはどこかで割れたり壊れたりするのは仕方ない。逆に、落として割ったりするのを恐れて、どこかにしまいこんでしまったりする方がダメ。使って楽しまないと意味はないですね。
大英博物館の唐津焼ですか。しかし、考えてみると大英博物館にはないものはない。日本の唐津焼くらいあって当然のことかも知れませんね。世界を支配するような感覚かな。私はもう行くことはないと思いますけど、逆に今でも思い出すとそのすごさに圧倒されるような感じがありますからね。まあ、そのことも分かったうえでの日本の探求。だんだんピースが埋まってきたように思います。
たびたび
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