下鴨・宝ヶ池・平安神宮旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年11月17日(水)1時50分頃、この日最後の訪問地の狸谷山不動院に到着。このこれまでに回った修学院離宮近辺からは少し離れており、地域的にひとつ南の一乗寺の奥、瓜生山の中腹にある。宮本武蔵で有名な一乗寺下り松から歩くと、これも有名なお寺、詩仙堂を過ぎて登ること約15分。<br /><br />狸谷山不動院は狸谷不動院とも云う真言宗修験道大本山。御本尊は咤怒鬼(たぬき)不動明王。「タヌキダニのお不動さん」の名と交通安全・厄よけ・ガン封じ祈願で知られる。京都の町では昔からこのお寺のステッカーを貼ってる車を見掛けるが、私は来たことなかったし、どこにあるかもよく分かってなかった。<br /><br />歴史的には平安時代の781年から806年の間に、桓武天皇が都の北東に位置するこの場所に鬼門封じとして不動尊を安置したのが始まり。この不動尊が咤怒鬼不動明王で、それが転じてこの谷が狸谷と呼ばれるようになった。咤怒鬼とは、「鬼門から入り込む邪気を叱りつける」と云う意味。<br /><br />江戸中期の1715年、後に京都を活躍の場として念仏信仰に生き、それを社会事業として具現化した木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)上人が28歳、高野山で木食行を修めた後にさらに参籠修行の場を探していた時に、この地にある洞窟の存在を耳にする。そこには鎌倉時代の1249年に安置されたものと伝わる尊像があり、長年風雪にさらされながらもなまめかしく輝いていた。<br /><br />江戸初期の1604年に剣豪宮本武蔵が滝に打たれて修行を続け、己に克つ不動心を感得したのもこの地と知ると、上人はこの狸谷こそ自身が籠って行法を修するにふさわしい場所と決意した。狸谷山の開山、1718年、上人31歳だった。<br /><br />上人の狸谷を拠点とした参籠、木食行は困難を極めたが、熊野権現から三種の神宝を授かり、狸谷山修験道が誕生。新たに自ら刻んだ身の丈五尺の石造不動尊像をご本尊としたところ、伝説の咤怒鬼不動明王が息を吹き返したと村人は歓喜し信仰の拠り所となっていった。その後、修行場として各地から参籠者が馳せ参じ大きな繁栄を見せた。木食正禅の参籠は足かけ17年にも及んだと云う。<br /><br />明治に入り廃仏毀釈で荒廃したが、明治の終わりに地元有志が山を伐り道を拡げ250段の階段を整備し森林伽藍の基礎を作った。そして1944年(昭和19年)に一乗寺の地で生を受け、北海道の山寺で修行をしていた大僧正亮栄和尚を招聘し、再興がなった。<br /><br />一番下にあるのが交通安全自動車祈祷殿。このお寺は京都で初めて災難除けのお不動さんとして交通安全自動車祈祷を始めたところで、1966年にこの祈祷殿が出来、京都では「交通安全は狸谷へ」と云われるようになった。祈祷殿は2011年に彩色が施し直された。私もステッカーなど購入(下の写真1)。<br /><br />ここを過ぎると道が細くなり鬱蒼とした森の中に入って行く(下の写真2)。3分余り歩くと正面は石の鳥居と石段になり、手前の狸谷山不動院の石碑の前に沢山の狸が並べられている。鳥居の手前にも元阪神タイガースの吉田監督の優勝記念碑や小林投手のお百度参りの記念碑などが建ち、ここも狸で囲まれている。森見登美彦さんの小説「有頂天家族」のアニメ2作目で舞台となり、2018年には森見さんも来山されてイベントが行われた。<br /><br />1時55分頃、本殿まで250段の石段の開始。まずは「狸谷山 不動明王」の扁額が掛かる石の鳥居を潜る。赤山禅院と同じく神仏習合の寺。<br /><br />鳥居を抜けると左手に伏見稲荷大社の千本鳥居のような赤い鳥居が並ぶ。白龍弁財天の鳥居。1718年の木食上人参籠修行のみぎり、「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したもの。さらに登り、可愛い七福神を過ぎると99段目にお迎え大師。弘法大師像で、全国を行脚したお大師さんに倣い足腰の健康を願い、多くの健脚わらじが奉納されている。<br /><br />ちょうど半分くらいにあるのが光明殿。弘法大師をお祀りしている。堂の周囲には四国八十八ヶ所霊場のお砂踏があり、一番から八十八番まで刻まれた石畳を踏みながらぐるりと一周すると、いわゆる「お遍路」をしたのと同じご利益を得ることができるそうだ。<br /><br />光明殿の少し上にNHKの2020年度下半期の朝ドラ「おちょやん」のモデルになった女優の浪花千栄子さんの石柱(階段の一部)がある。その反対側には写真ないが、上方漫才の大御所、花菱アチャコさんの玉垣もある。あと俳優の高田幸吉さんのも。<br /><br />2時過ぎ、206段目で本堂下の広場に到着。元々二つの山の間の谷で、すり鉢状になってたところを埋め立てて広場にしたそうだ。ここは7月に行われる火渡り祭の会場で、火渡り祭道場と呼ばれている。順路に従って右手に進むと三社明神堂。衣食住の神として木食上人により勧請祭祀されたもので、衣の玉姫大明神、食の清隆大明神、住の白玉折木大明神をお祀りしている。<br /><br />その左側の祠はウスサマ明王。猛々しい烈火で不浄を清浄と化す神力を持つ明王で、日々の生活のあらゆる不浄を清める功徳があることからトイレの神様としての信仰が篤い。この祠は反対側が正面なので、分かり難い。この辺りで反対側を見ると火渡り祭道場の向こうに本堂がそびえる。清水寺を思わせる懸崖造りの上に建つ。清水の舞台に対して狸谷山の舞台とも。<br /><br />三社明神堂の左手にある手水舎の先、東側、納札所の横の石段の上にお滝不動尊。裏の滝に不動明王が祀られ、武蔵の滝と称されている。上述した宮本武蔵修行の滝で、この滝での修行を通じて己に克つ不動心を感得したと伝わる。現在は滝行は出来ない。滝の左手には水乃口不動尊があり、その向かいには恵比須、大黒天社がある(下の写真4)。<br /><br />そこから女の厄年の一つと同じ33段の女厄坂を上ると水かけ水子地蔵尊があり、写真では途中で欠けてるが、左に神変大菩薩の像。飛鳥時代の呪術者で、修験道の開祖とされる役行者(役小角)のこと。その先にはずらりと地蔵菩薩像が並ぶ。ここからの懸崖造りの本堂の眺めも素晴らしい(表紙の写真)。<br /><br />信徒会館に突き当たって250段の上り終了。ここから奥にも石段が続くが、「これより先はハイキングコースでお寺ではありません。」とある(下の写真5)。瓜生山の山頂に続く道。<br /><br />瓜生山は室町時代には将軍山とも呼ばれ、将軍地蔵が祀られていた。室町末期には北白川城が築かれていた。その後、将軍地蔵は北白川へ遷され、残された石室にはその後祀られた地蔵菩薩が安置され、狸谷山不動院の奥の院が置かれ、幸龍大権現が祀られている。往復45分ほど掛かるそうだが行かなかった。<br /><br />信徒会館で500円の拝観料を払って本堂へ。ご本尊である石像不動明王を取り囲むように1986年に建立されたもの。ご本尊は1718年に木食上人が洞窟内に安置されたもの。撮影禁止なので写真はないが、本堂の中に洞窟があり、石像が祀られていると云うのはとても珍しい。まあ、洞窟ありきでこうなったのではあるが。<br /><br />本堂前の舞台の奥からは一乗寺、松ヶ崎辺りが谷間から見通せる。レンガ色の建物は京都工業繊維大学。男の厄年の一つと同じ42段の男厄坂を降りて、来た道を戻った。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8311786182224666&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上で修学院離宮参観を中心とした洛北訪問の記、終了

京都 洛北 狸谷山不動院(Tanukidanisan Fudoin Temple,Rakuhoku,Kyoto,Japan)

1いいね!

2021/11/17 - 2021/11/17

2702位(同エリア2861件中)

旅行記グループ 洛北

0

5

ちふゆ

ちふゆさん

2021年11月17日(水)1時50分頃、この日最後の訪問地の狸谷山不動院に到着。このこれまでに回った修学院離宮近辺からは少し離れており、地域的にひとつ南の一乗寺の奥、瓜生山の中腹にある。宮本武蔵で有名な一乗寺下り松から歩くと、これも有名なお寺、詩仙堂を過ぎて登ること約15分。

狸谷山不動院は狸谷不動院とも云う真言宗修験道大本山。御本尊は咤怒鬼(たぬき)不動明王。「タヌキダニのお不動さん」の名と交通安全・厄よけ・ガン封じ祈願で知られる。京都の町では昔からこのお寺のステッカーを貼ってる車を見掛けるが、私は来たことなかったし、どこにあるかもよく分かってなかった。

歴史的には平安時代の781年から806年の間に、桓武天皇が都の北東に位置するこの場所に鬼門封じとして不動尊を安置したのが始まり。この不動尊が咤怒鬼不動明王で、それが転じてこの谷が狸谷と呼ばれるようになった。咤怒鬼とは、「鬼門から入り込む邪気を叱りつける」と云う意味。

江戸中期の1715年、後に京都を活躍の場として念仏信仰に生き、それを社会事業として具現化した木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)上人が28歳、高野山で木食行を修めた後にさらに参籠修行の場を探していた時に、この地にある洞窟の存在を耳にする。そこには鎌倉時代の1249年に安置されたものと伝わる尊像があり、長年風雪にさらされながらもなまめかしく輝いていた。

江戸初期の1604年に剣豪宮本武蔵が滝に打たれて修行を続け、己に克つ不動心を感得したのもこの地と知ると、上人はこの狸谷こそ自身が籠って行法を修するにふさわしい場所と決意した。狸谷山の開山、1718年、上人31歳だった。

上人の狸谷を拠点とした参籠、木食行は困難を極めたが、熊野権現から三種の神宝を授かり、狸谷山修験道が誕生。新たに自ら刻んだ身の丈五尺の石造不動尊像をご本尊としたところ、伝説の咤怒鬼不動明王が息を吹き返したと村人は歓喜し信仰の拠り所となっていった。その後、修行場として各地から参籠者が馳せ参じ大きな繁栄を見せた。木食正禅の参籠は足かけ17年にも及んだと云う。

明治に入り廃仏毀釈で荒廃したが、明治の終わりに地元有志が山を伐り道を拡げ250段の階段を整備し森林伽藍の基礎を作った。そして1944年(昭和19年)に一乗寺の地で生を受け、北海道の山寺で修行をしていた大僧正亮栄和尚を招聘し、再興がなった。

一番下にあるのが交通安全自動車祈祷殿。このお寺は京都で初めて災難除けのお不動さんとして交通安全自動車祈祷を始めたところで、1966年にこの祈祷殿が出来、京都では「交通安全は狸谷へ」と云われるようになった。祈祷殿は2011年に彩色が施し直された。私もステッカーなど購入(下の写真1)。

ここを過ぎると道が細くなり鬱蒼とした森の中に入って行く(下の写真2)。3分余り歩くと正面は石の鳥居と石段になり、手前の狸谷山不動院の石碑の前に沢山の狸が並べられている。鳥居の手前にも元阪神タイガースの吉田監督の優勝記念碑や小林投手のお百度参りの記念碑などが建ち、ここも狸で囲まれている。森見登美彦さんの小説「有頂天家族」のアニメ2作目で舞台となり、2018年には森見さんも来山されてイベントが行われた。

1時55分頃、本殿まで250段の石段の開始。まずは「狸谷山 不動明王」の扁額が掛かる石の鳥居を潜る。赤山禅院と同じく神仏習合の寺。

鳥居を抜けると左手に伏見稲荷大社の千本鳥居のような赤い鳥居が並ぶ。白龍弁財天の鳥居。1718年の木食上人参籠修行のみぎり、「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したもの。さらに登り、可愛い七福神を過ぎると99段目にお迎え大師。弘法大師像で、全国を行脚したお大師さんに倣い足腰の健康を願い、多くの健脚わらじが奉納されている。

ちょうど半分くらいにあるのが光明殿。弘法大師をお祀りしている。堂の周囲には四国八十八ヶ所霊場のお砂踏があり、一番から八十八番まで刻まれた石畳を踏みながらぐるりと一周すると、いわゆる「お遍路」をしたのと同じご利益を得ることができるそうだ。

光明殿の少し上にNHKの2020年度下半期の朝ドラ「おちょやん」のモデルになった女優の浪花千栄子さんの石柱(階段の一部)がある。その反対側には写真ないが、上方漫才の大御所、花菱アチャコさんの玉垣もある。あと俳優の高田幸吉さんのも。

2時過ぎ、206段目で本堂下の広場に到着。元々二つの山の間の谷で、すり鉢状になってたところを埋め立てて広場にしたそうだ。ここは7月に行われる火渡り祭の会場で、火渡り祭道場と呼ばれている。順路に従って右手に進むと三社明神堂。衣食住の神として木食上人により勧請祭祀されたもので、衣の玉姫大明神、食の清隆大明神、住の白玉折木大明神をお祀りしている。

その左側の祠はウスサマ明王。猛々しい烈火で不浄を清浄と化す神力を持つ明王で、日々の生活のあらゆる不浄を清める功徳があることからトイレの神様としての信仰が篤い。この祠は反対側が正面なので、分かり難い。この辺りで反対側を見ると火渡り祭道場の向こうに本堂がそびえる。清水寺を思わせる懸崖造りの上に建つ。清水の舞台に対して狸谷山の舞台とも。

三社明神堂の左手にある手水舎の先、東側、納札所の横の石段の上にお滝不動尊。裏の滝に不動明王が祀られ、武蔵の滝と称されている。上述した宮本武蔵修行の滝で、この滝での修行を通じて己に克つ不動心を感得したと伝わる。現在は滝行は出来ない。滝の左手には水乃口不動尊があり、その向かいには恵比須、大黒天社がある(下の写真4)。

そこから女の厄年の一つと同じ33段の女厄坂を上ると水かけ水子地蔵尊があり、写真では途中で欠けてるが、左に神変大菩薩の像。飛鳥時代の呪術者で、修験道の開祖とされる役行者(役小角)のこと。その先にはずらりと地蔵菩薩像が並ぶ。ここからの懸崖造りの本堂の眺めも素晴らしい(表紙の写真)。

信徒会館に突き当たって250段の上り終了。ここから奥にも石段が続くが、「これより先はハイキングコースでお寺ではありません。」とある(下の写真5)。瓜生山の山頂に続く道。

瓜生山は室町時代には将軍山とも呼ばれ、将軍地蔵が祀られていた。室町末期には北白川城が築かれていた。その後、将軍地蔵は北白川へ遷され、残された石室にはその後祀られた地蔵菩薩が安置され、狸谷山不動院の奥の院が置かれ、幸龍大権現が祀られている。往復45分ほど掛かるそうだが行かなかった。

信徒会館で500円の拝観料を払って本堂へ。ご本尊である石像不動明王を取り囲むように1986年に建立されたもの。ご本尊は1718年に木食上人が洞窟内に安置されたもの。撮影禁止なので写真はないが、本堂の中に洞窟があり、石像が祀られていると云うのはとても珍しい。まあ、洞窟ありきでこうなったのではあるが。

本堂前の舞台の奥からは一乗寺、松ヶ崎辺りが谷間から見通せる。レンガ色の建物は京都工業繊維大学。男の厄年の一つと同じ42段の男厄坂を降りて、来た道を戻った。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8311786182224666&type=1&l=223fe1adec


以上で修学院離宮参観を中心とした洛北訪問の記、終了

  • 写真1 御守など

    写真1 御守など

  • 写真2 参道入口

    写真2 参道入口

  • 写真3 手水舎

    写真3 手水舎

  • 写真4 恵比須、大黒天社

    写真4 恵比須、大黒天社

  • 写真5 奥の院参道

    写真5 奥の院参道

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP