2009/12/31 - 2009/12/31
1858位(同エリア7241件中)
MIUMIUさん
- MIUMIUさんTOP
- 旅行記118冊
- クチコミ3件
- Q&A回答5件
- 90,571アクセス
- フォロワー24人
《 バルセロナ周辺の旅 2009.12.30~2010.1.5 》
2007年夏、
JTBとJAL共同企画によるジャンボジェット機での直行便ツアーを利用し
私達シニア夫婦は初めてヨーロッパ旅行を経験しました。
その旅で予想を超える大きな感動を得てしまい、
2008年夏、ほぼ同じ内容のツアーに参加。
ますますヨーロッパの魅力にとりつかれてしまい、
2009年夏、イタリア縦断ツアーへ。
そして、満を持して!?
2009年年末から2010年にかけて、ヨーロッパ個人旅行に踏み切りました。(子供達の夏休みに合わせて南太平洋の国などには個人で行っていたのですが、ヨーロッパは初めて)
行先は、バルセロナ。
冬場は極寒となる中欧や北欧は避け、スペインを選択した訳です。
当時は航空券が7万円弱で購入できたのもラッキ-でした。
仕事の都合で長期間の滞在はできませんでしたが、
たくさんの刺激を受け、無事に帰ってくる事ができました。
そして、これが、スペインの魅力にハマるきっかけになった旅でもあります。
=== 全日程 ===
2009年
①【12/30】11:50 関空発 フィンランド航空
↓
15:10 ヘルシンキ バンター空港着
20:00頃 ヘルシンキ バンター空港発(雪で2時間以上遅延)
↓
24:00頃 バルセロナ空港着
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11777007
②【12/31】バルセロナ市内観光
サグラダファミリア→サンパウ病院→グエル公園→
ニューイヤーコンサート(カタルーニャ音楽堂)
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11777912 ←今ここ
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11777922
2010年
③【1/1】モンセラット観光→バルセロナ散策 モンジュイックの丘
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11782964
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11782968
④【1/2】フィゲラス(ダリ美術館)→ジローナ散策→バルセロナ散策→
フラメンコショー
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11782971
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11782977
⑤【1/3】バルセロナ市内観光
カサパトリョ→カサミラ→ゴシック地区→水族館
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11782980
【9】 https://4travel.jp/travelogue/11782985
【10】 https://4travel.jp/travelogue/11782988
【11】 https://4travel.jp/travelogue/11782992
⑥【1/4】10:00 バルセロナ空港発 フィンランド航空
↓
15:00 ヘルシンキ バンター空港着
17:15 ヘルシンキ バンター空港発
⑦【1/5】 09:45 関空着
2022.10.04 post
2023.09.03 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【12/31】
バルセロナで迎えた2009年大晦日の朝。
1Fのレストランでビュッフェ形式の朝食をとった。
結構種類も多く、ホットメニューも充実していていい感じ。 -
多分これは、ホテルの部屋の窓からの景色かと…
バルセロナはマドリードに次ぐ規模の街で、カタルーニャ州の州都。
バルセロナのおおまかな歴史
↓
9世紀、イスラム教徒がイベリア半島の殆どを支配していた時代にカタルーニャはフランク王国に組み入れられていた。
986年、バルセロナ伯国として独立したのがカタルーニャの起源。
その後約400年間、中世ヨーロッパやイスラム文化の影響を受けながら大きく発展。
15世紀、スペインが統一され、衰退していく。
1714年、自治権を失う。
19世紀半ば、カタルーニャルネッサンスと呼ばれる芸術「モデルニスモ」が起こり、
ガウディなどの建築家たちが盛んに建物や作品を造り、再び発展していく。
1977年、約270年ぶりに自治権を獲得し、カタルーニャ語が公用語として復活。
21世紀になり、ますます活気のある都市として発展を続けている。 -
ヘルシンキの吹雪が嘘のような、ゆるーい寒さ。
バルセロナは地中海性気候なので、雨も少なく一年を通して過ごしやすいんですね。
東京と比較すると10℃前後の差があるとか。 -
多分7時半頃にホテルを出発。
先ずは、サグラダファミリアへ向かう。
カタルーニャ広場から5分ほど北に歩き、passeig de Gracia駅から地下鉄に乗る。
ここからだと乗り換えなしで行けるので。 -
サグラダファミリア駅から地上に出て、振り返るといきなりこの景色!
おーーー!!! でかい!!!
写真で見るのとは全く別物の迫力だ。
サグラダ・ファミリアは1882年にサン・ホセ教会により着工。
アントニオ・ガウディは、翌年に初代建築家のビリャールから設計を引き継ぎ、
独自の考えで建設を進めた。
1914年からサグラダ・ファミリアのみに専念したが、資金難の為、
なかなか進まなかったという。
理想の教会の設計と様々な分野の勉強、資金集めにも命をかけていたが、
1926年にトラムの事故で亡くなった。
73才だった。
着工から100年以上経った今、
世界中から優れた建築家が集結して建設が続いているという。
古くなった部分を修復しながらの建設ということで、何だか気が遠くなるが…
そして、現在の主任彫刻家が外尾悦郎氏、というのは日本人としてはとても嬉しい。 -
着いたのは8時前頃。
9時に開場するので周囲ををひとまわり。 -
受難のファサード側。 入場を待つ長い列ができている。
-
9年後の2019年1月、再びバルセロナを訪れたが
(その旅行記は既にアップ済)
その時は、サグラダファミリアの入場はオンラインでの予約制となっていた。
当日券もあるにはあるが、予約のみで完売になる事が多い状態になっていた。
完成が近づくに連れ、予約さえも難しくなるかも。
まだこの時は予約制ではなかったので、一周したあと私達も列に並んだ。 -
9時に開場すると長蛇の列はスルスルと動き、意外とスムーズに入場できた。
入った途端、天井の高さとステンドグラスの美しさに、先ず驚いた。 -
↑
一番高い場所のステンドグラスのアップ。
海の底のような色合いが美しい。 -
小ぶりのエレベーターがあり、殆ど待たずに乗れた。(今は予約が必要)
あっという間に上昇し、外に出るとこんな景色! -
この丸い円形の土台のようなものは、
恐らくど真ん中に建つであろう巨大な「イエスの塔」の土台だと思う。
2019年の時点でも建設途中で、3分の2以上にはなっていたような?
完成すると、高さ170mになるという。 -
見下ろすとこんなに高いが、これでも塔の3分の2ほどの所だ。
-
バルセロナの街並みは、碁盤の目のように整然としている地区が多い。
-
新市街に建つロケットみたいなビルは
トーレ・アグバルという2005年に完成した高さ142mのタワービル。 -
元々は、民間カトリック団体であるサン・ホセ教会が
貧しい聖家族に捧げる贖罪教会として建設を計画したのが始まりだというが、初代の設計者は早々と引退し、
当時は無名だったガウディが二代目の設計者として選ばれた。
ガウディがなぜ選ばれたのかはわからないが、設計を一から練り直し、サグラダファミリアに命を懸けて取り組んだと言われているので、
自ら熱心に希望して…のことではないかと、私は勝手に想像しています。 -
このような景色見ていると、
きっとバルセロナを隅々まで見渡せる教会、どこからでも見える教会をイメージしていたんだろうな、と感じる。 -
塔(鐘楼)の内側。下を覗きこんだところ。
-
上を見上げたところ。
-
建設工事の現場は、試行錯誤しながらボチボチとやっているように見えてしまう。
-
塔は全て鐘楼なので、
このズラリと並ぶ窓(穴?)から鐘の音が響き渡るということになるわけか… -
完成すれば、その鐘の音がバルセロナじゅうを包み込むんでしょうね。
-
多分、受難のファサードの最上部にある石像の裏側。
-
カラフルなモザイクで果物を表現している塔の先端部。
-
いろんなデザインがある。
-
-
-
これも受難のファサード上部。
-
受難のファサードは西側で、石像などのデザインはキリストの死がテーマ。
生誕のファサードとは真逆の、装飾を排除した直線的なシンプルな彫刻で
受難の苦しみや死を表現している。 -
-
下に見える波打つ屋根の革新的な建物は、付属学校。
ガウディが建築費を負担し、建設現場の労働者の子供たちの為に建てられた。
(ガウディさん、サグラダファミリアの事で頭がいっぱいだったように感じていたけど、労働者の家族にまで心配りのできる、心ある人だったんですね)
これは内戦で破壊され、忠実に再建されたもの。 -
-
下りのエレベーターはなく、凄く狭い螺旋階段を慎重に下りていく。
-
次第に階段の幅が広くなる。
-
聖堂内に到着。
エレベ-タ-で上るのはあっという間だが、徒歩で降りると結構大変!
でも面白かった。 -
ステンドグラスはまだ少ししか入ってないが、
とても美しい光があちこちに! -
受難のファサードの外側の彫刻「キリストの裁判」
右側のしゃがんでいる人物はローマ総督ピラトで、手を洗っているところ。
手を洗うことで死刑判決の責任が自分にないことを示している。 -
「ペテロの否定」
三人の女性が、弟子のペテロがイエスを知っていることを三回否定したことを
表現しているとか。(聖書を勉強していないので、よぅわからん…) -
受難のファサード上部には、十字架に架けられたキリスト像。
-
受難のファサードの門扉。
-
再び聖堂内へ。
森をイメージしていると言われる柱の形が面白い。 -
建築途中でもこんなに美しいのに、完成したらどれほどの美しさになるのだろう!
と、そればかり思っていた。
この時は、9年後に再び来れるとは思っていなかったっけ・・・ -
ガウディは、聖堂内を信者が神との一体感を感じられる場所にしようとしていた。
壮大な天井を支える為の柱を樹木のような形にしたのも、
強度的な理由と、聖堂を神々しい森林にしたかったという理由からだったらしい。 -
ここはまだステンドグラスが全く入ってなかった。
-
絶賛工事中!
9年後にはすっかり完成していて
ステンドグラスからグラデーションの光が降り注ぎ、息をのむ美しさとなっていた。 -
ここは側廊の天井ではないかと。
この天井の下のスペースも工事中。 -
ここは身廊の天井ではないかと。
この下も資材置き場となっていたり、工事していたり… -
こんな感じですね。
-
-
こんな写真が掲示してあった。
-
聖堂内は全体的にこのように白っぽい。
-
ところどころのステンドグラスからの光が、白い柱や壁を彩っている。
完成した姿を見たいなぁ! まぁ無理だろうけど!
なんて思いつつ、外に出た。 -
生誕のファサード側から見上げたところ。
-
生誕のファサードは曲線的な彫刻であふれている。
-
生誕のファサードの左側の彫刻は「東方三博士の礼拝」
贈り物を持って幼子イエスのもとを訪れている様子を表している。
右側は「働くイエス」
少年のイエスが大工仕事を手伝う様子を表している。 -
地下博物館へ向かう。
-
ガウディが残したスケッチや模型などが展示されている。
-
初めて見た本物のサグラダファミリアは、予想を上回る驚きの建築物でした。
-
次は、サグラダ・ファミリアから北東に伸びるガウディー通りを歩き、
サン・パウ病院に向かう。 -
緩やかな上り坂を1キロほど歩くと、サン・パウ病院に突き当たる。
世界遺産、モデルニスモの傑作と言われているサン・パウ病院。
ガウディと同時期に活躍したモンタネールによる作品。
モンタネールが建築学校の教授をしている頃、ガウディは教え子だったが、
師弟関係というより生涯ライバルのような関係だったと言われている。
サン・パウ病院は、1401年に6つの病院を統合したことが起源という。
そして1905年、銀行家パウ・ジルの遺産の寄贈により新病院の建設に着手。
モンタネールが建築設計を担当していたが、完成を見ることなく1923年に亡くなり、息子が跡を引き継ぎ1930年に完成した。
モンタネールは「芸術には人を癒す力がある」という信念を貫き、
息子がその遺志を継いだことになる。
2009年まで、病院として診療が行われており、
その後5年かけて改修工事が行われ、2014年に公開された。
つまりこの時は工事が始まったばかりだったが、公開しているエリアを見学できた
尚、カタルーニャ音楽堂もモンタネールの作品である。 -
中央部分は管理棟となっている。
この下の入口から入った。 -
向かって右側。
2019年1月にはこの端の入口から入った。 -
向かって左側。
-
管理棟に入ると、このようなロビーのような広間になっている。
まるで、美術館のようだ。 -
1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中トラムに跳ねられ
この病院に搬送された。
しかし、ガウディは身なりに無頓着だった為、誰もがガウディだと気づかず、
ホームレスだと勘違いされて搬送も救命処置も遅れたという。
かけつけたガウディの知人の訴えでガウディだとわかった途端、
急遽、懸命な救急処置が取られたが、3日後の6月10日に亡くなったという。
なんともやりきれない、悲劇的な最期だったんですね。。。 -
管理棟を突き抜けると広い庭があり、周囲にこのような芸術的な建物が並んでいる。
これが本当に病院の施設? と驚いてしまう。 -
庭園の中央付近に位置するひと際大きく立派な建物は手術棟。
-
これらの建物は、全てムデハル様式のレンガ造り。
ムデハル様式とは、イスラム様式とキリスト様式が融合した建築様式のこと。 -
聖ジョルディ分館。 救急科と小児科の病棟。
-
あちこちに重機が置いてあるが、今日は大晦日なので工事は中断しているようだ。
-
-
-
中はどうなっているんだろう?
この頃は、外側からしか見学できなかった。 -
それにしても、ほとんど見学者がいない。
-
中庭のスペース。
-
近代的なエレベーターがあったので乗ってみた。
-
中庭を見下ろしたところ。
-
立派な聖堂もある。
-
-
-
-
聖マヌエル分館。
-
修道女の宿舎。
かつては修道女が看護師のような仕事をするのが普通だったとか。 -
レンガ色の建物というのは、本当に柔らかな落ち着いた気分になれるもんだな…
と感じながら、あちこち歩き回った。 -
2019年に再訪した時には、チケット代を支払って入場。
きちんと見学者用のルートも設備も整っており
多くの建物内を見ることができた。
庭園も美しく整えられ、格段に見やすく、わかりやすくなっていた。 -
この後、午後からはグエル公園に向かいました。
後半は、また次の旅行記で・・・
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2009 世界遺産の街バルセロナとその周辺
-
前の旅行記
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【1】猛吹雪のヘルシンキを経由し、バルセロナ到着は真夜中…
2009/12/30~
バルセロナ
-
次の旅行記
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【3】1日目(後半)グエル公園とカタル-ニャ音楽堂でのニュ-イヤ-コンサ-ト
2009/12/31~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【1】猛吹雪のヘルシンキを経由し、バルセロナ到着は真夜中…
2009/12/30~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【2】バルセロナ1日目(前半)サグラダファミリアとサンパウ病院
2009/12/31~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【3】1日目(後半)グエル公園とカタル-ニャ音楽堂でのニュ-イヤ-コンサ-ト
2009/12/31~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【4】2日目(前半)奇岩が連なる聖地モンセラットで初詣
2010/01/01~
モンセラット
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【5】2日目(後半)モンジュイックの丘からバルセロナを街歩き
2010/01/01~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【6】3日目(前半)シュールレアリスムの奇才ダリの故郷フィゲラスへ
2010/01/02~
フィゲラス
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【7】3日目(後半)歴史ある静かな街ジローナを散策し、夜はフラメンコショーへ。
2010/01/02~
ジローナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【8】4日目(その1)モデルニスモを堪能する街歩き、先ずはガウディ建築カサ・バ...
2010/01/03~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【9】4日目(その2)モデルニスモを堪能する街歩き、ガウディ建築カサ・ミラ
2010/01/03~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【10】4日目(その3)中世の佇まいが色濃く残るゴシック地区を歩き回る
2010/01/03~
バルセロナ
-
年末年始、バルセロナ周辺の旅へ【11】4日目(その4)ポルト・ベイの水族館、船乗りの教会を見学し、翌日帰国。
2010/01/04~
バルセロナ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
バルセロナ(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2009 世界遺産の街バルセロナとその周辺
0
86