2022/07/17 - 2022/07/17
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Nickさん
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2日目は午前中にホテルの横にある大浦天主堂、グラバー庭園を巡った後は、午後から軍艦島クルーズに参加。
天気や波の具合によって、上陸できるかが決まるのだが、これが結構条件が厳しいようで、晴れていてもちょっとでも波があると上陸ができないようで、上陸できる割合は3,4割と聞いた。
午前中から雨が降り始めていたので、この時点で上陸はあきらめた。次の日も行けなくはないが、天気はよくなさそうなので参加することにした。
時間にして2時間くらいなので、そのあとは長崎の定番の眼鏡橋、原爆記念館、平和公園を巡ることにした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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路面電車で大波止に向かい、そこから歩いて5分ほどのところにある長崎港ターミナルへ。
ターミナルはショッピングモールのyou meを抜けたところにある。 -
ターミナルの建物の中に受付がある。そこで受付して、船に向かう。
今回お世話になった会社はやまさ海運というところで、窓口で案の定今回は上陸はできず、周遊プランになるといわれた。
上陸する場合は、4110円(310円の施設使用料込)だが、上陸できないので2980円だった。長崎港ターミナル 乗り物
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船は1時発だが、船に乗ったのは10分前になってしまったので、見晴らしのいい2階や窓側の席はすべて満席だった。
仕方ないので室内席の1階の真ん中の席に陣取った。軍艦島ツアー 名所・史跡
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定刻通りに出発。船尾から外に出ることができる
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港を出港すると見えてくるのは、三菱重工長崎造船所。
造船の町としても有名な長崎。巨大戦艦武蔵はこちらで作られた。
現在も、海上自衛隊の船を始めてとして多くの船が作られていて、建設中の船やハンマーヘッドクレーンも見ることができる。
写真中央に見えるオレンジ色の建物は、三菱重工香焼工場(100万ドック)のアーチクレーンだろう -
昨日稲佐山から見えた女神大橋。アナウンスで案内があり、歩いて渡ることもできるそうだ。実際に歩くと20分以上かかるそうなので、この季節にわたると地獄だろうな
女神大橋 名所・史跡
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1時間ほどたつと遠目にそれらしきものが見えてきた。興奮が高まってくる
端島 名所・史跡
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船はさらに島に近づく。実際に停留してながめることができる。軍艦島の歴史やそこに住んでいた人がどのように生活していたかなどいろいろなことをアナウンスしてくれた。
結構波があって、停留しているとかなり船の揺れが強く、船酔いしそうになってしまった。 -
事前アナウンス通り上陸はできなかったが、軍艦島を周遊する。
もともとは軍艦島という名前ではなく、端島という名前だったそう。今から200年ほど前に軍艦島で石炭が発見され、その後三菱が島と石炭の権利を買い取り、本格的に採掘がはじまった。1960年代になると、島の人口は5000人を超え、人口密度は当時世界一。東京と比べても10倍近くにまで及んだ -
見えてきたのは、7階建ての小学校や9階建ての住宅で屋上には庭園まであったそう。
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生活にかかわる食料品を取り扱う商店はもちろんのこと、病院はもちろんのこと、パチンコ、スナック、映画館まであったそう。ただなかったのは、火葬場と墓地のみで、遺体を焼くのは隣の島まで行かないといけなかったのだとか
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確かに生活には困らなかったとはいえ、この狭い空間に閉じ込められるのは嫌だなぁ
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30分くらい周遊して軍艦島ともついにお別れ。上陸できなかったり、船に乗っているときは雨に降られたりと色々残念だったが、念願だった軍艦島を近くに見ることができて大満足だった。
また、軍艦島の歴史や住人の暮らしぶりを知ることができたのも良かった -
上陸はまたの機会に。次は絶対にリベンジしたい
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暑くて疲れたのもあったのか、帰りは寝てしまった。気づいたら、造船所が見えてきた。
三菱造船場が見えてくると長崎港ターミナルはもうすぐ三菱長崎造船所 名所・史跡
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2時間以上の軍艦島クルーズ。上陸できなかったのは残念だったが、大迫力の軍艦島を周遊でも存分に味わうことができた。
今度来るときは上陸できたらと思う。帰りに軍艦島の写真をいただいた。長崎港ターミナル 乗り物
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3時過ぎにになってさすがにお腹が空いてきたので、トルコライスで有名なニッキーアースティンにやって来た。
大波止駅から、お店の最寄り駅の眼鏡橋までは直線上なのだが、路面電車の場合、ぐるっと回ることになり時間がかかる。そうするとラストオーダーにぎりぎり間に合わない可能性があるので、歩いて行った方が時間がかからないようなので、歩いて向かうことにした。
暑い中15分ほど歩いて、何とかラストオーダーぎりぎりの時間に到着。ニッキー・アースティン 浜町店 グルメ・レストラン
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人気店だとラストオーダーより前に閉店することもあるので、事前に電話をして向かうことを伝えておいた。
それがよかったのか、時間ギリギリにもかかわらず笑顔で女店主の方が迎えてくださった
遅い時間のせいか人は自分以外いなかった。 -
注文したのはカレーライスにハンバーグとチキンカツがセットになったもの。ハンバーグは言うまでもなく、ソースまですべてづくりのようでとても美味しかった。
カレーは少しスパイシーでハンバーグはメンチカツ状になっていて、肉汁があふれるタイプではなく、肉々しいタイプ。
それらの下にはもちろんパスタがありボリューム満点。 -
アイスティーもセットになっていた。お値段は1,248円。
メニューは150種類以上あるそうですべてを征服するのは無理だろう。今度来たときは、また別のメニューを頼みたい -
お腹いっぱいになると歩いて10分ほどのところに眼鏡橋があるので行ってみた。
確か修学旅行の時はバスから見たのみだった気がする。
こうしてみると確かに眼鏡になっている眼鏡岩 自然・景勝地
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そして眼鏡橋といえば、こちらのハートストーン。眼鏡橋の近くにあるということだったが、10分以上探すがなかなか見つからない。
ふと見てみると女性の二人組が岩の前にいたので、そこに行ってみるとそこがハートストーンだった。
このハートストーン、意図して作ったものだそうで、数十年後にインスタ映えスポットになるなんて思いもよらなかっただろう -
眼鏡橋の横にカステラの名店匠寛堂があったので、カステラを購入。
中ではお茶もできる匠寛堂茶房 玉響 グルメ・レストラン
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まだまだ日差しが強く汗も結構かいてきたので、一休みしたかったのでこちらのお店へ
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中はおしゃれな造り。店の名前はBridgeというそうで、眼鏡橋からきているのだろうか
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オーダーしたのは長崎名物ミルクセーキのフラッペ。
結構甘めだったが、疲れた体に甘さとフラッペの冷たさが染み渡った。 -
カフェでゆっくりした後は、眼鏡橋駅から路面電車に乗って20分ほど乗って、原爆資料館駅まで向かう。
そこから歩くこと10分弱で平和祈念館に到着。
残念ながら平和祈念館は終了していた国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 美術館・博物館
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原爆資料館は閉館時間ギリギリに入館。入館料は200円。
長崎原爆資料館 美術館・博物館
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1階から地下にある展示室へ。スロープ状になっていて、時間の経過をあらわしているそうだ。
現代から1945年8月9日にタイムスリップするかのように導かれる。 -
長崎に原爆が投下されて、地上で爆発したがの1945年8月9日11時2分だったそうだ。
最初の展示物は、その時から一切時を刻まなくなってしまった柱時計だった -
原爆が投下された直後の長崎市街地の写真。原爆が投下される直前まで、戦時中とはいえこのような地獄が広島に続いて長崎まで待っているとは、当時の日とは思いもよらなかったのだろう。
長崎市民の方々は広島の惨状を知っていいたのだろうか。当時の情報網でどれくらいに伝わっていたのだろうか -
原爆が投下された日、原爆を搭載したB29ボックス・カーは、グアムを飛び立った後、もともと福岡県小倉市に原爆を投下予定だったが雲が多く、別の候補地だった長崎が選ばれた。この日長崎は雲一つない、晴天だったそうだ。
運命とはなんと残酷なのだろう。
爆心地から近いところにあった中学校の給水タンク。鉄柱が折れ曲がってしまっている -
近くにある浦上天主堂の側壁を復元したもの。もちろん、現在の浦上天主堂は、原爆によって崩壊してしまったため、新しく立て直されているもの。
写真にはないが、原爆によって溶解したロザリオなども展示してある -
長崎を地獄の町に化した原子爆弾、通称ファットマン(ふとっちょ)。広島の原爆はリトルボーイといわれている。
名前の通り、長崎で落とされたファットマンよりリトルボーイのほうが威力は強いのだが、広島は長崎と比べて爆風や熱線を遮る山が少なかったので、広島のほうが長崎より被害が多かったそうだ。
爆発から3秒ほどの短い時間に、異常な高熱で地上を包んだ。地表面の温度は爆心地で3,000度から4,000度、1キロメートル離れたところでおよそ1,800度、1.5キロメートル付近で600度以上に達したものと推定される。これが大規模な火災を引き起こした。
熱線のわずか数秒間の高熱は、人々の皮膚にあびせられた。熱線のすさまじさは通常の火傷では考えられない被害をもたらした。爆心地からの距離により負傷の程度は異なるが、重傷になると表皮は焼けただれてズルズルとはがれ落ち、皮下の組織や骨までが露出した。1.2キロメートル以内では熱線だけでも致命的であり、爆心地付近では、あまりの高熱に一瞬のうちに身体が炭化し、内臓の水分さえ蒸発したと考えられている。
爆風によって、全焼壊家屋12,900戸、半焼壊家屋は、5,509戸にのぼっている。火災は、犠牲者の数も増大させた。倒れた家の下敷きになっても、火さえ来なかったら、外傷だけで助かったはずの人が、きわめて多い。
さらには放射線による影響によって、生き残った人も放射線障害として苦しめた。
これら以外にもたくさんの展示物や当時を知る人の声に関する資料がある。長崎に来た際は絶対に来て、悲惨さを目にしてほしい。
昔から疑問なのだが、広島は有名だが、長崎は2発目ということもあるのか取り上げられることが少ない気がする。長崎は、現在のところ最後の原爆投下になっていることを絶対に忘れてはいけない。
エネルギーに原子力が使われるのは賛否があるのは当然だと思うが、兵器としての核の利用は一刻も早くなくなることを祈ってやまない -
閉館ぎりぎりまで資料館を見学した後は、原爆中心地公園へ
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下の川にかかる緑橋を渡ると、原爆中心地公園。ここが原爆中心地となった。この地域の住人は、ほぼみな即死となったが、たまたま防空壕にいた少女一人が生き残ったそうだ。
原爆落下中心地。この地の上空500mで原爆は爆発した。その結果、当時の長崎市の人口は24万人、そのうち7万人以上の死者とほぼ同数の負傷者を出し、生き残った人も現在に至るまで後遺症に悩まされている。 -
原子爆弾落下中心地碑。爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名を奉安している
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浦上天主堂遺壁。聖堂の南側の一部を移築したもので、原爆による石柱のずれがみえる
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被爆50周年で建てられた事業碑
21世紀にはばたく日本の未来を、偉大なる母の慈悲心と温かな母の胸で眠る傷心の子供の姿で表現 -
下の川の横にある原爆当時の地層
原爆によって破壊された家の瓦やレンガ、焼けた土や溶けたガラスなどが大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す資料として現地に保存されている -
原爆中心地公園から歩いてすぐの小高い丘にある平和公園。丘にはなっているが、エレベータがあるので、楽に行くことができる
こちらの平和の泉は、原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいった。その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉がつくられた。直径18mに及ぶ平和公園 公園・植物園
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旧ソビエトから贈られた平和の像。今となって何とも皮肉だ。
像をよく見てみると赤いペンキで塗ったような跡があるが、これは模様なのかそれとも… -
ブルガリアから贈られた像Aコール
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ニュージーランドから贈られた平和のマント
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中国から贈られた乙女の像
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長崎刑務所浦上刑務支所跡。1100㎡にも及ぶ。爆心地から100mほどのところにあるので甚大な被害を受けた。
長崎刑務所浦上刑務支所跡 名所・史跡
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平和祈念像。長崎といえばこの像を思い浮かべる人も多いはず
像の高さ約9.7メートル、重さ約30トンの青銅製で、「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれている -
平和公園から徒歩10分のところにある浦上天主堂へやって来た。途中住宅街を抜けてくるのだが、坂道の高低が結構あって疲れてしまった。
最初に建てられた天主堂は今から100年程前に建てられたが、原爆によって倒壊。30年ほどかけて信者によって現在の天主堂になった。
レンガ調の建物が美しい。中をちらっと見ることはできたが、こちらは撮影禁止浦上天主堂 寺・神社・教会
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原爆で建物は倒壊してしまったが、教会の横の目立たないところに、唯一残った遺構の鐘が保存されていた。
原爆によって吹き飛ばされた大きな鐘がここまで飛ばされるくらいなので、原爆のすさまじさが伝わった浦上天主堂旧鐘楼 (アンジェラスの鐘) 名所・史跡
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帰りは路面電車の平和公園駅から、路面電車に乗って、長崎駅へ。さすがに疲れてしまったので、駅ビルのアミュプラザのスタバで少々休憩。
ここまでで13,000歩歩いていた長崎駅 (長崎県) 駅
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再び路面電車に乗って中華街へ。8時過ぎていたが、お店はほとんど閉まっていた。
長崎は結構お店が閉まるので注意が必要である。
この後、夜の中華街を散歩といっても100mあるかないかなので、すぐに歩き終わってしまう。横浜や神戸の中華街と比べてだいぶ規模は小さい。
本当は行きたい店があったのだが、事前に調べたところ9時閉店だったが、すでに閉店していてがっかり。長崎新地中華街 名所・史跡
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しょうがないので、とぼとぼ歩いていたら、昨日同様思案橋に到着。
時間も9時近くになり、さすがにだいぶお腹が空いてきたので、お店を何軒か当たるがどこもラストオーダーがおわってしまっていた。 -
どうせなら地の物をと思っていたが、さすがにそうもいっていられないので、適当に開いていた居酒屋に入店。
八洲という九州名物の料理を出してくれる居酒屋のようだ -
中は全室個室になっている。今の情勢を考えるといい店をチョイスできたかな
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まずはプレモルマスターズドリーム(¥858)とお通し。お通しは、和牛を炙ったもの(¥440)。バーナーでその場で炙ってくれる。
程良い脂ののり具合。
お刺身の3種の盛り合わせ(¥1164)は、サーモン、カンパチなど。こちらはまあまあ。 -
次は生コロッケのポテトサラダという、コロッケなのかポテトサラダなのか謎な料理を注文。
ポテトサラダは普通の状態で、揚げた衣が乗っているだけだった。お店のおすすめで注文してみた。
下は串揚げの盛合わせ(¥1280) 長崎雲仙名物のハムカツ、はんぺんチーズ、カボチャ、アスパラ豚肉巻き、ししとう、トマト、じゃがいも、茄子、海老カツ。
揚げたてサクサクで美味しかった。雲仙ハムは地のものと言えるか?
総じて無難にどれも美味しかった。程よくお腹いっぱいになれて退店。
ではホテルに戻るとするか -
長崎最後の夜だしもう一軒どこかないかと思ったら、目当ての店が近くにあったので、行ってみた。
餃子と唐揚げで有名な宝雲亭へ宝雲亭 本店 グルメ・レストラン
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レモンサワーで乾杯。
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まずはこのお店の名物の一つの唐揚げ。衣はからっと鶏肉はジューシー
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そしてもう一つの名物の一つの餃子。1つ1つは小ぶりであっという間に食べられる
。カリッというより、柔らかい感じ。
焼き餃子だけではなく、水餃子も有名らしいが、さすがにお腹いっぱいなので、そちらは今度来たときにでも食べてみよう。 -
いい気分になってこの日も昨日と同じような道を歩いてホテルへ戻る。
軍艦島、眼鏡橋、原爆資料館、平和公園と充実した一日になった。明日は、東京へ帰る日となる
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この旅行記へのコメント (4)
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- たまこさん 2022/08/20 22:09:19
- 長崎原爆資料館
- Nickさんこんばんは。
今回も丁寧な、ガイド本のような完成度の高い旅行記で、原爆被害の記述は読み応えありました。本当に核兵器は廃絶したいですね。
長崎は出張で行っただけで観光してないので、一度行ってみたいと思いました。
そして今回も気持ちの良い食べっぷりで羨ましい!
- Nickさん からの返信 2022/08/21 00:42:53
- こんばんは
- いつも褒めの言葉ありがとうございます。
何かと騒がしい世の中ですが、1日でも早く平穏な日々がくるもいいですね。
もしお時間ができたらぜひ行ってみてください。ハイカラだけでなく、様々な顔を持った街です。
-
- メイリンさん 2022/08/20 17:06:26
- 軍艦島すごいですね
- nickさん、こんにちは。
一昨年長崎には行きましたが、軍艦島行かなったー。
てっきり戦争関係の島かと思ってました。
軍艦は見映えで命名、実際は炭鉱の島だったのですね。
迫力ありますね。私も再度行く機会があれば行ってみたいです。
- Nickさん からの返信 2022/08/20 19:38:58
- こんばんは
- 確かに名前だけ聞くとそう思えますよね。僕も今回は上陸できなかったんで、そのうち再訪して、今度こそ上陸したいです。
メイリンさんも是非是非!
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