2022/07/15 - 2022/07/15
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Bachさん
3年ぶりに「祇園祭」が開催されることになったので、コロナ禍の中、疫病退散を願って今年は特に念入りに見ることにしましたが、今年は3連休と重なることもあって、クライマックスの山鉾巡行は大混雑が予想されるため、その前の宵山に行くことにし、前祭(さきまつり)に「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)が鎮座する「八坂神社」、夕方からは「素戔嗚尊」が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する「石見神楽」(いわみかぐら)、そして後祭(あとまつり)に巡行を前にした「山鉾建て」と「屏風祭り」、と3回に分けて見てきました。
1回目は「八坂神社」について、今までは見るべき庭園もないので外から眺めるだけでしたが、この際「八坂神社」の歴史探訪をしてみることにします。
「八坂神社」は、日本神話の素戔嗚尊と奥さんの櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)と、二人の間の8人の子供の八柱神(やはしらのかみ)を祀る全国2,300祇園社の総本社で、平安時代の僧・円如(えんにょ)がインドの祇園精舎を守護する牛頭天皇(ごずてんのう)を勧請したことに始まり、877年疫病流行の時に牛頭天皇が素戔嗚尊になって現われ祇園社に祈りが捧げられ流行が止んだことから発展し、元々「祇園社」と呼ばれていたが、明治神仏分離令で「八坂神社」に改名されています。
「八坂神社」の祭りとなっている「祇園祭」は、7月1日から31日まで1ヶ月間続き、7.17「前祭巡行」で京都の町中の穢れを払ってから八坂神社の神様をお神輿でお迎えに行き、1週間後の7.24「後祭巡行」でもう一度穢れを払い神様を神社にお返しするという流れで、その間八坂神社を中心に平安時代から脈々と続くさまざまな行事で盛り上がりますが、最後は境内にある「疫神社」(えきじんじゃ)で、茅輪(ちのわ)をくぐって厄を払う7.31「疫神社夏越祭」(なごしさい)で祇園祭を締めくくります。
一通り素戔嗚尊らが神輿に移る「神幸祭」(しんこうさい)を待つ境内を巡った後、この夏を乗り切るために一足早い「土用の丑の日」に「カレーうどん」を食べて英気を養い、1ヶ月遅れの「夏越祓」(なごしのはらえ)を行い、途中で神様が祭りの1週間だけ滞在するという「四条御旅所」に立ち寄ってから、帰宅の途につきました。
*京都三大祭:5/15葵祭、10/22時代祭、8/16五山送り火を入れて京都四大行事
*日本三大祭:大阪天神祭、東京神田祭
*過去の「祇園祭」旅行記:
「祇園祭後祭山鉾・花笠巡行」2016.7.24→https://4travel.jp/travelogue/11152729
「半夏生の両足院と祇園祭」2009.7.15→https://4travel.jp/travelogue/10357094
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「祇園四条駅」からスタート
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祇園祭では7月15日から17日に「いけばな展」が行われ、四条烏丸から八坂神社の石段下までの四条通に面した店舗のショーウィンドーで生け花が飾られる
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四条通り「花見小路」辺りから八坂神社
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八坂神社はまだ人通りはマバラ
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八坂神社に到着
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(行程)四条通りに面した「西桜門」→「手水舎」→「疫神社」→「太田社」→「蛭子社」→「大国主社」→「社務所」→「本殿」→「舞殿」→「南桜門」→「石鳥居」→「玉光稲荷社」→「御神水」→「大神宮社」→「忠盛灯篭」→「悪王子社」→「美御前社」→「日吉社」→「刃物神社」→「祖霊社」→「厳島社」→「絵馬堂」
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「西桜門」(にしろうもん)は国の重要文化財、1467応仁の乱で焼失したが室町時代1497再建、大正時代1913左右翼廊(よくろう)建築、平成19年に瓦の葺替えや朱の塗替え等総工費1億5千万円で大修復が行われたのでまだ真新しい
ここは正門でなく正門は円山公園側の「南桜門」 -
仁王像ではなく護衛役の随身(ずいしん)の木像2体
右側は「阿形」(あぎょう)の老相
「阿形」は口を開けて物事の始まり表している -
左側は「吽形」(うんぎょう)の青年相
「吽形」は口を閉じて物事の終わりを表している -
本殿は正面突き当りを右へ
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入って左側に手水舎(てみずしゃ)
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露天屋台は宵宵山の15~16日に立ち並ぶ
四条通りを中心に歩行者天国となり600くらいの露天が並ぶという
(後祭りにはない) -
「疫神社」(えきじんじゃ)
蘇民将来(そみんしょうらい)を祀り、牛頭天王(ごずてんのう)から疫病を免れる茅の輪(ちのわ)を授けられたから、粽(ちまき)に「蘇民将来之子孫也」と書かれた札を張って飾ると疫病退散になる
祇園祭の最終日7.31に茅輪(ちのわ)が用意され、厄を払う「疫神社夏越祭」(なごしさい)が行われる -
昔、蘇民将来という男の家に、旅人に身をやつした牛頭天王が訪ねてきて、一夜の宿を求めたところ、貧しかったにも拘わらず手厚くもてなしたことに対し、牛頭天王はその心遣いに大変喜んで、そのお礼に「今後お前の子孫は末代まで私が護ってやろう。目印に腰に茅の輪をつけていなさい」と言い残して去っていった。そのお陰で後に疫病が流行った時も蘇民の一族は 生き残り繁栄したと伝えられる。
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「太田社」(おおたしゃ)
猿田彦命(さるたひこのみこと)と宇受女命(あめのうずめのみこと)の夫婦神を祀り、「白髭社」(しらひげしゃ)ともいわれる -
猿田彦命は天孫降臨で日神の使いとして先導し、宇受女命は天照大神の天岩戸の前で神楽を舞った神で夫婦ともに「導きの神」とされる
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「蛭子社」(えびすしゃ)(工事中)
事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀り、七福神の蛭子神と同一視されていることから、海の神、商売の神として信仰され、蛭子様を撫でれば商売繁盛の御利益がある -
「大国主社」(おおくにぬししゃ)
素戔嗚尊の子・大国主命(おおくにぬしのみこと)とその子・事代主命(ことしろぬしのみこと)、一緒に国造りを行った少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀る
出雲大社の祭神で「大黒さん」と呼ばれ、福の神、縁結びの神として知られる -
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)にちなみ兎の縁結びの御守りがある
神話の内容は、自らの過ちで皮を剥がれてしまった白兎を、心優しい大国主命が救い、その救った兎が縁となって妻の八上比売(やかみひめ)と出逢ったことから縁結びの神といわれる -
「社務所」
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各種お守りが並ぶ
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「粽」(ちまき)は八坂神社の他、各山鉾の会所で販売される
祇園祭の粽は食べ物でなく、稲藁や笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り
茅(かや)を束ねて巻いた「茅巻」(ちまき)が「粽」となり、由来の「蘇民将来子孫也」という護符がつけられている、但し最近は食べる粽を売ってるところもある -
「本殿」1220年火災で失われ1654年再建
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神とし、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)などのご祭神が祀られる -
本殿は檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋造(いりもやづくり)になっていて日本最大級の神社神殿といわれ、もともとは本殿と拝殿が別々だったがこれを1つの大屋根で覆い1つの建物として建築されており、この建築様式は他に類を見ないことから「祇園造」と呼ばれる
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本殿は神様の鎮まる内々陣を中心に建物の中を一周できるようになっていて、祇園祭では長刀鉾の稚児などが3周し祇園祭の無事を祈願する
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大屋根の下に北・東・西面の三方へ伸びる庇があるのは、八坂神社だけの特殊な様式だという
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東の柱から西に向かって柏手を打つと音が反響するが、これを龍吼(りゅうぼえ)という
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本殿の下には龍が棲むほど深い井戸があるが、これを龍穴(りゅうけつ)という
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「舞殿」(ぶでん)1866消失し1847再建
祇園祭では3基の神輿が奉安される -
節分に花街の舞妓の舞踊など一年を通してさまざまな祭事が行われる
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祇園祭の主役を待つ神輿
中央に素戔嗚尊、向かって右側(東側)に櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、左側(西側)に八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三基の神輿
7.17神幸祭で本殿から神霊が遷され四条御旅所へ旅立つ -
中央・中御座(ござ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)
六角形の神輿で屋根の頂上には鳳凰
神輿の屋根の頂上には中御座と西御座は鳳凰が立ち、東御座は宝珠が載せられている -
向かって右側・東御座(妻)櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
四角形の神輿で屋根の頂上には宝珠 -
向かって左側・西御座(8人の子供の総称)八柱御子神(やはしらのみこがみ)
八角形の神輿で屋根の頂上には鳳凰 -
「南桜門」江戸の火事で焼失し1866再建
表参道の正門で祇園祭の神輿はここから出発する
檜皮葺きだったが、1981年銅板葺に葺き替えられ、2017年の大修理で140年振りに美しい朱塗りの門になった、本殿・舞殿と同じ高さで、三位一体を表している -
「石鳥居」江戸時代1646年に建立
1662年地震で倒壊し、1666年に再建
日本三大石鳥居といわれる(日光東照宮、鶴岡八幡宮) -
すぐ前にある「中村楼」(なかむらろう)正式名「二軒茶屋中村楼」
室町時代創業の老舗料亭で、坂本龍馬や伊藤博文らが訪れた
龍馬暗殺の「近江屋事件」で龍馬が履いていた中村楼の下駄が残されていたことで有名(昼懐石5,400、夜12,000~35,000円) -
南楼門側の「手水舎」(てみずしゃ)
センサー型手水が目立つ -
八坂神社関連お宮
「四条御旅所」八坂神社の神輿3基が奉安される所で移設統合された
「八坂神社又旅社」神泉苑南側に八坂神社の神輿を迎え祇園御霊会が行われた所
「少将井御旅所旧跡」移設前に少将井神輿(櫛稲田姫命)を奉安した所
「大政所御旅所旧跡」移設前に大政所(素戔嗚尊)と八王子(八柱御子神)神輿を奉安した所 -
「玉光稲荷社」(たまみついなりしゃ)
素戔嗚尊の娘「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)を祀り、奥宮の「命婦稲荷社」(みょうぶいなりしゃ)は女官の「三狐神」(みけつかみ)を祀る -
「円山公園」側鳥居
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「円山公園」は、もともと八坂神社や長楽寺、安養寺、双林寺の境内だった場所を明治になって公園として整備したので八坂神社の庭園みたいなもので、植治・小川治兵衛作庭の池泉回遊式庭園がある
→「錦秋の円山公園庭園」2010.11.26→https://4travel.jp/travelogue/10524393 -
「御神水」
鳥居のかたわらに本殿下の龍穴と同じ水脈の御神水 -
「大神宮社」(だいじんぐうしゃ)
伊勢神宮の京都出張所的なもので、鳥居は伊勢神宮と同じ白木の「神明鳥居」、八坂神社の境内にある鳥居とは形式が異なる -
素戔嗚尊の姉・天照大神(あまてらすおおみかみ)と食と産業の守護神・豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られている
伊勢神宮の撤去材で平成28年竣工と書かれている -
天照大神を祭神とする内宮と、豊受大御神を祭神とする外宮のペア構成
右が内宮、左が外宮 -
「忠盛灯籠」(ただもりとうろう)
平清盛の父忠盛が白河上皇に重用されたキッカケとなった灯籠 -
平清盛の父忠盛は、白河上皇がここを通りがかった時化け物らしき影が横切ったので忠盛に切り殺すよう命じるが、忠盛が化け物の正体を確かめると油壺と松明をを持ち、灯籠に火を燈そうとしていた老いた僧侶で、危うく殺してしまうところを忠盛の冷静な判断で難を逃れたことから、上皇はこの後忠盛を重用し平家の繁栄につながったが、この灯籠はその時のものという
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「悪王子社」(あくおうじしゃ)
素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)が祀られている
「悪」は強い、勇猛という意味 -
神様には和やかな「和魂」(にぎみたま)と荒々しい「荒魂」(あらたま)の二つの面があり、ここでは素戔嗚尊の荒魂を祀っており、諸願成就の御利益がある
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「美御前社」(うつくしごぜんしゃ)1591建立
美人の誉れ高い素戔嗚尊の娘、多岐理毘売命(たぎりびめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)が祀られている -
とくに際立つ美人といわれる市杵島比売命は、七福神の弁財天と同じ神として崇められ、さらには美貌の女神とされる吉祥天とも重ねられて、財福、芸能、美貌の神様として信仰される
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鳥居の横に湧く「美容水」
2、3滴取って肌につけると美のご利益がある -
美容にご利益があり、舞妓さんや芸妓さんをはじめ、美容・理容業界や全国の女性たちが参拝に訪れる
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円山公園方面出口
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出口に「元祖 いもぼう 平野家本店」がある
創業300年の京料理店で、「いもぼう」は江戸時代円山のこの地で育てた海老芋と北海道産の棒鱈を一子相伝の料理で炊合せたもので、取り合わせが抜群の相性
吉川英治先生や川端康成、松本清張などの文豪が愛でて小説に書いているという -
「日吉社」(ひよししゃ)
素戔嗚尊の孫「大山咋神」(おおやまくい の かみ)と「大物主神」(おおものぬし の かみ)を祀る -
京都の鬼門(北東)を護る方位除けの神として信仰を集める
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刃物社、厳島社 方面
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「刃物社」(はものしゃ)
刃物の神様「天目一箇神」(あめ の まひとつ の かみ)を祀り、刃物発祥の地とされる、「苦難を断ち切り未来を切り開く」と書いてある -
「五社」(ごしゃ)
八幡社(武の神)、竈神社(竈の神)、風神社(風の神)、天神社(薬の神)、水神社(水の神) -
「祖霊社」(それいしゃ)
八坂神社の役員や関係物故者の御霊を顕彰 -
「厳島社」(いつくしましゃ)
素戔嗚尊の剣から生まれた「市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)」を祀り、舞踊謡曲の神として祇園の舞妓芸に崇敬される -
5つ目の出入り口鳥居
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「絵馬堂」(えまどう)1744建立
全国的に見ても規模が大きいが、重要文化財にしては雑然としている -
八坂神社は歌舞伎発祥の地南座に近いこともあり歌舞伎役者の奉納絵馬などが並ぶ
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「神馬舎」(しんめしゃ)
2頭の神様がお乗りになる馬を納める -
「御祭神御神詠歌碑」(ごさいじんごしんえいかひ)
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」
素戔嗚尊と櫛稲田姫命ご結婚の際詠まれた和歌で和歌のはじまりとされる
2019年祇園祭1150年を記念して建立 -
一通り見て、西楼門から出ると行列が、、、
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いつも並んでいて行けないが、「八代目儀兵衛」
京都の老舗米屋がオリジナルのブレンド米や究極の銀シャリ御膳を提供
店は京都祇園と銀座、成田空港の3店でランチ2,000円前後、 -
一足早い「土用の丑の日」にまずは「う」のつく「うどん」
西楼門左手にある京都カレーうどん発祥と言われる創業1969年の老舗「味味香」(みみこう) -
シンプルな「和」のカレーうどんで、とり天、海老天、牛肉、きつねなど、チーズ、温玉などトッピングも豊富で、カレーの強さとか麺の太さも選べる、
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シンプルなきつねカレーうどんに温玉のトッピングを注文、1,470円
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卓上調味料も洋風七味、京の七味、赤山椒など豊富
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完食!
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再度、四条通りにある「四条御旅所」へ
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「四条御旅所」1592年豊臣秀吉が3基を統合移設した
祇園祭の7.17「神幸祭」から7.24「還幸祭」迄1週間、八坂神社の神輿3基が奉安される -
「東御殿」(河原町側)
八柱御子神(やつはしらのみこがみ)が遷座される -
「西御殿」(烏丸側)
素戔嗚尊と櫛稲田姫命が遷座される
随身が弓を携えて護衛の役割を果たしている、口が西楼門の像と同じ右が阿形(あぎょう)、左が吽形(うんぎょう)になっている -
「冠者殿社」(かんじゃでんしゃ)
天照大御神に身の潔白を誓約された素戔嗚尊を誓文払いの神としてお祀りしており、鳥居は誓文払いと商いの伝統を広め伝えることを目的に建てられた -
「前祭り」巡行を待つ「長刀鉾」(なぎなたほこ)
鉾先に疫病邪悪を払う大長刀(おおなぎなた)をつけている -
祇園祭山鉾巡行の主役は「長刀鉾」で山鉾の中で最も古くに創建された
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「長刀鉾」(なぎなたほこ)は毎回巡行の順番が決まっている「くじ取らず」で、山鉾の中で唯一生稚児を乗せ、注連縄(しめなわ)を刀で切り巡行の始まりを告げる大事な役割を担う(他の稚児は人形)
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だんだん人手が増えてきた
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