2022/07/21 - 2022/07/21
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Bachさん
祇園祭は2度楽しめるお祭りで、平成26年(2014)から「後祭」(あとまつり)が復活し、「前祭」(さきまつり)で町中の穢れを払ってから八坂神社の神様をお神輿でお迎えし、1週間後に「後祭」でもう一度穢れを払い神様を神社にお返しするという本来の形に戻ったので、今年は「後祭」にも行ってみることにします。
「後祭」は、「前祭」の山鉾が23基で豪華な「鉾」が多いのに対し、「後祭」の山鉾は11基で比較的小さいので、若干地味に感じられますが、それでも個性豊かな山が揃って充分豪華で、特に今回は1826年の蛤御門の変で焼失してから196年ぶりに「鷹山」が復興するという話題もあって、見ごたえは充分です。
これまで「祇園祭」をあらためて念入りに見て、「八坂神社」や「石見神楽」などにまつわる数々の新しい発見がありましたが、今回も祭りの神事に関われるのは「宮本組」という氏子集団だけで、他の山鉾集団はこれに便乗して京の豪商ぶりを誇示することが目的ということや、焼失した「鷹山」の復興に対する山鉾町の熱意ぶりなど初めて知ることばかりで、京都の町はまだまだ奥深く、興味深い。
今回はまず、八坂神社の三柱の神様が遷座されている「四条御旅所」を確認し、巡行を待つ「山鉾建て」と「屏風祭り」を周ることにしますが、京都の夏は今日も暑いので、7月23日の「土用の丑の日」には少し早いですが「うなぎ屋」さんからのスタートです。
*「2016後祭山鉾巡行」(後祭復活)2016.7.24→https://4travel.jp/travelogue/11152729
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三河一色の国産うなぎにこだわり、リーズナブルな価格のうなぎ屋さん
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名物の「う巻き丼(上)」を注文
この前までの1,800円が6月から2,100円になってたがボリューム満点 -
「四条御旅所」(おたびしょ)
7.17「神幸祭」で神様が神輿に移り、「御旅所」に入るまでの巡行「神輿渡御」(みこしとぎょ)で神輿に厄災を拾い集め、ここで1週間安置される -
中央「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)
六角形の神輿で屋根の頂上に鳳凰 -
右側「櫛稲田姫命」(くしいなだひめのみこと)妻
四角形の神輿で屋根の頂上に宝珠 -
左側「八柱御子神」(やはしらのみこがみ)8人の子供
八角形の神輿で屋根の頂上に鳳凰 -
「神輿渡御」(みこしとぎょ)で神輿を先導した「御神宝」(ごしんぼう;神様の装束や剣、琴など)も神輿とともに御旅所に安置されるが、この「御神宝」を持つことを許されているのは「宮本組」だけ
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「宮本組」(みやもとぐみ)
八坂神社「宮」のお膝元「本」で「みやもと」、平安時代から続いている氏子で、祇園祭をサポートする協賛組織の筆頭格になり、神輿洗いや神幸祭、還幸祭での神輿先導などの神事を受け持ち、祇園で商売する辻利や鍵善など老舗旦那衆たちがメンバー
祇園祭の運営は「寄町制度」(よりちょう)という八坂神社の庇護の元に商いで富める氏子の旦那衆集団だったが、明治になって廃止され、1875年新たに募金組織が結成された -
「後祭」は今年から1基増えて全部で11基
先頭の橋弁慶山、2番目北観音山、6番目南観音山、最後の大船鉾はくじ取らずで、残り6基はくじで決まる
「後祭」の「鉾」は大船鉾だけで、残り10基は全て「山」
*山と鉾の違いは、一般的には鉾が大きく先端に鉾飾りがついており、山は小さく先端に木がついているが、元々は疫病払いのために出来たのが鉾で、その後見世物として出来たのが山で、特に大きい山は曳山と呼ぶ
*神輿と山車の違いは、神輿は担ぐもので、山車は山や鉾、曳山などの総称 -
河原町から烏丸を過ぎると前祭の「船鉾」があった近くに「大船鉾」が見えてくる
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「大船鉾」(おおふねほこ)
ご神体は、神功皇后(じんぐうこうごう)で、皇后の新羅遠征をテーマとしており、前祭の船鉾は「出陣」、後祭の大船鉾は「凱旋」を表している -
「鷹山」同様、1864「蛤御門の変」で被災したが2014年に復興し、この年から「前祭」と「後祭」の元の形に戻り、前祭は「船鉾」が、後祭は「大船鉾」が常に最後を飾るようになった
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先端の龍が特徴
復興に際して新調されたという -
釘を使わず「縄絡み」と言われる伝統技法で組み立てる
釘を使うと巡行後に分解も出来ず保管も大変だが、縄にすると保管が楽になり、補修も悪い所だけでよいから効率的 -
縄で結ぶことで衝撃が分散され、柔軟性と強度を併せ持つ構造になり、見た目にも美しい縄模様になる、海老や鶴、亀など縁起のいい動物で結び目を作るというが、よく分からない
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鉾は高さ25m、重さ10トンで、40名近くの人を乗せて動くので、「縄絡み」が最も重要、3日程度かけて慎重に行われる
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車輪も10トン以上の鉾を支え、辻回しの衝撃に耐えられる強度が必要で、1つ約500kgもあるという
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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後祭の山鉾は四条通りを横切って三条通りまでの間の室町通り、新町通り辺りに固まっており、まず最初に見えるのが「南観音山」
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「南観音山」(みなみかんのんやま)
ご神体は、あらゆる病気を封じてくれる神様「揚柳観音像」(ようりゅうかんのんぞう)と脇侍に「善財童子」(ぜんざいどうじ)
北観音山と一対で「上り観音山」に対し「下り観音山」と呼ばれ、宵山の深夜に行われる「あばれ観音」で有名
「あばれ観音」は楊柳観音を布でぐるぐる巻きにしたお神輿を担いで暴れさせる奇妙な祭りで、北観音(男)を好き過ぎる南観音(女)が巡行で暴れないようにするためだというから、昔の人はユーモアがある -
前後左右4面の「飛天奏楽」(ひてんそうがく)が鮮やか
加山又造画伯の原画を綴織(つづれおり)で作った水引幕で、敦煌の壁画からイメージしたという(川島織物HPより) -
ペルシャ緞通(だんつう)などの装飾が豪華絢爛
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正面には夫人像と雲、麒麟などの彫刻
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後面は真っ向龍を刺繍した雲龍図
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「南観音山」がある百足屋(むかでや)町は昔の豪商がこの辺りにあったことに由来する(足はお金、足がたくさんある)
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山や鉾を保存・運営している町を「山鉾町」(やまぼこちょう)といい、各山鉾の会所等で屏風や掛け軸、書画、骨董品などの家宝を飾り公開する「屏風祭」で豪商ぶりをひけらかす
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「吉田家住宅主屋」京都市の登録有形文化財
生糸の白生地問屋だった京商家の町家で築113年 -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「北観音山」(きたかんのんやま)
ご神体は、南観音山と同じ「揚柳観音像」(ようりゅうかんのんぞう)と脇侍に「韋駄天立像」(いだてんりゅうぞう) -
「上り観音山」ともいわれ、「下り観音」の南観音山と一対
この辺りの「六角町」(ろっかくちょう)は京都に入ってくる海産物を扱う最大の生魚市場で、古くから有数の富豪がいた -
19世紀のペルシャ絨毯やトルキスタン絨毯など使って豪華
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「藤井絞」(ふじいしぼり)
創業100年、京鹿の子絞りを中心とした絞り染め屋さん
もっとも古い屏風は江戸初期のもの -
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「八幡山」(はちまんやま)
ご神体は、軍神八幡神(はちまんしん)の応神天皇(おうじんてんのう)で、八幡宮を勧請している -
山の上の赤い鳥居の上の両側に八幡さんのシンボルである鳩2羽が向かい合って飾られる
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会所の露地を入ると石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を勧請(かんじょう)した「八幡宮」が祀られており、普段はこちらにご神体が祀られていて、山鉾巡行の時だけ山の上にお祀りする(町立の八幡宮というのはめずらしいらしい)
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会所飾りに鳥居と総金箔を施した小祠、「八幡宮」の扁額は江戸時代1838年作
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シンボルの鳩は「左甚五郎」(1594~1651年)作で、平成24年(2012)に復元新調され、会所飾りで、新旧の鳩が展示されている(右が本物)
雌雄一対の鳩は、夫婦和合のしるしとして信仰を集める -
座敷の赤毛氈の上には、鶴の錺金具など豪華な飾金具も展示
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山の後ろを飾る龍の見送、左の童の見送と1年おきに使用、右に胴の上の方を飾る水引(みずひき)
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水引に2頭の虎(猫ではない)がかわいい
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正面に大きな黄金食の御幣(ごへい)、その両側に山に飾られる房掛けの金物と房や飾金具など
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右側に前掛けの「元禄の慶寿裂」(けいじゅぎれ)、300年前の消えかけた文字を赤外線カメラで判読して正面に織り込んだつづれ織、右背後に龍の胴掛
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聖獣三態胴掛(せいじゅうさんたいどうかけ)
紺地に麒麟(きりん)の胴掛、他に唐獅子と獏があり、武士に熱く信仰された -
見送り(背面)の上部に取り付けられる房掛金具
前掛け -
「奥井商店」
繊維製品の卸販売をしている八幡山の町衆 -
「洛中洛外図」
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「川崎家住宅」(八竹庵)京都市有形文化財
大正期の綿布商を営む商家の京町家で旧「紫織庵」
入館料1,700円は高いが、和洋折衷の建物と3つある庭園は素晴らしく、2021年あのグッチが展示会を開いたというくらい凄い所で、今日はパスだが一度は入ってみたい -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「鷹山」(たかやま)
御神体は、鷹匠、犬飼、樽負で、中納言在原行平(ありわらのゆきひら)が光孝天皇の御供で鷹狩りをする場面を表している
1826年焼失してから2015年に保存会を設立し196年ぶりに復活 -
左が「鷹匠」(行平)、右が「犬飼」(弟の業平)で犬を引く、中央が「樽負」(行平の子供)で鷹狩の道具を運ぶ、
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1467年応仁の乱以前から「鷹つかい山」として山鉾巡行に参加していた長い歴史を持ち、2015年から古い文献や絵画資料を探しながらかつての鷹山の姿を復元する作業を進め、2019年にはお囃子を奏でながら徒歩で加わる「唐櫃巡行」(からびつ)を行なうまでこぎつけた、ちなみに車輪と車軸は船鉾から、櫓(やぐら)は菊水鉾、車軸の上で櫓全体を支える石持(いしもち)は放下鉾(いずれも前祭)から譲り受けているらしい
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山鉾は町中をめぐり疫病神を集めることから巡行が終わるとすぐに解体されるので、毎年組み立てるには技術の継承が必要になり途切れると難しい、ということを考えると196年ぶりの復活は並大抵のことではない、保存会の理事長は創業100年以上の着物屋さんの山音(やまおと)の社長
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鷹山の真松には「雉」(きじ)
「鷹狩は鷹を狩るのではなく、鷹で獲物を狩る」は、新発見! -
鷹山の真松に止まる「雉」(きじ)は都を見守る役目もする
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試し引きの写真
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役行者山(えんのぎょうじゃやま)
ご神体は、役行者(えんのぎょうじゃ)と葛城神(かつらぎしん)、一言主神(ひとことぬしのかみ)の3体で、一回り大きく曳山で最大
葛城神はこの山の神で、一言主神は雄略天皇(在位456~479)が葛城で刈りをした時に現れた神様 -
山岳信仰、修験道がテーマで、役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に橋をかけたという話
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水引、前懸、胴懸、見送りとも豪華で、松に鈴がついているのが特徴
八坂神社の紋が大きく目立つ -
「宵掛け」(よいがけ)と呼ばれる懸装(けそう)品
宵山までの3日間だけ、山を保護するために飾り、巡行で使用するものは会所に飾る
同時に反りのある板屋根もかけられ、これも巡行では取り払われる -
路地を入ると町会所がある
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会所の敷地には、土蔵が2つあり、ひとつは土蔵そのものが御神体の社殿になっており、御神体が安置されている
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中央が役行者、左が鬼の姿の一言主神、右が女神の葛城神
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土蔵前にある「役行者神腰掛け石」
役行者が修行の後、この石に座り精神修行し、この石に手を当てて全身の凝りを解したとされる、 -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
中央「役行者」角帽子、袈裟、鈴杖を持つ、右「葛城神」手に宝輪と末広とを持つ、左「一言主神」鬼形で赤熊をかぶり手に斧を持つ -
黒主山(くろぬしやま)
御神体は、「大伴黒主」(おおとものくろぬし)で、謡曲の「志賀」の中で「大伴黒主」が桜の花を仰ぎ眺めている姿を表している -
「大伴黒主」は平安時代の歌人で六歌仙の一人(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町)
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桜と松を飾り華やいだ雰囲気をかもし出す山で、山に飾る桜の造花は、翌年の粽に添えられ、この桜を玄関に挿すと悪事除け、泥棒除けになるといわれている
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「黒」をキーとした数々のグッズがあり、珍しく食べられる粽(ちまき)もある
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大伴黒主は白髪の髷(まげ)を結い顔を上に向けて桜を眺める姿がリアルだが、生前の姿ではなく志賀明神の霊として現れたときの姿だという(寛政元年1789年作)
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上部に下がるのは周囲を囲む注連縄の結界(けっかい;境界)
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「浄妙山」(じょうみょうやま)
ご神体は、三井寺の僧兵「筒井浄妙」(つついじょうみょう)と「一来法師」(いちらいほうし)で、平家物語の「宇治川の合戦」で三井寺の僧兵浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭に手をかけて頭上を飛び越え平家軍に躍りかからんとする場面を表す -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
黒漆の宇治橋に刺さる多くの矢は戦さのすごさを示し、一来法師が左手1本で水平の体を支えている仕掛けは凄い、浄妙の鎧は本物で重要文化財 -
この合戦がきっかけで源氏が平家を打倒し源頼朝が鎌倉幕府を開いたので、「浄妙山」は縁起の良い勝ち運の山といわれる
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山鉾町の「骨屋町」(ほねやちょう)は、京扇子の骨を作る職人さんたちが住んでいたところ
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「鯉山」(こいやま)
御神体は、鯉=素戔鳴尊で、鯉が滝を登り龍になるという「登竜門」の故事を表現している -
鯉は左甚五郎作
山鉾の中で唯一人物でなく魚をテーマにしており、大きな鯉が立身出世の神として祀られ、手前の鳥居と祠は素戔嗚尊を祀っている -
鯉山町の会所への路地入口
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前懸、見送、胴懸、水引は元は1枚の毛綴織(タペストリー)を9分割して飾っている
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紀元前8世紀頃に吟遊詩人ホメーロスが書いたイーリアスを題材としており、16世紀にベルギーで作られた貴重な美術品は国の重要文化財
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イーリアスはホメーロスが書いた二大叙事詩の一つで、ギリシャ神話のトロイア戦争にまつわる物語が主題となっている
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ギリシャ神話と祇園祭がつながるのも面白い!
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貸金庫みたいな土蔵に車輪や部材、懸装品類などが保管されている
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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橋弁慶山(はしべんけいやま)<組立中>
ご神体は、弁慶と牛若丸で、謡曲「橋弁慶」より弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿を表しており、くじ取らずで後祭りの先頭をいく -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
弁慶は長刀、牛若丸は橋の擬宝珠(ぎぼし)の先端に下駄の歯たった1枚で片足で立ち絶妙なバランスを保っているのは擬宝珠と下駄をつなぐしかけがあり、これは浄妙山と共に素晴らしい! -
ちょうど組立中
「山鉾建て」の行程は、構造材を組み立てる「縄絡み」~真木を櫓(やぐら)につけ鉾頭を取りつける「鉾建て」~車輪を櫓に取り付ける「車輪付け」~櫓に舞台を作る屋根組立~装飾品取付けとなる -
会所は、橋弁慶町の町家にあり、重要無形民俗文化財
橋弁慶山保存会のHPを見ると、山鉾町の橋弁慶町はわずか20件ほどしかなく、これで歴史をつないでいく熱意と努力には頭が下がる -
すぐ隣には「マエダコーヒー室町本店」があり、店内に「龍吐水」(りゅうどすい)という明治時代に町内で消火に使用されたという歴史的な手押しポンプがあり、 町衆の誇りと町内結束の証として展示しているという(マエダコーヒーは1971年創業で、イノダコーヒー1940年、小川珈琲1952年に並ぶ京都老舗コーヒー店)
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胴掛は丸山応挙下絵の葵祭を描いた「加茂祭礼行列図」、前懸は富岡鉄斎原画の「椿石図」
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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「鈴鹿山」(すずかやま)
御神体は、女体の姿をした鈴鹿権現((すずかごんげん)「瀬織津姫命」(せおりつひめのみこと)で、伊勢の国の鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼(あっき)を鈴鹿権現が退治したという伝説を表す -
(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
祇園祭の御神体の中では数少ない女性の神様で、伸長176cmのスーパーモデル並み美人、前懸はラクダをモチーフにしたシルクロードの綴織で、この界隈はかつて交易の町として栄えたことにちなむ -
烏丸通の大通りにある唯一の山で、通りを渡ると京の中心地「六角堂」
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真松には多くの絵馬をつけ、巡行後に盗難除けの御守りとして授与される
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山鉾町の場之町(ばのちょう)は、かつて人馬が盛んに行き交う場所で、米の通関所があり交易の中心地であったことから、三関の一つの鈴鹿山が選ばれたという
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会所の座敷には中央に「瀬織津姫神」の扁額が懸けられた祭壇があり、その中に午頭天王の掛軸、左右に胴懸や見送りが展示されている
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(参考)2016後祭の山鉾巡行の写真
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たまたま「鈴鹿山」の隣にあった「NHK京都放送局」に酷暑避難
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中で「祇園祭の浴衣・手ぬぐい」の展示があった
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一貫して同じデザインもあるし、2年ごとに新調しているところもあるらしいが、特徴があって面白い
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帰りに「六角堂」に立ち寄る
聖徳太子創建で代々華道家元「池坊」が住職を務め、いけばな発祥の地とされ、江戸時代まではくじ取り式が行われていた(今は市役所) -
境内に京都の中心を担うお寺だったことを表す「へそ石」があり、見所はたくさんの地蔵が並ぶ「合掌地蔵池」の「枝垂れ桜」
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(参考)2016/03/30撮影の「枝垂れ桜」→https://4travel.jp/travelogue/11117511
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最後に「六角堂」ビル内にあるスタバで休憩して帰宅
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