2019/04/28 - 2019/04/28
85位(同エリア518件中)
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2019年GWは14年ぶりにイタリアを旅行しました。旅の目的は南イタリア観光とミラノの「最後の晩餐」鑑賞です。ナポリに到着して2日目はヴェスヴィオ周遊鉄道で超有名な観光スポットである世界遺産ポンペイ遺跡に行ってみました。ガイドブック片手に回りましたが、ポンペイ遺跡は広大でした。ガイドがいるともっと良かったかも。でも秘儀荘のポンペイレッドは美しかったです。
~旅程~
4月26日(金) 成田→香港(機中泊)
4月27日(土) 香港→ローマ→ナポリ(ナポリ泊)
4月28日(日) ナポリ→ポンペイ→ナポリ(ナポリ泊)
4月29日(月) ナポリ→サレルノ→アマルフィ(アマルフィ泊)
4月30日(火) アマルフィ→ポジターノ→アマルフィ(アマルフィ泊)
5月1日(水) アマルフィ→パエストゥム→マテーラ→アルベロベッロ(アルベロベッロ泊)
5月2日(木) アルベロベッロ→バーリ→ミラノ(ミラノ泊)
5月3日(金) ミラノ(ミラノ泊)
5月4日(土) ミラノ→香港(機中泊)
5月5日(日) 香港→成田(日本帰国)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ナポリ2日目の朝。ヴェスヴィオ山は雲で覆われています。
ルネッサンス ナポリ ホテル メディテッラネオ ホテル
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ビュッフェ朝食をいっぱい頂いて出発
ルネッサンス ナポリ ホテル メディテッラネオ ホテル
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ポルタ・ノラーナ駅です。ここはヴェスヴィオ周遊鉄道の始発駅です。朝早いせいか人は少ないです。
ヴェスーヴィオ周遊鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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今日はこのヴェスヴィオ周遊鉄道に乗ってポンペイ遺跡へ向かいます。
ヴェスーヴィオ周遊鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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ポンペイ遺跡までは22kmほどの距離で所要時間は35分ほどです。車体はどうやって書かれたかと思うくらいの量の落書きだらけでした。
ヴェスーヴィオ周遊鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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座りたかったので始発駅に来ましたが空いてました。ナポリ中央駅の地下にあるガリバルディ中央駅からも乗車可能ですので、そちらのほうが楽だったかも。
ヴェスーヴィオ周遊鉄道 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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間もなくポンペイ駅
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ポンペイ遺跡に隣接するポンペイ・スカーヴィ駅(ヴィッラ・デイ・ミステリ駅)に到着。
ヴィッラ ディ ミステリ駅 駅
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非常に小さい駅です。観光案内所もありました。
観光案内所 (ポンペイ) 散歩・街歩き
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ポンペイ遺跡に向かう通りには、たくさんのお店が並んでます。朝早いのでみんな準備中でした。
観光案内所 (ポンペイ) 散歩・街歩き
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ポンペイ遺跡の「マリーナ門入り口」に到着
マリーナ門 史跡・遺跡
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ここでチケット購入。15ユーロでした。
マリーナ門 史跡・遺跡
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建物に8か国の言語で案内版がありました。ユネスコの世界遺産マークも見えます。
マリーナ門 史跡・遺跡
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その中には日本語もありました。ポンペイは当時人口20,000人を数えた都市で、紀元79年8月24日、ヴェスビオ火山の噴火時の火砕流で一瞬にして地中に埋まり、18世紀に発掘されるまで火山灰に埋もれていた遺跡です。壷が多く出土したことからワインの産地であったと言われ、港があり商業都市として栄えていた当時の姿がそのまま残る広大な遺跡です。
マリーナ門 史跡・遺跡
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チケット売り場から、いきなり遺跡が見えます。このあたりは「郊外の浴場」だったそうです。
マリーナ門 史跡・遺跡
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まずは「マリーナ門」へ進みます。マリーナ門は、ポンペイに残る7つの門のうちのひとつで、港のある海に向かっている道であったため、この名前がついています。
マリーナ門 史跡・遺跡
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マリーナ門の先に見える光景は、まるで大きな要塞のようです。この門はポンペイの7つの門の中でも最も堂々とした造りだそうです。
マリーナ門 史跡・遺跡
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発見のきっかけは近くのエルコラーノで遺跡が見つかり、その続きとして1763年にスペイン国王カルロス3世(元ナポリ国王)の命で始まった宝さがしの発掘です。発見当時はものすごいセンセーションだったそうです。
バジリカ 史跡・遺跡
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門を抜けると右手に大きな壁が見えてきました
バジリカ 史跡・遺跡
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入ってみると大きな広場。ここは「バジリカ」です。19世紀にフォロの区域で発掘調査が始まった時代にこの建物も掘り出されました。
バジリカ 史跡・遺跡
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延べ面積1500平方メートルもあるバジリカは、フォロの区域で最大の建物で、裁判や商取引に使われていました。
バジリカ 史跡・遺跡
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建物が一部ですが残ってます。石柱の太さからも大きな施設だったようです。
バジリカ 史跡・遺跡
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イチオシ
このバジリカの建設時期は紀元前130-20年頃と推定され、このタイプの建築としては、古代ローマ世界の中でも最も古い建物の一つだったそうです。
バジリカ 史跡・遺跡
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バジリカと道を挟んで反対側にある「アポロ神殿」。当時信仰の対象であったアポロ神を祭っていた神殿です。
アポロ神殿 寺院・教会
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アポロ神殿は紀元前6世紀のアルカイック期には既にここに建っていたポンペイで最も古い信仰場所の一つです。円柱が建ち並ぶ敷地の中央に祭壇がありました。
アポロ神殿 寺院・教会
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イチオシ
この神殿は48本の列柱で囲まれた美しい神殿跡のため、ポンペイ遺跡見学の序盤のハイライトとも言える場所です。
アポロ神殿 寺院・教会
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「弓を射るアポロ像」これはレプリカで、オリジナルのブロンズ像はナポリの考古学博物館に保存されています。
アポロ神殿 寺院・教会
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弓を射るアポロ像をアップで
アポロ神殿 寺院・教会
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神殿左手に立つ「ディアナ像」。ギリシャ神話ではアルテミスです。下半身はと左手を失ってますが、弓矢を持っていたと考えられています。ディアナはアポロとは双子の兄妹です。
アポロ神殿 寺院・教会
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アポロ神殿に隣接したポンペイの中心「フォロ」です。広いです。市民生活の中心地で東にマーケット、北にジュピター神殿、西にアポロ神殿、南にバジリカがあります。
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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フォロの中央にはケンタロウス像があります
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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ところどころに列柱が復元されています
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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ヴェスヴィオ山の噴火では5時間で火山灰が1メートルも積もったそうです。翌日の朝6時には、積もった火山灰は2メートルに達したそうです。この79年の噴火のあとも、472年、1139年、1631年に大噴火を起こしているそうです。
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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ジュピター神殿とアポロ神殿の間にある大きな「穀物倉」。現在は出土品9千点以上を保管する倉庫として使われています。穀物倉には、噴火の犠牲者や犬の石膏型も保存されています。
ホッレア 史跡・遺跡
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もの凄い数の発掘品です。
ホッレア 史跡・遺跡
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噴火の犠牲者の石膏像が見えます。火山灰の空洞に石膏を流し込んだものです。当時亡くなった人へ火山灰が堆積、その後 人の形をしたまま空洞となった所に石膏を流し込んで最後の姿を型どってます。
ホッレア 史跡・遺跡
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ガラスケースの中にも人体像が見えます。2体あってお互いに抱き合っているように見えます。この後もあちらこちらで出てきますが、生々しいです。
ホッレア 史跡・遺跡
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正面には雲に隠れたヴェスヴィオ山が見えます。当時のポンペイの街の人口は2万人程度と推測されていますが、見つかった遺体はおおよそ1,150体だったそうです。 そのうち394人は火山灰の層の下部だったため、倒壊した屋根や建物の下敷きで死んだと推測されてます。残りの650体は、火山灰の上部で亡くなっていて、2度目の噴火の熱風で死んだと考えられています。
ジュピター神殿 建造物
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フォーラムの北西に位置する「ジュピター神殿」
ジュピター神殿 建造物
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ジュピター神殿の祭壇部
ジュピター神殿 建造物
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北側から観たフォロです。
フォーラムアットポンペイ 文化・芸術・歴史
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フォロを北に進むと見える「名誉のアーチ」
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アーチを抜けると左手に食料や飲み物が買えるカフェがあります。
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整然と区画された街並みです。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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「フォロの浴場」です。ここはクローズとなってました。
フォロの浴場 史跡・遺跡
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内部には温浴室と大理石製の水盤があるそうです
フォロの浴場 史跡・遺跡
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「フォルトゥーナ・アウグスタ神殿」です。この神殿は皇帝崇拝のための神殿で、新しい皇帝が帝位に就くと閣僚たちが直ちにこの神殿に像と碑板を奉納したそうです。
フォルトゥーナ アウグスタ神殿 史跡・遺跡
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こちらはティベリウス帝の凱旋門。
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ここも有名スポット「悲劇詩人の家」です。この家が「悲劇詩人の家」と呼ばれる理由は、食堂にギリシアの悲劇叙事詩「イーリアス」が残っていたためです。この家からは豪華な装身具を手にしたまま逃げ遅れて命を落とした2人の女性の遺体あとが見つかっています。
悲劇詩人の家 建造物
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イチオシ
この家で有名な玄関のモザイク。今にも吠え掛かりそうな「犬のモザイク画」です。猛犬に注意という文字が添えられてます。オリジナルはナポリ考古学博物館が所蔵しています。ひもにつながれた赤い首輪の犬のモザイクはとてもモダンです。
悲劇詩人の家 建造物
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この悲劇詩人の家の近くには野良犬もいました。嚙まれないように気をつけないと・・・。
悲劇詩人の家 建造物
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これは道路の随所に設けられている水飲み場です。牛馬だけでなく人も飲んでいたようです。
悲劇詩人の家 建造物
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続いて少し離れたエリアへ向かいます
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「エルコラーノ門」です。紀元前89年にローマの将軍シッラがポンペイを征服したのちに建造されたもので、この当時すでに外壁がその機能を失いつつあった時期に造られたため、防御的な設計がされていません。門の名前は、ここからエルコラーノに向かう道が出ていたことによるものです。
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しばらく歩くと緑が多いエリアになりました
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緑の植栽の小道を歩いて行きます
秘儀荘 史跡・遺跡
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赤い屋根と列柱が印象的な大きな建物が見えてきました
秘儀荘 史跡・遺跡
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このポンペイ遺跡で最も有名な「秘儀荘」です。ギリシャ神話のワインと豊穣の神・デュオニュソスの信者の儀式が描かれたフレスコ画があるため「秘儀荘」と呼ばれています。
秘儀荘 史跡・遺跡
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建物の内部は深いレッドを使って彩色されていて鮮やかです
秘儀荘 史跡・遺跡
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どこを観てもレッドです
秘儀荘 史跡・遺跡
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イチオシ
建物中央の部屋にはガラスケースに遺体が展示されていました
秘儀荘 史跡・遺跡
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なまなましいですね
秘儀荘 史跡・遺跡
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他の部屋もよく壁画が残ってます。当時この建物はブドウやオリーブ栽培で財をなした農園主の邸宅でした。
秘儀荘 史跡・遺跡
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邸宅内には大小90の部屋や、ワイン製造場があり、圧搾機や貯蔵用の壺、農機具を納める部屋が発見されています。
秘儀荘 史跡・遺跡
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建物の起源は紀元前2世紀に遡りますが、現在の形になったのは80~70年ごろです。
秘儀荘 史跡・遺跡
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美しく整備された植栽です
秘儀荘 史跡・遺跡
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この邸宅には当時の主の好みと美意識を反映した壁画で埋められています。
秘儀荘 史跡・遺跡
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最後の部屋です
秘儀荘 史跡・遺跡
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世界的に有名なポンペイレッドの背景に絵巻物のように人物が描かれた壁画のある「ディオニュソスの秘儀の間」です
秘儀荘 史跡・遺跡
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「ディオニュソス秘儀の図」とは古代ギリシアで豊穣とブドウ酒の神と崇められたディオニュソス信仰を描いたものです。当初は異端の陶酔宗教でしたが、ヘレニズム期以降の紀元前4世紀後半には「来世の幸福を願う秘教」となりました。
秘儀荘 史跡・遺跡
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部屋の三方の壁面に連続したフレスコ画が描かれていて古代の絵画の中でも最もよく保存されたものの一つです。これは右手の壁の絵です。深く艶やかな赤はポンペイレッドと呼ばれるもので色あせることなく残ってます。
秘儀荘 史跡・遺跡
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イチオシ
中央の壁には花嫁アリアンナと共に描かれているデュオニソスに関するシーンです。
秘儀荘 史跡・遺跡
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中央の壁の右手には座る夫人の膝に身を投げた若い女性の鞭打ちの儀式が描かれています
秘儀荘 史跡・遺跡
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左手の壁面です。一番左の女性は供物を載せた皿を儀式の場へ運ぼうとしています。
秘儀荘 史跡・遺跡
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イチオシ
背を向けている女性は月桂樹の葉を水で清める儀式を行っています。その先にはブドウ酒を飲み陶酔していく信者の様子が描かれています。火山噴火でよくここまで壊れずに残ったものです。素晴らしい絵巻でした。
秘儀荘 史跡・遺跡
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再び来た石畳の道を戻ります
ディオメデス荘 建造物
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「サルスティオの家」です。この家は紀元前180年頃の典型的な住居の例で、凝灰岩のブロックで造られた質素な正面や同じく凝灰岩製のインプルヴィオ(水をためる窪んだ床)を備えたアトリウム、凝灰岩の円柱が囲む小さな回廊など、オリジナルな姿を全体的に保存しています。壁面装飾の大部分も建築当時のもので、ポンペイで最もよく保存された例の一つです。
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内部です。穴の開いたカウンターらしきものが残ってました。この家はおそらく紀元62年の地震後に宿屋として改装され、道に面した部分には上の階が増築されたものと推測されているそうです。
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第6地区の中心へ戻ってきました
ヴェッティの家 建造物
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1894年に発掘された「ヴェッティの家」です。
ヴェッティの家 建造物
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彩色の残った入口です。ここは富裕層の豪邸で解放奴隷出身のポンペイ屈指の豪商でした。
ヴェッティの家 建造物
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入口の右側に、巨大な男根と金貨の入った袋を天秤にかけている経済的な繁栄を約束する神プリアポスが描かれています。当時この絵は金持ちの象徴だったそうです。現代では考えられない風俗です。
ヴェッティの家 建造物
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玄関を入って正面に広がる大広間「アトリウム」です
ヴェッティの家 建造物
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屋根は一部開口していて雨水が傾斜した屋根を伝ってアトリウムの受水盤に集められて家事に利用されました。
ヴェッティの家 建造物
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この家の壁には鍛冶屋や酒屋など職業を表すフレスコ画があってヘレニズム文化の影響を思わせる神話を主題にした多くの壁画があります。
ヴェッティの家 建造物
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小像のある部屋です
ヴェッティの家 建造物
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イチオシ
この家で一番色鮮やかなの部屋です。
ヴェッティの家 建造物
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壁にはたくさんの絵が描かれています。絵は「ダイダロスとパシファエ」
ヴェッティの家 建造物
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「イクシオンの罰」
ヴェッティの家 建造物
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題名はわかりませんが、どの絵もよく残っていますね
ヴェッティの家 建造物
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青空が見えてきました
ヴェッティの家 建造物
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続いてやってきたところも富裕層の豪邸だった「ファウヌスの家」です。ポンペイで最大規模の個人住宅でローマの独裁官スッラの甥プブリウスの居宅だったと言われてます。
牧神の家 史跡・遺跡
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入口を入ると広いアトリウムです。家の名前の由来は、アトリウムに置かれた森の神ファウヌスのブロンズ像が見つかったためです。
牧神の家 史跡・遺跡
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受水盤のデザインが鮮やかです
牧神の家 史跡・遺跡
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イチオシ
中央にはファウヌスの像。本物はナポリの国立考古学博物館にあります。そのポーズから、「踊るファウヌス」として有名です。
牧神の家 史跡・遺跡
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この部屋には中央にハトのモザイクが描かれてます
牧神の家 史跡・遺跡
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ハトのモザイク画の拡大
牧神の家 史跡・遺跡
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ファウヌス像とともに、この家を有名にしている談話室へ。
牧神の家 史跡・遺跡
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談話室には見づらいですが、現在ナポリの国立考古学博物館にある横5メートル、縦3メートルの巨大な「アレクサンダー大王の戦い」をテーマにしたモザイク画が発見されました。このモザイク画のアレクサンダー大王の横顔が世界史の教科書で出てくるので誰でも知っていると思います。
牧神の家 史跡・遺跡
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広い中庭です。広く豪華だったこの邸宅からは、財宝をかき集めたまま息絶えていた邸宅の主人が見つかっています。本当に急な噴火だったのですね。
牧神の家 史跡・遺跡
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第7地区です。ここは紀元前2世紀を起源とする古代ローマでも最も古い浴場のひとつ「スタビア浴場」です。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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入ると広い中庭を囲むように建物が配置されています。スタビア浴場は運動場、プール、脱衣室、温浴室、熱浴室、冷浴室が完備されていました。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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広い待合室。天井で丸く見えるのはスタッコ装飾です。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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小浴場です。男性用と女性用に分かれており、それぞれ低温、中温、高温の浴室があったそうです。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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お湯の出口です
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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奥の壁にも採光用の窓が開けられています
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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こちらは男湯の円形浴槽です。ドーム型の天井には採光のための窓が開けられているので明るいです。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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反対側の浴場に通じる回廊です。壁面はポンペイレッドです。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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ここは脱衣所です。壁面の四角い穴に衣服を置きました。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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中浴場です。高温浴室だったそうです。
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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浴槽らしきものもありました
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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ここにも逃げ遅れた人が展示されてました
スタビアーネの浴場 史跡・遺跡
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スタビア浴場を出て隣接する第8地区へきました。このあたりも見どころが固まってます。
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高い塀に囲まれた細い道を進みます
大劇場 史跡・遺跡
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馬蹄型の観客席が見えました。「大劇場」です。
大劇場 史跡・遺跡
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大劇場は丘の自然な傾斜を利用して紀元前2世紀の中頃に建設され、後にローマ人の好みに合わせて大きな変更が加えられています。
大劇場 史跡・遺跡
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この劇場では伝統的なギリシア・ローマの喜劇や悲劇が上演され、5,000人を収容できたそうです。
大劇場 史跡・遺跡
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続いて大劇場に隣接する小劇場(オデオン)へ
オデオン座 劇場・ホール・ショー
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本当に小さい劇場ですね。ここはアウグストゥス初代皇帝の時代(紀元前79年)にポンペイがローマ傘下に入ったころ、ポンペイの名門貴族が出資をして完成した劇場です。音楽会、詩の朗読会、無言劇などが行われ、教養のある人々が集まったそうです。また当時は音響効果を高めるため、天井部分は屋根で完全に覆われていたそうです。
オデオン座 劇場・ホール・ショー
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ここから街の目抜き通りであるアッポンダンツァ通りを進みます。
アボンダンツァ通り 散歩・街歩き
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ここは「ステファヌスの洗濯屋」です。内部に入れませんでしたが、中にはポンペイレッドで彩られた壁画が残り、アナトリウム中央の雨水を溜めるインプルヴィオの部分に大きな洗濯用の貯水槽が置かれているそうです。入り口付近で貨幣とともに発掘された人骨は、売上金を持って災害から逃れようとしたステファヌスだと言われています。
ステファノの洗濯屋 史跡・遺跡
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「ヴェトゥティウス・プラキドュスの家とテルモポリウム」です。テルモポリウムとは飲食店のことで、ここにはカウンターの穴にかめが入れられ、温かい食べ物や飲み物が提供されていました。また、発掘時にかめの一つから最後の売上金だと思われる約3キロもの貨幣が見つかりました。
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カウンター奥の壁にフレスコ画が残ってます
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晴れてきて気持ちのいい天気になってきました
アボンダンツァ通り 散歩・街歩き
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この建物は「ヴィーナスの家」です
ヴィーナスの家 史跡・遺跡
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残念ながら閉鎖されてましたが、この奥の部屋に貝に乗ったヴィーナスと天使のフレスコ画があります。
ヴィーナスの家 史跡・遺跡
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ここは「ジュリア・フェリーチェの家」です。紀元前1世紀の終わり頃に複数の建物を統合して造られた邸宅です。
ジュリア フェリーチェの家 史跡・遺跡
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長い廊下です。1軒の家とは思えない広さです。この「ジュリア・フェリーチェ」の名は紀元62年の大地震後 建物正面に書き込まれた家の所有者の記録から判明したそうです。この書き込みは現在ナポリの国立考古学博物館で見ることができるそうです。
ジュリア フェリーチェの家 史跡・遺跡
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これはテルメでしょうか?
ジュリア フェリーチェの家 史跡・遺跡
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アトリウムも見えます。
ジュリア フェリーチェの家 史跡・遺跡
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広大な庭です。中央は水路っぽいですね。立派な中庭でした。
ジュリア フェリーチェの家 史跡・遺跡
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ポンペイ遺跡観光も大詰めです。ここは第2地区で遺跡の東側まで来ました。見てわかるとおり「円形闘技場」が見えました。
円形闘技場 史跡・遺跡
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イチオシ
近づくと大きいですね。ここは古代ローマ時代の遺跡の中でも最古の円形闘技場のひとつです。
円形闘技場 史跡・遺跡
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石積みですが崩れているところもなくキレイです
円形闘技場 史跡・遺跡
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入場します
円形闘技場 史跡・遺跡
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2000年前のものとは思えない作りです
円形闘技場 史跡・遺跡
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入ってみるとシンプルで現代の陸上競技場みたいな作りですね。ここは2万人収容できたそうで大勢の観客の移動を考え、中心地から離れた場所に作られたそうです。
円形闘技場 史跡・遺跡
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ローマのコロッセオとも違って立派な闘技場でした
円形闘技場 史跡・遺跡
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闘技場の傍に見えた遺跡は「大体育場」です。
大体育場 史跡・遺跡
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体育場は中央にプールがあり、陸上競技や球技、水泳で体を鍛えていたそうです。
大体育場 史跡・遺跡
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これでポンペイ遺跡の鑑賞は終了
ヌーチェリア門 史跡・遺跡
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マリーナ門とは反対のヌーチェリア門から出ました
ヌーチェリア門 史跡・遺跡
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ポンペイ駅へ向います。ポンペイの繁華街のローマ通りを歩いて行きます。
ローマ通り 散歩・街歩き
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ホテルの1階のお店にふらりと入ってみました
ローマ通り 散歩・街歩き
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おいしそうなパン。アマルフィの修道院で残り物から偶然生まれたという「スフォリアテッラ」です。そのレシピをナポリ職人が手に入れて郷土菓子になったそうです。貝殻型のサクサクした触感で素朴な美味しさでした。
ローマ通り 散歩・街歩き
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これはブルボン王家から伝わった「ババ」というお菓子。これは後日アマルフィでいただきます。
ローマ通り 散歩・街歩き
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ポンペイ遺跡から駅へ向うと「マドンナ・デル・ロザリオ聖堂」に辿り着きました。植栽と調和したラテン的な塔です。
マドンナ デル ロザリオ聖堂 寺院・教会
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ポンペイの街は遺跡だけかと思ってましたが、このような大聖堂もあるのですね。繁華街もあって、時間があればゆっくり散策したい街でした。
マドンナ デル ロザリオ聖堂 寺院・教会
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旅行記グループ 2019GW南イタリア+ミラノ10日間
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