2022/06/08 - 2022/06/17
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SRさん
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今回は、二日にわたって房総半島のマイナーな戦争遺跡巡りをします。
まず一日目は富津岬。
台場をルーツとする、まるで五稜郭のような要塞の遺構が見られる元洲堡塁砲台跡。そしてその役目を終えた後に兵器の試験場となった富津射場。
そして二日目は、軍艦の砲塔が設置されていた大房岬の要塞跡。次いで館山の赤山地下壕跡に潜り、最後に館山航空基地の先にある沖ノ島を巡ります。
- 交通手段
- バイク
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明治百年記念展望塔
とりあえず、いつもの富津岬の展望台へ来ました。
しかし、足が重い・・・。
前回の旅行でやたら疲れていましたが、もしかすると地の体力自体落ちてきているかもしれない。やばいなこれは・・・。富津岬 自然・景勝地
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右に見える第一海堡と、左に見える軍艦みたいな(本当に一瞬、軍艦かと思った)第二海堡。
まずはこの風景から、今回の東京湾要塞巡りをスタートしたいと思います。 -
富津公園 第1駐車場
車やバイクの、大半が素通りする駐車場。
そこにある案内看板。 -
そしてもう一枚の看板。
そこで唐突に「戦争遺構ガイド」が登場します。 -
料理屋の前に咲いていた紫陽花。
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公園の奥へ入っていくと、池に囲まれた中洲があります。
本来ここから渡れるのですが、この日はロープがしてあり入れないようになっていました。 -
「お台場」という地名が幕末にルーツを持つものとは広く知られていますが、ここ富津にも台場がありました。
それが1822年(文政5年)に白河藩が築いた富津台場。
そして1881年(明治14年)明治政府によって改築された元洲堡塁砲台。
この中州は、その砲台跡です。 -
周囲はお堀で囲まれています。
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今日はあちら側からしか入れないようです。
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渡ります。
ブーンブーンという蚊のような音が、耳から遠い場所で聞こえます。
これは、たぶん蜂です。このあたりは公園と言うには、少々ワイルドなので気をつけましょう(笑) -
そこから階段を上った先にある、不自然なカマボコ型の構造物。
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まるで入口を見張っているかのようです。
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こういった、妙にしっかりした造りが「明治」を思わせます。
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歩いていると蛇もいます(マジで)。
向こうに、明らかに戦後造られたであろう構造物が見えます。 -
初めて登ってみました。
遠くに、先程いた三角形の展望台が小さく見えます。
あちらと違って、まあマイナーな展望台だこと(笑)
なにせ、この中州自体に私以外の人を見かけません。 -
右に「軍艦のような」第二海堡、真ん中やや左に本物の軍艦「くまの」。
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遠くに霞んで見える「ぱしふぃっくびいなす」。
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鹿野山方面。
この、一見してどこかわからない鹿野山に、「九十九谷」という周囲の山々が見渡せる展望がある、そのくらいこの房総は平らだということ。 -
京葉地区方面、といいつつ君津製鉄所しか見えません。
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霞の中の京浜地区。
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ではこの中州を眺めてみます。左下にあるのが、先程渡れなかった本来の堡塁入口。
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手すりが凸凹していますが、その窪みが砲台が設置されていた場所。
まさに関東地方の五稜郭のような風景。
富津岬は東京湾へ西へ突き出た形をしていますが、そこから南に向かって計6門の28センチ榴弾砲が扇形に置かれ、その両端には12センチカノン4門が置かれていました。 -
ここにもカマボコ型の構造物が。おそらく観測所だったのでしょう。
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上部には千葉県知事の筆で「拓魂」と書かれています。
側面に「海外移住百年」と書かれていますがコンクリが割れて全ては読めませんでした。 -
ギザギザの石が置かれています。
おそらく、砲台の角度を測っていたのではないでしょうか。 -
階段を降りていきます。
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途中、コンクリで蓋がしてあるのが分かります。
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ここは歩幅が狭く、明治のオリジナルの構造物であることがわかります。
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ついに要塞としか言いようのない構造物に出会いました。
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中、意外に綺麗そうなので入ってみます。
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煉瓦造りのしっかりとした部屋がありました。上部に円錐型の穴が空いていますが、後からコンクリで塞がれてしまったようにも見えます。
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通風孔が見えます。
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通風孔があるということは、地下に部屋があるはずなのですが見つけられません。やはりどこか塞がれてしまっているのでしょうか。
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本来の入口付近まで来ました。
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非常に、どっしりとした石の構造物です。
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再び登って、入口を上から。
というわけで元洲堡塁砲台を後にします。 -
東京湾の守りを担当した元洲堡塁砲台ですが、軍備の近代化に伴い1915年に廃止されます。しかしその後も「富津射場」となり、軍の施設として使われ続けました。
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富津射場の目的は、兵器の性能試験です。
そこで監的塀と呼ばれる観測用の防弾壁が築かれました。 -
これがその監的塀。
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この両側の壁の奥から大砲を撃って、そのようすを壁の中から観測する、ということで良いのかな?
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その弾丸を受け止める場所が「射入窖」でした。
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射入窖入口。
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比較的に上部の壁の損傷が激しいですが、おそらく中に土砂か何かを詰めて使っていたのでしょう。
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監的所、つまりトーチカのことです。
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ありました。
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中に入るんかい(笑)
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コンクリの窓枠がついていますが、右側の方は剥がれてしまっています。
それから上部にコの字型の窪みが二つづつありますが、おそらく蓋か何かがついていたのでしょう。 -
監的所からの見た目。
今でこそジャングルのトーチカ感がありますが、本来射場として使われていた頃はきれいに遠くまで見渡せたはずです。
そこへ戦後植えられた松が成長し、一面の松林になってしまいました。 -
入口にも窪みがあり、おそらくドアがあったのでしょう。
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富津海浜の森
地元民にとっては森林浴ができる身近な場所になっているようです。 -
マツ林のキノコ
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もしも、もしですがトーチカ巡りのようなことをされる方がいるなら・・・
夏よりも、冬の方がお勧め。
モスキートとか、ウェブとかありますので・・・。 -
さあ、次の監的所は・・・
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さすがにここまで来る人は少ないと見えて、
少々生い茂った草を分け入った先にあります。 -
お椀の部分を後から乗っけたような形をしています。
この形状から、地元民には「ボーズ」と呼ばれていたそうです。 -
かつてこの富津射場には青堀駅からの引込線があり、日本唯一の列車砲である90式24センチ列車カノンや、日本陸軍最大の火砲である試製41センチ榴弾砲が設置されていました。
そして太平洋戦争が始まると、両砲はこの富津岬から黒竜江省の満ソ国境にあった虎頭要塞へと送られました。
1945年8月9日にソ連が満州へ侵攻したとき、24センチ列車カノンは移動のため分解されていましたが、41センチ砲はその長射程を生かしてシベリア鉄道の鉄橋を破壊。その後も砲身が損耗するまで砲撃を続けたと言われています。 -
さて案内板にある(6)のトーチカ。
どうやらここを分け入った先の浜辺にあるようなのですが、道がいくら何でもアレなので途中で撤退しました・・・たぶん真冬になったらまた来ます。 -
スパイス王国
イオンのフードコートで、チキンビリヤニとチャイをいただきました。スパイス王国 mini イオンモール富津店 グルメ・レストラン
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道の駅 とみうら
改めまして、ここから東京湾要塞巡りの第二部・・・
本日は、千葉県南房総市富浦町に来ております。道の駅 とみうら 道の駅
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ふるさと市場
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そろそろ終わりの足音が聞こえます
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房州びわ
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房州きよっぱち
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鯵太郎丼にしました。
横から曇り空の白い光が当たると、こんな風に撮れてしまう・・・。
実際は、もっと美味しそうに見えます。 -
大房岬のインフォメーションセンターに来ました。
大房岬自然公園 公園・植物園
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歩きます。
大房岬展望塔 自然・景勝地
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ここは・・・バイオ5の始祖ウイルスの間ではありません。
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にゃんのお昼寝処でした。
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大房岬の要塞化は1928年からと、富津岬と比べてだいぶ後です。
ワシントン軍縮条約の結果、廃艦が決定した巡洋戦艦「鞍馬」の20センチ連装砲塔がここに配置されました。 -
弾薬庫跡ですが、立ち入りが制限されています。
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その、直ぐ側にある展望台。
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これが館山航空基地方面?
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森の展望台感。
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残る要塞跡地は・・・案内があるので大して迷いません。
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南房総市指定文化財
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何れも立ち入り制限されています。
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誰かが先に来て調査中のようだったので、入るのは遠慮しました。
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モーリー池?
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ざっくりいえば、岬のある地層が水を含みやすく、ここが侵食されているために湧水の出る泉になっているそうな。
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なかなか美しく、絵になる泉。
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要塞跡地発電所施設
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砲塔を動かすには電気が必要、あと弾薬庫、探照灯、観測所などを合わせたのがこの大房岬要塞の全貌ということでしょうか。
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ここもコンクリで塞がれてしまったと。
なんかこう、塞がれるの多いな・・・あと森に帰すのに任せるという・・・。 -
あと自然学習なのか?子供達とよくすれ違います。
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下がってきたので、今度は駐車場まで登る・・・。
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走って汗を乾かし、赤山地下壕・・・の近くの市営プールへ。
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地下壕へは、プールの脇を通っていくらしい。
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奥の事務所で入場料を支払い、ヘルメットと懐中電灯を借ります。
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館山市のおもな戦争遺跡
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近くにあった館山海軍航空隊基地の地下壕として使われていたようです。
そしてこの地図を見ると、公開されているのは全長1.6kmに及ぶ壕全体のごくごく一部のようです。 -
金網の前に立った途端、しんと静まり返るような冷気が身を包みます。
館山海軍航空隊赤山地下壕跡 名所・史跡
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中に入ると、外とは一変した空気に包まれます。
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自力発電所跡
壁がコンクリートで補強されており、床面に鉄筋が残るなどしています。 -
ここは変電所電気員の待機所で、窪んだ部分に二段ベッドがあったそうです。
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所々狭くなってます。
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トワイライト・シンドロームっていうゲームを、思い出してしまった・・・(汗)
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手掘りの跡が残されています。
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ここは電話番が腰掛けるための待機所だった。
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壕の中に、地層がはっきりと残っています。
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応急治療所跡
金属の二段ベッドがあり、軽傷の患者が治療を受けた。重傷者は地上の海軍横須賀病院へ送られた。 -
ものすごい地層の跡。
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戦後、温度が一定であることなどからキノコ栽培にも使われた。
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ここがもう一つの出口ですが、緊急時にしか通れないことになっています。
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出口付近には重い扉がついていた跡が残っています。
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ガンルームと呼ばれ、士官クラスの部屋だった。
四角い窪みは御真影を安置した奉安殿で、空襲時に地上の航空隊からここへ御真影が移された。 -
入口に戻ってきました・・・見応え満点でした。ここはオススメ。
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沖ノ島護岸
近くの海自館山基地ですが、そのフェンスの外周道路は普通に通れるようになっています。 -
その護岸から、館山湾が見渡せます。
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その奥に沖ノ島があります。
沖ノ島海水浴場 ビーチ
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南房総国定公園 沖ノ島公園
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愛の砂浜
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波状岩が見られます。
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島に上陸しました・・・。
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あっという間に反対方向の岸に出ました。
しかし、目的地はここではありません。 -
来た道を少し戻り、本当にここ?と思う脇道を奥へ分け入ると・・・。
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隠しコマンドが成功して、横穴を見つけました。
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ここもまた、地層が見られます。
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ここが沖ノ島狙撃陣地跡、ですね。
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ここから、基地沿岸が見渡せます。
実際、進駐軍が真っ先にこの近くの基地付近に上陸しております。 -
まるでFPSの気分濃厚。
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最も奥から見た景色。先に謎の鉄棒が立っていました。
これで一旦、戦争遺跡巡りを終えます。
改めて、戦争と平和を考えるよい機会になりました。 -
沖ノ島宇賀大明神社
島の入口は、関東大震災による隆起で浅瀬になったと書かれております。 -
渚の駅 たてやま
折角館山まで来たので、海を見てから帰ることにします。渚の駅 たてやま 名所・史跡
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焼玉エンジン
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昭和37年に進水した貨物船のエンジンです。
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先程いた沖ノ島です。
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館山夕日桟橋
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テトラポッド
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ブルーフレイム
館山夕日桟橋 名所・史跡
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館山城
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穏やかな海、傾く陽。
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放魚祭記念碑
北条海水浴場 ビーチ
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北条海岸へ。
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イチオシ
北条桟橋
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夕日の時間まで待っていると遅くなるので帰りましょう。
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おまけ
帰り道。何時もと違うナビアプリを使って、曲がる所を間違えて、交通量が少ないからとそのまま進み続けた結果・・・。 -
なかなか、壮観。ここは今日見た中で一番すごいかも。
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ソロモンが、焼かれている!?
・・・寄り道はほどほどに(笑)
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