
2021/11/29 - 2021/12/01
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しにあの旅人さん
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太宰府は万葉歌碑がいっぱいです。
特に人気が大伴旅人。梅花の宴や松浦河逍遙記など、派手で絵になる歌が多い。「酒を讃むるの歌」などしんみりした歌もあります。
元号「令和」の出所が、梅花の宴の序ですから、ますます人気上昇中。
太宰府で、旅人さんゆかりの地を歩いてきました。
参考資料は「旅人@九州太宰府1」に書いておきました。引用では、僭越ながら敬称を省かせていただきます。
投稿:22/6/20
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
鹿児島本線香椎宮前駅の東に隣接して、木立に覆われた岡があります。香椎宮頓宮です。香椎宮の祭礼の時、神輿が立ち寄る仮宮だそうです。
ここに「香椎潟万葉歌碑」があります。建立は1889年(明治21年)
万葉仮名で3首の歌が刻まれております。香椎宮 寺・神社・教会
-
万葉集には(神亀5年/728年)冬11月、太宰府の官人が香椎宮を参拝した帰り、馬を香椎の浦にとめて詠んだ歌、という内容の詞書きがあります。
以下の歌の現代語訳は中西。
師大伴卿の歌一首(旅人)
★いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ★ 6-957
△さあみんな、香椎の干潟に白妙の袖まで濡らして朝の菜を摘もうではないか△ (中西によれば、「こども」とは太宰府の官人)
大弐小野老朝臣の歌一首(おのの・おゆ)
★時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈てな★ 6-958
△満潮どきの風が吹きそうになっている。香椎潟の潮干の浦に玉藻を早く刈りたいことよ△
豊前守宇努首男人(うぬの・おびと・おひと)の歌一首
★往き還り常にわが見し香椎潟明日ゆ後には見む縁も無し★ 6-959
△行きにも帰りにも、いつも見て来た香椎潟を、明日から後には見るすべもないことだ△ -
おもしろいメンバーがいます。
旅人さんは太宰府の長官ですから、当然。小野老さんは次官で、親友。その後梅花の宴にも呼ばれています。
豊前守の宇努首男人(うぬの・おびと・おひと)という人は何だろう。
△行きにも帰りにも、いつも見て来た香椎潟を、明日から後には見るすべもないことだ△
中西によれば、「行きにも帰りにも」というのは豊前の国府か太宰府への往復だそうです。「明日から後には見るすべもないことだ」つまり、国司を退官して平城京に帰るということでしょう。
この人、見覚えがあります。
養老4年(720年)の隼人戦争、続日本紀では隼人の乱のときに、旅人さんは征隼人時節大将軍として大隅に行っております。朝廷軍の総司令官。
宇佐神宮の中世の文献「八幡宇佐宮御託宣集」や「宮寺縁事抄」によると、そのとき宇佐神宮も軍勢を送っているのですが、神宮の将軍が宇努首男人でした。
しかし8年後の香椎の干潟で、旅人さんが男人さんと、のどかに馬を並べて歌を詠んでいるので、ホントかなと思います。
旅人さんはこの戦争にはつらい思い出があるので、宇佐神宮の関係者なんかと歌を読む気にはならなかったんじゃないかな。
そもそも国司の任期は6年ですから、720年では男人は赴任前のはず。
養老4年(720年)に宇努首男人が豊前国司として参戦したというのは、宮寺縁事抄の間違いまたは捏造でしょう。多分、捏造。
理由は、豊前国司宇努首男人が万葉集で有名だったので、13世紀の宮寺縁事抄の編纂者が名前を借りた。何かというと有名人を関係者にしたがるのは、古今を問いません。
詳しくは恐縮ですが、
「六国史の旅 旅人@九州2 隼人、験(しるし)なきこと・上」
https://4travel.jp/travelogue/11744859
をご覧になってください。 -
3首の歌では、香椎の干潟がすぐ近くとなっております。
えっ!という感じ。現在では家、ビルと工場です。海は4kmくらい先です。
この時代、現代の頓宮の麓、鹿児島本線の線路あたりが海岸線だったのです。歌碑の案内板によれば、
★昭和初期までは、この丘のふもとまで波が打ち寄せ、丘上からは、まだ潮干狩りのできる遠浅の磯浜を見渡すことができた。★
詞書きでは「馬を香椎の浦に駐(た)てて・・・」とありますから、文字通り波打ち際で歌を詠んだわけです。
旅人さんたちは、博多湾に浮かぶ志賀島まで見渡せたことになります。 -
国立九州博物館にあった古代の福岡の海岸線です。
現在の香椎宮頓宮、住吉神社、鴻臚館跡が海岸線でした。
歌を詠んだ後、かつてのパリ・ダカールのラスト、ヴィクトリーランみたいに、旅人さんたちは広い砂浜を鴻臚館まで馬で駆けた。だったらおもしろい。まったく万葉集的ではありませんが。
一書に曰く、
博多湾の景色も随分変わったのです。
私の祖父母は、百道の浜の近くに住んでおりました。前が元寇防塁です。
まだ祖父も祖母も元気だったころのこと。
お盆だったと思うのだけれど、夏の夜、祖母と、もう一人のどこかのお婆さんと海に浸かりに行ったことがあります。
何でも、その日に海に浸かると、風邪を引かない。無病息災だとか。
真っ暗な海に、三人で肌着のまま、入っていきました。
お婆さん二人は、波打ち際で、まるで温泉に浸かるみたいに、手ぬぐいで首や顔を濡らして、今にも「あー。いい湯だ。」とか言いそうでした。
幼い私は、波に体が揺られて、ふんばると、足下の砂が崩れて不安定で、真っ暗闇の気味悪い水の生ぬるさとで、生きた心地がしませんでした。
これは女の人だけの風習だとかで、兄は来ませんでした。
それが、今から70年近く前です。
私が、喘息もちだったので、そんなことをしたのでしょうか。
今はシーサイドももちだそうです。
オシャレなビーチで、ばあさんが無病息災のために浸かる海ではなくなっています。
案外、旅人さんたちが、歌を詠んでいたとき、お付きの女官達は、海に浸かっていたのかもしれませんね。
By妻九州国立博物館 美術館・博物館
-
旅人さんは天平2年(730年)11月に帰京しました。その後親友満誓との歌の往復があります。帰京直後みたいです。
満誓より旅人へ2首。
★まそ鏡見飽(あ)かぬ君に後(おく)れてや朝夕(あしたゆうへ)にさびつつ居(お)らむ★ 4-572
△真澄の鏡のように見飽きぬ君から後にのこされて、朝となく夕べとなく私は寂しく暮らすことでしょうか△
★ぬばたまの黒髪変はり白髪(しらけ)ても痛き恋には逢ふ時ありけり★ 573
△ぬばたまのような黒髪が白く代わっても、こんなにひどい恋の苦しさには逢うものだったのですね△
これ、知らなかったら、男女の恋の歌です。
え!ふたりはそういう関係?
ではありません。中西によれば、男女の恋にみたてての表現だそうです。
やめてほしいな、こういうまぎらわしい表現は。でもまあ、満誓さんはイキに、男女の間だったらこんな感じですよ、と言っているわけです。
旅人から満誓への返歌2首。
★ここにありて筑紫(つくし)や何処(いづち)白雲のたなびく山の方(かた)にしあるらし★ 574
△ここ都にいて筑紫はどちらの方向になるのだろう。白雲のたなびく山の彼方にあるらしい△
★草香江(くさかえ)の入江に求食(あさる)蘆鶴(あしたづ)のあなたづたづし友無しにして★ 575
△草香江の入江に餌をあさる葦べの鶴のように、ああ心もとないことよ。友は遠くにして△
旅人さんとしては、「たづたづし(たどたどしい)」を導く「蘆鶴の」を出したいわけで、それにはどうしても干潟つまり入り江がほしいわけです。
満誓さんの恋歌には一瞬どきっとしましたが、旅人さんの返歌だと言葉遊び、要するに2人で遊んでいるんですね。
チャラい感じで遊んだ後で「友無しにして」は、しんみりきます。実にうまい。
英語の“I miss you”がぴったり。
最後の2首、だれか曲をつけてくれませんかね。ジョルジュ・ブラッサンスみたいな呟く旋律で、歌うのは昔のイブ・モンタンかジュリエット・グレコばりの上下黒一色の衣装、というのはいかが。
となると最後はフランス語で”Tu me manques”を3度リフレイン。
一書に曰く、
Tu me manquesのマンクという単語は、日本にはない表現だと思うのです。
manquerは欠けるという意味です。
あなたが、わたしから欠ける。あるべきはずのモノがなくなる。
だから寂しいってことになるのですが、日本語の寂しいは、もっと軽いように思えます。秋は寂しいとかいいますよね。
あ、もちろん、フランス人だって、軽く使っておりますよ。
それで、この歌の場合は、もう、まったく「欠けてしまう」という気持ちですわね。
たづたづし 友無しにして
胸を抉られるような哀しみです。
こういうことを言うから、旅人さんって、ファンが多いんだわ。
女も男もほれますわ。 -
蛇足ですが、私の先輩で、
「オレは、あいつのためなら死ねる。」と言った人がいました。
あいつというのは、彼の男友達。
婚約者がいることを知っていた私が、彼女のためには?ときくと。
「女に命は懸けない。」だって。
若かったのね。
若さ故の感情でしょうか。
結婚した後に、同じ質問したかったわ。
フン!
By妻 -
この「草香江」ですが、中西によると現在の東大阪市日下町です。この時代このあたりは難波、広大な入江だったそうです。九州に向かう船はここを出て瀬戸内海を西に向かいました。
これを、当時の鴻臚館の西の草香江にしたら、どうでしょうかね。 -
再び九博の古代福岡海岸線です。
鴻臚館つまり後世の福岡城あたりは古くは長丘とよばれました。長丘を境にして、古代では東側を那の大津、西を草香江と呼んでいました。 -
「草香江」は現代の地名に残っています。福岡市の大濠公園の大濠池の南が草香江地区です。
-
「草香江公園」の番地は福岡市中央区草香江丁目-1です。
このあたりが古代草香江の海岸線だったのです。
詳しくはこちらをご覧下さい。
「六国史の旅 大津皇子フィールドノート5 出生地:福岡市中央区城内1」
https://4travel.jp/travelogue/11736771 -
福岡城址天守台跡から見た大濠池です。古代、海は干潟で、鴻臚館跡や福岡城址がある台地の足下まで迫っておりました。
鴻臚館跡は当時海抜9mだったそうです。
一面の草香江の干潟が見渡せました。
★草香江(くさかえ)の入江に求食(あさる)蘆鶴(あしたづ)のあなたづたづし友無しにして★ 575
△草香江の入江に餌をあさる葦べの鶴のように、ああ心もとないことよ。友は遠くにして△
こういう情景が見えたことになります。
鴻臚館は太宰府の管轄下で、2人で見に来た可能性は強い。目の前には博多湾と能古島、志賀島、その向こうには玄界灘が広がる雄大な景色でした。鮮明な記憶だったはずです。
一方難波の草香江を2人で並んでみた可能性はほぼありません。また満誓さんが草香江を出航したのは7年前のことです。覚えているかな。
旅人さんは、満誓さんとの共通な、鮮明な記憶である福岡の草香江で鶴を見た、と解釈した方がいいのではないか。
「満誓は、歌で遊んだりして、おもしろいヤツだった。イキだったね。憶良はすごい人物だが、ちょっと生真面目すぎて、冗談が通じなかったりする。いづれにしてもいい友達だった。筑紫がなつかしいなあ~~~」
佐保のお屋敷で、旅人さんひとり酒を飲みながら、寂しがった。じゃないかと。舞鶴公園 (福岡城跡) 名所・史跡
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私たちの今回の太宰府旅行では、二日市のパープルホテル二日市をベースキャンプにしました。5泊でしたから広めの部屋がいい。足は車なので太宰府市内である必要はない。駐車場は必須。となると、このホテルがちょうどよかった。
なによりお値段がちょうどよかった。
「着いたら、まず旅人さんの歌碑を探そうね」と言いながらやって来たのであります。
旅人さんは神亀5年(728年)太宰府に赴任しております。月日は分かりません。妻の大伴郎女も一緒でした。年齢は同じくらい、60代初めだそうです。長年苦楽を共にした愛妻でした。
憶良さんが、妻を亡くした旅人さんを悼んだ日本挽歌の一節に、大伴郎女が死んだのは、
△(旅人と太宰府に着いて)息もまだ休める暇なく、年月もまだたっていないので・・・△
とあるので、着任直後と思われます。
神亀5年(728年)6月23日の日付のある歌です。この日以前に大伴郎女は死んでおります。
★世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり★ 5-793
△この世が空(くう)だとはじめて思い知ったときこそ、いよいよ、ますます悲しかったことだ△
その後、傷心の旅人さんは、吹田の湯で亡妻を思い出しております。
刈田に鶴の来るころ、神亀5年の冬ではないでしょうか。
★湯ノ原に鳴く葦鶴(あしたづ)はわがごとく妹(いも)に恋ふれや時わかず鳴く★ 6-961
△次田(すいた)の湯の原に鳴く鶴は、私のように妻を恋うからか、間断なく鳴くことだ△
吹田の湯とは、現在の二日市温泉です。
ホテルに荷物を置いて、二日市の町を探検。ということでホテルを出たら、びっくり。パープルホテル二日市 宿・ホテル
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駐車場隣に歌碑らしきものが。
-
目指す旅人さんの歌の歌碑ではないですか!
「知らなかったの?」By妻
知らないよ。ホテル選びは、安い、部屋が広い、駐車場、以外見ていない。
というわけで、太宰府旅は幸先よく始まったのであります。
これも旅人さんのお引き合わせでしょう。
一書に曰く、
二日市は、今回初めて知ったのですが、福岡の繁華街天神に近く、また大宰府にも近いという、すばらしい立地条件の湯の町でした。
ホテルの名前がパープルって、変なの。と思いました。
なんか変に色っぽいじゃないですか。
温泉だから、もちろん花街もあるだろうし。
それに、第二次大戦後、大陸からの引揚げ者の女性たちが、あれこれ身の始末をした二日市保養所があったということは、本を読んで知っておりましたからね。
ロシア人は、時代が変わろうと、相手が変わろうと同じ下劣な行為をしております。それが戦争なのでしょうけれど。
と、想像して行きましたら、過去は過去として、今は寂しいほどの町。
朝早くには、元気いっぱいの小学生が集団登校する、全く健全な普通の住宅街になっておりました。
きっと、福岡市に勤める人のベッドタウンなのでしょう。
そしたら、パープルって、二日市の一つ隣の駅は、紫だって。
なあんだ。
なんで、駅名が紫なのかは、もう、考えない。
ホテルに着いたときから、歌碑には気づいておりました。by夫は、見てもいません。
そういう人なのです。ただただ一直線。
一方私は、赤ん坊の時にキョロちゃんと呼ばれていたそうですから。
今だってキョロキョロ、なんだって見ております。
教えようかな。とは思いましたがね。
簡単に教えると、最初から知っていたなんて言いますからね。
私だって、少しは威張らせてもらわないと。
By妻
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この旅行記へのコメント (5)
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- 前日光さん 2022/06/25 00:08:45
- 二日市でもやらかした猪突猛進ぶり(・∀・)
- 今の時代でも、少し行かないでいると、地形の変化にあれぇ~?ってことがありますよね。
まして1300年も経っていれば、それは当然考えなくちゃならないことでしょう。
こんばんは、しにあさん&by妻さん
二日市という町は、私にはあまりお馴染みではないところです。
でもお二方の旅の宿としては、最適の場所に位置していたようですね。
駐車場近くには旅人の歌碑もあったようですし。
満誓の歌には、確かにドキッとしますね!
知らないで見たら、絶対に恋の歌ですよ。
まぁ、中西先生の説に従うことにしますが。
でも一縷の疑問は残りますね(^^;)
しにあさんの解釈「満誓は、歌で遊んだりして、おもしろいヤツだった。イキだったね。憶良はすごい人物だが、ちょっと生真面目すぎて、冗談が通じなかったりする。いづれにしてもいい友達だった。」というのには頷けますが。
私は勝手に、旅人こそ「空し」という語を初めて使用したのではないかと思っております。
旅人以前に「空し」という語を用いた人はいるのでしょうか?
横着して調べておりませんが、何にしても旅人の「世の中は空しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり」と言う歌は、傑作だと思っています。
「無駄である、無益だ」という意味での使用は、「竹取物語」などにも出て来ますが、「はかない、無常である、頼りない」という意味の旅人のこの歌は、近代的な意識にも通じるのではないかと。そしてその意識こそが、息子の家持に「いぶせし」と言わしめたものの正体ではないのかと。
旅人・家持父子は、やはり私にとって万葉集を考える上での大きな指標と言えます。
さてここでも、しにあさんの猪突猛進ぶりが発揮されたようですね!
歌碑が目に入らず、何にそんなに心奪われていたのでしょうか?
by妻さんの駆け引き?が面白い旅行記でした(・∀・)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/06/25 05:52:09
- Re: 二日市でもやらかした猪突猛進ぶり(・∀・)
- おはようございます。
旅人さんの「空しい」は同感です。
この歌は、近代的というより現代的で、今朝の新聞の歌壇に投稿されてもおかしくない。
長年連れ添った妻を失った年寄りの気持ちです。歳とって配偶者に死なれた男の余命平均は半年だと、どこかで読みました。
そういうポッカリと体に穴の空いた状態なのです。
人間の感情は1300年前も今も、結局は変わらないという見本です。
万葉集というのは、つくづくすごいと思いました。
家持は、旅人あっての家持だと、全く同感です。
道造、中也などでは、仮に結婚して妻が死んでも、こういう歌はできないでしょうね。
啄木などもってのほか。
女は、年取った夫が死んでもダメージは少ないらしい。田辺聖子は「カモカのおっちゃん」が亡くなった時の心境を「野獣が野に放たれた」と言いました。
「え!?」
我が家では、葬式など事務仕事が苦手なBy妻のために、私が生き残ることなっていますが。散歩中に隕石が落ちてくるとかで、同時というのはないものか。息子が大変かもしれないけれど、知ったこっちゃない。
旅人さんがこのポッカリ状態の時に現れたのが、児島郎女という前提で、次の次をやります。
憶良さんにちょっといい役を割り振っています。乞うご期待。
-
- kummingさん 2022/06/21 17:01:41
- きょろちゃんの手のひらで⁈
- 鴻臚館址、草香江、二日市温泉、行こうと思えばいつでも行ける、ジモティエンヌ、でございます。二日市温泉なんて、福岡市に遊びに行く途中で通るだけ、と思っていました。
無病息災の為に浸かる海→シーサイドももち、隔世の感ですねぇ。私も幼少期2人の祖母と同居していた、『おばあちゃんの知恵』で育まれた世代です。具体的には思い出せませんが、色々耳元で囁かれて育った気がします。
えっ、2人はそ~いう関係だった、ってど~ゆ~?西欧も古代はそ~ゆ~のにおおらかだったのか、支配階級、皇帝の若者嗜好は公然の秘密?秘密ですらなっかったかも。
- kummingさん からの返信 2022/06/21 17:23:54
- 続きます_(._.)_
- 間違えて送信したので、続きです。
ギリシアローマ時代は男性美がもてはやされたからでしょうかねえ。日本も古代の性の方が大らかだったのでしょうか。
確かに紛らわしいけど、表現の遊びなのですね。お互いに I miss you♪と歌っていると。
Tu me manques あるべきものがなくなる 深い趣きある表現ですね。I miss
you と同じ場面で使えるとしても、こちらの方ずっと深い意味を感じます。
昔々、おフランス映画ギャングものにハマっていたのですが(ませた中学生)、男同士の友情、仁義、的な価値が上位で女性の扱いなんてすみっコぐらし的位置付けでした。ギャング=ヤクザな世界だから任侠、男の絆、がテーマだったのかも。まだまだ男性優位社会だったってだけの話。
話が逸れてしまいました。目的に向かって一直線なby夫を、時に傍らで暖かくみまもり、時に遠目にクールに眺めるby妻さん、の手のひらで遊ぶ⁈ の構図が脳裏に浮かんでいます。←ごめんなさい
誤送信してしまったので、書き直しなし、で失礼いたします。
- しにあの旅人さん からの返信 2022/06/21 19:48:51
- Re: きょろちゃんの手のひらで⁈
- この回は、使える写真も少ないし、軽~く流す予定だったのですが、なんとなく気合が入ってしまいました。By妻がリキが入って、こっちも手のひらの上でコロコロと。
By妻は、福岡のことを博多と言います。博多と福岡が合併した時、博多派の議員をトイレに閉じ込めて、福岡派の議員だけで市名を福岡にしたという伝説がありますね。
今まで何回博多つまり福岡に行ったか、覚えていません。東京以外で、なんとなく地理が朧げに分かる唯一の都市です。一番詳しいのはパリ、というのがちょっと悲しい。東京よりローマの方が見当つくかも知れない。
房総半島ならまかせてください。寂し~い。
ませた中学生です。孝謙天皇と道鏡、おフランス映画のギャングとくれば、よくもまあ、今まで無事に育ったものです。
4トラのブログに、ヨーロッパに特攻した方々のブログが出てきました。
拝見すると、それほど私が恐れていた人心の荒廃はないみたい。でもまだ私は動きません。
動かざること庭石の如し。動かすことは簡単。
北関東も始めちゃったし、しばらくは様子見です。
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