2021/12/02 - 2021/12/02
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しにあの旅人さん
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万葉集に、松浦河逍遙歌といわれる歌物語があります。
「余暫松浦の県に往きて逍遙し・・・」で始まる華麗な漢文の序と、11首の歌です。
旅人さんのコーディネート。企画演出主演大伴旅人です。
松浦河は現在の佐賀県唐津市の玉島川。
写真は玉島神社から玉島川つまり松浦河上流を見ております。旅人さんもこのような景色を見たのではないでしょうか。
下流の万葉の里公園から玉島神社、万葉垂綸石公園まで回ってきました。
題して松浦河ならぬ玉島川逍遙記。旅人の気分を味わいます。ちょっぴり憶良も。
参考資料は「旅人@九州太宰府1」に書いておきました。引用では、僭越ながら敬称を省かせていただきます。
投稿日:2022/07/01
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
万葉の里公園にやって来ました。
万葉の里公園、短い間なら車をとめられます。 by しにあの旅人さん万葉の里公園 公園・植物園
-
万葉歌碑が6基ありました。
今回感心したのは、九州には万葉歌碑が多いこと。場所によっては奈良飛鳥より多いのではないか。
そのなかでも人気は旅人さんのようです。 -
このような東屋がある小さな公園でした。
-
さっそく旅人の歌碑です。
-
5-861ですね。
★松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎かつるらむ★ -
現代語訳つきです。
これは、万葉集で作者が「帥の老(そちのおきな)」となっているので旅人作。 -
★松浦川七瀬の淀はあよどむともわれはよどまず君をしまたむ★ 5-860
-
現代語訳は一部木の葉に隠れております。中西の現代語訳だと、
★松浦川の 瀬々の淀みに、どんなに水がよどもうとも、私はためらわずあなたをお待ちいたしましょう★
漢文序は「松浦河」歌だと「松浦川」どっちでもよかったようです。
石碑は「大伴旅人」となっていますが、中西によると旅人に同行した太宰府の官人の歌だそうです。いずれにしても旅人さんコーディネートの歌物語なので、どちらでもいいかも。 -
玉島川に沿う玉島神社。
階段右の駐車場を見落として、400m程先のコンビニに駐車して、歩いてやって来ました。玉島神社、気分は大伴旅人。駐車場あり。 by しにあの旅人さん玉島神社 寺・神社・教会
-
一書に曰く、
鳥居は歩道に直接面しています。県道ができる前は、もっと川に近かったでしょう。
流れが、ここに来てゆったりと広がったという感じの玉島川に沿って、道路です。
その道路に境内をとられたのか、急階段でお宮です。
こういうの見ると、神社というのは、公共の持ち物なのですね。
ですから、小学校が隣接している場合が多い。公共の土地だから、公共のモノを建設したのでしょう。
でも、だからって、こうまでぶっちぎらなくてもと思う例もあります。
ここ玉島神社は、ちょっとだけそういう感じかな。
川まで境内なら、立派だったでしょうに。
お宮は、せせこましかったので、それより川です。
お宮の道路を挟んで川側に、小ぶりな公園があります。
見える景色は、川の流れとビニールハウス。
ビニールハウスは整然と並んでいて、その整然さが、もはや美しい。
そして、川の流れの清らかさ!
鮎の川だもの。
鮎って、ご飯粒で釣れるのですかね。
それくらいゴチャゴチャいたのでしょうか。
今日は、水量は多くなく、岩を滑るように、澄み切った水がほとばしっておりました。
流れに足を浸したり、川沿いを散歩したり、近隣の人達は、なさるのでしょうね。
旅人さんたちも、良いハイキングだったことでしょう。
あ、神功皇后もね。
By妻 -
苦手な階段だ。このくらいならなんとかなる。
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左右に変な獅子さんがいました。
-
左の「阿」
立ち上がっています。 -
右の「吽」、だと思う。お口がよく見えません。
-
逆立ちしております。角兵衛獅子ですか。
逆立ち獅子は金沢に多いそうです。越後はもうちょっと北ではないかな。 -
玉島神社の現在の本殿建立は1736年(享保21年)だそうです。
由緒によれば創建は宣化天皇の時代、536年~539年。別録によれば、欽明天皇24年、564年となります。
松浦は、魏志倭人伝に出て来る末盧(まつろ)国ですからね、古代から開けていたはず。ヤマトよりさらに古く、3世紀にはこのあたりにクニがあったのは確実なのです。
玉島神社の前身となる何かが創建されていてもおかしくない。
旅人さんの時代、730年ごろにもなにかあったんじゃないか。
古代史ファンには興味ワクワクです。 -
ご祭神は神宮皇后。
神社由緒では、
★祭神は人皇拾四代仲哀天皇の御座にして功皇后聖母大明神子安神とも申し奉る。古記に依れば、皇后三韓御征伐の時松浦縣玉島の里に到りまして、小川の中の紫石に降りたち給ひ、天地地祗に外征の事を祈り、若し事成らば年魚之を飲めと金の素針を河中に投じ給ふに、忽ちかかれり。皇后希見物と宣ふ故に此の地を「めづら」と云ふ。即ち川岸の玉島山に皇后の宮を安置し奉る是當社鎮座の創なり★(句読点追加)
「川岸の玉島山」というのがぴったりです。現在の県道323ができる前は、玉島川から直接上がってくる丘だったのでしょう。
由緒は、日本書紀がベースになっています。
書紀神宮皇后夏9年4月3日、
★北方の肥前国松浦県(あがた)にいき、玉島里の小川のほとりで食事をされた。皇后は針を曲げて釣針をつくり、飯粒を餌にして、裳の糸をとって釣糸にし、河の中の石に登って、釣針を神意をうかがう占いをして、「私は西の方の財の国を求めています。もし事を成すことができるなら、河の魚よ釣針を食え」と言われた。竿をあげると鮎がかかった。皇后は「珍しい魚だ」といわれた。ときの人はそこを名づけて梅豆羅国(めずらのくに)という。今、松浦というのはなまったものである。それでその国の女の人は、4月の上旬になるたびに、針を垂れて年魚(あゆ)をとることが今も絶えない。ただし男は釣っても魚を獲ることができない。★
古事記神宮皇后紀にもほぼ同じ記事があります。
★また筑紫の松浦県の玉島里においでになって、そこの河のあたりでお食事をとられた時は、4月上旬であった。そこでその河の中へ突き出ている岩の上においでになり、御裳の糸を抜き取り、飯粒を餌として、その河の鮎をお釣りになった。その河の名は小河という。また突き出した岩の名は勝門比売(かちとひめ)という。これに因んで、四月の上旬の時に、女たちが裳の糸を抜き、飯粒を餌として、鮎を釣ることが今に至るまで絶えない。★
「河の中の石に登って」だと皇后がザブザブ河を渡って石の上によじ登る感じですが、古事記の「河の中へ突き出ている岩の上においでになり」だと静々と釣り場に歩まれている。
書紀の「小川」というのは古事記では「小河」という川の名です。
玉島川には玉島神社の少し上流で小さな川が合流してきます。これが小川です。古事記の記述は書紀より具体的です。 -
万葉垂綸石公園まえの川、小川です。
「松浦河逍遙歌」は旅人の吉田宜(よろし)あての書簡に添えられていました。吉田宜は平城京の旅人の親友、歌仲間。
吉田宜の旅人宛返書の冒頭に「伏して四月六日の賜書を奉る」とあるので、逍遙歌が4月上旬の出来事であると旅人さんは言っているわけです。
書紀だと神功皇后の鮎釣りは4月3日、フィクションではありますが、ちゃんと時期を合わせている。
4月上旬に松浦河で乙女が魚を釣るというのは、当時の風物詩になっていたのでしょう。
旅人さんは当然書紀を読んでいる。
「よしこれをテーマにしゃれた歌物語をつくってやろう」と思ったに違いない。
一書に曰く、
鮎を女の人が釣るというのは、これは神事だったということでしょうか。
男が釣っても釣れないということになっているのは、女性が巫女だったからでしょう。妹の力。
それが神事ではないようにされてしまったのは、この行事があまりにも明るすぎたから。
初夏の爽やかな自然は、あまりにも明るく、というか爽やかすぎて、
心を統一して神経を尖らす、命を削るような呪術とは、離れてしまったのではないでしょうか。
若鮎を、まるで若鮎のような乙女が釣る。
川の中というのだから、流れを渡るために裳裾をたくしあげもし、または釣り糸を抜くために裾を持ち上げている様子は、さぞや見応えがある健康な色っぽい、楽しい景色だったに違いありません。
若い女の子が、楽しいときに黙っているはずも無く、可愛らしい笑い声は、静かなせせらぎの音を消したことでしょう。
きれいな乙女が、川にいるのなら、川岸には、彼女たち目的の若者もいたに違いありません。
もう、恋仲のふたりは、川の中と岸とで合図しあったり。
片思い中の若者は、なんとかアッピールしたくて、それを、わざとしらん振りして釣りに夢中なふりの乙女。
ということを旅人たちは、イメージして歌ったのでしょう。
そういう若者たちに相応しい清らかな川でした。
そして、それを想像して楽しむ、余裕世代の旅人さんに相応しい優しい川でした。
By妻 -
全体の雰囲気はドローンで。離陸前のドローンの影が映っていますが、見えませんね。
https://youtu.be/0SNL_gilec8 -
玉島川下流方向。木がなければ唐津湾が見えるかも。
-
一書に曰く、
神社正面の玉島川。
玉島川は玉の字のせいか、結構艶っぽいというか、優しい感じの名前です。
女性がからみます。
神功皇后が鮎釣ったそうです。
玉島川は、昔の、松浦川です。
松浦姫という女性がいまして、大陸に帰国する夫を、岬の外れで袖を振って別れを惜しんだそうです。
袖を振るのは、振った袖の先から、魂が飛んで行くからで、
「現代人もハンカチを振るでしょう。あれと同じよ。」
と、中学の国語の先生が、おっしゃったのを覚えております。
しっかり記憶しているのは、感心したからでは無く、
「ハンカチなんか振らないよねえ。サザエさんじゃないっつーの。」と、絶讃反抗期中の女子中学生は思ったからでございます。
ほほほ。
By妻 -
上流方向。松浦渓ともいうそうです。
ちょうど神社のあたりは玉島川つまり松浦河が湾曲していて、下流の唐津湾と上流の松浦渓が両方とも見える位置です。
旅人さん一行がやってきて、歌を詠むには絶好です。 -
電線と対岸のビニールハウスはともかく、いまでも美しい景色です。
★漁(あさり)する海人の児どもと人はいへど見るに知らえぬ良人(うまひと)の子と★ 5-389
△川に釣りする漁師の子だとあなたはいうのですが、一見して知れてしまいます。賤しからぬ家柄の女性だと△
主人公つまり旅人さんがこう歌いかけると、今度はひとり二役、旅人さんが乙女になりきって、
★玉島のこの川上に家はあれど君を恥(やさ)しみ顕(あらはさ)ずありき★ 854
△玉島川の、この上流にすまいはありますけれども、恥ずかしいので、はっきり申し上げなかったのです。△
「玉島」は、中西訳だと玉島川ですが、玉島という地名でもいい。
松浦河(川)と玉島は違うみたい。
★松浦川玉島の浦に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)らを見らむ人の羨(とも)しさ★
△松浦川の玉島の浦に若鮎を釣る少女たちを見ているだろう人々が、なんと羨ましいことよ△
浦とは「湾曲部、河口近くではない」(中西)
現在玉島神社がある河の湾曲部が「玉浦」みたいです。
このあたりに、旅人と太宰府の官人がやってきて、まず物語のストーリーを決めます。それぞれ配役を決めて、おれがこういう歌を詠むからおまえが返歌つくれ、とかやったのではないか。
きっと、玉島山で車座になって、炙った釣りたての鮎を肴にいっぱいやりながら、楽し~く歌を作りあったのです。 -
私たちも楽し~く万葉垂綸石公園までやって来ました。
この石の上に立って、神功皇后が魚または鮎を釣ったということになっています。万葉垂綸石公園、駐車場問題なし。 by しにあの旅人さん万葉垂綸石公園 公園・植物園
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この石に本当に登ったのか、ということを議論するのは野暮というもの、かな?
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旅人さんの歌碑が2基ありました。そのうちのひとつ。
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★玉島のこの川上に家はあれど君を恥(やさ)しみ顕(あらはさ)ずありき★ 5-854
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こちらは山上憶良。
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★帯日売神(たらしひめ)の命の魚釣らすと御立(みた)たしせりし石を誰(たれ)見き★ 5-869
△帯日売神の命(神功皇后)が魚をお釣りになるとてお立ちになった石を誰が見たのでしょう△
中西によると「羨望の歌」だそうです。
折口の訳だと、
△神功皇后様という尊い御方が、魚をお釣りなさるとて、立って入らっしゃった、という石を見たのは、誰だろう。私ではなかったのだ。見たあなた方が羨ましいことだ△
旅人さんは、吉田宜(よろし)あてに松浦河逍遙歌をおくると同時に、憶良さんにも送ったようです。
憶良さんの旅人さんへの返事が万葉集にのっています。
これが不満たらたらで、松浦は太宰府の管轄で、筑前守である自分は行けない、とすねております。
んなことはない。梅花の宴には対馬国司や壱岐の国司が招かれております。手続きを踏めば行けるはず。ましてや太宰師旅人さんはまぶだちではないですか。この日、なにかのやむを得ない理由で行けなかった。それで悔しがっているだけです。
憶良さんの返事には3首の歌が添えられていました。その1首が「帯日売神(たらしひめ)の命の魚釣らすと御立(みた)たしせりし石を誰(たれ)見き」
憶良さん「見たあなた方が羨ましいことだ」と言っております。旅人さんとその取り巻きが、玉島でハッピーなハイキングをしたことが、羨ましくてしかたない。 -
あ~~~れ?
▲▼▲▼▲▼
ということは、730年ころの玉島には、この石があった。
この時代、神功皇后の魚釣りの話は常識で、乗っかった石も皆さん知っていたことになります。
神功皇后は斉明天皇の神話的表現だという説があります。神功皇后=三韓征伐、斉明天皇=百済救援軍の派遣で博多に来ている。
すると、この石に斉明天皇が乗って同じ事をした、という話もありえなくはない。戦勝祈願です。
ただ、古代のあの長いスカートでこの石に一人で上れるはずがない。70近いおばあさんです。たぶんでぶっちょ。
左右に中大兄皇子と大海人皇子。
斉明天皇「ちょっと、そこの二人、手を貸しなさい!」
中大兄皇子が手を引き、大海人皇子が後から押して、やっと石の上に乗っけた。
「母さん、何食ってこんなにデブったんだろう。つかみどころがなくてブヨブヨ。しょうがない、お尻でも押すか」
「こら、大海、どこ触ってんのよ、エッチ!」 -
斉明天皇が一時いた磐瀬(いわせ)宮(現在の高宮八幡宮)から46キロです。2日くらいで来られなくはない。
高宮八幡宮 寺・神社・教会
-
朝倉宮(朝倉橘広庭宮跡)からは山越え86キロ。ちょっと無理かな。
橘の広庭公園 公園・植物園
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この旅行記へのコメント (5)
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- 前日光さん 2022/07/04 23:48:44
- 垂綸石(^^;)
- こんばんは、しにあさん&by妻さん
狂気のような猛暑も、一時治まったようですね。
次は台風もやって来るようですが。。
玉島神社は道路を隔てて玉島川に沿っているのですね。
道路のすぐ側の階段が急で、これは、松江の多賀神社に似ています。
多賀神社は松江市朝酌町近くにありますが、やはり松江市内から流れてくる大橋川が途中で3つに分かれ、それがまた一つの川に集束する辺りにあります。
同じように道路に沿って鳥居が在り、急な階段が本殿に向かっています。
それにしても、玉島神社の獅子さんは、なんと言う格好をしているのでしょう!
私は、こんな自由な格好の獅子さんは初めて見ました。
九州の神社は、どこかユーモラスな感じがありますよね?
旅人さんは遊び心があるのに、憶良さんは相変わらずカタブツですねぇ(^^;)
もう少しゆったりのんびりしていれば、楽しい人生が送れたのに。
垂綸石での妄想には笑えました!
九州は神功皇后に纏わる碑や痕跡が多いですが、この垂綸石も神功皇后の痕跡ですか。
「神功皇后は斉明天皇の神話的表現だという説」があるのですね!
すると確かに、しにあさんの妄想も成立しますね(爆)
でも斉明さんを太った女性に見立て、息子二人が母斉明をこの石の上に乗せてあげる図というのは、考えただけでもコメディです!
だってあの酷薄なイメージの強い天智が、どんな顔をして母の手を取り手助けしたかと思うと、笑えますねぇ。
ここでお尻を押すのは、やっぱり天武の方でしょうね( ・∀・)
斉明天皇の役は、現在の松坂慶子さんでどうでしょう!
昔の彼女の美しさを知っている私としましては、昔の彼女に松浦佐用姫の役をやらせたいです。
あるいは「狭野弟上娘子」なんかもいいと思うのですが。
あくまでも、昔の彼女にですよ(~_~;)
話が逸れてしまい申し訳ございません<(_ _)>
猛暑故、なにとぞご容赦を(^^;)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/07/06 05:17:02
- Re: 垂綸石(^^;)
- 台風の雨を期待していたのですが、ヘタレ雨でした。
今年は雨が少なくて、菜園の野菜が硬くておいしくないのです。
房総では、道路工事で丘のテッペンに残った小さな神社をよく見かけます。稲妻のような階段でかろうじて下界とつながっています。玉島神社は、そういう状態はなんとか免れたみたい。
逆立ち獅子は変わっていました。大分にもいました。この後天武チルドレンのブログで写真を出しますね。
どういうわけか、金沢に多いそうです。見かけましたか。
憶良さんって、やっぱり堅物ですよね。そこが社会派万葉歌人のいいところ。
万葉集って、作者の個人的な性格が浮かび上がるように編集されている。家持って、どういう人なんだろう。歌を並べただけではなく、全体が彼の作品なのですね。
晩年、自分の歌がなくなるのは、万葉集の製作に全力を注いでいたのか、などと納得。
斉明天皇=現在の松坂慶子、賛成。近頃はしっかり肥えられたようです。
若い頃、「配達されない三通の手紙」や「蒲田行進曲」の彼女なら、佐用姫いいかも。でも歯を剥くのはやめた方がいい。
狭野弟上娘子、適役。こういう女に惚れられた男は怖いでしょうね。慶子さんピッタリ。頭にロウソク立てて、お百度参りが似合いそう。そういう映画あったかもしれない。
-
- kummingさん 2022/07/02 17:00:52
- 古代版ロールプレイイングゲーム♪
- 時代が下ると、途端について行けなくなります(;_;) さらに、万葉集は未踏の世界、なので苦し紛れのコメントになる覚悟で、臨みます。
宣化天皇、欽明天皇は、さっき涼みに行ってた図書館で読んでた本に載っていた!継体天皇亡き後の皇位継承は謎で、安閑、宣化、欽明天皇、がどういう順だったのか、なかったのか? 継体天皇って、雄略、武烈の跡血脈が絶えて、他所から迎えられた方ですね。古事記の時代になると、架空の話もおり混じってたりで、よくわかりません。神功皇后はよく出てくる、勇猛な方。
鮎って、お米で釣れるのですか? 筑後川は鮎がとれるのです。幼少時、早朝に釣れたての鮎を売りに来て、母がよく大人買いしていました。でかいのは父、その次はご近所にお配り、私ら子供たちもおこぼれにあずかっていました。子どもながら、香ばしくて美味しかった♪ この30年ほど、遠ざかっておりますが。
旅人さまは、文化的に時代の先を行くお方だったようで、現代のロールプレイゲームを先取りしておられたのですね♪ 先に脚本書いて役どころを振り分けて楽しむなんて、オサレ~
神功皇后=斉明天皇説、確かにイメージ的にはかぶります。古事記の読み方がどうもわからなくて、解説本でも頭に入って来ません。上田正昭著「私の日本古代史 下」を、貸し出し期間何度も延長して私物化していますが、進まない現状(笑)同時並行で、「ヴェネツィアミステリーガイド」「キリスト教の歴史」を読んだり、あと、最近ハマっているのはコミック版「チェザーレ 破壊の創造者」←コレ、他図書館から借りてくれるのですが、全13巻の内、今日9~11巻に到達しました♪
話が完全に逸れていますm(._.)m
世界遺産登録を目指す、「彦根城」VS「飛鳥・藤原の宮都」、ご存じですか?
私にとっては、別に世界遺産にならなくっても? ですが、現地として発掘調査費用とか、予算がたくさんついて欲しいでしょうね~
酷暑、早くも始まりました(;o;)炎天下の芝刈りには、ご用心くださいm(._.)m
- しにあの旅人さん からの返信 2022/07/03 15:28:07
- Re: 古代版ロールプレイイングゲーム♪
- 大きな鮎はお父さん、ってどっかで聞いたことがある。鯉のぼりの歌みたいとBy妻が言いました。
佐賀から二日市に上がってくる時、筑後川を見てきました。あそこで鮎がとれるのですね。
古代は太宰府の近くまで船で上って来れたとどっかで読みました。
「彦根城」VS「飛鳥・藤原の宮都」、知りませんでした。飛鳥・藤原京跡、まとめるわけですね。確かにほとんどつながっています。そのうち飛鳥から奈良まで奈良盆地全部が世界遺産になっちゃうかも。
世界遺産になると、どっと観光客が来て、地元の観光業はいいかもしれません。でもコロナ前みたいな感じが何倍にもなるのでしょうか。
ももであさんから聞いた話では、ベネティアはそれで困っているとか。本島内の不動産が値上がりして、ジモティのベネティア人が島内に住めなくなっているそうです。
大きなクルーズ船が港にやってきて、観光客がどっとくるのはいいのですが、島内を団体で駆け巡るだけ。夜は船で食べて、寝るのも船、ベネティアにお金は落ちない。
そういえば、私たちの時も、お隣2ヶ国の団体さんが多かった。
飛鳥・藤原がそうなるのは、勘弁してほしいなあ。
「チェザーレ 破壊の創造者」どこかで一部だけ読みました。ものすごく詳しくて、塩野七生をコミックにしたみたいと、思いました。
着々とヨーロッパ旅の準備をしているのですね。
古代旅で鍛えた方法論で、再開後の旅行記は重厚になる予感。
出遅れてはならじとやや焦ります。ここは動かざること文鎮の如し。以前は庭石でしたが、文鎮になった模様。
- しにあの旅人さん からの返信 2022/07/03 15:37:45
- 追伸
- 口コミまで読んでいただいて、ありがとうございます。
私の口コミは駐車場情報に特化しております。車で来ない方には意味ありませんが、案外と欠けている情報なのです。
少しは後続の4トラベラーのお役に立てればと思っています。
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