2021/11/30 - 2021/11/30
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しにあの旅人さん
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♪てけてんてんてん♪
出囃子のつもり、
By妻
お忙しいところ、また毎度のお運び、有り難うございます。
いつも屁でもない小理屈をこね回しております。またあれか、飽きられるといけません。今回は嗜好を変えまして、人情噺にいたしたいと思います。
題しまして「旅人児島水城の別れ」
投稿日:2022/07/09
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
正三位大伴旅人卿が太宰師として大宰府においでになったのは、神亀5年、西暦728年の事だそうです。時期は分かりませんが、春の初めのころでしょう。
お勤め先は大宰府、こんにちの大宰府政庁跡でございます。 -
お住まいはどこにあったか、はっきり分かっておりません。
大宰府展示館様が模型を作って下さいました。現在の坂本八幡宮、月山東地区、大宰府展示館があるあたりがお住まいだったのではないか、ということです。
まだほかにもあるようですが、お噺を進めるのに都合がいいので、この三つとさせていただきます。
実は欲張りまして、三つが全部旅人様のお屋敷と相成ります。
どーして?
それはその、このお噺のミソでございます。のちほど。
旅人さまは、奥さまと、ご子息の家持さま、書持さまをお連れになって大宰府に赴任なさいました。落ち着かれたのは大宰府展示館跡といたします。一番近いし、裏木戸をくぐればすぐお役所です。
「やばっ!」と思っても、パンを咥えて、上着に手を通しながら駆ければ遅刻しません。
奥さまは大伴郎女、お年は旅人さま64歳と同じくらいと言われております。61,2ということでしょうか。この当時平均年齢が30歳だそうで、60代となりますと、大変なお年寄りです。平城京からの長旅がきつかったのでありましょう、大宰府に着いて日ならずしてお亡くなりになりました。
お友達の憶良さまのお歌で、6月23日より前とは分かりますが、命日は存じ申し上げません。旧暦晩春から初夏でありましょう。 -
旅人さまは愛妻家でありました。大変嘆かれたようです。
でもいつまでも嘆いてばかりおられません。
困ってしまいました。
お内まわりのことは奥さまが仕切っておられました。お子の家持、書持さまの躾け、教育のこともあります。奥さまには残念ながらご自分のお子はおられません。お2人はご側室のお子でした。当時家持さま11歳、書持さまのお年は分かりませんが、二つ三つ下でありましょう。
難しい年頃です。母代わりがいる、と旅人さまはお思いになったはず。
そこで奈良、佐保の留守宅を護っていた妹の大伴坂上郎女さまを大宰府にお呼びになりました。
坂上郎女さま、大宰府に着いて、案内されたのは、現在の坂本八幡宮にあったお屋敷。
「あれ、公邸は別の所だと聞いていますが?」と思ったはず。
でも家持、書持もいる。
「おばちゃ〜ん」と言って駆け寄って来ました。
「そんなこと、続日本紀や万葉集のどこに書いてある?」
まあ、そのへんのところはお目こぼしのほどを。これからも全部お目こぼしでお願いいたします。 -
坂本八幡宮が旅人邸であったとは、学問的には確かではないそうです。
-
でも昔からそう言われており、
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「伝」とはなっておりますが、「大宰帥大伴旅人卿邸宅蹟」と立派な高札が立っております。
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「令和」の元号が旅人さまのお歌に由来することから、大宰府での人気を独り占めされております。
ここが旅人さまのお屋敷の一つだと、このお噺に大変好都合です。 -
坂上郎女さまがやってきたのが秋頃ならこんな感じ。
日ならずして、郎女さま、なぜ自分がこの邸に住まわされたか分かりました。
いたんですよ、ご婦人が、旅人さまの御身の回りに。
児島の郎女という、遊行婦女、あそびめと読みます。その後の芸者さん、現代ですと芸能人、当時の大宰府のトップクラスの売れっ子さん。年の頃27,8、美人で、歌舞音曲に秀れ、歌や唐の詩賦にも通じておられました。
それがどういうきっかけか、旅人さまとできちゃった。
「義姉さまがなくなられて、寂しかったところに、美人で教養があって、話し相手になってくれる。まあ、どうにかなってしまうのは、仕方ないのではないか」
と坂上郎女さまもお思いになった。
というのもこの妹さんご自身、この道にかけては活発で、お若い頃はいろいろ浮き名を流しております。お相手は指を折って数えるくらい。人のこと言えた義理ではございません。
ある日、旅人さまから呼ばれて行ったのは、月山東の別邸。 -
大宰府展示館の月山東地区にあったお屋敷の模型です。
大宰帥公邸のすぐお隣です。 -
左端の赤い屋根の建物が展示館です。
-
このあたりに旅人さまのお屋敷があったと、学者さんたちの間で言われているそうです。
-
ごらんのように丘の麓です。左の端は仏心寺というお寺さん。
旅人さまに、
★わが岡にさ男鹿鳴く初萩の花嬬(はなづま)問いに来鳴くさ男鹿★ 8-1541
△わが家近くの岡に男鹿が来て鳴く。初咲きの萩を花妻として、言問いにやってきて鳴く男鹿よ△(万葉集中西)
というお歌があります。鹿の声が聞こえるくらい岡に近かったんだ。だからお屋敷はここだ、とおっしゃる方が多いそうです。 -
ここいらあたりのお屋敷に、坂上郎女さまがいらしたと思し召せ。
「まだお義姉さまが亡くなられて間もないのに」と皮肉のひとつでも言ってやろうと思っていましたが、御対面の席にあらわれました児島さま、三つ指突きまして深々とご挨拶なさいます。
え~、この時代に三つ指ついたかどうか、調べておりませんが、まあ、そんな感じで。
その美しさ、物腰の優雅さ、坂上郎女さま気に入っちゃった。
「都でも、ここまでできる女はそうはいないわ」とお思いになった。
この方、もともとこういう関係に抵抗ないのです。
「兄をくれぐれもよろしゅう頼みます」
このあたり、大人の女の丁々発止のやりとり。
旅人さまはというと、天井でも見上げながら足の裏なんかかいております。 -
ときは流れまして天平2年(730年)11月、旅人さま大納言にご栄転、都に帰られることになりました。
この時代、大宰府の偉い方がお勤めを終え大宰府を発たれるときは、水城の東門まで皆様がお見送りに来られました。 -
水城は、このようなものであったようです。お濠の幅60m、深さ4m。土塁の高さは10m、幅は基礎部分で77mもありました。
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現存の土塁を外から見るとこんな感じになります。1.2km直線で続いておりました。
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東から見た復元図。
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これが近いでしょう。国道112は東門跡を通っているようです。
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土塁内側です。手前の一段低い部分は内濠跡です。
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残っている土塁を間近で見ています。
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土塁の一部には水城館が組み込まれております。水城紹介の博物館です。パネル写真などの資料は、ここで頂きました。
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国道に沿って、彩色された道路があります。
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復元された古代官道です。写真奥が東門。
幅10m、側溝がありました。官道沿いにはクルミやヤマモモが並木として植えられていたそうです。 -
奥に水城館が見えます。
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その前に、旅人児島の歌碑。
このあたりで、旅人さま、児島さまのお別れがあったといたしましょう。
★凡(おお)ならば、かもかくもせむを。畏(かしこ)みと、振りたき袖を忍びたるかも★ 6-965 (万葉集折口、以下現代語訳も同じ)
△これがよい加減な身分の人であったら、お別れに際にあゝもしようし、かうもせうものを。尊い方であるので、畏れ多いと思うて、別れを惜しんで、振りたい袖さえも、辛抱していることです。△
旅人さま、大宰府の偉いお役人に囲まれて別れの挨拶をしていおられた。
児島さまは身分の差をわきまえて、目立たぬよう人影に隠れておられたようです。
そこに憶良さまが近寄り、
「古来別れの場では、しかるべき女人が袖を振り、別れを惜しむのがならわしなのです。大きく袖を振って差し上げなさい」
堅いばかりと思っていた憶良さま、粋なことを言う。
「でも私は、旅人さまの嫡妻ではありません」
「いいではないですか、大宰府であなたが旅人さまの妻であることを知らぬ者はいない」
てなことを憶良さまがおっしゃった。
いえ、あたくしが見てきたわけではございません。でも前後のいきさつから察しまするに、こうでありましょう。
★大和路は雲隠りたり。然れども、吾が振る袖を、無礼(なめ)くと思ふな★ 6-966
△大和の国の方は、雲に隠れてゐる程遠い。それほど、あなたと私の身分は離れてゐます。けれども、恋しさに私が袖を振るのを、無礼にもこのようなことをする、と思ひ下さいますな。△
憶良さまに促されて、児島さま官道中央に進まれました。そこで、おおきく袖をふられたのでございます。
旅人さまの御返歌。
★大和路の吉備の児島を過ぎて行かば、筑紫の児島思ほえむかも★ 6-967
△これから大和へ行く道の、吉備の児島を通っていったならば、此筑紫の児島のことが、思ひ出されることであろうよ。△
★健男(ますらお)と思へる我や、みづくき水城のうえに、涙のごはむ★ 6-968
△自分は立派な男だ、と自任してゐるのだ。その自分でありながら、この水城の堤防の辺りで、別れが惜しいからというて、涙を拭うべきではないのに、不覚の涙を零した。△
このあと、旅人さまは官道を進まれ、お見送りの方々も散ってゆかれました。
残るは児島さまとお供のどなたか。芸事習いの娘さんといたしましょう。
「これで、児島の姐さんも寂しくなりますねえ」
「ばかお言いでないよ。児島の郎女と言えば、大宰府ではちっとは名の知れたお姐さんだよ。ダンナの一人や二人と別れたくらいで、寂しくなんかあるものかい」
強がりを言っております。
「でも本音を言えば、たびっと(ちょびっと)寂しいかねえ」
苦しいオチで誠に申し訳ありません。
おあとがよろしいようで・・
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旅行記グループ
旅人@九州大宰府
この旅行記へのコメント (4)
-
- 前日光さん 2022/07/13 16:15:12
- なぜか江戸弁の児島郎女(>_<)
- こんにちは、しにあさん&by妻さん!
まずこの文章は、しにあさんだけが書かれたのでしょうか?
全編by妻さんですか?
それともお二人の共作なのでしょうか?
by妻さん色が濃いようにも感じられて。
ま、最後のオチは、しにあさん作で、by妻さんが隣で「チッ」と舌打ちされているような気が。。。(~_~;)
そう、この時には少年家持も書持もいっしょだったのですよねぇ。
家持にとって、九州というところはどんな影響を受けたのでしょうかねぇ?
児島郎女にも会っているはずですよね?
そこに坂上郎女の登場、少年たちにとっては見知らぬ土地での、よく見知った叔母との再会にホッとしたのではないでしょうか?
魅力的な児島さんに、少年たちはときめいていたかもしれませんね。
旅人の「ますらをと思へる我や。。。」の歌、何とも言えず好きです。
弱みとも思える部分をさらけ出して詠う旅人が素敵です。
その時の憶良の対応、よく捏造しますねぇ。
しかもそうだったかもしれないと思わせる偽装工作、したたかですねぇ。
旅人が去った後の児島のセリフ「ばかお言いでないよ。。云々」は、時代劇を見ている気分になります。
このセリフは、児島が江戸の女か!と思わせる空気がプンプン、しにあさん、やりますねぇ。オヌシも悪よのう(>_<)
冒頭の「♪てけてんてんてん♪ 出囃子のつもり、」と、うまく結びつけていますね!
はい、お後がよろしいようで。
で、次はどんなお話で?
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/07/13 19:51:22
- Re: なぜか江戸弁の児島郎女(>_<)
- 今回はBy夫の独演です。By妻は水城のところで「書きたい!」と叫びましたが、しっとりした人情噺が、漫才になる恐れあり、取りやめ。
最後のオチのところは、ほぼご推察の通り。
博多弁でやるてもあったのですが、By妻の博多弁能力では翻訳無理だそうです。
kummingさんに翻訳してもらえばよかったかも。
憶良のセリフ捏造、受けた!
非常に満足です。
とりあえず万葉集シリーズはかたがつきました。どんなふうに遊んでも遊びがいがある、すごいですね、万葉集は。いずれ、家持さんと万葉集に本格的に戻ってきたいと思っていますが、いつになることか。
「おばちゃーん」と叫んで郎女さんに飛びついてきた家持さん、当たらずとも遠からずと思っています。
おあとは本来「天武チルドレン・恵尺」なのですが、追加の調べ物が出てきて延期です。筑紫寺社旧跡巡りで、しばらく軽る~~~く参ります。期待しないでお待ちください。
-
- kummingさん 2022/07/10 22:18:14
- 新種のアプローチ♪
- 人情噺、というのですね、こういう様式?
資料に基づく綿密な検証+ある事ない事→たぶんこうだったんじゃ? も中々面白いですが、たまに「実況中継」とか、今回の「人情噺」、のようなアプローチも新鮮ですね♪
児島さんという遊女的な存在、前々回の「梅の宴」で初めて知りました。知的かつ芸にも秀でた遊び女?同じかどうか分かりませんが、ルネッサンス期のイタリアにも所謂知的な高級娼婦がいたようです。
私勝手に、愛妻家、女房想い、妻一筋の堅物かと思っていた旅人さま、いやいや、やってくれるじゃあ、ありませんか! やはり歌などに長けた風流人の事、ま、大いにありえますね。
そして大伴坂上郎女さま、かなり恋多き、自由奔放な女人だったとか? しかも歌人としても優秀で、家持さんはこの「おばちゃん」の影響もあって、恋多きおのこ、かつ歌人としても秀でていらした(←例の、前日光さんオシのコミックに、そ~いうお話あり)。
水城復元図と現在の写真、興味深いです。ちょ、暑さが緩んだら、行けない距離ではありません♪ 古代官道も、ぜひ、歩いてみたいです^o^
- しにあの旅人さん からの返信 2022/07/11 19:41:38
- Re: 新種のアプローチ♪
- 「水城、行ってきました」マル
では面白くないので、なんか変わった切り口はないものか、ない知恵を絞って思いついた人情噺。
落語の人情噺は、夫婦のしんみりしたお話にサゲをつけたり、つけなかったり。私としては「芝浜」が頭にありました。
今回はサゲがまことにみっともない。
憶良さんが格好良かったでしょう?
難波宮みたいな実況中継は、これからも使えそうな手口です。人情噺はどうかな。孝徳天皇と道鏡の時に、無理すればできるかも。
なんとか面白い旅行記がつくれないもんか、それを考えるのも、いとをかし。別名老化防止。
旅人さんを妻一筋の愛妻家、本人が聞いたらなんというか。
坂上郎女さん、色々説はあるそうですが、古代史上きっての恋多き女とした方が、私は面白い。多分本人も「いいわよ」じゃないかと。
水城は暑いですよ。日陰なし。
ヤマモモの並木、作って欲しい。
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