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1321 高取山からおりてきて,県道119号線ぞいの上の壷阪寺駐車場に入れる.まず大講堂で寺宝の仏像を見る.平安末期のやや平板な増長天,多聞天などがあったが,鎌倉時代の薬師如来はなかなか良かった.ここは写真撮影も可だし明るいところで見せてくれるのが何よりうれしい.仁王門,重文の禮堂,三重塔はなかなかよかった.これらは歴史の重みを感じる.本尊の十一面千手観音は愛嬌があり,民間信仰にふさわしいやさしさ.手ぬぐいでお身をぬぐう.あとは後世の石像などが多い.インドとの交流で建てられたもので大きい.まあすごいねという感じかな.壷阪寺霊験記は有名だ.1000円で見る場所の多いお寺だった.合掌.1435 駐車場に帰る,さてそろそろ関空に向かうかな.

2022.5奈良南部ドライブ一人旅11-壷阪寺(南法華寺)に参拝

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2022/05/05 - 2022/05/05

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SUOMITA

SUOMITAさん

1321 高取山からおりてきて,県道119号線ぞいの上の壷阪寺駐車場に入れる.まず大講堂で寺宝の仏像を見る.平安末期のやや平板な増長天,多聞天などがあったが,鎌倉時代の薬師如来はなかなか良かった.ここは写真撮影も可だし明るいところで見せてくれるのが何よりうれしい.仁王門,重文の禮堂,三重塔はなかなかよかった.これらは歴史の重みを感じる.本尊の十一面千手観音は愛嬌があり,民間信仰にふさわしいやさしさ.手ぬぐいでお身をぬぐう.あとは後世の石像などが多い.インドとの交流で建てられたもので大きい.まあすごいねという感じかな.壷阪寺霊験記は有名だ.1000円で見る場所の多いお寺だった.合掌.1435 駐車場に帰る,さてそろそろ関空に向かうかな.

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通手段
レンタカー ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配

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  • 1321 高取山からおりてきて,県道119号線ぞいの上の駐車場に入れる<br />

    1321 高取山からおりてきて,県道119号線ぞいの上の駐車場に入れる

  • 道順に従って登っていく

    道順に従って登っていく

  • 入山受付が見えてきた<br />伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。<br />往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。承元5年(1211年)に大門、僧房の罹災を始め、数度の火災にあい、戦国時代には戦乱に巻き込まれている。当寺を庇護していた越智氏の滅亡と共に衰退し、残ったのは室町時代の礼堂と三重塔くらいであった。慶長年間(1596年 - 1615年)、豊臣秀長の家臣で高取城主本多俊政が当山の伽藍復興に尽力し、江戸時代には高取藩主植村氏の庇護を受け栄えた。本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの観音様として親しまれ眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台として有名となった。wikipedia

    入山受付が見えてきた
    伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。
    往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。承元5年(1211年)に大門、僧房の罹災を始め、数度の火災にあい、戦国時代には戦乱に巻き込まれている。当寺を庇護していた越智氏の滅亡と共に衰退し、残ったのは室町時代の礼堂と三重塔くらいであった。慶長年間(1596年 - 1615年)、豊臣秀長の家臣で高取城主本多俊政が当山の伽藍復興に尽力し、江戸時代には高取藩主植村氏の庇護を受け栄えた。本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの観音様として親しまれ眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台として有名となった。wikipedia

  • 本尊お身拭い特別参拝1000円,お身拭い用の手ぬぐい付き<br />大講堂に

    本尊お身拭い特別参拝1000円,お身拭い用の手ぬぐい付き
    大講堂に

  • むこうに五重塔などが見える

    むこうに五重塔などが見える

  • 1961年(昭和36年)には日本で最初の養護盲老人ホーム「慈母園」が建てられている。wikipedia

    1961年(昭和36年)には日本で最初の養護盲老人ホーム「慈母園」が建てられている。wikipedia

  • 大講堂の外に説明

    大講堂の外に説明

  • 大講堂の中に入る 写真撮影可

    大講堂の中に入る 写真撮影可

  • 増長天 平安末期なのでやさしい

    イチオシ

    増長天 平安末期なのでやさしい

  • 薬師如来坐像

    イチオシ

    薬師如来坐像

  • これはなかないい薬師さんだ

    これはなかないい薬師さんだ

  • 不動明王坐像

    不動明王坐像

  • 愛染明王 江戸時代のものだ

    愛染明王 江戸時代のものだ

  • 多聞天像 もうすこし動きがあるといいのだが 平安末期らしいね

    多聞天像 もうすこし動きがあるといいのだが 平安末期らしいね

  • その他,インドでのハンセン氏病救済活動のためか,インドガンダーラのものも展示してある.こんなにまじかに仏像を見られたのは良かったね

    その他,インドでのハンセン氏病救済活動のためか,インドガンダーラのものも展示してある.こんなにまじかに仏像を見られたのは良かったね

  • 1339 外へ

    1339 外へ

  • 仁王門に 仁王門 - 建暦2年(1212年)建立。入母屋造、本瓦葺。解脱上人貞慶が建立に関わったとされる.室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行った。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

    仁王門に 仁王門 - 建暦2年(1212年)建立。入母屋造、本瓦葺。解脱上人貞慶が建立に関わったとされる.室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行った。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

  • 多宝塔 - 2002年(平成14年)4月落慶。大日如来坐像(平安時代作)を祀る。

    イチオシ

    多宝塔 - 2002年(平成14年)4月落慶。大日如来坐像(平安時代作)を祀る。

  • 本尊 大日如来(平安時代)

    本尊 大日如来(平安時代)

  • 蓮石曼荼羅 ちょっとおもしろいが..

    蓮石曼荼羅 ちょっとおもしろいが..

  • 十一面千手観音だね

    十一面千手観音だね

  • この石造群はでかい 壺阪大仏という

    この石造群はでかい 壺阪大仏という

  • インドから招来

    インドから招来

  • 慈眼堂 平成18年

    慈眼堂 平成18年

  • 堂内にはインド・ムンバイ在住の画家カーマット氏によるお釈迦様の佛伝図がある.

    堂内にはインド・ムンバイ在住の画家カーマット氏によるお釈迦様の佛伝図がある.

  • 明応6年(1497)再建 重文

    イチオシ

    明応6年(1497)再建 重文

  • 天竺渡来伝図レリーフ 釈迦一代記

    天竺渡来伝図レリーフ 釈迦一代記

  • 昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300t<br />このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである。<br />原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅し、釈尊の道を訪ねて構図をまとめたもので、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

    昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300t
    このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである。
    原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅し、釈尊の道を訪ねて構図をまとめたもので、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

  • といっても解説がないとどの場面かわからないが

    といっても解説がないとどの場面かわからないが

  • 投身の谷の上に立つ投身の谷の上に立つお里澤市の像 壺阪霊験記の夫婦愛は有名だね

    投身の谷の上に立つ投身の谷の上に立つお里澤市の像 壺阪霊験記の夫婦愛は有名だね

  • 投身の谷を覗く

    投身の谷を覗く

  •  禮堂 重文(再建 室町時代)この御堂は本尊を礼拝するために建てられた。当寺の創建当初から、建てられていたと伝わっている。但し、1096年に焼失するが、1103年に再建された。その後鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

    禮堂 重文(再建 室町時代)この御堂は本尊を礼拝するために建てられた。当寺の創建当初から、建てられていたと伝わっている。但し、1096年に焼失するが、1103年に再建された。その後鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

  • 投身の谷の上に立つお里澤市の像から禮堂,八角円堂をみる

    投身の谷の上に立つお里澤市の像から禮堂,八角円堂をみる

  • 八角円堂

    八角円堂

  • そのまま八角円堂に

    そのまま八角円堂に

  • 外側からご本尊を拝むが,特別拝観券で中に入れる

    外側からご本尊を拝むが,特別拝観券で中に入れる

  • 本尊十一面千手観世音菩薩を祀る.お身拭いをおこなう.合掌 室町時代の樫材の寄せ木造り、それ以前の本尊千手観音像に代わって造られたのだろう。御本尊である十一面千手観音菩薩座像は「眼の佛」として広く信仰を蒐めている。奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。桓武・一条の天皇の眼病も平癒された。

    イチオシ

    本尊十一面千手観世音菩薩を祀る.お身拭いをおこなう.合掌 室町時代の樫材の寄せ木造り、それ以前の本尊千手観音像に代わって造られたのだろう。御本尊である十一面千手観音菩薩座像は「眼の佛」として広く信仰を蒐めている。奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。桓武・一条の天皇の眼病も平癒された。

  • 八角堂の中にいることがよくわかる

    八角堂の中にいることがよくわかる

  • 1402 めがね供養観音 インドで制作され、日本で組み立てられた。

    1402 めがね供養観音 インドで制作され、日本で組み立てられた。

  • お里観音六角堂

    お里観音六角堂

  • スリランカの仏足石

    スリランカの仏足石

  • 宝篋印塔 鎌倉時代

    宝篋印塔 鎌倉時代

  • 天竺門

    天竺門

  • 1406 県道の下を通り

    1406 県道の下を通り

  • 天竺渡来大観音石像

    天竺渡来大観音石像

  • 昭和58年3月 開眼<br />全長20m 全重量1200t<br />天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されている。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

    昭和58年3月 開眼
    全長20m 全重量1200t
    天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。 この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されている。http://www.tsubosaka1300.or.jp/precinct.html

  • イチオシ

  • 下を見る

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  • 二上山かな

    イチオシ

    二上山かな

  • 畝傍山かな

    イチオシ

    畝傍山かな

  • 涅槃像に向かう

    涅槃像に向かう

  • 天竺渡来大涅槃石像 平成11年安置 全長8m<br />大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。<br />涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。<br />これでは小さく見えるが実際はでかい!

    天竺渡来大涅槃石像 平成11年安置 全長8m
    大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。
    涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。
    これでは小さく見えるが実際はでかい!

  • さてかえろう

    さてかえろう

  • 禮堂,三重塔の下を通り

    禮堂,三重塔の下を通り

  • 多宝塔

    多宝塔

  • 1435 駐車場に帰る この写真は振り返って,寺の方を撮った写真

    1435 駐車場に帰る この写真は振り返って,寺の方を撮った写真

  • 特別拝観券 1000円 結縁の印がいいねえ.

    特別拝観券 1000円 結縁の印がいいねえ.

  • パンフ

    パンフ

  • 大石像めぐり

    大石像めぐり

  • お身拭いの手ぬぐい

    お身拭いの手ぬぐい

  • これで観音様のお身をぬぐった.

    これで観音様のお身をぬぐった.

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