2022/05/24 - 2022/05/24
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ドクターキムルさん
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源頼朝墓の東側にある北条義時法華堂跡と島津忠久墓、大江広元墓と毛利季光墓が一変していた(https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/hokkedo.html)。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響であろう。
これまでは源頼朝墓までは参拝者がいたが、北条義時法華堂跡と島津忠久墓、大江広元墓と毛利季光墓を訪れる人など非常に限られていた。いつ行っても静寂な場所であった。
それがNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まり、大河ドラマの主人公の北条義時法華堂跡にも人がやって来るようになったようだ。大河ドラマにゆかりのある場所にはそれを表す幟が立っているからだろうか?
また、北条義時法華堂跡は史跡看板と標柱石が立っている南側の崖上にあったと思っていたのだが、それが大江広元の石鳥居前に移されている。鎌倉歴史文化交流館にあるように、史跡跡を別の場所に復元したものであろう。しかし、看板にはそうした断りが記載されていない。おそらくは、鎌倉歴史文化交流館と同様に、後にそうした看板を加えることになるのだろう。
少なくても、史跡看板と標柱石が立っている場所なら北条義時法華堂は南向きには余地がなく、西(の頼朝法華堂)に向いていたのではないか?と思う人が出てきても良いのだが、今の場所では南向き以外は思い浮かばなくなってしまっている。
私が今年になって北条義時法華堂跡の奥の空き地にも同じ規模のお堂を建てる余地があると市の文化財課に電話したことがあったが、学芸員は狭くてそんな余地はないと私に嘘のことを告げたことが明らかになった。少なくても、北条義時法華堂クラスのお堂なら建てられるだけの余地があったということだ。そしてそのお堂は誰かの法華堂であった可能性が高いであろう。ではその人物とは?
(表紙写真は北条義時法華堂跡の広さを示す場所)
もし、北条義時法華堂跡が大江広元参道石鳥居前辺りにあったのだとすると、源頼朝法華堂と並ぶ南側の空き地には何もなかったのか?
また、ARでは北条義時法華堂は西を向いて建っている。それでは源頼朝法華堂に並んで北条義時法華堂が建てられたとするのは違和感がある。
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島津忠久墓参道から見る大江広元墓の石鳥居。明治10年(1877年)建立と言われている。
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北条義時法華堂跡。
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北条義時法華堂跡の広さを示す場所。
「約600平方メートルの平場は丘陵斜面を人為的に造成しています。調査では平場の中央やや北寄りに、方三間(ほうさんけん)宝形造(ほうぎょうづく)りと考えられる建物形式の痕跡が発見されました。」(https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mykoho/region/mykoho-OCJ142042963586835705)とある。
「中央やや北寄り」であれば、この場所あたりか?
AR(拡張現実)による建物の復元では入口は西向きになっている。
では南側はただの空き地?
南側にはトレンチを入れなかったというから、南側に北条義時法華堂があって、大江広元参道石鳥居前にも別の鎌倉幕府高官の法華堂が建っていた可能性もあろうか。それを北条義時法華堂と取り違えていることはないのか?
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今年になって立てられた看板。
「正面の地面には、その建物の柱の位置を杭と石で、雨落溝を玉砂利で示しています。」とあるが、発掘場所はここではないだろう。
この辺りにはトレンチも入れていないと言われた。すなわち、こんなものを急遽こしらえたことで、この場所の発掘もままならなくなった? -
ARの看板。
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北条義時法華堂跡の広さを示す場所。
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北条義時法華堂跡。
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「3つの近世墓」看板。この看板も今年になって立てられた。
「古墳時代後期に造られた横穴墓」とある。しかし、三浦氏が供養されているのは中世のやぐら?
新らたに看板を立てる前に、これまでに立ててある看板の間違いを正すのが先だろう。
よりとも子供広場前にある看板では、江戸時代の絵図で広元墓と忠久墓が入れ違えになっている(https://4travel.jp/travelogue/11543525)。こうした間違いを示さないことには資金提供してくれた人に申し訳が立たないだろうに。 -
島津忠久墓参道石段。
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大江広元墓参道の石鳥居。明治10年(1877年)に建てられた。
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大江広元墓参道の石鳥居から南側を見る。
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島津忠久墓参道。
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大江広元墓参道。鎌倉時代には大江広元墓参道も島津忠久墓参道もなかった。
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2つ並んだ参道石段。それまでは1本だったとされる。
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横穴墓に供養されている三浦一族。
同じ高さに毛利季光の石灯籠が建てられた横の欅の木の根にも横穴墓跡が残っている。 -
「三浦氏が供養されているやぐら」看板。
源頼朝が眠る場所にやぐら穴を掘ることが出来た御家人がいたはずがない。
これも横穴墓の再利用であろう(https://4travel.jp/travelogue/11730371)。 -
ARの看板。
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ARの看板。
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標柱石(平成31年(2019年)銘)。
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標柱石(平成31年(2019年)銘)。
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史跡看板。
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南側の崖。
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奥に杭や石、玉砂利で法華堂の柱などが示されている。
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大江広元参道の石鳥居前にある。
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島津忠久墓参道石段。
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大江広元墓参道石段。明治10年(1877年)に2つの石段に分離された。
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大江広元墓。
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毛利季光墓。大正10年(1921年)に移設された。
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島津忠久墓。
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大江広元墓参道入口の石段と石灯籠。
「史跡「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」」(https://4travel.jp/travelogue/10599595)を読んで、文化財等データベースの担当者が一般の人の意見を聞くことがあるのかと驚く意見があったが、担当者は全ての文化財を訪れている訳ではないだろう。そうした件に詳しい「工学博士」から指摘されているのであるから、担当者が私を「一般の人」などと思っていることなどないであろう。 -
「鎌倉殿の13人」の幟。
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