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 「武家の古都・鎌倉」が世界遺産落選後、5、6年が経って鎌倉市内にも道標や史跡看板が増えた。源頼朝墓がある法華堂跡の白旗神社前にも「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」なる史跡看板が立てられている。<br /> この看板には、「法華堂跡の東谷奥には、頼朝を補佐し幕府の土台を築いた大江広元、広元の四男である長州毛利氏の祖・毛利季光、頼朝にゆかりのある薩摩島津氏の祖・島津忠久の墓が並びます。いずれも江戸後期に薩摩藩・長州藩によって整備されました。」と記載され、「法華堂境内図」が載っている。<br /> 看板にある「相模国風土記」とは「新編相模国風土記稿」(天保12年(1841年)成立)のことか?<br /> しかし、頼朝墓(安永8年(1779年)に建立)の右横には「忠久墓」(安永8年(1779年)に整備)、さらに右には「廣元墓」とある。大正10年(1921年)に移設された「季光墓」が記載されていないのは分かるのだが、現在の頼朝墓、季光墓、広元墓、忠久墓の墓の並びとは異なっている。<br /> 文政6年(1823年)に広元墓が建立されているのであるから、頼朝墓、広元墓、忠久墓の墓の並びは現在と変わってはいないはずだ。「新編相模国風土記稿」の誤記か?<br /> 「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第1弾「鎌倉これあらた(維新)」によりこの史跡看板が立てられた。その寄附者の9組(1組は夫婦か)の名前も記載されている。しかし、このように訳が分からない理解できないような内容の史跡看板に名前を載せられている人にとっても迷惑なことだ。<br />(表紙写真は「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」史跡看板)

鎌倉市内の新な史跡看板

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2019/09/17 - 2019/09/17

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 「武家の古都・鎌倉」が世界遺産落選後、5、6年が経って鎌倉市内にも道標や史跡看板が増えた。源頼朝墓がある法華堂跡の白旗神社前にも「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」なる史跡看板が立てられている。
 この看板には、「法華堂跡の東谷奥には、頼朝を補佐し幕府の土台を築いた大江広元、広元の四男である長州毛利氏の祖・毛利季光、頼朝にゆかりのある薩摩島津氏の祖・島津忠久の墓が並びます。いずれも江戸後期に薩摩藩・長州藩によって整備されました。」と記載され、「法華堂境内図」が載っている。
 看板にある「相模国風土記」とは「新編相模国風土記稿」(天保12年(1841年)成立)のことか?
 しかし、頼朝墓(安永8年(1779年)に建立)の右横には「忠久墓」(安永8年(1779年)に整備)、さらに右には「廣元墓」とある。大正10年(1921年)に移設された「季光墓」が記載されていないのは分かるのだが、現在の頼朝墓、季光墓、広元墓、忠久墓の墓の並びとは異なっている。
 文政6年(1823年)に広元墓が建立されているのであるから、頼朝墓、広元墓、忠久墓の墓の並びは現在と変わってはいないはずだ。「新編相模国風土記稿」の誤記か?
 「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第1弾「鎌倉これあらた(維新)」によりこの史跡看板が立てられた。その寄附者の9組(1組は夫婦か)の名前も記載されている。しかし、このように訳が分からない理解できないような内容の史跡看板に名前を載せられている人にとっても迷惑なことだ。
(表紙写真は「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」史跡看板)

  • 「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」史跡看板。<br /><br />「法華堂跡の東谷奥には、頼朝を補佐し幕府の土台を築いた大江広元、広元の四男である長州毛利氏の祖・毛利季光、頼朝にゆかりのある薩摩島津氏の祖・島津忠久の墓が並びます。いずれも江戸後期に薩摩藩・長州藩によって整備されました。」<br /><br />毛利季光墓は江戸時代後期の文政6年(1823年)に鶴岡八幡宮横の志一稲荷神社近くに建立された。その後、大正10年(1921年)に父・広元墓横に移設されている。この看板では江戸時代には既に季光墓、広元墓、忠久墓の3墓が並んで建てられていたように誤解されよう。<br /><br />「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第1弾「鎌倉これあらた(維新)」では他にも「鎌倉でも起きていた英国士官殺傷事件」(https://4travel.jp/travelogue/11467250)の看板を見ている。<br /><br />この鎌倉市の活動に数年先立ち、円覚寺(https://4travel.jp/travelogue/11316217)でも説明看板が立てられている。この中にも舎利殿(https://4travel.jp/travelogue/11316224)など理解が難しいものもある。

    「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」史跡看板。

    「法華堂跡の東谷奥には、頼朝を補佐し幕府の土台を築いた大江広元、広元の四男である長州毛利氏の祖・毛利季光、頼朝にゆかりのある薩摩島津氏の祖・島津忠久の墓が並びます。いずれも江戸後期に薩摩藩・長州藩によって整備されました。」

    毛利季光墓は江戸時代後期の文政6年(1823年)に鶴岡八幡宮横の志一稲荷神社近くに建立された。その後、大正10年(1921年)に父・広元墓横に移設されている。この看板では江戸時代には既に季光墓、広元墓、忠久墓の3墓が並んで建てられていたように誤解されよう。

    「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第1弾「鎌倉これあらた(維新)」では他にも「鎌倉でも起きていた英国士官殺傷事件」(https://4travel.jp/travelogue/11467250)の看板を見ている。

    この鎌倉市の活動に数年先立ち、円覚寺(https://4travel.jp/travelogue/11316217)でも説明看板が立てられている。この中にも舎利殿(https://4travel.jp/travelogue/11316224)など理解が難しいものもある。

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